2004/7/1発売。2015年7月の読書。
近年 “ワークショップ” とか流行りだが、ネットコミュニケーションの台頭によって “FACE to FACE によるコミュニケーション” が見直されているだけの事に感じている。
ワークショップの旨味を突き詰めて考えると、サロン的な事だと思うので、当然必要な事だとは思う。しかしサロンとの違いは “溜まり場” であるか否か、”白熱灯か否か” “酒があるか否か” だと思うw
溜まり場ではなく蛍光灯で酒もないワークショップには全く可能性がない、ただの労働履歴でしかないと思うw 故にこれらが 欠落している分をファシリテーターが補う必要を感じている。
その点、2011年のad:tech tokyoで見た徳力基彦氏の場の作り方 には感動して、ちょっと憧れていたのだがw 徳力氏はその欠落している分を補えているし、”寸劇” にすら昇華出来る凄いスキルの持ち主だと思う。
要らんワークショップと徳力氏のような人の差異を確認する為に、この本を手に取った。
1:課題は、 「経営が逼迫するなかでコストのかさむ顧客の要望にどうやって応えるか」 というもので、双方が満足する解決策をチームで話し合ってみつける演習です。それに対して、さも当然のように 「要望の内容をアンケートで確かめる」 「顧客と企業の話し合いの場を持つ」 「顧客の声を盾に社長を説得する」 という珍回答が続出したのです。
「なにが悪いのだろうか?」 と不思議に思った人は、緊急入院して集中治療を受ける必要があります。
アンケートは一次段階でしても良いと思うが、その結果は 表層的な皮の部分なので、実がなんなのか考えないと意味ない。 皮で分かる事は “手足が4本” “茶・黒・灰のパターンがある” “歩くより走った方が速い” とかでしかなくて、人間とも馬とも言える状態の事でしかない と思う。要は 顕在意識であって潜在意識はない。
顕在化している要望なんて、「それオレに求めるぅ?www」 な事だったり、しょせん無理難題だったりもする。それに全て対応しても売れるとは限らないし、むしろ売れない実例が多い。
「この言葉の裏の熱はこぉいう事かな? ・・・であれば僕らにはコレが出来るよな?」※今すぐ出来なくて良い。
的な分析で繋いでいかないと、マーケティングとは言えないと思うな。
2:たくさんの要因が複雑に絡み合う問題となると、関係する人々が力を合わせないと問題は解けません。
そのために考えだされたのが組織です。たくさんの人の知恵とエネルギーを合わせ、一緒になって問題解決を図ろうとするのです。そのためには、異なる意見を調整し、コンセンサスを生み出していかなければなりません。恊働によって、一人では対処できない大きな問題を解決していくのです。
⇒おそらく組織の起源はそうではなくて、単純に処理力の為の集合であり、適材適所的な発想ではないと思う。全てにおいて、数人における恊働があって、拡大として処理力を必要とし、コモディティ化への対応として、また新たに数人における恊働が起きる。常にその繰り返しだと思う。
今は全体的に コモディティ化の底と産業革命の境目 だと思うので、協働 (新たに起こる事) 的な事が持て囃されつつ、ITによる処理力が既に担保されているだけに、恊働への信仰が強まっていると思える。
3:今まで一般市民は合意形成にほとんど関与できず、おカミ (行政や政治家) にお任せするしかありませんでした。しかも彼らは民主的とはほど遠いやり方で意思決定を進めてきたため、市民の知恵とエネルギーをつむいでいくノウハウが育っていないのです。
⇒市民は、ただ利己的な不満を言うだけだったりして、ディスカッションが出来なかったりするからな。その点おカミは 最低限 “聞いてるフリ” は出来たりするw
4:リーダーのもっとも大切な役割は、組織の方向性を決めることです。複雑な環境に対して、組織が存在する意味 (ミッション) を明らかにし、組織が目指す目標 (ビジョン) とそこに至る道筋 (戦略) を指し示します。その上で、自らが望ましい行動の模範を示しながら、人をつくり組織を育てていきます。
- 目標:儲かる
道筋:頑張る
模範:やってるフリ
AZZLOは仮に偉くなっても、こうはならない、その濃度は薄めだとは思うが、気を付けようと思うw
5:もはや、少数の人間が組織を率いていくのは難しく、たくさんの人々がそれぞれの持場でイニシアティブを発揮していかなければ動きません。上位の者が決定し、下位の者に動機づけや命令をするのではなく、一人ひとりがなすべきことを考え、関係する人々を巻き込み、その連鎖で組織全体を動かしていかなければなりません。環境変化のなかで、自分や組織の意味 (Why) を問い直し、自律的に行動するのです。
