1999/12発売。2014年1月の読書。やっと読書感想文が同年に追いついてきた!!!
偉いジャイアンが “バリュープロフィットチェーン” とか言ってた流れで調べていた ところ、ソース元忘れたが、”知識経営” とかも割と近い話らしいので、amazonで購入した。
1:ナレッジマネジメントとは、簡単に言えば、個々人の知識や企業の知識資産 (Knowlege Asset) を組織的に集結・共有することで効率を高めたり価値を生み出すこと。そして、そのための仕組みづくりや技術の活用を行うことです。
⇒組織は、実施案件の共有とかやるしな。でもそれが価値を産んでるようには全く思えないな。
“何故そんな感じの実施になったのか?(良くも悪くも)”
的な種明かしがなくて、納品物の説明だけなので、
とか見てる方がずっと為になるんだよなw
ナレッジ共有する人の労働履歴の為に、”資料” にしてそれを “資産” にしたりするから、本来の目的が達成されない感じするな。
知識だけなら資料には出来るが、知恵は一緒に取り組まないと共有出来ないと思う。
2:たとえばみなさんは仕事で接する情報が氾濫しすぎていたり、多すぎる情報でかえって物事が見えにくくなり困っているということはないでしょうか。本当に欲しい情報をどう選ぶか、あるいは情報をどのように見たらいいのか、といった問題を感じていないでしょうか。
⇒資料の共有を、今だに普通のエクスプローラー経由の共有フォルダでやるのは、格納庫にはなれど、参照する事はないんだよなw
似たようなフォルダ名がいっぱいあって、どぉいうルール付けなのかが全く分からないしw
3:情報時代のホワイトカラーは階層化・分業の世界に配置され、一人一人の顔は見えませんでした。全員が均一に同じように働く。その彼らがネットワークで知を結集する・・・。これは革命的な変化ではないでしょうか。
⇒工場労働的労働であれば良いだろうが、口頭でも済む感じするなw
4:ベストプラクティス (最優良の実績成功例) のノウハウが学習されれば、時間短縮やコスト削減が目に見える効果として生まれるはずです。この種のナレッジマネジメントを展開した企業では、業務重複の排除によって生産性を上げたり、ノウハウ共有化によって時間短縮を図り、成果をあげています。
⇒ベストプラクティスって要は “今が旬のギャグ” みたいな事で、本人以外がやってもウケなかったり、失笑だったりすると思う。もちろん逆にウケたりする事もあるが、それは “パクリ” が明確だからウケるだろう。
企画の場合は、ベストの表面的なパクリでは成立しないと思うなぁ。ベストが成り立つ背景のパクリが本来必要なパクリだと思う。
基本的に企画は全てオートクチュールなので、表面的な情報共有した所で、あんま意味ないと思うな。飲みの場での雑談情報は、ディスカッションに繋がる事も多いが、昼間の蛍光灯下では、「へ~」 で終わるしw
失敗・事故案件共有はリスク低減・無駄を省く意味では価値がありそうだが、そういった事を起こしちゃった人・巻き込まれた人が可哀想なのかなんなのか?噂にはなれどちゃんとした共有ないよな~。
5:業績の低迷や収益性の低下にはすぐさま現れず、イノベーションの不発、アイデアの枯渇、組織全体の知的老化現象、といった見えにくい症状となっている場合です。あるいは顧客対応速度 (知識資産) を引き継げないことによる成長の鈍化、提案を主とする業績における競争力の低下 (知識の活用・創造不全)、これはいずれも、いわば 「コーポレート・アルツハイマー症」 の諸症状だといえます。
⇒“専門分野が同じ・近い人で構成されるグループ” も、そもそもの “やりたい事” が出てこなくて困ってるらしいしなw
6:彼らがそこまで成長してきた競争空間が変質してしまえば、一気に成長の基盤を失うことにもなります。まさにロケットのように、少しの外的影響で大きく軌道をはずれることもありえます。
⇒AZZLOが あと7年で終わる とかネガ妄想をするのは、すでに空間が変質しているからなんだよな~。そもそもオプト、サイバーエージェント、セプテーニとか成り立ってる時点で、要は結構前から変質してるw
7:背景にあるのは 「知識社会」、「知識経済」、「知識ワーカー」 といったことばで描かれるような産業社会、経済、生活の大変化です。その意味で、知識経営は企業だけでなく、そこで働く人々にとっても、自己革新につながるコンセプトだといえます。
⇒「知識なんちゃら」 言ってれば、なんかインテリな雰囲気がするから、偉いおっさんが好むだけで、その本質が無いまま、単純に
- “共感や発想に繋がらない事例共有会”
- “放り込んだら二度と見ない共有フォルダ”
になってる感じするな。
8:日本企業はかつて 「日本的経営」 と呼ばれた終身雇用制などの仕組みによって間接的に組織内の個人の知識を維持・活用できるシステムを醸成してきました。しかし、それだけでは対応できないような、環境変化がいま企業を取り巻いています。
⇒終身雇用的な事が前提だと、比較的知識というか、知見共有は成立しやすいとは思うな。後輩が “使えるヤツ” になるには共有した方が早いし。
しかし今の組織の相対評価だと
- “後輩が成功すると先輩のギャラが落ちたり増える可能性を下げる” (昇進軸では追い抜かれる)
なので、金やヒエラルキーに依存するタイプの人は、周辺にポジティブな影響は出さないもんだよなw 実際組織ではそうなってるし。
逆に、他社での経験や知見等を自社にポジティブな影響をもたらしたいからこそ、スカウトやら中途採用なんてのがあるハズで、そもそも自らが自社に知見が溜まらない構造を作っている気するな。
仮に完璧な共有が可能で行動に促せたにせよ、現代は必要な作業はすぐ変わっちゃうからあんま意味ない気するんだよなw
でも志は体現して共有していくべきことだと思う。
9:知識のとらえかたについても、どちらかというと 「形式知」 寄り、という傾向を持っています。つまり、私たちの 「頭の中にある」 知識よりも、まず文書化されたノウハウや提案、専門知識など、結局のところ情報を基盤にして、コンピューターネットワークで活用していこうという傾向があります。
⇒この本1999年発売なのだが、2014年の今、15年経ってる訳だが全く変わってないなwww
10:ドキュメントマネジメント (電子的文書管理) や定性情報のデータベース、検索システムなど、これまでにあった情報システムの応用の域を出ないものが少なくありません。むしろ 「知識管理」 と訳出したほうがふさわしいものです。
⇒単純に資料を出したか否か?の監視で○☓付けれるか否か?の指標ばかりなので、かなり偉いおっさんに 「監視ではなく共有の視点でマネジメントして欲しい」 と言った しなぁ。
そしてただの共有フォルダじゃなくて、エバーノートみたいにタグ付け出来るべきだと思う。企画書を誰が作ったのか?誰が関与したのか?その企画で勝ったのか負けたのか?すらも何も分からない共有は、大した知識にすらならない。せいぜいその年度までの話だろう。
