2015/9/30発売。2015年11月の読書。
目次
- はじめに
- 引用・感想
- 教養は、グローバルなビジネス社…
- 「あなたも絶対こうしてください…
- 教養のもう一つの本質は、「自分…
- 講演会で若い人たちに、「もし、…
- 日本人は、まさか第二次世界大戦…
- 自分の意見を決めたとしても、ま…
- ウィン・ウィンの関係というだけ…
- 日本では、素人が雑学的にいろい…
- 日本国内だったら、いまでも 「…
- 日米の大学生が在学中にどのく…
- 日本でよく知られているゴール…
- 日本のように 「成績はよくない…
- ある大企業が新入社員にアンケ…
- 若い世代は、周りの大人を見て…
- ロンドン在住の友人から聞いた話…
- 連合王国の保育園では、児童を一…
- 復興への道のりは、アメリカとい…
- たとえば 「自分は大学時代にろ…
- 「一つになろう」 というスロー…
- 立花隆氏の 『田中角栄研究』 (…
- 当時、ロンドンには日本人会がい…
- ロンドンでもう一つ思ったのは、…
- 違和感を覚えることにこそ、異文…
- 日本人は情を大切にするとよく言…
- メリットがはっきりせずご提案を…
- キケロは 「自分が生まれる前の…
- 教会は私のような放浪者には警戒…
- 一般論ですが、人は貧しいときに…
- 戦後長く続いた 「考える必要の…
- 北欧では子どもたちに選挙につい…
- 選挙については、たしかチャーチ…
- 公的年金が破綻するのは、国債が…
- 著名な女性評論家が 「人口 (労…
- 「子どもは社会 (全体) の宝で…
- 少し前のことですが、ある作家が…
- 人間は次の世代のために生きてい…
- フランスに比べると日本の動きは…
- 三十五年やニ世代の超長期の住宅…
- 外国人の友人のコメントです。…
- 日本のリーダー層は、諸外国と比…
- どのような問題であれ、「幹」 と…
- ところで、ノルウェーとカナダの…
- 日本と中国、韓国との関係では、…
- 百年の間に三度の総力戦を戦った…
- 著名な歴史学者ルカーチは 『歴 …
- 日本人は、かつての高度成長時 …
- 私たちは、職場や仕事を背負い …
- ライフネット生命では、原則とし…
- ライフネット生命は、百年後には…
- 「自分の頭で考える」 ことがで…
- ライフネット生命は少数精鋭主義…
- 私はコンタクトセンター (本社内…
- 結局、心を込めていないことは、…
- 腕時計もやはり三十歳ぐらいで捨…
- 馬車馬のように働いて、私生活を…
- 後記
はじめに
以前テレビでこんな言動に共感していた最中、本屋でこの本を見つけたので手に取った。
引用・感想
1:教養は、グローバルなビジネス社会を生きるうえでの武器となるという側面もあります。広く世界に目を向ければ、海外の多くの国では日本以上に教養が問われます。そして残念ながら、日本のリーダー層は、世界基準からすると、教養という点ではかなりレベルが低いと言わざるをえません。私たちはあまりそのことに気づいていないのではないでしょうか。
に書いた “徳が無い” に通じるな。
2: 「あなたも絶対こうしてください」 と言っているわけではありません。あくまで 「わたしの場合、こうしたらとても具合がよかったのでその方法を述べますが、採用するかどうかはあなた自身でよく考えて決めてください」 というのが本書のスタンスです。価値観の押し付けほど、私が嫌いなものはほかにありません。
先日偉いおっさんと軽めの面談をした時に
「後輩には 『こうしたら楽だよと思うよ。今の案件でやってもいいし、次からやってもいいし。その判断はお任せするよ』 みたいな事は言ってます (苦しむのはキミだからなw)」
という事を言ったが、そぉいう事だと思う。
3:教養のもう一つの本質は、「自分の頭で考える」 ことにあります。著名な科学史家の山本義隆氏は、勉強の目的について、「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」 と語っています。この当たり前のことが、案外置き去りにされている気がします。
4:講演会で若い人たちに、「もし、あなたの大好きなボーイフレンド、ガールフレンドについて、親が交際に反対したらどうしますか?」 と質問すると、ほぼ全員が 「親の言うことは聞かない」 と答えます。どうして親の反対を無視できるかと言えば、「この人がいい」 とはっきり分かっているからです。しっかり腑に落ちているからこそ、親の反対があったとしても交際を続けるという行動がとれます。腑に落ちていることが、行動力やバイタリティの源泉になります。つまり、本気を呼び起こすのです。
良い結果は、少なくても今の時代はこっちの方向だと思う。
どこでもよくある
“偉いおっさんが指示してイイ結果にならないと、指示した先(担当者)をdisる”
は、指示先 (担当者選別)、指示内容がおかしいからなんだよな。それで振り回しておいて、”てめぇは悪くないエビデンス” を掻き集めるだけの偉いおっさんは、世の中的には偉くない。・・・からこそ、自尊心の担保で必死なんだろうがw
5:日本人は、まさか第二次世界大戦での敗戦の記憶を拭い去りたいのためではないでしょうが、何事につけ 「あっさり」 している傾向もあるように思います。一つのことを粘り強く考えるということをあまり好みません。むしろ、しつこく考える人は嫌われる雰囲気さえあります。
⇒ “意味分からなくても「ギブミーチョコレート」 言っとけばOK” がベースだからな。
6:自分の意見を決めたとしても、まだ落とし穴があります。何かのテーマについて、「反対」 だという結論に至ったとします。そのとき気をつけなければいけないのは、「反対のための反対」 に陥ってはいないか、ということです。
「反対のための反対」 は、社会的な立場が高い人にもよく見られます。一部の政治家がその典型です。威勢よく反対すれば支持が得られると勘違いしているためか、ともかく声高に反対を唱えることがよくあります。しかし、そのような政治家のほとんどは、攻守ところを変えて 「では、おまえがやってみろ」 となったら、おそらく適切な解を見出すことはできないでしょう。
⇒ 民主党を思い出すな。蓮舫のキレ方はホント品がないと感じるw “代案無き批判” は “ヤケクソ” に見えるんだよな。
