ホームバーをセルフ出禁にした (。・ω・)ノ

目次

  1. はじめに
  2. 何が起きたのか
  3. 経緯
  4. 未熟者について
    1. 未熟者に対する感想
    2. 未熟者が求めているコト
  5. “Sちゃんの件” について
    1. Sちゃんに対する見方
    2. Sちゃんからの見方
  6. イマその活動をしている当事者しか意見を出せないのか?
    1. 無能であっても汗かいた者に価値がある?
    2. コチラの人生戦略
    3. 当事者しか語ってはならない(誰のコトも頼ってはならない)
  7. 事実上の出禁
  8. バーとは?
    1. 悪口と批評の違い
    2. バーでの学び
    3. 基本ルール
  9. Eちゃんのバーについて
    1. Eちゃんのバーの印象
    2. キツイ条件なのは理解する
    3. 憧れや尊敬ではなく依存
    4. XXXという人物
    5. 立地上、違和感を感じる
    6. “ありのまま” を愛す
    7. Eちゃんのバーの内外について
  10. 貨幣獲得(機能価値)ではなく、社会での存在価値として
  11. まとめ
  12. はじめに

    駄々っ子パンチなおっさん(未熟者に絡まれた)

    に続き5月頃、通い始めて20年弱、10年間ホームだったバーとは縁が切れた。

    このバー店主は多面的な思考とバリエーション豊かな言語を持つ漢で、深夜3時から朝8時までマンツーで議論するコトも多かった。

    しかし彼の運営するバーの客層が近年酷過ぎる。他の店で出禁になってる輩が半分近いw

    彼らを抱えるバー店主には改めてリスペクトなのだが、客がコチラに喧嘩売ってきた件でジャッジした。

    何が起きたのか

    端的に言うと

    “客に絡まれた際、バー店主は絡んだ客を擁護した”

    だな。

    過去にも同様の事象は起きてるのだが、今までなら

    「コチラくんをフォロー出来なくてゴメン…。流れ的にやり難かった…」

    という謝罪があった。コチラは

    「分かってるよ。チームプレイだよな♪」

    そんな感じで気にも留めない感じであったのだが、今回謝罪が無かった。加えて

    “コチラに課したルールを店主自ら日常的に犯している”

    コレがもう破綻してるんでな…。

    彼に渡した手紙をココに残しておくが、コチラの人生設計まで書いたのは、彼が

    「コチラくんはロクな仕事しかしてないのに、ヒトのコトをガタガタ言い過ぎ!」

    という陰口を言っているという噂が入ってきたが故だ。

    ホームレスになる時、神二で最後に挨拶してから “ロクな仕事でも食える” 環境作りに奮闘してたのを一番見てくれてたのは彼なのだがな…。ただの嫉妬に昇華しただけらしい…。

    そもそも “バーに居るイマの個” 以外は関係ない人間関係がバーであるハズだが…。そうでないと、おっさんのマウントしか残らないので…。

    補足)

    未熟者:神三のバカ騒ぎバーで働く学生
    Eちゃん:ホームバーの店主
    Sちゃん:武道館ライブもやったコトがあるバンドのドラマー
    N:Sちゃんのバンド

    経緯

    経緯を整理すると

    1. Eちゃんから「Sちゃんが来た」「音楽レッスンをやっているらしい」と話される。
    2. 「音楽レッスン等で中途半端に音楽との接点を持ち続けるコトなんかよりも、音楽家なのであれば再生回数少なくてもドラムソロの動画をYOUTUBEにアップするべきだと思う。本人にも言ってる」と返答。
    3. 「何コイツ超ウゼ~!!!」と未熟者が反応し絡んでくる。
    4. 「キミと話してない。Eちゃんと話してるの。ヒトの会話に対して何を思おうが自由だが、店のヒト、ここで言うならEちゃんに紹介されない限りは、客どおしで話しちゃいけない。それがバーの基本ルールだよ」
    5. Eちゃんから紹介される
    6. 「オレが若いから悪いんだ!!!」と未熟者は言うが、ただ単にテメェの未熟さを年齢で言い訳しているだけ。若くても成熟した者は世の中に居る。
    7. 「コチラくんは年齢でヒトを見るヒトではない」と何度も未熟者に諭すEちゃんであったが、争点はソコじゃない。テメェの未熟さを露呈してしまった焦りと羞恥心から年齢を言い訳にしているのが本質。コチラがどうであるかなんてのは未熟者にとっては知ったこっちゃない話。※むしろ年下には甘く年上に厳しいのがコチラであろう。
    8. 「ぶっ殺してぇ!ボコボコにしてやりてぇ!」と未熟者が発言する。
    9. 「なんでやらないの?」と質問するも無視される。
    10. 少し未熟者の成長に寄与しそうなコトを思いついたので「話していい?」と聞くと「言いくるめられるなら嫌」とのコト。考えてみた所、7割方そうであろう気がする点を伝えると無視。

      ※「マクロ視点で…」とか言ってたので「マクロとミクロの交差点・境界線を見極めるコトが重要だよ」といった類のコトを話そうと思っていた。また、そもそも基準が低ければ世の全てはマクロ(上から目線)になる。未熟者は “またやらかしたクズな自分” を誤魔化したい気持ちから、むしろ負の事実を中途半端に言いかけただけであろう。墓穴ってヤツだ。

    11. 「他の店でもやらかして行きにくくなってるのに、ココも来難くなった!!!」とボヤいていたが、完全に自業自得。
    12. 「コチラくんは厳し過ぎる。hideとかそぉいうレベルの人だけではない」

      とEちゃんが言う。”著名レベル” での指摘か(皆、「売れてたNのSちゃん」 言うので)と捉え

      「元々クラブミュージックなんで、むしろ著名(大衆低俗)に対しては嫌悪感を持っていたが、著名でも凄い(低俗ではない)ヒト、作品があるコトを学んできた近年だ。だからhideの著名さを評価している訳ではない」

      ※hide以外では米津、宇多田、REOL、DECO*27等は凄い存在だと認識。しかしミスチルやB’Zやらは特に肯定的ではない。Adoなんかには否定的だ。著名さや楽曲アレンジの好みではなく歌詞を読んで判断している。歌詞がある音楽については文学的側面からの判断というコト。

      といった趣旨のコトを話す。

    13. 「Sちゃんのコトを話したのはコチラくんだ」

      とEちゃんが言う。が、その議題を出したのはEちゃん だ。

    14. 「その場に居ないヒトの話はしない」

      というルールが設定される。

    15. 退店していた未熟者が近隣バーのスタッフを連れて戻ってくる。おそらく「仲間を連れてきてボコボコにしよう!」という魂胆であろう。

      しかし、この近隣バースタッフ、以前に会ったコトがあって「おぉ!ご無沙汰ですぅ♪」と平和的な空気になってしまうw

      未熟者は

      「コイツ!権威的!!!」

      とか言ってたが、反権威的なのがコチラではないか?

