はじめに
何故自分は上から目線なのか考えてますw -電通の犬編- で書いた
そもそも “中学行く必要は無い” “雇われ公務員に教わる事なんてない” と考えたのは13歳以前だ。”13歳労働1人暮らし” “WADAを知る” 前から原因がありそうだ。ここの深掘りは必須か?
13歳以前の生活
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- 神奈川県大和市。厚木飛行場の米軍機の進路下。
- マンション5F建ての5F。最上階の角部屋で丸々一件分ベランダ。
- 両親居ない。母方の祖父母に育てられた。
- 祖父は芸大出の作曲家。祖母は歌とピアノの講師。
- 祖父の遠征演奏の為、学校休んで付いていく事も多かった。
- 距離が近い親戚に会社員が居ない。みな自営業。(電気屋・服屋・ライター・翻訳家)
- 近所のプロテスタント系の教会がやってる幼稚園に通った。
- 近所の普通の小学校・中学校に通った。
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- 勉強(いわゆるテストの点数)は良かった。偏差値65は常にあった。(68を頻繁に見ていた気がする)
- ピアノ、バイオリンを祖父に習う。
- リコーダー、ハープを専門の先生に習う。
- 栄光ゼミナールと四谷大塚に通っていた。
- 開成中学行くもんだとばかり思っていた。
「オレみたいに芸大出た所で意味なんかない。大学なんか行かなくてもいいんだ」
と言っており、母親であるYUMIさんは、彼女が通った啓明学園の愚痴を言うだけで、「良い学校出といた方がよくね?自分は別に大学行ってもいいよ」と思っていた・・・。
なんとなく地元の中学に行く
そんなこんなでぼ~っとしていると、小学校の隣にある普通の中学校に通っていた。「あれ?開成じゃないけど・・・まぁ近いからいいっか」とお気楽に考えていたが、小学校の頃から「国が作ったメニューをこなすだけの意思がない公務員にとやかく言われたくない」と感じていた生意気な自分はw 中学では既に塾で学び終えてる事ばかりなので、より公務員との接点がうざくなってくる。 軽いいじめもあったが「暇人ども・・・。この程度で遊びになるってお前ら安いな。」と思っていた。かなり上から目線だw
まず “公務員は意思がないし、所詮日銭稼ぎの為にやってる仕事だ。自分の将来を本気で考えてくれる訳じゃない” と考える小学生は普通じゃないと今は思う・・・w よって開成に行かなかった事が原因ではなく、小学校の時点から何かおかしい事になっていたと言えるw
とある政治家の息子と遊ぶのを禁止されていた
祖父母は外出が多かったので鍵っ子だった。晩飯も近所の付き合いのあるレストランで1人で外食する日もあった。そして洗濯ぐらいは自分でやっていた。何故か覚えているのは近所の政治家の息子と遊ぶのは禁止されていた。いつもお菓子くれる優しいお母さんが居ておもちゃもいっぱいある政治家の家だったのだが・・・。
祖父は幼稚園の園歌、学校の校歌、民謡なんかを中心とした作曲家なので、ローカルの小さなコミュニティーであるが、政治との接点はあった上での仕事だっただろう。どこかでその政治家とぶつかった過去があったんだろうか?
祖父の生活/コミュニティ
家ではしょっちゅう「あれは “つぇ~まん” で、今度のは “げ~まん” だ」という意味不明な祖母との会話を覚えている。”エッチな話してるかと思ってドキドキした” かどうかの記憶はないw
コミュニティーと言えば、祖父が一番熱心だったのが、ロータリークラブの活動だ。
確か相模原ロータリークラブの会員で、新宿ロータリーにもしょっちゅう顔を出していて、週に2回は何かしらロータリー活動をしていた様に思う。
四つのテスト というロータリーの活動指標があるが、これを日本で曲にしたのは祖父、水谷暢宏である。
音楽ファイルになっているものがあった。
四つのテスト(歌あり)
いわゆるスーツのおっさんが集まって歌う系な音楽だw セオリーがいっぱいだが、キャッチーで簡潔で今聞いて良い曲だと思った。
子供の頃はしょっちゅうロータリーの会合に連れていかされ、祖父が演奏しおっさんらが歌うという光景を散々見てきた。
四つのテストを逆にすると最低過ぎるw
真実かどうか
みんなに公平か
好意と友情を深めるか
みんなのためになるかどうか
- 嘘だ
不公平だ
敵意を持って接する
誰の為にもならない
電通の犬がこれだなw
・・・今この四つのテスト結構イイと思ったし、意識出来てないレベルだが、自分の日々の指標として大なり小なり組み込まれているからこそ、電通の犬の様に4つのテストで×が付くような出来事には反応してしまう 気がした。子供の頃の体験がいかに将来に響くか実感した。
キリスト教(プロテスタント)よりロータリーの方が好き
そして・・・祖父は自分が通った最寄のプロテスタント系の幼稚園がきっかけだったのか?その教会でクリスチャンになった。毎週日曜日の礼拝では賛美歌を演奏していた。
自分はこの教会の人達には大変お世話になったが、今となってはキリスト教が大嫌いだ。そして今ロータリーと比較すると、ロータリアンの方が精神的に背筋が良いというか、まぁとにかく紳士なおっさんしか居なかった 様に思う。逆に教会の人は子供ながらに警戒する卑屈な人も居た気がする。
- “四つのテスト” を指標に日々生きる
- “お祈りさえしてればいい” を指標に日々生きる
まぁ既に反キリスト教の自分が比較してもフェアではないのだが、ロータリーの方が全然イイと思う。
そして祖父は死ぬ直前まで「ロータリーに行かなきゃ!カバン!・・・今に見てやがれ!」と言っていたのを覚えている。自分が12歳の頃だった様に思う。自分の最後の言葉も「今に見てやがれ!」な気がする・・・w
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