ゆたぼん級のオモチャ 石丸伸二クン 2024まとめ

目次

  1. はじめに
  2. 普通に日本語ガタガタ
  3. 重度愛着障害
  4. 面子守る度に自滅する
  5. ステレオタイプ言論なだけでテメェの思考がない
  6. 具体案が無い|あったとしてもショボい
  7. 英雄に憧れてるだけのヒト
  8. 自民党議員よりも自民党
  9. いずれ支持者を見捨てる
  10. 既に裏切られてる支持者
  11. 支援する企業の思惑
  12. 演説の合成写真?
  13. 民を分かってない
  14. 東京の実態を分かってない
  15. とにかく自分以外が下がれば良い
  16. イマのテメェのコトしか分からない
  17. 最高レベルの学歴じゃなかった
  18. パワポプレゼンは上手い
  19. 岡田尊司氏の指摘と石丸クン
  20. まとめ

はじめに

2024年東京都知事選で話題となった石丸伸二。

出馬以前に飲み友から

「超実績あるヒトが出馬するかもなんですよ♪ 広島で古い体質の議員をバッサバッサ斬りまくってるんです♡」

と言われていて

「能力ある方が立候補かぁ…有難いなぁ♡」

という認識で居た。

が!速攻で超マズイ奴であるコトを認識した。ヤバいではなくマズイのである。

結果としてコチラにおいては

ゆたぼん級のオモチャ

YOUTUBERのオモチャ “少年革命家ゆたぼん”

である。

普通に日本語ガタガタ

まず枝葉の部分。

まぁこの手のヒト… 全てその場凌ぎで言葉繋いでたりする んだよな。現実の自分と根の思考のマッチングが悪いケースによくある。故にブーメラン状態が多発するのだ。

石丸クンにおいては加えて

“苦手なコトは認知症作戦♪”

やってるよな。もう癖になってて作戦なんだか素なのか、自分でも分からなくなってるハズだ。

薬物中毒者が、キメた上で幻覚見てんのか、キメてなくても幻覚見てる…のか、妄想なのか夢なのか…現状の自分のステータスが全く分からなくなってるのと同じ。

正しくは “しょぼい自分” の可能性もある訳だが、石丸クン自身においてはその可能性は無いので、単純な相手の答弁も現実の認知が出来ない。故に、支離滅裂な言動が多いのだ。

で、特にマスメディア批判。

“否定的で自ら取材拒否もするマスメディアにえらい執着してる”

と言える。

日テレ・テレ朝には出演しないと宣言してるのに、自ら解除のキッカケを作ろうとしてる…w

当選には “マスメディア露出が必要” というコトらしい。

その上で改めて否定して取材拒否したというコトは、当選の意志は無いのだ。

そもそも

「政治に興味を持ってもらえれば良い」

言ってるしな。…でもその目的であっても、マスメディアの力は大きいハズだがな?

自分のイメージと違う現実が起きると泣き喚く小人と同じ だ。

重度愛着障害

石丸クンは “施策単体” や “立場” としても矛盾だらけな上に、大衆認識のヒエラルキー(ノブレス・オブリージュとは相反するヒエラルキー概念)に依存した言動ばかりな訳だが

“母に褒められたい”

が背景に強くある様に見える。

「父は地元の会社員で、母はパートのおばちゃん」親戚に政治家はゼロ 銀行員→政治家になった、安芸高田・石丸市長の軌跡

彼のモチベーション、紐付く言動は全て 母からの愛を受けたい が故としか見えない。

モチベーションの源はそれでも良いのだが、救いたいのは自分だけ。民の存在はどうでも良い …というか、足を引っ張って “民は自分の引き立て役にする肥” と思ってるのがバレバレなのだ。

