2014年4月頃の読書。
が、かなり面白かったので、新たに出たこの本も手に取った。・・・しかし酷いタイトルの本だw
1:常に複数の緩やかなつながりを持った組織に身をおき、解決すべき課題を見つけて、共通の目標に仲間とともに向かっていくこと。
これがグローバル化が進展する時代に、人々が幸福に生きるための基本的な考え方になるはずだ。
⇒「社外のモチベーションの高い人とやるしかない」 が既に現実で起きてる事だしな。
一つの屋号 (会社とか) の繁栄を求めた上で、”屋号内だけの活動 (多くの場合政治に走る) では衰退する事象” は多く見かけるしな。
※よくトピックになる日本企業の衰退の原因は、この “社内政治” にあると思う。そして何故社内政治が必要・走ってしまうかの原因を特定していく事が必要だと思う。
・・・かといって無差別的な勉強会・セミナー参加 “だけ” では解決出来る・達成出来る事でもないとは思うw
2:人材のコモディティ化を乗り越える方法は、「武器としてのチーム」 を自ら創り出すことしかない。
⇒偉いおっさん同士で、お膳立てされた昼間の蛍光灯の下で、更に偉いおっさんが監視する下では、新たな発見を繰り返す事は絶対にあり得ない!!!
訳だし、残念ながら
「オレは前向きだ!」 と力強く言った上で1ヶ月以上、音沙汰無しの営業 ( ̄□ ̄;)
とかの人たちは、”3秒の声がけ” すら出来ないので、チーム以前に “事として成り立たない” しなぁ・・・w
故に 最初から “営業抜きでやる” っていう目標にしてた んだが・・・。
3:天動説が棄てられ、地動説が受け容れられたのは、天動説の支持者が論破されたからではなかった。主流をなしていた天動説支持者のほとんどは 「地球がこの世界の中心である」 ということを最期まで心の底から信じて、この世を去っていったのだ。
それならばどうして、天動説はあるときから見捨てられたのか。
クーンは研究の結果、その理由を 「世代が入れ替わったこと」 だと喝破した。
天動説の支持者のほとんどが死に絶えて、新しい世代のほとんどの人が 「天動説なんて非科学的な考え方を支持するヤツは、頭がおかしいんじゃね?」 と思うようになったからなのだ。
⇒この指摘を踏まえると、広告代理店が現代で必要な働きが出来るのは、最低限20年はかかりそうだな。この “20年” という根拠は、”今40歳前後のおっさんが社長になる時期” という計算である。
すなわち20年後からやっと対応が始まると思う。しかし現在のマネタイズモデルでは20年間の維持は非常に難しいだろう。故に 2020年を越えられない という妄想になる。
4:自分たちの信じる新しいパラダイム、必要とされるパラダイムの信奉者を、少しずつ増やしていくこと。そうやって 「仲間」 をつくっていくうちに、いずれ旧世代は死に絶えて、新たなパラダイムの時代となるのである。
ビジネスの世界でも、停滞している分野ほどベンチャー企業が有利であるのはそれが理由だ。業界に長い間君臨してきた企業はかつての成功体験、固定観念にとらわれているために冒険ができない。その固定観念自体が時代の変化にともない、間違ったものになってしまっていることに、気づかないのである。
⇒とりあえずAZZLOが所属する組織の人たちの多くは、想像力に乏しいみたい だし、「あぁ・・・銀座の頃は良かった・・・」 と今を見つめる事すらも無い人たちは、”銀座から離れた事実” を体験しているにも関わらず、今後の変化の可能性を否定・理解出来ても逃げる だから、進まないんだよなぁ・・・w
電通だったら
- 「少なくても今は、そぉいう方向に世の中が進まないようにしましょう」 (フリーザ風)
と言えるんだが、AZZLOが所属する組織は、ヤムチャぐらいなので、そんな権力はないのだw 追従でも食えるのは20世紀までだと思う。
ま、AZZLOには ビッグデータ等も検証しているチームメイト が居る・・・が、組織の業務 (ビジネス) にならない (承認されない。 承認されても関与者が動かない) からなぁ・・・w
まぁ、そもそもAZZLOが売上げとかマネタイズとか気にする必要は無いんだけどもな・・・w でも “代理店の作業員” はもう飽きてるのだ。作業じゃなくて仕事したいんだよな。どうせ作業員だったら “AMAZONの配送センター” でバイトした方が運動にもなるし時給換算したらバイトの方が良いしw
5:チームで活動するようになって感じるのは、ほんとうの仲間は、一朝一夕にはできないということです。楽しいときも、辛いときも、一緒にすごして初めて魂が通じ合うような関係を築けます。
偉いおっさん同士で、お膳立てされた昼間の蛍光灯の下で、更に偉いおっさんが監視する下では、新たな発見を繰り返す事は絶対にあり得ない!!!
だよな。
6:「フリー」 という肩書で働いていても、本当に 「フリー=自由」 であるかといえば、そうとは言えない人も少なくない。
⇒一時は出来ても継続し続けるのは大変だからな。AZZLO自身もフリーのWEBデザイナーとして食えてた時期に 「WEBの変化 (特にプログラミングの必然性向上) に一人じゃ対応しきれねぇ・・・」 と思ったから会社に入ったしなぁ。
そもそも会社に入るきっかけは、こぉいう気付きからなので
- “会社ってそれぞれの強みを活かして一人じゃ達成出来ない事をみんなで達成するもんなんでしょ?”
