目次
はじめに
樹木希林には特別な想いは無かったのだが、東京タワー オカンとボクと、時々、オトン を見て圧倒的な実力を実感 した点と、発言に共感
しつつ、下重暁子ほど ではないにせよ、やはり内田裕也との関係は、一般的なカタチではない訳で、何かモヤモヤ? もしくは聰明な考えがあるのだろうという関心があった。
また、日に日に綺麗になっていく婆さんであったという印象w と “なんか仏教的” な発言が気になるようになった。 死はピリオドであるのは間違いないが、この本が出るきっかけとなってる訳で、新書で安いし手にとった。
2018年12月中旬の読書。
本書においては、カーネギーを召喚する☆ (【読書感想】 人を動かす 新装版 / デール カーネギー) の様な召喚スタイルは上手くいかなさそうなので、以前の様に “一節に対する感想” を残していく☆
付箋を付けた箇所+感想
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- 私に縁のあった人達、皆キラキラしてほしい
コチラの言動によって 「生きる希望が湧いてきた」 とか言われたいもんなぁ☆
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- 楽しむのではなく、面白がる ことよ
愉しくはないが面白い♪ と思うしな。
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- 欲は深いんだろうけど、深さの場所が違うのかなあ
コチラと同様、xyz、3軸のうちメインの2軸構成が世の傾向とは違う のではないかな?
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- 役者は当たり前の生活をし、当たり前の人たちと付き合い… もうちょっと苦労したほうがいいんじゃない
見る人は “当たり前の人たち” だからな。”想定出来る” ためには “実体験がある” 方がピントが合うだろう。…しかし “実体験があっても想定出来ない人たち” が居たりはするw
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- 「私が」と 牙をむいているときの女というのは醜い なあ
…今、何人かの女性の顔が浮かんだw
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- モノがあるとモノに追いかけられます。持たなければどれだけ頭がスッキリするか。片づけをする時間もあっという間。
コチラはレコードしかり、非常に私物が多いのだが、現在はホームレスで知人のオフィスに居候している 環境故、PC、着替え、本ぐらいしか荷物がない。…意外と困らないんだよなw
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- こんなはずでは…というのは、自分が目指していたもの、思い描いていた幸せとは違うから生まれる感情ですよね。でも、その目標が、自分が本当に望んでいるものなのか。他の人の価値観だったり、誰かの人生と比べてただうらやんでいるだけなのではないか。一度、自分を見つめ直してみるといいかもしれませんね。
確かに…。コチラの転職活動が全くうまくいかなかった 背景として、労働に対するモチベーションに “他人のモノサシを嘲笑う” という皮肉遊びが多分に含まれていた だろうしなw
と言え、“大衆をキラキラさせたい。何故ならそれが都市力だから☆” という前向きなモチベーションもあったんだけどなぁw
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- 子どもでなくても夫でなくてもお手伝いさんでも親でもなんでもいい。人の人生に、人の命にどれだけ自分が多く添えるかという、その体験の豊富さが、いい役者かそうでないかというふうに思うんですよね。
役者に限らず、生きてたらそういうコトだと思う。
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- それなりに一生懸命やって、傷ついたり、うれしかったりしている人たちは、やっぱり会ってすてきですよね。適当に女優というところで あぐら かいている人は、やっぱりすてきじゃないですね。それはもう、私、どの世界でも一緒だと思うのよ。
凹んだりアガったりするのは “本気” だからだもんな。
コチラは比較的、喜怒哀楽の振れ幅が小さい方(感じはするが少なくても大きな声は出さない)だと思うし、小さくなるようにメンタルケアしている気がするのだが、今はパッと見 “感じない人” という印象が発生し魅力的ではないかもしれないなぁ。
…喜怒哀楽れるネタが無い気がするが、喜怒楽は感じるし、よくこのブログに書く。哀(悲しい)は、昔からほぼ書いていないし、感じるコトはあれど、即ポジティブに変換しちゃってる気がするなぁ。
世の中でも “歌詞” には哀が多いが、個別のドキュメンタリーとしては、あまり共有されていない気がする。そもそも喜怒楽に対して発生率が少ない気もする。
ちなみに長渕剛は、喜怒哀楽を否定し
と言っている。…コチラにおいては、怒と哀が一塊になっているが故、哀単体で認識し難いという点があるかも?