      ※後日、近隣バースタッフに聞いてみると “未熟者から聞いたコトと事実が全然違った” とのコト。

      近隣バー勢はコチラの発言を真実と捉えている模様だ。そもそも未熟者は以前から問題が多いが故、信頼が無い様だった。

    であったかと思う。以下に項目に分けて見解を記す。

    未熟者について

    未熟者に対する感想

    分かりやすい田舎の未熟者。絡まれる以前から “笑い方からして虚栄の塊” であるという印象を持っていた。

    ※心理学的にバカ笑いは“「自分が優位に立ちたい」「自分に注意を引きたい」という願望、あるいはそういう仲間がいる状況での過剰な忖度意識” なんだそうだ。

    最後戻ってきた時に目を見たが、瞳孔開いて泳いでいたので端的にヤバいヤツなのは間違いないだろう。

    現時点であの振る舞いでは及第点に達するコトは生涯無いだろう。幾分マシになっても基準が低過ぎる。乃木坂の音楽会社の内定が決まったらしいが、”他者と絡む” という点を踏まえると成り立つのだろうか? …上司が可愛そうだ。

    当たり前な視点として、社会人としての基礎・モラルが欠け過ぎている。一歩間違えば簡単に警察沙汰だ。今回の件を恐喝罪とするコトも出来る。今後も永遠同じ様なコトを起こすだろう。

    昔在籍した会社(恵比寿のIT会社)では、乃木坂の音楽会社の元社長が顧問的な役割で同部署に在籍していた。たまに食事したり等、お世話になった方なのだが、そぉいう導線がコチラにあったりする。

    コチラの知人が、現在乃木坂の音楽会社に在籍している可能性も大いにあるだろう。

    コチラが話さなくてもKさん(乃木坂の音楽会社の偉いおっさん)の耳に情報が入るコトは間違いないだろう。そして 会社内で警戒される対象となるのは時間の問題。…入社前にしてw

    いくら現時点で学生だからといって、そういったリスク管理が全く無い。本質はただ “今のボクを認めて欲しい” だけ。年少さんぐらいの精神レベルという印象。

    自己把握が出来てないのが見てとれる。故に他者との接点作りが出来な過ぎ。あの感じでは自身が自身を傷つけ続ける。自滅だけならば自己責任だが、今後会社に属すのであれば “ヒトを巻き込むテロ” となる。

    未熟者、未熟者の周囲となる方々に対して老婆心的な気持ちを持つが、未熟者は徹底して成長を拒むハズだ。何故ならば

    “成長するとイマの自分とは違うのでイマの自分を否定するコトになる”

    というロジックを持つからだ。故に未熟者らはマシにならないのだ。

    “ロックバンドをやってる” といった発言があった様に思うが、未熟者においては近年多い “リズミカルなボヤキ” なだけで、ヒトを救えるものではないのではないか?

    未熟者同士の共感は起きる類のモノであるかもしれないが、それは “傷らしきシワの舐め合い” である。傷を負ってもないのに “可哀そうなアタシ” を外部も巻き込んで相互依存する類のヤツではないか?

    本当に傷を持った者は、舐め合いではなくヒトを救うコトに使命を持つハズだ。ソレが本当のロッカーだ。

    音楽、特にロックというのは、政治・宗教よりもヒトを救えるもの だ。しかし “テメェ一人も救えない” のにロックを名乗る勘違い甚だしい者であるのは想像に難しくない。

    ロックとはたまたま音楽スタイルとしても認知されているが、”思想・生き様” が本質。

    “権力の影響によって苦しめられる者を救う思想・生き様”

    だからこそ、権力を嘲笑するような曲もあるのだ。その点理解してない者が多過ぎる。知識として “音源・リリース” という尺度しかない。少なくても “時代性” が知として欠けているハズ。

    当然ながら権力志向(スノッブ)な者はロックとは相反する。バンドだったらロックである訳でも当然ない。

    例えるなら未熟者は

    “三輪車(未熟な自身)にモンスタートラック用タイヤ(権力)を付けようと努力している”

    と言える。付かないし超改造して付けたとしても前が見えないし、足漕ぎで進める重量じゃない状態になる。何故か破綻を目指している訳だ。多くの権力者がそうであるように…。

    自身が未熟である点を潜在意識ながらでも理解してそうな点は評価するコトも出来る。が、対外的に八つ当たりとなるコンプレックス爆弾ならば自爆テロリスト。自爆は家で一人でして頂きたい。

    本質は「そんなコトないよ♪ 今のキミが最高だよ♡」 と外的要因として他者からの承認を求めているのだろう。テメェのモノサシが無いが故である。

    今回の件は「今のキミが最高だよ♡」って言ってもらえる様に、差を作り出す目的で暴力的にコチラを下げる試みをする(石丸伸二の様に)が、上手く行かないと自分を下げ慰めを強要した訳だ。暴れる程墓穴を掘ってるだけ…。

    そもそも下に自己定義出来るならば、何故マウントを取り始めるのだろうか? 下ならば黙っとくべきではないか? この点からも矛盾の塊でありバカさを露呈しているだけ。

    “社会に母性を求める幼稚なヤツ”

    であり、攻撃的なマウントを取る点から

    “社会的レイプ犯”

    なのである。

    コチラに

    「コイツ!権威的!!!」

    と言った背景は

    • 自己把握が出来ていない
    • 自身の能力と社会との接点を作れず、結果パフォーマンスが上がらない(そもそも能力低い点を自覚していて “虚栄行為に依存” しているケースも多々ある)
    • パフォーマンス面を補う為、生き残り戦略として権力を求める

    という背景の上に

    • 「あの有名なNのSちゃんの悪口言ってるヤツが居るぅ!」と、Sちゃんを権威的に見ていている。間違いなく未熟者が権威的指向(スノッブ)だ
    • 社会的権威があるか分からないが自身とは違って “焦り” が全く無さそうなロン毛おじさんに、無言でバカにされてる印象を覚える
    • 勝手に自ら崖っぷちに行き、起死回生として 自分が後ろめたく追い求めてる “権威” をロン毛おじさんに適応して評価を下げてみようと試みる

