2012年5月8日発売の本。2012年9月頃の読書。
ニコ動の生態系は以前からクラブの生態系と比較していた が、よりその根源を探る為に手にとった気がする。
1:「あまり差がない」 ことを自覚した場合、とるべき道は二つある。一つは、独自性を保つために参入障壁を高くし、新たな参入を拒むことである。もう一つは、独自性がないことを自覚し、逆にユーザーの参入を歓迎することである。私たちは後者の道を選びたい。(江渡浩一郎)
⇒大学とは “金がかかるスタンプラリー” でしかなくなっている。 は前者を表してるな。
2:ここでユーザーへの参加を呼びかける意味も込めて、「野生の研究者」という言葉が考えだされた。これは簡単に説明すると 「生まれながらにして研究者」 という意味である。~中略~ もともと研究者とは、職業というよりも生き方であり、常に探究心を忘れずにいる人を意味する言葉であるはずだ。(江渡浩一郎)
⇒ “マーケッター” なんかも本来職業じゃなくて、癖みたいなもんだよな。
3:「作るを作る」 とは 「創造的なものづくりを続けられるような環境を整備する」 とう意味である。(江渡浩一郎)
⇒過去のクラブや今のニコ動がそぉいう場だなぁ。いわゆる仕事をする会社のオフィスも同様であってほしいと思う。
4:宗教とコンテンツというのはほぼ兄弟みたいなものだという発見を、先週したんです。そうだと思いません?(ドワンゴ川上)
⇒コンテンツに限らないだろう。兄弟を “同じ” なのか “近い” 意味かにもよるが、コンテンツか何かを通した帰属意識が宗教だと思う。
5:要は文化などの成熟度合いによって受け入れられるコンテンツはちがっていて、それが国際間でギャップがあることがチャンスになると思っているんですね。(ドワンゴ川上)
⇒”文化” って成熟するんかな?って今思ったw 文化は習慣となり風俗に変化するだけ で、文化が成熟する気がしないなぁw
6:人間側の想像力を今まで通りクリエイティビティ (Creativity) と呼び、環境が発揮する創造力のほうをジェネレイティビティ (Generativity、生成力) と呼ぼう、とも主張してきました。(日本技芸リサーチャー濱野)
⇒これは凄く良い提案だと思う。コレに似てると思う。
7:今、日本社会が大きく行き詰まっています。皆さんもよくわかっていることだと思うのですが、私が考えるに、日本社会の創造力の問題というものは、三十年くらい前の、自動車などをバンバン作って輸出していた頃の成功体験にずっと縛られてしまっていて、そこから転換できていないことこそが、社会学的・経済学的な原因としてあるのではないかと思っています。
例えば、アメリカなどの先進国では、ものづくりでは中国、韓国、インドといった国々には勝てないので、「クリエイティブ・エコノミー」 とか 「想像経済」 などと言ったりするのですが、「センスの良いものを作る」 という方向で行くしかないだろうという議論がされているんですね。日本もその方向で行くしかないでしょう。(日本技芸リサーチャー濱野)
⇒AZZLOの言う所の “まだ昭和の人” “今世紀来てない人” の存在の話だ。”アメリカなどの先進国” とあるので、日本は先進国では無いという事だなw
ま、逆に、”『物質的豊かさを求める価値観から、精神的豊かさを求める価値観への変更方法』 を検証している国” という課題があった場合、おそらく日本が最先端国という考え方も出来るが。日本人に合った実験課題だと思うし。
8:「キャラクラシー」 とは何か。それはひとことでいえば、初音ミクという虚構のキャラクターを、いわば 「非実在政治家」 として出馬させるというものである。ネット上の無数のクリエイターたちは、初音ミクという非実在のキャラクターに対し、無限とも思える無償の愛を捧げている。彼女にそれほどまでのカリスマ性が宿っているのであれば、単なる 「バーチャル・アイドル」 ではなく、「政治家」 として民意を代表させることも可能ではないだろうか? もし初音ミクが出馬すれば、ネット上の無数の 「P (プロデューサー)」 たちはこぞって彼女の政治活動を支援するのではないだろうか? そう筆者は夢想したのである。(日本技芸リサーチャー濱野)
⇒ “音楽家 vs 政治家” の構造は昔から対立状態であり、”民意で選ばれた政治家” なんて日本は居ないんじゃないかな? “金で選択された政治” しか無いような?w
アメリカの場合は1%以下の政治資金提供者の判断によって、まず出馬が制限されてるらしく、民主主義はポーズだけみたいだし。(TEDでその点を指摘する人が居た)
とりあえず安倍総理が演説するからって、数万人が集まる訳ではない。政治家の演説はすでに人が行き交う駅前に出ていく、ある意味SNS施策的な感じだw 能動的に集まってもらえない点で、政治は音楽に負けてるだろう・・・w
