2015/10/27発売。2015年12月の読書。
目次
- はじめに
- 引用・感想
- クラブのヘッドDJとして1年間クラ…
- コミュニケーションは社会の土台…
- 多様な人材にコネクトしてもらえ…
- 「運命の赤い糸をつむぐカイコ」 …
- 当時、周辺の人たちは、「無料で…
- 近年の人工知能の発展で 「人の仕…
- 起こる前に起こることを知りたい…
- 「自分はどういう存在なのか?」 …
- 自らの関心に合わせて情報が変化…
- 私たちは自らの行動履歴という鏡…
- 構造的カップリングとは、それぞ…
- 視覚と記憶は、一旦上書きされて…
- 自分自身の認知そのものに全く信…
- 現実であるという確信が生まれる…
- 過去と現在の映像がブレンドされ…
- マスターが非常に特殊な能力を持…
- そのような世界は、気がつかない…
- 不可能だったことが実現すると、…
- 未来を的確に予言してきたニコラ…
- ネットワークとコミュニケーショ…
- 後記
はじめに
MITメディアラボ所長であり、Eテレ / スーパープレゼンテーション (TED)のキャスターを務める伊藤氏。
MITメディアラボの伊藤穰一所長が、最近こんなツイートをしました。
「人工知能やロボットが我々の仕事を奪うことを恐れるのであれば、AIでも合格できるテストで評価するような教育をやめよ」
グローバルエリートの仕事作法 / 梅澤高明
— azzlo (@azzlo) 2015年8月31日
こんな発言に共感しまくっているので、最近出た(読書時)本書を手に取った。
引用・感想
1:クラブのヘッドDJとして1年間クラブを経営した経験は、コミュニティの形成やマネジメントの勉強になり、オンラインコミュニティやバーチャルコミュニティの重要性に気付く契機ともなった。
⇒ どこかで見た事ある顔な気がしてたが、そぉいう事だったとは・・・w 「当時、西麻布YELLOWで見かけた」 という声も最近になって聞くしな。
AZZLOも90年代はDJやってた訳だが、何故近年のAZZLOが “テクノロジー” “コミュニケーション” に紐付く形でマーケティング方面に進んできたのか、腑に落ちる気分になっている。
“対象者を正確には把握出来ない暗闇のダンスフロアーで、今あるネタ(レコード)で、対象者の反応を考察し、次の一手を繰り出す”
というのがDJな訳で、手段が若干違うだけで、思考は同じだと思う。
2:コミュニケーションは社会の土台であり、テクノロジーの登場によってコミュニケーション構造が変化すると、社会はあらゆるかたちで影響されていく。
⇒ 黒電話、留守番電話、コードレス電話、ポケベル、ガラケー、スマホ、SNS、と、AZZLOが生まれてからも、こんだけ変化があるからな。
3:多様な人材にコネクトしてもらえばもらうほど、クリエイティビティやイノベーションは生まれていく。コネクトのためには異分野をつなげるコミュニティ作りが必須であって、僕に得意分野があるとすればそこだろう。
⇒ そぉいう機能が、クラブ等の “場” が担ってきたし、生産的なコミュニティーというのは
この指摘のように “ライセンスは必要ないが何故か全員ではない” という “何かしらのフィルター” がある事が条件に思う。
“見解・立場が違う人間同士とは言え、立地ないしの条件(広義のアイデンティティー明確化)をクリアした少人数で、同じテーマで議論している様”
が、本質的なコミュニティー(文化)かと思う。その前提において、伊藤さんは良い結果を想定した人材を投入し、ファシリテーション出来る人だと思う。
そういえば原宿ボノボのセイさんは、そんな事を毎日やってるな。
リアルにおいては特に “アルコール” の要素も重要で、コミュニケーションに良くも悪くも歪が起きるので、クラウドAIでのアルコール的エフェクト(酔い)の再現が今後の重要課題になると思う。
4:「運命の赤い糸をつむぐカイコ」 プロジェクトは、のちに映像やインスタレーション作品に発展する予定で、アジアに古くから伝わる男女を結びつける 「運命の赤い糸」 の伝説を、バイオテクノロジーで新しい神話としてリミックスしようと試みている。「アートとして生き物を創造するなんて良いの?」 という超えももちろんあるけれど、そういった価値観の曖昧な新しい領域にこそ、アートにさぐれるものがあると私は思っている。
