フリーエージェント社会の到来 新装版—組織に雇われない新しい働き方 / ダニエル・ピンク
2014/8/29発売。2015年1月頃の読書。
以前 TEDで見たプレゼン が非常に面白かったダニエル・ピンク。
そんな彼の本を見かけたので手にとった。TEDのプレゼン内容の上での最新の本だと思ったのだが、10年以上前の本の新装版だった・・・。でも今読んでも面白い内容だった。
1:日本社会では突出した個人が生まれにくい、とも考えられてきた。生まれでようとしても、出る杭は打たれるがごとく、個性的な才能は得てして認められなかったり、ときには煙たがら、つぶされてしまうことすらある。日本で個性は育たない。その結果 「だから日本は駄目だ」 ということになる。
そうなると、今度は 「個人の力」 を伸ばしていかなければならないという意見が必ず強まっていく。会社内でも、組織にどれだけ貢献したかという曖昧な評価よりも、個人としての具体的な成果を評価すべきという考えに重きが置かれるようになる。1990年代以降、会社人事の主流となった、年功主義から成果主義という流れも、その変化と軸を一にする。
しかし、個人を重視する傾向が強まれば強まるほど、今度は一人ひとりがバラバラになってしまい、チームとしてのまとまりが失われていくことが懸念されるようになる。個人としても、組織で取り組んできたときのような一体感が保てなくなり、仲間意識も消えていく。最後に待っているのは、孤立した状態に陥った個人ばかりが増える現実だ。そして今度もまた 「やはり日本は駄目なんだ」 となっていく。
そろそろ、私たちは、組織か、個人か、という不毛な二分法から抜け出さなければならない。大事なのは、組織も、個人も、である。(玄田有史)
⇒組織経営の指針と、個人の思想があった上で、評価軸が整理されてないと、どっちみちループすると思うな。
整理されてないと、そもそも人事採用も成り立たない しな。要は “何をもってしてイケてるとするのか?” なんだよね。つくづく “何故ならば” だな。
2:日本で社会的に成功するとは、偏差値の高い大学に入り、有名な大企業に就職し、そこで着実に出世しながら定年まで勤め上げ、引退後は悠悠自適な生活を過ごすことだ、と永らく信じられてきた。
しかしいまや、いわゆる一流大学を卒業しただけでは、就職もおぼつかないご時世である。首尾よく一流企業に就職したところで、数年後には業績が突然悪化し、統合・再編やときには倒産したりすることも珍しくはない。そうなると途中で再就職に努力しなければならないし、年金もおぼつかないまま、老後も働き続けることは当たり前になる。
もはや、一流大学・一流企業での成功など、夢の夢でしかない。いや、そんな一流志向など、幻想でしかなかった。(玄田有史)
⇒“一流大学・一流企業に入った時点で成功” という安堵感が得られちゃうから、疲弊処理班としてしか、その後に使い物にならない からな。
3:仕事の前提は 「組織」 から 「プロジェクト(事業)」 へ移っていく。仕事はまず組織ありきではなく、顧客や取引先から 「プロジェクト」 がダイレクトに舞い降りてくる。もしくは経営からトップダウンで、リーダーに対し 「プロジェクト」 のミッションが伝えられ、一定期間内での遂行が求められる。
にもかかわらず、組織のタテ社会の人間関係に縛られているならば、プロジェクトの期限内での実現は到底不可能である。必要なのは、組織のしがらみにとらわれることなく、適材適所で縦横無尽に活躍できるフリーエージェントの存在だ。重要なプロジェクトの多くは、既存組織のメンバーだけから構成されるのではなく、組織を超えて集まったフリーエージェントたちの手を借りることによってのみ、成し遂げられるのだ。(玄田有史)
- 「代理店営業に頼むと遅いから、必要なサービス・スキルがある企業に直接連絡を取ろう♪ その方が安いし」
ってのが、コレだよなw
故にAZZLOみたいなスタッフは、営業ラインとは別個に直接企業と接点を持たないと企業から組織へお支払いを頂く機会が無くなると思うのだが、「営業が居ないとダメ」 と言われるんだよな。それじゃ金産まないんだけどな。
今と同程度の金を生むにしても、疲弊度がアップするんだよなw
4:日頃思っていたり感じていることについて素直に話し合える仲間を、働いている会社や通っている学校などの外に、せっせとつくることである。それは、SNS、コネクション、同窓会、保護者会、自治会、NPO活動、地域活動など、なんでもかまわない。大事なのは、心をむなしくし、そこで交わされる他人の話や、自分の知らない世界に耳を澄まし、深くうなづき、ときに感動することだ。(玄田有史)
⇒一つの組織内でもあって良いが、それだけではダメだと思う。特にAZZLOが在籍する組織は10年で売上3割減している負け組企業w なので、ネガなガラパゴス企業内で集ってもあんま意味ないと思うw ・・・事例集めて 「ふ~ん・・・」 で終わるw
5:オーガニゼーション・マンは、組織を信仰の中心に置く世俗版の宗教の論理をしっかり守っていた。その教義では、個人は組織に忠実であることを求められた。それと引き換えに、組織も個人に忠実であってくれた。個性よりも仲間意識、個人の実現より集団の調和が重んじられた。個人は組織に忠誠を誓い、その要求に従った。
その過去のバランスは旧ソ連、中国も羨む社会・共産主義であった訳でw 都合よく社会主義とガチ資本主義をミックスしているのが日本企業の歪って感じする。
6:終身雇用の崩壊により、職場における忠誠心は弱まったと言われている。しかしこれは、必ずしも事実とはいえない。フリーエージェント・ネーションでも、忠誠心はなくなっていない。忠誠心のあり方が変わっただけだ。個人が組織に示すタテの忠誠心に代わって、新しいヨコの忠誠心が生まれつつある。取引先や同僚、元の同僚、チーム、職業、プロジェクト、業界に対する強い忠誠心が生まれている。ある意味で、忠誠心は強化されたのだ。
⇒故に偉いおっさんは寂しくて、金を産まない労働履歴を色々と作って接点を作ろうとするんだろうな。余計金産まなくなるw
偉いおっさんは取引先の偉いおっさんと接待して
- 「後は・・・お互いの若い子たちに頑張ってもらいましょう」
とかやるべきだと思うな。縁の下の力持ちというか、パトロンというかエンジェル投資家というか、そぉいう事やるべきだと思う。
7:古い考え方では、収益の多い大企業は、収益の少ない中小企業より成功しているとされていた。しかしこうした発想は、フリーエージェント経済には当てはまらない。大きいことは、必ずしもいいこととは限らない。問われるのは、その中身だ。
⇒大企業で赤字と、中小企業で黒字だったら後者の方が良いからなw
8:いまの学校にとって最大の問題は、学校が役に立たなくなっているということだ。しかし大半の教育改革案には、画一的な労働に従事するテイラー主義的な労働者を養成するためのテイラー主義的な手法をますます徹底するものになっているという問題がある。
⇒過去は憧れる人生ストーリー設定が空気感としてあったが、それがもう無いから、テイラー主義との紐付けが出来ないしなw
テイラー主義的な方だったら、日本の座禅的な事を授業でやったら良い気がするな。”正しい” が表層的には比較的明確だしテストもしやすいし (本質的にはテスト要らない領域だけど)。
・・・テスト (というかチェック) は身体検査だけで良いんじゃないかな?