9:かつて西欧圏の画家たちは、長きにわたって、聖書に描かれる奇跡の場面をいかにありありと再現するかに心血を注いだ。それはいってみれば 「聖書の二次創作」 なのであり、きわめて表面的に見れば、現代のオタクたちが初音ミクをはじめとするキャラクターたちの二次創作を無数に積み重ねているのと違いはない。だとすれば、初音ミクにあるのはある種の宗教的なアイコンに匹敵する、超越的な何かが宿っているとみなせるのではないか。よくよく考えてみれば、批評家の大塚英志がキャラクターを 「死なない身体」 と規定したように、そもそもイエス・キリストもまた、「死なない身体」 という奇跡を成し遂げた者として描かれていなかったか (日本技芸リサーチャー濱野)
⇒”きわめて表面的” と言っているように、能動的か強制的か?の側面があるな。当時の絵画はキリスト教を活用する為に、大なり小なり、金を出して描かせてたハズであるし、画家として認められる為には、宗教画を描かないとまず人にみてもらえないという点もあった。
とは言え、既に初音ミクも
似たような状態にあるな。
10:「コミュニケーションの <フィルタリング> ではなく、コミュニティの <ブリッジング>」 いう、初音ミクの機能である。いま一度繰り返せば、かつてサブカルチャーは、コミュニケーションの相手を選別し、適切な文化的集団 (コミュニティ) を形成するための有効な資源 (社会学者P・ブルデューの言葉を使えば 「文化資本」) だった。しかしサブカルチャーのジャンル細分化が進むにつれて、もはや膨大にあふれる記号を適切に処理することができなくなると、「島宇宙化」 ないしは 「動物化」 と呼ばれるような分断状況がもたらされる。その成れの果てに人々が求めたのが、あらゆるジャンルを飛び越えることができる、初音ミクという仮想的身体だった。
いまや人々は、初音ミクのようなキャラクター的身体を媒介することで、無数に分断したコミュニティをかろうじて越境することができる。なぜなら初音ミクはあらゆる共同体に姿を現すことで、現代の 「認知資本主義」 あるいは 「注目の経済(アテンション・エコノミー)」 における最も重要な価値、すなわち 「認知(注目)」 という富をあちこちから吸収し、自らの身体に蓄積することができるからだ。(~中略~)
その富は磨耗するどころか、ますます異なるコミュニティからの 「注目」 をかき集めていくことにつながり、むしろその価値は高まっていく。初音ミクの文化的プレゼンスは、おおよそこのようなマッチポンプ的メカニズムを通じて形成されていると考えられる。(濱野智史)
⇒身体である必要は特に無いと思うが、身体(的) であるが故に、加速した要素はあるだろうな。そして例えるなら “NAVERまとめ” みたいな利便性が歓迎された部分はあると思う。
また、TR-909、TB-303みたいな共通したツール・テーマ である為、競争しやすいという点も初音ミクの特徴だと思う。
競争心・自尊心担保の仕組みが上手く回るのが、ボカロ文化のコアだろう。曲を作らない人からみても、あらゆるプレイを鑑賞して様々な魅力に気付けるのが、旨みなんだろうなぁ。
だな。
11:「内輪」 的な空間のスケール問題とは、(1)時間次元においては、「寿命が短い」 (コンテクストを共有できる量的規模も質的強度も自然に減衰していかざるをえない) ということであり、それゆえ空間次元においては 「カルト」 化しやすい (時間次元の限界に抗うには、メンバーを固定化して濃密さを維持していくしかない) というトレードオフ関係として記述できる。つまり、ハイコンテクストな 「内輪」 的文化というのは、通例、寿命が短いかきわめてカルト的かのどちらかであり、初音ミクのように数年もムーブメントが継続し続けることは稀なのである。(濱野智史)
⇒初音ミクの場合、ボカロP単位、楽曲単位での内輪感が生まれているから、総括する初音ミクは継続出来るんだと思う。
12:技術主導でものを作るのは、本当はあまり良くないんですけどね。やっぱり要求主導で、「これがやりたい」 という動機から、使える技術を見つけるほうが本当によいものができるように思います。(五十嵐健夫)
⇒この鶏卵バランスは本当に難しいと思う。技術知らないと気付けない事があるし、知ってるとリミッターがかかったりもする。
いずれにしても、「この技術があれば○△□とかやれる?」 であったり、「やれるか知らないけど、○△□みたいな事したい」 という気付く力が必要だと思う。
13:今の時代は、あるテーマを研究としてやろうとするとまずコンテクストをちゃんと調べないといけなくて、でもそうすると調べているだけであっという間に数年経って、知識の吸収に時間がかかってしまってクリエイティブなところを鍛えるのに集中できないんです。
むしろそこはすっかり割りきって、「コンテクストなんかいい、すでに似たものがあってもいいから、自分で考えて自分で作って」 と言ったほうが教育効果は高いんじゃないか。未踏ソフトフェアなんかはそんな感じですよね。そこは今非常に悩んでいるところですね。(五十嵐健夫)
⇒大卒者の致命的ループ の原因と同様だな。