少なくても深層心理として

「ボク以外のヒトは母から愛された。だから皆ボクより恵まれてるので、ボクに虐められなければフェアじゃない」

そんな思想が絶対にあるな。

石丸クンにおいては 復讐の舞台が政治 なのだ。

一時的に自身を救えたとしても、絶対に他者を救うコトはない のだ。

面子守る度に自滅する

全ては母に愛される為に…だ。努力は認める。

ステレオタイプ言論なだけでテメェの思考がない

テメェの思考は

“母に愛されたい”

でいっぱいなんで…w

ま…アナリストらしいよな。事実の把握からバカでも分かる負の削減だけ。正の創出が一切無い。

具体案が無い|あったとしてもショボい

石丸クンの具体案らしき発言は “全ての高校に100万円” であれば、結果が乏しかった場合

「その100万円をどの様に使うか、決定した方の問題です」

言って、責任逃れするハズだよなw

英雄に憧れてるだけのヒト

英雄の精神性が伴ってない ので “英雄と権力者を混同してる” のが露呈しまくってるんだよな。

英雄は他者を救ったり夢実現への行動する勇気を与えたりした結果であって、石丸クンみたいに ”『英雄』というポジション取り” から始まるもんではないハズだw

自民党議員よりも自民党

コレに対してコチラは

「確かに変わるね。より悪い方向に…」

と返していた。

で、実際にコチラが話した石丸クンに肯定的な人達は100%

“市長時代の切り抜き動画しか見ていない”

であった。

石丸クンに都合良く切り抜いた動画だけで、肯定的な感情を持っても良いが、投票まで決めちゃアカンと思う…。コチラなら

“まず疑う対象としてリスト入り”

させて調べるけどな。

そもそも 石丸クンの目指す立場を踏まえると、もっと「こうしたい☆」という施策の話があるハズだと思う んだよなぁ。本来はその 施策達成イメージに有権者は魅了されるハズ ではないか?

石丸クンのトークは、”東京を良くする” ではなく “自己擁護” な話ばかり だ。故に “既存の政治屋より政治屋” だと感じる。

立場と肩書を混同している のだろう。

…とても ポスト・ファクト な事象に感じる。

いずれ支持者を見捨てる

既に裏切られてる支持者

本人からすると

「見捨てたとか切り捨てたとかじゃなくて、当時から変わらず私の言っていたコトの本意に、やっと貴方が気付いたというだけのコトじゃないでしょうか?」

ってなコトになるんだろうけどな。

支援する企業の思惑

社会の偉いおっさんは、”悪知恵” には特に頭が動く。

統一教会から見た自民党議員と同様に

“思惑達成の使い捨て駒”

であろう。

演説の合成写真?

民を分かってない

東京の実態を分かってない

…なんか、中学生の授業で “知事ごっこ” なレベルの発言だと思う。

とにかく自分以外が下がれば良い

イマのテメェのコトしか分からない

最高レベルの学歴じゃなかった

もちろん学歴が全てじゃないどころか、ハイレベル学歴の連中は卒業後に学び続けない傾向が強い訳だが…。

東大とか偏差値70以上のヒトって結構落ち着いてて、地味に謙虚な方も多いんだけど、69以下のヒトは

“最終学歴(卒業校)は偏差値70以上のヒトと同じだけど、学内で負けている…”

というコンプレックスダダ漏らしになるケースが多いんだよなぁ…。

パワポプレゼンは上手い

コレはアナリスト時代の経験値だよなぁ。

で、石丸クンなら市民に対するプレゼンは

「どうせ君たちには分からないでしょうけど~」

っていう臭いダダ漏らしなイメージが沸くが、意外とその点も綺麗にやってる印象を持った。

ポジティブな意味で バカを相手にしたプレゼン だ。

…ただしコレ、ビジネスプレゼンのスタイルであって ソレは彼じゃなくても出来るヒトはいっぱい居る のだ。

石丸クンのせいではなく、会社等の人事評価システムが根っこにあるんだが

“お上をやるのは、個別のスキルがお上自身にある必要は特にない(発揮する必要はない)。スキルある方を適所でモチベーション醸成するのがお上しか出来ないミッション”