⇒「それだと偉いおっさんの威厳が・・・」 みたいな声が世の中的にあるらしいが、そぉいうのは “偉いおっさんの自尊心担保の為に組織を個人利用している” と言えるしな。それで儲かるならまぁ別に良いと思うが、もうそぉいう時代ではないと思う。
6:今までのリーダーは、コンテンツにもプロセスにも強い指導力を発揮していました。それに対して、ファシリテーターは、コンテンツはメンバーに任せ、プロセスのみにイニシアティブを発揮します。いわば黒子 (演出家) 的なリーダーです。自分の意見を押し通すのではなく、メンバー一人ひとりがリーダーとなるように育て、多数のリーダーを合意によって束ねていきます。
⇒テレビ番組の司会者とかそぉいう感じだもんな。田原総一朗は違うけども。
7:支援型リーダーは組織に一人とは限りません。組織の代表者が支援型リーダーとなってもよく、また代表者とは別に支援型リーダーがいても構いません。メンバー全員が支援型リーダーとなり、組織のハブやポータルとして活躍し、時と場合に応じて代わる代わるリーダーシップを発揮していくのが理想的な形です。
こういう話をすると、「これで組織が回るのか?」 と疑問に思う方が多いと思います。もちろん、組織が回っていくには条件があります。一つ目は、ミッション、ビジョン、バリューなど、組織としての大まかな方向性が共有されていることです。二つ目は、環境に対する認識が正しくなされ、それが組織のなかで一致していることです。三つ目は、メンバー間の相互理解が進んでいることです。この三つがそろえば、自律分散的に活動をしても、おのずと統一のとれた方向に組織は動いていくのです。
8:組織を取り巻く環境が大きく変化するときは強いリーダーシップが、安定的なときは緻密なマネジメントが、変化が絶え間なく起こるときはファシリテーションが適しているといわれています。今はまさにファシリテーションが力を発揮するときです。リーダーシップとマネジメントに偏った組織管理のあり方を大きく見直さなければならない時期に来ているのです。
⇒あとリーダーシップとマネジメントも、今一度見直す必要があると思う。
- リーダーシップ=虚勢
マネジメント=監視管理→懲罰
では、どの時代でも必要ないと思うw
9:相乗効果を発揮させるには、多様な考えを持った人々が、自由に安心して意見を交換できる場をつくるのが一番です。そのなかで、互いの考えを共感とともに理解させ、異なる知識や文化をぶつけ合わせます。そうして初めて、チームの良さを活かした斬新なアイデアや深い学習が生み出されていくのです。
総中流で、同じような “理想の家庭” を目指す環境で育った人たちでつるむ一般的な組織では、当然起こる訳がない ので、“ワークショップ” が魔法に思えるんだろう な。
10:このとき、戦略が優秀で納得性が高いのが一番よいのはいうまでもありません。意外なのは、戦略が優れていて納得性が低い場合より、戦略が多少まずくても、メンバーの納得性が高い方が、成功確率が高いのです。なぜなら成果を決めるのは、意思決定ではなく実行の良し悪しであり、メンバーが当事者意識 (オーナーシップ) を持って真剣に課題に打ち込むか否かが実行の良し悪しを決めるからです。
11:組織で働く多くの人は、もっと自分の能力を発揮したいと願っています。これは管理する側も同じなのですが、全体の利益を優先するために、どうしても個人の自律性を抑圧する方向になりがちです。
そうなると個人の閉鎖感が増すようになり、組織の問題を自分の問題として感じられず、活動に身が入らなくなります。適当なところでお茶を濁したり、なんでも人のせいにして、傍観者的な態度になったりします。ひどい場合には、自分の問題すら自分のことと感じられず、人に責任を押し付けるようになります。
12:クロスファンクショナル (部門横断的) なチームによる大きな組織変革やシステム開発では、ファシリテーションの巧拙によって、アウトプットが大きく左右されます。
⇒某超ナショナルクライアントにて、国内・海外・広報部門を集めたMTGに参加した事があるが、”各部署がただ愚痴を言うだけの会” であったw 一つの会社内の部門では利害関係によって綱引きがあるので、ほとんどのケースでうまくいかない と思うな。
それよりも、社外とのディスカッションによって、多面的な考察と、それぞれの強みを認識して行動に移せる機会が必要 だと思う。
そして、その機会は 昼間に会議やMTGという形でセッティングしても、基本うまくいかず、双方の担当者は “タスク” となってしまい、やっているフリで終わる。
