大卒者 (エリート) が組織で使いものにならない理由 2

大卒者 (エリート) が組織で使いものにならない理由 で書き忘れた事があったw

大卒者の致命的pt3だ。

教育が及ぼす負のループ

  1. “テストで良い点数を取れるように主に記憶を頑張る”
  2. “テストが無ければ何もしなくても良い”
  3. “テストがあった上で対応する”
  4. “テストそのものを発見する気付き・必然性を失わせる”
  5. “上の者からのテストを待つ”
  6. “テストの点(評価・ギャラ)に一喜一憂する”


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このループにハマって生涯を終えて頂くのが、現代の教育の役割だ。特に4番が重要で、”従順で気付かない者(言いなりクン)” を育成しているのだ。

偉くなってもテスト / 評価を求める

組織のトップ以下は、こういったループの人達でも構わない。

しかし、トップもこのループの人であった場合、”人間から見たボス猿” である。普通の猿と同じ目線では、俯瞰して群れの誘導は絶対に出来ないハズだ。

猿の世界でも “バナナの皮むきが上手” だけでは、ボス猿にすらならない。”トップが東京無線のベテランドライバーにしか見えない” 的な事は、大概このパターンだw

よくある事象として、どこの組織でも日常的にあると思うのだがw

トップになっても、誰かの評価を待ち続けるが・・・誰も評価してくれない立場である事を知らないので、「オレは昔は凄かった」 系の話で、部下の時間を奪い組織のパフォーマンスを落とし、自滅していく・・・。

というのがあるな。

偉い人程、人を巻き込む労働領域以外で自尊心ケアの手段が必要

偉くても偉くなくても、そら誰しも認められたいのだが、トップ等は下の者よりは大概金は持っているので、キャバクラなり、おねえちゃんにチヤホヤしてもらうべきである。その為の高額のギャラなのだ。高い車乗ったり、高級マンションも処方箋としては良いだろう。この程度の金で解決出来る贅沢は当然の権利だと思う。

トップだけではなく、最下層の人間意外は必ず誰かの上という立場がある。その場合も同様だ。

自尊心のケアは上になる程難しいのは良く分かるが、下の者を巻き込んで強制させてはならない。自ら作り出すべきだし、足りない場合は外で補うべきだ。

支配したい個人的欲望しかり、運営の為に必要であるならば、尚の事、群れを誘導している(リーダー)自覚が必要という事。

先日亡くなった堤清二の声だ。彼も大卒者であるがw ループ内の人ではないな。

高学歴者がリーダーになる上での方程式

大卒者のイケてる点、本来あるべき姿として

“大卒者の筋力で更新する技を持つ” = “最強”

と書いたが、堤清二の言葉を合わせると

(”大卒者の筋力で更新する技を持つ” = “個として最強”) × “世界観” = “組織が動く”

という式になるな。「金を求めるだけがオレの世界観です♪」 ってのは論理としては無理くり成り立つがw その場合、下の者に従業して頂くには金がかかり過ぎるw 共通した世界観(ビジョン)があれば、悪い言い方であるが安い人件費でも人は動く のだw

知識だけで、知恵・世界観が無いからこそ、世界観がある者の言いなりになると言えるな。すわなち “強制” ではなく “追従” となる。

偉い人とそうでない人には川が流れている

いわゆる従業員はループの人で構わないのだが、経営は従業員上がりでは出来ないとも言えるな。性転換に近いぐらいの根本的改造が必要になってきてしまうな・・・w

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