ハウルへは2009年同様に通った。2008年は単純に “星子うめぇ!” “家帰るの楽!” で最高であっただけだがw 色々と整理する体験があった。
まず気付いたのは 一人でハウルに行くと “心の矯正をしてもらえる” という事。軽く宗教であるw 猫背を美しいラインにしてくれる感じだ。これはバーは関係なくデニーさんだからという理解であった。
自分はバーはハウルが初めてだ。ボノボ横のバーにはたまに顔を出すが、半年に一回程度なので、”バー=ハウル” なのだ。そしてバーとかはどうでも良くて星子とデニーさんが目的だ。しかしデニーさんは「バーとは・・・バーテンダーとは・・・」という話をしてくれるが、正直ピンと来ない日が多かった。
そんな最中理解しやすい会話があった。
「バーテンダーが客と馴れ合う事に必死になってる。それじゃダメじゃん!」
自分の多くのDJ・クラブに対する思いと一致したので、バーテンダー・バーの意味が理解出来た。
更に
「大通りに背を向けて酒飲むってかっこいいじゃん!」
「世の中にFUCK YOU!してないとダメじゃん!」
という台詞はちょっとかっこ良過ぎとは思うが理解は出来る。
どんな環境でも愚痴る女子と同じで、マスを否定してしまう性なのが自分 だろう。
そして、憧れやスタイルでなく「おいしい星子ぉ~♪」と暢気に頭からっぽでハウルに通いつつ、”有名大学出てても大半がアホ”(素敵な人も少数だが居る) と感じてしまう自分は、今の資本主義においては根っからのアウトサイダーだと自覚したw
ハウルとは関係ないかもしれないが、最近世にある不満に対して疑問を感じる。一般的に会社員なんて経済を回す駒でしかない。当然自分も含めであるし、ギャラがしょぼい分、駒としての価値もしょぼいと理解しているw いずれにしても世の不満なんて “どんぐりの背比べ” だし、上場会社の雇われ社長とペーペー社員を比較しても、所詮資本主義の奴隷であって大差無いと思う。
自分は上場会社の雇われ社長の下で “奴隷の中の奴隷” をやっているが、雇用の差を理解していない人に「スーツ買え!」とか不条理な事を言われれば不満になるし従う必要も全くないと思う が、それ以外では周りが言う愚痴に価する様な事に関して人一倍実感はするが、諦めているのでストレスにはならない(つもり)。
日本に住んでる僕らはまだ恵まれてる方で、どの奴隷をやるか選択出来る。(要は転職出来る)改善出来る手段があるのに留まって愚痴るという事は、自分を明確に無能であるか肯定する様な行動と感じる様になってきた。
段階的に生産的な愚痴(問題提起)があるのは理解しているし、自分も愚痴がゼロな訳ではない。そもそもコミュニケーションの為に愚痴るネタがある環境に身を置くのが人間であるとも感じたりもする。
上記の様な考え方を元にした発言は “上から目線”(皮肉な意味で)と言われたりする。何をするにも 上からでも何処からでもいいけど、通常の視点とは違う視点に切り替えられるというのは良い技能だと思う し、更にDJや代理店等でコミュニケーションデザインする上では必須な技能じゃないかと思うが、歓迎しない人もボチボチいる。
その手の人達は “人と群れる” 事を大事にしているケースが多い様に見受けられる。無能な自分を認めたくないから、数で勝負せざるを得ないというロジックか? 無能な部分もあれば有能な部分もあって当然だと思う が完璧主義なんだろうか?
無能有能の格差は現実あるが、ほとんどが生後の環境によるものだし、誤差と言えるケースが多いと思うので、スタンス次第で無駄に群れる必要は無くなると思うのだが・・・。※群れそのものは適材適所という意味で肯定的です。
まぁ色々な人がいるから面白いし考え方自体は否定はしないが、電通の犬の様に八つ当たりや自分の足引っ張るのは辞めて欲しい と明確に思う。
デニーさんとの会話では 「そぉ思っちゃうに決まってんじゃん!当たり前過ぎでしょ」と自分の考えを肯定してくれる様な会話が多い。普通の酒場のおじちゃんだったら、「気持ちよくさせておいて通わせる気だろ」と勘ぐるのだが、星子を作ったおじちゃんに言われると「やっぱこれでいいのか!?・・・いいんだろうなぁ」と迷いが減り自信になる。
またハウルに来るお客さんは雑誌関係かファッション関係の人ばかりで、要は(世に対しての)提案業、それも最初の種まき段階の人が多い。一応フォロアーとして代理店の人も多く来てる。AZZLOとLADに居た自分が、雑誌・ファッションの業界の人達と似た環境に足を運ぶ事は理にかなっていると考えられる。代理店の人達は基本キャバクラだからな。
ハウルに通う事で、自分のアイデンティティーをピント合わせて見れる様になった 気がする。上から目線の原因はまだよく分からないが、上から目線が悪い事ではないという理解は深まっている。
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