    という流れであろう。自己把握が進んでいない者の心理であり実際起こりがちなパターンである。

    将来的に権威的立場が得られたとしても(この手の人達にとっては生命線なんで意外と達成する)、どっちみち能力と社会との接点作りが分からないので、”本質的な能力が低い可能性がバレる” に怯える人生となるのだ。そしてどこかで破綻して追放されるのだ。

    「今の自分」を高く評価して欲しいので、そもそも勤勉性が無い。知識も大して蓄積されず不安と相まって、生涯レイプ犯を続けるだろう。

    ちなみに、その場に居なかったヒトにも噂になっている様だが

    「アイツ酒癖悪いから想像に難しくない」

    といった見解。大前提そぉいう評判の者だ。



    8月末、気付いたコトだが未熟者しかり諸々、コチラに攻撃的な言動を取る連中は全て “嫉妬” の感情をコチラに抱く者の様だ。

    Sちゃんを軽々しく語れるコチラに、未熟者は権威性を感じ嫉妬したというコトだ。

    「自分の方が権威的なSちゃんと近いハズだったのに…」

    特にSちゃんを 権威的に見てないコチラの方が近い感じがしたので、嫉妬したのだ。

    感情は発作として起きてしまうものなので、それ自体は否定しないが、その後の言動に民度が出るだろう。

    未熟者が求めているコト

    未熟者の大枠の背景は典型的な愛着障害であると見える。

    攻撃的な姿勢は、親への復讐と同時に泣き喚く小人と同様の不安表明 だ。

    権威的指向も 親への復讐と親からの承認欲求の現れ だ。

    本人では選択出来ない育成環境が原因であろう。

    未熟者が欲しいのは肯定であるが、Eちゃんからは 進言 だろうと思う。

    “成長するとイマの自分とは違うのでイマの自分を否定するコトになる”

    というロジックを持つと自ら脱出出来ない、その自分を肯定されたら更に脱出出来ない。

    進言を得るコトで彼らは “成長に対する言い訳”が成立する コトになる。また、進言に沿うコトで信頼関係の醸成(共犯者作り)も求めている だろう。

    故に、あえて周囲が手に負えなくなる言動をするのだ。俗に言うかまってちゃんな訳だ。

    おそらくあの日、未熟者が欲しかったのは、コチラからではなく

    「他の客に何を思おうが自由だが、わざわざ表明しないの! それが都会ってもんなの!」

    とEちゃんから言われたかったのだと推測する。

    コチラから言われたら、もう敵として設定しちゃってるんで、むしろ反抗するしか辻褄が合わなくなってしまったのだ。

    “Sちゃんの件” について

    Sちゃんに対する見方

    コチラはあくまで

    “音楽活動をやっていて活動終了したが、改めて表舞台へのモチベーションに喘いでいる40歳手前のおっさん”

    としてSちゃんを見ている。別の言い方をすると

    “音楽家(ヒトを救う)の使命を背負っている(かもしれない)Sちゃん”

    として認知している。

    しかし、未熟者らは

    “NのSちゃん”

    で語っている。

    コチラは “まだ達成していないSちゃん” という個人と対峙しているつもりだが、未熟者らは “既に達成したNのSちゃん” だ。

    大衆はそぉいう認識で特に間違いではない。が、個人と対峙するコチラを批判するのはお門違い である。

    Sちゃんからの見方

    7/6、Sちゃんと話したが

    「未熟者とは大して話したコトないです。コチラさんはボクのメンターです。『Nの…』という形でボクを見るヒトが居るのは別にイイです。世の中はそぉいうもんです。ですが、ボク個人を見て意見を言えるヒト…他に居ないです」

    と本人は言ってる。

    Sちゃんは個を見てもらい難いNというバッジが付いてしまっている。故に本人もコチラの意見は歓迎している訳だ。

    コチラも、祖父の孫、母の子という点で、幼少の頃から個とは何なのか? を自問自答していた。その点でSちゃんとは似た背景があるのだ。

    言うならば “傷らしきシワの舐め合い” ではなく、ちゃんと “傷” を認め合った上で、どうヒトを救う行動を取ろうか? そぉいう話をしている のだ。逆に “ヒトを救わない” と決断するのも正解である。

    この点から未熟者の発言は、Sちゃんを否定した側面もある訳だ。Sちゃんのメンターであるコチラを否定したのだから。

    Sちゃんから見た未熟者は “世の中(大衆)”の僅かな一部でしかないのだ。

    未熟者はSちゃんと同レイヤーの人間関係とでも思っているのだろうか? シンプルに思い違いである。

    イマその活動をしている当事者しか意見を出せないのか?

    無能であっても汗かいた者に価値がある?

    “チンコに人格が付いたヒトらしき生き物”

    チンコに人格が付いたヒトらしき生き物

    の件で

    「音楽を辞めたコチラくんが嫉妬している」

    といった指摘を過去にEちゃんがしたコトがある。コレに倣うと

    「音楽を辞めたコチラくんがSちゃんを否定するのはおかしい」

    といった声が聞こえてきそうだが、Sちゃんも正確には活動していない のだ。そして Sちゃん本人はコチラの言動を悪い指摘とは受け取っていない。

    そもそも、こぉいう声はいずれ出てくるだろうと若い頃から感じているので、中途半端な音楽活動はしない様にしているのだ。中途半端では師匠を侮辱するコトにもなる。

    Eちゃんは全体的に

    “無能であっても汗かいた者に価値がある”

    という考えがあるだろう。

    完全否定は危険であるが、その考え方が萬栄して社会はどうなったか?

    “利己的な者が萬栄し、彼ら自身救われてない”
    (そもそも能力低いので結果が得られないので)

    とコチラは感じている。自民党政治と同じで、能力関係ない暴力的椅子取りゲームだ。

    コチラの人生戦略

    コチラは22、3歳以降、自身の音楽という形ではなく、クリエイターが活きる環境を作る等、フロントではなく “創造とマネタイズの橋渡し” を意識して代理店時代を過ごした。

    こうなった背景は師匠であるDJ WADAに「コチラはDJ上手い」と評価されたコトに加え、当時のWADAさんのカノジョに

    「WADAはヒトのパーティーに行こうとは自分から言わない。でもコチラくんの回す時は自ら行こうとする…。そぉいうコトだよ!」

    と指摘され、フロントとしては満点を得てしまって人生終わってしまったが故である。

    現在は、バイトにおいて社会的及第点に達さない者たちの鬱憤やモチベーションを拾い上げ、彼らを勇気付けし、社会との接点に潤滑油を流す試みを続けている。(玩具として弄ってるだけのケースも多いがw)