14:まず 「やりたいこと」 を与えるか、気づかせるかして、なおかつモチベーションを上げることもやらなきゃいけない。苦労してるんですよ。~中略~ 「自分が作ってみて楽しかったのに、他の人たちが技術がなくてできないのはかわいそうだ」 という動機だろうと思います。ミドルウェアを作り始めた頃はまだやりたいことがない人のことまでは考えてなかったんですが、作りたいものが作れないという問題をなんとかしたいという思いで、作り始めたんだと思います。(塚田浩二)
⇒この人は写真見る限り若そうだが、”ちゃんとした偉いおっさん” になる人だろうな~。
15:谷底にも個人差があって、ある人にとっては谷底だと思うけど、「谷底」 の表現が本当に駄目なものかというと、実はそうではない場合もある。文化というものを考えたときに、表現の多様性をどういうふうに出しながら、しかも技術を進歩させるということができるか。それが大事だと思います。(後藤真孝)
⇒先日ある偉いおっさんがMTGの際に、AZZLOを 「弱者」 と言った。まぁ認識としてはある側面真っ当だが、「誰が弱者にしてるんだ? 」 と言いかけたのを思い出したw
16:研究者にとって、学術論文を書くことは重要である。研究成果を簡潔な表現で第三者に伝えることで、再利用可能な知見を共有し、学術の発展に貢献出来るからである。どんなに優れた研究成果であっても、それを適切に公表しなければ、存在していなかったことになってしまう。
⇒なんでコレに付箋つけたのか分からないがw 今コレを見て思うのは “音楽は研究者発表” と言える側面があるなと思う。
そして、優れた音楽は、そもそも言語がなかったりもするが、翻訳されたりもするな。
17:ライブ動画中継に対する懸念として、物理的な会場への来場者が減ることが指摘される場合がある。~中略~ 研究者は、会場に集まって議論をする重要性を知っており、そこで顔を合わせなければできない議論や質問、そこにいなければわからない出来事を数多く経験している。~中略~ 物理的に会場にいることは価値があり、発表内容だけでなく、こうしたコミュニケーションや物理的な場所の記憶も交えて、総合的に記憶に残っていく。
⇒AZZLOはDOMMUNEが好きじゃない。クラブ的な事への間口を広げる為には貢献している側面があると言えるが、体験の濃さが無い。「中継でこんだけ楽しいならば現場に行ってみよう!」 という導線を感じない。コメントを見ると 「うぉぉ~~~クラブ行きたくなってきた!!!」 とかは多いのだが、散々クラブで過ごしたAZZLOは、DOMMUNE見るよりも妄想の方が快楽である・・・。
日にもよるんだろうが、「渋谷の某クラブに行ったら1時の段階でフロアに誰も居なかった」 という話も聞こえてきている。
いずれにしても、FACE TO FACE に勝るコミュニケーションは無い事を立証させられてる感じがするなぁ。
コレを思い出した。
18:野生の人の場合は躊躇せず実行に移すと思う。だけど、企業でも学校でも、「アニマル」 なものやコンプライアンス的に危険なものは遠ざけてしまうでしょう。学校や企業は今や、面白いものを生み出すのに最適な組織ではなくなっているのではないか。~中略~
人間の本能的な欲求に近い 「アニマル」 な部分で活動できる環境があればいいなあ、と。そしてそんな野生の研究者たちを見たプロフェッショナルの人が、アドバイスを授けたり、あるいは感化されたり、「俺だったらもっとうまくできる」 と対抗したり、究極的には一緒に会社を作っちゃったり、いろいろな刺激がそこから生まれると思うんですね。(八谷和彦)
⇒ 西麻布YELLOW のコンセプト “SPACE LAB” が象徴的だなぁ。オープン時はB1がレストランで、制作スタジオまで完備していたんだよなぁ。
ニコファーレは “貸し箱屋” になってるが、もっとタマリバになると、色々誘発出来そうな気がする。ま、それぞれ個人が通う “酒場” でも良いんだけど、やはり適度なスペースと音が充実しているタマリバは必要だと思う。
ニコニコ動画って緩いイメージが強いが、非常に堅苦しい本だったw 分かりやすかったけど。
まぁホントの頭良い人達の意見が知れて良かった。
学会とか研究者とか、正直AZZLOには関係の無い存在だが、みんな研究者で飲み会が学会とも言える。更にブログやらtwitterやらfacebookで、ボヤキの延長の研究っていくらでもあるような気がするなw
その点、”野生の研究者” っていう定義はとても親しみやすいな。
今後、WEB上に、ボヤキ含めた様々な研究w がログ化されていき、ビッグデータ解析によって、様々な解釈が発表されていくだろう。
精神論や慣習ではない、新たな生活スタイルが生まれる可能性もあるんだよな。故にSNS上でのコミュニケーションは必要ないにせよ、ログ化は大事だと思う。
そして、FACE TO FACE のコミュニケーションの重要性は、OZの世界 (サマーウォーズ) でない限り、今後どう転んでも変化しないんだと思う。
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