9:女性は社会のフリーエージェント化の原動力であり、やがてフリーエージェント経済の支配者になる可能性がある。
⇒ま、いつの時代も女性が支配者だけどもw ま、資本主義上の正面からでもそう見えるようになりつつあるよな。FRBのイエレン議長なんかそうだしw
NHK紅白歌合戦出場のX JAPANだって、そう言ってるw
ただし、昨今日本で言われている “女性の社会進出・女性活用” みたいのには、徹底的な奴隷扱いという真実に女性は騙されちゃダメだと思う。
まず “女性は社会に居なかった前提” が、そもそもおかしいし、失礼だしw ・・・そら会社という場にはあんま居なかったかもしれないけども。
“働きたい女性もOK!” という事は全然OKだけど “働いてない女性はダメな女性” という空気感にも繋がっているのが今。実は女性は辛そうだし、でも露呈させない立派な人が多いと感じる。
- 「子ども産めよ、そんで育児しつつ働けよ」
って・・・w “お腹痛い痛いウィーク” もあんのに無理過ぎる・・・w
それ言うなら、せめて「ISAK幼稚園は無料です♪」 ぐらいにして欲しいんだよな。
※ISAKは高校ぐらいの年齢からじゃないとコンセプト的にハマらないんだが、でも幼稚園にもカスタマイズ出来ると思う。
10:批評家たちに言わせれば、束の間の人間関係と一時的な帰属意識を特徴とするフリーエージェント経済が過熱すれば、社会の腐食はますます加速するという。しかし実は、フリーエージェントにはこれと正反対の作用がある。人と人との絆を弱めるのではなく、逆に絆を強めるのだ。コミュニティーにほころびを生み出すのではなく、ほころびを繕い直す。堕落を助長するのではなく、前向きな競争を促す。200年前にアメリカを訪れたフランスの思想家アレクシ・ド・トクヴィルが書き記した 「結社の技術」 —- 「正しく理解された利己主義」 に基づく本物の共同体を形成する力 —- は、いまもフリーエージェント・ネーションのなかに健在なのだ。
⇒不定期でも年に数回は合う スペシャリストの集い とか、言うならば結社だし、全然仕事してないけどたまに飲むプロダクションさんとか、そぉいう人たちと情報交換してる方が、組織内の勉強会よりもずっと重要な学びだもんな。
11:政府は、リンゴとオレンジを選り分け、それぞれのカゴに投げ入れて几帳面に数を数えることは得意かもしれない。それはそれで意義のあることだ。しかし、多くのアメリカ人がいわばパパイヤになってしまったいまの時代に、その作業の意義は大分薄らいでしまったように見える。アメリカ政府のフルーツ勘定係は、赤みがかったパパイヤをリンゴとして数え、オレンジ色がかったパパイヤをオレンジとして数えている。まったく数えないよりはましだとしても、正確な数字にはほど遠いと言わざるを得ない。
⇒デモグラとかすでにそんな感じだよな。業務内容と売上換算項目もチグハグだしな。
12:多くの人は自分の働いている組織よりも長生きする。いまの仕事がずっと続くなどと言える人はどこにもいないのだ。そう、いまや私たちの誰もが 「臨時」 労働者なのだ。
⇒今の50代以上とかは、企画書をPC使わないで作ってた訳だしな。当時は写植の人とかが居たんだと思うが、大半が職を失った (業務内容が変わった)ハズだ。
そして、2035年ぐらいには、キータイプなんてのも無くなってる可能性あるからな。
故に “媒体問屋” というマネタイズ手段依存ではなく “企業の販促支援” という役割で考えて、業務内容は変えていかないと食えないと思う。
今トラディショナル代理店がやってる事は
- “電気の冷蔵庫が売られ初めてるのに氷屋を続ける。頑張って3日持つ氷を開発しようとしている”
- “ガソリンの自動車が売られ初めているのに馬車屋を続ける”
- “石油が売られ初めてるのに炭鉱屋を続ける”
と同じ状態だと思う。伝統工芸を目指すならば良いが、それぞれ “冷やす” “移動する” “エネルギー” という元々の役割を見つめ直さず、”マネタイズ手段依存” だと思う。
スーパーだって “セルフレジ” を導入し始めていて “良いものを安く” という役割を意識して変わってきている。「それじゃぁパートのレジ雇用が要らなくなっちゃう」 とは言わないからな。
- “若干時給は下がるにしても働かなくて良いパート”
というのが出来なくもないしw 偉いおっさんからすれば、人件費・採用経費が減るから全体としてみんなハッピーを目指せると思うんだがw
13:私たちの社会は、肉屋やパン屋や燭台職人の時代に戻り始めている。(ノーム・ストアー)
⇒ “専門職化している” とも捉えられるし “一人でマネタイズ出来る” とも捉えれるな。
肉屋やパン屋という流れで考えると、商業施設のテナントみたいに、一つの屋号の中で職人を育てる的な事ではなく、既に育っているテナントをキュレーションした施設 (組織) というのが必要とされる感じかな。
- 「それだと社内の知見が蓄積されないし漏洩する」
という発想は、もう通用しないだろう。漏洩するからこそ、逆に他社の知見も入ってくる。そのメリットを捨てるならば漏洩にビビるにも良いだろうが。
- “ウチは漏洩したくないけど、他社の知見は漏洩して欲しい”
っていう都合よいジャイアン思想では、既存知見だけで老廃していくだろう。
14:「(完全雇用の方針は) 一種の宗教だった」 とIBMの元幹部はフォーチュン誌に語っている。 「歴代の人事責任者はこの原則を守り続けた。それこそ純潔を守り抜くみたいにね」
しかし1990年代に入ると、IBMはカーテンを開けて窓の外に目を向けはじめた。家の外は、思った以上に厳しい世界になっていた。IBMは、新興のコンピュータ会社に市場のシェアを奪われはじめていた。グローバル化の進展により新しい市場が生まれると同時に、新たな競争相手が生まれた。しかし、戦略的なミスや決断の遅い官僚的な体質など、様々な社内の問題のおかげで、変化への対応はますます後手に回った。そしてついに、IBMは解雇をしないという方針を捨てて、92年と93年に12万人の人員削減を行った。これは、IBMの社員にとってベルリンの壁の崩壊に等しい大事件だった。なにか重大なことが起きたのだということは、誰もがわかっていた。しかし、次になにが起こるのかは誰もわからなかった。
⇒ビッグデータには手を出さないAZZLOが在籍する組織 が、これだな。今後CCCやら楽天やら、そぉいう企業が競合プレで出てくると思う。というか既に競合になる前に彼らは営業仕掛けている。
先日偉いおっさんに
- 「そぉいうリスクがありますよね。しばらくの間は僕らもデータは買えますが、彼らを肥大させる為に貢献するという事でもあります。そして仕入れが増えるという事です。おいおい彼らは自社で完結する目論見でしょう。既存代理店に居る人間の中途採用を進めてますから。要は競合として同列になるんです。金あっても買えなくなるんですよ。対する僕らは “アンケート調査” なんていうテキトーな顕在意識だけが武器です。潜在意識の提示が出来る彼らにマーケティング前提を奪われるんです。どうすんですか?」
と言ったが、
- 「うぅぅ・・・だから、やばいんだよぅ・・・」
だったな。まぁその危機感を持てるだけ随分マシなんだがw
CCCや楽天などがプレの競合にはならなかったとしても
