2011年7月頃の読書。
- ・キリスト教の矛盾をちゃんと理解しておきたい。
・信仰というカタルシス設計をプランニングにも活かしたい。
・数年前に学んだ宗教(良くも悪くも信者にはならなかった)が、世界的にはどう扱われているのか?
・グローバルにビジネスするなら、アイデンティティ構成に関与する宗教は知っておいて損はない。
そんな思いでこの本を手に取った。
1:グローバル化のなかでは、多くの人々が親密な共同体の喪失という事態に直面している。その点では、ユダヤ人はその先駆者だとも言える。あくまで民族としての統合をめざすのか、それともそれを捨て、よりグローバルな視野に立って行動するのか。ディアスポラは、今やユダヤ人だけではなく人類全体の課題ともなってきている。
⇒だからソーシャルメディアとかが流行るんだと思ったw
2:性の快楽に結びつかない神聖な世界と、性の快楽が追求される世俗の世界が、根本的に対立するものとして二分された点にある。
⇒なんで性的なものって後ろめたいんだろう?と思う。
3:イエスの生涯は伝説や神話であり、歴史的な事実を反映したものではない。それは、他の宗教における教祖の言動についても言える。しかし、信者たちは伝説や神話を事実としてとらえ、そこから自分たちに独自な信仰世界を築き上げていくのである。
4:聖母マリアを信仰する日本のキリスト教徒と、それを処女マリアとして信仰している他の国のキリスト教徒は、実は異なる存在を信仰の対象にしているとも言える。日本人は聖母という呼称を用いることで、マリアを大きく変容させて受容したのである。
5:どの福音書においても、イエスがいったいいつ生まれたのか、その日付は明記されていない。キリストが12月25日に誕生したとされるようになるのは354年からのことで、ローマ帝国で流行していたミトラ教の冬至の祭りが基盤になっている。クリスマスの信仰が広まるのも、そこで一年が終わり、新しい年がはじまる冬至の日に設定されたからで、イエスの誕生は新しい誕生は新しい年の訪れを祝うものと解釈された。だからこそ、日本をはじめ、キリスト教が支配的でない地域でもクリスマスを祝う習慣が広まったのである。
⇒みんな都合が良いんだなw 特にキリスト教は露骨だなw
6:イスラム金融では、利子をとらない代わりに、金融機関が企業と共同して事業に投資し、そこからの利益(あるいは損失)を分配する。ほかにも、シャリーアで禁じられた酒類や豚肉に関係する企業への融資やデリヴァティブなどへの投資を避けようとするところに特徴があり、節度のある金融のシステムとしても注目されている。投資がシャリーアにかなっているかどうかを判断するのは、イスラム法学者の役割である。この考え方は、ホメイニーの法学者による統治論にも結びついていく。
7:一神教では唯一絶対の善なる存在である創造神がこの世を創造したとされ、それが根本的な前提になっている。ところが、善なる神によって創造された世界には現実には悪が存在し、人間はそれによって苦しめられている。なぜ善なる神が創造した世界に悪が存在しなければならないのか。それは、一神教が抱える根本的な矛盾であった。
この矛盾に対して、一神教はそれを解消する答えを見いだしていかなければならなかった。一つの答えは悪の根源を悪に求め、その悪魔は天使が墜落したものだという解釈をとることだった。世界には、もともと悪は存在しない。しかし、天使の墜落によって悪魔が生まれ、それが悪を生み出すことになったというわけである。
それは、とくにキリスト教において強調された「原罪」の観念に示されている。人間は神によって創造された存在であり、その時点ではいっさいの悪を免れた善なる存在であったはずである。ところが、エデンの園にいた人類の始祖アダムとイブは蛇によって誘惑され、性的な快楽を知って墜落する。それ以降、人間は労働と死を免れることができなくなり、絶えず自らの罪を自覚し、罪の許しを得るために神を信仰しなければならなくなった。
