始まりを告げる 《世界標準》 音楽マーケティング 戦略PRとソーシャルメディアでムーヴメントを生み出す新しい方法 / 高野 修平
読書時である5月頃は、某音楽アーティストのプロモーションを企画していた ので、参考としてこの本を手に取った。
結論先に書くと、
- “いま広告業界に携わり2020年以降も類似業種に携わっていたい人は読んでおいた方が良い本”
- “今後なんかしらヒトに動いてもらう業種に携わりたいヒトは読んでおいた方が良い本”
と思う。音楽業界に限らない、コミュニケーションとマーケティングの当たり前体操ぅ過ぎることが色々と書いてある。
2020年以降路頭に迷いたい人は見なくて良いと思うw
1:過去を振り返ってみて、これまではマスメディアに載ることによって、話題化を促進し、意図的であれ、結果的であれムーブメントを生み出してきた。ただ、これからの時代は、それだけで世の中は動かない。ソーシャルメディアの存在が、ムーブメントを時には加速させるのだ。
⇒これ、随分前から言われている事だが、今だにマスメディア完結というのは、ムーブメントを求めてないのだろう。その割り切りがあれば別に良いと思う。
- “知ってもらえば売れるハズというジャイアンロジック”
を 信じるならば別に良いと思う。信仰の自由だしw
広告代理店は、デモグラターゲティングでちゃんとターゲティング出来る手段もないのに依存しているから、なかなかジャイアンロジックから抜け出せない様に思うな。
そもそも “広く” であればターゲティング要らない からな。
2:Movement (ムーヴメント) の最大の特徴は、ライフスタイルを変えてしまうことにある。それは、生活者の 「価値観」 を変えることに他ならない。ライフスタイルを変えるまでに到達するには、商品の働きについてではなく、イメージ、価値、イデオロギー、メッセージを心に訴えかけることが必要だ。つまり、精神的付加価値のことである。
⇒宗教、それも分かりやすい所で言うと、オウム真理教とかそうだったしな。そして、この図があったのだが
この時間軸設定が著者のセンスが見えるな。
3:起きているMovement (ムーヴメント) に対して、否定、反論の声が上がる。この声が上がることによって、Movement (ムーヴメント) とは呼ばない。それはBoom (ブーム) であり、Trend (トレンド) に属するものになるはずだ。Movement (ムーヴメント) とは、強い 「熱量」 と 「主体性」 を伴うことが条件であるわけだが、その 「熱量」 や 「主体性」 が強ければ強いほど、否定、反論のチカラも拡大していく。そのぶつかりあいがメディアを媒介しとして伝搬され Movement (ムーヴメント) は加速していくのである。
⇒EDMに対しては、様々な否定、反論の声があがっているしな。
逆に縮小する側の トラディショナルクラブは、否定、反論等を拒否して安住を求めたから、EDM程度のもの (音源だけの判断) に人の関心・マネタイズで勝てない のだと思う。
ま、そもそも対比する対象ではないとも思っていたが、トラディショナルクラブ的要素はEDMシーンにもあるのが見えてきた感じする。
2011年、2012年に実施した成功案件は、
このように賛成・反対の議論のネタになって、当然否定意見もあって、様々な側面の意見が噴出した もんなぁ。
最近ロンドンに居るカノジョが 「ロンドンで生活していると毎日違う言語が聞こえてくるし “multi-culturalism” を感じる」 と言っていたが、全て多面的である事を前提に生きる必要を感じる。
日本は全国大体似たようなもんだが、他の国では地域が違うだけで大分違うからな。
そして日本もデモグラではない、“心のデモグラ” とでも言う様なデモグラを踏まえないと、企業コミュニケーションの企画は難しいと思う。戦後のmono-culturalismはもう終わってるのだ。
※最近、成功案件を共にした某プロダクションのプランナーが、”マイルドヤンキー定義” にハマっているのだがw そぉいうデモグラが本来必要だと思う。
4:ビルボード音楽賞にEDMジャンルが新設されたり、世界で稼ぐDJランキングなどがソーシャルメディア上で話題になったりと、楽曲のみならず、その周辺のエリアに話題が拡張されていることは、EDMが Movement (ムーヴメント) になった証と考えることが出来る。他にも例えばデヴィッド・ゲッタが 「Beats」 からヘッドフォンを発売したり、スウェディッシュ・ハウス・マフィアがボルボのCMに起用されていたりするのも、「拡張性」 のひとつだ。
⇒この指摘はAZZLOはあんまりしっくりこないな。著者も “EDMは Movement (ムーヴメント) であるという分析” と言っているのがニクイw
個人的にはムーブメントって、AZZLOの言う所の文化の瞬間 であって、どっちかっていうと最初に起きる短期間の状態 を指す言葉だと思う。
今のEDMの盛り上がりは絶対に四半期決算の株式会社とかが裏に居るので、近いうちに終わるトレンドだと思う。
5:世の中に生まれつつある兆しを 『社会記号』 化することによって、『トライブ』 を作り出す。その結果、ターゲットは 「自分ゴト」 だと認識し、マインドセットが行われ、雑誌を手に取るのである。そして、主にテレビを通して拡張し、人々の共通認識のひとつとして機能するようになる。
『トライブ』 とは、”年代や性別を超え、共通の趣味や興味、価値観で構成される部族” という意味で、共通の趣味趣向,、価値観形成されている集団を言う。
⇒少なくても “トライブなマーケティング” しないと、”時間軸遅過ぎる今のマーケティング” はホント価値無いな。
・・・今後 「トライブマーケティングで顧客の心を掴め!」 みたいな本出るんだろうなw
そして “マイルドヤンキー定義” は正にトライブだな。
6:目先のビジネスだけの目線でEDMを推進するのではなく、EDMを通して日本で音楽が文化としてもっと発展していくのなら、まずはBoom (ブーム) からどんどん起きていってほしいと、いち音楽ファンとしては強く思っている。
いわゆる初期段階のBoom (ブーム) であれば、おそらく既に日本は世界的に一番豊かな 文化 モチベーションがある国と言えると思う。ニコニコ動画等にアップされるボーカロイド楽曲の数、コメント数は、どの国の音楽数、視聴数、反響は大きいんじゃないかな?