- 「あのぉ・・・。楽天さんのデータとウチのWEBサイトのログと販売ログを紐付けた上での傾向と全然違うんですけどぉ・・・。御社の前提は顕在ニーズですよね。そんなのは分かっていて、潜在ニーズは既にこうなってるんですけどね。・・・具体案は良いにしても前提がおかしいですね。これじゃぁ上を通せませんよ」
と言われるんだよな。もう起きてる場は起きてるし、2年後には今のデジタルサイネージぐらいの感覚にはなってると思う。
それに潜在から顕在にシフトさせるのをリアルタイムに制御出来るシステムになっていくので、プレ段階では何も言えなくなるだろうなw “購買意欲喚起率” のプログラム提案の勝負になるだろう。
※AZZLOがずっとビッグデータ言い続けているのは、”媒体問屋の効率化” に紐付いて
- “マーケティング前提を論理性高いログで企業自らが持ってしまう、リアルタイムに活用出来てしまうので、アンケート等の時間軸にズレがある上での顕在ニーズなんかでは論理性の担保が出来ない”
っていう事になるんだよな。ほんと死ぬよな・・・。
バケツリレー依存ではなく、広告主の成功を願って真摯に対応しないければならないと思う。
まぁ、一時的に “その潜在ニーズ可視化ツールのご提案” とかの案件は発生するが、”広告主が自立するお手伝い” だからなw
故に代理店は
- “お付き合いのある企業のログをお預かりして他社とのデータと照らし合わせ、多面的な検証が出来るシステムを自社で持たなければならない”
※そぉいうログネットワーク会社は出てくるが、要は仕入れがかかる。
↓
“企業間コラボ施策なんかも、ついでにご提案♪”
ってしないと、なんの武器もないんだよな。
・・・ほんと他社に奪われる分、何で補填するんだろうなぁ。
15:職場は巨大な道具倉庫のような性格をもつようになった。管理者は、決まった時間になると道具倉庫の扉を開けて、労働者がみんなで一緒に道具をきちんと使うように見張り、時間が来ると倉庫を閉めて、労働者を家に追い返す。それまで一体のものだった資本と労働が分離したのだ。資本家が道具を所有し、労働者は、巨大な機械が生み出す莫大な利益から雀の涙ほどの分け前を受け取るようになったのです。
しかし、状況は、再び産業革命前に戻ろうとしている。知識経済の生産手段は、小型で安価、操作も容易で、あまねく普及している。
⇒メモリ2GBでアースも繋がってないPCに、WXGA+ のモニターというしょぼい道具しか組織は提供出来ないしな。机繋がってるから隣の人が荷物置く度に振動するし。
故にオフィスってのは、デスクワークスペースではなくて “アイデアがセックスする場所” であるべきだと思うな。
知的労働が工場労働の作法を採用しているのが根本の課題だと思う。
16:トーマス・ペッツィンガーは著書 「新しい開拓者たち」 で書いている。「(デジタル技術は) 限界費用を限りなくゼロに近づけ、市場への参入障壁を縮小もしくは撤廃する・・・テクノロジーのおかげで、資本主義にとって、資本は不要のものになりつつある」。そして、オーガニゼーション・マンにとって、オーガニゼーション (組織) は不要のものになりつつあるのだ。
いいオフィスは昼間から酒が飲めるオフィスだった pic.twitter.com/uwyAmtIOU9
— azzlo (@azzlo) 2014, 12月 17
毎日同じ場所で蛍光灯下に居るよりも、違う場所を転々としていた方が、移動時に見える風景も違うしな。
17:人間は低いレベルの欲求が満たされてはじめて、高いレベルの欲求に進むことができる (住む家のない人や腹の空かせている人には、美的欲求を追求するゆとりはない)。
⇒ “財布もココロも貧乏人こそが年収一千万を目指す” とも言えるなw
18:豊かな時代になって、人々が仕事に求めるものは変わっているのに、多くの大組織ではそれに応えることができていない。給料とストックオプションはもちろん大切だけれど、いまや仕事の目的は金だけではないのだ。人々は、仕事に意味を求めるようになったのである。
⇒つくづく “何故ならば” が必要って事だよな。AZZLOが在籍する組織では聞いても無視されたり返答があっても 「だって売上必要じゃん!」 でしかなかったりするw 売上あっても利益がないと意味ないんだけども、”食ったらウンコ出るのを知らないので垂れ流しして困っている人” に見えたりするんだよな。
19:鳥かごの中に閉じこめられていても、かごの外にチャンスがあまりなければ我慢できるかもしれない。しかし、かごの外にチャンスがいっぱいあれば、鳥かごは刑務所に等しい。
⇒昔は生まれた時点で仕事が大体決まっていたが、今の時代は転職しやすいんだよな。故に苦しむ人も少なくないがw
そして “かご” の概念を少し変えた方が良いと思う。”自社の利益” を考えると人材を “囲い込み” したくなるかもしれないが、それではガラパゴス状態。それで上手くいったのは昭和までだ。
今は、他社での経験に期待して中途採用もあるし、むしろ出ていってもらって、外での経験を踏まえて、また戻ってきてくれた方が良いw
既存のかごの概念は終着点ではなくハブとして捉えた方が良いと思う。コミュニティは終わらないと次に繋がらないしな。
20:ケース・ウェスタン・リザーブ大学のロバート・D・ヒスリッチによれば、起業家と企業の管理職を対象に調査を行ったところ、起業家のほうが企業管理職よりも格段に倫理に配慮して行動していることがわかったという。この違いはおそらく、倫理を重んじる自由の有無から来ているのだろう。
⇒企業管理職が金ちょろまかしてたりする訳だしな。もちろん起業家でズルい人も居るけども、割合で言えば前者の方が多そう。起業家は一般的な信用が少ない分、倫理とか道徳とかマトモじゃないと一瞬で八方塞がりだもんな。
企業内の不正の場合、対外的に恥ずかしいので揉み消されたりするもんなw (とは言え給料天引き返済とか当たり前な事は起きるらしいがw)
21:どう行動するべきかを社会が教えてくれる世界、すなわち、社会が次のステップを指図して、エスカレーターに乗せてくれる楽な世界では、自分の弱みや失敗に直面することがないだけでなく、自分の強みを知ることもない。(エイブラハム・マズロー)
⇒故に、大半の企業において、エスカレーターを期待して辿り着いた大卒者ではなく、ヒッチハイクで暮らしてきた人の方が採用の価値があると思うな。
パリで友人になったバックパッカーは、今は某学校の学長だしなw
22:ニューヨーク・タイムズ紙によれば、数々の心理学的研究の結果から、「満足感は金では買えない」 ことが明らかになっている。むしろ、「富を人生の大きな目的と考えている人は、極度の不安や抑鬱に苦しめられるなど、幸福度が全般的に低い」 という。
「プレで負けたらその損失額を個人の金で補填出来るのか?」 と問われたが 「『補填しますよ♪』 とこっちが言ってもそうできないでしょ?」 と言ったら黙ったw 不毛な質問だったなw
— azzlo (@azzlo) 2015, 1月 15
目の前の人の言動を参考に真似ていたら 「お前態度悪い」 と言われたw
— azzlo (@azzlo) 2015, 1月 16
金を追いかけてると論理がなくなるって感じするもんな。論理ないから金を絶対的正義に設定するのかな?