かっこ良く言うと “散らばっている同士が志を確認してチームとなる瞬間” が必要 であるのだが、それは昼間の蛍光灯の元では絶対に起きない。歴史が証明しているし、AZZLOが見てきただけでも間違いないんだよな。
13:業務に関する知識が豊富なのにもかかわらず、意思決定の権限のないスタッフ管理職は、ファシリテーターに打ってつけの存在です。現場の知恵を引き出すのはもちろん、余剰感のある中高年に新たなやりがいを与えるのに大いに役立ちます。
- 酒に関する知識が豊富なのにもかかわらず、酔っぱらわないバーテンダーは、ファシリテーターに打ってつけの存在です。客の愚痴を引き出すのはもちろん、自慢したい中高年に上位者 (先輩) の意識を与えるのに大いに役立ちます。
と言い換えられるなw
14:社会的動物である人間は、人との関わりの中で学び、成長していきます。多様な個性と価値観を持った人々がぶつかり合い、活発な内省 (省察) と相互作用 (対話) を通じて、何を学ぶべきかを学んでいく。そんな 「学び合い」 の場を促進するのがファシリテーターの役目となります。
15:これからの組織や社会では、多様な考え方を持つ人と恊働して問題解決できる能力が問われます。まさにOECD (経済協力開発機構) が学習到達度調査 (PISA) で求めているものです。そんな能力は、”管理” では育成できず、自らの学習を “支援” していくしかないのです。
⇒その “支援” が、受ける側からすると “タスク” になりがちなんだよなぁ。”支援” 言うからには “こぉいう支援をしました” という労働疲弊履歴の担保が必要になりがちだし・・・。
直接的な “支援” は、ただのおせっかいになるケースも多いので、こぉいう事であるし、最終的には
“支援” というより “邪魔をしない” 事が必要な事だと思う。
16:ときどき勘違いする人がいるのですが、ファシリテーションは一部の専門家だけが持つスキルではありません。社会的なスキルのひとつであり、常に組織と関わって生きていく現代人であれば、誰もが持たなければならないものです。
⇒組織に限らず、他者と接点を持つ人は、ケースバイケースで行っていると思う。とは言え、「イイ歳してまったくその必然性にも気付いてないな・・・w」 という方々が存在するのも事実ではあるな。
17:ワークショップで 「場のデザイン」 といえば、会場選びから椅子や机の配置、さらにはチームのムードづくりなど、空間のデザイン全般を意味します。ここでは、このような物理的な空間を含めて、異なる人々が知識を共有しながら、新しい創造を生み出していく知覚的なスペースを 「場」 と呼び、そのデザインを考えていきます。
宇田川カフェとかを運営するLD&Kの大谷秀政氏がやってる事も同様だと思う。
18:「問題解決」 型プロセスを進める上でのポイントは、一つひとつのステップをきっちり消化して、合意を積み上げていくところにあります。消化不良のまま先に進んだり、ステップをひとつ飛ばしたりすると、必ずどこかでしっぺ返しをくらいます。組織による問題解決の失敗の多くはここにあり、全員の歩調を合わせることがなにより大切です。
⇒そもそもだが、問題解決の前に、問題発見しないとグダグダ なんだよな。
組織でよくあるパターンだが
-
- まず具体案の良し悪しを好みで精査する。
- 既にある具体案をボツにしたくないので、なんとなく有力具体案を否定はしないロジックで安堵感を得る。※問題発見しないまま、手段ユルフワ肯定の骨抜きロジックになる。
- 問題が分かっていない手段羅列なので達成出来る事がよくわからず、コンペで負ける。
こんな事ばかりな気がしている。もちろん具体案とロジックはどちらから初めても良いとは思うが、言うならば “鷹の目と蟻の目どちらにもピントが合う場所” を見つけなければならない と思う。
これは、複数人で同時進行では難しい。鷹の目的 (得意先のお買い上げ目線) である営業と、蟻の目 (具体案の魅力目線) であるスタッフの2人で、”ピントが合う場所” を見つける作業が必要だと思う。
鷹の目蟻の目は、
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- 鷹の目:生活者の能動的行動を促す視点 (スタッフ)
- 蟻の目:それをどうマネタイズするか視点 (営業)
と考える事も出来る。どちらの意味も 営業とスタッフが理解して尊重しない限り、得意先に真摯な提案は出来ない と思うな。
多くの場合は “代理店が売上に必死なだけの金乞い” にしか見えない。