しかし、規模的にはでかい 東京の地下鉄で “メトロミュージシャン” が居ないのは、”都市” としてダサいっつぅか、”トイレが水洗じゃない” ぐらいの事象に感じる んだよな。
世界が尊敬するクリエイティブ気質はあるんだが、都市計画がダサい んだよな。
外国人観光客が増えたっつっても、いわゆる過去に作られた名所巡りと買い物が目的であって “今の日本” のプライオリティーは非常に低いんだろうからなぁ・・・。
そして “今のココ” を知るには、絶対に夜遊び場 (いわゆる 『本来のクラブ』 とか)にある よな。
7:世の中を動かす “企て” をする際に、『社会記号』 を生み出すことが出来れば、話題は圧倒的に起こしやすくなる。なぜなら、共通言語として起きているムーヴメントやブーム、トレンドを一言で機能させることが出来るからである。
テクノにおいてはカールコックスが “意図的に作られたアイコン” だが、そぉいう “憧れる先輩” が居ないとダメだよな。
こぉいう事はいつの時代も、常にどこかのシーンに自然発生的に起こる事なんだが、促進・意図的なプロデュースをする事を (も) 仕事にしたいのがAZZLOと言えるな。
8:世の中に生まれつつある兆しを 『社会記号』 化することによって、『トライブ』 を作り出す。その結果、ターゲットは 「自分ゴト」 だと認識し、マインドセットが行われ、雑誌を手に取るのである。そして、主にテレビを通して拡張し、人々の共通認識のひとつとして機能するようになる。
『トライブ』とは、”年代や性別を超え、共通の趣味や興味、価値観で形成される部族” という意味で、共通の趣味趣向、価値感形成されている集団を言う。
⇒これをやろうと思うスタートラインに立っているのは日本だと電通しかないよな。そして死んじゃったけどマルコムマクラーレンしか居ない様な気がする・・・w
ま、小規模な “トライブの活性化” がプロモーションの良い事例とは言えるな。永遠のテーマである “きのこ派たけのこ派” なんかそうだし。
9::これからの時代、「終わらないニュース」 を実現できるかが勝負の分かれ目になるはずだ。どれだけ 「熱量」 が下がらず、むしろさらなる 「熱量」 を投下できるようなPRを戦略的に仕掛けられるか。そしてそれがソーシャルメディアで語られるようなTalk-ableな内容かどうか。ネタがどんどん拡張されていくものかどうか。これが、ムーヴメントを起こす新しいルールとなる。
そしてAKB程の事は電通じゃないと出来ないが、“玉離したら勝手に進んで色々動く 『ピタゴラスイッチ』 的仕込み” は意識していたい よな。
そして企業の運営マネジメントも “ピタゴラスイッチ” と言えると思う。毎度偉いおっさんが止まった箇所をいじるのは面倒臭いハズ だ。少なくても “重力” の概念は踏まえた設計が必要なハズ。ココは地球なのだ。
10::一方通行的なマスメディア発信では、ムーヴメントは起きない。優れたコンテンツ力と人に語りたくなる要素、「終わらないニュース」、熱狂性などがあって、初めてムーヴメントの萌芽は生まれる。
⇒ “介入する隙間” があればCM投下だけでも自発的な行動は起こるとは思うけどな。
震災という背景 (隙間?) があったとは言えるが
これとかCMだけで発展した動きだからな。
11:戦略PRを考える上で、まず紹介したいのが、ヒップホップアーティストであるカニエ・ウエストが発した次の言葉だ。これがまさしく戦略PRを言い当てていると言える。
「みんなが欲しがっているものをつくってちゃダメなんだ。みんなが自分が欲しがっていることに気づいてさえいないものをつくらないと」
⇒ヘンリーフォードの 「もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう」 と同じだよなw
12:広告はAdvertisingで、PRはPublic Relationsですね。で、実は概念としてはPub-lic Relationsの方が広いんですよ。イメージ的には、PRの方がでかい傘としてあって、硬く言えば社会のいろいろな構成員・・・・消費者、利害関係者、企業だったら政府とも関係を結ばないといけない。そおいう大きな話があって、いろいろな伝え方がある中の一つに広告がある。そういう関係なんですね。(本田哲也)
⇒最近は広告業界でも暗黙知的にそうなりつつある感じはするな。でも業務フロー的にまだまだそうなっていない感じはする。
“CMが広告の花形” は変わらないが、”コミュニケーションの花形” かはまた別の話である事実を自覚するべきだと思う。
やはりあと20年はかかるな。・・・いや、そこまでかかんないだろうな。何故ならばその自覚が出来ない広告代理店は潰れるだろうからw
その上で社内権力関係や社内マネタイズ概念(元々ほぼ無いが)の変更も準備しておく必要があると思う。・・・というか今すぐやらないとマズイだろうな。
- “売り上げ下がってるからオレらの強みを打ち出していく!”
って、冷蔵庫が普及してきている最中に、”2日持つ氷を開発!” みたいな事だからな。
先日もオリエン書に “プロモーション” って明記されてるのにCRが 「広告でしょ!」 と論理なく自分の立ち居地だけの概念でオリエン無視を強行しようとしてたしなw 既存概念の変化に対する危機感から、しばらくその傾向は強まると同時に広告代理店の弱体化が進みそう な気がする。
故に
- “媒体問屋に徹する” (ジャイアンコンサートのPA屋として徹する)
もしくは
- “赤い血が流れたヒトのモチベーションを考慮したコミュニケーション設計をする”
のどちらかを選択した方が良いと思う。両立して繋げられるのが広告代理店の強みであるハズなのだが、少なくても現時点で何も出来ていない。
おいおい “企画に定評があるプロダクションが自動出稿システムを作ってみちゃいました♪” 的な事が起きて、媒体問屋の自動化とコミュニケーション設計の両方が担保出来る会社が、広告代理店ではない企業から出るハズ。
いわゆるデジタル企業とか括られる企業は、みんな明言はしてないが絶対にそれ狙ってる。
AZZLOが危惧するのは、これが現実になったら、電通意外は明確な作業屋になって少なくても絶対に今の給与水準は維持出来ないからんだんだよなぁ。
社員切って対応するにも限界あるからなw 遅かれ早かれ 「よし!次のリストラ候補はぁ・・・オレ♪・・・あら???( ̄□ ̄;)」 ってなるw
13:代理店さんも、広告はばっちりお金を取るんだけど、パブリシティのお手伝いは 「いいですよ、全体の中でやります」 みたいな感じがこれまでは多かった。メディアさんも、高い広告枠が売れていれば、ミニ枠みたいなものは、「優先的に入れますよ」 ということになる。(本田哲也)
⇒広告代理店は “億単位の媒体買ってもらう前提のマネタイズモデル” だからな。起源から言えば新聞の3行広告が広告業界の製作領域みたいだし。
今後媒体買う必然性、更に “代理店通しで買う必然性” は上がる事はない。媒体社は既に直接企業に営業かけていて既にトラディショナル代理店通しではないメディアバイイングが起きている し、広告主からすれば速くて安い方が良いに決まってるw
ほんと、メディアマージンに依存するトラディショナル代理店、更に “自動出稿ツール” を否定 するAZZLOが在籍する代理店はどうやって食うんだろうと思うよなぁw
14:本来のPRって、パブリシティが出るとかではなくて、独立戦争から来ているわけで、世の中全体の “空気” ムード、世論を動かすということですよね。だからたくさんの人の考え方を、右に向かせるのか、左に向かせるのか。そういう土壌でやっているものがもともとのPRです。~中略~
PRが進化して戦略PRになったわけではないんです。(本田哲也)
⇒起源からすると “敵” が居たから盛り上がったと言えるんだな。
戦略PRは分かりやすそうで分かりにくいのは “敵の設定” を曖昧にしてる要素はあるかもな。
結局広告業界の “バズワード” なだけで、そもそも人間変わらないしw 流行作らないと資本主義回らないからな。すぐ値段競争に陥るのも資本主義だし。
その点政治による “規制強化・緩和” ってのは金の回りの隙間をいじる事で、投資が起きる訳なんで経済が動くし資本主義がより強くなる印象感じるよな。
15:例えばトヨタみたいな一番大きな会社が、影響力もあるから広告を出せば “空気” が出来るかというと、出来ない。なぜなら、広告は、言いたい理由がある企業が、言いたいことを言うからです。
本当のムードとか “空気” は、いろんな立場の人が、同時多発的に言い出すことが大事です。自然発生のムーヴメントは、やはりそうやってできているわけですね。その中に、広告がワンオブゼムで入るなら良いんですけど。広告だけでは出来ないんですね。そこには限界がある。(本田哲也)
“いろんな立場の人が、同時多発的に言い出すこと”
アンチが表面かするのを嫌って企業は取り組まないだろうが、アンチも狙って発生させるぐらいの上から目線が必要なんだよな。タダで働いて頂くのだからw