そして、この人はAZZLOに対して
- 「AZZLOは会社員じゃないよね。フリーの人って感じ」
と言ってた。
個人的には会社員かフリーかっていう概念ではなくて、「今のギャラで高品質な奴隷をやる気はない」 という消去法だったりするんだけどな。
故に 「こんだけ金積むから奴隷やってよぉ!」 と言われれば、「じゃぁ・・・期間限定でお願いしますw」 とは言うかもしれないw
まぁその発想は会社員であっても “従業員” ではないとは言えるか。
23:「会社を辞めようという考えが頭に浮かんだのは、2月のボーナスと昇給のシーズンのことだった」 と、彼女は語った。「あんなにたくさんのボーナスをもらったことはなかった。前の年の3倍だった。そのとき、本当にがっかりしてしまった」
「ボーナスが思っていたより少なかったのですか?」 と、私は尋ねた。
「いいえ。ちっともうれしくなかったということに、がっかりしたのよ。いっぱいお金をもらっても幸せになれないということに気づいてしまった。私はその仕事が好きではなかった」
銀行口座にはお金がいっぱい入っていたけれど、心の中は空っぽだった。
⇒糞ビッチ女とかも、イイ男と付き合った事ないからっぽいよなw
24:人材派遣会社ロバート・ハーフが経営幹部を対象に行った調査によれば、仕事を好きになるための条件は、自主性が認められること、難しい課題に挑戦できること、仕事を通じてなにかを学べることだという。
⇒一歩踏み外すととブラック企業になるがw 確かにそうだと思う。
- ・”難しい課題” が長時間労働ではない課題である
・”なにかを学べる” は多くの場合、不条理を押し付けられる上での学びではない
・ギャラの配慮 (論理的な評価)
この点があると、ブラック企業にはならないポイントかな。
25:アメリカ経営協会 (AMA) の調査によっても、従業員の流出を防ぐ最良の方法は、給料を増やすことでも各種手当を充実させることでもなく、柔軟な勤務スケジュールを認めたり、長期間のリフレッシュ休暇を与えたり、学ぶ機会を提供することだ。要するに、従業員管理の最善の方法は、金をつかませるのではなく、フリーエージェントのように扱うことなのである。
⇒ギャラが良くても辞めるからなw 逆にギャラはしょぼいが、ほぼフリーみたいな自分の方が自主的に辞めてなかったりするw
AZZLOみたいなケースは偉いおっさんの自尊心はケア出来ないかもしれないが、経営としては、そんな金がかからないヤツを転がした方が良いと思うw
26:必ずしも 「大きいことはいいこと」 ではない。自分にとっていいことこそ、いいことなのだ。出世や金など 「共通サイズの服」 の基準で成功を目指す時代はもう終わった。自由、自分らしさ、名誉、やり甲斐など、「自分サイズの服」 の基準で成功を目指す時代になったのだ。
27:要するに、金がすべてではないということだ。出世がすべてでもないし、事業の拡大がすべてでもない。パフ・ダディの言葉よりも、ボブ・ディランの言っていることのほうが正しいようだ。「成功したと言えるのは、朝起きて、自分のやりたいことをやれる人だ」 とディランは歌っている。
⇒ちょいちょい記事にもなっているが、今の人の生活スタイルは、せいぜいここ150年ぐらいの事だからな。たかだが2代、3代程度の時間しか経ってない。
とは言え “帰属意識” というのは、いつの時代もあると思う。その点を最近は “たまたま会社という組織が担っていただけ” だと思う。
28:くだらない仕事を見事にやり遂げたとしても、それは本当の業績とはいえない。私がよく言うのは、「やる価値のないことには、立派にやり遂げるだけの価値はない」 ということだ。(エイブラハム・マズロー)
⇒AZZLOも 「儲かるか楽しいか、どっちかは担保しよう」 と良く言うw
偉いおっさんの悩みの一つとして 「それ(金額少ない案件)に疲弊すんなよぉ・・・」 というのがあるみたいで、要は 「それぞれ個でも効率を踏まえろ」 という事があるらしい。
しかし、何を持ってしてくだらない仕事なのかそうではない方なのかの判断が出来る人はどうやら少ないらしいし、しかも評価面でも指標が無いので、プレイヤーに判断を任せるのは酷な気がするんだよな。
後出しで 「お前アレ手抜いただろ」 とか言われそうだもんなw
29:ロサンゼルスのグラフィック・デザイナー、ジョフ・マクフェトリッジは、依頼主に対して 「おたくの金で楽しませてもらってるよ」 と言いたい気持ちになるときはいい仕事ができると言う。
⇒AZZLOの成功案件 はそんな感じだったし、他の案件を見てもそんな空気感があるのが人の心を打つ感じする。広告ではないが、ウゴウゴルーガとか非常に短期間の放送だったのに、未だに人の心に残ってる。
30:フリーエージェントの人たちは、ウォールストリート・ジャーナル紙コラムニストのスー・シェレンバーガーが言う 「明日のためにという罠」 —- いますぐに楽しみと満足を得るのではなく、「将来に快適な生活が待っていると信じて、未来のご褒美のために生きる」 という態度 —- に陥っていないという点だ。多くのフリーエージェントにとって、仕事は 「明日のため」 のものというより、それ自体がご褒美なのである。
⇒人生のロードマップ・ストーリーの (テレビ冷蔵庫エアコン) がなくなったのが要因として大きい感じするな。
“庶民の為のニンジン” が無いんだよな・・・。故にSNSとかで自尊心をケアしたりするんだろうな。
31:どういう仕事をするかは自分で決める。いちばんやりがいがあって、わくわくするような仕事をすることにしている。そこにときどき 「ギャラがいいから、まあいいか」 という仕事が入るという感じね。
⇒いわゆる会社員も入社前はそんなスタンスだと思うんだが、入社後は奴隷になるよなw
32:会社が従業員を大切にしているなどと言う人がいたら、「嘘つき! 嘘つき! 嘘つき!」 と、簡単な呪文を繰り返し唱えること。そうすれば、危険な幻想を抱かないですむ。(リック・コーエン)
こぉいう指摘もあるしな。
大塚家具問題においては
- 父:「社員は子ども」
娘:「社員はチーム」
というスタンスの相違があるが、現代は偉い人から下々wへの “チーム” 的な概念がないと成り立たないと思う。創業者の発言の旨味は1代も持たない、要は賞味期限が短くなっているのだと思う。
おそらく政治不信しかり “偉いおっさんは信用出来ない” という感覚から促進された点もあるだろうな。
そして、チームというスタンスでもフレキシブルに (プロジェクト毎に) リーダーは変えた方が良いと思う。
対して父的な “子ども” というのは、素晴らしい正義感だとは思うが、一歩間違うと 「ダメなもんはダメ!」
という論理性欠如になりがちな側面があるよな。
どっちも正しいんだけど、子離れも必要だと思う。いつまでも親やるのも大変であってw 正義感を通り越して “依存” になってしまう事もある。
- 「久美子を信頼して支えてやってくれ。ダメだったら決定したオレを恨んでくれ」
と言えたら良かったと思うな。そもそも一度決めた事だしw
それが出来ないのならば加勢大周的に “新・大塚家具” やったら良いと思うw
33:単一の雇用主のもとで長い間働き続けていると、技能が鈍り、急速に変化する外の世界に触れる機会が少なくなる。そして、忠誠心は単なる依存心に成り下がってしまう。
⇒www。総合広告代理店がデジタル技術に疎く、GOOGLE的な企業に本来手にできるハズの予算を奪われてるもんなぁw
34:「会社に対して忠誠心は感じていない」 と言うのは、ボーイング社のエンジニアの労働組合を率いるチャリー・ボファーディングだ。「会社などというのは、しょせん抽象的なものに過ぎない。私がはっきり実感できるのは、職場の同僚やボーイング技術部門のコミュニティーだ」。このように、タテの忠誠心は弱まっても、ヨコの忠誠心は強まっている。フリーエージェントは、仲間に対して強い忠誠心をもつのだ。
⇒アナログな人なんだから、本来そうだと思う。しかし自信がない人が、無駄に会社というのを信仰の対象に仕立てたが故の歪が大きいんだろうな。
35:私たちの孫の世代は、おじいさんやおばあさんの時代にはほとんどの人が雇われて働いていたと聞けば、びっくりするかもしれない。
⇒今の常識は150年程度だし、よりセグメントしていくとせいぜい50年ぐらいの常識だもんな。