この点が、やはり石丸クンにおいても欠如してるんだよな。

岡田尊司氏の指摘と石丸クン

  • 人は子どものころに足りなかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとするのだろう。そうした不足を知らずに育った者からみれば、そうした行為は、一見 奇矯 であったり、 滑稽 にさえ映るかもしれないが、そこにあるのは、そこはかとない悲しみや寂しさであり、満たされぬ思いなのである。それをできるだけ早い時期に満たしてやれば、ある程度取り戻すことも可能なのである。それが、間に合うぎりぎりのデッドラインが、青年期ということになるのだろう。
  • 自己愛性パーソナリティは、自分を特別視し、周囲を見下すことで、自分を守ろうとするタイプである。他者からの共感や対等な愛情を期待するよりも、賞賛と奉仕だけを求めようとする。  その傲慢で、尊大な態度とは裏腹に、傷つくことに対しては敏感で、他者からの非難に対しては、激しい怒りで反応する。自分の欠点やミスの指摘は、それが正当なものであっても受け入れようとせず、逆ギレするのである。
  • 回復がある程度進んではじめて、自分だけでなく、相手や周囲の人もまた、慰めや支えを必要としている同じ一人の人間だということを理解するようになる。それまでは、自分の苦しさしか見えず、相手の非ばかりに苛立ちを向けてしまう。  つまり、他者への共感が生まれるのは、その人自身に共感や支えがたっぷり与えられ、その人自身の安全感が十分に回復した後なのである。その人自身が大丈夫だと感じたとき、はじめて他者に対する思いやりをもてるようになる。
  • 愛着障害の人は、傷つきやすくストレスに弱い。しかも、安心できる安全基地というものをもちにくい。そうしたなかで自分を支えていくためには、何らかの対象に依存するしかないということになる。しかし、それは、真に信頼できる愛着対象との自律的な関係ではなく、麻薬的な悪い依存になりやすい。それは、一時しのぎの慰めや逃避にはなるが、真の回復や勇気を与えてくれるものではない。
  • 愛着障害をもたないものが、偉大な創造を行った例は、むしろ稀と言っても差し支えないだろう。技術や伝統を継承し、発展させることはできても、そこから真の創造は生まれにくいのである。なぜなら、破壊的な創造など、安定した愛着に恵まれた人にとって、命を懸けるまでには必要性をもたないからである。
  • 誇大自己は、幼い時期にみられる自己愛の一形態である。自らを神のように偉大な存在と感じ、万能感や自己顕示性、また思い通りにならないときに表れる激しい怒り(自己愛的怒りと呼ばれる)を特徴とする。  自己愛の心理学を確立したコフートによると、誇大自己の願望がほどよく満たされ、またほどよく挫折を味わうことで、よりバランスのとれた段階へと成熟していく。しかし、何かの理由で、急激に挫折を味わうと、誇大自己の段階にとどまり続けてしまうのである。それは、まさに愛着障害で起きることに他ならない。  ふつうの人は、成長するとともに、自分の限界を知ることで、現実との間に妥協が成立し、身の丈サイズの自己愛へと収まっていく。ところが、誇大自己が残ったままの愛着障害の人は、誇大自己の願望を、現実とは無関係に膨らまし続けることで、傷ついた自己愛を保とうとするのである。ただ、それが大きな理想を実現し、逆境をはねのける原動力となっている側面もある。
  • 偉大な指導者に、愛着障害を克服した人が多いのも、そこから来ているのだろう。愛着障害という根源的な苦悩を乗り越えた存在は、人を癒やし、救う不思議な力をもっているのかもしれない。エリクソンの場合もそうだが、必ずしも、「克服した」という完了形である必要はない。克服の途上にあるがゆえに、いっそう救う力をもつということもあるのではないか。もっといえば、その人自身、自らの愛着の傷を癒やすためにも、人を癒やすことが必要なのだ。その過程を通じて、癒やす側も癒やされる側も、愛着障害に打ち克っていけるのだ。なぜなら愛着障害とは、人が人をいたわり、世話をし、愛情をかけることにおける躓きだからだ。

