目次
はじめに
米津玄師以来 “才能” を感じ、米津以上にアホ臭さ軸も含めて共感が深いのがルイスコールだ。
参考:
呆然と涙が流れた音楽
昨年末にRADIO NOVAで流れていたこの曲
ただただ涙が流れ呆然とし、曲・アーティスト名を調べるコトが出来なかったのだが、
何がきっかけで辿り着いたか分からないが、この動画でルイスコールのコトを知って以来、ハマりまくっている☆
感動とか、そぉいう感じでもなく、”無” で涙が流れた曲が、こんなチンポコ筋肉集団だったとは…w コチラの中1英語レベルである程度分かるシンプル歌詞故に、響いたというのはあるかな。
ルイスコールがどういう思想の基、こういったアウトプットになったかは知らないが、コチラにおける “博愛” は、こういった具合である。
多面的に好き過ぎる!!!
この2曲はとても気持ちが穏やかになる。
動きが独特w
PRIMULAのダンスにも通じるw ハリーさんは絶対この動き好きだろうwww
演奏テクニック
生楽器の演奏テクニックの良し悪しの判断は出来ないが、凄い精度とグルーブだと感じる。
貨幣とスケベモチベーションへの皮肉が痛快☆
このアメリカへの皮肉をアメリカ人がやったのは衝撃!!! しょうも無さが突き抜けてるwwww そして大概殺害されるw
まるでドリフw
素でカッコイイ☆
この辺は、トラディショナルクラブミュージックにも通じるアレンジ/音質で、普通にカッコイイ☆ ちょっと SEAPUNK 的ノリがあるし。
hideにも通じる
複数曲で見られる、喉叩きビブラートは、ZILCHの冒頭「横須賀市からいらっしゃいました松本秀人さんです~ はりきってどうぞぉぉぉぉ~!」に通じるし、どうでもいいキャプションは
コレにも親和性を感じるw
雑感
“スクエアプッシャーとジェイミーリデルを足して2で割らない” という感じ。
“出来すぎた学芸会” という感じでもあるw ま、今のクリエイティブトレンドにおいてスイートスポットでもあるとは思うが、彼らの素でもあるんだろう。…そしてソコが好きだ!!! 制作環境簡素過ぎそうだしwww DAWの無料バージョンで十分作れるw
誰の味方でもないが嫌悪するのも馬鹿馬鹿しいw 詞がどうでも良過ぎるw 全ての宗教を馬鹿にし神すらも舐めてる印象w
思想的にはNo Future一派に通じる感じがするし、こぉいうシリアスではなくアホな音楽なのにロックでもあるバランスは久々。hide以来だろうか。
顔がアメリカ人だが目はドイツ人な雰囲気。そして発音が米語っぽくないのでナニ人なのか非常に興味を持ったが…LAの人であった。アメリカ人でこぉいう皮肉な表現は初めてかもしれない。(アメリカ知ってる人にとっては西と東じゃ別の国らしいが)
ちなみにコチラの米語イメージは、ウィリアム・バロウズである。
「ダンスとは神との交信である」と宇川クンが言っていたが、 ルイスコールを見ていると
“神への嘆きと共に「神不在でも十分楽しいも~ん☆ お尻ぺんぺ~~~ん♪」” な生き様
に感じる。ま、お尻ペンペンも交信に含めて良いとは思うので、音楽の本質的なコトを感じてならない。
不正利用可能な権力や神(ヒトが都合よく作り出した統率手段)すらも否定(小馬鹿に)するルイスコールや同質な音楽には、ジャンル(スタイルフォーマット)は関係なく、やはり関心を持ってしまうな。
コチラの孤独耐性が強い理由が分かった気がする
先日…といっても5月の末だったか? 元カノと会った際に、…別れる前から何度か指摘されていた記憶もあるが
「貴方は孤独耐性が強過ぎる」
に対して「まぁ自覚はあるが…何でだろう?」という疑問を持っていたのだが、KNOWER(ルイスコールのユニット)のインタビュー記事 を見て原因が分かった気がするw
会える物理的・精神的距離感の “トモダチ” やら “コイビト” やら “セフレ” ないし “アイジン” が居なくても、大した問題じゃないのがコチラ。ま、”おしゃべり” はした方が思考にとっては良いとは思うので、テキトーに飲み歩きはするものの、孤独感は感じても全く辛くはないw むしろ腐った社会の中で孤独(疎外)になるのは良いコトである とすら思うw コチラの仲間はhideやルイスコールetc. 素敵な方々がいっぱい居るのだ。
…故に “トモダチ” が居ないヒトや仲間が居ないヒトから僻まれる訳だなw
…一番孤独を感じたのは96年、パリに住み始めた初期だったかと思う。フランス語も分からず日本人との繋がりもなく、約束された母からの仕送りは2ヶ月目から途絶えw 飯も食えず一緒に住んでいた母と結婚したジャンマリーはジャンキーだし電気も止まるし…。そんな最中一気に音楽嗜好が変わった 経験からして、”音楽依存症” なんだろうと感じるなw
こぉいうコトらしいしな。
ヒトとのコミュニケーションは険悪し足の引っ張りあい等は容易に起こるw が、音楽との接点は “承認ときっかけの授与” なので、”(物理的範囲において)孤独がキツくなくなる、むしろ孤独好きになる” のは明白だし、都合が良いのかもしれないが、噛み合わないヒトとのコミュニケーションよりも、ずっと心の充足があるものだ。
詩があってもノンバーバルコンテンツ
…近年は若者においても音楽のプライオリティーは下がって、スマホゲームやら出会い系アプリやら、時間を浪費する手段は増えたがw 精神的充足は全くケアされないどころか、主にセックスしまくったところで劣等感を拡大させている様に見える。貨幣的な格差拡大という側面も同時進行している点も要因だろう。
音楽は詩があるタイプのものでもノンバーバルな繋がりが発生するものだ。最近日本のシティポップという詩がある音楽
が世界的な流行になってる(日本では何も起きてないようだが)が、母国語関係なく、おそらく感じる要因は同じであろう。
ま、故に 権力者が一番恐れるのが音楽 な訳だが、いい加減 “デジタルコンテンツと下半身の機能だけでは救われない” というコトが22.3歳の若者でも実感してきている雰囲気がするw ま、アホはいつの時代も下半身と金だがw
現実的なサードサマー・オブ・ラブは初音ミクだったんだと思うが、初音ミクよりも小規模になるがジワジワとフォースサマー・オブ・ラブ的なコトが起きる要因を感じるな。オリンピック後の貨幣的な悲惨さと精神的な拠り所を失った日本では、音楽ないし何か必要とされるハズだし、何か起きる期待を持ったりはする。
起きる時は何かしら技術的要因があるハズなんだが、何がきっかけになるんだろう? AIかな? …大分先になりそうだ・・・。
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