今後は “働く” とか “生活費” とか、そぉいう感覚も変わってくる可能性は十分ある。
36:電流の通ったフェンスの中に閉じこめられた犬は、2、3度痛い思いをすれば、どこから先に行ってはいけないかを学習する。目に見えないフェンスでも同じことだ。犬は自由に歩き回ることはできない。そのうちに、フェンスの外に出ようとすらしなくなる。
⇒AZZLOが在籍する組織は、意図的に電流を流してるんじゃなくて、漏電しまくってる感じだよな。修理しようとして余計強めちゃったりとかしてるしな。やはりコントだな。
仮に意図的な電流であったとしても
だからな。どっちみち生産性には寄与しない・・・w
37:フリーエージェントにせよ企業の従業員にせよ、大半の労働者は単に時間を切り売りしているだけではない。能力や専門技術、アイデア、創造性を売っているのだ。こうしたものはすべて、数字で計るのが難しい。とりわけ、テイラー主義的な時間という物差しではなかなか計ることができない。それでも、工業経済的な時間の概念はまだ死んでいない。弁護士業務や広報業務のような知識型の仕事の場合も、いまだに報酬は労働時間を基準に支払われている。顧客の立場から言えば、短時間で出てきた優れたアイデアより、長い時間をかけてようやく出てきた使い物にならないアイデアのほうがコストが高いということになる。
⇒この指摘は大半の企業でも病気のようになってるな。簡単な事をあえて難しくして疲弊して労働実感 (自尊心) を獲得しているだけな事象が少なくない。
- 「なんか資料しっかりできてるんだけども・・・結局何も言ってねぇwww」
- 「言ってるけど 『うんこは臭い』 って、そんなん知ってるし!!!」
みたいのとかなぁ・・・。
38:「自分の問題を頭から追い出して、他人の問題について考えているから、自然とアイデアが湧いてくる。そういうことが何度もあった。いちばん得るものがあるのは、自分の問題について考えているときではなく、他人の問題を検討しているときだ」。そう、フリーエージェント・ネーションでは、「与えた者が得る」 のである。
⇒代理店のマネタイズではなく、企業のメリットを真摯に考えればプレで勝てるって事だよな。(そうじゃないから負ける)
上司が身を削っているから 「お助けしたい」 という忠誠心が生まれるしな。
39:シマンテックを辞めてフリーエージェントになった男性は、とてもうまいことを言った。「シマンテックで働いていちばんよかったことは、みんなが会社を辞めていったことだ。おかげで、あちこちの会社に人脈ができた」
⇒AZZLOもそう思う。同士は別に同じ場所に居る必要はないと思う。
昨日はアポ取りに8ヶ月かかった企業に "シーン創出の上でもろもろマネタイズ♪" の提案をした。
「ウチに転職してくださいwww」
と言われる程盛り上がり
「同士が "社外には" 居る事が確認出来て良かった」
と言われた。自分も確認出来て良かった。
— azzlo (@azzlo) 2015, 2月 3
こんな事があったり、ちょいちょい他社からお誘いは頂いたりするが、
- 「各地に潜伏していた方が狙いは達成出来ますよねw おいおい合流させて頂くタイミングがあるかもしれませんが、今はまだ良いのではないでしょうか?」
的に話してたりするもんな。
41:「会社だと、オフィスで暇にしている人が3人いれば、次に仕事が入ってきたときに担当するのはその人たちということになる」。つまり、いちばん手近にいる人間のところに仕事が行く。しかしそれは、必ずしもいちばん適任の人物とは限らない。
⇒AZZLOが所属する組織では、向き不向きは多少は考慮するな。とは言え “処理” という概念も強く、”誰でもいい” という軸足も強いな。
40:忠誠心と保証の交換というシステムが崩壊し、チャンスが増えるのと引き換えに不確実性が高まって、心の錨を失ったように感じはじめる人が増えた。そして人々は、この荒れた海に乗り出していくために、助けを必要とするようになった。
⇒スペシャリストの集い という結社的なグループに参加させて頂いているが、その辺をそれぞれケア出来てるしなぁ。
42:臨時社員としてやっていかなくてはならない以上、せめて待遇についてひと言言わせて欲しい。
⇒そうなんだよなw そもそも既存正社員では出来ないからこそ、スキルを持った人、もしくは単純にリソースとしての処理班に期間限定で来て頂いているのだから、本来高めじゃないと成り立たない。
43:悪質な雇用主のなかには、正社員への登用というエサを目の前にぶら下げておいて、何年たっても臨時社員の待遇を変えようとしないケースもある。
44:劣悪な労働条件を強いられている臨時社員を 「テンプ・スレーブ (臨時社員奴隷)」 と呼ぶ。「給料は低いし、付加給付も保証もないし、敬意を払われることもなく、白化ネズミのように永遠に同じ場所をぐるぐる回っている」
45:臨時社員は、金についてだけでなく、仕事のやりがいの面でも不満を感じている。臨時社員として低い給料で働いている人は誰でも、仕事は救いようがないほど退屈だと身にしみて感じている。退屈な仕事を 「脳みそ泥棒」 と呼んだ元臨時社員もいた。窓もない部屋でひと言も口を利かずに、銀行の発表文章の校正を延々と続けている人もいる。ファイルのラベルを貼り直したり、アイスクリームの容器のふたがしっかりしまっているかどうか検査するだけの日々を過ごしている人もいる。ある調査によれば、「臨時の労働力に与えられる仕事は、概して組み立てラインのいちばん単純な反復作業、つまり誰にでもできる仕事である」 という。これでは、自己実現など成し遂げられるわけがない。
⇒とは言え、そぉいう反復作業しかやりたくない人も少なくないんだよなw
“仕事人” “作業人” は向き不向きがあるので、共存が出来るのが一番良いと思う。
課題は “作業人しか居ない企業” だと思う。
46:社会学者のアーヴィング・ゴッフマンは1959年の著書 『行為と演技—日常生活における自己呈示』 で、「非人間」 という概念を提示している。ここで言う 「非人間」 とは、「その場にいるのに、存在しないかのように扱われる」 人たちのことだ。子供や高齢者、召使いや給仕などである。
⇒ “反復作業こそが仕事” みたいな教育は “合法的奴隷” の為の種まきだよなw
故に 「つまらないけど反復作業しかしません」 というのは、ある側面真っ当だと思うw
この成り立ちを知らないで 「ウチの社員は使えない」 等と嘆く偉いおっさんは、採用段階で間違えていると思うなw
48:テンポン:社員ではこなしきれない仕事を処理するために雇われた使い捨ての臨時社員。仕事が終われば、あっさり捨てられる。
⇒42番と紐付くが、故に手取りは高めにしないといけないと思うな。そして無理に正社員にする必要がないと思う。”臨時社員=劣化版” みたいな考え故に “おいおい正社員化” という気遣いと期待が出てくるのだろうが、そもそも意味が違うと思うw
例えば、イベント運営のヘルプスタッフ・コンパニオンなどは、バイトとしてはやや高めの時給である事が少なくない。しかし当日の現場が終われば、次の現場を決めなくてはならない。その面倒臭さと随時発生する人件費ではない訳だから、割高なのは当然だと思う。
49:「すべての人が同じ年齢で引退するという制度と雇用主の負担による企業年金の制度は、官僚制の発展と大企業の成長とともに形成されたものであり、このシステムの普及に拍車をかけたのは、高齢の労働者の生産性は総じて落ちていくという考え方だった」~中略~
しかし21世紀を迎えて、こうした前提は非現実的になってきている。数十年先には、奇妙なアナロニズムとみなされるようになるかもしれない。工業経済の時代には、年を取って曲がった背中は大きな負債だったが、知識経済の時代には、年輪の刻まれた脳ミソは大きな財産なのだ。
⇒丁度今ぐらいの時代はキータイプが出来れば、高齢のデメリットは相殺される領域が多いな。
しかし、今後キータイプ以外の入力装置が普及した時には、一度 「高齢は使えない」 という時期もくると思う。AZZLOが高齢になった時には若手からそう言われるだろうw
そしてビッグデータ・ライフログは、個人単体ではなく集合知にも出来るので、”高齢者の知識よりもビッグデータ” という事になってしまうw
過去の経験に伴う知識依存の高齢者は一歩間違うと “邪魔な爺さん” となるしなw