7:ウィン・ウィンの関係というだけなら、ビジネスパートナーの候補はいくらでもいます。たくさんいる候補のなかからビジネスパートナーを選ぶとき、大きくモノを言うのは、「この人と仕事をしたら面白そうだ」 という属人的な要素です。欧米人には、同じ仕事をするのであれば、面白い人と仕事をしたいという気持ちがとりわけ強いように思います。
今日は "AZZLOの妄想聞いてくれる姉さん" のご紹介で、以前からコンタクトを取ってみたかった某プロダクションさんと顔合わせした。「AZZLOさんと仕事してみたい!」 と言って頂けたと同時に 「AZZLOさんは代理店の人じゃないですね!」 とも言われたw
— azzlo (@azzlo) 2014, 12月 17
8:日本では、素人が雑学的にいろいろなことを知っている場合、よく 「広く、浅く」 という言い方をします。専門家の場合は対照的に、「狭く、深く」 です。グローバルリーダーの場合、どちらとも少し違っていて、「広く、ある程度深い」 素養が求められます。しかも、個別に「狭く、深い」 専門分野を持ったうえでの、「広く、ある程度深い」 素養なのです。
⇒ AZZLO的には、”周辺がXY軸ならば、自分はXZ軸を持てばよい” という感じかな。
X軸:ニーズ
Y軸:シーズ
Z軸:熱
こんな感じで捉える事が出来るが、Z軸の熱を知っていれば、X軸とZ軸はすぐ補完出来るので、何にでも対応出来ると思う。
9:日本国内だったら、いまでも 「営業は根性だ」 といった精神論が通用するかもしれませんが、世界では通じません。「根性=ガッツ」 という概念は理解してくれるでしょうが、「ガッツが必要? そりゃそうだね」 で終わりです。
「成約に至るには “説得” が必要」 な “渋々買わせる” という概念だと “ガッツ” 止まりだろうな。
10:日米の大学生が在学中にどのくらい本を読んでいるかを調べた調査がありました。それによると、日本の大学生が平均約一〇〇冊の本を読んでいるのに対して、アメリカの大学生は平均四〇〇冊という結果が出ていました。じつに日本の四倍、勉強量に圧倒的な差があります。このことだけでも、もし日本の大学生とアメリカの大学生が同じ企業に就職したら、どちらにいい仕事が振られるかは明らかです。
⇒ 読書量が課題ではなく、読書後に何を思って、自己と対比して考察するかが重要だと思う。ま、いずれにしても知識量でも日本はイマイチという事だなw
11:日本でよく知られているゴールドマン・サックスやボストンコンサルティング、マッキンゼーといった高給でも有名な優良企業は、意外にも四〇位とか五〇位のあたりをウロウロしています。学生たちが、「そういう企業はいまがピークだから」 と考えているからです。すでにピークを迎えている企業にいまさら行っても、自分の活躍できる余地は限られている、ならばベンチャーへ行き、明日のアップルやグーグルを目指して思う存分腕を振るったほうが夢があるというのです。大変意欲的でかつ健全な考え方です。
それに対して、日本の大学生と言えば、ニ〇一四年の 「日経就職ナビ」 による調査では、トップテンすべてを大銀行と大保険会社が占めていました。寄らば大樹の陰、きわめて保守的で依存的です。思わず、「これで日本に将来はあるのだろうか」 と嘆いてしまいました。
⇒ まぁ将来に不安を持っている人が、学歴という武装に逃避し、シェルターに入りたがる訳だもんな。当然と言えば当然。
12:日本のように 「成績はよくないけれど、体育会で鍛えたから根性はあります」 では通用しません。だから欧米の学生は必至で勉強します。
日本ではいまだに、「青田買い」 などということが広く行われています。面接でも、企業側が学生に聞くのは、「クラブ活動は何をしていましたか?」 「アルバイトの経験は?」 といった事ばかりです。ひどい場合は、内定を出したあとで成績表の提出を求める企業もあります。
これでは学生が勉強しなくなるのも当たり前です。つまり、社会が若者を骨抜きにしているのです。
⇒ クラブ活動やアルバイトの内容によって、どう判断が変わるのかな? その点が整理されていれば良い質問だとは思うが。
この事象は、”上位校から内定” という企業人事担当者の思考停止状態の結果なのだと思う。要は “やってるフリ” だろうな。
13:ある大企業が新入社員にアンケートをとったら、海外勤務を希望する人がほとんどいなかったそうです。その企業の社長は 「誰も海外赴任をしたがらない。本社にばかりいたがる。根性がない」 と嘆いていました。ですが、その企業の役員がどのような顔ぶれかと見ると、人事部長だった人とか企画部長、経理部長だった人など、本社勤めの人ばかりなのです。そのような企業に入社した若者が海外勤務より本社勤めを望むのは、会社人生という点においてはきわめて合理的な選択です。
もし、本当に新入社員に海外勤務を希望するようなバイタリティを望むのであれば、社長が 「わが社では三ヶ所以上の海外拠点で働かないと役員にしない」 と明言すればいいだけのことです。
14:若い世代は、周りの大人を見て、「社会人とは、こんなものなのだな」 と学んでいくのです。若者にバイタリティがないのであれば、すなわち身近なロールモデルである大人たちに気概が欠けているからだと考えなくてはなりません。
15:ロンドン在住の友人から聞いた話ですが、あるとき、十二歳の娘さんが宿題の相談に乗ってほしいと持ちかけてきたそうです。友人は仕事が忙しいため、ふだん娘さんとは没交渉になりがちだったので、喜んで娘さんの相談に乗りました。その娘さんは日本人学校ではなく現地の学校に通っていました。出された宿題とは次のようなものだったといいます。
中世に、サセックス地方の裕福な農家へ嫁いだ女性が書いた日記があった。その農村を仕切っていた地方の執事が書いた記録もあった。それから、十九世紀にその時代の農村を仕切っていた地主の執事が書いた記録もあった。それから、十九世紀にその時代の農村を調べたオックスフォード大学の教授が書いた 「セサックス地方の中世の農家の形態」 という論文もあった。この三つを読むにあたって、どういう点に注意すればよいか、というのが宿題の内容だったそうです。
