目次
- はじめに
- 世間の認識
- コチラの独自見解
- 愛着障害リレー
- 受愛の効果
- 中途半端な愛なら無い方が良いケースもある
- 愛の把握
- 人口だけの問題ではない
- 貨幣的課題が無い世帯も産まない
- 本来の出産モチベーション
- 将来深刻化する課題
- 結局は “安全基地” のコト
- 愛とか言うとなんか気恥ずかしい?
- 現代で出来る促進策
はじめに
これらの経験から、日本の少子化の背景、日本の真の課題が見えた。
愛と労働に対する見解が入り混じって整理しきれてないが、とりあえず気付いたコトを残しておく。
世間の認識
少子化について、政治家や評論家の間では
“若者の経済的余裕が無いから”
というステレオタイプな意見しか無い。
一つの原因ではあると思うが
結婚率や出生率の低下は、主に経済問題の側面から論じられることが多いのだが、実際には、今よりずっと貧しい、食うや食わずの時代でも、高い結婚率と出生率を維持してきた。飢餓ラインぎりぎりで暮らしていても、家庭をもち、子どもをつくり続けてきたのである。ところが、今では、多くの人が、自分一人で過ごす時間や自分のために使うお金を削ってまで、家族をもちたいとは思わなくなっている。 それは経済問題とは別のところに原因がある。そこには愛着が稀薄になり、回避型愛着スタイルが浸透していることが関わっている。われわれの身には、かつて存在した人類から、別の〝 種〟へと分枝していると言えるほどの、生物学的変化が生じているのである。
であって 過去には不況時でも人口は増えていたので違う原因があるハズ だ。
コチラの独自見解
少子化の原因は “保険の細分化”(親の老後を子供が負担する必要が減った分、養育費が保険屋に流れてる) が大きいと見てる。
何故過去に人口増加したのか?
“父と母、2人の老後ケアをする為には、子供1人に負担させるのは可哀そう…だからいっぱい産んで分担してもらおう♪”
という考えがあったものと思う。しかし現代は保険があるので子供の負担は少ない。そもそも子供産まなくても老後に問題が無かったりもする。
育児の手間と経費、ニート化のリスクと保険を比較したら当然保険の方が確実 だ。子供産むなんて人生設計として負け戦 なのだ。
二つ目に少子化が課題になる以前の “婚姻率低下” の原因として
少子化の要因はいくつもあるが
"お嫁さん志望の女子も自己実現(会社就労して結果を残す)という名の納税を強要させられているから"
は大きな背景にあるハズだ
要は
"将来に継続する納税者の生産"
ではなく
"イマある生から搾り取る"
の戦略だから先細りするのであるhttps://t.co/GC8CUR3Reb
— azzlo❤️ Memecoin (@azzlo) February 3, 2023
“自己実現という詐欺”
がある。
女性が家庭ではなく労働力拡大(所得税搾取)の為に “自己実現” という詐欺に合い、本来やらなくて良い労働をする様になったからだ。
貨幣とモチベーションについては、上記2点が大きいだろう。
この状態に加えて
新生児室に移す理由は、出産したばかりの母親が安静に過ごせるということとともに、新生児の状態を観察、管理しやすいということにある。そうした管理のもと、母親に会うのは授乳の時間だけで、母乳の出が悪いとなると、看護師が機械的にミルクを追加して飲ませる。そうして新生児期の一週間ほどを過ごす。泣き叫んでも、応えてもらえない時間を味わうことから、人生を始めるのである。それは、回避的な愛着スタイルへの第一歩だとも言える。
がある。
生まれた直後から、”他者への期待” を喪失させる経験をさせられている。コレでは当然恋愛や “親になるという期待される存在” に前向きになる訳がない。
コレらの背景によって
『一億総愛着障害』
が引き起こされ、愛の無い社会が拡大している訳だ。
愛着障害リレー
『一億総愛着障害』的な日本では、愛を自覚出来る経緯が少ない。結果、愛する対象を持つ(子供を設ける)必要性が心理面からして無い。
仮に生んだ場合であっても、愛着障害のリレーをする結果となる。
何故愛の体感を出来なくなったのか?