と思っている。そして狙い通り、秋葉原の代理店では
- ・AZZLO:思いつき / 数字把握(運営) / ビジュアルデザイン
・本間さん:プログラミングでなんでも作ってくれる。(多くの場合自動化プログラム作ってくれてた)
・カトオ:旬な傾向のお知らせ・調査 / 飲みの誘いw (ほぼ毎日・・・w)
っていう役割分担で、結果的に毎月倍々で自社サイトのアクセス数を増やせていたんだよなぁ・・・(遠い目)。
よく 「AZZLOは変だからフリーでやればいい」 とか言う人が言うが、
- “利己的な金 (いわゆる手取り) を目的にしてない。共に高みを目指して達成して気持ち良い飲み会がしたい”
のがAZZLOなので、そうじゃない人からすると、”変” なんだろうと思う。
7:自分の成長に資する仲間とともに働くか。それとも、「ごますり」 と言って語弊があれば、「社内調整能力に長けている」 だけの、尊敬できない上司や、夢は語れどそれを実現しようとする志はない同僚とともに過ごしていくのか。それによって人生の意味合いは、天と地ほど違ってくるだろう。
⇒組織では “それぞれの成長” という概念が皆無な感じするよな。そぉいうのが無いと “組織としての成長” も無い気がするんだが・・・。
こんな傾向だし
- “森 (売上げ) を見て木 (人) を見ず” (あえて逆)
な感じする。
8:秘密結社というとおどろおどろしいイメージがあるが、要するに 「さまざまな出身のメンバーが、ひとつの目的の達成を目指して、自発的に集まった集団」 のことを意味する。企業のなかでも新しいチャレンジを試みるのは、しばしば 「社内で部署横断的に集まった秘密結社的チーム」 だ。
⇒ “しくみ作り実行隊” みたいな自発的ゲリラグループじゃないと、勢がないからな。
偉いおっさんの目が届く場所では、直近の労働履歴にしかならない。
9:そもそも 「秘密結社」 というのは、世の中を何らかのかたちで変革しようという目的のもとにつくられた組織だ。
⇒偉いおっさんからすると、自分ラの無能さが露呈される機会になる事も少なくない為、政治的に抑制したりするのは、世界的にどこも一緒だよなぁ。でも、どっちみちオチは一緒なんだよなw
10:知っておくべきことは、彼ら (フリーメイソン) の活動の根本には、「反カトリック同盟」 という理念があったことだ。商売上、さまざまな対立する立場であったとしても、強大なカトリックを中心とする既存の権力を握る勢力に対しては、団結して反旗を翻す。それは、彼らが信奉するのが 「既存の権威」 ではなくて、人の 「理性」 だったからである。王権よりも、神に与えられた 「理性」 を信じる、というのが彼らの考え方の根本にあったのだ。
⇒フリーメイソンは、ほぼAZZLOと同じ感じだな。キリスト教嫌いだし、プロテスタントより更にカトリック嫌いだし。
11:じつはロータリークラブやライオンズクラブなどといった親睦団体も、もとをたどればフリーメイソンに行き着く。フリーメイソン会員になるには会員の投票や身辺調査があるなど門戸が狭いことから、似たような組織を設立して、もう少し一般的にも広げようということでつくられたのがそれらの団体なのである。
⇒幼少からロータリーの4つのテストを散々聞いてきたAZZLOはロータリークラブに非常に共感している ので、フリーメイソンにも共感は繋がるんだなぁ。
12:福沢は慶應の人々に、「あたかも骨肉の兄弟のごとく、互いに義塾の名を保護し、労力や金、または時間や注意をもって助けあうこと」 と述べている。そして慶應が当時、官尊民卑の風潮が強いなかで成功できた理由について、「命令するものなく、全体の挙動を一にし、奨励する者なくして全員の喜憂を共にし、一種特別の気配があったからこそ今日まで維持できた」 と書いている。
⇒ 「慶應卒の人が “他の人の案件を事故る仕込み” をしている」 というのを聞いた事があるがw ・・・福沢さんは泣いているだろうなぁ・・・。
13:神戸女学院大学名誉教授の内田 樹 氏は 『ワンピース ストロング・ワーズ』 (集英社刊) に寄せた解説のなかで、現代の若者の心を捉える 『ワンピース』 と、70年代の左翼学生を熱狂させた 『昭和残侠伝』 という任侠映画に共通するメッセージは、「友のためには死ぬという人間を信じ」 ることだ、と述べた。
⇒世代的な違いもあるが、AZZLOはドラゴンボールは好きだが、ワンピースは興味湧かない。まず絵が鳥山明の方がセンスあると感じるからだが (鳥山明は漫画家にならなかった場合、ファッションデザイナーとしても大成したと思う)、ドラゴンボールの中で起きる死は、”友のために” もあるが “自分の正義のために” な感じする。
14:仲間というのは当初の目的を達成し、互いに必要とする時期が終われば、離れるのが自然だと思っている。いつまでもずるずると仲間意識をひきずり、「仲良しごっこ」 を続ける関係には、意味がないのだ。
⇒自分的な文化は、”複数人が目的を持って新たな刺激を創造し前進している様” という感じかな?創造し終わったらもう文化じゃなくて、”習慣” に言い換えるべき。
だし、次の文化の為には、一度解散して、違う経験を再融合するべきだと思う しな。
故に “老舗のクラブ” ってのはあり得ないと思うよなw
15:「良いチーム」 はたいていの場合、
1 少人数である
2 メンバーが互いに補完的なスキルを有する
3 共通の目的とその達成に責任を持つ
4 問題解決のためのアプローチの方法を共有している
5 メンバーの相互責任があるという5つの大きな共通点を持つことを見出した。
⇒ “スキルが被っている人たちが大人数集まる” のは良いチームじゃない可能性が高い って事だよなw
16:まず 「ありがちなチーム」 について見ていこう。
求められる仕事が定型的で平凡で、期待される業績が決まっていることであれば、ありがちなチームでも問題がない。会社内でチームを組織する場合、メンバーは年次や部署で自動的に決まり、スキルも固定的で新たな能力を身につける必要はなく、一度チームの一員に選ばれたら、基本的にクビになることも、能力が高くより適任と思われる別の人にその地位を脅かされることもない。
仕事は 「やったふり」 、仕事を 「したつもり」 で何の問題もなく、明確な成果を要求されることもない。「集団責任は無責任」 という言葉があるが、そういう組織は日本中、いたるところにある (昨今の企業や行政組織の不祥事を見ても、結局、最終的に誰も責任を取っていないことは珍しくない)。
えてしてそういう組織ほど、外部から他力本願的に有識者を招いて知見を求めたり、ビジネス書で読みかじった 「SWOT分析」 などの 「コンサルタントごっこ」 にうつつを抜かす。そもそもマッキンゼーなどのコンサルティング会社で働く人間ならば、SWOT分析などの一般化されたフレームワークは、それだけでは、ほとんどの現場で役に立たないことを知っている。
⇒仕事を作業だと捉えたバケツリレーだから、”頭数が担保されればチーム” となっている気がするな。
そして指摘通り、「やってるふりだけはオレに任せろwww」 という先輩 が発生しているもんなぁ。ある意味チームワークだけども・・・w
SWOT分析やらについては、”かっこ良さ気な労働履歴” としては歓迎されるんだろうな。(SWOT分析は流行ってる気配もないけど)
17:ダメなチーム (ありがちなチーム) では役職や年次で選抜されるが、よいチームはあくまで 「何ができるのか」 でメンバーが決まる。ところがこれまでに試みたことがないプロジェクトなわけだから、その仕事に必要とされるスキルもはっきりとは分からない。だから何かしらのスキルがあるからといって、その人がメンバーにふさわしいとは言えないのである。