16:結果論でというより、もっと仕掛けていくという意味で、どういう感じの “空気” に世の中がなっていきそうだから、こうおいうアーティストを 「こおいうことなんです」 とつなげてあげたら、良いんじゃないか。(本田哲也)
⇒電通の一部を除いて広告代理店は、”そうなっていきそう” の読みが全くないし、”そうさせたい” が全くない気がする。
- “企む・仕掛ける”
全くないw
音楽においても20年前と比較して “速い馬” どころか “安い馬” ばかりな感じで “自動車” がない感じするな。
そぉいう自動車の役割がクラブミュージックだと思ってたのだが、既にスタイルがあるからな。
でも、やはり最初の “自動車らしきアイデア” はクラブとか夜の場所から生まれているのは絶対だと思う。
故に西麻布YELLOWは好きじゃなかったけど “音のあるSPACE LAB” は都市機能として絶対に必要だと思う。 その点は2010年代はBONOBOでありセイさんがやっていると思うな。
セイさんからちょいちょい
- 「ウチで回せばぁ?(BONOBOでDJしてよ)」
という気軽過ぎるオファーには苛立ちを感じるのだがw LABのネタとしてAZZLOは承認されたという意味もある訳で、有難い側面もある事に最近気付いたなぁ。
17:やっぱり商品と一緒で、自分が聴くべき音楽がなんなのか、わからない人も多いと思うんです。昔みたいに邦楽はザ・ベストテンで、洋楽はビルボードとキャッシュボックスを見ていればっていう世界じゃないですからね。『トライブ』 もいっぱいあるし、いろいろ複雑になってる。だから、取っ掛かりがないっていう人もいると思うんですよね。~中略~
だから与えられた情報というより、自分が自分らしく生活していたら、たどり着いた情報というのが大事ですよね。(本田哲也)
- 1:”カラオケで盛り上がれれば良い” というコミュニケーションツール
2:肯定感を得るメッセージ
3:気付きを得るメッセージ
4:吐き出しに対する賞賛
5:覚醒音響
要素で言うとこんな感じかな?いわゆるオリコンチャートイン系は1と2を重視しているよな。逆にテクノ周辺は4.5が強いよな。
18:日本で多いですけど、どんどん広告宣伝に近づいてしまう。”空気” づくりから始まるんだけど、だんだん自分が言いたいことの方が、大きくなってしまって、限りなく広告に近づいてしまうわけです。「そんなにコントロール出来ないんだったら、もうメディア買いましょう」 ってなってしまう。それは結局、広告なんですけどね。~中略~
一般の人から見たらどうでも良かったり、違いがわからないところを、ドヤ顔でテーマにしようとすると、失敗するんですよね。(本田哲也)
⇒wwwwwwwっほうぅぅxwwwぐwwwほふgwwwぐwwwww
マジで笑い止らないわwwwwwww
19:的も決まっていないのに、先に突き刺してどうするっていうことですよね。
広告とかPRとかソーシャルメディアとか、伝える手段はいろいろありますけど、今ドキのマーケティング活動全体って、「大いなる合コン」 みたいなものなんじゃないかとおもいます。企業もお客さんも入り乱れて参加して、しかもお客さんがメディアにもなってしまうし、オウンドメディアで企業もメディアになる。もう、ぐちゃぐちゃなんですね。で、合コンっていうのは途中でターゲットが変わったり (笑)、仲間だと思っていた奴が裏切ったりする。しかも、みんながそれぞれの思惑でもって動いている。もう、そういう状況なんですよね。PRとか戦略PRは場のセッティングに近いので、こういう合コンの場をセットしているような感じに近いかもしれないですね。(本田哲也)
というAZZLOの揺らぎ無いマーケティング前提はプレで言えないが、「大いなる合コン」 は言えるなw それでもAZZLOが在籍する組織のコンサバな営業の顔は引きつりそうだがw
20:例えば、イギリスでは若手UKロック勢として、ジェイク・バグやストライプスを始め、ジョン・レノン・マカラーなどが登場している。これは彼らを含めたアーティスト郡がひとつのシーンとして想像出来ているからであり、だからこそムーヴメントも起きやすい環境が出来ていると言える。
このようにロックバンドやアーティストの場合は、単独ではなく複数で連合してひとつのシーンを作り出すような戦略も可能だ。
⇒R&SとWARPみたいなもんだよな。そして日本ではSUBLIME RECORDS。4HEROをSUBLIME RECORDSが出した 時にSUBLIME RECORDSの意味が分かった感じするな。
21:ソーシャルメディアは企業やアーティストがマーケティングを行う場として存在しているのではない。facebook’ Twitter’ mixi’ LINEなどそれぞれ独自のルールの中で、生活者は自由に楽しんでいる。そこに踏み入って行って 「新曲出るんです!」 「今度ライブやるんです!」 と声高に言われても、生活者は興味を持たない。
- “生活者が主役の公園に乗り込んで 『バナナの叩き売り』 はしてはならない”
と同じ話だな。
音楽アーティストでもtwitterを告知ツールとしてしか使ってなかったりするしな。ファンは “日常生活は何してるのか?” というストーカー心理がモチベーション なんだけどもなw
- “知ってもらいさえすればファンになるハズロジック”
は、単細胞というか、現代の人間の頭ではないとすら言えるw
22:例えば、レーベルのfacebookページで考えてみた場合、よっぽどの音楽好きでない限り、好きなアーティストがどこのレーベルに所属しているかなど全く興味ない。ということは、レーベルのfacebookページは、ユーザーにとって当たり外れの多いページになる。
⇒日本のメジャーレーベルの括りは無いに等しいからな。R&S、WARP、SUBLIME、SARAVAは “トライブ” があるからずっと追いかけられるが・・・。(AZZLOが知らないだけで他にもあると思うが)
23:一般的にファン数というのはひとつの指標であって、それを目的にすることはない。よくありがちなのは、facebookページのファン数に必要以上にこだわることであるが、重要なのはファン数を10万人にすることではなく、10万人にしてなにをしたいかである。
某企業にfacebookページの開設にあたって相談を受けた時に
- 「開設するべきではないです。facebookは広告業界におけるメディア (情報リーチ)ではなく、人と人の間にあるmiddiumのメディアなのです。企業の思惑に偏る投稿になりがちな企業facebookページでは、良い意味で信者が居る御社ではネガ炎上する可能性が高いのです」
というプレゼンをした (これは珍しく営業からのアドバイスだった) のだが、案の定3つ目ぐらいの投稿でネガ炎上してたからなぁw
その後は、facebook施策じゃない他の案件でも “facebookページのファン数に寄与する施策も織り込め!” というオリエンが含まれるようになったが、「増えたらどうすんの?( ´△`)」 って印象だったもんなw
やっぱり “知ってもらいさえすればファンになるハズロジック” が、そもそもおかしい 気がする。
“知った上で嫌いになる人も居るハズ” という当たり前の前提が抜け過ぎ てるんだよな。
閲覧注意「視聴者がイラッとしているCM」15選 2014年前期
こんなのもある訳だし。
なんなんだろうな、この単細胞感w 有名企業であれば少なくても中学中退のAZZLOよりは高学歴(いわゆる頭良い)のハズなんだがw
24:僕が2013年のフジロックに行った際の写真で、投稿に対するいいね!が57、コメントが1件であった。この投稿に対して 「はいはい、楽しそうだね!」 「私も僕も行きたいなあ」 というソーシャルグラフ内のいいね!こそつくが、「おい!高野がフジロック行ってるぞ!みんな見て見ろよ!」 なんてことはまず起こらない。
企業がやっているtwitterやfacebookも大半がそぉいう事だよな。“繋がり” という点では寄与するかもしれないが、その上でのアクションは期待出来る訳がない だろう。
25:単純に 【共有】 と括ってしまうと大きな落とし穴がある。【共有】 される導線設計はどうするか。超情報過多の時代に、いかに音楽に時間を頂くか。多種多様な楽しみの中で、生活者に時間を割いてもらわなければならない。音楽自体のクオリティはもちろんだが、意識すべきは音楽に接触する時間を作り出す仕掛けと仕組みを生み出すことだ。そのために 【共有】 があり、その先に可能性が生まれる。
⇒SNSを企業が意識するようになって、「オラも話題にされたいぞ♪」 というオリエンが増えた訳で、まぁ正しいモチベーションだとは思うが、かっこつけるならば与沢翼ぐらい徹底したネタとしてSNSにお邪魔させて頂かないとトピックにならないと思うんだよな。
- “年収一千万の地味な公務員”
に誰がチヤホヤするだろうか?それと同じである。
