なんで車は必要であり必要でないのか?4(全員を平等にしたら全員が不幸になった)

情報収集4日目。

雑誌を見て狙い通り四面楚歌に達する☆

ネットでの情報収集は頭打ち感が出てきたので、営業の所に雑誌を貰いに行く。CG なんかは完全に車ファンが見るものだと思うので、月間自家用車 を貰う。

各社の最新車両の紹介がありつつ、走りがどうのではなく、実用的な視点での原稿が中心。更に値引き交渉のテクニックなんかもありつつ、かなり一般的な購買層に向けた内容。狙い通りだ。

注目したのはイベントレポートのページ。最初はレースクイーンの写真が中心でありつつの、中盤からはラジコンカー?かなんかの男同士のレースレポート。そして最後は家族の笑顔写真というオチになっていた。カーライフは下心とリスクと愛全てが詰まっているという様な感じだ。

真っ当にやれる事はやってるんだなぁ・・・と更にネガ要素が増える。(これが狙いなんだが)

夜はメコノプシスへ

で、夜はEMIちゃんから営業電話。リセットしに行く。

marboさん

marboさんが居て、今日の仕事の報告。「車なんていらねぇよな!」に続き、昨日の営業の案件、某医薬品の話をすると、

「あんなのは日本では必要ない!ネットにもその危険性はみんな書いてる!」

とイラネェづくしとなる・・・w

ウイの山崎さんからヒントを得る☆

久々に山崎さんと会う。最近、空気振動ではなく分子を録音するマイクで遊んでいるとの事w スピードが全然違うんだそうだ。自分は体感していないが確かに理屈は理解出来る。しかし音楽を聴いて感動するというのは、環境にも大きく作用されている。聴く環境の分子はその場の人間によって違ってくるというのが、コミュニケーションツールとしての音楽じゃないかな。

・・・と書いてみて直後に思ったけど、音発者が分子コントロールを明確にしつつ~の、分子アウトプットを各自が意図的にやれるともっと深いコミュにケーションが出来るなぁ。入力端末の進化はここにあったりしないかな。iphoneが感圧ではなく静電感知なのにも意味がありそう。

で!車の方は今まで25年同じクラウン乗ってきて、あくまで移動手段の道具だったのが、最近ジムニーにハマってしまったとの事。オーディオにも通じるものがあり、やはり反応のスピードが魅力の深さなんだそうだ。ジムニーは色々と追い込めるベース車両らしい。ジムニーのオーナーは安月給の大半を改造費に注ぎ込んでいる若者も多いとの事。

車の運転そのものの楽しみは

・自分の指示をダイレクトに反応させる。
・主に尻で振動を。体全体でGを感じる。
・反応に慣性がある。その隙間を計算する。
・アウトプットと尻とGで感じたインプットを瞬間に採点する。
・繰り返す

というのが面白いんじゃないかな?と思っていたが、この山崎さんの話は概ね同じレールの話だ。※自分は運転免許持ってないのだw

楽器にも似てるかも。弦楽器で例えるなら鼻息でも音が鳴ってしまう繊細な設計の方が演奏方法も多様だし、自分の成長や個性も濃く実感出来る。それが明確に大きく叩かないと音が鳴らないのであれば、ヴェロシティーに差が生まれない。エンベロープの設計もやり難いだろう。

今の車は誰でも同じ音が鳴る様に設計されているとも言える様だ。山崎さんが言うには

「女子供が欲しがる物しか作れないのであれば、男の興味は惹けない。」

という事の様だ。衝突回避安全システムなんてのは自動演奏みたいなものだろう。

全員を平等にしたら全員が不幸になった

DJのピッチ合わせが自動化してきたら、趣味DJとして長く続いている人が減ったような感じがしている。操る楽しみが減ってしまったからじゃないかな。誰でも120BPMであった場合の3/1000拍のズレぐらいは聞き取れる。これが常にズレていくのがグルーブであり個性だったと思う。

最近よく言っているのは “全員を平等にしたら全員が不幸になった” なんだが、車も同じ感じみたいだな。”全ての人に安全を” きっとどこかでどこかのメーカーがキャッチ・スローガンで言った様な気がする。全ての人間が美人・イケ面だったら誰も面白くないだろう。

あちこちで物作りの意味でも “メーカーの自業自得” という声は聞こえてくる。今のまんまの車を売る事を考えるのか、開発を変えてでも車を売ろうとするのか?自分の立ち居地(社外・広告屋)だとこの2択から始まる様な気がする。

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