友人はあまりの難しさに内心引っくり返ってしまい、苦し紛れに娘さんに 「おまえはどう考えているんだ?」 と聞いてみたそうです。すると娘さんは 「嫁いだ女性が書いたことには嘘がないと思う。村で起こったことがありのままに書かれているだろう。でも、自動車も電話もない時代だから、自分の目で見える狭い範囲のことにとどまっていると思う。地主の執事が書いた記録は、おそらくより多くの年貢を取りたいという気持ちが働いているだろうから、作物の収穫量などを加減して書いている可能性がある。それを含んで読まねばならないと思う。それからオックスフォード大学の教授の論文は客観的なように見えても、どこかで自分の学説に都合のいいように脚色されている恐れがある。だから頭から信じないようにしたほうがいいと思う。このように答えようかと思っているんだけれど、おとうさん、どうかな?」 と言ったそうです。
友人は 「まあ、それでいいじゃないか」 と答えつつ、「連合王国の教育はすごい!」 と舌を巻いたそうです。
この宿題が目指しているのは、子どもに 「考える力」 を身につけさせることです。「イイクニ (一一九ニ) つくろう鎌倉幕府」 などと、「覚えさせる」 ことや 「正しい答え」 ばかりを求めがちな日本の教育とは根本が異なっています (ちなみに現在では、鎌倉幕府の成立は一一八五年というのが有力説になっています) この差はじつに大きい。友人は 「つくづく、娘を日本の学校へやらなくてよかったと思ったよ」 と述懐していました。
それに引き換え日本は、”連れション同盟” の育成を目指しているようにしか思えないわ・・・。
16:連合王国の保育園では、児童を一対一で正面から相対させるそうです。「相手をよく見なさい。皆さんと同じですか? それとも違いますか?」。そして、相手を替えて、これを全児童に何度も何度も繰り返す。そうすると、児童は人間は皆違うということを自然に会得します。
次の問いかけは 「相手の外見は一人ひとり違いますね。だったら、中身、すなわち感じたことや考えていることは同じでしょうか? それとも違うでしょうか?」 ここまでくれば、あとはもうしめたものです。「自分の感じたことや思っていることを、言葉に出してはっきり伝えなければ、誰も分かりませんね」
以上のプロセスが完了したら、あとは野山で足腰を鍛えて、知識を詰め込めばいい。いくら詰め込んでも、児童は自分の感じたことや思ったことをはっきり言えるように育っているから、何の心配もいらないと。連合王国の教育は、人間と、人間がつくる社会がつくる社会の核心をついていると感服した記憶があります。
この大前提・ベースがないのに安定という抽象的な目標達成への知識は
“幹がないのに枝葉の議論に終始し違和感だけ実感して先に進めない”
という、AZZLOが日々呆れまくっている広告代理店のような状態になるもんな。中途半端な貨幣移動を繰り返しているだけで、結局バズワード (枝葉) の連呼で安堵感を得る、しょうもない貨幣経済の駒でしかない。
17:復興への道のりは、アメリカというゴールが誰の目にもはっきりと見えている、いわば 「ルートの見えている登山」 でした。
ルートが見えているということは、いわば、どこをどう登ればよいかが分かっているということです。新たに自分の頭で考える必要はほとんどありません。余計なことを考えて遠回りしてでもしてしまったら、むしろロスが発生します。つまり、戦後の日本は、自分の頭で考えることを必要としない、もっと言えば、自分の頭で考えないほうが都合がいい社会だったのです。~中略~「むしろ考えないほうがいい」 ことは、当然個人にも当てはまりました。考えなくても成長できる企業で重宝がられるのは、命じた通りに働いてくれる余計なことを考えない素直な人材です。
⇒ もちろんそれはそれで良い時代だったと思う。でも今や今後は違う。
どんなビジネスも時間と共にコモディティー化が進む訳で、”徹夜して頑張る” というガッツだけでは、今後の経済活動は適応出来ないw
18:たとえば 「自分は大学時代にろくに本を読まないで過ごしてしまった。もう手遅れだ」 と思うぐらいなら、今夜から読み始めればいいだけのことです。
いまさら遅すぎると努力を放棄する人は、サボる理由を探しているだけです。
⇒ AZZLOは “大学生=読書する” というイメージが無かったので、近年になって読書し始める事に違和感がなかったな。
10番 にあるように、日本の大学生は100冊程度を読むらしいが、AZZLOは2010年夏からこの本を含めて116冊読んだ。まぁ内容が全然違うだろうが大学生平均弱か。
AZZLO的には、20歳前後の頃は読書でも良いが、より “体験” の方を重視した方が良いとは思うな。
19:「一つになろう」 というスローガンに盲目的に従っていたら、いつの間にか主体性を失い、気がついたらとんでもない流れに巻き込まれ、かつ、自身もその流れを後押ししていた、といったことにもなりかねません。みんな一緒で本当にいいのかどうか、その都度、自分の頭で確認したほうがはるかに健全です。
みたいな事だよな。
偉いおっさんに
「みんなやってるんだから!」
と言わがちなAZZLOだがw
「多くの人は違和感を既に口にしてるけども? (言わない人も違和感持ってる可能性が高い)」
というのもあるよな。どちらも “多数” 軸の事実であるが、偉いおっさんが言う 「みんなやってる」 は、それで組織のパフォーマンスを自ら奪うから、多くの人は既に違和感を口にしているのも事実だろう。
“強制” を “能動的” に摩り替えてるだけに感じるな。「お国の為に」 の特攻隊と同様。今は直近の生命とは結びつかないし、思惑通りそれで儲かるならば良いけどもな。
そして “一つ” は地球規模でないと成立しない概念だと思う。
中途半端な規模の国やら会社という括りで、どんだけ一つになった所で、他の国や会社があったら一つじゃないからなw
英語が全てではないが、母国語以外で、日本人以外のアイデンティティに比較的違いがある人とのコミュニケーションは、解決ではないが、本来の姿には近付くとは思うな。
言語が違っても、イントネーションと目で、大体普通のコミュニケーションは取れる。
20:立花隆氏の 『田中角栄研究』 (講談社文庫) は、総理大臣の汚職という戦後最大のスキャンダルとなったロッキード事件をあぶり出した渾身のレポートですが、読んでみると、個々の事実は極秘でも何でもない、当時普通に報道されていたことばかりであることに気づきます。立花氏は特別ルートでディープスロート (内部告発者) から情報を仕入れ、それをもとにしてレポートを書いたのではなく、公開情報を丹念に集め、それを深く掘り下げて一つの文脈を導き出したのです。