あらゆるタグを付加した上での共有であれば
- “大人数寄せ集め案件では勝率が低い”
みたいな事が感覚ではなく事実として分かったりするハズだ。
格納するにしても、こういった管理していれば
- “通常はあの人が担当なので企画するべきだが、プレゼン日からするとAZZLOが企画した方が勝率が10%アップする”
的な、ビッグデータ的解析が可能となる。
11:ここでは暫定的に次のようにナレッジマネジメントを定義しておきます。
知識の創造、浸透 (共有・移転)、活用のプロセスから生み出される価値を最大限に発揮させるための、プロセスのデザイン、資産の整備、環境の整備、それらを導くビジョンとリーダーシップ
⇒組織においてはどれも無いな。仮にビジョンとリーダーシップがあったとしても、その為の環境整備が “普通の共有フォルダに企画書をブチ込むだけ” では、労働履歴にしかならず、未来には何の影響も無いんだよなw
仮にビジョンがあったにしても、年度初頭の方針説明会だけでは、よくわかんないんだよなw その上でのディスカッションの機会とか無いしw
12:知識ワーカーの業務には素材として情報は重要であり、切り離せません。ただし、情報を知識と混同して知識と呼んでしまうと混乱を招いてしまいます。
⇒コレの違いと同様だな。
13:ナレッジマネジメントはコスト削減に有効だ、マネーだ、といった 「目先」 の効果にとらわれてシステムを導入しても、使われないというのは少なくない事例です。システムの活用以前に、知識ワーカーをどのように引き込むか、意義の理解促進と、きっかけになる仕組みが不可欠です。
本質的には、ナレッジマネジメントとは、知識ワーカーが主役の組織的行為で、人間不在のものではありません。一方どんなものであっても、情報システムの内部にあるのは本来、情報です。ただ、それらを知識ワークのために活用しているゆえに、ナレッジマネジメント・システムと呼んでいるだけなのです。したがって、そこでは人間とのかかわり方が重要になります。それは個人の知識の総和以上の組織知を生み出すことでもあります。
⇒偉いおっさんからしたら、目先でも効果がありそうならば取り組んでみたいのがナレッジマネジメントなんだろうが、実際に動く下々の方は “相対評価” だから辻褄が合わないんだよなwww
少なくてもまず、偉いおっさんが作った企画・企画書を共有してからだよな。(自慢話で終わらない様に)
14:コンサルティング業では、CKO (チーフ・ナレッジ・オフィサー、知識経営責任者) の設置、イントラネットによる情報共有、現場でシステム支援を行うリーダーの組織化や育成などをつうじて、ナレッジマネジメントを実践しようとしています。分析作業の重複を回避したり、専門的知識へのアクセスを自由に行えるようにすることで、市場反応速度の短縮、サービス品質の底上げ、コスト削減などを狙っているわけです。
⇒組織でもそれに近い?ポジションがあるが、基本
- 「知識経営責任者の労働履歴の為になんでわざわざ集まるのさ?週報に全部書いてあるし、共有フォルダに資料あるじゃん?」
でしかないなw これはAZZLO以外の人達からも多く聞かれる見解だw
15:製造業では、価値を産み出す過程の各所にナレッジマネジメントを採り入れ、効果が生み出されています。たとえば、生産では、A工場のベストプラクティスをB工場に移転して生産性やスピードを高める、といったパターンの事例があげられています。
⇒やはり工場労働員的労働であれば、ナレッジマネジメントはポジに機能しやすいが、全部オーダーメイドの企画とかする代理店においては、管理部門の効率化とかには寄与するにしても、ビジネスのコアには関係ない感じするな。
ま、唯一AZZLOがナレッジマネジメントとしてナレッジにしてもらいたいのは
“昼間の蛍光灯の下では期待するコミュニケーションは生まれない”
かな。これはAZZLOの経験や知識(歴史)からして、絶対的な事実だと思っている。
16:要は、知識資産をどこからどのように持ってきて活用するか、です。対象とするのは過去の資産か、リアルタイムの現在の資産か、あるいは未来の知識か。
空間的に分散している知識資産をどのように集約したり、移転したり、連携・連結したりするか。これら時空間の広がりの中で、知識 (資産) を活用することが課題となります。
⇒本来自然に飲みの場で共有して発展するものだと思うのだが、何故そうならないのか?昼間の時間に強制的にやらなければならないのか?偉いおっさんは、この理由を検討する必要があると思う。(実際偉いおっさんに直接言った)
そして、サイボウズみたいなグループウェアのインターフェースにも課題があると思う。あの手のサービスってモニターで見る二次元の情報でしかなく、三次元的な体験を誘発する装置に昇華して欲しいなと思う。
17:データベース自体は知識ではなく情報です。コンテンツ活用の際には単なる意味検索ではなく、ドキュメント化された意味情報データベースを知識業務の現場 (知識ワーカーの直面している課題や問題) に応じて抽出・利用するための仕組みが求められています。
⇒エクスプローラーによる共有フォルダへのファイル格納では、ファイル名でしか検索出来ないので、ほんと格納庫にしかならないんだよな。
10番と重複するが、資料に 年度、クライアント名,クライアント担当者名,メンバー名,コミュニケーション対象層,パートナー名(協力プロダクション名),施策内容(タレント活用、ジャニーズ,岡田准一,CM,ビール etc) 等のタグ付けて管理出来ると、数年後にも参照する機会となり、メンバーが退社しても組織の資産として機能するようになると思う。
要はエバーノートで済む話なんだがw
18:デュポン社は、エイズの新薬を作る際に患者グループを仮想的に組織構造の中に組み込みました。通常、組織図というのは社員で構成されるわけですが、その一部に 「顧客」 を入れる発想です。その下に関連部署をつければ、顧客が部門を動かしていることになります。社内の知識に加えて、外部の知識も組織に入れる方法のひとつといえます。
⇒組織の場合
- “言いなり御用聞き営業”(汗かいてなんぼ)
になっちゃうなw
19:ナレッジマネジメントにおいては知識に対する 「文化」 が大きく左右するといえ、同時に展開できるかどうかは安易な組み合わせでは済まない
⇒ 「文化」 言いはじめると、すべて終了しちゃう感じするがw でも現実だよな。ま、企業文化的なのは、当然先輩たちが構築してきたことである訳で、”専門分野が同じ(近い)人達を寄せ集めて共有” した所で、何も起きなかったりするんだよなw
これは繰り返すが、相対評価だから、特に専門分野が同じ(近い)人が良い結果を残すと、必然的に自分の給料が下がる (給料に影響はなくても 「なんでお前も出来ないんだ?」 的な事を言われる)という事実が、ポジティブな未来に繋がる共有にはならないんだよな。