こうした形で世界における悪の存在についての説明がなされたものの、それは根本的な解決とは言えなかった。それに比較して善悪二元論は、善なる世界に悪が存在するいう矛盾を抱え込む必要がない。善と悪とは最初から並立しており、両者は対立を続けてきた。その方が、一神教における悪の発生の説明よりも、説得力をもつ可能性がある。
⇒自分がキリスト教嫌いなのは、ここで指摘されている矛盾だった。なんだみんな分かってるんじゃないかw
8:宗教が社会全体に広がり安定した基盤を確保していくためには、民衆に受容される必要がある。民衆が望むのは難解で複雑な宗教哲学や神学ではなく、現実の社会のなかでいかに幸福な生活を実現していくか、それに役立つ教えであり、儀式の体系である。
その点で徹底した禁欲を説くマニ教のような宗教は民衆には好まれない。社会状況が極めて悪化し、現実の世界に生きることにまったく希望を見いだせないような危機的な事態が訪れない限り、民衆が望むのはあくまで現世利益であり、徹底した禁欲主義信仰ではないのである。
⇒結局宗教っつっても、神がかかった何かとかじゃなくて、自分で指針が作れない人達の都合の良い言い訳と、人が集まる為の言い訳なんだなと思った。(改めて)
9:エクスタシーは「脱魂状態」と訳され、宗教的な祭儀のなかで魂が肉体を離れていく現象のことをさす。それによって魂は天界などにのぼり、神と直接的な形で出会い、場合によっては一体化する。そしてエクスタシーを体験した人間は、特別な力を与えられることになる。ソーマと同様に不死を与えるとされた飲料がアムリタであり、これは中国において「甘露」と呼ばれた。
10:ヨーガは、現代において一種の健康法とみなされているが、もともとはバラモン教から生まれた宗教的な実践だった。ヨーガということばは、「結びつけること、支配すること」を意味するサンスクリット語の「ユジュ」に由来する。
11:仏教では、苦を感じる主体である自己という存在を、実在をともなわない「無我」としてとらえることで、苦やそれを引き起こした煩悩が消え去るという立場をとる。苦を感じる主体がそもそも存在しないならば、苦などあり得ないというわけである。
⇒仏教のこおいう視点切替発想は好きだな。
12:日本に「宗教」という概念が伝えられるのは、明治に近代化がはじまってからのことで、それによって神道と仏教はそれぞれ独立した宗教として認識されるようになる。だが神仏分離を経ても、日本人の多くは双方の宗教とかかわりをもちいいいいいいい、どちらか一つを自らの信仰として選ぶことができなかった。やがて無宗教という認識が生まれる背景には、こうした近代化による宗教環境の変化がある。
13:宗教には、信仰を核として人々を結びつけ、社会的な絆を与える役割がある。その意味で、国家に代わって宗教がセイフティーネットの役割を果たすようになってきたとも言える。
先進国で、既成の宗教の衰退と反比例する形でスピリチュアル・ブームが起こっているのも、宗教的なものに精神の拠りどころを求めようとする人々が、依然として少なくないからである。
⇒最近会社の若手に “ももいろクローバーZ” というのを勧められ、ちょっと話し出すと毎回30分ぐらい説法を聞かされている・・・。よくよく聞いてみると、”ファン同士のコミュニケーション” が独特で魅力的だそうで、宗教とほとんど同じだと思った。
・・・という事で、キリスト教のダメさ具合の理由が明確になってきたのは良かった。
そして、アニオタもどっかの宗教も、精神的満足を得るという意味では、ほとんど同質の行動だという事は、疑いようがないと感じた。
そして自分のWADAに対する愛とデニーさん・星子リスペクトも非常に近い意味はある・・・w が!既存の宗教と違うのは今ライブに起きている現在進行形であるという事だ。よって宗教の段階ではなく文化の段階であると思っている。
色々読みにくい漢字が多くて辛い読書だったが、マニ教とかゾロアスター教とか、よくわからない宗教の存在も知れて、まぁ勉強になった。ちなみに自分が学んだ宗教については一切言及されてなかった。
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