※“AZZLO” という一人称を辞めたい(azzlo.comもいずれ破棄) に向けて、一人称を “コチラ” として記述してます。
はじめに
NEXTOKYO周辺の取組みについては、それなりに懐疑的であった(期待もあった)が、時間が経って明確に懐疑的になってしまった。改正風営法施行によって終わるクラブカルチャー と被ってくどいが、今改めて思う事を残しておこう。
※”NEXTOKYO” なのか “クラブとクラブカルチャーを守る会” なのか、その周辺の意見なのか、登場人物が被っている故、発信元が何処だか分からないので、”NEXTOKYO周辺” と括った。
成功した過去事例が日本にはある
- 「ナイトカルチャーで経済振興(深夜も活発化させる)」をテーマとしているが、それは数十年前のサンシャインシティ計画から堤清二が始めた事。まず最初にファミリーマートによって東京は24時間動ける街になった記憶がある。
- 現在はファミリーマート以外のコンビニも増えたし、文化振興といった公的資金もあるにのに何故ナイトカルチャーが衰退したのか? 盛栄していた時期と比較して何が無くなったのか? その点を整理する必要があると思う。ネットコンテンツの台頭も要因の一つだろう。過去は所詮過去で今とは背景が違うにせよ普遍的な定石はあるかもしれない。
- パネルディスカッションの記事等を読むと “東京にはナイトカルチャーが今も昔も無いし深夜に人が出歩く事象は起きた事がない” 様な印象を持たされるが過去にはあったハズである。
タクシーの客待ちがハンパなかったしファミレスはクラブのラウンジだった
コチラが目にした事実としては芝浦GOLDがあった海岸通りは最後尾が見えない程タクシーが並んでいたし青山通りから骨董通りを通過し六本木通りに入ってANAホテルまで2.6km間タクシーびっしりだったりもした。今の東京で “客待ちタクシーの最後尾が見えない” 場所は歌舞伎町の靖国通りから明治通りまでぐらいじゃないだろうか。
骨董通りにあったジョナサンは毎週末22時~翌朝8時までは並ばないと入れなかったし、青山デニーズと富久町デニーズ(閉店)はクラブのラウンジの様に賑わっていたしな。
ま、人が居ればカルチャーな訳ではないが、”深夜に人が出歩いていた” のは間違いない。
公共料金の支払いよりもクラブ♪
1997年以前は 「クラブに行き過ぎて公共料金払えず…電気止まっちゃったからクラブに来た♡」という捨根注枝なヤツが多くいたw 支出の最優先事項になっていた点と “所持金無くても遊べた” 要因を紐解いても良いと思う。
NEXTOKYO周辺の最近の発言に対して
「カウンターカルチャー」と言わなくなった
「カウンターカルチャーこそが世界最強の打ち出の小槌♡」 そんな勢いを感じていたが、最近の記事を見ると一切言及しなくなったな。論理的には正しい点も多いが「カウンターカルチャーしましょう♪」は論理破綻しているし、公にしたら破綻してエネルギーを奪う発言が気になる。その点に気付いたのだろうか?
オリンピック開催するから文化振興?
以前はオリンピックと紐付けてったっけか? ま、きっかけは何でも良いけども、たった数年前からの準備では追いつくハズがない。文化の時間軸が狂ってる と思う。…というか公に出来る範囲で準備なんて出来るものではない。
NEXTOKYOはなんで本を出すの?(金取るの?)
本屋の平積み効果もあるし “箔がつく” 点は悪い事ではないが、支払いのハードルは無い方が良いと思う。300Pと厚めではあるが高めだし、いずれにしても活動資金にすらならないしな。
クラブカルチャー
爆音酒場に文化はない。
クラブに関しての議論は、相変わらず “爆音酒場さえあればOK♥” という短絡的な論議に見えてしまうが 爆音酒場があった所で衰退してきたのが現実なんである。
郷土クリエーションの一員になる
世界中何処にでもある “公演箱” はクラブであったとしても文化は無い。“現在進行系の郷土クリエーション” を求められる場 が本質的なクラブないしの “カルチャーのある場” じゃないだろうか。過去に起きた事象を観察する博物館ではなく “今を構成する当事者になれる場” である必要もある。
グローバル・コミュニケーション
人種 / 言語 / 在住地関係なく”当事者” を実感出来る事を俗に言うと “グローバル・コミュニケーション” であるかと思う。よって “日本人と外人が同じ場で踊っていればグローバル・コミュニケーション” な訳ではない!!!
