はじめに
-読書感想- 人を動かせるマネジャーになれ! / ブライアン・トレーシー
にて、「ファイナルアンサー見つけた!」 と書いた。そのアンサーを残す。
アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界 / 堂目 卓生
の読書中に見つけた!(読書感想文はおいおい書く)
何故自分は上から目線なのか考えてますw -電通の犬編-
何故自分は上から目線なのか考えてますw -ハウル編-
何故自分は上から目線なのか考えてますw -生立ち編1-
何故自分は上から目線なのか考えてますw -生立ち編2-
何故自分は上から目線なのか考えてますw -啓明学園編-
の続編的な感じだな。
※堤清二が生前のインタビュー(おそらくJ-WAVE) で、
- 「今の経営者の多くはアダム・スミスを都合よく解釈しているのではないか?」
と言っていたので、アダム・スミスを読んでみたのだ。
アダム・スミスから気付く
「財産への道」 は 「弱い人」 が選ぶ道であり、「徳への道」 は 「賢人」 が選ぶ道である。「弱い人」 は、つねに世間の評価を気にする人、称賛を欲し、非難を恐れる人であり、「賢人」 は胸中の観察者の評価を重視する人、称賛に値することを欲し、非難に値することを恐れる人だからである。(中略)
普通の人間には、「弱い人」 の部分と 「賢人」 の部分の両方があるのだから、普通の人は、「財産への道」 と 「徳への道」 を同時に進もうとする。しかしながら、「人類のうちの大半は、富と地位の感嘆者であり崇拝者」 (『道徳感情論』 一部三編三章) である。世間は、見えやすい富と地位にもとづいて個人を評価する。そして、私たちは、自分の中にある虚栄心—–自分を本当の値うち以上に見せようとする心—–を完全に拭い去ることはできない。したがって、ほとんどの人は、「徳への道」 の重要性を認めつつも 「財産への道」 を進むことを優先させる。(中略)
上流の人びとが、より大きな富、より高い地位を求めることは、「徳への道」 からの堕落を招く可能性が高い。(中略)
王侯たちの宮廷において、また、地位ある人びとの応接室において、成功と昇進とは、理解力があり豊富な知識をもった同等者たちの評価にではなく、無知高慢で自惚れが強い上位者たちの気まぐれでばかげた行為に依存するのだ。そこでは、へつらいと偽りが、あまりにもしばしば真の長所と能力に優る。上流社会では、喜ばせる能力の方が、仕事の能力よりも尊重される。(『道徳感情論』 一部三編三章)(中略)
この羨望される境遇に到達するために、財産への志願者たちはあまりにもしばしば、徳への道を放棄する。なぜなら、不幸なことに、一方に通じる道と他方に通じる道とは、ときどき正反対の方向にあるからである。
要は 偉いおっさんに “徳が無い” からAZZLOは疑問を感じる のだろう。
財産への道は徳への道を同時達成する訳ではない
偉いおっさんは大概AZZLOよか収入は多いハズだがw 財産言うても、せいぜい高級マンションに良くて1500万ぐらいの車だろうか?都内にビルは買えないだろう程度だ。資産運用によって名義的に所有する事はあれど、キャッシュでは買えないだろう。
地方に3F建てのビルはイケても森ビルなんて絶対無理w AZZLOは財産だったら、都心の雑居ビルぐらいは欲しいw 不可能である金銭能力の人たちはどんぐりの背くらべだと思ってる。
※とは言え組織内ヒエラルキーと給与・報酬の大小は尊重するが。
エリートとは庶民が達成出来る上位レイヤーだから彼らは盲目的に目指す
とか、AZZLOなりの考察を色々書いたがw まぁ大体当たってたな。そして、
「貴方は貴族なんだから、エリートの上流にすら辿り着けない庶民にキレなくて良いでしょう?」
と先輩を諭したりする生意気なAZZLOはw 以前からアダム・スミス的な考えを持っていたっぽいよなぁ。今の組織に居る事で超顕在化された感覚だがwww
-
- 「弱い人」
つねに世間の評価を気にする人、称賛を欲し、非難を恐れる人 - 「賢人」
胸中の観察者の評価を重視する人、称賛に値することを欲し、非難に値することを恐れる人
- 「弱い人」
この対比は超納得しちゃうよなぁ。
「財産への道」 を選ぶと 「徳への道」 が無いので、焦って “部下のみならずお客さんにも過去の自慢話をする” 行動になっちゃうんだろうなぁ。
人として気持ちは分からなくもないが、少なくても平均以上の家と車とか財産を手にしたならば、諦めるべきものもあると思うなぁ。だって自分で選択した訳なんだし。
財産への道はキリがない
AZZLOはある意味その逆だな。金なんていくらあってもキリがないし。ビル複数持ったら今度は街全体が欲しくなるのだ。街を支配したら国、そして地球を支配したくなるのだ。
金が指標でも良いんだが、その人が選んだ正義を全う出来れば良いと思う。
財産への道は維持に疲弊するコトになる
しかし金が指標では一定のレベルを超えて満足した場合、今度は維持に必死になり、気付いたら誰も尊敬してない事に気付く(気付くだけマシだが)。
ソフトバンクの孫正義のように、トヨタ超えを目指す組織の偉いおっさんは居るだろうか?・・・そして孫はトヨタ超えたらもっと次の目標を持つだろう。ポジティブな “金はキリがない” 事象だと思うが、大概の人達は一定ラインを超えると錆びついていく感じがする。
なんとなく世帯収入1600万(共働き可)を超えると、維持のプライオリティーが高くなる感じするな。見栄とかで高級外車を頻繁に乗り換えなきゃならないしw その為には会社を辞める事も出来ないw
すなわち金の奴隷になる。経済を回す駒なだけだ。
アダム・スミス以前に、そんな維持に必死なだけで自己がほぼ無い人、尊敬出来ないよなぁw
ロータリークラブ 四つのテスト
何故自分は上から目線なのか考えてますw -生立ち編1-
で既に気付き始めているが、AZZLOは祖父である水谷暢宏に連れられ、しょっちゅうロータリークラブの会合に行き、祖父が作曲したテーマソングを繰り返し聞きまくった影響がありそう。
偉いおっさん達は、ことごとくこの四つのテストで不合格な事が多い・・・w 故にこのテストをし続けていた祖父を見て育ったAZZLOは受け入れられないのだと思う。
AZZLOの育ち悪いっていう先輩に言いたい が、ロータリーは誰でも入れるもんではないw 要は先輩は、WADAも松本秀人もデニーさんもロータリークラブも否定したという事だ。早稲田出て代理店に居るぐらいでロータリー否定出来ないだろwww
“弱い人” への道に気付いて逃げてくる人も居る
AZZLOは組織の偉いおっさん含め、特に先輩に対しては尊敬したいのだ。(後輩も含む)
先輩は時間軸で必ずAZZLOよか経験が多い訳で、何かしらポジな影響を期待してる。でも組織の先輩たちにはことごとく、裏切られるんだよなぁ・・・。(一部例外あるけど)
ま、「弱い人」に陥れる教育という仕込みがあるんだから、しょうがないんだけども・・・w
稀に「弱い人」へ片足突っ込んだ上で逃げてくる人がいるw そぉいう人は何故危険を感じるんだろうなぁ。そういう人の気付きのきっかけを追いかけてみると面白いかもなぁ。
大分ネガの底は明確に書けた気がするので、ポジに目を向けたい気分だな。ま、まだまだ書くけどもw
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