「そうだ!早く死のう♪」 になっちゃうよなぁ・・・。
50:自己実現を追求し続けてきたベビーブーム世代にとって、のんびり老後の生活を送るのはかえってつらいのかもしれない。年老いて死を意識するようになれば、彼らはますます人生の意義を追求するようになるだろう。その欲求は、ボウリングやトランプでは満たすことができない。多くのベビーブーム世代は、仕事を通じて人生の意義を追求しようとするだろう。
⇒気持ちは人として分かるけども、”組織を利用して自尊心担保” はビジネスではないので、それは辞めて欲しいな。煙たがられて自尊心の担保も出来ないw
今はそうではないように見えても、葬式には誰も出席してくれないだろう。
51:公立学校を訪れると、私はいまでも目眩がしそうになる。校舎に一歩足を踏み入れた瞬間、ノスタルジーの波がどっと押し寄せてきて、失神しそうになる。いまや21世紀だというのに、どの学校を訪ねても、たいてい1970年代に私が通ったオハイオ州の公立学校とそっくりに見える。教室の広さも変わってないし、机も昔と同じように並べてある。廊下の臭いまで同じだ。
⇒100歩譲って 「黄金比だから」 というのは言えるかもしれないし、小学校低学年までの読み書きレベルであれば、今のままの教室でも良いかもしれない。単純に知識なので。(もっと良いやり方もあると思うが、不味くはないのかもしれない)
しかし読み書きではない授業や、小学校高学年以上は、今の教室のスタイルは黄金比からはズレがあるように思うな。
まず “話す人(先生)がいて聞く人(生徒)がいる” という押し売り・受け身スタイルそのものがなんか違う気がするw
振り返ると、”理科の実験” は好きだった気がする。”みんなで試してみる” という事だからだろうな。
という考え方もあって、”先生=人” というのがやや旧世紀的なのかもしれない。が、旧世紀生まれのAZZLOとしては “FACE TO FACE” には拘りたいかな。リアルなアナログの世界なので。
52:人類の歴史の大半を通じて、私たちは 「師匠」 や家族にものを教わってきた。教育史学者のデーヴィッド・タイアックによれば、19世紀のアメリカでは、「学校は自発的なものであり、付随的なものだった」。子どもたちは、基本的な教育を親から受けていて、学校にはときおり顔を出す程度だった。~中略~
学校での義務教育という制度は、歴史的に見て例外であるだけでなく、現代社会における例外でもあるのだ。しかし、オーガニゼーション・マンを養成するためには理想的なシステムだった。学校教育は、未来の工場労働者や中間管理職に、仕事で必要な基本技術や知識を授けてくれた。勉強以外に学校生活を通じて学ぶことも、オーガニゼーション・マン経済にとって同じように重要だった。子どもたちは学校で、ルールを守り、命令に従い、権威を尊重することを学び、それを拒んだ場合には罰が待っていることを学んだ。
53:オーガニゼーション・キッズは、同じ時間に同じ場所で、同じ方法で同じことを学ぶ。社会学者のマーシャル・マクルーハンは、学校は 「子どもを放り込んで加工する均質化装置」 であると書いている。全国共通の学力テスト、一律のカリキュラム、均質化された子どもの集団 (同年齢の人間だけが押し込められた部屋で1日過ごすことなど、学校以外ではまずあり得ない)。学校はは、工場の業務処理の方法を一種の信仰にまで引き上げたのだ。
⇒ “従業員” “処理班” “言いなり奴隷” 全て当てはまるなw
54:「学校に通うというのは、12年間の懲役刑で人生を始めるようなものだ。そこで学ぶのは、実は悪い習慣だけだ。私は学校で教師をしていて、賞までもらった。だからよくわかる」。これは、元教師のジョン・テイラーガットの言葉だ。ガットは1991年にニューヨーク州の年間最優秀教師賞を受賞した人物だが、現在は在宅教育という新しい潮流の旗振り役になっている。
幼少の頃に、ロータリークラブの偉いおっさん達 (政治家とか) に
- 「君は学校には行かなくて良い。学校とはバカ養成所だからだ。」
と言われてたのを思い出すなw
※AZZLOの高学歴者批評 (ほぼ批判) はこの発言が大きく紐付いている。
55:90年には、全米で在宅教育を受けている子どもの数は30万人に達した。93年には、アメリカの50州すべてで在宅教育が合法化された。それ以来、キリスト教教育の推進とは無関係に、質が悪くて危険な学校に不満を抱く親たちが在宅教育を普及させている。現在、在宅教育を受けている子どもの数は全米で170万人。その数は、毎年15%の割合で増えているという。18歳未満の子どもの10人に1人が在宅教育を経験している計算になる。
⇒年15%増ってハンパ無いなw すぐ100%になってしまうw
とは言え、同年代の人とコミュニケーションを図るというのも、非常に大事な学びはあるので、そぉいう機会はケアしたいよな。
56:在宅教育を受けている子どもは、社会性の面でも概して極めて好ましい傾向が見られる。在宅教育に対する最も大きな誤解のひとつは、社会性のない子どもが育つというものだ。しかし実際には、在宅教育を受けている子どもは、従来の学校に通う同世代の子どもより大人と接する時間や地域社会で過ごす時間、違う年齢の子どもと付き合う時間が多い。ブライアン・D・レイという研究者によれば、「従来型の学校に通う子どもは、在宅教育の子どもに比べて攻撃的で騒々しく、負けず嫌いな傾向がある」 という。
⇒あぁ。AZZLOは小4から芝浦GOLDに通っていて、バブルガム・ブラザーズとか、RIKACO(村上里佳子) とか、そぉいうお兄さんお姉さんに遊んでもらってたのが、類似性だなw
その上で、デニーさんのバーで合うエディトリアルの重鎮の人に
- 「よくまぁ、その流れでマトモに育ったよなぁwww」
と言われるもんな。
逆に、従来型の学校に通った、いわゆるAZZLOが批評 (ほぼ批判) する高学歴な方々は、大雑把に言うと “論理なくキレやすい” というのはAZZLOから見ても思うな。
「プレで負けたらその損失額を個人の金で補填出来るのか?」 と問われたが 「『補填しますよ♪』 とこっちが言ってもそうできないでしょ?」 と言ったら黙ったw 不毛な質問だったなw
— azzlo (@azzlo) 2015, 1月 15
この事象とか露骨にそうだからなw
57:レゴの積み木遊びに夢中になっている5歳の女の子がいるとする。毎日長時間、農場や動物園、飛行場、宇宙船など、手の込んだ 「建造物」 をつくって過ごしている。友だちが遊びにきて、一緒に 「建物」 をつくることもある。この子は、誰かに指図されてレゴ遊びをするわけではない。いつレゴ遊びをしろだとか、どういうふうにやれだとか、指図する人はいない。それにもちろん、完成した 「作品」 に先生が点数をつけることもない。それでも、この子は 「学んでいる」 と言えるのだろうか? 答えはイエスだ。在宅教育の子どもたちはこういうふうにして物事を学ぶのだ。
⇒この子は 「学んでいる」 と言えるのだろうか? 答えはイエスだ。
という箇所にもの凄い違和感を感じるんだよな。あまりに当たり前体操な事なので、フックになりえない気がするw
おそらく 「ノー」 という見解も存在するのが現実なんだろう・・・。
58:ここでお節介な大人が首を突っ込んで、レゴ遊びのやり方を教えてやるとしたらどうなるだろう? 大人は、毎日45分間レゴで遊びなさいと、子どもに指図するかもしれない。子どものつくったものに点数をつけて、いい点数の場合にご褒美をあげるかもしれない。同い年の5歳の子どもを集めて、同じことをやらせるかもしれない。全員一緒に、一斉に同じものを45分間つくらせて、成績をつけて、いちばん点数のいい子どもに商品をあげるかもしれない。そうなればすぐに、5歳の女の子はレゴに対する情熱を失ってしまうに違いない。この子の作品は創造性がなくなり、学習効率は悪くなるだろう。これが、従来の学校でやっていることなのだ。
善意の大人たちは、遊び、学び、自分でなにかを発見していくという自由を子どもから奪ってきた。
- “偉いおっさんが監視するアイデア出しチーム (という名の労働疲弊履歴発生装置)”
が、どうやら事例集めしか出来てないらしいしw
- “フィギアスケートの若い子のコメント”
とかも、洗脳されてる発言だしな。
- 「・・・そんなお父さんが大好きです!」