公のナイトメイヤーなんて要らない…し東京では無理
- 東京のナイトメイヤーは大手町における佐藤としひろ氏に見られるように、各街に存在していて良いのではないだろうか? …あえてナイトメイヤーを選出するならば佐藤さんが一番相応しいと思うが…佐藤さんでも無理だと思う。
- 東京は他の海外の都市と比較して桁違いにデカ過ぎる。街によって状況もニーズも違い過ぎるので一人のナイトメイヤーでは無理じゃないか? 山手線駅の半数は海外の1繁華街ぐらいの規模だろうし、中央線沿線もあるわ、立石(昼だけどw)なんかもあるのが東京だ。
- ナイトメイヤーとは本質的にはヤクザさんの事じゃないか? 都市の石川五右衛門みたいなもんで、徴収は荒っぽいかもしれないが配分は昼の政治家よりも上手い と思う。
- 貨幣経済を高回転させるには “見えない・課税されない金” の領域が不可欠 だと思う。
公な政治事では言語化が必要になってくるハズだが、言語化出来ない 秩序(規律)の固まりの様な “夜の文化” を取り扱えるのだろうか?
“24時間地下鉄・バス運行” なんてダメだし
26時で帰る事も出来ちゃうナイトライフなんて深みがないw 朝方の街には誰も居なくなってるだろう。
なんてのもあったが、試験だから終わるもんだけども本格開始にはなってないみたいだしな。
そもそも今の六本木と渋谷は人の親和性が以前よりも更に低くなったし、一人400円なんて高くて誰も使わないだろう。
「タクシーで渋谷の箱に移動するけどイク? 割り勘すれば安いよ☆ 乗れるかなぁ? 」
ってな感じで、対面座位 / 背面座位状態で8人とか乗っちゃって移動するのが面白いし、延長するエロい事も起きやすい訳でw 普通にバス移動なんて想い出にならないんだよな。
安心・安全に楽しめる場所を創造?
以前は危なかったのだろうか? …しいて言えば六本木の一部店舗ぐらいの印象。
“安心・安全に愉しめるスキル” を自ら得る事が夜遊びの楽しみ
とは言えないだろうか。そういった事を教えてくれる 先輩方との出会いや仲間作りが文化に繋がる 事だと思うのに、お膳立てされたら起きるものも起きないと思う。
風営法改正の弊害
遂にw ボノボにも明確に警察が入ったらしい。
風営法改正によってカルチャーは弊害を受ける。https://t.co/qYDLTRZsuS
— azzlo (@azzlo) 2018年4月23日
更に近隣の15年以上営業しているDJブースもなく踊りようない静かなカフェバーにも警察が入っている。
※青山蜂にも警察が入って逮捕者が出てるが、bonoboとは違う蓄積された理由が色々とあるハズw
コチラは 「風営法改正によってカルチャーは終わる」という見解を持っているが、当然の様に “繁華街の公演箱はOKだがそれ以外のエリアにあるカルチャー箱はダメ” を明確にさせられた 訳だ。※今のボノボがカルチャー箱か否かは “比較的そうである” という感じではあるが。
まんまと政治にハメられたのが現実だ。爆音酒場の為に文化という首を差し出してしまったのだ。
風営法改正直前、某バーでちょいちょい会う風営法改正のキーマン齋藤弁護士に上記可能性を話した記憶があるが…深酔だったのでどんなフィードバックだったかは忘れたw 「法律変わっちゃう前にコチラはキーマンに言ったもんね☆」というエビデンス作りだが、弁護士だったらこのシナリオは読めてたと思うんだけどな。
クラブやダンスはもうしょうがないにしても “ダンス” 関係ないエリアまで規制される可能性を危惧している。
良くも悪くも “朝活” なんてのが流行っているし、セクハラ官僚のバー、TOKIO元メンバーの泥酔 も相まって 「酒無くても大丈夫でしょ? 酒が必要な人は未熟ですよ!」という地均しが進んでしまっているw ま、そうなれば地下市場となって文化に帰していくというポジティブシナリオもあるが…。
RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2018のCMが酷い
地方の方々に対して東京を誤解(逆に腐敗した東京の認知促進には寄与している)させるメッセージであり、”チンピラが自分をヤクザだと思ってる” 的な軽薄感を感じる。
「何処でやったってイイ」