20:最近多いのが、トップから言われて、何も知らない人がいきなりCKOに任命され、慌てて始めてしまうケース。こういうところでは必ず失敗します。
「どんな知識を何のために、どういう場を大事にしながら活用するか」 というのは考えておかなければなりません。
⇒多くの場合、CKOの労働履歴作りにしかなってないよなw
21:知的競争で遅れをとっているところから導入することがポイントでしょう。導入する意味を抱えていないところに全部同じ仕組みを押しつけても、その人達にはメリットがわかりません。
⇒本人に成長意欲とかやる気があれば、別に強制的にナレッジマネジメントとか必要無い気するな。一定のレベルには先輩たちがサポートする必要はあるが、それ以降は本人の問題だと思う。堕落する素養の人、堕落しやすい環境が問題であって、強制した所で、労働履歴にしかならないな。
22:コンピュータで扱われる情報に、文脈や状況といった情報を豊かにする付加的情報を組み合わせることで、知識に近づけることは可能だといえます。
⇒10番、17番に書いたタグ付けとかだよな。そして作成人だけでなく、CKOとか上司とかが、更に客観的なタグ付け等も行うと良いと思う。短期的には作業だが、長期的には資産だと思う。
23:オフィス空間も重要な要素となります。知識を共有する空間、意思決定のために知識を結集する空間、地理的に分散した人々と本社を結びつけるための空間・・・。ナレッジマネジメント、あるいは知識経営の実践においては空間 (場) が大きな意味を持ちます。
⇒ “能動的に人が集まり共有する場” は、蛍光灯下のオフィスではなく、クラブやらバーだよな。オフィスのデスクはPC作業をする場所でしかなくなってると思う。そして、PCはノートPCやら自宅でも、もうOKなんで、残念ながらオフィスの必然性は非常に低いよなw
ま、”見かけたから思い出して声がけする” 的な事はあるが、普通のオフィスではその誘発は非常に少ないと思うw
24:一般にいって、知識は、私たちにとっての行動の指針、問題への処し方、判断や意思決定の基準、さらには生きるために必要な実践的方法といったものとして存在しています。これらの知識には、実体はありませんが、実体や現象に対するものとして実在的な意味を持ちます。
⇒なんか違和感感じてたのだが、この本で言うところの知識は、AZZLO的には知恵だな。
よって、ほぼ情報なだけの知識は共有フォルダーにブチ込むだけで、”共有も出来る状態だから共有したとする” というエビデンスとして扱えるが、知恵は共有とかじゃなくて、それぞれが発見する事だよな。その発見に前向きな生き方は、先輩たちの背中を見る事でしか生まれないと思う。
25:つまり、知識とは、個人や組織 (集団) が認識・行動するための、道理にかなった秩序 (体型・手順) であるといえます。この秩序によって私たちは外界を理解したり、行動を進めていくわけです。「行動のための能力」 (Capacity to Act) という知識の定義 (K.Sveiby) もあります。
⇒ちょいちょい “組織には中途半端な規則はあれど、規律がない” と書くが、言い換えると秩序だよな。
26:このような知識のあり方をとらえれば、知識とは 「正当化された真なる信念 (Justified True Belief)」。つまり、その知識を持つ人にとっては、これまでのところ正しい、「真」 だと、そのように信じていること、なのだといえます。
これは哲学的な問題のようでいて、実は知識経営の日常的問題です。こういう方向性、問いかけがなければ、知識ワーカー個々人の創造した知識が正当化かどうか判断できません。こうした議論が行われる観点として、企業の知識ビジョンが提示されていなければなりません。この有無はいわめて大事だと筆者は考えています。
⇒組織は売上げが信念だから、枕営業する人がいたり、得意先の依頼を断れなかったりして不正に手を出すとか起こるんだよな。そして個としても金だから、ちょろまかし行為も誘発されるw
物事は立体的で、誰の見解もその面の正解だと思う。ビジネスなんで金も必要だが
- 「君にはこの面をイイ感じに仕上げてね♪その上で立体として組み上げるのは偉いおっさんであるオレがやるから♪」
とか必要だと思うな~。
組織の 「真」 とされていると思われるのは
- 1:グレート偉いおっさんは昔は凄かった。
2:イケてる人から辞めていく。
3:毎年組織変更して、長期的に何したいのか分からない。
多くの人の共通認識 (知識) 的になってるのはこんな感じかな。1はAZZLO自身が誰に言われた訳でもなく気付いた事だがw 2と3は多くの先輩たちに聞かされてきた事だ。
ネガを明確にするのも大事だが、長期的に語り継がれる必要がない知識が多いな・・・w
27:暗黙知と形式知は性質的には異なっていますが、これらは実は知識の異なる、補完し合う 「極」 でもあります。知識にはこの二極があるために、ダイナミックな増殖 (知識創造) が可能となります。暗黙知が形式知化され、それが他社の行動を促進し、その暗黙知が豊かになる。さらに、それがフィードバックされて、あらたな発見や概念につながるのです。
⇒たまに、事例共有とかでも、暗黙知が見えて、誰にでも分かる形式知に変換出来ている資料・プレゼンがあるな。そぉいう資料・プレゼンは面白いな。
魂の無い形式美の資料・プレゼンでは、結局人の魂が見えないから、共有はされど、共感・共鳴はないんだよな。
28:共同化は、個人対個人が基本ユニットで、フェース・トゥ・フェースでの暗黙知のやりとりがエッセンスとなります。共同化はいくつかの因子から構成されます。
そのひとつは、社外での顧客やサプライヤーなどとの接触、場、経験の共有です。これによってトップや社員があらたな知識を体感してくる。店頭や訪問による顧客との対面はこうした活動のひとつです。外部の専門家との協業などもその一部です。
⇒これを昼間の蛍光灯下で偉いおっさんが監視する場ではなく、飲みの場でやらなきゃいけないと思うな。
29:共同化のプロセスの本質は、知識創造においてきわめて重要な、「原体験」 の獲得です。ここでは、個人の主観的世界が大きな役割と地位を占めます。たとえば心理的に閉じられた個であったり、個をそのように制約してしまう大組織などでは、この共同化は十分に行われません。
⇒この 「原体験」 の瞬間が文化だと思うな~。組織においては減体験になっちゃってるケースが少なくないな・・・w
30:思いを持つ個人がグループ内で刺激を受けたり、グループでの討議をつうじて他者の思いや概念を共有する。さらに、それらがことばとなって産出されるようなダイナミズムが重要になります。そこではガイド、あるいはそうした産出を刺激活性化するような空間が大きな意味を持ちます。