26:音でも良いし、それ以外でも良い。音楽を知るきっかけは、なにも音楽そのものだけである必要はない。ライブパフォーマンスでも良いし、アーティストの人間性でも良いし、音楽から紐付く記憶やエピソードでも構わない。その中で、ソーシャルメディアはアーティストとユーザー、ユーザーとユーザーをつなぐ架け橋となり得る。
⇒背景の理解を深める上ではそう機能する事もあるが、当然ソーシャルメディアで何をするかによる。ソーシャルメディアに手を出せば必ず深みが出る訳ではない。むしろ事実に近いだけに “ネガな深み” が深化する可能性もある。この辺はもろもろプロデュースが必要な領域だと思う。
いわゆる広告とか大々的にやるナショナルクライアントは “オレはイケてる前提” でソーシャルメディアに出ていったりするから、反感を生んだり、「はいはい・・・あなたイケてますよね。誰しもが知ってますよね。よって改めて賞賛する必要ないですよね!僕には関係ないですね!!!」 になるんだよな。
イケメン的尺度で言うならば、「キムタクがイケメン賞賛を求めているか?」 っつったらむしろNOだろう。NOな言動がむしろイケメン感を際立たせているわけであって、企業コミュニケーションはそもそものヒトのモチベーションをもっと学ぶべきだと思う。
今の大半の企業は与沢翼にも達しない “サイズ合わない有名ブランドのダブルのスーツ着てモテない地味な公務員” 状態だと思うなw
広告代理店は 「もっとモテたいんですかぁ?じゃぁ・・・こんなダブルのスーツはいかがですかぁ?石田純一も買っていきましたよ♪」 って商売だよなw
秋葉原の高額版画商法みたいだよな。
27:ポイントになるのは、ミュージックグラフの種類である。ミュージックグラフは厳密に言うと、ふたつに分類することができる。ひとつは 「音楽関連性」 ふたつ目が 「時代性」 である。
⇒これはitunes等で瞬間的にソートしやすくはなったな。しかし新たに出会うきっかけは音楽関連性に非常に寄ってしまうので、CDショップなどの陳列等は偶発的な出会いを生む非常にクリエイティブな仕事だと思う。そしてWEB上の販売サービスも、そういった偶発的な出会いが生まれるインターフェースには課題があるよな。amazonとか楽天も含めだ。
そして、音楽関連性の一種だが “マスタリングエンジニア” 軸や “NEVE卓” 軸等もあるとニッチ過ぎるが個人的には楽しいな。
28:音楽はもう大きな括りじゃ刺さらない。小さな点を集めて、広げて、バラバラな点を糸でつないで、ひとつの 『線』 を生み出す必要がある。当たり前だが、人の好みはひとつだけじゃない。
⇒これをうまくやっているのがフランスのRADIO NOVAだと思うな。
そして “点を線で結ぶ” 的ロジックはついつい二次元的になってしまいがちだが
- 「二次元で見て最短最適で結べたと思ってたのだが、あの点はかなりの光量があったので結んでしまったが、実はすげ~~~~~奥の方の点だったので、斜めから見たら結構イビツだった・・・w」
というのが起こる。このZ軸 (奥行き) も想定しなければならないし、更に位置だけでなく、”固さ・柔らかさ・重さ” といった、4次元的概念も踏まえなければならないと思う。
・・・まず組織内の2次元人間を突破するのが無理だけどもな・・・w
でも 広告主はは2.5次元ぐらいは見えてる場合がある。
29:THE NOVEMBERSの 『トライブ』 は、アーティストが多い。例えば、Charaとの一連の共演からのCharaトライブはTH NOVEMBERSと近い 『トライブ』 と言えるし、彼らが一緒にシーンを作っていこうとしているPLASTICZOOMSやLillies and Remainsはかなり近しく 『トライブ』 同士の行き来があると考えることができる。
一方、THE NOVEMBERSはアパレルブランドLAD MUSICIANとの関係性も深く、ここからの 『トライブ』 も想定される。一般的にマスメディアを使用しないアーティストの 『トライブ』 を紐解き、戦略を考える際には、音楽と音楽以外の 『トライブ』 に分類して把握する必要がある。
AZZLOは2000年~2003年頃のLADが快進撃中の頃に関与していたが、LADのボスである黒田氏はこのトライブ構築を凄く意識してたと今になって分かるな。
AZZLOをメンバーに入れたのも、”フェティッシュトライブ?” の介入を狙ったものだったのだろうという気がするw
30:きゃりーぱみゅぱみゅで考えてみよう。楽曲トライブ、ファッショントライブ、ダンストライブ、中田ヤスタカトライブ、キャラクタートライブ、青文字系トライブ、HARAJUKU KAWAii!!!トライブ、ミュージックビデオトライブ、などがある。
⇒自分は完全に中田ヤスタカトライブから入って、ちょっと増田セバスチャントライブが介入してる感じだな。きゃりー本人には全く興味ないw
31:それぞれのアーティストにおいて、THE NOVEMBERSやきゃりーぱみゅぱみゅのように、どのような 『トライブ』 があるのか。どの 『トライブ』 が層として厚いのか。一方、薄い 『トライブ』 はどれか。戦略的にどの 『トライブ』 と接していくのか。また、『トライブ』 同士で似た 『トライブ』 はないか。似た 『トライブ』 同士の中で、相互に行き来しそうな 『トライブ』 はあるか。音楽性やファンが近い別のアーティストの 『トライブ』 はなにかを、見つけ出す必要がある。
その上で、『トライブ』 同士の距離感や関係性を読み解き、近い 『トライブ』 を集めた 『トライブス』 を形成できないか、それぞれの 『トライブ』 をつなげて大きな 『トライブス』 を作れないかを考える。そのためには、『トライブ』 を見極め、戦略を立ててプランニングすることが大切だ。
⇒コレほんと現代の企画で超絶必要なのに完全に欠けてる事だと思う。
まだワードとして存在していないが、言うならば “トライブマーケティング” 的な軸足が必要だと思う。
先日組織内MTGで 「”マイルドヤンキー” みたいな、性年代デモグラではない “部族セグメント” も意識する必要がある」 と言ったのだが、みんな “きょと~~ん・・・( ゚ ρ ゚ )” だったんだよなぁ。
“広告業界労働お作法” から逸脱する定義は理解出来ないし拒否するのに “横文字バズワード大好き” っていう相反する生き様はいったいなんなんだろうと思うw
32:ポイントは、マーケターが一定のルールに従ってセグメントしたものではなく、オーガニックに人々が結びついているものを見つけだすことだ。レーベルやアーティスト、製品のマーケティング活動がいかに人々のつながりを作り、関係性を良くするのか、そこにどのように関わることができるのかを考えることこそが、重要である。
⇒まず “オーガニックな人々の繋がり” はビッグデータ的な事で可視化出来るのは時間の問題。
その上で、企業の思惑がどの隙間に入り込めばポジティブに介入出来るのか?それも単純に位置の話ではなく、胸を張っていたら良いのか?体育座りしていれば良いのか?この辺まで配慮したプランニングが本来必要だよな。
現状のいわゆる戦略って、”現状の二次元” の視点でしかなく、戦国時代の戦略の方がずっと多面的な思考だった様に思うな。
何故二次元になったのか?コミュニケーション対象者をターゲットという殺傷目標である軍事用語で表し、人ではなく “的” として見ている事が要因としてあると思う。
対象者は的や駒ではなく、赤い血が流れていて人格があるヒトである事をあまりに省略し過ぎ なんだよなw
これは企業内マネジメントとか、比較的小規模な範囲で、露骨な2次元化を確認する事が出来るよな。
33:アーティストプロモーションをする際、施策がエヴェンジェリスト向けの施策なのか、それとも新規ファン、ライトファン向けの施策なのかを混同しているパターンが多い。これらを明確に切り分けプランニングしていく。そして、どこにエヴァンジェリストやライトファン、新規ファンが接続できる場所を作るのかまで考えられると、Buzz型とAlways-on型の融合となるCampaign Centric型として機能する。つまり、短期的な話題化と中長期的な関係性構築を融合させるのだ。
- “ピンクローターを買おうと思ってグッズのサイトに行ったら、極太アナルバイブがトップページでおススメされていた・・・。将来的には欲しくなるかもしれないが、今日はそっとページを閉じた・・・。”
的な事かな?w
ま、各施策の繋がり・ストーリーを忘れるな!的なことだな。大概 “必然性ない手段寄せ集め大規模案件” になるからな。
バケツリレー式寄せ集めメンバーをチームと信じる体制では、まず無理だよな。
企業側からの仕掛けとして テレビCM、PR、ODM、WEBコンテンツ、イベント、といった、大体広告手段全部を活用した成功案件 は、大体AZZLOの意図通りでコントロールしたが、それでも連動性という点では課題あるしなぁ。要は
- “問題なく足し算は出来たが、ちゃんと掛け算になったかは・・・?”
