-読書感想- 禅、シンプル生活のすすめ / 枡野 俊明

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禅、シンプル生活のすすめ (知的生きかた文庫)

2009/6/19発売。2011年後半頃の読書。

当時転職を検討していたし、部屋も物が多くなり過ぎていた気分だったので、色々と整理する気分でこの本を手に取った。


1:今、多くの人はどう生きるべきかに迷い、悩み、足場を失っています。だからこそ、非日常を求め、心の疲れをリセットしようとする。

⇒ “今” の定義がどの範囲なのか?ではあるが、この30年に限らない事象だと思うw

2:時間と労力のなかにこそ命が宿っている。すなわち時間と労力を省くことは、人生の楽しみを省いているのと同じこと。

⇒いわゆる “暇な人” って目が死んでるもんな~。AZZLOも2013年は仕事が忙しくなかったので、ボケた顔になってたハズ・・・w

3:「本来無一物、無一物中無尽蔵」。

人間は生まれながらにしてもっているものなど何もない。しかし、誰もが無限大の可能性を秘めている、という言葉です。

だから、何も恐れることはない。何も心配することはない。それが、真実。

⇒ “二十歳過ぎればただの人” 的な事だな。

4:物をたくさんもつのが自由ではない。

大切なのは、物を自由に活かす心をもつこと。

⇒ “機材オタクの曲はしょぼい” 的な事に通じるなw AZZLOも機材は好きな方なので気をつけよう。

5:人間関係から外れて、ひとりきりで過ごす場所。自然のなかで心の自由を取り戻す場所。一瞬の陰道が、これから進むべき道を照らしてくれるでしょう。

⇒ “目的の無い散歩” をすると、錆びついた滑り台がある程度の公園が意外と落ち着いたりするな~。

6:自分の手で自然に触れてみてください。石が転がっていたら、手に取ってさわってみてください。道端に花が咲いていたら、匂いをかいでみてください。

そして心のなかに、自分だけの箱庭をつくってください。心が落ちつくはずです。

⇒近年そぉいう遊びしてないな・・・。アナログレコードでのDJプレイなんかも、上記のような行為に思うな。

7:今、与えられている場所、今、与えられている役割、今日出会う人、ちょっとした出来事・・・何がきっかけとなるかはわかりません。「こんな仕事なんて」 という思い込みは捨て、とにかく今を生きることです。

⇒ “こんな仕事なんて” と気付く事自体は良いと思う。そのまま留まるのが良くないと思う。

8:仕事に集中していると思っていても、「休憩まであと何分だろう」 とか 「この仕事つまらないな」 などと考えたりしていることは多いもの。逆に、休日に遊んでいても仕事のことが頭をよぎったりもするでしょう。

目の前のことに、ただ没頭してみる。すると驚くほどのパワーが生まれるのです。

⇒AZZLOは休日も平日の仕事に活きる事を考えてる事が多いかも。ある種つまらない仕事でも “つまらない事をするとどうなるだろう?” という興味があるな。ま、前向きにはやらないがw

9:「この仕事、誰かやってくれないか」 と上司が言う。地味な仕事で誰も手を上げようとしない。そのときこそ 「私にやらせてください」 と言ってみる。

そんな心がけのある人になりたいものです。

⇒とりあえず今の組織に居る限りは、中々こういう発想にはならないなぁ・・・w

10:アイデアやひらめきというものは、実は心の 「間」 にあり、思考と思考の狭間に存在しています。

その思考の狭間に心を誘うために、何も考えない時間を大切にすることです。

⇒これは凄く共感する。なんでも物事は立体的で、ノイズが無くなったり視点が変わる事で、間が見つかったりする

11:「一行三昧」 —– ただひとつのことに邁進する、という禅語があります。あれもこれもと手を広げず、ひとつのことに心を集中させていく。そうすればこそ、充実感や満足感が味わえる。

NATIVE INSTRUMENTS製品 を持ってると、多くの手段があるだけに、”音色選びだけで終わる” 事って多いw
反面、出来る事が限られているハードウェアとかで作る方が、諦めどころがある分、形になる事って多い。

どれに集中するか?は一回は広げた上で取捨選択すれば良いと思う。

12:年齢的な変化もあるし、環境の変化もあるでしょう。それらの変化を恐れないことです。

柔軟な心で変化を受け入れ、過去に執着しないこと。変化を嘆くのではなく、そこに新たな美しさや希望を見いだすこと。そんな人生を送りたいものです。

⇒なんでもポジネガ表裏一体だからな。

13:生きる喜びを味わうためには、常に五感を磨いていくことが大事だと思います。

たとえば、道に落ちている石を拾い、さわったり匂いをかいでみたりする。石にも表と裏があり、それぞれに表情があります。石には匂いなどないと思いがちですが、山の石は山の匂いがするし、海の石は海の匂いがする。そういう身の回りのちょっとしたことに興味をもち、自然の変化を五感で感じてみてください。