    コチラはバイトの会社のコトを “警備業の看板を挙げた福祉” と言ってるが、“貨幣面のケア” ではなく精神的姿勢においてサポートを試みている 訳だ。

    言い換えると、コチラは警備のおっさんらの親になってる のだ。彼らを許容し能力ではなく道徳的な面で叱る。未熟者と同様、進言が欲しい連中だからだ。

    実際の親よりも年上の連中の親になる…。その経験によってコチラの親をコチラ自身が担うコトが出来る様になったと言える。より多くのヒト(コチラ自身も含む)に安全基地であるコチラを提供するコトを目論み、日々熟成を重ねているという訳だ。

    コチラの音楽家以降の人生は決して “当事者同士の傷の舐め合い” ではない のは理解してもらえるだろう。ボノボに屯してれば女は途切れてないだろうし、ヌクヌクと過ごしていただろう。だが、あえて当事者としての身の置き方はしなかったのだ。ソレは停滞であっただろう。

    むしろあえて当事者から離れた上で、別の角度から “道徳的な経験を共有し育て合っているつもり” だ。当事者のままでは出来なかったコトだ。

    例えるならテロリストが同じ場に居たら絶滅させられるリスクが強い。故に仲間は散らばった方がリスクが低い。各拠点にそこそこの勢力を保っておく…そぉいう戦略から二次元定義での当事者をやっていないのだ。

    コチラのガチ当事者領域としては、いまだにクラブ・DJと見られがちである。現実のコチラは全くDJしていない。

    当事者と言える現在DJをやる者の多くは「シーンを盛り上げる」と宣言しながら、自分がDJ(BGM係)をし何も起こさない。僅かな経済効果を発生させて、“文化”と言いながら爆音酒場を維持しているだけ。

    そして彼らの悩みは金。であれば、金を引っ張ってくるプロデュース業に専念する者が出てきてもおかしくないのだが、結局は誰もファンにならないBGM係を続けているだけ。

    そんな者が多いから才能が集まらない場になっている、結果金も集まらないと見るのだが、当事者の方が、足引っ張ってると言えるのではないか?

    故に 当事者か否かというのは大した材料にならない上、むしろ当事者ほど沈没の材料とさえ言える。

    そもそも全ての活動は本質を問わない大衆に犯されコモディティ化する。

    コチラは本質を問い続ける原理主義志向が強いので、本質を失い過ぎた領域からは離れ、新たな本質の場に移動するクチだ。

    音楽で言うならば、本来は

    “各々の安全基地作り”

    であって、他者の反応や貨幣は全く関係ないのが本質。しかし満足する作品を作る以前から金にするコトの優先順位が1位になっているケースが殆どだ。

    ソレは既にコチラからすれば本質を失った場なのだ。

    昨今で言えば、AIやVRの表現の方が、ずっと “各々の安全基地作り” が行われている場であろうと感じている。

    よって、既存の業界区分というのは、コチラからすれば二次元的で誤解を生みやすい視点だと言わざるを得ない。

    コチラは三次元以上の座標で考えているのだ。

    二次元的視点における当事者のモチベーションというのは、“エゴに対する言い訳” かつ “ヤリガイ搾取されてる” だけなのだ。その上でセルフメンタルケアとして免罪符を作り出してるだけ。

    個人完結の免罪符作りは外部に影響がないので構わないが、未熟者らは外部も巻き込んだ言い訳をして協働沈没してるケースも多い。何か褒めれる箇所あるだろうか?

    当事者というのは紐解くと

    “貨幣獲得と正義(という名の言い訳)の一致を目論む・達成している者”

    だ。

    その場合、まず正義らしき言い訳すら見失い、目的から逸れて多くの間違いを犯すリスクがある。

    どうやらEちゃんは

    “仕事(貨幣獲得)と個人の正義は完全一致するもの”

    と認識している、そういった現実のヒトが好きな様に感じる。そうであるに越したコトはないとは思うが、仕事が上手くいかなくなった場合、個人も崩壊する。そのリスクからコチラはそぉいう体制を取っていないのだ。

    あくまで、スキルを活かして割り切って貨幣獲得(筋肉は使うが無駄な汗は掻かない)をし、バランス見ながら奉仕活動(Sちゃんに対するメンターをやるetc.)をしている訳だ。貨幣獲得においては自身のスキルと現在の社会とのマッチングを踏まえた結果というコト。正義・モチベーションは関係ない。まず生き抜かなきゃなんで。ホームレスまで転落した自分だからこそ言えるコト だ。

    貨幣獲得と正義の一致を目論む・実現すると、貨幣の為に正義を妥協しなければならない状況も起こる。コレは誰にとってもストレス。その点をコチラは排除している。正義は貨幣とは別に貫く為だ。

    自己を活かしきっていないかもしれないが、貨幣獲得と正義の一致を追求してたら、ヒトを救える機会はイマより起きてなかっただろう と思う。もちろん可能な限り、自己を活かす割合も増やせる様、目論んでいる日常だ。

    “成功”は、誰に起きても構わない。というか “誰の成功として認知するかは構わない” と思っている。周囲が成長してくれた方が、自分も紐付いて上昇するからだ。その為には 常に成長と貢献の積み重ねが必要。利己的結果を求めた場合、まず利他的になる方が効率的とも言えるのだ。

    “自己と成功を1本線で繋ぐ思考”

    の中で正義が含まれてたら、ヒトを蹴落とすコトも厭わない人格になりやすい。故にコチラは分離してるのだ。

    コチラにおける貨幣獲得手段は正義が含まれてない上に、(ほぼ)ヒトが関与していない。

    気にするのはGOOGLEの検索ロジックだけだ。

    ピンチが起きてもヒトを排除したり恨んだりしようがない体制というコト。

    自身にストレスが起き難く、ヒトに攻撃的になりようがない。そぉいう体制だ。究極の自己責任体制 とも言える。

    その上でやっと落ち着いて正義の実行や、利他的な行動が起こしやすい状態になるもんだと思っている。

    コチラが攻撃的にならずとも “同じ貨幣獲得と正義の組み合わせのヒト” から攻撃されるリスクもある。

    コチラも以前は他人の会社に就職し、貨幣獲得と正義の一致をそこそこ期待しながら奮闘した時期はあった。故に 現在就労している方々全てを否定する訳ではない。

    が、基本的に“『ヤリガイ搾取』0%”の営利組織は無い。どこかで落とし所を見つけるか、コチラの様に分離して生きていくかだろう。

    コチラの基本スタンスはアチラ側を否定はしてないのだ。アチラはイマのコチラを構成する要素でもある。かと言って大事にしているコトでもなく既に過去のコトで忘れかけてる程度のコトである。