誰でも知ることのできる情報、あるいはすでに知っている情報でも、洞察力を働かせることによって読み取れる内容が違ってきます。マル秘情報を得るために奔走したり、スパイを放ったりする必要などどこにもないのです。~中略~
結局モノを言うのは、機密情報のようなものではなく考える力なのです。考える力があれば、普通に入手できる情報でも、それらを分析するだけで、これまで見えていなかった世界が見えてきます。それが教養の力であり、知の力だと思います。
⇒ “普通に生きていれば感じる事を、わざわざ事例を集めて頭をかかえる” (簡単な事を難しく♪)
という広告代理店によくある風景も同様だな。
21:当時、ロンドンには日本人会がいくつもありました。原則として日本の主席駐在員が集まる会合です。あるとき、ある銀行の役員から 「出口さんは、あまり日本人会にいらっしゃいませんね」 と言われました。
ごめんなさい、外国人との予定が重なって、なかなか来れないのです」 と答えたところ、「ロンドンに駐在している各企業の皆さんは、日本に帰ったら出世する方ばかりですよ。いまのうちに、皆さんと友誼を重ねておいたほうが得ですよ。外国人と友達になっても将来何の役にも立ちませんよ」 と、やはりアドバイスしてくださいました。
「これからは気をつけます」 と返事はしましたが、内心少し寂しい気がしました。その方は本当の親切心で話してくれたのだと思いますが、日本人会では 「◯◯さんは来年は、東京ですね」 とか 「もう二年経ちましたから、そろそろ帰国の辞令が出るんじゃないですか」 などといった話ばかりで、ロンドンにいても東京にしか目が向いていないのです。
日本へ帰ってから役に立ちそうだからとか、あの人は出世しそうだからつき合おうといった発想では、所詮、利害を超えたグローバルなおつき合いはできません。言い方を換えれば、「出口治明」 という人間とつき合ってくれているのではなく、「日本生命ロンドン首席代表の出口治明」 とつき合ってくれているだけです。もちろん、それがいけないといった青臭いことを言うつもりはありませんが、かといって、それしかないというのもどうでしょうか。
AZZLOも “水谷暢宏の孫” “YUMI YAMAZAKIの息子” “DJのTAKA-AKI” という肩書はレッテルに感じる部分もあったので、会社員を目指したのはあるな。
ある種何者でもない状態で信頼し合える事を求めてた所はある。
パリに住んでいた頃を振り返ると出口さんの指摘とは逆に
「大企業の役員の子供・近い親戚だから、おっさん達のゴマすりがウザい。海外では誰も分からないから楽」
という日本人たちと、個としてコミュニケーションをするのは面白かったな。普通にケバブ歩き食べとかw
22:ロンドンでもう一つ思ったのは、現地のトップが東京にばかり目線を向けていたら、外国人の部下に影響が出るだろうということでした。日本人の現地トップが東京しか見ていない状況で、外国人のスタッフにロイヤリティを尽くせというほうが無理です。大将が早く東京に戻って、出世コースに乗ることしか考えていないのに、部下に一所懸命仕事しろというほうが間違っています。そのような上司の下では、外国人の部下たちはきっと自分の仕事にそれほど興味を抱けないだろうと思いました。第一、優秀な外国人が集まってくるはずもありません。
そこで、私は外国人から 「いつまでロンドンに居るのか?」 と聞かれたら、必ず 「フォーエバー」 と答えるようにしていました。そのせいで、「ミスター・フォーエバー」 と綽名をつけられてしまいました。でも、その土地で本気で仕事をしているという姿勢を示すことは、現地スタッフをマネージするうえで大変重要なことです。それに、同じ企業の従業員なのですから、日本人も外国人もありません。
⇒ 肥溜め (子会社) の本籍がぼっとん便所(本社)の偉いおっさん (出向している) は、こぉいう事分からないんだろうなぁ。
23:違和感を覚えることにこそ、異文化理解の鍵があるのです。本当は日本人同士でも言えることですが、ここは自分と感覚が違うな、ちょっと変わっているなと感じたら、相手を単に否定するのではなく、相手の感覚を自分も追体験してみるようにすると、それまで自分にはなかった感覚を理解することができます。
⇒AZZLOは、違和感を覚える人・事象は、それなりに考察はしているつもり。そして
に書いた通り
“徳がないから” (偉くなくても全般的に)
というコンプレックスの理解に到達している。
24:日本人は情を大切にするとよく言われています。なのに、ビジネス上の人間関係となると、まるで人が変わったような趣になるのが不思議でなりません。どうして、もっと個人として、情で付き合わないのだろうかと、いつも思うのです。
個人対個人のつき合いが下手なのは、日本人の生真面目さの裏返しかもしれません。つまり、「企業の一員」 という役割を全うすることに熱心すぎて、個人としての自分を表に出すことが十分にできていない可能性があります。役割に対する一種の過剰適応です。
⇒ 中途半端に偉いおっさんが、手抜き・自尊心のケアを重視した結果だと思う。そらコンプレックスを隠す為だから当然の流れだと思う。
25:メリットがはっきりせずご提案を受けられない場合は、その場で、理由を付してはっきり 「申し訳ありません」 とお断りします。先方の顔を立てるために、「検討してみますので少し時間をください」 と言ってその場はまるく収め、一週間ほどしてからお断りするのが礼儀だと言う人もいますが、お互いの時間の無駄ではないでしょうか。判断は極力すみやかにくだして、ノーならノー、イエスなら次のステップをどう進めるか合意を取りつける、それがビジネスというものではないでしょうか。
⇒ その場でイエス・ノー明確であれば 「であればこうならば?」 → 「それはいいね!」 とかなる。し、それがビジネスだと思う。
AZZLOも、WEB系のプロダクションやツール会社の営業を受けたりするが
「資料に書いてある事しか出来ない、要は売り込みならば興味があったらググるから!」
と思うんだよな。