19:どちらかといえば、会議では形式知を中心に知識が交換されていきます。ところが、その裏には膨大な暗黙知があり、そちらに個人や企業のノウハウが隠れていたりします。暗黙知もコミュニケーションしないとせっかく集まった意味がないのです。
要はネガティブな事であるケースも多いと思う。少なくてもネガティブを明確化する事で、”ネガティブをやらない” という事だけでも大怪我はない ハズ。 取り急ぎ進みやすい道を行くと、”進んだは進んだが、また同じ場所に戻ってた・・・” という事が起きやすい。
故に “あっちは草まみれだけど、行く価値はある” みたいな事を認識しないとだと思う。
20:意見の食い違いは大いに歓迎すべきものです。しかしながら食い違いを協調的に議論できなければ、せっかくの多様な意見を活かすことができません。攻撃的な調子で意見を述べる人を戒め、皆が安心して発言できる協調的なコミュニケーションの場を築き上げるように心がけましょう。
⇒その場で攻撃的にならなくても、後で陰口を言う人もいるな。食い違いはその場で確認しなければと思う。
※AZZLOは口頭でもほぼココに書いてるのと同じ事を組織内で話している。
そして
- A:「こっちって、XXXな理由でマズイんじゃないの?」
B:「う・・・そうなんだよ。でもあっちの理由の方がマズイから、渋々こっちだと思うんだよね」
C:「あっちとこっちの共通のマズイ所がなさそうな “そっち” ってのもありますよね」
A:「なるほど、でも時間がないからある程度出来てるこっちをベースにそっちを意識してつくりあげよう」
C:「じゃぁ、”そっち” の要素をまとめておきます 相性精査・繋がりはBさんお願いします」
みたいな事が “わざわざ他人とやる意義” という感じがするw
攻撃的な人は、最初から “こっち” で見解は決まっているのに整理して喋れないので被害妄想に入り、キレるパターンだろうな。
21:コンフリクトは、表面的には意見そのもの (コンテンツ) が対立しているように見えます。ところが、実際にはその裏にある考え方の枠組み (コンテクスト) が対立しているのです。だから、人間関係にギャップやコンフリクトはつきものであり、それを避けるのは不自然な話なのです。~中略~
互いのコンテクストが理解できれば、いよいよ対立の解消に向けての話し合いになります。
ときどき誤解をする人がいますが、対立は解消しなければなりませんが、ギャップは解消する必要はありません。それぞれの意見やコンテクストを変える必要はまったくないのです。違いを認めた上で、現在直面している論点に対して、双方とも満足できるアイデアを一緒になって考えていけばよいのです。コンテクストを変えるのは至難の業であり、そこを間違えるといつまでたっても水掛け論になるばかりです。
- 営業:取り急ぎ四半期決算で焦っている。
AZZLO:今回コンペで負けても良いから、真摯に得意先の成功を望んでいるパートナーとして認識してもらう事で、将来的にはコンペにさせない状態を築きたい。(コンペするにしても出来レース状態にしたい)
というコンテクストがそもそも違う事が多い。ちゃんと話す機会を設けると「意外とAZZLO、会社の事考えてるんだな・・・。ハマる案件があったら相談するよ」という会話が起きたりもする。AZZLO的コンテクストが存在する事も知らない営業はマズイと思う。「今回はあえて四半期決算・・・何故ならば」 があれば良い と思うし、AZZLOも「なるほどね!じゃぁ何も起きない普通の案を安かろう悪かろうのプロダクションに丸投げしておくね!」 という事でとっとと片付けるのだがw
22:振り返りはメンバーを成長させる絶好の機会です。ファシリテーター自身もメンバーに対して適切なフィードバックを返してあげなければならず、それがメンバーにとってなによりのプレゼントになるはずです。
⇒コンペで勝っても負けても、その理由がほぼ無いんだよなぁ・・・w まぁ勝った時はある程度理由が分かるんだが、負けた時は得意先もちゃんと説明してくれない事も多い。そんな場合は、特に営業が “おそらく” で良いから敗因と、次に活かせる要素を整理して欲しい と思うな。
そぉいうのがないと、また同じ間違いを繰り返す事になる。これは労働疲弊履歴レベルであっても、儀式的でも必要な領域だと思う。
23:多くの会議では意思決定者と進行役を同一人物が担い、その人が思い描く結論を追認するだけのアリバイづくりの場となっています。議長といっても、会議を効率的に進めるためのトレーニングはまったく受けておらず、問題解決のプロセスやツールを合意形成に役立たせるノウハウはほとんど持ち合わせていません。