“女性の社会進出” 的なコトは何度か促進されているが、仕組みとしてではなく 気運としての大きな変化は1985年に制定された男女雇用機会均等法 だろう。
ざっくりそのタイミングの女性は65歳以上。子供が居れば孫も居る可能性がある世代だ。要は少なくても2世代分は愛が少ない家庭環境が継続された日本である というコト。
核家族化によってジジババの手が孫に触れない環境も同時に促進してしまった。
結果、十分に愛を与えられず育ったヒトは、そもそも愛の存在すらビミョー。故にいつまでも母の愛を求め、外部に愛を放出する機会を得ようとしない。
『一億総求母活動』
となっているのだ。
必要な “受愛時間” が圧倒的に足りない。
親や政府からしたら “愛はある” かもしれない。それは事実かもしれないが、どうやら子供というのは常に愛を浴びせないとダメらしい のだ。
食料を与えてれば身体的には成人化し、社会人として経済の駒となれる訳なので、外見ぱっと見は正規の人間に見えがち だ。
しかしソレはスーパーで買える大量生産タイプの野菜と同様で、味薄いし栄養も大してない “一般流通の野菜” と同様 なのだ。
現代の学歴依存は農薬漬けと同義。育児にあたって手間と金のかけ方を間違えてる と言える。
受愛の効果
どうやらヒトは
“愛は標準機能”
であるらしい。他の動物と同様だ。
そこで、小人はまず親(目の前の先輩)から愛を受けてみようという試みをするらしい。
俗に言う “悪戯” だったり、親の望まない言動もろもろだ。
すなわち “試し行動” だ。試した上で、承認され正しい叱咤を受けて愛を自覚するのではないか?
幼少期にコレを 必要量経験してないと成人してからも試し行動が続く のだ。
幼少の頃に必要量達せず “成人してから必要量に達したら試し行動は終わる” ならマシなのだが残念ながらそうはなり難い。
“試し行動で周囲を困惑させるコトそのものが愛の行動”
という間違った方程式が固着する傾向が強い。
こうなってしまう前に、幼少期に十分な試し行動をさせて、適切なコミュニケーションを行う必要があるのだろう。
中途半端な愛なら無い方が良いケースもある
中途半端に親との接点がある子(適切なコミュニケーションではなかった)より、施設で育った孤児が子を設けた方が、歪んでないピュアな愛で育児に励むケースがあったりする。
おそらく濁った愛を知らないので、我が子を前にしてピュアな愛でしか接せられない皮肉的な事象なのだろう。
「自分と同じ辛さを味合わせたくない」というのもあるだろうな。
この点から、“受愛時間” そのものが課題ではない とも言えそうである。
- 人は、生まれるとすぐに母親に抱きつき、つかまろうとする。逆に言えば、育っていくためには、つかまり、体に触れ、安らうことができる存在が必要なのである。そうしたことの重要性が知られていなかったころ、孤児となった子どもは、スキンシップの不足から食欲が低下し、衰弱死してしまうことが多かった。子どもが成長するうえで、母が子を抱っこすることは、乳を与えることと同じくらい重要なのである。いくら栄養を与えても、抱っこが不足すれば、子どもはうまく育たない。
- 子どもが泣くと、すぐに抱っこする母親の場合、子どもとの愛着が安定しやすいが、放っておいても平気な母親では、不安定な愛着になりやすい。 抱っこという実に原始的な行為が、子どもが健全な成長を遂げるうえで非常に重要なのである。
この指摘を踏まえると “愛の即時性” が重要と言えそうだ。
※少なくても3歳までは時間…というか即時性も非常に重要に思う。
愛の把握
課題は “正しい受愛時間”(愛の即時性) に加えて
“愛を盾にした親のエゴ”
ではないのか?