なんていう作文発表会も洗脳だし、場合によっては子どもが親を転してたりしなくもないけども、大人の自尊心の担保に子どもを利用してたりするケースは少なくないからなw
59:子どもでも大人でも、学校や職場、家庭で自由を奪われ、賞罰のシステムを押し付けられると、やる気を失い、学習や仕事に喜びを感じなくなるという
⇒AZZLOは小学校時代、いわゆるテストの点は良くて開成中学行けるぐらいの偏差値はあった (一応目指してたw) んだが、周辺の大人の期待 (塾の先生とか)を感じた瞬間、「ダカラナニ?」 と思ったんだよなぁw そっからアホ臭さをより強く感じたので学校嫌いが加速したなw
その頃は明確に整理出来てないけど
- 「オレが開成入れたら塾のステータスが上がるんだろ?故に期待してんだろ?・・・オレはお前の為に勉強してんじゃないから!!!(だったらせめて金こっちに払えよ。持ちつ持たれつだよ)」
というのがコアだったんだろうなぁ・・・w ほんと生意気なガキだよなぁw
60:責任を持つという点はどうだろう? 女の子は、出来上がったレゴの作品に完全な責任をもつことはなくなった。レゴでなにをつくろうと、すべて他人に命令されてつくったものでしかない。作品の出来栄えがよくても悪くても、それは、もはや自分のものではないのだ。
レゴの作品の評価についてはどうか? 子どもは自分の作品に 「A」 の評価をもらっても、やる気が出ないというのか? たぶん、そんなことはないだろう。しかし、その評価は自分自身の基準に従ったものではない。女の子は、「A」 の評価をもらった作品より、「B」 の作品のほうが好きだったかもしれない。けれど、これからはそうした感情を捨てて、他人の基準に従って行動するように努めなくてはならない。思い切って、憧れのスペースシャトルをつくるべきだろうか? おそらく、それは得策ではない。いい点数がもらえない可能性が高いのに、わざわざそんなものをつくってなんになるのか? ここは自分なりの基準で成功を定義するなどという発想とはまったく無縁の世界なのだ。それに対して多くの在宅学習者は、成功を自分なりの基準で定義している。
- “自分がイケてるかどうかは自分自身しか評価出来ない”
なんだよな。
とあるプロダクションさん社長 (先輩の友達) にコレを言ったら
- 「あぁ・・・君はそうなんだね」
と呆れられた雰囲気だったのを思い出したw
従業員に呆れられるならばまぁ納得だが、社長さんのそんな対応は意外だったなぁ。
61:レゴ遊びの例を使って、自分らしさについても考えてみよう。人は誰でも、他人の基準にはめられるのではなく、ありのままの自分でいたいという願望をもっている。あの5歳の女の子は、自分自身の意思に従って行動しているという実感を失ってしまった。代わりに、あるメッセージを受け取った。それは、きみはパパが会社に行くのと同じ理由で、つまり偉い人にそうしろと言われたからという理由で、レゴの積み木をつくらなくてはならないのだ、というメッセージである。
⇒使命 (モチベーション) が義務になると、途端につまらなくなるんだよなw
故にマネジメントに紐付くが
- “義務を使命(モチベーション) にすり替える”
ってのが、直近を生きる上では、マネジメントの手腕だと思うな。戦時中の「お国の為に」 や 「世界救済の為にサリンを◯△□・・・」 とかと同様。
62:かつて若者は、経験豊富な師匠に弟子入りして、技術や専門知識を学んだものだ。そのシステムがよみがえりそうだ。それは、配管工事などの分野に限った現象ではない。コンピューター・プログラミングやグラフィック・デザインなどの分野でも指定制度が見られるようになるだろう。たとえば、14歳の子どもが学校で毎週いくつかの授業に出席し、それ以外の時間は商業美術の見習いをするようになるかもしれない。
⇒ “奴隷育成プログラム” はアナログな人間に対しては無理だったんだよな。故にペッパー君に全てを奪われるハズ。
一周回って “人だから出来ること” という事を見つめなおす時代になるんだろう。
人は飯食わないと→飲食業→酒あったら良い→居酒屋最強 (リアルにおいては)
という感じがするんだよな。
あ、そもそも “ほんとの金持ち” は不動産やら高級車なんかじゃなくて、”植物の種” 買ってるんだもんな。やっぱそぉいう事だよなw
63:将来は、たとえば、数学と会計、それにビジネスの基礎を複合した新しい教科が誕生するかもしれない。
数学・会計はまぁスキルとしてあるに越したことはないし、ビジネスの基礎ってのは、そもそも足し算引き算だしw その上で気付かない人ってのは、もうしょうがないって気がするw
- “疑問を持つこと・気付くこと”
が、何よりも必要な事だと思う。その先のスキルは後からどうにでもなるが、その以前が無い限りスキルがあっても何も起きないw
簡潔に言うと “ダイバーシティ (multi-culturism)” があるか否かであって、その素養を持つには・・・、少なくても均質化された学校に行く事 (だけ) ではないんだよな。
- “差異を検証する為に学校にも行ってみる”
というのはアリだと思う。
・・・AZZLOが会社員を目指した理由の一つもそぉいう理由だったなぁ (遠い目)
もう一つは 「フリーでやっててスキル的に限界感じたから、『得意分野を組み合わせる』 的な事やりたい! 自分みたいな人は少なくないハズ!」 だったなぁ (遠い目)
あ、裏には 「真鍋大度方面(プログラミング)は自分は相性悪いわ・・・」 っていう挫折もあったなw
64:画一化への反発:高校の卒業書は、いまやかつてのような 「品質保証書」 としての価値をもたなくなってしまった。そこで政治家たちは、高校卒業証書の価値を取り戻すために、生徒が卒業を認められるためのハードルを厳しくしようとしているようだ。~中略~
大半の政治家は、今日の高校が抱えている問題を解消するためには教育に対する管理や統率を強める必要があると思っている。しかしそれでは、問題は解決しない。実際に必要なのは、フリーエージェント龍の処方箋、すなわち管理や統制を弱めることなのだ。フリーエージェントの時代には、ティーンエージャーは学校に通うよりも 「実践」 を通じて、様々なことを学ぶようになる。
“既存の奴隷システムにこそ権威というか価値がある (様に見せかけたいし、それで生きてきたから信じたい)”
という依存に必死状態って事だよな。ん~・・・それでは国力としてマズいし、そもそもの目的じゃなくて “てめぇのマネタイズ+自尊心ケア” が優先されてるって事だよなぁ・・・。
65:公教育というオーブンの中に子どもを12年間入れて、しっかり焼けたら、企業などの雇用主に引き渡していた (選ばれた一部は、大学という名の場所であと4年間、最後の仕上げをされた)。しかし、企業の寿命が短くなり、知識や技術があっという間に時代遅れになってしまう時代には、このモデルはもはや機能しない。フリーエージェント経済の時代には、人々が生涯を通じて学べるようにするシステムが不可欠だ。学校を卒業しても、まだ人生の4分の3は残っているのだ。
⇒今後は、より生 (レア)の時代というか、「焼かなくても・・・いや、焼かない方が美味かったじゃん!」 というのが明確になっているという事と言えるな。
もしくは 「今までコゲだけ食ってたのか・・・多少汁が出るからそれを旨いと思ってたが・・・」 みたいな事かもな。
そして、AZZLOが指摘する “入社したらミッション完了。その後使えない” は、継続して学ぶ姿勢がないが故と言える。
それは個々の姿勢もあるが、「変化を必要としない。作業を頑張ればなんとななる!」 という組織の論理も同時にあって、必要を感じても取り組めないってのもあるだろうな。
66:21世紀には、立派な大学の卒業証書よりも、インターネットへのアクセスと賢明な仕事仲間のネットワークが知識への切符になる。しかも、生涯を通じて、その切符を何度も使うようになるだろう。
67:学位の耐用年数が短くなるにともなって、教養を身につけるというより、特定の技能を身につける目的で大学に行く人が増える。知識を身につけたいというニーズは、時間や時期を選ばない。人々は、実際に必要なときに高等教育を受けたいと考えるようになるだろう。裏返せば、学位を取得する前に大学を離れることがあってもいい。オラクルのラリー・エリソンも、アップルのスティーブ・ジョブズも、映画監督のスティーブン・スピルバーグも、大学を卒業していないのだ。