「アートって何だよ?」 の議論を促すのがアート”(軽井沢・草津行ってきた (´ー`) 1 (堤清二 / 辻井喬 オマージュ展))
だと思うので共感する。
5:当時、周辺の人たちは、「無料でウェブにあげたらもっと売れなくなるよ」 と忠告してくれたけど、私は反対に考えていた。
「どうせ売れないなら、無料でもたくさんの人に見てもらったほうがいい」
見られることのない作品は存在しないも同じ、なのだ。
⇒ 目的は貨幣なのか? 何なのか?(評価経済社会へのシフト) という葛藤になるよなw
6:近年の人工知能の発展で 「人の仕事がAIにとって代わられるのでは」 と言われるようになり、これまで学校で暗記させられたような多くのことは無意味になっていくかもしれないが、現在の人工知能は与えられた 「良い悪い」 の基準に沿って学習することに関しては優秀でも 「良い悪い」 の基準を自分で設定することができない。
それが現在の人工知能と人間との決定的な違いであって、その 「良い悪い」 が曖昧で移り変わるものだからこそ、アートの力で、議論を続けたいと思っている。
7:起こる前に起こることを知りたいという人間の基本的な欲求の表れだ。愛だろうと、犯罪だろうと、クレジット・カードのリスクだろうと、私たちはこういった決断をする時に、導いてくれる不透明なテクノロジーにますます頼るようになっている。そして、決断へと導くことができない時は、自動で決断を下すのである。
まさに今週 (2015年9月末)、フェイスブックは、個人のソーシャルグラフに基いてクレジット・カードのリスクを決定づけるアルゴリズムの特許を申請した。
⇒ “婚活ビッグデータ” みたいな取り組みに向けて地方自治体で議論が起きているらしいが、”DV発生のリスク” とかも出せるだろうなw
中国では生まれた子孫の遺伝子解析によって、”将来の可能性診断” が流行ってるらしいしな。
8:「自分はどういう存在なのか?」 という個人的な現実像の形成に対しても、ますます身体に密着する生体計測技術や嗜好データを基にパーソナライズされた広告やマーケティングの技術が影響力を増大させている。
⇒ アイデンティティを、肉体の自己ではなくクラウドAIの方が把握しているという状況は明白になるよなw
ビジネス的には、超高精度リアルタイムマーケティング(まずは顕在化ニーズへの確実なターゲティング)に繋がるよな。
9:自らの関心に合わせて情報が変化するようになった点においては、自律性はましているとも見ることができるだろう。
しかし、常に情報技術は人間に変化を及ぼす限りにおいて、私たちはその点検を続けなければならない。マスメディアによる注意喚起は存在している欲求を強化するように働く。
10:私たちは自らの行動履歴という鏡像と向き合うだけでなく、そこから自らの欲求のどの程度が自発的に産出されたものなのか、もしくは情報技術によって産出されたものなのかという問いとも向き合う時代に生きている。その問いへの解答にこそ、人間の条件が浮き彫りになるだろう。
⇒ その辺もAIが算出して答えを出してくれると思うw し、その上でまた悶々とするハズ。
既存の人間とクラウド上で生成されたアカウントが並列に生きるような状況では、いずれ慣れる と思う。
人間の条件は “受精から発生したアカウント (通常培養) か否か” という、発生経緯の違いでしかなくなるかな。
一段階前に “自我” とか議論になるだろうけど、 クラウド発生のアカウント(ニンゲン)も、自我を持つのは当然だと思う(任意でOFFにする事は可能)。
11:構造的カップリングとは、それぞれの構成素となる情報を産出することを相補するような関係として一般化できる。このような相互に活性をもたらすかどうかという評価指標を基に、私たちは今後の情報の発展のなかで、公正で対称なコミュニケーションをもたらす情報技術を模索することができる。この際のコミュニケーションとは人間の個人同士ではなく、個人と企業、そして個人と集団という異なる規模も含む。
ある段階でこぉいう事が可能になるし、現在思いつく対称であれば何にでも適応出来ると思う。
12:視覚と記憶は、一旦上書きされてしまうと、それが嘘なのか現実なのか区別は全くつかなくなる。操作されたことに気がつかないということは、その認知の時系列を参照するリファレンス点がどこにも存在しないということを意味している。