⇒クラブっつぅか、マニアックラブだなぁ。
そして、爆音で幕張メッセやでかい会場で一晩音流す事はクラブ的役割は成さない事も分かるな。
31:すでにある形式知からあらたな形式知を生み出すことです。そこでは、まず他部門や外部からの形式知の獲得、総合が行われます。次に形式知の伝達と普及を図ること。そこでは形式知の移転や共有には情報技術が盛んに用いられるでしょう。
⇒ネット創世記のインターネットカフェは大概イベントスペースと併設だったりしたし、クラバーがネットコミュニティーの中心だった (MIXIとか初期はDJ、ファッション関係者、プログラマーが多かった) んだよなぁ。
技術はコミュニティーの為に発展するとも言えるよな。
でも、今は、技術に使われる人になりつつあるので、フェイストゥーフェイスが見直されてきてると思う。
結局おしゃべりに勝るものはないと思うが、逆に16番で書いたように、サイボウズみたいなのの進化の可能性に興味沸くな。
32:単にドキュメントや意味情報の共有だけでなく、周辺の文脈を共有することが重要です。したがって、前提としてのコミュニケーションや言語のインフラ、ネットワークが不可欠です。
⇒AZZLOはプロダクションさんのクレデンの内容にはほぼ興味がなく、”どんな趣向を持った人達が居るか?” に興味がある。大概一定のレベルを超えてるプロダクションさんであれば、スキルそのものは大差無いとも言える。(普通の商品サイト作るレベルであれば)
どうせ仕事するなら趣向に近い案件でのご協力をお願いしたいと思うんだよな。その方が絶対早くて良いもの出来ると思うし。
例えば、やさしいふんわりしたデザインが得意な人に、「ライゾマみたいなクールなデザインにして!」 言っても、稀にどのタイプのデザインもハイクオリティーで出来る人居るが、大概そうではないんだよな。
目に見えるデザインだけでなく、裏側のプログラムの貢献の趣味性もあるだろう。それぞれの趣向が一致した時は凄いアウトプットになると思う。
そして、そういった趣向の確認や、サポートするべき箇所の顕在化は、蛍光灯の下では出来ない。
33:形式知だけの知識創造は、どう転んでもそれぞれの組織内での知識を豊かにすることがありません。知識をどのように生み出すかという問題もふくめて考えなければ、知識経営の真のメリットを享受することはできないでしょう。
とくに他社のベンチマーキングをつうじて導入した知識は基本的に形式知ですから、ベストプラクティス型ナレッジマネジメントは下手をすれば模倣だけに終始し、自社の知識想像力を失っていくということもあるでしょう。
⇒www
他社だけでなく “組織内の他者” の場合もほぼ同じになりやすいな。
34:よくいわれるように、知識ワークや知識ワーカーの生産性は、マニュアル労働とは比べられないほどの格差を示します。それは単に技能が高まるといったものではありません。知識作業においては 「物の見方」 や 「視点」、「意識」 といったきわめて主観的側面が結果を大きく左右するという事実にもとづくものです。視点・発想の転換がともなわければ、単純作業、いつまでも同じプロセスの繰り返しです。ホワイトカラーの仕事と知識ワーカーの仕事はそういう意味で大きく異なります。
⇒よく代理店は “チャリンチャリンビジネス” “ヨコ展開” とか言うが、それって単純作業化を目指してる感じだよな。ま、従業員的な人もいるので、そういった人達が労働出来るビジネスモデルはあって良いと思うが、代理店のマネタイズのコアである媒体マージン領域は、既にほぼ単純労働だと思うな。
そして、”タレントがビール飲んで 「うまい!!」 と連呼するCM” も媒体マージン領域程ではないにせよ、セオリーがあるので単純労働に近いよな。どのタレントが旬で出演料いくらか、競合被りがどうなっているのか?は既にデータでまとめられてるし。
最近のプロモーションは、いわゆるデジタル領域とかいう技術活用がトレンドで、セオリーになる手段を模索している段階。よってやや単純労働からは遠い感じがするがw 技術オリエンテッドになりやすく、単純にサイネージ屋の営業をやってるに過ぎなかったりする事もある・・・・w
組織の工場労働員的経営・マネジメントは、鶏卵だとは思うが、必然的な感じするな。そして当然だが新たなビジネスモデルとかは、従業員ではない経営層がやるべきと言える。
35:最後に内面化のプロセスでは、知識がもう一度、自分のものになります。つまり、組織的に客観化・正当化された知識が、ふたたび、実践に向けて個に向かいます。結合化はデジタル的な世界でしたが、ここではアナログ的な世界に展開されることになります。組織的知識創造に関与した個人にすれば、その 「原体験」 からはじまった思いが体系的な知識として企業で共有され、それが自分に戻ってきたという感覚を持ちます。これは、個、集団、組織それぞれがあらたに創造された知識を得て、拡張している状態だといえます。
⇒このループが無いと、人ではなく “資本主義を動かす為の駒” でしかないからな。
36:当初の自分の想いが、共体験 (共同化) をつうじてことばになり (表出化)、コンセプトになる。それが集団に共有される (結合化)。さらにそれが正当化され、スペック、マニュアルに展開され、組織の “知” になる。それを実現するために全人員が、それにかかわった人が実践をつうじて、この “知” を自分のものにする (内面化)。その際、個人の存在は一周りも二周りも大きくなっている・・・。
⇒仲間が別の場所で活躍するのを期待するAZZLO だったりする。これはいわゆる “宣べ伝える” 的な事象を期待している。そして自分自身も何処に身を置こうが、常にWADAを宣べ伝えていると思ってる。
そして常に物理的に近い人(組織内での協働)よりも、思想的子孫の方が大事 だと思う。ニコ動等で起こる二次創作・N次創作なんかそうだし。
そもそもクラブミュージックで起きてた事は、ニコ動程のスピードは無いにせよ、N次創作だったなと思うな。
組織内での協働が綺麗にまとまれるに越したことはないが、場・手法・ビジネスモデルが違えど、本質的にほぼ同じような事している人が居ると思う。どこで金勘定するかの口座配下の集いよりも思想的仲間に恥じない生き方をしていれば、必然的に必要な人には知の共有はされているハズ。
37:何のために存在するのか、いかにあるべきか、他社とは何が違うんだ、どんな理想状態をめざすのか。こういうところまでつながる存在論がないと知識の根本が崩れていってしまいます。
それは究極的には自己を越えた世界の “知” の追求です。その意味で知識というのは 「真・善・美」 を追求するものであります。
⇒組織においてはこんな感じかな。
- ・何のために存在するのか
↓
創業者じゃないので分かりません。
・いかにあるべきか
↓
なるべく儲かった方が良いんじゃないですか?