⇒大人数の頭数だけ合わせて 「こんだけメンバーが居るなら、必要とされるスキルを持っている人が多分居るだろう・・・」 と全員が捉えて、結局誰も何もしないという事象が少なくないもんなw
18:職場や学校、町内会や趣味のサークルなど、人が集まる場所ではどこでも見られる 「仲良しグループ」 の多くは、自分に自信のない “迷える子羊” たちが、似たもの同士でツルんでシマを作る防衛的な集団である。メンバーはみな、自分がどんな人間かよくわかっていない。わかっているのは、自分たちが優秀じゃないことだけ。だからいつも不安でたまらない。
⇒確かにそのような集団になってしまう事もあるが、”迷える子羊” が取り急ぎ所属出来るホームも同時に必要だとは思う。一定のコミュニケーション力は最低限磨けるしw
その上でコンプクレックスもろもろ明確化し、どう次に繋げるか?の整理が出来れば良いと思う。
暴走族から分かる若者のコミュニケーション
の様に、暴走族やクラブといった、いわゆる “悪い子・恐い人達” (不良) の駆け込み寺は、いつの時代も必要だと思う。デニーさんのバーとか、・・・デニーさんのバーとかぁ?・・・・っっっ!!!デニーさんのバーとかもそうだw
慢性的な傷の舐め合いは良くないが、集中治療室的なのは必要なハズだ。
現代で病まない人は “教育というワクチン (言いなり奴隷ワクチン) を摂取しているから” とも言えて、病む人はスキル不足の可能性もあるが、人としては真っ当な可能性もあると思う。
・・・故に大卒者で病む人は “筋力あった上でワクチンが効かない健康体” と言えたりもするので、結構イケてる可能性があると思うw
そぉいえば 成功案件 を共にした戦友 (退社済み) は、某、元国営大企業の営業やってて病んで出社出来なくなったもんなぁ。
19:自分で考えリスクをとって、成果を生み出せば、自分に対してある種の自信が生まれる。ところが自分から逃げまわって、他人に人生を預けて、従うべき何か、評価してくれる誰かを探してばかりいると、同じところをぐるぐる回り続け、永遠に不安のままの状態となってしまう。
自分が称賛に値する行為を行ったにもかかわらず、偶然の理由によって、世間から称賛を得られなかった場合、賢人は、称賛されないことを意に介さない。一方、弱い人は、称賛を得られなかったことを残念に思う。
これと同じだな。
よくあるパターンだが、偉いおっさんは評価してくれる人が居ないので、”ハードM男” になる傾向ってあるもんなw
20:経済学の原則として 「増えすぎたものは価値が急激に低下する」人脈も同じである。(中略)
人とのつながりづくり自体が自己目的化し、フェイスブックなどで数千人の 「友だち」 がいることを誇示しているのに、本人はあまり幸せそうではないという人は少なくないが、そういう人は結局、「人的資産」 をすり減らし続けているのである。
⇒ミクシーなんか露骨にそうだし、フェイスブックもミクシー化 (リア充アピールだけで自尊心が担保出来る コミュニティ 繋がり → そこにコミュニケーションは無い) 進んだ感じするよなぁ。
21:怖いのは、プロフィールに出てきた 「友だち」 に 「痛い人物」 が含まれていた場合、その人も 「痛い」 と判断される可能性が高いことだ。
つまりその人のまわりにどんな人がいるかによって、その人物のパーソナリティーがくっきりと明確に浮かび上がるのである。古くから言う 「類は友を呼ぶ」 という諺は本当なのである。フェイスブックで無闇に友だちを増やすのが考えものなのは、それが大きな理由だ。
⇒まぁ、”痛い人物の輪” として同質認識が出来ればそれはそれで良いと思うw “痛くない人” にとってもお互いに楽だw
ちなみにAZZLOは、
- 「他の友だちから紹介されてボタン押したら、どうやらAZZLOから申請をしてしまったらしく、繋がっちゃった人」
- 「名前の手書きメモを手渡され、『繋がりましょう』 (後で申請してね!) と言われた」
二人だけAZZLOから申請して 「フェイスブック上での友だち」 ということになっている人がいる。他は、全て相手からの申請で、まぁ、組織の人とマニアックラブ関係の人が多い感じだ。
・・・だからなんだって事ではないのだがw 明確に言えるのは、数人を除いて顔は見た事がある人たちだが、飲みに行った事がない人も少なくないという事だw
22:社交に過度な時間と労力を注ぐことは、時間の無駄となるどころか、ときにはマイナスにもなる。強力な磁石が、鉄鋼もくず鉄も区別せずに引き寄せてしまうように、人脈の多さを自慢する人は、つきあって有意義な人だけでなく、自分の足を引っ張ったり、迷惑をもたらす人や、さらには反社会的な勢力とまでもつながってしまうことがあるのだ。
⇒ AZZLOもミクシー化するフェイスブックには飽々してる もんなぁ。
23:モノも知識も、たくさん持ちすぎると、それを自分がコントロールしていると思っていながら、逆にそれらに縛られてしまうということがある。いわゆる 「専門バカ」 というのがそれだ。ある分野については膨大な知識を持っているがゆえに、それ以外の視点からは物事が見えなくなってしまうのだ。
⇒某案件でグループ会社の “データサイエンティスト” が居たのだが、
- “とあるブラウザのツールバーを利用している人のアクセス履歴”
をチェックした上で
- データサイエンティストさん:「得意先のサイトを見ている人の平均プロフィールは “こんな感じ” (性年齢地域年収) です。彼らが得意先の商品の購入意向が高い訳ですから “こんな感じ” の人が本施策のターゲットになります!」
- AZZLO:「なるほど!それでは “彼らは既に検討しているんだから、彼らにアプローチする必要はない” と考える事も出来ますね?」
- データサイエンティストさん:「!!!(゚д゚;) ツールでそぉいうデータが出ているんですぅぅぅ!!! “こんな感じ” の人がターゲットなんですぅぅぅ (。`Д´。)ノ」
と、テンション高くなっちゃった事象あるしなw
この会話の段階では “検討者に離脱せず買って頂く” のか “新規の方にも検討して頂く” のかが決まっていない段階だったから、AZZLOは後者の可能性も議題に上げたかっただけなのだが・・・w
そして、多くの場合、前者の方が離脱するのは、”検討した上で排除した” 訳で可能性は低いと思うので、後者の方を重視した企画する方が良いと思うのがAZZLOだ。前者の方を重視すると
- 「あれ?既にある説明サイトがもう一個出来ちゃった・・・。要らなくね?」
という事になりがちだw
24:ときどきは自分の持つ 「モノ」 や「知識」 を手放した方がいい。これは勇気がいることだが、「持っているものが多いこと」 が貴いのではなく 「必要なものが少ない」 のが貴いのである。仲間についても同じだ。
⇒必要な時はメールなり電話なり来るしなぁ。2001年~2006年はあえて携帯を持っていなかったのだが、ノイズが少なくて良かったもんなぁ。(採用が決まった当時恵比寿にあったIT会社から 『携帯持ってないなら採用取り消す』 って言われたから渋々持つようにしたのだが・・・w)
25:学生時代の最大のよさは、お互いにまだ何者でもないがゆえに、フラットな関係を構築できるところにある。社会人になってしまうと、自分と違う業界や社会階層の人と出会って親しくなることは難しくなる。しかし学生時代は出自がほとんど関係ない。
⇒90年代半ばまでのクラブシーンがそんな感じするな。AZZLOの年齢的にも高校生ぐらいの年齢だったし。