そら親も完璧ではない。が、よくある
「あなたのコトを思って言ってるの!」
的な不条理なアレw 事実思ってる部分もあるだろうが、同時に 親としての面子を守りたいエゴも幾らか混じってるケースも多いハズ だ。
親は真摯に、この配合を自問自答しながら子と接する必要がある と思う。上司と部下の関係も同様 だ。
コレを受けた子は、何かムズムズしながら生きていく(自分の人生なのか親の為の人生なのか?)事になり、結果、愛を把握せず人生において本来の愛がマスト要素ではなくなる。
そして、“愛=性愛のみ” だったり “愛=嫉妬” といった歪んだ定義のみ持つ 事になったりする。
当然、子を設ける必然性が無い。
逆に
「出産して孫が出来れば親から愛されるハズ」
という歪んだ考えが生まれたりもしそうだな。
親からの期待や不本意な妊娠によって、出産はしたりするかもしれないが、上記背景を持つ者が親となっても、子が必要な愛を浴びせるコトは、ほぼ出来ない のだろう。
人口だけの問題ではない
“大量生産バージョンの人間” は
「なんか…ホントの(愛を浴びた)自分になってない!?」
モヤモヤを抱えながら社会で流通する。そのモヤモヤは
“自己承認マウント”(愛強奪のレイプ行為)
に繋がり、周囲の足を引っ張り全体の生産性は落ち、貧困国への道に進むシナリオとなっている。
労働範囲で言えば “不正しても成果は成果” 的な発想になりやすいだろうし、部下を “テメェの評価を上げる駒” としか見なかったり、楽する為の雑作業員 としか扱わなかったりもするだろう。
貨幣的課題が無い世帯も産まない
少子化の要因はリストにすると
- 核家族化の促進(核家族化した方がそれぞれに家電が必要だったりといった形で経済促進するので)
- 保険の細分化(子供産まなくても老後過ごせる)
- 『輝く女性』(自己実現という詐欺)イメージの流布
- 貨幣的課題 ※既にこの段階で詰んでる
- 無謀な勝ち組イメージの流布(世帯年収3000万以上)※貨幣的課題が無い世帯においても、子供を産み育てる余裕を無くさせている
こんな背景があるハズだ。
明確に政府主導で進めてきたコト と言える。
よって 少子化対策って意図的な “少子化促進対策” の略語なのだ。 そぉいうトコだけはちゃんと結果出す自民党…w
何度か書いてるが、本気であれば『少子化対策』ではなく 『多子化振興策』と言わなければならない と思う。
本来の出産モチベーション
様々な社会的状況・醸成された通念とは別に
“愛を浴びたならば、愛を浴びせたくなっちゃう♪”(子供含めて愛を育みたい)
と思うっぽいんだよな。
よって、上記の少子化の要因とは枝葉であって根の課題は
“正しい受愛経験”
であると思う。コレが達成出来れば、枝葉の課題があっても出産し、健全な社会人が流通するのではないだろうか?
将来深刻化する課題
人口も課題だが表裏一体の課題が
“自己承認マウント”(愛強奪のレイプ行為)
をする者が増えすぎてるコトだ。
人口増えてもレイプ合戦を続ける国では不健全だし、彼らも労働パフォーマンス上がらず、貧困層になるだけ。
その手の連中の老後という課題も何れ起きてくる。
老人ホームが、メンヘラ爺・メンヘラ婆ばかりという地獄絵図となる…。
コレじゃぁ移民労働者も就労しないだろうw そればかりか
“生きたまま火葬する”
といった事件が起きまくる未来が予想出来る…。
優生思想の強いコチラであっても、ソレは促進したくないのだ。
“社会に出てくるだけ足手まといなヤツ。死ねとは言わないがマジで生活保護で良いから家から出ないで!”
ってな存在…残酷だが事実居る。とは言え殺しちゃダメである。健全に差別(区別)して “経済の駒ではある” と定義し、負が発生しない形で活かした方が良いだろう。
結局は “安全基地” のコト
- 恋人や配偶者は、愛着スタイルに関して、かつて母親が及ぼした影響に匹敵するほどの大きな影響を及ぼすことがある。それまで変動の激しかった対人関係が、安定した愛着スタイルの人と一緒にいるようになって、落ち着いてくることもある。
- 幸運にも、安定した愛情のもち主に出会い、その人から、変わらぬ関心と支えを受け続けることができた人では、次第に愛着の傷が修復される。愛着障害を癒やすうえでの最大のポイントは、安定した愛着により、変わらない愛情を注ぎ続けられるということなのである。
の指摘を踏まえると
“(成人後でも)愛を浴びてさえいれば、試し行為(レイプ的自己承認マウント)はしない。すなわち足手まといな存在にはならない”
という仮説が成り立つ可能性がある。
この可能性はコチラの趣味バイトにおいて
“問題ある爺でもコチラの前では友好的でちゃんと労働する”
ケースからも既に一定の成果が確認出来ていると言えそうだ。
どんなに見た目や言動キモイ爺であっても、少なくても初期は “先輩かつ仲間”(親戚のヒトぐらいな?)なスタンスで接する様にしている。
すると、彼らは少なくてもコチラの前では言動が変わる のだ。
とは言え、依存されたりもするし試し行動が治まらないヤツには、コチラも彼らを切り捨てる場合もあるが…。
愛とか言うとなんか気恥ずかしい?