- ・他社とは何が違うんだ
↓
“ウチらしさ” って議論になるけど、結局 “御用聞き営業” って感じですかねw
- ・どんな理想状態をめざすのか。
↓
ま、ボクが問題なく退職金を受け取れればそれで良いです。
これらを繋げると、ほんと “自分自身が他人事” だよなw 組織内に目が行ってる感じ強いし。
AZZLOもかなりの時間をかけて組織の事をココで書いているので、内向き視点はあるが、AZZLO程しっかりやっている人は居ないハズだしw 多くの人の内向き視点である不平不満ではなくAZZLOの場合は疑問である。
- 「儲かりたい!仕事したくない!」
言うのに、ビッグデータは嫌と言う、もろもろ辻褄の合わなささが疑問なんだよな。部下・後輩に結果出して欲しいのにdisってばっかだし。
※AZZLOだけdisられてるのではなく、多くの若手がdisられてる。
38:社員個人ではなく、集団や人の 「つながり」 がそうした知識を持っているかもしれません。トラスト (信頼)、ケア (配慮・思いやり) といったものもそうしたつながりの中に存在している知識資産だといえます。組織文化のネットワークとして中に埋め込まれたものもあるでしょう。あるものは、補完的に情報システム内に存在する、といった場合もあるでしょう。
⇒集団でつるむメリットって “1人じゃやり難い事を複数人だから達成出来る” だと思うもんな。その中でお互いの傾向を知る事で、あうんの呼吸が出来た状態は知識かどうかはわからんが、資産だと思う。慣れすぎると甘えも出てくるから、一定段階で間を置く必要はあると思うがw
組織においては、「あの人は仕事したくないし、実際しないし」 的な暗黙知・あうんの呼吸は出来てるかなw
AZZLOと偉いおっさんの間では
チームじゃない事を明確化したらむしろチームになった (*^o^)乂(^-^*)
の様に適度にポジティブなあうんの呼吸が構築出来てきている感じがするが、下々同士の間では見受けられないなぁ。
39:たとえば、ある企業では知識資産を図書館の本の分類項目のように自然科学のカテゴリーで分類するかもしれません。あるいは、他者より強みのある領域にはそれだけ詳しく、深く分類が行われるかもしれません。また、技術や市場、顧客に関する知識でなく、業務手法などに詳しいという場合もあるでしょう。こうした意味的分類は、知識資産を実際に活用する際に重要になります。
⇒大まかな分類はあってもいいが、全てにタグつけれれば、点を最適な線で結べるようになると思う。
多くの企業での知識資産・デジタルデータ管理的な事って、”部署” “活動内容” “クライアント” ぐらいの分類しかしてない感じするな。
それって有形資産的な “タンス型管理法” だと思う。しかもタンスがあちこちの部屋にちらばってる。
現実で言うなら、服を色で整理しているようなもんだ。赤のパンツはこっちで、青のパンツは隣の部屋みたいな感じ・・・w
10番、17番、22番に加えるが、デジタルに出来るものは、会議内容も録音して全てデジタル化し、”かため” “やわめ” “泣ける” “笑える” “エロ” “シニア” “子供” “競合プレ” “自主提案” “電通勝ち” ・・・とか、タグ付けて全社一括で統合したらいいのにと思う。
そぉいうのが数年全社的に蓄積されれば、
- 「今回の電通は “かため” “シニア” で来る可能性が80%。その場合の勝率は70%。組織も “かため” “シニア” でやると組織の勝率は10%。しかし “ゆるめ” “子供” に振ると、勝率50%」
とか判断出来るんだよな。今世の中にある技術で全然出来る。電気の冷蔵庫があるのに、まだ氷で冷やしてるみたいな感じするよな。
組織においては、スタッフセクションと営業セクションで、同じ資料を個別に格納してたりすると思うが、凄く無駄だと思うな。資料管理してる人が退社したら、その人の分類の旨みも共有されず、ただの保管庫にしかならない。
40:知識経営のダイナミクスは、単なる形式知の共有や情報検索の仕組みといったものからは生まれません。暗黙知も含めた組織的な意識付け、組織のデザイン、すなわち 「場づくり」 によるところが大きいとおもわれます。
⇒組織においては、”情報やデータの共有をやってる人の労働履歴としても微妙な履歴” だったりするので、もう情報とか共有とかいっそ無くして、「気になったらあの人に聞くしかない」 っていうアナログぅな感じの方が健全に事が運ぶ感じもするなw
ま、その “あの人” が誰だか分からなかったりはするんだが・・・w AZZLOも何故か “WEBの技術に強い人” という勘違い認識される事は少なくないし。
41:「場」 とは、
共有された文脈=あるいは知識創造や活用、知識資産記憶の基盤 (プラットフォーム) になるような物理的・仮想的・心的な場所を母体とする関係性
⇒AZZLOの知っている90年代のクラブはこんな感じだな。今だとおっさんおばさんばっかりだがw ボノボがそんな役割になってるな。
42:暗黙知は身体的・感覚的な環境との交わりから生まれ、やはり身体的共体験を介して伝達されます。したがって、暗黙知は本質的に 「場」 とは切り離せないものです。形式知はその暗黙知から言語化されます。知識がこうして生まれる形式知と暗黙知の双方によって成立するなら、知識の活用や創造にとって 「場」 は根本的要素となるはずです。
⇒セックスもそんな感じあるよな。ま、至るまでにある程度暗黙知の共有があるのが大概であるがw 逆に暗黙知の共有が無い状態でセックスする (出会ってすぐやるみたいな) と、何か足りない感じなのに身体的には成立してたりする違和感が面白かったりするな。
43:場あるいは場所というのは極めて重要であり、私たちの生活に対してコンテキスト (脈絡) と意味を与えてるものです。このように、情報と知識をつなぐのが場です。この場をうまく展開することで、単なる情報共有と知識共有や活用との差異が出てくるのではないかとおもいます。
⇒言語や方言の成り立ちとか、きっと場というかその土地の違いも影響あるだろうしな。
44:知識経営における場は、組織そのものの成り立ちを左右する基本単位です。たとえば、休憩室での肩の張らない仲間同士の雑談や、顔色を見ながらの顧客との対面からはじまって、プロジェクト・ミーティング、グループウェアや電子メールを介した集合作業、社内や顧客に対するプレゼンテーションに至るまで、こうしたすべてが知識経営においては価値生産の現場となります。その重要性を見過ごすことはできません。
⇒そぉいう意味では1社でしか働いた事がないような人よりも、転職繰り返している人の方が、
- “場と人の組み合わせのバリエーションを知っている”
と言えるな。知ってるからなんだ?って事でもあるがw