Zeebraは自宅の前で爆音出されても良い事になっちゃうしZeebraは良くても周辺住人から警察通報され逮捕。”犯罪者容認メッセージ” もしくは “犯罪予告” でしかないw こんなアホな事言っちゃう(言わされちゃう)から進むものも進まないと思う。
「言葉と音、それさえあれば何だっていい」
じゃぁ自宅で済んでしまうw 更に “インスト音楽” はダメなのか? むしろ音楽は非言語だから魅力であり力があるのだが…。
「音楽はマーケティングからは生まれない」
四半期決算の商業マーケティングを指すならば同意だが、時代/自/他の構成を見つめる事が芸術のコア思考であって広義のマーケティング行為だと思う。…そもそも四半期決算マーケティングに両足浸かってる企業の誘致に肯定的なZeebra周辺が発言すると辻褄が合わない。
もろもろ LGBTの一部の方々がノンケを否定している事象と親しいメッセージ に感じる。誰も「音楽を奪います!!!」なんて言ってないし。過剰な被害者意識から共存出来ない動線を自ら敷いている事象だよな。
…RED BULLは関係ないが最近「安倍政権批判をしないとHIP HOPではない」という潮流があるらしいw それがどういったアウトプットに昇華されてるのか分からないが、“同じテーマでつるむ(寂しくない)” という短期的マーケティング に思えたりする。たまたま同志と出会えたら素晴らしい事だが、最初から目指すものではないハズだがな。
法律変えるよりも効果抜群な施策がある
“規制されない”(営業停止をくらわない)側面だけで、”起こす” 側面には関係ないが、法改正よりももっと効く施策があるハズだ。
“新任警察所長のポイント稼ぎとして、もっと効率的な題材を用意する”(クラブ立ち入りでは昇進に響かない)
つまらない話だがコレが現実だろうw こんなコトは公では出来ない訳だが規制の側面における根っこはコレである。
夜は逸楽だけではない
夜を全面的に健全化しちゃダメ
表現・コンテンツは 雑に言うと病んでる方がパワーがある ものだ。
昼に生き場がない子はどうすればいいんだ?
どう転んでも昼に適応出来ない子は存在する。適応してても誰でも適応出来ない時期があったりする。
そぉいう時に許容してくれる場がないという事は “選択肢がない” 訳で、その先にあるのは言わずもがなだろう。
歴史を調べれば分かる事
コチラは90年代の体験をベースにした見解だが、それ以前に起きた事象でも証明している事なハズ。彼らがやるべき事は “妨げない(黙認)” である。 色々な人が言及していると思うが、要は表立って “大人が介入しちゃダメ” なんである。文化と貨幣経済は二人三脚にも例えられるが、相手のペースを踏まえないと共倒れである。
月を照らす為に太陽が出てきたら…昼
太陽さんは裏で仕事するべきじゃないか? 「太陽さんが~表に立つとぉ~…昼っ♪ 当たり前体操ぅ♪」
クラウドでも文化が起きない布石を感じる…
リアルの夜が衰退する事で、おそらくクラウド上で文化が発生する可能性は高まるものの…この流れはクラウドにおける “夜の存在” “酒に類する効用” が徹底的に規制されクラウドも力を失った状態で拡大しそうな危惧をしている。
最近のNEXTOKYO周辺は “夜は享楽だけ” “カウンターカルチャーを推奨する事でカウンティングさせない” 点からリアルの終息を速めている印象でもあって、政治と紐付いているが故にクラウドでも文化が起きなくなりそうな気配を感じる。
リアルもクラウドもネガティブな意味での “アカウント(貨幣経済の駒)” でしかなくなってしまう気がするんだよな。
文化とは “『人類を前進させた』 と後々気付く時期” とも言えるが、もろもろ「今みんなで前進しましょうね~(遅い子の速度に合わせましょうね~)」と言われてる様な感じ だ。
こういった状況を踏まえた現代のカウンターは何時か起きるハズで、ちゃんと起こしてきた人、体験した人は、このコチラの見解に対して同意があるし、気付く子は気付いてるんだが、特に Zeebraは “言わされてるにしても発言内容が破綻している” 点は強く書き残しておきたいと思う。
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