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- 欲でも持たないと、いつでも引き下がれちゃう、いつでも自分がいなくなってもいいというようなところへ行っちゃうからね。
今のコチラは欲はあるんだろうけど “俗欲” は以前にも増して減った気がする。欲以前にホームレスなんで、基準が違い過ぎる背景があるが、”欲がないからホームレスになった” という因果関係が成立してしまった気がするなw
“俗欲” が強いと “日々目の前のコトに努力する” 気がする。
ホームレスじゃ彼女なんて出来る可能性は超低いw そんな金銭能力では風俗行くのも決死の覚悟となる訳で、それを回避しようと目の前のコトに努力するだろう。
しかしコチラは “出さないと…どれだけ貯まるのか実験中☆” とかに置き換わっちゃう んだよなw
PCがあれば文字は書けるし音楽も作れる。マスタリングは電源環境に課題があるが、適度に楽しめはする。日銭獲得に費やす時間との兼ね合いであるが、悦楽的な行為は今でも全然出来ちゃってる んだよな…。
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- 不器量であるために、他人が私に関心を寄せないから、こっちが自由に人を判断できる。今日まで、いろんな男の人との出会いがあって、中には、う~ん、ねえっていうのもありますけれど(笑)、それも含めて納得してるんですね。
関心を寄せられても自由に判断出来るけどな。むしろ関心を寄せられた結果コミュニケーションが発生し、判断する材料が増える可能性が高い。
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- 勘違いしたまんま一生を送り切れれば、それもまた幸せではあるけれど、どこかで気づかなければいられなくなる。人生は多分、そういうものだと思うのよ。
コチラは10代の頃から “このまま歳を重ねると痛いおっさんになる…” という危機感持ってたので、いろんな体験を求めてきたという半生ではあるな。
そぉいう 気概があっても、非常に恥ずかしい気付きが絶えない もんである…w
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- 私のことを怖いという人もいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があると、それが弱みになって、人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまうのね。
コチラとコチラと付き合った女性は、よく “怖い” とか “話しかけ辛い” といった評判が多い。それは欲がないからなのか?
“怖い” 印象とは “世界観がある” というコトが本質なのではないか? 因果関係か相関関係なのか分からないが…。
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- 子どもの声を楽しいと思わないなんて、いつから日本はこんな国になったのかなあ、寂しいなあ。
自分も泣いてた訳だもんな。
警備員をやっていると、朝、午後に子どもたちの登下校の姿を見るコトが多い。中々心地よいもんだけどな。…ま、家の隣で逃れられない状況だとコチラもどう感じるか分からないが…w
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- 絶対多数の人数の割り当てでもって、いまこれがよさそうだというのは嫌いなんですね。統計なんていうのは、わたしは全然信じてないの。
統計は一応 “ある面の事実” ではある。しかし、”それだけ” で考えるのは危険だとは思うよな。
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- 終了するまでに美しくなりたい、という理想はあるのですよ。ある種の執着を一切捨てた中で、地上にぽーんといて、肩の力がすっと抜けて。存在そのものが、人が見た時にはっと息を飲むような人間になりたい。形に出てくるものではなくて、心の器量ね。
爺警備員の中には、そういったオーラ的な存在感を発している人が稀に居る。話すと裏切られるコトもあるんだがw
逆に若いのにそういったオーラを持つ子も増えた…というかコチラが少し見抜けるようになった気がするな。
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- 今の女の人って、子供を踏み台にしちゃうでしょう。子供も自分の飾りを満足させるナニカだと思ってる。だから人と比較して落ちこんだりするんであって、子供は飾りの材料にしないほうがいい。
女性に限らず
教育が及ぼす負のループ(大卒者 (エリート) が組織で使いものにならない理由 2)
こぉいうループが存在するが故だと思う。
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- みんないずれ死ぬんだけど、死ぬまでの間に、残したくない気持ちを整理しておくといいですよね。会っておくとか、話しておくとか。
コチラは今の所、”残したくない気持ち” は無いかなぁ? “hideの墓参りに行ってない” はしょっちゅう思い出すので、いずれ達成するつもりだが。…しいて言えば
こぉいう貧乏性はあるかな?w
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- 私の中にあるどろーっとした部分が、年とともになくなっていくかと思っていた んだけれど、結局は、そうじゃなかった。でも最近は、”それがあっていいんだ” と思えるようになって。少し、ラクになりました。
“とろとろ/ぬるぬる領域も出てくるので 割合は減る” を経過し “どろーっとした部分” も必要な時にいつでも出せる状態が良いと思う☆
ま、女性の “どろー” は男性では分からない領域な気もするが。
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- 自分の中にも、何かどうにもならない混沌とした部分があって 、それが、内田さんという常にカッカしている人とぶつかり合うことで浄化される。
内田裕也との関係を安く読み取ると “言いがかりに付き合うコトで本質を忘れる(楽になる)” という行為だったのかもしれない。
…いずれにせよ会話ないし書き出しないし、”外に出す” コトで俯瞰整理出来る材料となるからな。
一つのコミュニケーションとしてよくある事象だし。お互いに必要とした関係であるんだろう。まぁ世に言う恋愛とは違う状態かもな。
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- 楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やっていけないもの、この世の中。
“愉しい” は主観(内面)的で、”楽しい” と “面白い” は客観(外面)的な感じがする。よって樹木希林のこの見解には、おそらく同意で、ゴミ売広告社を目指し必要以上に奮闘したコチラw の心理は、”中に入って面白がる” であったよな。
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- その状況をおもしろがれるようになるといいですね。
コチラはそのスキルが強過ぎる為、行き過ぎてホームレスなんだと思うw (外的要因もあるが)ま、ストレスはほぼ無い生活ではあるんだよな。面白いし☆
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- 我ながら、自分は変わった人間だなあと思います。愛情深いタイプではないことは自覚してますが、冷徹であろうとしているわけではないんです。
おそらく樹木希林は博愛的な人なんではないかな?