45:企業の会議室はほとんどが社内用に配置されていて、奥の院のような場所にあります。ところが実際のプロジェクトの会議では社員の数より社外の人間の方が多く、皆が不便を感じています。こういう例は多いですね。
あるプロジェクト・チームは、電子メールやグループウェアだけでなく、自宅から自由に資料を共有できるシステムを必要としていますが、企業のシステムはファイアウォールでブロックされています。
こうした問題を放置しておくのでなく、意識的に変革していくことで、知識ワークの成果は著しく向上します。これは企業内の場にとどまりません。もっとも重要な場のひとつは顧客と経験を共有する場です。
⇒組織の会議室もほとんどが窓側にあって、社員のデスクを横目に見ながら会議室に行かなくてはならない。こういった会議室に社外の人居れてはダメなハズだと思うのだが、普通に社外の人も出入りしてるんだよな。
この本1999年の発売な訳で、今の組織のオフィスが出来たのは、2008年。偉いおっさんの誰かが
- 「いやいや!そのオフィス構造マズイって!!!」
46:筆者は、共同化に対応した 「場」 を、創発場 (Originating Ba) と呼んでいます。顧客との接触の場、あるいは社内でのトップの歩き回り、休憩室や喫煙室での雑談、あるいはアフター・ファイブのパーティなどが、そうした機能を果たす場合もあるでしょう。それは経験、思いなどの暗黙知を共有する場です。
ここでは 「個」 と 「個」 の対面、共感、経験共有が基礎になります。創発場は主観が支配する場です。ハイデガーや現象学が指摘するような、時間・空間の同時性がカギになります。さらに、そこでは、対面する個と個の主客の一体化、相互の棲み込みが起こるといえます。共生場では暗黙知の移転が起こりますが、完全に非言語の世界というわけではなく、「物語」 「エピソード」 「手柄話」 といった情報交換が暗黙知の共有・移転を促します。仲間との砕けた話は、知識共有の媒介となります。そういう意味では、こうした物語を誘発させるような 「劇場性」 が求められるものとおもいます。
⇒”物語を誘発させるような 「劇場性」” がDJによる音の発信だったりするよな。もちろんDJの表現そのものだけでも本来価値があるのだが、その上で
- 女:「え~何この曲www」
男:「これは○△□レーベルの5番。●▲■の変名で出てるヤツ。」
女:「え~全然わかんな~いw」
みたいな会話が自然と誘発されるからなw
組織の頭数合わせのグループなだけの事をチームと呼ぶケースは、当然ながら劇場性は皆無だよな。
社内パーティーみたいなのも、乾き物と偽物ビールしか出てこない上に、”偉いおっさんの自慢話に相槌を打つ” という事しか起きていないらしいからなw
47:場所が暗黙知を共有させる媒介としてデザインされていること、あるいはそうした状況の再現力を持つ、というのは、場の空間にとっては重要です。これは、「アフォーダンス」 (affordance) の概念にもかかわります。
アフォーダンスは、知覚心理学のJ・ギブソンが提唱したもので、環境の中には人間の行動を誘発するような情報 (データ) が含まれている (または含むことができる) という視点です。たとえば、ゆったりとした大地の窪みは、私たちを横にならせるように 「誘い」 ます。これはその場所がそういう 「身体文化的」 な情報を有しているからだという考え方です。
⇒村田大造さんは 「人気クラブを作る秘訣」 という問に 「ナンパが生まれる死角を作る」 って言ってたしな。
マニアックラブ第三形態 (最後の形態) で言うなら、2F左側奥の見下ろしスペースだろうし、AUTOMATIXであれば、階段踊り場だよな。死角じゃないけどw
組織のオフィスで言うと、以前はそんなちょっとしたスペースがあったと思えるが、今はどんどん会議室として壁が作られて、”ちょっとした雑談が誘発される場” がほぼ無いな。社外の人もたむろ出来るコミュニケーションスペースも縮小されたし。
今一番会話が誘発されるのは1Fのカフェだろうかw 「お互いにノマドワーカーだねw」 ってな会話が生まれるw
48:知識創造⇔場⇔知識資産
⇒ “創造を試せる場” が必要だよな。クラブに刺激がなくなったのは、そぉいうチャレンジが大方無くなったからだし。
その点、西麻布YELLOWの “SPACE LAB” ってコンセプトは理にかなってたし、腹減ったら併設されたレストランもあったし、製作スタジオもあって、完璧な場だったと言えるな。10回も行ってないけどw
組織においては、”新規の自主提案なのに保守的な提案” とかだと、場があったとしても全く意味ないと言えるなw
49:知識はコンピュータをつうじて伝達・共有できる形式的側面と、それを支える人間的で暗黙的な側面からなり、両側面の相互作用によってあらたな知識が生まれ、効果的活用が行われます。要は人間同士の触れ合いや暗黙知の豊かさ、それらを包摂する場の存在が創造性にとっては大事だということです。
⇒資料格納するだけで成長出来る訳がない訳だからなw
50:「知識を共有しよう」 と口で言うのは簡単ですが、実際には知識ワーカーである社員の参加意識がなければなりません。さらに、知識共有への貢献に対してメリットや意義が感じられなければなりません。インセンティブを与えるべきだという主張もあります。しかし、もっとも重要なのは、人々の知的貢献が自発的に起こり、かつそれが生かされるような組織になっていることだとおもわれます。こうした変革を伴う組織運営やデザインが、知識経営の実践を補完する、といえます。
⇒仮に共有的な事をやっても、参加者が
- 「現業で忙しいのに、ホント勘弁してほしいよ・・・」
と思ってたら、何も次に繋がらないしなw
無理矢理チームという名の頭数合わせグループでは、共有するにしても、何の知識持ってたかすらも忘れちゃうんだよなw 当然人の話聞いても忘れちゃうだろうし。
の人も実際 「勘弁してほしい」 「実際何も起きないっしょ」 とAZZLOが知っている限り3人言っている。
要は “やってるフリ” になっている訳で、まず偉いおっさん達がおっさん同士の足引っ張り合いとか辞めるべきだと思うな。
51:知識経営は知識ワーカーの時代の経営です。そこでは、企業に優位をもたらすための競争と成長の原動力は、官僚的な組織やヒエラルキーの頂点に立つ戦略部門ではなくなっています。原動力は、特定のグループ、特定個人の社内外の関係、プロジェクト・チームや最前線の顧客チーム、トップ経営者間のやや私的なサークルなどにあります。これは機能的に分類された組織の単位ではありません。つまり、リアルタイムに知的連携、知識の創造や活用を行うグループや個人が、きわめて重要な役割を担うようになったのです。