その点、ustream (ソフトバンク)の人は、その場でカスタマイズ出来る・出来ない・要検討が明確で、非常に前向きだった だけに、AZZLOも可能な限り負荷がない形で案件を発生させようと思わせられたな。
26:キケロは 「自分が生まれる前のことについて無知でいることは、ずっと子どものままでいることだ」 という名言を残しています。大人になるということは、生まれる前のことを知るということなのです。つまり歴史に触れるということです。
“大人しい” → “発言しない” → “すなわち文句も言わない” → “言わないように疑問を感じない思考になる” → “言いなり奴隷”
だな。
デニーさんの “この星に生まれた子どもたち” のコンセプトからしても、大人なんて、後付で人間が設定した概念でしかなく、都合よく運用されているだけの事だと思う。
27:教会は私のような放浪者には警戒心が強くて、「聖書には神の家の扉はいつでも開いていると書いてあるじゃないですか」 と屁理屈をこねてお願いしても、「治安が悪いので夜は扉を閉めなくては」 と、たいていは断られました。それに比べれば、お寺はわりと大らかで、本堂に泊めてもらったり、本堂のなかはダメでも、縁の下だったらかまわないよと言ってくれるところが多かったのではないでしょうか。
治安が悪い前提で疑うから治安が悪くなると思うw
28:一般論ですが、人は貧しいときにはよく働きよく勉強します。早く苦境を脱し豊かになって、お腹一杯、ご飯が食べたいからです。豊かな国になってしまった日本で、ハングリー精神を期待するのは現実問題として難しいものがあるかもしれません。生まれたときから豊かであれば、そもそも苦労をする必要がありません。学生たちは勉強しなくても卒業も就職もできてしまうので、日本人の教養はなかなか育まれません。しかし、それで世界との競争に打ち勝ち、この豊かな日本を次の世代に引き継いでいくことができるのでしょうか。
海外含めた話ではなく、国内の1組織の範囲でも
であって、“努力し難易度の高い実績(高学歴)を得、大企業に就職したのだから、オレはもう平均以上で合格だ” な状況の人では、教養の存在すら気付かないのだと思う。
ただし、一部の裕福な家庭の子は成金ではなく、”偉さ” と “貨幣” に接しているだけに、わざわざ “貨幣的豊かさ” を目指さなかったりするし、当然、たかだか1組織内で通用する “偉さ” なんかにも興味は持たない傾向もあるな。
29:戦後長く続いた 「考える必要のない」 キャッチアップモデル時代の名残で、いまもって 「考えない」 教育がなされているような気がしています。暗記を偏重していたり、受験を目的とした妙な学習体系が確立していたりして、生きるのにさして重要ではない知識ばかりが異様な精緻さで教えられています。民間も 「教育産業」 の名の下でそれに拍車をかけています。わが国の教育は本来の機能を取り戻す必要があると思います。
⇒ 多くの既存教育分野は結局、点数ないしで優越が付けれるようになっているのが課題だと思う。
それは、”先生” “教師” といった職業の担保であって、”教育ではない” とまでは言えないが、”学び” としては微妙だと思うw
そぉいえばAZZLOは小学校4年生の頃に
「”学校の先生” は “天才の成り損ない” の食い扶持ではないか? 彼らにとってはこんな教科書による授業なんて “スーパーのレジ打ち” ぐらい無思考状態であろう。教科書の内容は糞だが将来の僕らに期待してない先輩である “学校の先生” はもっと糞だ。本当に人材育成に前向きならば、まず教科書を疑うハズだし、”教室の授業” というスタイルも検討するハズだ。何故なら頭は良い (勉強・記憶軸) ハズだから。」
そんな感じの事、思ったんだよなぁw これに辿り着く為の仕込みであれば、良い教育だがwそもそもコレな訳で、DNA上の親や、先生・教師からしか学べない訳ではない。
“惚れた先輩” を前に自分はどうするのか?(どうしてきたのか?) を考察する事が学びじゃないかな?
“こんなんじゃ先輩に対して恥ずかしい” という使命を産むのが、広義の文化 だと思うしな。
30:北欧では子どもたちに選挙について次のように教えるそうです。「もし、あなたが有力候補を支持するのであれば、三つの方法があります。すなわち、有力候補の名前を書いて投票するか、白紙で投票するか、棄権するかのどれかです。逆に有力候補を支持しないのであれば、あなたには一つの方法しかありません。すなわち投票に行って別の候補者の名前を書くしかないのです」 と。
AZZLOも選挙感は多くの日本人と同様で
“結局誰でも同じだし。事実誰かになって劇的に変わった訳じゃないし”
と思っていたが、そんな国民ばかりだと、政治票の割合が増えて、結局バラ撒き(税金の無駄使い)ないし、実際のマジョリティーの疑問を産むんだよな。
31:選挙については、たしかチャーチルが次のようなことを言っていました。
「選挙に立候補する人間は、私を含めて、ろくでもない人ばかりである」
選挙に出る人は、異性にもてたいとか、お金を儲けたいとか、目立ちたいとか、権力を握りたいとか、せいぜいそんなところが実際の目的だと毒舌家のチャーチルは言うのです。続けてこう語っています。
「選挙とは、ろくでもない人のなかから、現時点で税金を上手に分配できそうな少しでもましな人を選び続ける忍耐そのものをいうのである」
「だから民主主義は最低の仕組みである。ただし、王政や貴族政、皇帝政など人類のこれまでの政体を除いては」
ま、なんであれ、ノブレス・オブリージュが無い利己的なモチベーションが諸悪の根源だと思う。
“庶民が偉くなる” というコンプレックスのパワーは大概、利己的な達成と虐めに繋がるからな。だったら最初から偉い人がちゃんと偉くなった方がプライドからしておかしな事出来ないから、良いんじゃないかとも思う。
32:公的年金が破綻するのは、国債が発行できなくなるときです。国債が紙クズ同然になってしまったときです。そのときには、日本は国家的危機を迎えています。当然、その営業職が属している金融機関は大量の国債を抱えて、それ以前に破綻しています。つまり、「国の年金は危ないですから云々」 という金融機関のセールストークは、論理的に成り立たないのです。
⇒ まぁ危機を払拭する救世主がサービス業だからなw 広告代理店・WEB系プロダクションの
「FACEBOOKページでファンを囲い込まないとダメです」
も
- そもそもファンが要るのか?