    そもそも他人の会社で “モチベーション”だなんだって…指示待ち従業員程威勢良く言うものだ。

    モチベーションが必要なら、他人の会社に居た上でも各々勝手に強くしたり弱くしたり出来るハズ。その点に 気付かないアタマ or 自己責任になるから気付きたくない連中の戯言 である。

    貨幣獲得と正義の一致が無いケースとは、社会的に “浮遊者” であり傍観者として嫌悪されたりする。

    その浮遊とは…舞空術を身に着ける為に修行した結果だ。舞空術が使えるから何時でも山頂からの眺めを見れるし、仲間を助けにもいける。時間的余裕から更なる修行も続けられる。

    未熟者らはどうだろうか? 勤勉さを欠き自爆テロ。自らの正義も貫けない。

    “自らアリ地獄に進み疲弊し八つ当たりする方々”

    と言える。そぉいうのを好むというコトは… “滑稽を好む” という悪趣味 だw

    彼らが疲弊し続けるのは勝手だが、誰かの足を引っ張った訳でもなく、疲弊を排除する人生設計をし、いずれ正義の実行、他者の救済も目論むコチラを否定する理由はドコにあるだろうか? ただの嫉妬である。

    コチラがこの段階に来るまで、まぁまぁ努力をしてきたのはEちゃんも知ってるだろう。少なくても民法テレビ番組や映画、ゲーム等には(ほぼ)一切触れる時間を持たず、ひたすら貨幣を追いかけているこの8年だ。直接的には誰の協力も得ずに。

    まず個人単体で貨幣的自立をするコト。その上でしか他者とのケミストリーは成立しない コトを知っているから目指した体制なのである。(現実から後付けで気付いたコトであるが)

    貨幣獲得において、正義や “やりたいコト” なんて踏まえててたら、純粋なケミストリーは成立しない。必ずお互いに利己的な思惑があるからだ。

    Eちゃんとコチラの大枠の違いとして前述の

    “誰の成功として定義するかは構わない”

    の有無による差異だろう。

    Eちゃんは

    “汗掻いたヒトが成功する感動ストーリー”

    が好きだろう。

    コチラは汗臭いの嫌いだし、経緯はどーでも良いのだ。金は大小でしかなく

    “1000万より価値が高い1万円”

    なんて存在しないのだ。

    このコチラの考え、現在の行動は、家業が解散した経緯と、祖父がロータリアンだった影響を感じている。ロータリーは “世界最大の社会奉仕団体” だからだ。

    また、背景としてコチラは “スペシャリスト” ではなく “ジェネラリスト” を目指した が故だ。コチラは元々スペシャリストだったが、優秀なジェネラリストに育てられた経験がある。逆に無能な権力者によって足を引っ張られた経験もある。

    そして社会には圧倒的に優秀なジェネラリストが足りない。スペシャリストを活かす為には優秀なジェネラリストが必要。社会を踏まえたポジショニング・自身の活かし方を考察した結果のイマなのである。

    当事者しか語ってはならない(誰のコトも頼ってはならない)

    Eちゃんの考えは “当事者しか語ってはならない” というコトの様に思える。

    であれば

    “バーテンダーの経験が長く、Eちゃんのバーでの経験が殆ど”

    のEちゃんは、バーテンダーに纏わるコトにしか話は出来ないだろう。

    また

    “イマ学校行ってない親が子に勉強云々語ってはならない”

    “イマ楽器触らない音楽プロデューサーが意見を出してはならない”

    というコトになる。受ける側からすと

    “誰のコトも頼ってはならない”

    という厳しい思想であると思う。

    “現業のみが当事者” は2次元的指向であると思う。世界は定義出来てるだけでも7次元と言われている。現業じゃない者同士の方が、別の次元も含めた座標では親和性が高いコトは幾らでもあり得る。

    他者と接点を持つ場合、類似した経験、類似しない経験でも、ヒトにポジティブな気付きを与えるコトが出来る訳だ。

    多くは他者の作品、漫画やら映画やらといったモノで、当事者ではない者から気付きを得ようとする。ヒトにはそぉいうモチベーションがあるハズだがな?

    コレは広義のマネジメント思考なのだが、Eちゃんは一切持たないのだろうか?

    今までのEちゃんはバーテンダーとしてやっていたと思うのだが?

    コチラがイマ、コレを書けるのは “優秀なジェネラリスト” としてコチラを育てたEちゃんの存在があったが故なのであるが…。

    Sちゃんの件とは違って悪口に近い会話を一つ思い出すコトが出来る。

    徳島かどこかで教育関係の仕事をしている方に対して

    「全員に『やりたいコトをやれ』と号令するのは酷ではないか? やりたいコトを持つヒトをサポートする方がパフォーマンス出るヒトも居る。各々適所というのがある。『やりたいコト』を自覚出来てない子供にとってその提言は苦行であり義務となってしまう。自主性の尊重とは遠くなる…」

    といった話をしたコトがある。面と向かって直で批判に近いコメントを出した訳だが、Eちゃんはコチラに対して

    「あぁいう意見を述べてもらって助かる。有難う」

    と言った。

    何故コチラが話したのか流れは忘れたが、彼とはお互い賢者同士という認識があったのだろうか。故に生産的な議論が成立したのかもしれない。

    コチラは教育現場に従事したコトが無い上に子供も居ない。要は完全に非当事者だ。

    にも関わらず 当時のEちゃんはコチラを肯定した のだ。昨今のEちゃんとは違う のはこの点から明らかだ。

    事実上の出禁

    Eちゃんは昨今

    “クズに慣れ過ぎた”

    という印象を持つ。

    今回で言えば、仮にコチラの発言が恐ろしく問題(明日サリンを撒くetc.)であったとしても、バーの基本ルールを逸脱する方が場としては問題。ヒトの会話に割り込んでくるので、話を返すと無視。 “チンコに人格が付いたヒトらしき生き物” と同じだ。

    “コチラは真っ白ではないかもしれないが、未熟者は真っ黒である”

    という認識だ。…ある種 “クズの炙り出し” という海老で鯛を釣る的なコチラの癖(潜在意識)に気付くが…w あえて尻尾を出してやったとも言える。

    その上でEちゃんは

    「その場に居ないヒトの話はしない」

    というルールをコチラには課す。しかし未熟者たちは無法状態。(一部 “チンコに人格が付いたヒトらしき生き物” にルールを課した様だが)