カンヌで受賞すると
「AZZLOくんが社内外で有名になって、やりたい事がもっと出来るようになるよ。」
という話があったが、”良さ気なタグ・レッテル” によって有難迷惑な事象が起こる場合もあるしなぁ。この点からもAZZLOは広告賞が嫌いだ。
“高学歴で広告賞受賞者にはペコペコする” 様な奴 (本質が見えないから表面的なタグを重視する) とは仕事したくないしw
26:ある年に、東京大学に数人合格した高校が、それから合格者を伸ばしていくということもある。これも 「東大に入ろうと思えば入れる」 という現象を後輩が見ることで、行動が変わったと説明することができるだろう。
つまり進学実績がよい学校に入るということは、「自分もがんばればトップクラスの大学に進学できる」 という無意識の教育観を手に入れることになるわけなのだ。
⇒こぉいう 「オレでもやれるかも?」 のお手本・言い訳・踏み台になるのが先輩がやるべき事だと思う。
AZZLOの成功案件 は、そんな思いも含めて企画したし、製作ディレクションしたなぁ。しかし誰も 「AZZLOさんの成功案件がエロいんだから、僕もエロい企画作りました!」 と、踏み台にしてくれないが・・・w
- 「親子と組織内の先輩・後輩は違うだろ!」
という声が聞こえてきそうだが、親子はDNA的により近いだけで、”その時代に生きる先輩と後輩” は親子でも同じだと思う。
※ “『その世帯の先輩と後輩 (いわゆる親子)』 だけイイ感じになるのを目指す” のは、核家族化の方が、冷蔵庫やテレビが必要になるので、経済を成長させる為の仕込まれた意識であるハズだ。
- “隣の人と見栄を張り合うモノサシを提供する事で、『グローバル視点を無くし、戦争、それも特攻隊みたいなテロ行為をしない人種』 に育てる必要があった”
と、マッカーサー視点では思うなw
日本人が “親切で礼儀正しい” みたいな海外からのイメージって “白人 (とりあえず肌の色が違えば) は強い” というベースに紐付いてビビってるだけだと思う。
この事象とか典型的だと思う。
27:まわりに成功している人が多ければ、成功することが当たり前だと思って努力する。しかしまわりに成功者がいない人は、「成功するというイメージ」 が持てないために努力ができず、ひどい場合には 「成功することで人間関係が悪くなる」 ことを恐れたり、「自分が成功するはずがない」 と深層心理レベルで思っているので、成功の直前で突然自滅的な行動をとったりするのだ。
⇒とある偉いおっさんが、おそらく “新規クライアント開発会議” みたいなのに出席した後のタバコ部屋で
- 「ウチが・・・TOYOTA攻めるって・・・www」 (おそらく会議で 「TOYOTAに提案しよう♪」 という会話があったっぽい)
※TOYOTAはあくまで例
と言ってたのを見て
- 「じゃぁ・・・ドコダッタライイワケ?(ーー゛)」
って言いそうになったのを我慢した事があったなぁw
アポ取りして
- 「ウチだからアポ取れなかったや・・・w」
ならまだ分かるんだが、何も動いてないのに、この諦めっぷりは腹立ったなぁ。
- 「オレがTOYOTA攻めるなんて・・・w」
も100歩譲ってまだ良いけど、”ウチ” という事は、全社員を “そこまでのレベルではない” と巻き込んでいるという事である。身を削って企画する人も居るので、そぉいう人たちに失礼である。
ま、それで食い続けられるんなら別にいいけどな (ーoー)y~~~。
28:むしろ今の時代、一流大学を出ただけでは、なんの優位性もない。東大の法学部を出て弁護士になろうが、京大医学部を出て医者になろうが、自らを資本主義市場で 「高く売る」 ことができない人間は、「高スペックコモディティ」 とし買い叩かれる運命にあるのだ。
⇒大学での体験はともかく、代々木ゼミナールが大幅縮小している事実からして “少子化に伴って大学行くの難しくない” 時代だからなw 大学というビジネスに従事する人の生活を担保する為に献金しているのが今の、今後の大学生だw
※そして、大学教授が書いたこの本をAZZLOが買うモチベーションを生んだきっかけも、経済の為の仕込みであるw
比較材料が明確な分、大卒者はよりコモディティー人材になるだろう。どうせ行くなら東大じゃないと価値無さそう。金がかかるスタンプラリーにしかなってない 傾向はより強まると思う。
そして、”大卒者を優先する” 普通な人事採用は、要は “タグを見て人を見てない” と言えるな。
- “人を見た上でこの人はたまたまた大卒者だった”
29:じつは特定の専門分野について、大学の先生が教えることには、あまり大きな価値はない。なぜならばそれらの知識は、すでにその分野においてスタンダードなものとなっているだけに、現在の企業が価値を生み出すコアの知識からは、数年から数十年の 「開き」 があることが少ないくないからだ。
まず、大学の役割とは何か?だが、各大学によって姿勢が違うかもしれないが
“現代で活躍する者を育成する場所”
と言える。
しかし、もうこの時点で現代の組織には必要ない者となる。何故ならば、現代はすぐ更新されるので、”数年前の定義の現代” では卒業した時点で周回遅れなのだ。数年前ぐらいであればまだマシで、教育内容が数十年前から変わってない部分も多いだけに、完全にアウトなのだ・・・w
と一緒だwww
30:一般的な大学の授業で教えているぐらいの内容は、やる気のある学生が本気で独学しようと思えば、1年間で学ぶ内容をひと月で終わらせることは十分可能だ。経済学でいえば、毎週1回か2回、先生の話を教室で聞くよりも、そのへんの本屋に行って、スティグリッツの本を購入して読んだ方がよっぽど早く最先端の知識を身につけられる。
これはあらゆる分野の学問について言える。大学 (学部生) で学べる程度の専門性ならば、本やインターネットを利用することで、誰でも学ぶことができるのだ。
⇒海外行っているAZZLOのカノジョ はAZZLOがあんま好きじゃない早稲田卒なのだがw 入試直前の2、3ヶ月だけ勉強して合格したって言ってたしなぁ。
よく言われる事だが
- 「勉強を教える・教わる」
ってのは、よ~~~~分からん日本語だよなw
- 「勉強の仕方を教える」
的な事が必要で、”記憶を頑張りましょう会” みたいな学校は要らないと思う。それは家で一人で出来る。
- “学ぶとは真似る”
とかも、よく見かけるので、どちらかと言うと
- 「共に学ぶ」(学ぶ行為を真似る為の元ネタ出さないと!)
が必要と思う。堅苦しく言うと先輩の “生き様” が見える事が必要だ。「教える事で、教える側も学びがある」 とかもよく見けるしな。
いわゆる勉強に軸足を戻すと
「何の記憶 (知識) が必要かを自ら気付く力 (知恵) を付けるコミュニティー」
とかだったらあっても良いと思う。それを学校や大学と言うならば、それはAZZLOも否定しない。
日本の勉強って、ノートに書き写すというシーンが多いが、コピーするだけならコピー機で良いと思うんだよなぁw
ま、書き写した方が記憶になりやすいとは思うので (筋力とシンクロした記憶は深く刻まれやすい) “記憶の為には真っ当な手段” とも言えるがw 必要な知識はタイミングで違うし (短期的対応においては)、10代で特定の分野を特定させるのは酷な課題だと思う。スペシャリストの為の知識は、もっと後でも良いと思うんだよな。
ま、”知識と知識の間にある何かがアイデア” とも思うんで、取り急ぎ詰め込みも一定の価値はあると思うんだが、その隙間に気づかなきゃ意味ない訳で “詰め込み (既に起きた事の記憶だけ) してれば OK” になりがちな点は、大卒者の残念なポイントだと思う。