そのような、視覚や記憶を本人に気づかれないように自由に操作できるような世界がやってくるだろうか、と聞かれたらどう答えるだろうか。
“マス媒体による世論操作” なんかはネット以前から議題ではあったし
近年は、より精度高く起きている訳だが
むしろ 「昨晩は美女と散々イイコトをした♪」 といった記憶をアプリのように買える様にもなる訳で、いずれ起きる事だと思う。
単独の記憶ではなく、”今週のリア充記憶セット” とかを売り出す、統合記憶エンタメサービスとかも生まれるだろうな。
楽しい側面だけではなく、既存のPRは必要なく “一斉認識醸成だからリレーション要らない” という事も起きる訳なので、テロリスト養成の手段にもなるっちゃなる・・・。
・・・故に尚更現実になるだろうな。
13:自分自身の認知そのものに全く信用がおけないのに、それに対する信頼をほとんど疑うことなく日常生活を送っているのがわれわれなのである。なぜそのようなことが起きるのだろうか。
それは、わたしたちが直面している現実空間が、ほとんどの場合で、わたしたちの予測を裏切ることがないからだ。逆に言うなら、自然現実空間に最適化された認知予測機能をわたしたちは構築している。
⇒ AZZLOは多分、世の中の平均よりは自身の認知や記憶を疑ってる方だと思うが
“忘れる” という人間のアビリティー
が原因で、更に
“アーメンしてればOK” なハズなのに、みんなイマイチな気分・・・。
という、聖書(幼少の頃学んだプロテスタント聖書)と現実の乖離も原因かと思うw
今後は、全てログが残るし、その量と精度が貨幣以上の資産となると思う。
14:現実であるという確信が生まれると、わたしたちの認知処理は大幅に簡素化され、自動化され始める。なぜなら、疑うことは大きな脳内リソースを必要とするため、疑わなくてすむのなら、わたしたちの脳は信じる方向に傾きがちであるから。
戦後の日本は、自分の頭で考えることを必要としない、もっと言えば、自分の頭で考えないほうが都合がいい社会だったのです。(-読書感想- 人生を面白くする 本物の教養 / 出口 治明)
日本においては、このようなバイアスもあるしな。
脳内リソースを使わないのはAZZLOはつまらないので何でも疑ってみちゃうけど、確かに疲れるんだよなw
15:過去と現在の映像がブレンドされた状態においては、何ひとつ確かなものがなくなってしまい、体験者は途方にくれる。この状態では、自分自身の存在すら確かに感じられなくなる場合もあり、その時は自己と身体の間に一種の乖離が起きてしまったりする。
このような症状は、「離人症」 と呼ばれる疾患状態に近い。離人症は、自分自身を少し離れた場所から客観的に見下ろすようになり、外界と普通に対応しているのにもかかわらず、その行為の主体が自分であるという身体の自己帰属感が希薄になる。~中略~
これまの情報空間が、空間、身体、時間という現実に紐づいた足枷を嵌められていたのに対して、これからの情報空間は、身体や時間から自由になったリファレンスフリーの極めてフレキシブルな空間となるだろう。
⇒ “AZZLOクン” を露呈すると “AZZLOさん” 視点が出てくる。時間が経ってから読むと二人を見守る “AZZLOじいさん” 視点の思考に気付く。その繰り返しだ。(-読書感想- 池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇)
なんか最近、”AZZLOじじい” という別人格が、AZZLOの未来の事すらもじじい視点で懐かしんでいる事があるかもしれない・・・。(-読書感想- つらい記憶がなくなる日 / 榎本博明)
というAZZLOは、言うならば3人格存在しているのだが、どうやら AZZLOは離人症っぽいな。自身を “AZZLO” として書いて俯瞰してるしw
そもそも
“思想が生きていて肉体はシェアしている” (故にバトンは受け継がれる)(ゴミ売広告社を退職しました (°∀°)ゝ”)
こんな風に思うしな。
16:マスターが非常に特殊な能力を持った専門家の場合、その運用コストは高い。しかし、その高価なリソースを同時に複数のスレーブにJackInさせることで、1件あたりのコストを分散・圧縮させることができる。なぜなら、スレーブが行うアクションのほとんどは、マスターが行う必要がないからだ。