コチラはコチラ自身を “変わった人間らしい(人に指摘されるので)” とは思う が、”変わった人間だな” とは思わないな。自分が基準なんでw
むしろ “変な人(徳が無い人)が多過ぎる!!!” とは思うw
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- 私が、なぜ旦那と別れないかと言うとね。十分に旦那がお飾りであるからなんですよ(笑)。私にとってですよ。夢や志を振りかざしたお飾り を十分演じてくれる。
一応理解出来るが、普通こういった欲求は持たないよな。後付で整理されたコトバかもしれないが本心も含まれている様に読み取れる。
現実の生活においては “ただのお荷物” であるからなw
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- あの人(内田裕也)は、3万円しか財布になくても100万円使うとか、人のお金と自分のお金の区別がつかないだけで、私よりずっとノーマルな人 なんです。
十分問題あるハズだが…w ここまで言える “樹木希林のアブノーマル性” はどこなんだ ろうな? 全然書いてないんだよな。
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- 自分自身の人生だけでもへたばってるのに、他人の相談に乗るなんて私にはできるわけがないですから。
意外とこういう風に言う人ほど、人への関心が高く、行動もしたりするんだよなw
直筆の紙を多くの人に送っていた らしいしな。
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- 物事には善の面もあれば、悪の面もあるとわたしは思うんです。そういう東洋的な考え方が自分の体の中に入ってきて、宇宙の大きなものに対して働きかけるような、「祈り」という行為に感染していく。それが 相対的にひとりの人間となって生き生きしてくるんじゃないかという感覚 なんです。どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。
コチラも幼少の頃はプロテスタント系の教会で “お祈り” をさせられていたが、アレって何の意味があるのかな?
“神” ないし “宇宙” ないし、大枠との接点を創出するコトで、目前の課題を忘れる行為
という側面はあるんじゃないかな? 身がある行為としては “自身を俯瞰する行為” とは言えそうだが。
いずれであっても、俯瞰するコトで落ち着くので人に優しく出来る可能性は高まるとは思う。
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- 死ぬときはね、「お世話様でした、とても面白かったです。納得いきました、ウフフフ…」って言いたい欲はあるの。
コチラは既に何回か起きてるな。
とかな。ヤリたいコトやって、
イイ女とも遊んでイイ女に遊んで頂いてきたと思うしな~。とは言え
とは書いていて、コチラの矛盾の根っこだったりはするんだが…w
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- 私はお仕事で関わっている人達を、自分も含めて俯瞰で見るようにしている んです。そうすると自分がその場でどんな芝居をするべきかがとてもよく分かる。初めてこの世界に入った時に、俯瞰で見ることを覚え、どんな仕事でもこれが出来れば、生き残れるなと感じましたね。
同意だが、周辺からは比較的嫌われやすいスタイルなのが現実w
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- まったくお門違いな拘り方をしている役者さんがいると、どうしても「何やってんの、あんた」って、ズバっと言っちゃうんですよ。それがどうも あまりに的を射ているものだから、傷つくらしいんですよね。
でコンプレックス直撃し激怒されたりするもんだからなぁw
こぉいう “直撃型指摘” って “相手を打ちのめしたい” ではなく、いわゆる “老婆心” なケースが多いと思う。…故に老婆が言わないと反感を買うんだよなw
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- 10代の頃なんか、人と諍うのが楽しみなくらいだったから。諍っていると、その人のいちばん嫌なところや、隠そうと思っている悪い部分がズンって引き出されてきて、それが面白かった。最初は役者の目で見ているんだけど、人が自分の手の平の上で転がされているような感じになってくると、なんだか愉快で(苦笑)。ね、絶対に友達になりたくないタイプでしょう?