現代においては、”愛=性愛” という尺度が強かったりするので、セクハラ臭しがちだが、コレが罠だ。
愛なんて風とか日光とか、普通にあって当たり前の存在 であるべきじゃないか?
人間以外の動物はやれてる んだから。
人間からの虐待を受けてなければ、動物の世界に “精神疾患” ってほぼ無い訳なんだから。
朝方のボヤキ
人間以外の動物とは愛を実現するのに、人間同士の愛は実現し難いのはなんでだろう? https://t.co/BsX2UNufTB
— azzlo❤️ Memecoin (@azzlo) October 21, 2024
現代で出来る促進策
極論は
“子供産むなら家あげる。養育費全て負担!保険業は全て廃止!欲を刺激するテレビは本体価格に特別税(養育費原資)付けて販売!そんで母は絶対働かないで子供に付きっ切りで育児してね♪”
というコトになるが、仮に予算の問題が無かったにせよ、物議醸し過ぎな施策だw
まだ現実的なのが、公団住宅の運用を適正化するコトが一つ。
コチラが考えると極論だがw 東京都で言えば、土地に余裕ある多摩地区に
“シニアユートピア都市”
を作り、都心部の都営アパートに住むシニアを多摩地区にブチ込む!病院いっぱい救急車いっぱいの安心生活を担保☆ 孫が毎日行きたくなる町全体遊園地状態な都市設計により、シニアの移住モチベーション促進と若い労働力確保も同時に行う♪
空いた都市部の都営アパートを出産可能性の高いカップルに住まわせる(通勤利便性の為)etc.
注意する点として
“ただ人口の為に産むんじゃなくて、愛を浴びせながら育てられる環境サポート”
だろう。
“環境サポート” というと、すぐ補助金や育児施設といった予算増の課題にぶつかる訳だが
“愛を浴びせ難い既存要因をぶっ壊す!”(欲を刺激するテレビからは遠ざけるetc.)
という視点も同時に必要。…というかむしろ重要だと思う。
効率的な社会において、人間の根幹である愛着というベースが切り崩されることによって、社会の絆が崩壊するだけでなく、個々の人間も生きていくのに困難を抱えやすくなっているということなのである。 結局、合理主義に基づく社会の再構築は、みごとに失敗し、もっとも致命的な破綻を来しているのである。その失敗を引きずりながら、もがいているのが、われわれの現状と言えるだろう。その状況を変えていくためには、愛着という原点から、もう一度社会を作り直していく必要があるだろう。
コチラでは、ある側面の極論しか思いつけないが、岡田 尊司氏の指摘を踏まえ各々が日常を過ごす必要が高まっているだろう。
…そして、既に出来てるヒトと生涯気付かない者との “愛着格差” が生まれている様に思う。
気付いて 身を捩って正の変化に挑む者には、特に愛着障害者は嫉妬するが故、格差が生まれる のだ。
個人においてはどちらで生きるのも自由だが、人口や教育面も担う政治というエリアにおいても、踏まえるべき重要な課題だと思う。
結局、ヒトの幸福って貨幣じゃないので。貨幣があった方が “幸福の環境整備はし易い” が、貨幣に盲目な者が不幸なのは多くのヒトが知っている コト。
近年、新たな省庁が増えているが “子ども・家庭庁” の上に
“愛省”
が必要なのかもしれない。…自民党が与党のウチには絶対ダメ だけどw
自民党が “愛に影響する範囲に余計なコトし過ぎ”(意図的に社会から愛を削減している)
な訳なんでな…。
天皇(平和の象徴)が居る国でこのザマは、絶対に足引っ張ってる要因がある というコトだ。
経済的課題・個々の幸福的課題、いずれも 我々の標準機能である愛でどうにでもなる らしいので、個々に既にある “愛省” の運用を開始・強めていった方が良い のだろう。
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