    この温度感の違いには違和感を持つ。

    そして「その場に居ないヒトの話はしない」は、98%破綻するルールかと思う。

    そもそも “その場に居ないSちゃんの話題を振ったのはEちゃん” である点からも、理解に苦しむルール設定だ。

    「大谷翔平が」「小池百合子が」

    そぉいうのもNGだ。

    例えば

    「石丸伸二ヤバくね?」

    なんてヒトから話しかけられてもNGだ。うっかり答えてしまう可能性があるし、答えない理由を説明するのも面倒。質問してしまったヒトにおいても謎な空気をまとわせるコトになるハズだ。

    何の会話もせず飲んでも良い。そぉいう日もある。が、酒が入っていたら意図から反してルール違反してしまう瞬間が起きるハズだ。

    「ソレは著名人であって話しても問題無い」

    という声が聞こえてきそうだが、Sちゃんはコチラにとっては著名人ではない。未熟者たちにおいては著名人らしい。彼らに寄りそうならば、著名人であるSちゃんの話をして良いコトになる。

    合法というコトになるハズだが、何故かNGらしい。ルール厳守する方法がコチラには思いつかない。ルールが破綻しているというコト。

    また、先日

    「チンコに人格が付いたヒトらしき生き物が、またやらかしたwww」

    とEちゃんがコチラに話を出した。コレは “その場に居ないヒトの話” であるが?

    よって、コチラのセルフ出禁というよりは、Eちゃんからの事実上の出禁 というコトだろう。

    “コチラにあの議題投げてどう返してくるかは分かるだろ”

    という印象。誘導尋問だったと思える。…コレはコチラの甘えか?

    コチラ→「批判と捉える二次元思考バカが居たりするので批評は控えよう」
    (じゃぁ批評出来る議題投げんなよって話になるんだが)

    未熟者→「バーの基本ルール “紹介されない限りは話しかけない” を守ろう」

    という未熟者にもルール設定されるならば、まだ理解出来る。とは言え、この場合でも “自爆テロ被害者” になる訳なんでセルフ出禁になるだろうが。

    バーとは?

    悪口と批評の違い

    「ヒトの悪口は聞きたくない」

    とEちゃんは言ってるが

    • 悪口→対象を気に入らないコトを表明するだけ
    • 批評→対象を考察する。その為の事実を明確にする段階では悪口に聞こえやすい(気に入る気に入らない抜きにして対象が八方塞がりである確認になる場合もあり、最終的には避けるべき “批判対象” となる場合もある)

    であると思う。よってコチラは特に悪口を言った自覚が無い。(他者からの認識が違うコトもある点は認める)

    ※ちなみに、その場に居ないヒトの悪口は “陰口” である。

    未熟者は

    「コイツムカつく!」

    と言ったが、ただの “気に入らないコトを表明” した訳だ。要は矛盾ない悪口。未熟者の方がEちゃんからすれば問題ではないか?

    そもそも “Sちゃん本人はコチラの見解を悪口として受け取ってない。メンターとさえ言っている” 事象なのだが…。

    コチラとしては誰かに攻撃的な言動をした意図はない。が、未熟者は明確な発言がある。更に仲間を連れてきて何かを行おうとした 訳である。

    「体調悪かったから、イマ判断が難しい」

    と言っていたが、芯があるヒトだから短期的に正義はブレない。よって発言がブレてる訳じゃないと認識してる。ただし、体調悪い点から “ベストなワードではない可能性” はあり得るだろうが。



    振り返ると “Eちゃんによる陰口” をいくつか思い出すコトが出来る。その上で批評としてコチラは会話(勘違い)をしていたという記憶だ。

    今トピック列挙はしないが

    “陰口を言うEちゃんが、Sちゃんとコチラの関係を否定するのであれば、意味不明”
    (仮にコチラが明確な批判をしていたとしても)

    であると思う。

    ※コチラもSちゃん以外の件で、陰口の様な批評を良く言うタイプだと自認はしている。

    故に

    “陰口を言うEちゃん”

    単体を否定はしない。そもそも忘れてた(認識違い)レベルだ。が、イマとなっては

    “陰口を言うEちゃんが、陰口を言う他者を否定する”

    って、完全に矛盾してるよな?

    バーでの学び

    バーでの経験は

    “批評する思考力”

    を洗練させていく重要な機会だと思う。

    コチラも思考と発言が滲んでいて、住み分けを混同するケースもある。そもそも批評を切り抜くと悪口と認識されてもしょうがない。故に難しいコトだと思っている。酒も入ってたら尚更だ。

    多くの未熟者は “批評” という概念が無いハズ。単純に “悪口” としか認識出来ない。そして議論を “喧嘩” としか認識出来ない。意見には背景がある点を知らず、意見批評ではなく人格否定と捉える二次元思考だからだ。

    自己把握が出来ない者はコンプレックスからすぐ責められている勘違いをする訳だ。

    そぉいう者は、不特定多数が来るパブリックな場に出るべきではなく、家で一人…もしくは友達と飲んでれば良い ハズだ。パブリックであるバーに来て身を正さない者は学ばない者、成長しない者確定なのである。

    そして、そぉいう者を放置する場は “何かしらの酒場ではあれどバーではない” となる。

    少なくても本質的な都会のバーではない。

    基本ルール

    賢者でも線引きが崩壊しやすい、そもそも未熟者は線引きの存在も認知出来ない訳だからこそ

    “紹介されない限りは客同士で話さない”

    という未熟者・バカでも分かるハズの基本ルールがある。

    コレを厳守出来る様に

    1. バーカウンターを叩かない
    2. 笑う時に手を叩かない
    3. ヒトを跨いで話さない
    4. 電話しない
    5. スマホで音出さない

    というシロクロ判定出来る補助ルールがある。

    「テメェ五月蠅ぇんだよ!!!」(”五月蠅い” というグレーゾーンにおける客同士での会話)

    を起こさない為だ。

    紐解くと

    “二人の会話においては他の客が居ても『ありのまま』で構わない。が、他者の『ありのまま』には介入しない”

    と言える。もちろん別客が居る場合は “気を遣う” 配慮があった方がスマートではある。が厳守・強制ではない。

    “スマートさ” というシロクロ判定出来ないコトを意識させると、それぞれのスマートさ、グレーゾーンが違うので「テメェよぉ!」が起きる可能性がある からだ。

    また “政治宗教野球の話はしない” もある。が、優先度は低めのルール。

    既知の賢者同士であれば問題無いハズ であり、これらのトピックで 問題を起こすのは “紹介されない限りは客同士で話さない” を犯す未知の未熟者しか居ない ハズだからだ。