- 人気者ならばファンを囲うのではなく囲われるハズであるw
33:著名な女性評論家が 「人口 (労働力) 減少に慌てた男たちが、女性をおだてて男の政策の失敗の尻拭い (女性の活用、出生率の向上) をさせようとしている。魂胆見え見え、誰がその手に乗るものか」 という趣旨の発言をされていました。そのような発言にも一理はあります。
⇒AZZLOも、”女性活用” “女性の社会進出” “一億総活躍” とかには疑問が大きくある。
よってそもそも女性は社会に存在していた訳だし、男子のモチベーションとして活躍していたハズ。もちろんいわゆる “会社で働く” という選択をしたい人にはバランスが悪い仕組みだった面はあると思うが、義務になりかねない事を危惧するんだよな。
34:「子どもは社会 (全体) の宝である」 という動物である人間としてはごく当たり前の基本認識を社会の隅々まで徹底する必要があると思います。そうすれば、法律婚であれ事実婚であれ、シングル・ペアレントであれ、生まれた子どもは一切の差別なくすべて平等に扱うべきだということが自然と了解されるはずです。
⇒ “核家族化による見栄を熱とした資本主義” が近代の日本経済だと思う。要は “1世帯” (と1次世帯) の見栄の張り合いというミクロな視点しかなくなっている。
ミクロの集合としてマクロの総量 (GDP) が増えていた訳だが、国内循環が上手く回らなくなるのは、AZZLOが幼少の頃から指摘されていた事だ。
故にクールジャパンとかの取り組みに繋がるのだろうが、”創造” の熱を知らない追っかけ対応では上手くいかないと思う。結局
“日本はアニメとかイケてるんだしぃ!”
という見栄の熱に感じるw
好きでアニメとか作ってる人かすると 「ハイエナが来た」 という感覚じゃないだろうか?
35:少し前のことですが、ある作家が飛行機に乗って四国まで行ったとき、飛行機のなかで赤ちゃんがずっと泣きっぱなしで耐えられなかった、泣き止まない赤ちゃんを連れたお母さんは飛行機に乗る資格はないと発言したことがあり、大変腹が立ちました。
私はこの作家のような発想は許せないと思います。赤ちゃんは泣くに決まっています。泣くのが赤ちゃんの仕事です。飛行機は公共交通機関なので、赤ちゃんが乗っているのは当然で、赤ちゃんが乗っていたら泣くことだって当然あります。少子化の現在、赤ちゃんは社会の宝です。そういう認識が欠落しています。赤ちゃんが泣くのが嫌なら、自ら飛行機をチャーターして一人で四国へ行けばいいのです。このような赤ちゃんに不寛容な社会で果たして女性が赤ちゃんを産みたいと思うのでしょうか。
⇒ 作家だろうがなんだろうが、ネジ外れた発想だと思う。しかも おそらく “国内初の国内着” だろうから、せいぜい1時間だw そんぐらい赤子嫌いでも我慢出来ると思うのだがw
「そもそも自分がオムツを付けて自分が泣いて育った訳ですからね」新報道2001 2015 05 30
「そもそも自分がオムツを付けて自分が泣いて育った訳ですからね」新報道2001 2015 05 30
Posted by Taka-aki Motoi on 2015年6月9日
そもそもコレなんだけどもな。
AZZLOも過去は赤子の鳴き声に 「うるせぇな・・・」 と思うクチであったがw (ただし、泣きやませられない親が悪いとは思ってなかった。「親は大変だなぁ・・・」 という印象) 今は 「おじさんも頑張ります ( ̄^ ̄)ゞ」 という気分になる。背筋正される感じで、むしろ心地良い。
36:人間は次の世代のために生きているのです。自分だけ安楽な暮らしをしたいと皮相的なことしか考えていないからこのような事態が起こるのです。洋の東西を問わず、沈む船からボートを降ろすときは子ども、女性、男性、高齢者の順です。子どもが最優先で高齢者が最後です。それが生命の厳然たる序列なのです。
⇒ 先輩たちから貰ったものがあるならば当然こういう事になるハズ。
そうでない人は、素敵な先輩が居なかったという事だと思うんだよな。
37:フランスに比べると日本の動きは残念ながらとても遅い。夫婦別姓のような基本的な対策すら手がつけられていません。夫婦別姓を認めたら、日本の伝統を壊すことになると反対している人がいますが、それは少し不勉強ではないでしょうか。
日本という国号は持統天皇の時代にほぼ確定されたので、日本には少なくても千三百年以上の歴史があります。千三百年の歴史のなかで夫婦別姓が実施されたのは、明治三十一 (一八九八) 年に民法が成立して以来、わずか百二十年です。あとの期間は、平安時代の妻問婚 (別姓) が代表的ですが、夫婦同姓ではありませんでした。また広く世界に目を向ければ現在、法律婚の条件として夫婦同姓を強制しているのは、OECD三四カ国のなかで日本だけです。「タテ」 と 「ヨコ」 の視点で見れば、夫婦同姓は特異な制度であることがよく分かります。婚姻後の性ぐらい、カップルの自由な選択に委ねてどこに問題があるというのでしょうか。このような社会の度量の小ささ、あるいは特定の価値観の押し付けはとても気になります。
“商品特性上エロニーズが背景にある。故に 成功案件の様なギリギリのエロさを理解しているAZZLOが必要”
というニーズの結果
「ウチは電博じゃない!面白い事なんか出来ないし、広告主から言われた事に応えるしか道はないんだ!!!」
という理由で、普通のアイドルキャスティングを模索し、予算がハマらずガタガタでプレをした営業の案件が、プレゼン後に広告主から
「アイドルマスターとタイアップしたい♪」
38:三十五年やニ世代の超長期の住宅ローンは、成長神話を引きずったモデルです。戦後の日本は、先にもお話したように、三十年、四十年にわたり平均七%程度の実質成長が続き、給与が増え続けるという特別な (幸運) な時代でした。
しかし、二十一世紀の現実はそうではありません。
⇒ 既に破綻している事象が出てるもんな。そして、雇用における投資という概念が問われてると思う。
AZZLOは、秋葉原の広告代理店に居た時 (2003~2005) に
「みんな、取り急ぎの基本給300万に、毎月成果報酬変動で、年間では大体平均給与以上にはなるようなシステムの方が、各々頑張るし無駄も明確になるから良いんじゃないですか?」
とボスに言ったがw リスク負わないとリターンもないのは当然なんだよな。お互いに。・・・ま、法的にこぉいう事は出来ないらしいが。
評価システム構築が非常に難しいが、外資系企業の様に今後そぉいう傾向は強まると思う。”難しいから” で放棄するのは、ただのサボりという認識になるだろう。経費削減という企業の思惑的にも都合よく採用されるだろうしw
39:外国人の友人のコメントです。
「これだけ空き家が増えて困っているのなら、空き家を取得してリフォームした人に税制で優遇すればいい。人口が減り、空き家が増えている状況下で、新築住宅を取得した人にいまなお税を優遇し続けているのは政策として理解に苦しむ」 と。
単純に人口減少でありながら、地方振興で、若年層が地方に移り住む事を推奨しているにも関わらず、都心に高層マンションが立っても誰が住むのだろうか?