ちょっとした変化も見逃さない目を養ってください。

⇒新しいカメラを持つと、今まで撮らなかった対象を撮影したりする。単焦点レンズもズームレンズとは違って、すぐ “いつものフレーミング” にならない分、普段自分に無いフレーミングに気付いたりする。

道具が無くても気の持ちようで、あらゆる経験が出来るって事だな。

14:「物がある」 ことが豊かなのではなく、「物を大切に使う方法を知る」 ことが豊か。「正しいこと」 だけにとらわれない “心の目” を育てましょう。

⇒TR-909、808、TB-303なんかを活用したシカゴ・ハウス、デトロイト・テクノは、こぉいう事だな。

これとも同じ事だ。

15:私は大学で教鞭をとっているので、よく学生から就職の相談を受けます。

「希望する会社にエントリーしても、なかなかいい返事がもらえない」 「採用実績を見たら、どうもうちの大学じゃダメみたいだ」。

そう言って諦める学生がとても多い。私は言います。「データなんか気にしないで、とにかく足を運んでごらん」 と。

就職活動でも人間関係でも、頭だけで考えていると、「これはできない」 「あれも無理」 という気持ちがむくむくと成長してしまいます。

でも、いざ自分の体で飛び込んでみると、意外にあっさり達成できたり、具体的な解決策が見つかったりすることは多いもの。バンジージャンプもジェットコースターも、その最中より直前のほうが、ずっと怖いものです。

本当はありもしない心配の種を、自分でつくり出していませんか?

わざわざ自分から心配の迷路に迷い込み、悶々とするなんて、もったいない。

目の前にある現実に目を向け、一歩、歩を進めましょう。

⇒スペック(学歴)を身につけた上で、自らがスペックに負けて行動出来なくなるケースだな。中途半端にスペックがあるだけに、行動出来なくなっていくんだろう。

16:頭と心と体すべてで苦労を知ると、人は必ず強くなります。どんな状況でもしなやかな生き方ができるようになるのです。

⇒要は

connaître

である必要があるって事だな。

17:縁あって自分のところに来た物は、自分と一体だと思ってください。自分自身を大事にしない人はどこにもおりませんから、一度手に入れた物を大事に扱うようになり、愛着も湧いてくるものです。大切なのは、物に対する思いです。

何年、何十年と同じ物を使う。共に過ごすその時間をいとおしく感じること。人間と物との間にも縁があることを知ってください。

⇒デジタル機器においては中々難しい指摘だな・・・w

18:仏教の考えでは、人は皆、仏教の手の上にいるとされています。いくらあがいたところで、所詮は掌のなかで泳がされているだけ。

そう言うと、諦めのように聞こえるかもしれませんが、むしろ逆です。

思い通りにいかないことがあっても、情けない自分でも、結局は仏様の手の上で守られている。だから、勇気をもって前に進みなさい、ということです。

⇒近年の多くの場合

「お前は何者でもない。故に学歴ぐらいは必要だ

と親が子に言い聞かせるケースが多いと思うが

「お前は何者でもない。故に周りに迷惑かけなければ何でもいいんじゃないか?」

と言っても良い気がするなw

19:人間の欲望は果てしないもの。一を手に入れれば十が欲しくなる。十を手にすれば百を求めるようになる。不必要なものだとわかっていても、欲しいという気持ちを抑えることができない。この渦にのみ込まれたら、満足感を味わうことはできません。

必要なものは手に入れたいと思うでしょう。それは決して醜い欲望ではありません。ただし、必要最低限のものを手にしたときには、「ああ、これで私は十分だ」 と思うことです。

⇒特にPARIS在住時の初期は、むちゃくちゃ金が無く、家のガスが止まり暖房無しな上に電気も止まり、飯は食えて “スパゲティー塩味” であった。たまに醤油をかけれたら贅沢な食事だったw

この経験によってAZZLOの趣向が大幅に変化したんだよな~。

・・・電気が付いてレコード聞けるだけで幸せだったw

20:覚悟を決めるということ。それは、事実を事実として受けとめること。

あるがままを見る。あるがままに受けとめる。

それは諦めとは似て非なるものです。

>基本的に全て諦めているので何でもやれる←→全てが他人事。

と偉いおっさんとの面談シートに記入した上で

「君は他人事なんかじゃないだろw しっかり自分の考えがあるし。」

というコメントを頂いた訳なので、”AZZLOは覚悟キマってる” って事なのかなぁ?