    むしろ解禁を前提にした方が未熟者が脱落するので客層は良くなる とすら思う。

    よって “他者に介入しない上でのありのまま” が守られれば、好き嫌いはそれぞれあって良いが、絶対に問題は起きないのだ。

    故に “来るのも自由 帰るのも自由” なのだ。嫌なら絡まず帰れば良いハズだ。コチラは自由に帰るし自由にセルフ出禁もする訳なのだから。

    要は秩序を持たない未熟者が混じる可能性が高いのがパブリックである。そして “より未熟度高い者” が居場所を求めて夜に活動する。同時に “偏差値高いマイノリティー” も夜に活動する。故に尚更ルールが必要な訳だ。

    ※とは言え暗黙知ルールなので “お互い許し合い” という前向きなグレーゾーンはある。しかし先日の未熟者は真っ黒であると思う。

    この基本ルールを運用せず(都度説明する訳ではなく暗黙知な訳だが)破綻する者を野放しなのであれば、無法地帯となり都度対処する必要に迫られ運営側は疲弊する のだ。

    コミュニティは腐敗し始めたら腫瘍と同様に自然治癒はない。

    “無能者同士の絆を深め、賢者を排除するムーブメント”

    を目指す場ならば、このルールは特に必要無いどころか、絶対導入してはならないだろう。

    そぉいうのは

    “何かしらの酒場ではあれどバーではない”

    なのだ。

    そして “クズ特区(ターミナル駅の繁華街)” で行うコトである。

    ※”クズ特区” とは周囲に悪影響が及ばないように隔離する為の必要悪というコト。

    Eちゃんのバーについて

    Eちゃんのバーの印象

    もろもろ、昨今のEちゃんのバーの印象は

    “『神三のバカ騒ぎバー』はなれ”

    であり結果として

    “クズの掃き溜め”(事実、よその店で出禁になってる者多過ぎ)

    である。

    “名もなき者の休息所”

    とEちゃんのバーを評価しているコチラであるが、“クズの掃き溜め” はやり過ぎだし、本来の “名も無き者” の定義が逆になってる。そぉいうのはクズ特区でやるコトである。

    “名もなき者” とは

    “能力高いが故、大衆社会では居場所が無い者”

    と捉えたい。しかし昨今は無能者がこの “能力高い” を装うケースが増えている。お互い無能なので、この手の連中は相手を見破るコトが出来ず、詐欺ループを続けながら、バレないようにビクビクしているのだ。

    逆に 無能者同士の絆を深め(バレない様にフォローし合う)、賢者を排除する動きを取るようになったりもする。

    故に “虚栄” に走り、”詐欺の緊張感が一切感じられないコチラ” に、安直な成果・快楽を求めて攻撃的に絡む。しかし無能なんで自滅する訳だ。

    「Eさんは分かってくれてる」

    的な、安堵感があるが故、自滅戦略のリスクに気付かなくなる環境というのもある様に見える。言い換えれば甘やかされてるのだ。…バカを甘やかして何のメリットある???

    バーとは言え完全な文化装置ではなく営利運営でもあるので、商売としてはバレてるコトに気付かないフリをしてやる必要があるのは分かってる。客であるコチラも合わせていた。

    しかし “基本ルール” を豪快に逸脱する者に規制がかからないのは “倫理とは? 秩序とは?” という印象を覚える。

    コチラも若い頃は周囲が眉をひそめる言動が多かったと振り返るコトが出来るが、ラインを超えた記憶は無い。元々成熟していたというよりは、賢者から予防線を張って頂いてたからだ。

    賢者を求めて移動し、賢者に気にかけてもらえる様に努力していたのだろうと回顧する。

    故に “若いからラインを超えてもしょうがない” はコチラには通用しない。

    キツイ条件なのは理解する

    初めはクズでもしょうがない。しかし “原石磨く” 的なコトが達成は難しいが試みてさえないと感じる。以前はEちゃんやっていた印象がある だけにだ。

    ※コチラもEちゃんに磨かれたし、他のヒトを磨くEちゃんを見ながら、間接的に磨かれ続けたから分かるのだ。

    事実

    「Eちゃんのバーでは大人しくするオレっす☆」

    といったヒトが何人か居る。コレは少なくてもEちゃんのバー内での規律に歩み寄った行為だろう。及第点に達するかはケースバイケースだろうが、少なくても本人の中では配慮した行為であるコトが読み取れる。

    未熟者らも彼らなりの歩み寄りがあるのかもしれないが、基準点が低過ぎるのだ。

    昨今は “間違いなく石ころ” な素材ばかり集まってしまう状況において、“磨きが面倒になった(クズに慣れた)Eちゃん” という背景があると思う。

    分かりやすい例で言えば “チンコに人格が付いたヒトらしき生き物”。

    「成長するかもしれない。事実マシにはなってきている」

    とEちゃんは言っているが、最近も酷い飲み方をしている噂が絶えない。

    事実マシにはなってるのかもしれないが、コチラからすれば基準が低過ぎて、まだ及第点には届かない。そのスピード感であれば生涯届かないであろう。

    現実は “一歩進んで一歩下がる” ではないか? 一歩進んだタイミングで “マシになった” と認識するのは瞬間的に正解であっても誤解。結局元通りならば意味ないのだ。むしろ年齢を重ねて変化無いのは相対的に悪化してるとも言える。

    コレはEちゃんが彼らに裏切られているというコト。Eちゃんも裏切られながらも嘘つき続けるのに疲れてきたのだと見える。だから磨くコトを放棄したのではないか? …もちろん理解はする。

    そもそも

    “成長するとイマの自分とは違うのでイマの自分を否定するコトになる”

    連中だ。

    彼らの改善に必要な根本は “自己把握” なのだが、彼らは “自己把握出来るようになる” という成長を拒む。

    “自分だけでも『今の自分(成長してない自分)』を認めよう(ごまかそう・信じよう・バレそうな時は跳ね返そう)”

    という生命線であるので抜け出しようが無いのだ。

    だからといって “放置” ではバーとして共感出来ないのだ。

    憧れや尊敬ではなく依存

    彼らからEちゃんに憧れはあれど尊敬は無い。“尊敬してたら恥ずかしくて行けなくなるハズ” だからだ。だが、いつまでも不品行を続ける連中…。

    彼らがEちゃんのバーに行くのは、ブランド品を身に着けて気が大きくなっちゃうヤツの心理に近い。また “枯渇してる愛の強奪” も深層心理としてあるだろう。

    もろもろEちゃん個人を見てるのではなく依存だ。ま、大枠でサービス業なので依存0%でなければならない訳ではないし、0%だったらむしろ不自然ではあるw

    問題の本質は大袈裟に言うと “侮辱” が含まれてる事象が散見されている。

    “愛の基礎は尊敬”