投資用で中国人等が購入しているらしいが、ゴーストタウンに投資しても儲かるのか?
AZZLOの知見からすると、湾岸のマンションもろもろは、外国人移住を前提にしないと、かなり酷い末路になると思う。津波が来たら直撃だしな。
高級老人ホームという路線変更はあり得るとは思うな。
40:日本のリーダー層は、諸外国と比べると総じて社会に対する関心も理解も浅く、どこか他人事の感覚があるように思えます。自分の見解というよりは、その時々のメインストリームや声高に叫ぶ人に流される傾向があり、社会に対して果たすべき個人の役割を確たる自覚なきままに放棄しているように感じます。社会をつくっているのは私たち自身だという意識が、もっともっと必要ではないでしょうか。
41:どのような問題であれ、「幹」 と 「枝葉」 を峻別して考えていくことが必要です。どんな事例でも一〇〇%メリットだけという話は存在しません。必ずメリットとデメリットが混在しています。まだら状のなかにあって肝心なことは何か、何が 「幹」 で、何が 「枝葉」 かを見きわめていくことが、大局的な判断を誤らないために求められているのです。
という共通した信仰を持つ、広告代理店と広告主の間にさえ綻びが出ているだけに尚更だw
42:ところで、ノルウェーとカナダの間にも領有権問題が存在しているのをご存知でしょうか。北極圏の島ですが、そこは双方ともに実行支配を確立できていないのです。実効支配という方便でも見通しがつかないので、どうしているかと言えば、ノルウェー、カナダ両国の軍隊が半年ずつ交代で駐留しているそうです。どちらも譲れないということで、事実上、領土を共有しているのです。こういう例も一つの知恵と言えます。
寒い冬なので夜は、お酒を飲まないではいられない。半年ごとに交代しているうちに現場では互いの気心が知れてきて、飲み残したお酒はそのまま置いておいて相手国側にプレゼントしているそうです。あとの半年をよろしく、といったところでしょうか。
こういう形で領土問題を解決していけば、人類の進歩を信じる気持ちになれるのではないでしょうか。
⇒ 日本人だと “失礼がないように” という発想で処分しちゃうよなw
結局のところ、国政がどうであれ、ヒトはヒトでしかないという事だと思う。
ノルウェー:「余ったから置いていくよ♪」
カナダ:「毒でも入れてるんじゃないだろうな?」
というシナリオを妄想してみたがマジで涙が出たw ピュアなAZZLOに自分で笑うw
43:日本と中国、韓国との関係では、歴史認識の問題もあります。「歴史は一つではない」 「歴史は民族の数だけある」 と言う人がいますが、私は違うと考えています。あくまでも 「歴史は一つ」 だと思うのです。
たとえば、三人の人間が会合を持ったとします。そして、三人それぞれがメモを取り、同時にレコーダーにも録音する。百年後にこの会合を研究する歴史家がいたとして、メモ (一次資料) を調べたところ、三つのメモの内容は当然のことながら一致しません。おのおのの力点を置くところが違っているからです。しかし、レコーダーに録音されたデータが発見されれば、どういう会合だったか答えは出ます。歴史とはそういうものです。
様に、AZZLO自身も解釈から事実を歪んで認識した経験もあるので、レコーダーないし一次情報 (事実) は明確に残しておく必要があると思う。
44:百年の間に三度の総力戦を戦ったフランスとドイツは、もっとも意見が分かれる第一次世界大戦について、双方の学者が共著の形で戦史を出版しています。どうしても最適な資料が見つからず、意見が対立するところは両論併記とし、「この部分はどうしても分からない。見方が二つあるから、そのまま記録しておく」 としています。将来、より精緻な資料が出てきたら、それで判断してほしいと未解決のまま残しているのです。こういう謙虚さこそが歴史という学問の真髄だと考えます。
⇒ 認識している事実という記憶は、双方に欠落している可能性があるから当然の事だと思う。
しかし “臭いものには蓋を” “見て見ぬふり” ではダメで、組織マネジメントとかにおいては、時間的経過が近いうちに、記憶ではなく事実を探しだす必要があると思う。
45:著名な歴史学者ルカーチは 『歴史学の将来』 のなかで、「ナショナリズムとは、劣等感と不義の関係を結んだ愛国心である」 という連合王国の外交官の名言を紹介しています。
愛国心は誰にでもあるごく自然な感情です。自分の生まれた国、育った土地に愛着を抱く、本源的と言ってもいい精神の働きです。それは本来、自分が生まれた大切な場所を守っていきたいという防衛的な心理のはずで、ほかのところをどうこうするものではありません。ところが、「劣等感と不義の関係」 を結ぶと、他者に対して攻撃的になります。それがナショナリズムです。
したがって、愛国心とナショナリズムはまったく別のものだと考えるべきです。
46:日本人は、かつての高度成長時代の成功体験がなかなか忘れられず、いまでも勤めている職場に対するロイヤリティをひたすら重視する傾向があります。いや、「ロイヤリティ」 という言い方は上品な表現で、「エコノミック・アニマル」 とか 「社畜」 と呼ばれることもあります。
職場に対する忠誠的な姿勢を気にするならば、まず信用してからの話だと思うなw
「イエスは貴方を愛しています。エビデンスとして聖書にこう書いてあります。故に献金 (労働) を・・・」
が筋だろうw
47:私たちは、職場や仕事を背負い込みすぎてはいないでしょうか。出世して 「偉くなること」 は一般には成功ととらえられ、トップは 「偉い人」 として取り扱われます。トップを務めている人たちのなかにも、そう思っている人がいます。本当にそうなのでしょうか。
私は企業のトップは 「機能」 だと考えています。社長になったから、会長になったからといって、別にその人の人格が向上したとか人間価値が増大したわけではありません。出世とは、極論すれば、たんに 「機能」 が変わっただけなのです。企業にはトップが必要なので、その 「機能」 をライフネット生命ではいまは私が担当しているということにすぎません。~中略~
ひどい場合には、職場内での序列が人間のランキングだと勘違いしてしまいます。じつに馬鹿馬鹿しい限りです。
記事トップにも貼ったがコレだよな。コレが前提であれば、”機能” を理解している前提であるから、その機能のミッションを全うするという事として健全なヒエラルキー構造 (機能理解上の役割分担) が起きるだろう。
極論、トップなんて日直は無理があるが、月直当番制とかでやった方が、組織としては強くなると思うな。下手なトップが当番の時は「やっべ!今月アイツが社長じゃん! コレ先回りしてやっとかないと事故るなぁ・・・」
みたいな事になって能動的な組織になりやすいと思うw
「オレ様は偉いのである」
な組織内ヒエラルキー上位者に対しては、「立派で偉いんのに、なんで困ってるんですか?」 という事になるんだよなw そもそもエリートというのは “庶民が達成出来る上位レイヤー” である。本質は “慰め” である。 だから当然な結果なんだけども。
そして、その慰めへのモチベーションをたかだか一組織内で使うのは、もったいないと思うw おそらく目指す事が可能な最上位レイヤーは、アメリカ大統領だと思うが、何故目指さないのだろうか?