って感じだ。とりあえず桁数が多い足し算は正解出来たので、掛け算を目指したい。
この計算的な事で考えると
“ちゃんと1桁台の結果が出た上で10の桁の計算をするバケツリレーならば正解が出せるが、位毎に同時に計算し始めたら、近い数字にはなれど、正解はまぐれ”
と言えるなw
掛け算を目指したらそらもうグダグダであるw
34:ソーシャルメディアで話題化を図っていく際に、3つの条件が必要になる。これは音楽に限らず、多様な業界でも同じことが言える。
・Talk-able (話したくなる要素)
・Buzz-able (話題になる要素)
・Shar-able (共有のされかた)Talk-able (話したくなる要素) はつまり、いかに 「人の言の葉」 に乗るかである。例えば、「タイアップ決定!」 や 「●月●日、新曲発表」 といったニュースは、ファン以外で広がることはない。これではTalk-ableとは言えない。Talk-ableとは、ファンを超えて話したくなる要素を兼ね備えていることがポイントになる。
次にBuzz-able (話題になる要素) もTalk-ableと同様に、ファン以外で話題になる要素を持てるかが重要になる。例えば、Twitterでアーティストのプレゼントキャンペーンを実施したとしても、これがファン以外でBuzz-ableになることはない。しかし、一生ライブご招待券が当たるとするならば、これはBuzz-ableになり得る可能性がある。このように、ファン以外にも 「WOW」 を提供できるかどうかが鍵になる。
最後のShar-able (共有のされやすさ) が 【共感】 されてからのアクションにもっとも必要になる。ただ 【共有】 できるだけでは、なんの価値も生まれない。
しかし、まだまだ音楽においてはShar-ableの要素が少ないのが現状だ。コンテンツを 【共有】 させることではなく、コンテンツを載せた文脈設計のShar-ableが足りない。
⇒音楽においては発信者そのものが3つの要素を元々持っているべきだからなw 販促活動は小手先テクニックとも言えるw
とは言え “3つの要素を演出” という点でのプロデュースは可能だな。
いわゆる企業コミュニケーションも、アップルやダイソンみたいな、”そのままで話題性ある” 状態じゃないと根本意味ないからなぁw
そして、特にソーシャルメディアのトンマナは、とても生々しい訳なので、”地味な公務員がサイズ違いの高級ブランドの服着ていっても目にも留まらない” んだよな。少なくても芸を披露しないとな。
AZZLOの企画は、言うならば芸、ギャグを教えて差し上げたいという感じだが
- 代理店営業 / 企業:「みんなやってないじゃん!恥ずかしいし・・・」
- AZZLO:「お笑い芸人はあなたよりもファンが居ますが・・・?やらないんですね?だったら気が済むまでサイズが合わない服 (媒体) 買い続けてください。こちらは販売は出来ますので」
みたいな感じだなw
35:調査によれば、EDMファンはソーシャルメディアの利用が非常に活発であることがわかった。EDMファンは1日平均11回ツイートし (平均的Twitterユーザーは1.85回)、3回に1回の投稿はEDMに関連する内容で、一般的な音楽ファンに比べ彼らが音楽について投稿する回数は52%も多いという結果となった。平均的なTwitterユーザーよりもEDMファンは今聴いている音楽について4倍多く投稿し、音楽好きの中でもEDMに関する話題を日常的に生み出している。
⇒これは凄い数字だな。EDMに関係ないツイートも当然多い訳だが、EDMってトラディショナルテクノの “テクノロジートライブ” とか無い印象なのだが、何でそんなツイート出来る材料があるんだろう?
36:EDMファンはまた特定のアーティストに偏った投稿を行うのではなく、EDMというジャンルが生み出すライフスタイルやイベントの体験など、全体的なトピックについて投稿している。
⇒あ!EDMは音は昔からほとんど同じようなスタイルの “POP DANCE” の新譜でしかないのだが、演出面では確実にクラブ的なシーンを更新している印象はあるな。その辺は “テクノロジートライブ” になっている感じするな。
トラディショナルテクノ・クラブは、何故ミラーボールとレーザーで停滞するのだろうか?音をMIDIに変換して音と照明・映像とシンクロする演出は10年前から理屈的に出来るのに、まだ本気で手付けてないだろうしな。
そのうち “ダンスフロアーは無重力” という装置が出てくる可能性も技術的にはある訳で、そぉいう 「はぁぁ??? ちょwwww」 という体験を提供して欲しいと思うんだよなぁ。
個人的趣向は “スモークとストロボだけ” なストイックな空間ではあるが、”夜やってる遊園地” という尺度でのクラブは “BODY & SOUL” 的な “懐かしみ体験” になってしまったと思う・・・。
ま、音としてのEDMは何のクリエイティブ性もフォーク・パンク寄りのロック性も感じないが、トラディショナルクラブ的な事を昇華したシーンが存在するのは良い事だとは思う。
37:興味が顕在化された、もしくは関与度が低い友人は自身ではおそらくライブに行こうとは思わないし、積極的に情報を取得しようともしない。
しかし、そこに信頼に足るエヴァンジェリストである友人の 「巻き込み」 が付加されることで、そのハードルを超えることができる。
すると、音楽発信側からすると、エヴァンジェリストが友人、知人に伝達ができるような 【共有】 できるコンテンツを、ソーシャルメディアも含めたWeb上にいかに配置できるかがポイントになる。
⇒とりあえずAZZLOのフェースブックのウォール (既に全員フォローを外したので分からないが) では音楽ネタを見たのはほんとに限られるな。音楽やってる人の告知はまた別だが。
- 「カラオケでコレ歌っちゃったぁ~ん♪」
みたいのもないよな。
それだけ音楽がファッション (流行) とか、アイデンティティ表現のツールではなくなって、当然コミュニケーションツールとしても機能しなくなったのは間違いないだろう。
音楽を聴くシチュエーションもパッケージが無いデジタルデータとイヤホンになったから、「!何コレいいじゃん!」 的な事が起きないもんなぁ。
たまにウチに人が遊びにきた際に起きる 「え~~~っとぉ・・・あの曲はどこだったかなぁ?」 とアナログレコードを探す瞬間って凄く無駄なんだが、凄く楽しいし、「まだぁ?もういいよw」 とか会話が生まれて待ってる友人もその隙間に起きる会話は楽しいと思うんだよな。
そぉいう隙間が人間的だと思うが、非常に機会が少なくなったよな。
そんな事を考えると、よりフィジカルな生楽器演奏に回帰するよなぁ。近年のアナログレコード、アナログシンセ・モジュラーシンセ回帰のトレンドは当然の事だと思える。
38:しかし 【共鳴】 は、アーティスト側の演出だけで生まれるものではない。
ポイントになるのは、ライブそのものに加えて、誰もが気持ちよく参加できて、アーティスト、会場、ファンの3つを見事に融合させているかどうか。そして、しかるべきタイミングで、どれだけその場が一体感を持って盛り上がるのか。オーディエンスの感情を動かすことができるのか。そういう状況を、アーティストやスタッフが作れるかにかかっている。なにもお金をかけることだけではない。
⇒これはマニアックラブだな。いわゆる スタッフもお客さんも全員が “世界が憧れるマニアックラブ” のキャストの意識あった からな。
そして排除しなくても違う人は近寄らなかったしなw そのぐらいの熱量はあった空間であり 毎日が文化の瞬間だった と思う。
あんな世界的に見てもコアだった場所に長時間滞留してれば、人生こじらすよなぁwww ホント幸せだw
39:・ユーザーがどのソーシャルメディアでなにを 【共有】 するのかを設計する。
・どこから 【共有】 → 【共感】 → 【共鳴】 のサイクルを作り出すかを設計する。
上記2点に気をつけないと、サイクルの始まりが不明確になり、結果としても中途半端に終わってしまう。
- 「レーベル担当者がアーティストの機嫌を損なわないような施策を求めている」(アーティストがレーベルの株持ってるので・・・)
だけで、共有も共感も共鳴も起きない施策を好む傾向を感じたな。
- 「そんな綺麗事では既存ファンだけの儀式で終わります!」
と言いたかったが、そんなAZZLOを察知した営業の表情が強張っていたので我慢したがw
ほんと金って面倒臭いよな。