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そぉいえば、AZZLOは小学生の頃、栄光ゼミナールと四谷大塚に二股かけて通わされていたのだがw (あと、そろばん、PCタイピング教室、近隣のお付き合いで英語教室、横浜の赤い靴劇場の子ども劇団員,バロック音楽として、祖父からピアノ、ヴァイオリン、他の先生にリコーダー、ハープ習ってた・・・。そして週末の夜は芝浦GOLDに行ってたので、小学生の頃が一番睡眠時間無かったw)
栄光ゼミナールの先生は、毎日教室があるビルの入り口で待っていてくれて、授業もインタラクティブで雑学も多くて楽しかったな。
- ・空いてる教室使ってかくれんぼ
・先生と共犯して教室を他の生徒と入れ替えて、入ってきた先生を挙動不審にさせるw
・先生が激怒 (するふり) して大声を出し、次の授業の先生が入室出来ない・・・w
とかやってたなぁ。今でもこの遊びに誘ってくれた先生の名前は覚えてるw 国語の林先生だ。黒板の字が綺麗で、今言える感想だが授業が物凄く論理的だった。他の先生の授業よりも 「お~・・・( ̄▽ ̄)」 と感じる事が多かった。
四谷大塚は、”黒板の内容をノートに写すだけ” の授業で面白くなかったなぁ・・・。大教室で展開が早いから、写すだけで必死だし、先生の声は耳に入ってなかった。
子どもながらに
- 「この人 (先生) 、今と同じ事何回もやってるよね?働くってそぉいう事なの?大人って夢ないっぽいなぁ・・・」
と思ったなw
31:私が知っている中学生にも、経済学の本をたくさん読んで、世の中の出来事を経済学的な観点から自分なりに分析して、ツイッターで呟いていた少年がいた。彼はツイッター界で人気となり、ソフトバンクの孫正義社長や、ジャーナリストの津田大介氏らとも交友を持つようになった。
しかしそんなことには、はっきり言って何の意味もない。著名人と知り合ったからといって、自分が偉くなったわけでも、人に誇れる能力を身につけたわけでもない。
⇒ま、それで踊れちゃう人は、死ぬ時に 「ン~~~?んんん???」 と思いながら死んでいくから、素養の問題だからなぁ。
著者はこの中学生に忠告して、そういった交友を辞めさせた (結果的に本人の意思で辞めた) との事。ある意味余計なお世話だが、先輩として愛がある忠告だと思う。
32:そもそもネットワークというものは、作ろうとして意図して作れるものではなく、自然とできあがってしまうものなのだ。「自分がどういう人間なのか」 によって、ネットワークは決まってしまう。
⇒フェイスブックの友だち人数や、著名人へのいいねによって自尊心を担保出来るのは、アダム・スミスの言葉で言う所の “弱い人” と言えるもんな。
そぉいえば、AZZLOに喧嘩を売ってきた偉くないおっさん は、
- 偉くないおっさん:「お前!フェイスブックの友だち何人居るんだ!!!!」
AZZLO:「ん~・・・・100人ぐらいですかねぇ。少なくても80はあった気がします」
(直後に確認したが、110人ぐらいだった)
偉くないおっさん:「q|゚Д゚|p・・・悪く・・・ないじゃないか・・・」
という会話があったがw 100人って平均的には少ない方だと思うので、よくわかんない会話だったなぁw
今、調べてみたら、会話当時の2011年で平均108人 との事なんで、まぁ指摘通り少なくはないみたいだったが・・・。
33:気をつけておくべきは、「他の人脈と重ならないネットワークを作る」 ということだ。自分がすでに所属しているチームの他のメンバーと、重なるネットワークを作ってもあまり意味がない。自分の社内や同じ部署だけでネットワークを作っても価値が生まれないのである。
- “AZZLOとコミュニケーションが多い人と、『AZZLOが居ない所で他の人がコミュニケーションを増やす』 と、さ~~~・・・と引いてる”
かもしれないな。プロダクションさんとの関係とかそうかも。(担当・住み分けが結構明確なので、そうそうそんな事起きないけど)
これは嫉妬ではないつもりで、むしろ遠慮せず割り込んで頂きたいぐらいなのだが
- “AZZLOとその人のコミュニケーションが、他の人も同様な状況を得たいという気付きになったんだろう” (「良いプレゼンがあのプロダクションとは出来そうだ」 とか?)
と思うからかな。超ナルシストかな?w 整理した考えではないが、大なり小なりある感じはする。(事実ナルシストの自覚あるしw)
34:彼らは 『Sに助けてもらった』 というつながりでお互いに交流するようになっていき、いつの間にかネットワークをつくるようになった。私が何かで困っていると、そのネットワークの誰かが勝手に助けてくれるようになり、それが結果的に自分に大きなテイクをもたらしてくれるようになったんだ。
⇒「短期的なテイクを見越したギブってどうなのよ?」 的な事だな。
AZZLOの葬式イメージの一つのパターンは
- 「この出席している人はAZZLOさんの知り合いだから、みんなエロい事が大好きなのだろう・・・( ̄△ ̄;) ・・・よってこの人達とエロい仕事が出来そうだ!!!\(*^▽^*)/」
と、出席者がみんなニヤニヤしているのが良いと思っているw それに近い話だな。
35:私の知っている人に、このネットワークの効果を使って、ふつうの保険のセールスレディの何倍もの売上げを立て続ける凄腕の女性がいる。彼女はさまざまな業界の中小企業を営業するうちに、「この会社の社長と、あの会社の社長を引き会わせたら、きっとお互いにとってよい影響があるんじゃないか」 とかんがえるようになった。
そして実際に紹介すると、そこで新たな仕事が生まれることが重なり、新規顧客を得ることができた社長からはたいへん感謝されるようになった。そして 「お礼に、君の保険に会社で入ることにするよ」 と社員や知人に彼女の保険を薦めてくれるようになったのだ。この紹介をもとにした営業手法により、彼女はあっという間にその会社でナンバーワンの営業成績をおさめるようになった。
⇒よく人的なネットワークって “オレが食いっぱぐれない為” で使うケースが多いが、本来こぉいう事だと思う。
そして人を繋げる際には、「貴方だから繋げた」 感は必須だよな。33番の “他の人脈と重ならないネットワーク” に習うと、”他の人脈と重なっているネットワーク” は有難迷惑だもんなw
36:「まわりにロクなやつがいない」 というのは、鏡に向かって悪口を言うのに等しい。自分の行動、態度を変えれば、まわりに集まってくる人も変わってくる。自分が置かれている環境は、少なからず自分が過去にしてきた意思決定の反映なのだ。
⇒ 「AZZLOは育ちが悪い」 という先輩 は、彼も育ち悪いんだろうな。同質にして頂くには材料が違い過ぎると思うが。
そして、AZZLOのココで良く書いている “組織批評 (ほぼ批判)” は 「まわりにロクなやつがいない」 言ってるようなもんだがw これは組織とお互いに認め合ってる?ようなもんで
- “AZZLOを育ち悪いとか、糞社員とする人を、チームワークの概念が無い糞生産者だと思うAZZLOなので、『どっちも糞じゃん!』 事象”
だなw ウンコのちゃんこ鍋だw
ただし、本来ウンコ同士は 庶民として涙を吹き合うのが、生産的な関係 (お互いの汁を吸い合ってより美味くなるちゃんこ鍋的に) であるハズだと思うので、「AZZLOだけ美味くなる具材です!」 的なのは寂しいんだよなぁ。
明確なAZZLO排除としてであれば、彼らはウンコじゃないんだろうか? もしくはAZZLOがウンコじゃないんだろうか?