諍うのは
- “執着があるから諍う” (コンプレックス起点も自身や相手への執着があるが故に起こる)
- “執着があってもなくてもノイズを排除する”
のどちらかだろう。
“人が自分の手の平の上で転がされているような感じ” の面白さは、諍うではなく “コチラ側の意図に誘導する”(煽てて転がす)楽しみも可能 である☆
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- 身を預ける、と言うんでしょうか。「これは、どうなの?」と言うよりも「とにかく、やってみましょうか」。がんばらないというか。そうしたら、好感度1位でしょ?(笑)他人におまかせがいちばんなのね。
“自論を展開するよりも流れに任せる” 的なスタンスがポジに機能するかはタイミングによる。自論を求められている流れに関わらず、ただ承認してもらいたいケースもある し、逆のケースもある。
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- 「郷ひろみ、松田聖子とのことを赤裸々に語る」だっていうから、それじゃインパクトが弱い。「ちょっと待ってください。タイトルは別にしてください」って申し出たら、もう表紙に刷っちゃったから変えられないっていうのよ。で、「その分は私が費用を払いますから、刷り直して下さい」って頼み込んで、表紙を急遽替えてもらったんです。~中略~ “独占インタビュー郷ひろみ” 「コケにされた男の正しいコケ方」。そうしたらね、普通二十五万部くらい刷っていたのかな、あの頃。それを四十万部刷って、あっという間になくなっちゃったというのね。
イイコピーだと思う。
“コケにされた” はネガティブな事象だが、にもかかわらず “正しい” が存在するという違和感 が、人の関心を惹いたのだろう。
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- 役者って、人間の裏っ側や中っ側を覗くようなことがないと長く続かない
“役者” を “マーケッター” と読み替えたくなるな。
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- いい顔したおじいさんってのは多いけど、いい顔したおばあさんってのが少ないんですね。そこが、やっぱり、女の許容量の狭さなんだろうと思うんですね。女が徳のある、いいシワのある顔相になるためには、本当にとことん自分のエネルギーを使い果たさないと。そこまで行きつかないとアカが取れないという、女の体質なんじゃないかと思うんですよ。
今の50代以下の者が80代以上ないしの高齢になった場合、今の高齢とどう違うだろうか? 結局は人によるのだろうが、女性の方が “いいシワのある顔相” になっている気がする。…ま、”人による” んだが…。
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- 性格のいい男はいると思うんですけれど、性格のいい女はいないですね。年齢に関係なく、女の持っているもののなかでまず裏側の怖さのほうが先にわかっちゃう。
男には分からない、異臭漂う悪魔の様な感情ってあるらしいからなぁ。
そもそも “性格が良い” とは、どぉいうモノサシで言うんだろう な? 多くの場合 “物腰優しい” で◯が付けば “性格が良い” というコトになりがちだが…。
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- 女の持っている たち というのは、すさまじいものだなと思います。男の たち は浄化するとっかかりがあるという気がするんでうしょね。女というのは根本的に蠢いている感じがするんですよね。
“たち” を世間体とか他者の目で解釈すると、確かに “女はいつまでもあざとい” とは言えるかも しれない。
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- なんでも 「私が」「私が」という。世の中が「私が」を主張するようになってきた ということは、そういうことをしないと 自分がいることが確かめられないという心もとなさなのかな と思うんです。そう考えれば 女って哀れだなと思う ところでいとおしくはなりますけれども、「私が」と 牙をむいているときの女というのは醜いなあ というふうに思うわけですね。
西武そごうの広告(わたしは、私。)を読み解いてみる は、おそらくこの言葉も影響があるのだろう。
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- 女は強くていいんです。強くないと一家を支えられないんですよ。その強さで「男女平等」というところに旗を揚げなくても、もっと女の適正の場所を探して、そこで強くなるとすごく世の中は美しくなる と思うんですけどね。
根本はいつの時代も女性支配社会だとは思っている。 し “男社会(いわゆる労働市場)で疲弊する女性” が強い女性な訳ではない からな。激しく同意☆
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- 結婚しなくても成熟する方法を見つけていければいいんじゃないかって気が、最近はするのね。~中略~ もちろん恋人はいたほうがいいと思います けど。
お互い学びがあるからな。