    という考え方がある。彼らはEちゃんから愛されど、愛をEちゃんに向けてはないだろう。“ブランド品” に尊敬は頂かない。所有物だからだ。…そもそも未熟者らは周囲に向けられる愛の材料・在庫を持ってない。

    尊敬がなく “自身をアゲるツール” → “自身の機能” → “自分自身” としてEちゃんを組み入れてるのだ。ソレはヒトのコミュニケーションではない。

    Eちゃんは “ヒト” だ。だから “侮辱とも言える彼らの言動” という評価に落ち着かざるを得ない。

    ちなみに、エーリッヒ・フロムはこの様に言っている。

    • 幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。
    • 成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。
    • 未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、
    • 成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。

    XXXという人物

    未熟者らと似て非なる人物としてXXXを認識しているが、バーでの表面的な言動としては同一種と言えてしまうのではないだろうか?

    XXXは無理で、他の未熟者はOKというのは、理解に苦しむ線引きである。

    立地上、違和感を感じる

    ヒト磨きをしないのであれば、いわゆる “ターミナル駅の繁華街” ないし “中央線沿線” でやった方が、母数的に堅いので商売上楽だと思う。

    中央線沿線が揶揄されるのは

    “上京して初めて住む沿線”

    であるケースが多いから。ノビシロという名の “未達率” 高い者の母数が多いエリアというコト。

    エリアによってカラーが違うのが都市の魅力であると思う。この辺は言うならば

    “ストリートの銀座”

    であろうか。

    敷居の高さというか、街それぞれの “規律” をインストールするのが、俗に言う “文化” であろう。

    その街の規律に沿う為にヒトは成長欲を刺激されて適応・洗練していくのではないか?

    現在、地域で言うならば少なくても

    “神三(バカ騒ぎ勢が多いバー)に犯される神二(Eちゃんのバー)”

    な現実を感じている。

    正直な私感…この街の民度を下げないで欲しい。

    「分かるがオレだけに言われても!!!」

    Eちゃんは言うだろう…w

    “ありのまま” を愛す

    Eちゃんには

    “無償で永久の愛”

    的なスタンスを感じる。多くの未熟者に対しても。

    ソレは凄いコトだが、基本ルール項で記した

    “『二人の関係においては』ありのままでも良い”

    という条件が必要ではないか?

    予約貸し切り制ならば矛盾は起きないが、不特定多数の者が同時に場に居る形態であるならば、”公共性” というパブリックの認識が必要になる ハズだ。

    その線引き・公共性という意味で、シロクロ判定出来る基本ルールがある訳だ。

    Eちゃんのバーの内外について

    「じゃぁオレの店はバーではない。オレがそう定義したので、コチラくんの指摘はもう筋違いだ」

    とEちゃんがなったとする。一つの着地だろう。

    そこで小言を言わせて欲しい。極論、Eちゃんのバー内で “バーではない何かしらの酒場” が完結してるならばともかく

    “近隣で警察沙汰一歩手前のコトを連発する者を神様のイベント(神輿)に参加させる”

    はEちゃんのバーの外だ。勘弁して欲しい。神様に失礼だと思わないか?

    貨幣獲得(機能価値)ではなく、社会での存在価値として

    都会のバーというのは

    “偏差値高過ぎマイノリティー(能力高いが故、大衆社会では居場所が無い者)の集い”

    というサロン的な機能を期待しているのがコチラ。コチラの期待以前に、そもそものバーの理想はそういったコトだと理解している。

    しかし、神三のバカ騒ぎ勢は

    “バーはみんなでワイワイやる場所”

    という定義であろう。それもただ “我侭尽くす” という意味でのワイワイだ。

    そぉいうのは 友人とカラオケボックスに行くという “個室貸し切り” でやるコトである。カラオケボックスがこの世に無いならば多少は許容してやっても良いかもだが、彼らには最適な場があるハズだ。

    個室で知人のみの環境であれば、女性を触り始めたり、暴言吐く等があっても、それぞれの人間関係の上だから、他人には何の問題も無い。

    彼らは

    “他人が混じるパブリック”

    という概念が無いのだろう。家でも外でも常に同じ。故にカラオケバーでもオーセンティックバーでも飲み方同じ。むしろ

    “パブリックだから他者に褒めて欲しい”(褒めさせる為にレイプしよう♪)

    という魂胆が加わってさえいる。

    “電車内でチンチン弄り始めたら、スケベ女子が寄ってきてセックスしてくれたらいいな♪”

    ってな思考と同じなのだ。

    “純度100%のバー” を続けるのは不可能なのは分かってる。瞬間瞬間でグラデーションになるものだ。

    しかし、昨今のEちゃんのバーは純度落ち過ぎだ。正直神二で一番客層が悪い。

    今のEちゃんのバーは

    “偏差値低過ぎマイノリティーの集い”

    になってると感じる。

    純度の維持を継続するデニーさんの存在を思い出して欲しい。

    厳しいコトを言うが

    「お父さんの仕事は『クズを酔わせて無礼行為を誘発する仕事』だよ♪ セクハラとか恫喝とか♡」

    と娘に言えるのか?

    逆に

    「クズはウチで抱えるから、みんな他の店で安心して飲んで欲しい。『神三のバカ騒ぎバー』はなれでございます♪」

    と明言するならば ソレはソレで必要悪 となるがw …そして神三のバカ騒ぎバー至近に移転するべき だがな。

    “Eちゃん” という人格者は尊敬するが、運営する酒場には共感しないな。

    月曜日、Eちゃんのバー以外の場所で飲もう。

    まとめ

    近年、このホームバーでは

    “大衆のリアルを知る”

    そんな 盗み聞きスポット な認識が強かったのだが、まぁ 好き嫌いじゃなく縁が切れた というコトに感じる。

    今回、多面的にEちゃんはボロを出し過ぎた。背景に嫉妬があるのもアウトだな。

    何かEちゃんの中で惰性になっており、美意識の実施が行われなくなってたよな。生ビール臭かったり、ソーダの炭酸抜け過ぎだったり…。

    Eちゃんはプライベートで大きな出来事があったのだが、その影響がモロに出てるイマだと見る。

    倫理観は綺麗に持っている漢なんで、いずれ立ち直ってくれるだろう。加えて更に成熟するハズだ。

    その日まで…コチラは放浪する。

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