⇒ (肩書を) 全員 “社長代理” にすると、なんか重みが増すし良いんではないだろうか?w ある種全員社長代理な訳だし。(-読書感想- マネジメント 基本と原則 / ピーター・F・ドラッカー)
が本質だと思うしな。
17:そのような世界は、気がつかないうちにじんわりとわたしたちの社会に浸透して、元には戻れないものになっていくだろう。ちょうど今のわたしたちがスマートフォンを手放せなくなっているように。
コレだし、おいおい
肉体の on / off だろうと思う。
転職(退職)をすると
「お!決断したね!」
と言われる現在と同じぐらいのレベルで
“性転換” “変身”(肉体を変えてアイデンティティはクラウドとの通信でシンクする)
も起きるような日常になるだろうしな。
18:不可能だったことが実現すると、最初は 「贅沢なこと」 とみなされ、そして 「必要不可欠なもの」 になっていく。そして、「安く捨てられるもの (コモディティ) 」 になっていく。そんな中で、私たちはしばしば、最初は想像もできなかったことが、新しいテクノロジーで実現するまでに至る、驚くべき道のりのことを忘れがちだ。
⇒ そのコモディティ化への時間経過が、昭和生まれのAZZLOとしては、ほんと早過ぎると感じる。
気付いて検証して実現する頃には、もうコモディティ化が進んでる状況が多い・・・w
こういった点も、寿命を全うしなければならない素の人間は、労働市場から弾かれる要素だろうな。
うまくいけば、この指摘のようにもなると思うが、格差拡大の可能性もあるな。
19:未来を的確に予言してきたニコラスは先日、僕との会話の中でこう語った。
「バイオ・イズ・ニューデジタル」
今後は、生命や生物が新しいデジタル世界を構築していくであろうという予測を、彼は実に的確な言葉で表現してくれた。~中略~
現代はインターネットが不可欠の時代であることは、議論を待たないだろう。
だが、およそ30年前にインターネットの話をしたときには、多くの無関心によって迎えられた。ネットワーク世界は専門家の分野であり、自分には関係ないと考えられていたのである。
いま、バイオが似たような状況にあるといえる。だから近い将来、われわれが生きている間になんらかの形で、バイオによる偉大な革命的変容がこの社会に訪れると予感している。
⇒ 投機対象の現実もあるが、既に “バイオ関連銘柄” の株価変動は激しい訳で、より現実の生活に浸透するだろうな。
というAZZLOの妄想は、当然ながら広義のデジタル領域でバイオ関連領域だしな。
20:ネットワークとコミュニケーションの技術は、バイオ世界を解明しつつ同時にバイオと完全融合していき、それによって生み出される新しい技術と哲学が深淵に光をもたらすはずだ。
深淵に潜む、あるいは深淵にわれわれが創造する 「真新しい何か」 が何であるかは、もちろんまだわからない。だが、このシナリオは 「予測される未来形」 ではなく、「現在進行形の確定的な現実」 なのだと、僕はいま強く訴えたい。
「真新しい何か」は、肉体の on / off だけに留まらず
“個人がマルチ” (クラウド上のAI、ロボット、肉体1:男、肉体2:女 といった複数が個の “アカウント” として生存している状態)
じゃないかな。
このAZZLO妄想メモの、人間・アンドロイド・死人が、個別ではなく “同時に存在させる監督者” が1アカウントという単位のニンゲンになる という導線でもあるんだろう。
追記:2016.06.15
この指摘と同様だな。
後記
3番の “コネクトのためには異分野をつなげるコミュニティ作りが必須” が、学校に行かずクラブで育ったAZZLOとしては共感が強いな。
コミュニティは、時代によって発生経緯が変化してきた訳だが
こういった事の精度が良くなる事で、リアル(ニンゲン)とクラウド(AI)が、同列の “アカウント” としてシームレスな概念になり、今までとは大分違うコミュニティが形成されるんだろうな。
ニンゲンが居ないコミュニティ も発生可能だしな。
- DJやってた
- ネット・コミュニティへの関心
- バイオ領域
こんな共通点から、痛快な読書だった。
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