41:僕が小中学校だった時代だと、「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」 「ミュージックステーション」 「CDTV」 「THE 夜もヒッパレ」 などがある。これらの番組は “必ず見るもの” であり、そこには音楽好きというレッテルは存在しなかった。
「HEY!HEY!HEY!」 が放映された翌日には、学校で友人とその話題でもちきりになり、とあるアーティストの新譜がカラオケに載れば、すぐさま学校の帰りに歌いに行った。学校行事の社会科見学や遠足では、テープに流行の音楽を入れて持参するのだが、それこそオリコン一位~十位までを片っ端から借りて、選曲をどうするかと夜中まで悩んだものだった。
AZZLOは世代じゃないが “トヨタ86に女子を乗せてドライブコースに合わせた選曲でココでキスする!” みたいな事、みんなやってた訳だからなw ある意味80年代はみんなDJだった訳だw
90年代はカラオケで選曲センスの重要性は継承してるしな。
- “ヒトのコミュニケーションを促すには聴覚刺激が有効”
というのは、ほぼ形式知である暗黙知なんだよな。
AZZLOがエロモチベーションが高まる要因は、いわゆる “ルックスクオリティーが高い娘” ではなくて、”この普段の声が喘ぎ声だったらどうなるんだ?” という聴覚の軸が強いしな。
故に、おっさんの喘ぎ声とかに対しても同様に関心が高くて気分悪くなるんだけどもな・・・w
42:少なくとも90年代にはソーシャルグラフなんていう概念は存在しなかった。そして、なにより重要なのは “ソーシャルグラフとインタレストグラフは同一のものだった” ということだ。同じアーティストを聴き、みんなで語れるアーティストが存在し、みんなで歌った。もちろん、そこから 「音楽好き」 に変容した人間は音楽を掘り出し、細分化された領域へと突入する。
⇒BOWY、X-JAPAN、チャゲアス、とかそんな感じかなw
厳密に言うと濃度は微妙だが “トライブ” だったと言えるし、その精査するフィルターとして音楽は機能していた部分はあるよな。音楽が思想・生活様式との連動性が高かったと言える。極論ヒッピーがそれなんだろう。
昔からあるっちゃあるが、昨今一辺倒になりつつある
- 「恋が実らないアタシ。でもそんなアタシ頑張ってるから未来にきっと王子様来てくれるわ」
的、超マーケティング音楽パッケージでは、もう “タイミング” でしかない状態に思うなw 思想もスタイルも何もない普遍的女子ニーズなんでタイミングでしかない のだ。
そして同じ普遍的テーマでも、昔の曲の歌詞の方が奥行きがある詩になっていて面白いように思う。
マーケティングは大概 “広く” を目指す事になるが、結果的にコアファンは醸成出来ないし、音楽そのものへの期待が無くなったな。
ターゲットとかいってる対象は赤い血が流れているヒトであって、「どうよ?どうせお前こぉいうの好きだろ?マーケティングしてっからさ♪ ほら買えよ?」 と言われたら好きでも反抗したくなるもんなんだよなw
そのマーケティングがニッチ (忘れていたマス) だと 「あえてココかよwww」 的に賞賛したくなる反面もあるんだけどもな。AZZLOにおいてはLONEがそんな感じだw 三十路四十路テクノ好きでLONE嫌いなヒトは居ないハズだw
GALAXY GARDENってのが、KEN ISHIIのGarden On The Palm と、GALAXY言うたらGALAXY 2 GALAXYな訳で、お好み焼きとゲロの組み合わせ的タイトルだもんなぁ。
いずれにしてもデトロイトテクノ以降のクラブテクノの概念は “UTOPIAを求める・歩む” 思想と言えそうだな。凄くヒトとして当たり前のモチベーションだとAZZLOは思う。
43:一般社団法人レコード協会の 『音楽メディアユーザー実態調査2012年度版』 の中にある、「世代別の音楽との付き合い方」 を見てみると、全体の比率として、音楽に対して無関心だと答えた層が、2009年には無関心 (既知楽曲のみ) と無関心 (音楽を聴かない) が、27.8%だったのに対して、2012年だと36.3%まで上昇している。音楽を聴ける環境やデバイスは飛躍的に進化しているのにも関わらず、そもそも音楽に興味のない生活者が増加していることがわかるだろう (年代で細分化すればもちろん数値は変動する)。
や・・・ヤバイと思う・・・。
そもそも偉いおっさんが一番恐れるのは音楽家であるぐらい聴覚の刺激というのは圧倒的だし、オウム真理教も信者にLSD食わせて密室で麻原の歌を爆音で聴かせてたぐらい浸透が深い手段なのに、言うならばドラッグ無しでシラフで飛べる合法的娯楽なのに、それを必要とされなくなっている・・・。
- 「ドキドキする事ぉ・・・殺人だ~~~ね~~~♪ Oh Yeah!!!!」
が表面化してしまう・・・。音楽はキスやらエロい事で留まって頂く為のキャップでもある と思うのだが・・・。
“記憶頑張ろう的教育” ではない方の教育・規律として、音楽ソースやそれを体験する場は必要な教養だと強く思う!!!
“ダンス教育義務化” が、その点すら排除する為の仕込みとして機能してしまったら、マジヤバイんだよな・・・。
音楽ビジネスのマネタイズの問題とかそぉいう事ではない次元でヤバイ。
44:音楽が共通言語ではなくなった理由。それは 「無知無関心層」 が増え、彼らが音楽に時間を割かなくなったことだ。音楽をより楽しい時間と場とコト、モノが世の中に増えて、それで十分満ち足りている生活者が多くなったのだ。
⇒満ち足りているかは微妙だな。“SNSなどの可視化される繋がり” に依存した上に維持に疲弊している側面も多く見受けられる。
45:今はソーシャルメディアからマスメディアへ、マスメディアからソーシャルメディアへといった情報伝播は生み出されている。昔のような上意下達の情報の流れは変化している。だからこ、『ソーシャルトピック』 を意図的に考えてプロモーション出来るかどうかは今後、今まで以上に重要になってくるはずだ。
⇒先日起きた事だが 『”プロモーション” ってオリエン書に書いてあるのに CRの人が 「広告だね!その方がプレが分かりやすいし♪」』 と言った人は 「オレはトラディショナル広告マン」 と開き直っていたもんな。その人の生き方の論理性は担保されているが得意先の成功は二の次 だと感じたな。
ターゲティングも狙いも論理性ない広告に紐付くプロモーション案企画とかって、”商品サンプリングします” ぐらいのプロモーションしかハメれないと思うんだよなぁw WEBを踏まえると
- 「ジャイアンリサイタルをtwitterで賞賛してください」
みたいな事だから成り立たないんだよなw AZZLOにおいては別に提出書類は書けるけど提案書にはならないんだよなぁ。そしてプレゼンは出来ないw 何故ならば詐欺になるから。
ほぼ全案件に言える事だが、ソーシャルメディアをマスメディアと同様の”金で買える出稿媒体” として捉えてる事がそもそも間違ってた (まだ間違っている) 気するな。
- “ブロガーに金払って賞賛レビュー買いてもらう”
とか、「どんだけ商品に自信ないんだよ!!!そんなもん買わせようとしてんのかよ!!! 」 って感じだもんな。
普通の生活者だったら普通に気付く事だと思うんだけどな。
AZZLOは幼少の頃からテレビCMや広告を見る度に
- 「少なくても広告費の分は販売価格に乗せられてるんだよな?ん~・・・広告してない商品だったら同じクオリティーで安く買えるって事じゃね?」
って思ってたからな。幼少のAZZLOで気付くレベルであるw
46:しかし、盛り上がった波をマーケティング担当者として、ただただ 「すごかったね」 「バズったね」 と眺めているだけでは全く意味がない。人は忘れていく。普段関与度が低ければ低いほど、忘れやすい。
大事なのは、そこから見込顧客も含めてつながっていく施策である。これは言い換えれば、ムーヴメントが終息していったあとの話にもつながる。そう、ムーヴメントは必ず終息するのである。
⇒その終息も見越したプランニングをしたいと思う。成功案件も 「パートいくつまでやるって決めた方が着地が綺麗だから、いつ終わるか決めようよ」 って営業に言ったなぁ。
そうじゃないと 「あぁ、今回のでコケたから次のは無いんだなw」 ってバレるので、ネガキャンになるんだよなぁw 評判が良い企業コミュニケーションほどその落胆は大きい。
CMが話題の某案件のプロモーション企画を依頼されて、”みんなで決戦♪” 企画を作ったのだが、「決戦して倒しちゃったら次がないからダメ!」 言われたんだよなぁ。
