マミチャ ン 死す!

目次

  1. はじめに
  2. メッセージ
  3. マミちゃんとの思い出
  4. コチラにとってのマミちゃん
  5. 安らかに眠らなくてもいい

はじめに

2/12、97~99年頃、一緒に音楽をやっていたマミちゃんが亡くなったと田中麻記子から連絡があった。

一回り以上年齢上なので、そら通常はマミちゃんの方が先に逝くのだがw 早すぎる…。

どちらかが死ぬまでに2回は顔合わすイメージだったが 最後に会ったのは2013年年初、西荻窪のワインバーとなった。

メッセージ

本人の意向でメッセージ募集中とのコトなので、以下を送った☆

令和22年、高齢者の体調不良を訴える話題のバンド “おまみさんバンド(通称おまんド)” が遂に紅白出場!!!

安倍元首相から引き継ぐ “生涯現役” の実現に苦慮する政府からも “高齢者先進国” のPRとして更なる活躍が期待されている。

しかし遡ること20年前、中心人物のおまみさんが長期脱退を表明し実質解散していたのだった。再結成のキッカケは!?…バンドに歴史ありである。

楽しかったよ☆

TAKA-AKI(AZZLO)

コチラにしか書けない文章だろう。田中麻記子はウケてくれた模様で、律儀にフランス語訳を作ってノルマンディーで行われたセレモニーで掲示してくれたらしいw

マミちゃんとの思い出

確かマミちゃんとの最初の顔合わせは、キャゴンティーヌから

「日本人で音楽やってるヒトを探している日本人が居る」

と紹介されてキャゴンティーヌ宅で飯を食ったのだった。

マミちゃんバンドのメンバーとして勧誘され

「バンドメンバーの選定基準は “顔” コチラちゃん合格だから!!!」

という有り難いけど音楽と関係ない理由に失笑困惑しつつもw 断る理由もなかったので、バンドメンバーとなったのだった。

ピエール・バルーの息子、バンジャマン・バルーのマネジメントでベルギー含めて15箇所程ツアーに周ったのはコチラの人生では印象的な経験となった。

バイトでブリジット・バルドー主演映画のエキストラをやった際の記憶が強烈に残っている。

“日本食レストランで食らう日本人客”

として日本酒を交わす際、マミちゃんは徳利に箸を入れて何やら貝柱らしき物体を食するという詐欺演技をしたのだ。爆笑を堪えるのに必死なコチラだったが、あの演技は映画に映っているのだろうか?w

コチラにとってのマミちゃん

当時10代だったコチラにとってマミちゃんはクラブ系のお姉さん方とは違って “不思議なおばさん” だったなw いわゆる文科系というか、根っこでは超正統な思考だった。

姉の様な母の様な、カノジョの様な妹な様な…多面的なコミュニケーションだったな。

後々感じるコトだが、矢野顕子みたいな雰囲気だったよな。

安らかに眠らなくてもいい

正直驚きではあったが、悲壮感はない。

そもそも思想が生きている感覚なので肉体がなくても思想は生き続けるのだ。コチラの中にもマミちゃん思想は存在している。

おそらくコチラのまったり / ファニーな領域はマミちゃんの影響があるからな。

いわゆる “天国” 的な存在があるならば、マミちゃんは新人死人ながら先輩死人達を集めて音楽教室の様なライブの様なユルいコトをして平和に暮らしているだろう。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)