⇒組織にも “戦略部門” 的な雰囲気の名称のセクションがあるが、せいぜい “誰が何やってるか集約する” ぐらいの事しか達成出来てない感じするな。既にある週報を集めれば済む話なんだが、個別のフォーマットで同じ事何度も入力させた上で、何も新たな事は起きていないように思うw
そぉいえば、「会社の中で部活やろう!」 みたいな事をやっているグループ会社があり、組織も多少意識はしている (トピックにはなる) みたいだが、その上で強制的な頭数合わせのチームという名のグループでは何も起きてないよなw
なんか枝の手入れだけしても、幹・土地が汚染されてたら、枝も葉もいい感じになる訳ない感じする。
52:もはやここでいう 「組織」 とは 「知識を創造していくところ」 であって 「管理」 のための組織ではありません。したがって、リーダーシップの概念や質も大きく変わります。
⇒ “出社してデスクに居れば仕事している” 的な工場労働員的な、”時間が達している達していない” が明確な “管理者がチェックしやすいだけ” 管理が、今だに横行してるもんなw 要は今だに1960年代で止まっているという事だろう。
という人も居るんだけどなw
今の多くの会社のグレート偉いおっさんの年齢を60歳とすると、ざっくり40年前の入社。その直前に親の工場労働員的働き方を見てきているから、70年代も含めると、現在の経営者の労働概念が工場労働員的労働のままなんじゃないかな。
工場労働も存在するので、そら同じ時間に同じ場所に居なければ成り立たない労働も存在するが、知的労働においては、ほぼ関係ないんだよな。
上司とのコミュニケーションも
- 上司:「勤怠入力してよ!」
部下:「あ!すみません。やります」
ぐらいしか聞こえてこないしなw
53:組織は知識ワーカーをコントロールするためにあるわけではありません。皆が大きくなりたい、偉くなりたい、成長したい。こうした共感に基づいて、組織が自己超越の場となるのです。こうした視点から、私たちはナレッジ・プロデューサー (Knowlege Pro-ducer) と呼ぶべきあらたな場のリーダー像を描く必要があるでしょう。
これは個人だけでなく、集団 (チーム、部門) 組織全体まで含めた自己超越を意味します。こうした視点はにわかには受け入れがたいものだとおもわれます。しかし、自己超越する個人 (知識ワーカー) チーム、そして企業を志向することが知識経営と同義といっていいものとおもわれます。
⇒多くの場合
- “個人として組織内で昇進したい” (世の中的に偉い訳ではない)
なだけだなw 個人的な自己超越ですら皆無。当然集団での成長とかそぉいう概念も無いな。
54:したがって、ここでいう組織デザインは、組織を形成し運営するためのコンセプトやポリシーを言っています。それは単に組織の 「箱」 を作ったり組替えたりという、いわゆる 「組織いじり」 のことではありません。
そうしたブロック構造やツリー構造で考えられる組織デザイン自体が、そもそも階級制・官僚制の組織からの発想だといえます。かといって、組織の構造はまったく自由ではありえません。そこで創発組織、自己創出組織、自己組織化、フラット組織、などが提唱されてきました。
⇒毎年3月末の組織変更の直前には
- 「どうせ何しようが変わらないし、オレがやることも変化ないよ」
と、嘆きですら無い意見が全員から聞かれるんだよな。箱変えても目の前にあるミッションに追われてるしな。
55:組織は、もはや一企業の枠の中だけでは考えることができなくなってきています。かつては企業=組織、などという式を前提に組織デザインを考えました。
しかし、現在ではそれは不可能だし、非現実的とさえいえます。組織と組織間の境界は薄れ、かつグローバルに展開しうるようになっています。大企業は分社化やカンパニー制によって大組織の意味合いを自己変革しようとしています。
⇒外資系は管理部門を子会社化してたりするしな。
組織では管理系の人達が、社外の人達も出入りするスペースで
- 「はぁ~~暇だぁ~。オレら〆の時期だけの出社でいいよな~」
- 「あいつは休みがちだ!あり得ない!」
とか元気よくボヤいてたりするが、(自身で言うように、〆の時期だけ出社して来ない方が、PCの電気代使わなくて済むから良いと思うのだが) 子会社化・独立採算化にすると必然的にそういった暇な人を少なくても採用しない流れは生まれるもんな。
56:情報の世界での経営はその機構として現場からトップに至り 「マネジャー」 を必要としましたが、知識の世界での経営は 「リーダー」 を必要としているといえます。マネジャーとリーダーはそもそもが違います。マネジャーとは管理・分析・効率・構造をその成分としますが、リーダーあるいは後であげるプロデューサー的リーダーは触媒・創造・価値・ビジョンなどがその成分です。
ですから本来 「ナレッジマネージャー」 というと知識経営とは矛盾してしまいます。いうまでもなく、前提としてきわめて重要なことは、知識経営においては、常に組織文化や経営スタイルの変革 (知力革新) を伴う、ということです。
⇒マネジャーとリーダーって、単純に組織構造的に “偉いおっさん” である事が多いので、区別して考えてなかったなぁ。
とは言え、 “どの部長に属したいか?誰が部長が良いか?” 議論の時に
「○△□(3年目の雑でミスが多い女子)がイイ!あいつが部長だったら、危なっかしくて部員は率先して部長を助けるだろう?結果部員が自ら能動的に動くチームになりそうな気がするよwww」
という意見を言った事はある。
要は、リーダーはマネジャーとしてはある意味ダメなヤツの方が適しているような感じするんだよな。
チームラボの様にw
そして、日本においての組織構造はリーダーという設定は無いような感じするな。ま、マニュアル化出来ないから設定しにくいとは思うが。
57:そもそも、知識は統率したり管理したりできるものかを問う必要があります。
二〇世紀の企業に代表されるような物材中心の企業の業務であれば、「何をいつまでにどこに動かせ」 という指示 (インストラクション) は有効でしょう。そのために情報技術をうまく使うことも容易に考えられます。しかし、組織的に知識を創造・活用させたい場合、物財のように量や時間での厳密な設定は不可能です。従来の階層的組織のツールである業務手続書やその他諸々のインストラクションや目標管理はあまり役立たないといえます。
とか、今世紀においてはマジ意味ないってな事だなw
繰り返すが、この本は1999年発売であるwww
58:機能的指示がうまく効かない、というのは知識経営志向の企業には重要な留意点です。トップが単にビジョンを打ち出したり、あるいはその対極に具体的詳細な機能的指示を出したりするだけでは、組織が機能しない、ということです。知識経営のリーダーシップ・スタイルとは介入的・統率的なトップダウンでも、コンセンサス重視の 「マネジメント」 でもありません。