オチがないまま終わったら 「あぁ・・・そもそも効果なかったんだなぁ」 って思われるのが明確なんで、終わり設定した方がヒトの記憶に残って、企業からのコミュニケーションが無くても永遠に続く生活者チャレンジが生まれると思うんだが・・・。
AZZLOはまだ生まれてもいない時期のキャンディーズの解散発表は知っている。
こんな感じで終わんないと伝説にならないんだけどな。
企業コミュニケーションは広告代理店の貧乏性で、せっかく良いベースを持っていても、植物人間状態で延命させる為に金を使わせている不誠実なビジネスになりがちだと思う。
そんな事やってるからコンペで毎回疲弊することに繋がるとも言えるw
“疲弊した履歴を元に給料アップを要求する材料としたい”
のだろうが、AZZLOは楽して儲けたいと思うし (正確には欲望ではなく条件として思う)、誰でもそうだと思うんだけどなぁ。
48:話題性って本人から一番遠いところのものと合体したときに生まれると思うんです。たとえば黒ギャルが 「農業に感心があります」 って言ったらニュースになるけど、「ギャルがいやらしい下着つくってます」 って言ってもニュースにならない。(福山雅治)
ま、もうちょっと広く言うと “コントラスト” って言葉が出せるかな。
そのコントラスト、すなわち意外性みたいなのを、企業はともかく広告代理店は嫌うな。そして話題起きないな。
「あの企業はコンサバだからさぁ・・・」と連呼する営業が少なくないが、それは広告代理店がコンサバで、そぉいうコンサバな案件の処理班でしか声がかからないからだと思う。
企業がチャレンジしたいときは、電通意外の広告代理店に相談する導線は薄まっていると感じる。電通なら法律も変えようとするが、それ以外はそぉいう事が可能な事も知らないし、知ってても知らないフリするからなw 頼りにならないんだよな。よって処理しか頼めないんだよな。
49:今の日本の音楽アワードはあまりにもコンテンツパワーを持っているアーティストに比重を置きすぎていて、新しいアーティストがブレイクする機会が少ないのが現状になってしまっている。
アメリカのグラミー賞のように権威があり、ここで評価されることによってアーティストが花開くようなアワードが、日本でも生まれていくことが重要だ。
⇒ザ・ベストテンの演出違いでしかないケースは少なくないよなw
そして、日本人は既に起きた事を追いかけるのは得意だが、連れション意識やらもろもろで、議論を促しそうな提案はやらないからグラミーみたいな事は出来ないだろうな。
「様々な見解がある。あなたの見解も正しい。あなたの指摘通り我々も検討した。その上で我々の出した結論は”こぉいう理由” で取捨選択した上での結果なのだ」
みたいな事を日本人は言わなさ過ぎると思う。ま、”あなたの指摘通り我々も検討” したくない面倒臭い逃げるからなんだろうが。疲弊労働履歴としては良いネタだと思うんだけどな。
「円である」 という視点で留まっていたら、「あら????三角でもあった???こ・・・これは円錐ってヤツだね?」 という事に辿り着かないんだよなぁ。当たり前体操なんだが。
50:今、音楽だけでなくゲームなどを始めとしたエンターテインメントは、生活者の可処分時間の取り合いゲームをしている。生活者の時間を頂くこと現在、なによりも難しい。
⇒この事実、企業と広告代理店は “タッチポイント” で0.01秒でも接点があれば 「リーチした。認知だわーい♪」 ロジックだよな。超2次元感覚w
逆に短いからこそ “分からないから 検索して調べたくなっちゃう” しかけとか出来るとも言えるが、”伝えたい事が伝えられない” となる。むしろ能動的な興味喚起を生む方が価値があると思うんだが。
CMとかも “超早口で何言ってるかわからなくて気持ち悪いから検索してみた” という導線作れるんだけどな。
51:NO MUSIC, NO LIFE な人々なんて、本当にごくわずかだ
でも一番幅広い娯楽っつぅか趣味っつぅか、”好きな絵描き” の名前を挙げれる人に比べれば圧倒的に大きいものだとは思うw
52:音楽サブスクリプションサービスを世の中に浸透させていかなければならない。させなければならないというのは、音楽サブスクリプションサービスまでもが、音楽好きの中でしか利用されないということは、ひいては音楽から本当に人が離れていく可能性があることを意味するからだ
⇒そぉいう意味ではないと思うな。AZZLOが古臭いのかもしれないが、サブスクリプションサービスは全然必要と思えないんだよな。ほぼYOUTUBEでメジャーレーベルのは聴けるし。
今のウチのシステムではMP3 320kbpsとWAVの違いが分かる状態になってしまったしw MP3で聴くと位相が曖昧でふわっとした音になるんだよな。
あとCDやアナログレコード、カセットテープ等の物理記録メディアの場合、”書道における墨を擦る” 的な儀式であって、出音には関係ないが何気に重要だと思うw
移動だけ考えれば燃費の良い軽自動車で良い訳だが、それで全てまかなえる訳じゃないのと同じだと思う。
53:音楽ファン以外に音楽サブスクリプションサービスを利用してもらうためには、聴き放題や2,000万曲、月額980円などとは異なるマーケティングメッセージを打ち出すべきだ。
なぜなら、音楽ファン以外の多くの生活者にとっては聴き放題じゃなくても知っている曲だけ聴ければいいし、2,000万曲も必要ないし、月額980円も払うのであれば、YouTubeで十分だからである。
⇒かといって、比較的音楽ファン度が高い (毎月600曲以上新譜聴いて、年50枚以上はCDレンタルする) と思われるAZZLOにもサブスクリプションサービスは必要無い感じするんだよな。
LAST FMは面白いと思って、ちょっと使ってたけどな。
サブスクリプションサービスは偶発的な新しい音との出会いをビッグデータ的な事で、うまく環境作ってあげる事がポイントだと思う。サブスクリプションサービスで検索しなきゃならないとか、有料のYoutubeになるだけだからな。
54:日本の音楽業界では、大枠のマーケティング戦略が決まった上で、「facebookどうする?」 「Twitterどうする?」 「ソーシャルアドどうする?」 といった話に終始しがちである。そうなると、出来ることが限りなく少なくなり、ソーシャルメディアダイナミズムを実行することは出来ない。マーケティング戦略を検討していく上で、ソーシャルメディアをおまけに組み込むのではなく、最初から戦略の一環に組み込んで考えるようになっていく必要がある。
本人でもないスタッフが書いた 「告知」 なだけのfacebookページやTwitterばかりだもんな。そして知名度の割には “数千人” のページいいね!で終わってる事象が大半w
手間と金 (人件費) を考えたら、都度小規模でも広告出稿した方がずっと良いと思うなw
55:デバイス限定で無料配信するということに対しての否定、反論。加えてサムスンがアルバムを事前に買い取ったことに対する否定、反論的意見が形成されるとムーヴメントは加速する。JAY-Zファン、非JAY-Zファン、サムスンファン、非サムスンファン、音楽業界、通信業界など業界を超えて話題化を生み出した。(JAY-Zの新アルバムプロモーションにおいて)
⇒先日のU2の “itunesユーザーへの無料自動ダウンロード” も話題になったしなぁ。
“険悪感も含めて話題” と捉えるのは日本企業は無理だな。
- 「ジャイアンの歌はいかにキツいか?」
を公にするプロモーションをやれば、「どんだけキツいんだ?w」 という人が関与してきて
- 「確かにコレはキツイ・・・w」
「思ってたよりはマシじゃん!」
とかなって話題になって、”多面的議論” になる訳なんだけどな。
56:世の中に話題を起こす際に、ファンを中心に 「盛り上がりの種」 をシーディングし、話題を醸成することは大きな武器になる。「盛り上がりの種」 はファンから生まれないと波及しない特性を持つ。理由は明確だ。ファン以外興味がないからである。
⇒ 「俺らがやったのだ!」 という勘違いをさせる促しが必要だもんな。部下マネジメントと同様で強制ではなくて追従に変換する事が必要。
57:HARAJUKU KAWAii!!!!トライブから始まったきゃりーぱみゅぱみゅは、戦略的なPRとソーシャルメディアを駆使し、「世の中ゴト化」 へ到達した。そこからさらにきゃりーぱみゅぱみゅがファン / 非ファンを問わず日常生活に浸透するマスメディア戦略を実行し、まさしく誰に話しても知っている状態へとたどり着いた。デビューからたった2年で世の中を動かし続けているきゃりーぱみゅぱみゅから学ぶことは多い。