・・・しかし “彼らのウンコ定義は彼らの方がむしろAZZLOよりも該当してたりする・・・” すなわち 「先輩の方がレベル高い (良い具材) っす!」 という、ごますり?・上を立てる? がココの “組織批評 (ほぼ批判)” という事かな・・・?w
37:しかし、選ばれてしまったのだ。だから持っている限りの力と勇気と知恵を使わないとだめなのだ」
38:アメリカの神話学者であるジョゼフ・キャンベルは、『英和と輪廻』 において、あらゆる神話は 「出立」 「イニシエーション」 「帰還」 の3つの要素からなると分析した。そしてさらにそれらを、次の8つの構成要素に分解し、「ヒーローズ・ジャーニー」 (英雄の旅) と名付けた。
1 Calling (天命)
2 Commitment (旅の始まり)
3 Threshold (境界線)
4 Guaradians (メンター)
5 Demon (悪魔)
6 Transformation (変容)
7 Complate the task (課題完了)
8 Return home (故郷へ帰る)
-読書感想- 未来記憶 / 池田貴将 (ヒーローズ・ジャーニーの指摘)
-読書感想- ゲーミフィケーション / 神馬豪・石田宏実・木下裕司将 (ヒーローズ・ジャーニーの指摘)
超セオリーだからな。
AZZLOのDJの流れも結局こぉいう事だったし。(DJやってた当時は自覚してなかったが) 特に 2007.01.20 Just Do It ! @ Gamuso なんかそうだし。
そぉいえば、某、話題になったCMがあって、「WEBで続編出しても面白くないからさぁ、プロモーション考えられない?」 という依頼に
- 「誰がCM作ったか分かんないけど、読み解くと、このCMは “ヒーローズ・ジャーニー” に則っていて、今は2番の “旅の始まり” 段階です。CMプランナーさんは今後メンターとの出会い等想定しているでしょう? プロモーションとしては “生活者と共に7番の課題完了” を達成しましょう。具体的にはスマホで・・・」
みたいなプレゼンを組織内でやったのだが、相談してくれた偉いおっさんは
- 「ヒーローズ・ジャーニーって・・・ナ・ニ・ソ・レ (゚_゚i)」
だったな・・・。あのCMってまんまヒーローズ・ジャーニーなんで、関与者が知らない事は無いハズだと思ってたんだが・・・w
- “知識ではAZZLOに負けるハズがない大卒者”
が、成り立たなかったので、かなり拍子抜けしたなぁw
※結局CMプランナーは外部プロダクションで、AZZLOのプロモーション企画は 「7番の課題完了に達すると終わっちゃう訳でw 続編が作れなくなるからやらない」 という事だった・・・w そしてCMはやはり “メンターとの出会い” な続編が出てたな。
39:2009年度の調査では、中国の上海が数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーのいずれの分野でも1位となったのに比べ、日本はそれぞれ9位、8位、5位と順位を下げている。この20年で中国は日本を抜きアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となったが、日本は経済だけでなく教育においてもすでに中国の後塵を拝しているのだ。
40:「子供たちはやる気がないわけではない。はじめから勉強ができない子はひとりもいない。先行きがわからないときに、”半歩先を照らしてくれる” 大人がいれば、子どもたちは自分で努力し、力を最大限に発揮しようとする」 (松田悠介)
41:「これまでの日本の教育は、工業化する社会のなかで、決められたモノを決められた手順で作るのに最適なスキルをもった人を生み出すためのものでした。しかしもはやそれでは、日本が立ちいかなくなることは目に見えています。これからの教育は、21世紀の世界を生きる力を与えてあげることを目的とし、それができるクリエイティビティとリーダーシップを持つ人を教師にしなければいけない」 (松田悠介)
- 「むぅうぇ~~~~・・・・・ぬぅるぅあえっ!!!!o(`ω´*)o」
とか言って、腕の角度とかチェックしてた学校の先生とか、ほぼ犯罪者だと思うわw
42:ある人は、この試算は間違っていると考え、現実逃避するかもしれません。ある人は奇跡が起こることを願い祈るかもしれない。またある人は、きっと別の誰かが解決してくれるだろうと、他人に頼るでしょう。しかし、このような重要な局面で、『自分の人生を他人任せにはできない』 、『成功するかどうかは不確実でも、自分自身の人生、運命は自分で切り開いていく』 と考える人もいるでしょう。
このプロジェクトには、そういうメンバーだけに参加して欲しい。
(日本交通再建にあたって著者が語った言葉)
⇒競合プレゼンだと、この手の葛藤が代理店内の人達で起こる訳だが
“『コレ面白いの?プレで勝てるとは思えないよ』 な内容を強制した上で、実際プレで負ける” ハンドリングはホント辞めて欲しいと思うよな。
43:ラベリングには、「自分へのフィードバック効果」 もある。人間とは、他人から 「おまえはこういう人間だ」 と規定されることで、自然とそれっぽくなっていく存在なのだ。
悪い例でいえば、日本の受刑者の再犯率は50%と高いレベルにあるが、その原因のひとつは、刑務所に入れられることで (犯罪人とみなされることで)、社会復帰することが困難となり、「食うためには泥棒でもするしかない」 とますます犯罪傾向を強めることになるからだ。
は、AZZLOを育てた先輩 によるラベリングなんで、ちゃんとフィドーバック返さなきゃだよな♪
AZZLOは恩を忘れない律儀なヤツなのだw もっと頑張るぞぉ ( ゚∀゚ ) \
44:たとえば出版社ならば、「本を作って売る」 というのが事業内容となるが、なぜ本を作って売るのかつきつめて考えれば、「コンテンツを通じて人々の生活を精神的に豊かにする」 「生活していくなかで人々が必要とする情報を提供する」 という二つが本質的な意義となるだろう。
紙に印刷して本という形に製本し、書店で売るのはあくまで手段にすぎないわけで、他の方法でより効率的に目的が達成されるならば、紙にこだわる必要はないわけだ。
⇒AZZLOはコンテンツビジネスの中で、出版社の方々はリスペクトする傾向が強い。要因としてはマーケティングが噛んでない “編集者の正義” を感じれる割合が他媒体よりも高いと思うからだ。
※マーケティングの固まりみたいな雑誌は少ないないがw それはそれで プロ 従業員の業として良い 仕事 作業だとは思う。
紙を売っていた訳ではなく、情報を売っていた訳なんだから、胸を張ってネットインフラを活用すれば良いと思う。
45:釈迦はもともと王族に生まれて、何不自由ない暮らしをしていた (間違った過去) 。
ところがある日、城の外で病気で苦しんでいる人を見てしまう。釈迦はその病人を見たことで 「自分は今は健康で豊かに暮らしているが、いずれ必ずあの人と同じように病気で苦しみ、やがて死すべき運命なのだ」 ということに気づく (イベントと心境の変化) 。
その結果、出家を決意して、僧侶となり修行の道を歩んでいく。途中、仲間とともに苦行をしたり、悪魔の勧誘にあったりしながらも、修行をすすめていく (行動)。
そして釈迦は菩提樹の下で悟りを開き、自分の教えを世界中の人たちに伝えていくことを決意する (結果) 。
⇒このように本当の偉い人、尊敬される人というのは、私利私欲ではない身を削った行動に繋がる “気付き” が起きるもんだと思う。
46:仲間を引き入れるためには、自分のビジョンと歩んできたストーリーを語る必要がある。つまり自分を 「自己開示」 しなければならない。自己開示を通じて、相手側の自己開示を促すようなストーリーを語ることができれば合格だ。「私はこういう人間で、こんなことをしたいと考えています」 という自己開示がうまくいけば、それを聞いた相手側も 「じつは私もそのことについて、こんなことを考えています」 と語りたくなる。