“出世” とは、”世に出る” だしな。
48:ライフネット生命では、原則としてまず当該部署のスタッフが応募者とミーティングを行うようにしています。ときどき 「出口さんが判断しないのですか?」 と聞かれますが、私がその人と一緒に仕事をするのではなく、当該部署の人がするのですから、彼らがまず会うほうがはるかに理に適っています。
ちょいちょい “トップが引退したら社内政治でぐちゃぐちゃになった” という、大塚家具的な事態を見かけるが、そぉいう組織であれば、引退と共に解散するべき組織だと思う。それも正しいし、むしろ正しいと思う。
49:ライフネット生命は、百年後には世界一の保険会社になりたいというビジョンを持っているので、定期採用も行っています。
⇒ AZZLOの在籍組織には、そぉいうの全くないよなw コンセプトワードみたいのはあるが、現実は “御用聞き” を横文字にしただけになってるしw
50:「自分の頭で考える」 ことができるかどうかを見定めるために、ライフネット生命では論文を書いてもらっていますが、聞くところによると、少なくない数の企業が論文試験をやめているそうです。どうしてかというと、驚くことには、論文を読むのが大変だからというのです。あるいは、みんなが決まりきったことしか書かないから意味がないとも聞きました。
でも面接のみで採用して企画書を書かせたら 「てにをは」 レベルで書けないケースが続出しているともいいます。「てにをは」 の通った文章を書けない人が、筋の通った思考ができるはずがありません。
将来を構成する採用で “大変だから” という理由はあまりに無いだろう・・・w 採用された側も 「大変だから」 という理由で仕事しなくても良い事になるw
そして “みんな決まりきったことしか書かない” は、就職マニュアルに目を通している学生が対応出来ちゃうお題だからではないかな?
51:ライフネット生命は少数精鋭主義です。といっても、「精鋭を少数集める」 のではありません。「少数だから精鋭になる」 と考えています。
⇒ 少数だと、それぞれの強み弱みを認識して、弱みに対しては諦めて活かさなきゃならないしw 強みを活用しつつ助けられもするから、奉仕の循環が回るんだよな。
52:私はコンタクトセンター (本社内にあります) には開業以来、休日を含めてほとんど毎日顔を出しています。といっても、別にモラルを上げたいがために行くのではなく、オペレーターの顔が見たいのです。みんなが暗い顔をしていたら、お客さまにいい対応ができるわけはないし、みんながニコニコしていたら、オペレーションがうまくいっていると一安心できるので、その様子を知りたくて毎日行っているのです。
それでも、結果的にはオペレーターのやる気が違ってきます。トップが毎日見にきて 「今日の様子はどう?」 「何か問題はない?」 と気にしてくれるだけで 「ここは大事な部署なんだな、頑張ろう」 という気持ちが自然と湧いてくると言ってくれます。もし、本当にコンタクトセンターが大事だと思っているのなら、自然に足が向くはずです。いくら口では 「コンタクトセンターが大事だ」 と言っていても、半年に一度ぐらいしか足を運ばないようでは、本音と建前を使い分けていることぐらい従業員は簡単に見抜きます。自分が本気ではないのに、部下ににだけ本気を求めるというのでは虫がよすぎます。
53:結局、心を込めていないことは、何をやっても意味がないのです。ビジネスでは、本気かどうかがすべてです。
⇒「広告代理店のプレゼンは “お前がコンペで勝とうとしている” のはよく伝わる。しかしこっち側企業の成功を望んでいるようには到底思えない。代理店のプレゼンは信用しない」
に表れているように “本気” の捉え方もすぐバレるんだよな。
54:腕時計もやはり三十歳ぐらいで捨てました。私は気が短いので、待ち合わせをしていて相手が定刻通りにこないとすぐにイライラしたり腹が立ったりしていました。あるとき、どうしてこんなにイライラするのだろうと考え、腕時計があるからだと思うに至り、腕時計を捨てました。
腕時計をしないと時間に縛られずにすむし、楽しみも生まれます。いま何時何分ごろかを当ててみるという、ちょっとしたゲームもできます。
55:馬車馬のように働いて、私生活を犠牲にしたところで、高度成長期ならいざ知れず、いまではそれが必ずしも成果につながるわけではありません。
トラディショナルな広告代理店が今後食えない理由 ( ノ ε`)
コレだしな。「頑張る!」 っつったって一日24時間は変えれない中で、どうすんだろうな?
馬車馬状態がフローの時はそれで良いんだけどな。
後記
マネジメント論・リーダー論・教養といった、世の中的 (AZZLOも)な関心が強い 内容であり、もろもろ総集編という感じだった。
単純な “海外で働いていた” という経験だけでなく、そもそも海外行く前の出口さんのベース (いわゆる育ち) によって整理された意見・提言だと感じる。むちゃくちゃ友達になりたいw
そして、書き起こす作業に、流れで “行っています” を “実施しています” とタイピングしてしまったりした箇所が何度かあった。非常に細かい点だが “企業運営” ではなく “人の集い” という意識が垣間見れる印象を持ったな。
先日GOOGLEアラートに登録している “堤清二” から、こんな記事を見たのだが
出口さんのベースと思われるセゾン堤清二とAZZLOとの近似性を確認出来た。
36番の 人間は次の世代のために生きているのです。 がライブで起きている体験である読書だった♪
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