⇒AZZLOにしては珍しく共感している2014年度の偉いおっさんの方針
は、このバランスが取れているように見えるからかな。
他の偉いおっさんの方針って
- 「変化する顧客ニーズに対応出来るようにする」
↓
「頑張る!」
(プロダクションとの連携強化とか書いてあるが、言われなくても長くやってれば自然と連携強化される)
ってな感じで、超労働履歴でしかない事が多いんだよな。
59:ナレッジ・プロデューサーにとってとくに重要なことは、コンセプトの創造される、いわば 「真実の瞬間」 をとらえてチームや当事者の知を集約することです。そこで重要なのはジャミング、つまりその場やリズムへの 「引き込み」 だとおもわれます。そこではたとえば場の運動とか、リズムとかいった感覚さえ重要になるでしょう。それを即効的に行うことで躍動的な知識の創造と活用が行われるといえます。
⇒完全にクラブだし、徳力基彦氏は、コレ上手いよな。
60:いわゆる即興のパターンを知っていることも重要です。即興とは、場の本質である共有された文脈 (コンテキスト) を読み取り、リアルタイムに働きかけていくことです。たとえばジャズなどのインプロビゼーション (即興 improvisation) は①既存の作品に基づいて変化を加える部分的即興、②与えられた主題に基づいて自由に変化を加える発展的即興、③既存の成果や主題は用いずに (否定して) あたらしい作品を作りだす全体的即興などに分類されます。こういったパターンや方向性を文脈として保有するのが 「場」 だといえます。形式的な譜面にない雰囲気や集団の持つ潜在的能力など、場に特定の知識が即興の基盤となるといえます。
⇒やはり音楽の話出てきたな。
クラブやDJって、”暗黙知の自覚を様々な手法で形式知化するトレーニング” と言えるな。
61:知識を共有させたり、創造させるための指示やインセンティブ付与 (飴と鞭) は得策ではありません。基本的には、組織内の個人・集団の自発的、自己超越的参画によって相互作用的に場が形成されるのが望ましいといえます。
このモデルを駆動させるには、情報と知識の間になる文脈・脈路を把握し、知識ワーカーに提言・提案し、場を設け、生まれた知をケアしていくような、「創造パラダイム」 の文化が必要となるでしょう。分析型ではなく、評価・価値思考型。つまりは 「場」 が、顧客との接点、提携企業との接点、組織内に創発していることが、二一世紀企業の決定的組織的能力となるでしょう。
⇒「売上が倍になったら、君達の給料も倍になるんだよ!だから頑張って!!!」 と言う偉いおじさんに対して、白けてる人が居たがw
が金指標による飴と鞭の無駄さ加減を表わしてるもんな。
62:明らかに、古典的な猿のボス型、貴族型エリート、出たがりや、などでは場の組織運営は困難でしょう。むしろ、個が基本となる現場のリーダーと有機的に連携し、機動的に組織を運営していく能力・資質の必要性が生まれてきています。これは今後の日本企業の方向性とも大きくかかわります。
⇒猿のボスが下々を幸せにしてくれれば、それもアリだがなw
“金が指標の人達すら満足させられない金が指標のボス猿” だったら、誰も必要としないと思う。
63:私たちが経験しようとしている変化は、産業が製品や市場ではなく、知識によって再編成されていく中で、製造業とサービス業といった古典的な境目が消滅していく、というものです。この変化に気づかない企業は、製造業、サービス業を問わず、変動の亀裂に呑み込まれてしまうでしょう。
⇒”モノからコトへ” 的な事でも言われてるもんな。
64:企業がダイナミックに競争し、成長するためには、戦略計画以上の何かが求められています。組織は業務や情報のプロセッサーでなく、知識を内包した創造の場にならねばなりません。極論すれば、あたらしい戦略部門の役割のひとつは、詳細な戦略を立てることでなく、現場で素早く戦略を立てて実行するスタッフ (ナレッジ・プロデューサーあるいはナレッジ・リーダー) が活動しやすいように知識サポートすることです。
⇒ “サポートする人の労働履歴の為に、現場がサポート(付き合う)する”
的な感じが組織だなw
先日、おそらくスタッフを営業にアピールする為の “プロフィールシート” みたいのを書かされたのだが (記入目的不明) えらいやる気ない入力フォーマットだったんだよなw あれじゃ 「ボクをもっと営業に知ってもらいたい!」 と思って書く訳がないw
65:実際に企業を見ると、面白い組織ほど、徹底的に効率を追求しながら、創造性も中途半端でなく追求しています。つまり、一方の極を強めると他方も自ずから同調する、といえるわけです。
⇒面白い事してそうなプロダクションさんほど、「裏では泥臭い案件もやってるんです」 と言ってるしな。そういったプロダクションさんのポートフォリオを見ると、組織の案件は掲載されてなかったりするしwww
66:企業が 「売るもの」 は、社員・パートナーである知識ワーカーに体現された組織の知識や能力、製品に埋め込まれた知識、顧客の問題を解決するための体系的知識だといえます。顧客は、提供された知識とサービスの価値に対して評価し、支払うことになります。
一方、企業が質の高い知を創造するには、高い次元から眺めること、知とは何かを問う哲学が求められるでしょう。それは 「志の高さ」 にもつながるもので、当然トップの課題でもあります。マーケットはそこまで見て企業を評価するようになるでしょう。
⇒ちょいちょい書いてるが、組織は “志” がないから、共有出来る事も本来無いと思うんだよなw
67:知のリニューアルこそが企業革新につながるのだが、放っていては創発は起きない。そこには強い衝撃力が必要だ。つまり知を軸とするトップの強力なリーダーシップとビジョンが不可欠の触媒となる。当然だがそれらのビジョンは社会的な知識資本としてのパースペクティブを持たねばならない。
⇒組織のパースペクティブって、利益すっ飛ばした売り上げしかないからなw ま、問屋であればそれで正しいのかもしれないが、”人の心を動かす” とか “カンヌに応募!” とかそぉいう事も含まれている仕事と捉えているならば、いわゆる “社会にどう有益であるか?” みたいな指標も必要だと思うな。
繰り返すが、この本は1999年発売だ。
そしてAZZLOは常々
- 「組織は自滅がお好き♪」
と言ってきたが、やはりまだ今世紀に来てないって感じだな。自分のしっぽを追いかける犬みたいだw
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