コチラにおいては “寂しい” とか “溜まってる” とか、そぉいう負の解消軸ではなく、今のコチラが恋人として女性と接すると、どぉいうコミュニケーションになるのか? は興味ある な。…結局関心は自分自身なんだけどもw
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- ときどき、夫や妻のことを悪く言っている人をみると、「この人、自分のこと言ってる」と、心の中で思っています(笑)。
まぁ何においても、そぉいう事象が起きる時は起きるよな。全てではないと思う。
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- やっぱり世の家族が崩壊しないのは、女の粘り強さですよ。女が台となって、”始” って漢字になる。全ての始まりの土台を作るのが女だからね。そこがグラグラしてるんですよ、今の世の中は。
“始”については、特に恋愛開始において言えると思う。
ヘテロな二人における始まりは、大概 “男が女を口説く”(男がアプローチする)というコトになっているが、“そうさせているのは女” である と思うしな。そこで勿体ぶって女の価値を上げながら目的を達成するのが女であろうw
週間SPAを読んでまでヤろうとする程、男はチキンである。そして "言い訳" が欲しい女にとっても悪い事ではない側面もある。"女性蔑視" の前に "そもそも依存関係" が存在している。(依存しない女性においては迷惑千万だがw)
— azzlo (@azzlo) 2019年1月14日
そもそも男は、週間SPA読んでまでヤろうとするチキンな生き物な訳で、そんなのがストレートにガールハントなんて出来る訳がないのが事実だw
“粘り強さ” に関しては、本当の強さの場合もあるが、”蓄積が崩壊するコトを恐れる” 的な心情もあると思う。故に “女は別名保存” と言われる様に、崩壊したら立て直しは出来ないのではないかと思う。
特に “男に対する粘り強さ” は、シムシティーやA列車で行こう的な街作りゲームで確認出来そうな事象を思い出す。
男は “1つの駅前を育てる” 形で進めるが、女性は “市として広範囲に育てる” という傾向の違いがありそうだ。
男的進め方だと、”どの街とも繋がってないのに高層ビルを建てる” が、女的進め方は “畑ばかりだが数個の街が出来ている” そんな違いが出そう。
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- 人間が絶対的に変わらないものを持ち続けるなんてことは、ないと思う。その面白さ、ダメさも含めて人間を肯定する是枝さんの作品はチャーミングよね。ダメさを愛おしむ ところがある。
“絶対的に変わらないものを持ち続ける” はあると思うけどな。ホントに絶対か分からないけど、文献が残っている時代と比較して変わらないコトは多々あるし、個の生涯においても多々あると思う。
そして屁理屈だが
- “絶対的に変わらないものを持ち続ける” なんてことは絶対にない
という絶対宣言は出来るw
“ダメさがチャーミング” については、ある種 “犬” と同等の見方ではあるが、コチラも 爺警備員をカワイイと感じたりする というのはあるな。
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- 人間が老いていく、壊れていく姿というのも見せたかった。高齢者と生活する人も少なくなって、今はそういうのをみんな知らないでしょう?
都心に居ると “人の終わり” って見えないからな。絶対一人一回は起きるコトなんだが、全然身近なコトではない。もちろんあまり直視はしたくないものだけども、あまりに距離があり過ぎる状況だとは思う。
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- 突き詰めて考えると、自分自身のムジュンに大きくぶるかるのです。
ROCKをビジネスとして考えなければならない時に来たのでしょうか?
最近は「ことわざ」が自分に当てはまるような気がしてならないのです。
早くジレンマの解答が得られるように祈ってください!
落ち着きとズルさの共存にならない様にも、、、
「メシ!」「このやろう!」「てめえ!」でも、本当に心から愛してます。
内田裕也からの手紙
- 内田裕也はROCKなのだろうか? 現状まだ悪い意味で “ROCK少年” という印象ではある。歳は食ってるのでファニーな違和感があるが故の存在 となっているのではないか? 別に悪いコトではないと思うが。
- 突き詰めて考えると、自分自身のムジュンに大きくぶるかるのです。
全体感想
- 凄く人間的な矛盾がいっぱいだと思う。嫌いじゃない矛盾。艶のある矛盾。いい香りがする矛盾。そぉいう感じがする。
- つくづく “個” を探求した人なんだろう。しかし付随する他人の影響が嫌いでもない…。むしろ好きだった矛盾があらゆる箇所で滲み出ている。
- “女” の部分は分からないが、”人を嘲笑う” とか、コチラとの親和性を多く感じる。…実は “結婚するなら樹木希林ぐらいが良い” と感じたタイミングが過去にあるw
- コチラはある種 “内田裕也的ダメ人間” なのかもしれない…w 内田裕也よりはROCKだと自負するしw 泉谷しげる的な精神性は持ってると思うのだが、現状傍から見たら内田裕也かもな…w
- 物件を持って家賃収入もある点からして、平均的な人よりも金銭的余裕がある。故の余裕ある思考であるとは思う。
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