自己紹介の目的は、自分についてすべてを相手に知ってもらうことではない。そんなことが短時間でできるはずもない。自分についてもっと知りたいと、聴衆に興味を持ってもらえればそれで十分である (厳密に言えば、関心を持ってほしい人と、ほしくない人を分けるフィルターを作ることが、最上の自己紹介といえる)。
⇒AZZLOの自主的案件 では、マンガでやさしくわかる事業計画書 に習って “企画者 (AZZLO) プロフィール” を冒頭に入れた。
※そもそも全案件、体制図ではなく、全員のプロフィールを入れるべきだと思う。そして眠気と格闘するだけの偉いおっさんはプレゼンの場には要らない。その分、可能な限りプロダクションの人たちの顔も得意先に見せるべきだと思う。
- “得意先とプロダクションとのお見合いをセッティングするのが代理店”
とも言えるんで、本人が居ないお見合いっておかしいw
AZZLOプロフィール を簡略化しつつ、イメージを入れたペライチを含めた企画書を、結果的に 「オレは前向きだ!」 と力強く言った上で1ヶ月以上、音沙汰無しの営業 ( ̄□ ̄;) になっている営業に共有すると
- 営業:「な!・・・コレAZZLOぉ?」
AZZLO:「えぇ・・・ ( 「な!」 ってなんだよw) 関係ない人のプロフィール意味ないじゃないですか。僕ですよ。説明しましょうか?」 (簡単なプレゼンをした)
営業:「このページは得意先へのプレゼンでは外してもらうかもしれない」
っつってたな。ま、アポが取れたら “入れてる事のデメリット、外す事のメリット” を聞こうと思っている。
「 “中学中退” の明記はキツイよAZZLOぉ・・・」 であれば理解出来るがw その点は記載してないんだけどなぁ・・・w
47:モテることを自慢する人には、本当の恋人ができない。多くの異性に受け入れられようとすると、最終的には自分が本当に求めている人からは、相手にされなくなる。誰からもモテる人を目指すのは意味がない、ということだ。
仲間づくりにおいても同じである。
⇒度々引っ張りだしてきて申し訳ないが、チヤホヤ中毒・発情女子の 「浮気相手としてのお誘いはいっぱいあります」 っていう発言 は、起つもんも起たなくなるw 話だったしな。
48:「先生の教えている学生のなかでいちばん優秀な人に、『アメリカにグーグルという、これから世界を変えるすごい会社があるらしい』 と話してもらえませんか。先生にやっていただくのは、それだけでけっこうです。われわれはその学生に、グーグル本社のあるパロアルト行きのファーストクラスの飛行機チケットをお送りします。ぜひ先生が教える優秀な学生さんたちと、研究についてディスカッションしたいのです」
そのように頼んだのだ。
グーグルはそうやってアルゴリズムの計算において、天才的な才能を持つ学生に目星をつけ、世界中から 「青田買い」 していった。
⇒人事採用でお困りの方 はこれぐらいやってみればいいのにな。
49:グーグルのユニークな採用活動に比べて、日本企業の多くは今なお 「できる限り多くの学生を説明会に呼んで、そのなかで優秀な人材を何度かの試験と面接を経て探しだす」 という、昔ながらの採用活動を続けている。
しかし画一的なリクルーティングをい続ける限り、その画一的な採用方法に 「順応」 した人材しか見つけ出すことはできない。いわゆる 「意識が高い」 学生がいくつもの大企業の内定を得ながらも、入社した企業で仕事をさせてみると使いものにならず、1年も経たずに辞めていったり、企業側から言えばとっとと辞めてほしいと感じる新入社員が少なくないのも、採用活動と実際の仕事に必要とされる能力の乖離が大きいのが理由だろう。
⇒「僕、その場しのぎの好印象だけは得意なんですw」 と明確に言う若手が居たりするしなw
50:「そのプロジェクトがダメになったら倒産する」 「成功しなかったらメンバー全員クビ」 という緊張感があるベンチャー企業が行うプロジェクトと、大企業の 「まあこのプロジェクトが失敗しても給料は保証されてるから」 と考える社員が集まって行う 「新規事業プロジェクト」 では、結果が雲泥の差となることが珍しくない。
⇒2003年~2005年まで在籍した秋葉原の代理店に、入社した直後の最初の部会で 「どんどん業績 (自社運営サイトのアクセス数) が悪くなっている」 という報告があったので、クソ真面目なAZZLOは胃が痛くなる程悩んで、手動かせるサイトデザインリニューアルやら、新たな企画やら必死にやってたなぁ。そしたら
- 「そんな真面目に捉えるのAZZLOクンだけだよw 部長だってそんな気にしてないよ」
と、同年代の先輩に諭されたなぁw ・・・事実まず部長が退社したがw
- “給料は保証されてる”
であっても、より利益はあった方がいいので、色々やりたくなるもんなのが普通だと今でも思うけどな。”効率良いマネタイズ装置” があったら長期的には楽出来るし。AZZLOだって年齢と共に長時間ワークは頭は大丈夫でも体はキツくなるハズなのだ。
※そもそも心技体なので、長時間ワークは若くても体から頭へ影響はあるハズ。とは言え作業ではない楽しい仕事であれば、長時間ワークは悪い影響ばかりではない。むしろより楽しさは加速する場合もある。
51:これから述べる最期の基準は、絶対的な判断材料となる。この基準にメンバーが該当したら、絶対にチームから手を引かせないといけない。
それは、「倫理性」 だ。世の中には本当にいろいろな人がいる。平気でウソをつく人、法律を平気で破る人・・・・・・。こうした人に出会ったときに思い出してほしいのが、「ゴキブリ」 理論である。部屋でゴキブリを一匹見つけたとき、「たまたま一匹だけ部屋にまぎれこんだ」 ということは、まずありえない。実際には家のどこかに巣があって、見つかっていないゴキブリがたくさんいて、たまたまそのうちの一匹が見つかったに過ぎないのだ。
不正も同じである。一つの不正行為を見つけたら、その背後にはまだ見つかっていないたくさんの不正行為が潜んでいると考えたほうがよいのだ。
⇒代理店でよくあるのは “金の横領 (ちょろまかす)” かな。
昔に比べれば大分やり辛くなっているらしいが、今でもやろうと思えばいくらでもやれるシステムだと思うw
結局、金の面で利己的な目的がプライオリティー1番になっちゃう人は、そもそも組織人じゃないし、システムの対応ではどうにもならんと思うな。道徳の問題である。
そして、”選別した 人材 人財を信用しない” っていう事象もどうかと思うよなw
52:日本企業の多くは、新入社員に対してまるで大人になるためのイニシエーションであるかのように、「名刺を一日で50枚集めてこい」 とか 「ビルを上から下まで飛び込み営業してこい」 などといった無駄な仕事や研修をさせる。そういう馬鹿げた意味がないことをやっているから、勝てないのである。
⇒とりあえず筋力は付くなw しかし付き合わされる人達 (飛び込みされる人達) はいい迷惑だw 研修料払わないといけないなw
53:同業他社との情報交換会、業界横断的な交流会など、社内・社外に非公式なネットワークがきっと存在する。えてして公的な組織のなかで話されていることよりも、そのような非公式組織のなかで話される情報のほうが、本質的に重要で自社や業界の動向をいち早く捉えていることは少なくない。
⇒情報交換会・交流会に行ってもいいけど、その前にある程度は “自分の見解” みたいな事を整理しておく必要があると思う。見解とは “もやもや・疑問” でも良い。空っぽな人が空っぽの人と繋がっても何も起きないんじゃないかな?参加料からの主催者の儲けにしかならない。
54:自社だけの狭い組織で働き続けていると、「自社の常識は他社の非常識」 の状態に知らず知らずに陥っている。「他業界の常識」 については、その存在すら知ることができない。だが自分とまったく関わりがない集団に入れば、自然と 「外部」 の価値観を知ることができる。
⇒たまにあると思うが、”他社への研修出向” をもっと大々的にやったら良いと思うな。
- 「それで、その会社、業界に転職しちゃったらどうするんだ!!!」
という偉いおっさんの声が聞こえたがw 出向元の組織・業界に魅力があれば心配する必要はないんだよな。
55:「ゲマインシャフト」 と 「ゲゼルシャフト」 という言葉がある。