⇒“腹くくったプロデュース” だからな。デビュー前からかなり仕込みしてる訳だし。
きゃりーを参考にしても多くの場合、”へんな文字フォントのロゴ” “水色と黄色” “動物の着ぐるみ” 程度の表面的なパクりで終わるw (すでにそぉいうのある)
58:統一されたコンセプトが、各アーティストに紐付いて展開している例は多い。イギリスのWARP RECORDSにも、まさに同じことが言えるだろう。ただ、日本において “今” の時代にこのことをメジャーレーベルで実行しているのは 「unBORDE」 だけではないだろうか。
一般的に、生粋の音楽ファン以外は自分の好きなアーティストがどこのレコード会社に所属しているかには興味がない。「unBORDE」 が秀逸なのは、ファンが手を伸ばすことが心地いいレベルの範囲を用意し、「unBORDE」 マーケティングを行っていることだ。ワーナーミュージック・ジャパンでは広すぎるのだ。「unBORDE」 だから意味を持つ。「unBORDE」 という単位だからこそ、語ることも出来る。
⇒ここでWARPキタw WARPからのリリースは、その時は趣味じゃなくても一度は耳を通すもんな。
近年やっとオウテカが普通に聴ける、どの曲がどんなんだったか覚えられるようになってきたしw
そして我らがSUBLIME RECORDSもそうだったな。
そしてPROGRESSIVE FOrMは、今でも磁場を感じるな。
59:闇雲にドラマのタイアップを取ったり音楽番組に出演しても、長いあいだ活動し続けることは難しい。ましてやムーヴメントなど起きることはない。そのような戦略によって活動を維持できなくなったロックバンドは数知れない。
音楽のジャンルの中でも特にロックバンドは徹底的に 「仲間ゴト化」 を目指すべきだ。
⇒某音楽アーティストのプロモーション提案をしていた際の現実は
- 「広告代理店にはCM、ドラマテーマソングのタイアップを決めてきてほしい」
という事だったからなぁ。AZZLOは少なくても10年単位の “共同体作り” を考えて提案していたのだが、有難迷惑だっただろうなぁ・・・w
他の音楽アーティストのデビュープロモーションも “どう引退するか?” を先に考えたけど、提案すら出来なかったしなぁw
そして、広義な意味でのロックもあるので、ロックバンドに限らないと思うが、セオリーとしては 「恐怖に怯える臆病な自分」 をさらけ出す事で、臆病な人が集まってくるというのはあるよな。言うならば “ミスチルロジック” だw
- 「何にどう臆病になるのか?」
は、想像力が必要なのでw この点がバンドの個性だよな。
そして、バンドは長く続けるもんでもないと言えると思うw バトンを繋ぐ一つの手段だろう。終わった方が深く記憶に残るし。
60:”戦略的PR” はあれど、意図的に戦略PRを仕掛け、ソーシャルメディアとマスメディアを融合させ、世の中を動かすマーケティング戦略を描いたものは、音楽マーケティングにおいてはほぼダフト・パンク以外に存在しない。
⇒音楽以外でも去年のダフトパンク以上のものは無いんじゃないかな。
- “グラミー受賞でスティービーと競演”
というゴール設定があった上で設計している様に思う。
61:「言うのは簡単」 「ダフト・パンクだから出来た」 「きゃりーぱみゅぱみゅだから、可能だった」 こういった台詞はもう封印しよう。その台詞を用いても、現状はなにも変わらない。
⇒そして “何故可能になったか?” をちゃんと知るべきなんだよな。
千里の道も一歩からな訳だからな。”歩いたらしい” というのを知らなければパクる事も出来ないw
広告代理店は “事例集めた上で表現だけパクる” が横行してると思う。それは良くても “劣化版” として認知獲得出来るだけなのだ。”何故その表現を採用・組み合わせたか?” の論理を探らなければならないと思う。その考察の中で絶対にズレ (勘違い) が生まれる。それが個性であり、新しいものだと思う。すなわち先輩を踏み台にして後輩が更新し続けるという人間らしい行為になる。
62:未来可能性に溢れている。世の中はいつだって動かすことが出来る。音楽マーケティングはこの先もっと変化し、進化していくはずだ。むしろ、進化していかなくてはならない。それぞれ音楽に向き合う人たちが一緒になって取り組めば、世の中を動かすことは絶対に出来る。
世の中を動かす未来には、共通項が存在する。共通項を紐解いてそれぞれのアーティストやサービスなどに応用することで、切り拓かれる道はきっとある。
音楽は永遠に消えない。古代から生まれた人類最高の発明のひとつである音楽はいつの時代も人々の心を揺さぶり、支え、明日を照らしてきた。
その音楽が、今までのように機能しなくなったと言われている。果たして、本当に機能しなくなったのだろうか?大丈夫。音楽はこれからも人々の生活に深く関わってくる。音楽は共通言語として機能する。音楽はこれからも変わらず多くの人の心を鳴らし続ける。
音楽の未来はどこにあるのか。きっと大きな分岐点に来ていると思っている。ただ、今、この瞬間も音楽によって生きていてよかったと思う人がいて、今、この瞬間も音楽によって救われている人がいる。音楽によって支えられてきた人たちが、音楽の未来を作るのだ。
そして共通言語に昇華されるには、大概現在の共通項を否定する事だったりするんだよな。”しっくり感” が違うんだよなw
63:音楽マーケティングのルールを超えていくことが、新しい音楽ビジネスの未来に結びついている。そして、この取り組みの向こう側には大勢の人が音楽に身を委ね、音楽を必要とし、音楽に生かされるようになる未来があるはずだ。
鳴り響く歌が、歌詞が、メロディが、演奏が、人生を形づくる。マーケティングはそのあとの話しだ。
音楽マーケティングで人の人生は変わらない。ただ、人生を変えるきっかけは与えてくれる。音楽マーケティングのルールを超えていこう。世の中を動かす “企て” を生み出そう。音楽で世の中を幸せにしょう。
そして、音楽が人生を変える。音楽こそが人生を変えるんだ。
- 「最高のマーケティングはマーケティングしない事」
とかも言われるしなぁ。
そして 「音楽こそが人生を変えるんだ。」 はその通りで、故にグレートミラクルワンダフルハッピーバリューエクストリーム偉いおっさんは音楽家を一番恐れるんだよな。
権威や金よりも “小汚いガキが叫んだ方が人を動かす” ってのは、なんとも皮肉である・・・w
64:音楽が鳴り響く世界は、光に溢れています。日々最高の音楽が生まれ、最高のライブが開催され、最高のテクノロジーが開発されています。きっとこの先も次々と融合が始まっていくはずです。
音楽に救われ続けた僕のように、もっともっとそんな人が増えて、音楽が文化として根付いて、奏でる人も、聴く人も、届ける人も全員が幸せになるエコシステムを必ず作れるはずです。音楽の未来はきっと、明るい。
⇒暗いのは “マネタイズ領域” だけで、音楽そのものは大丈夫だとは思うけどな。ニコ動の初音ミク楽曲においては、かなりエコシステムは綺麗に昇華されたとは思うし。元々マネタイズが関係ないモチベーションだし。
ニコ動みたいなのは、過去にはイカ天とか、必ず時代に合わせて存在する訳なんで、その辺は気にしなくても出てくるだろう。
ただし、そぉいう動きを規制する法律によって可能性を潰されるのはダメだよな。ま、とりあえずネットサービスが今程度のことが出来ているうちは、単純に “作品が出る” という点では大丈夫だろうが・・・。
そのうちワトソンが自動作曲して、違うワトソンが賞賛してネットマネーで決済して・・・。っていう人間不在マーケットが出来るだろうなぁw
音楽に限らず、リアルヒト以外の経済圏を作らないと、資本主義が担保出来ないのでw
音楽のベースを持ちつつ広告代理店とかに在籍してコミュニケーション設計を試みるAZZLOとしては、”もっと前に読みたかった本” という感じがする。ま、蓄積された肥やしがあった上での読書だし、今でまぁ良かったとも言える。
そして改めて思うのは
- “音楽に対するモチベーションはコミュニケーションの基盤であり、当然音楽以外の事象にも適応出来る。音楽ほど普遍的なメディア (middiumの方のメディア) は無い”
って感じかな。あ・・・エロの方が強いか・・・w
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