石丸クンは 愛着障害からの卒業を目指さず権力に逃げた のだと考察が深まる。

ある種 偉大な指導者の素質は持ってる ので自身をそう定義してるんだろうが、結局逃げた者なんで石丸クンが偉大な指導者になるコトはない だろう。

…石丸クンが過去の言動に恥を感じれる様になったら覚醒し、指導者・救世主になるかもしれない という点も記述しておこう。

“成長するとイマの自分とは違うのでイマの自分を否定するコトになる” 未熟者

と同類なので、大変難しいだろうが…。

まとめ

コチラの緩い見解としては端的に

“恥ずかしい田舎者”

だ。

“やる気のあるバカ”

とも言うな。

こぉいうのが権力持つ可能性もあるのが、民主主義の負の側面である。

“新自由主義 x 愛着障害”

の結果という、とてもナウな事象であるな。

何主義であっても全て性善説を基礎に置いてるので、絶対に矛盾を生じるモンという認識 なのだが、漏れなく記述すると

“性善説 x 民主主義 x 新自由主義 x 一億総愛着障害社会”

なイマにおいて、石丸クンは必然の存在と言える。石丸クンじゃなくても誰か同じポジションに収まるヒトは出てくる。

そんな最中の

石丸新党。

応募者は結構多くなると思えてしまうな…。

現実的な日本の新自由主義って “スノッブこそ正義” みたいな定義・運用になってる んでw

現実的な日本の新自由主義と愛着障害の相性が素晴らしく良い んだよなぁ…w

この状況は完全に “ノブレス・オブリージュ” な姿勢とは相反する流れ だ。

“石丸クンは『救えたとしても自分だけ』” のロジックはコレなのだ。

石丸クンはフツーのコンプレックス強い労働者であって

“決算書の△を見るだけのアナリスト”

としては、及第点は取れるスキルはあるだろうから、フリーのアナリストとして食っていけば良い と思う。石丸クンの得意分野はソコだろう。不向きな領域に背伸びするからボロが出る のだ。

20代なら全て未来の肥しになるが、石丸クンは既に40代。自己把握が進んでいないというコト なのだ。

付け加えると

“ホワイトカラーの労働を出来るスキルがあるだけで権力を求めてもボロが出るだけ”

というコトなのだ。

石丸クンの墓穴の本質は

“母に愛されたい手段として権力を持つ。その上で母に愛されたであろうボク以外の人達を虐め抜く必要がある。まず社会倫理としてフェアな状態が必要だから!”

コレを隠しながら実現しようとしてるのだが、ヒトの恥部を早期に発見しちゃう “そこそこアスペルガー” で性格悪いコチラにはバレバレ なのだ。

※石丸クンをアスペルガーと指摘するヒトも居るみたいだが、そうかもしれないが圧倒的に愛着障害がベースであろう。アスペルガーだったらもっと論理性の担保・言い訳の準備をするもんだと思う。兵庫県知事選で話題の斎藤元彦クンの方がアスペルガーな可能性が高い印象を持つ。

石丸信者が湧いたのは、石丸クンの “フェアな状態が必要” 的な臭いに騙された のだと見る。

一億総愛着障害社会である現実も相まって、大衆は共感したのだろう…。

しかし選挙後のインタビューで 「フェアにする手段が…受け入れられない。…いずれウチらも虐められそう?」という違和感をに気付いた者も居る んだろうな。

“既存の政治家とは違う” 印象の本質は “より悪化した存在” での新鮮さであった点、より多くの賢者予備軍に気付いて欲しいな♡

…皆さんの奮起に期待します♪

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