ま、必ずしも低学歴ほどイケてるとは限らないが、同時に高学歴ほどイケてる訳でもないし、むしろ 高学歴の弊害が現代では多い という事をAZZLOは言いたい。
68:すでに、アメリカの大学生の40%が25歳以上だ。「いくつかの予測によれば、数年後には、35歳以上の大学生の数が18歳と19歳の学生の数を上回るという」 と、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は書いている。
⇒ いずれにしても “大学出たら就職” という導線は明確におかしいと思うな。
そもそも、20代前半でやりたい事が整理出来る訳がないと思う。今まで働いた事もないのなら尚更だw
AZZLOで言えば11歳ぐらいでDJを目指し、20歳ぐらいまでやって、インターネットの可能性に気付きつつ “サラリーマン” に憧れてw WEB的な会社を転々として、たまたま辿り着いた今の組織で、広告領域における “企業と生活者のポジティブな関係をマネジメント” という媒体問屋ではない意味で夢中になってみたりw その上で今は教育分野に感心が高いからな。
今後、教師的な事を仕事にするかもしれないし、(文部科学省認定の先生は無理だろうがw)その周辺でサポートする事をするかもしれないし、”マイノリティにはソウルがある!” という軸でホームレスを目指すかもしれないw
- “線で結ぶ為の点を得た上で、線引きに必要なスキル?知識?を得る為に大学に行く”
という事であれば、真っ当な大学の活用法だと思う。決して就職の為ではないんだよな。
今の流れだと
これが現実だからなぁ。
証明書はあっても目的である “記憶量” に課題が・・・w ま、このコメントをしている学生は違和感を感じるだけマシだとは思う。
彼らは就職した上で
- 「なんでオレの事採用したのかなぁ?」
69:現代社会において、一流大学に通うことの目的は3つある。社会に出るのを先延ばしすること、仕事を始める際にある程度有益な 「証明書」 を手にすること、友人のネットワークを築くことの3つだ。
⇒証明書がないと信用してもらえない人だからこそ大学に行きたがるとも言えるしw その証明書で人事判断をする人事は、「考えてない」 というのはあるよな。
70:名門大学に入学できるのは、従来型の (すなわち時代遅れの) 教育制度でいい成績を収めてきた若者だ。
71:ウィークデーのデスクやオフィス、個人用作業スペースの利用状況を見た場合、常時その7割が空席になっているという。週末や休日も計算に入れると、使用中のデスクの割合は15%程度にすぎない。
現在、平均的なオフィス (小売業を除く) は、面積の8割が個人の作業用スペース、2割がミーティング用スペースになっている。その結果、ほかの場所でもできる仕事をするために通勤を強いられる一方で、大勢が同じ場所に集まって働く最大の目的であるはずの共同作業向けのスペースが十分に取れないという状況が生まれている。~中略~
未来の職場は、個人用のスペースが20%、「着陸スペース」 (ノートパソコンで作業をしたり、電子メールを送受信したり、ちょっと電話をかけたりすることのできるスペース) が20%、会議室などの共同作業スペースが60%という比率になるだろう。会社員は、出社すべき明確な理由がある場合以外は、会社に出てこなくてよくなる。
それによくある定時の出社規定とかも
「オレは朝遅刻しないから仕事しなくて良い。AZZLOは朝来ないから仕事しなくてはならない」
という某先輩の名言が、論理的 (へりくつ) には成り立っちゃうからなぁ・・・w
72:「規模の経済」 の恩恵を受ける企業はとほうもなく巨大化し、国家の規模に近づく。一方、企業の小規模化もさらに進行し、フリーランスやミニ起業家は増え続ける。しかし、その中間の規模の企業は、消滅するか、そうでなくても存在感が薄まるだろう。経済の新しい生態系では、たくさんの象ともっとたくさんのネズミが活躍し、その中間サイズの種は滅んでいくのだ。
⇒知人のフリーランスさんは、数人でオフィスを借りて、その数人で一つの案件をこなす時もあれば、それぞれ個別の案件をやってる時もある。更に人数の増減に合わせて引っ越しをしている。
そんなフレキシブルなブロジェクト毎、それも同期してたりしなかったりという状態が本来の姿だもんな。
1つの会社組織でも、一緒に仕事する時もあればそうでない時もある訳で、それを会社内だけに限定する必要は全くないと思う。
内緒話なので、何に対してかは書けないが
- 「社内メンバーでやれるならば学びはない」
という指摘もある。
チームメンバーは同じ場所に居なくても良いんだよなぁ。
73:大半の管理職は前時代の遺物になる。典型的な管理職がなにをやっているか考えてみてほしい。管理職の主な役割は、部下を監視すること、そして上から下へ情報を伝達すること。このいずれの役割も時代遅れになる。会社のオフィス以外で働く人が増え、チームで仕事するケースが増えれば、上司による部下の監視は無意味になる。
⇒そもそも監視しなきゃいけないヤツを入れてる時点で間違いだからなw 監視するにしてもセコムに頼んだ方が安いしな。
偉いおっさんにコレを言うと
「みんなそんな優秀じゃないのよ・・・。優秀な人採用するの大変なんだから・・・」
とか言われるが、周辺の先輩の事象が憧れる内容だったら、自然と優秀 (憧れた上で似る) になると思うんだけどな。ま、理想論である自覚はあるが・・・。
現代では、”仕事出来ないヤツの労働疲弊履歴獲得の為にだけ存在するポジション” という側面が強いよな。
※監視じゃなくてマネジメントとしての管理職であればポジティブな管理職だと思う。
74:潤沢な資金をもち、一大ビジネスを築きたいという野望を頂くiグランドペアレンツの3人の創業者たちは、グランマ・ベティの家のリビングルームでベーグルにクリームチーズを塗り、カフェインレスコーヒーを口に運びながら、失業した68歳の女性が産み育ててきた個人ビジネスを売ってほしいと頭を下げなくてはならなかったのだ。
⇒いわゆる会社組織って “出来ない理由 (論理ない言い訳)” を探すから周回遅れで、燃費悪いからな。
今までは国内全体でなんとなくそんな感じだったけど、いわゆる “グローバル資本主義” が加速している今は、どんな業種も外資に持ってかれるリスクが高まったと思う。
武田薬品というお固そうな大企業が、社外の外人を社長に迎えた訳し
- ・サントリー
・三井物産
なんかも、通常の 出世 ローカル昇進レールとは違う事が起きてるもんあ。
ま、武田やサントリーの例は、引き取ってくれる優秀なプロ経営者に選んで頂かないといけないけどなw
今やっているマネタイズ手段は “過去に誰かがリスクを取ったから” であるんだけどな。自分らもやらない限り、一般的なビジネスはコモディティー化する訳だから、当然儲からないからな。
・・・そもそも10年前の本なんだよな。日本はアメリカの10年遅れとかよく言われるが、実際、最近はシェアオフィスが増えてるし、AZZLOの周辺の人たちは 「次、転職するならば・・・フリー」 という声は非常に多いし、退職と同時にフリーになってる人が半分ぐらいの印象がある。
新装版が出てくるというのは、日本の今と親和性が高いからだろう。
AZZLOは過去にフリーだったから、特に憧れる訳でもなく目指す対象でもないし、いわゆる会社員でもこの本の指摘のように既にやってるんだよな。コンプレックスが強い “従業員” な人達から冷たい視線を感じなくもないがw
新たな事に取り組み成長する企業は、こんな感じだし
最近株価があがっている (ま、大半の企業が上がってるんだけどもw) タカラトミーはこんな感じだ。
信じないというのは、まず自分自身を信じてないからだろうしなぁw
AZZLOが在籍する組織では、真逆方向も強いが故に、売上向上が無いし、その上で無駄な経費も垂れ流しw なので、そら儲からないよな~。
ま、改めてAZZLOが在籍する組織は自滅に進んでいると、今更の今更の今更・・・・過ぎるが、より確信が強まったなw (いつまでやるんだろうな~w)
“10年で3割減収の男 (与沢翼風)” だから 「さすがです与沢パイセン!」 的にネタとして面白いんだよなぁw
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