24:ファシリテーションは知識やテクニックだけではないことにも、だんだん気がついてきます。その人が持つ使命感や存在感、人や社会への責任感や奉仕精神など、最後には 「人間力」 というしかないものの存在が大きいことに気がつきます。特別なトレーニングを受けなくても、ファシリテーションを見事にやってのける人が世の中にいるのもそのためです。
⇒利他的じゃないと出来ない役割だもんな。あと、“共通の使命感” をどう作るかだと思う。 これは難しいけどマストな要素だと思う。これが整理出来れば徹夜が楽しくなるw てめぇの今期の評価とかギャラとかが気になるレベルでは、ファシリテーションはやり難い と思う。
25:最後に忘れてはならないのは、ファシリテーターの高い志です。中立な立場というのは、志を捨てて無色透明になることではありません。組織活動の意義が感じられなければ人は動かず、恊働のパワーを引き出すには、ファシリテーターが活動の意味づけをしなければなりません。それは、当事者が議論している内容を超越した、大義ともいうべき大きな理念やビジョンです。そのエネルギーを惜しみなく場に降り注いで恊働のダイナミズムを生み出していくのです。
人と人の恊働の場を育み、活動そのものに意味を与えていく。これこそが、支援型リーダーとしてのファシリテーターの責務なのです。
⇒バラエティー番組は、”笑う” という大義におけるチームワーク だよな。司会者が指揮ができるように、常に準備していないとだし、出演者の旨味を引き出すのは司会者だし。ま、その司会者を指揮しているディレクターが居たりはする のだがw
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広告業界における大義とは
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- プランナー目線:生活者が企業のブランドを好きになる事で買うきっかけ作る事で、広告主からの支払いが発生する。
- 営業目線:企業が言いたい事を言うお手伝いをする事で広告主からの支払いが発生する。
大方このどちらかで、どちらも “売上” という物差しでは正しいのだが、”広告が効かない” 的な事になっているのであれば、プランナー目線を営業目線に翻訳してプレゼンする事が必要だと思う。
“広告 (既存マス媒体) が効かない” 理由は、「WEBがスマホが・・・」 の理由もあるが
“マーケティングがないジャイアンに寄り添う人は居ない”
という根本にぶち当たっているだけじゃないかなと思うw
プランナーは営業が掘り下げた得意先の 温度感を信用 し(信用出来る材料が必要だが)、営業はプランナーの 設計力を信頼 して、そのブリッジには多少揉める事もあるだろうが、お互いに歩みより、共通の言語を持てば、得意先に対して”熱を帯びた上で翻訳したプレゼン” が出来るのだと思う。
ファシリテーションとかワークショップとか、やっぱり横文字バズワードなだけで、
“生の人間だから FACE to FACE が出来るし、しなければならない”
当たり前の事を、あえてかっこつけて言ってるだけな感じが改めてするなw
近年の デスクワーク資本主義のスタイルと日本語の相性が悪いが故に、魔法に感じるんだろう と思う。
ダイバーシティとか多様性とか、そぉいうのがバズワードになっている事で分かる通り、日本はガラパゴスなので魔法を信じやすい のだろうが “それぞれ違う生の人間がわざわざつるんでいる理由” を、ちょっと考えれば (これは絶対に一人でやる事)、上手く出来ないにしろ、下手な事にはならないと思う。
“ファシリテーターが発生する場づくり” が本質的な課題 なのだと思う。
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AZZLOは元々は、ファシリテーター的に先輩たちが居たから今があると思っているが、今後はファシリテーター的な言動も必要な時があると思う。
ま、組織内の労働では行わないがw 脳内でリアルタイムにシミュレーションしたりはしている。しかし・・・「ちょ!・・・その前提も無いの? えぇっと・・・そもそもコレはね・・・」という事ばっかりなんで、あんまトレーニングにならないんだよなぁ・・・w
例:”PRとはプレスリリースを撒くこと” という認識しかない場合とか「もう底が見えた」 と数年前に書いているが、素材認識するまで顕微鏡で見てる感じがするなぁ・・w
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