それなりに自覚はあるが、キマりきれてるとは言い難いかも。

21:「答え」 はひとつではない

人間はもともとすべてを、すでに自分のなかにもっています。答えは外に求めるのではなく、自分の内に求めるもの。自分のなかにある、純粋無垢な自己に出会うのが 「悟り」 です。

その悟りを開くために、臨済禅では徹底的な問答をします。それは 「公案」 と言って、言葉でどんどん追い詰めていくもの。いわゆる禅問答です。(中略)

答えのない問いかけを続けること。それをくり返すことで、「気づき」 が生まれるのです。

どんなに周りから 「あなたは偉い人です。だってグレート偉いおっさんだから」 と目指してきた事を肯定されても、過去の自慢話に没頭していくパターンは、典型的な “外的評価では答えは出ない” って事だろう。

どう転んでも死ぬときに採点するのは自分自身だ。勘違い含めw 自分で合格と採点出来なければならないと思う。

人によってはそれが金かもしれない。その評価軸しか持って無い人も居るだろうし、居て良いと思う。

しかし、”過去の自慢話に人の時間をヒエラルキーを利用して割く” といった事象から分かるのは、金やヒエラルキーでは合格にならない事を誰しも知っているからだと思う。

・・・ちなみにAZZLOのこのブログは、誰に向けたものではなく、完全に自己対話のものだ。独り言履歴とも言え、AZZLOの感情をログ化しリンクで結び整理し、常に更新 (悪化?w) する行為だと思っている。ある種禅問答みたいなもんだと思う。

22:人はとかく、裕福になったり、高い地位に就いたりすると、そのことを自慢したくなるようです。でも、黙っていても本当の魅力は自然と伝わるもの。

「あの人のおかげで」 と感謝されるような生き方、「あなたでなければ」 と望まれるような生き方。梅の花のように、派手ではないけれどもよい香りを周囲に漂わせるような生き方をしたいものです。

⇒裕福になったり高い地位になったんだから、もう十分であって、本来自慢しなくても良い気がしてくるなw

23:もしかしたら人間は、頑張れば頑張るほど不安になるのかもしれません。

そんなときには、「不安の裏側にあるもの」 を見てください。そこには必ず 「自信」 というものがあるはずです。

裏側に自信が見える不安は、気のもちようでいくらでも乗り越えられます。

そして、日頃から、自分を信じる癖をつけておくのも大事です。

よく言われることですが、自分に自信をつけたいなら、はじめから大きな壁に挑むよりも、まずは自分の限界を少し超えたところにチャレンジすること。それを成し遂げたという達成感の積み重ねが、やがて自信に変わってくるものです。

大丈夫、大丈夫。

あなたは今までだってなんとかやってこられたのですから。

⇒最後の2行で涙出ちゃったw 意外とAZZLOは苦労してんのかなw

不安は外部から植え付けられる事も多いな。大分騙されてたと思うw

24:土を耕して種を蒔く。日照りが続けば憂い、雨が続けば心配する。ただ単に作物を育てる行為だけでなく、その時間と思いを味わっているのでしょう。

そして、生き物が育ってくると、無条件に嬉しくなります。ほっとします。自分が愛情をかけた分だけ、生き物からも大きなエネルギーが返ってくるのです。

やがて、作物がまるで自分の分身みたいに思えてくる。そうなればこそ、決して無駄にはできないという愛着が芽生える。

スーパーに並んでいる大根を買ってくれば、それは単なる大根にすぎません。しかし、自らの手で育てた大根は、ただの “食材” を超えたものになる。

何かを育てるという行為によって、物を大事にする心、人をいとおしむ心が育ってくるのです。

⇒ “自分の行動からフィードバックを得られる” 事に人は充足感を得るって事だな。何を持ってして “フィードバック” と捉えるか?が重要だろう。

25:生きるというのは、「預かりもの」 の命を大事に使うことなのです。命は決して自分の所有物ではなく、大切な大切な預かりもの。そして、寿命がくれば、その命を大切に大切にお返しする。(中略)

大切なのは、自分に与えられた命を 「いかに使うか」 ということ。

体はシェアしてるようなもの であり、その上でミッションを見つけ -肉体を全うするという事- を遂行していくべきだと思う。

26:人はこの世に生を受けて、そして死んでいく。それはまさに表裏一体のもの。生きざまを考えることは、すなわち死にざまを考えるということでもあるのです。

⇒10年程前から 「AZZLOが死んだらどんな葬式だろう?そもそも葬式やるんだろうか?w」 と妄想するようになった。理想の葬式になれば合格として死んでいけるだろう。


“禅なロジックでの片付け術”

みたいな事を期待していたのだがw 意外にも本質の方の本であったw

新たな発見というよりは、既に実行している事が多かったな。

とは言え人間なので、思想と言動が伴わない事もあるが、定期的に姿勢正す事が必要だと思う。

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