ゲマインシャフトというのは、地縁や血縁など、人間が生活していくなかで自然発生的に生まれてくる社会集団のことを指す。
地縁にしろ血縁にしろ、この関係は、自分が生まれた時点でほとんどが決まっている。そのために事後的に自らの意思で、それらを変更することも、逃れることも基本的には難しい。その縁を増やして行くことも、完全に消すことも困難である。(中略)
ゲマインシャフトに対してゲゼルシャフトというのは、「ある目的を持った人々が、その目的を達成するために集まった社会集団」 のことをいう。何かの目的があって作られるものだから、いくつもの集団に同時に所属することもできるし、その目的が必要なくなったり、組織がダメになったらいつでも解散したり脱出することができる。
私はこれからの日本において快適に働き、生活していくには、ゲマインシャフト的な社会集団にこだわるのではなく、ゲゼルシャフト的な集団をいくつも作り、複数のそれに所属していくことが必要であると考えている。
とゲゼルシャフト
- 「ある目的を持った人々が、その目的を達成するために集まった社会集団」
は、ちょっとだけ言葉違うけども、同じだw
“ゲゼルシャフトがないと文化は担保出来ない”
と言えるな。
56:家族との関係性で悩んでいる人は多いが、その理由は、その構成員である人々が 「母親」 や 「妻」 というひとつのアイデンティティしか持っていないことが大きい。女性が学校を出て就職し、しばらく働いたあとで結婚し、家庭に入る。そして母親としての役割を果たすことだけが自分の使命である、という社会の枠にはめられてしまうと、自分を評価する判断基準が、「子どものパフォーマンス」 だけになってしまう。
そのため子どもの学業成績が悪かったり、習い事のおぼえがよくなかったりと、自分が理想とするようなパフォーマンスを発揮してくれないと、全人格が否定されたような気になってしまうのである。
⇒そこで!!!昼顔 (不倫が題材のドラマ) 的な “女” というアイデンティティの確認に走ったりするんだろうなぁ。
男も、”父親” “夫” “上司” というタグ・アイデンティティでは自分らしく生きれないので、若い女子社員と密会するんだろうし。
※そぉいうのは社内ではなく、キャバクラとか社外でやる分にはAZZLOはまだ理解出来る。
故に出会い系サービスって、汚れている業種みたいなイメージがあるが、むしろ凄く人を助けているサービスだと思うw どこだったか忘れたが、エロいサービスと真面目な介護サービスを同じ会社でやってる会社あるし。風俗嬢も “昼は看護婦” っての少なくないしな。
57:自然発生的に集まった 「なあなあ」 の関係のゲマインシャフト的な集団を、目的がきちんとあるゲゼルシャフト的な集団へと転換していくこと。それがこれからの日本社会において、大切になってくると私は考える。
クラブ的なコミュニティーも、”なあなあ” ではダメだと思う。
「JDIはなんせ飲みの場所で始まった事だからさぁ」といつまでも言い続けるミノダ。「音と酒があって楽しいってだけで満足なら完結してるし、それでいいんじゃない?」としか言えない・・・。
なんだよな。クラブコミュニティーこそ、ゲゼルシャフト的集団だと思ってたんだけどな。・・・コレがAZZLOがクラブから離れた理由として非常に大きな理由だ。
AZZLOはJDIクルーに最後の希望として
- 「我々はクラブを過去のものにする道具を持っている。我々が構築したMONSTROSTEREO (”レコーディングスタジオの論理をPAシステムに昇華した” 的なサウンドシステム) だ。”なあなあ” のクラブを終息させない限り、ダンスフロアが無くなってしまう。故に僕らはやらなければならない!!!」
みたいな事言ってたんだけど・・・、終わったな・・・w
最近はEDMがかなり盛り上がっていてマネタイズも上手くいっているみたいだが、EDMの音としては好みじゃないが (そもそもあぁいうの昔からいくらでもあった) 場の作り等もろもろ、90年代的クラブから前進したから刺激があるんだと思う。
AZZLOの好みの方のクラブは、停滞を選んだので、残念ながら好みじゃないがEDMカルチャーの方が・・・ “一般的にはFRONTIERで、現実としてマネタイズもまとまった” というのは言えると思う。
58:いじめという現象は、村社会に代表されるゲマインシャフト的組織でおこる典型的な問題である。いじめは 「そこで暮らしていくしかない人たち」 が、自分たちの集団の 「同質性」 を確認するために、定期的にわずかな差異を持つ人を探しだして叩くという一種の 「儀式」 だ。
だから特定の人がターゲットとなっても、その人がその場から去れば、周期的に別のターゲットをランダムに見つけ出して繰り返し行われる。いじめの対象を見つけ出す理由は何でもいいのである。
⇒AZZLOは小学生の時に、軽い虐め?らしきものがあったが、「これが遊びになるなんて、お手軽な奴らだなぁ・・・」 と思っちゃったんだよなw
これは虐めだ・・・
に書いた事から、最近のAZZLOを紐解くと
- 「AZZLOに箸をあえて渡さない人が 『や~い!AZZLOは素手だぁwww』 と言っている人達が居る」
とも言えるな。あえて差異を作って優越感を得ているんだろう。
ま、それで彼らが楽しいならば別に良いんだけども (幸か不幸か?貢献出来てしまうw)
- 「素手で頑張るAZZLOを蹴り倒すのは辞めて欲しい」
というのが、常々AZZLOが言ってる事と言えるな。もう手の皮厚くなっちゃって、熱いもんでも素手で触れるように鍛えられちゃったので、彼らの尺度 (箸がないと熱いのはキツイ) では特に困ってないのだw そしてそう導いたのは彼ら自身である。
59:幸いにして今のところは自分がターゲットにはなっていない。しかし、いつ自分が標的となるかは分からない。だからなるべく目立たないように、他の人たちと同じように振る舞って、突出しないようにする。組織の同質性が高まっていく圧力は、そのようにして上昇していくのである。
この 「次のターゲットを明示しない」 というやり方は、絶対権力が支配する社会の統治システムにおいても巧妙に使われてきた。かつてスターリン政権下にあったソビエト連邦で暮らす人々は、全員が秘密警察に連行されることに怯えながら暮らしていた。秘密警察が市民を連行する理由はけっして明らかにされない。隣で暮らしていたふつうの家族が、ある日突然、一家揃っていなくなる。それを見た人々は震え上がり、「今度は自分たちの番ではないか」 「けっして当局の目にとまらぬように、おとなしくしていよう」 と胸に誓う。
スターリンが長期にわたってソビエトを支配した権力の源泉こそが、この 「予想の不可能性」 だったと言って間違いない。権力者がその権力を暴力的に市民に対して振るうとき、そのルールが明確になることは、権力を失うことに直結する。なぜならば 「処罰のルールが明らかになる」 ということは、それに対応することができるようになることを意味するからだ。もっとも怖い権力というのは、「処罰の理由が分からない」 社会なのである。
⇒ “AZZLOを 『育ちが悪い』 という先輩” の後輩を務めた人たちは、AZZLO以外は全員辞めたっぽいもんな (AZZLO以降の人は全員辞めた)。
この先輩は “自尊心をケアする為に後輩を利用する” から、みんな離れていくんだと思う。コレだな。
これは分かりやすいから避ける事が出来るw
そして、”「処罰の理由が分からない」 社会” は、組織にも適応出来る箇所があるな。
AZZLOの次に面談を受けた人が、「『 “お前はやる気が無い” と聞いてる』 ってだけで、また給料下げられた~~~。客観性ゼロだよ~(涙)」 と愚痴っていた・・・。
等は、根拠が不透明という事象だからなぁw ・・・。
60:ツイッターなどで他人に対して 「売国奴」 とか 「非国民」 といった言葉を使っている人々の発言を観察していると、彼らの多くがキャリアにもスキルにも誇るべきものがなく、人付き合いなどのヒューマンスキルにも乏しい人たちであることがうかがえる。(中略)
彼らはグローバル化する世界のなかで、自国でしか生きることができず、自国に留まらなければ生活できない。そのため自分たちの 「取り分」 が減ることを極度に恐れて、自己を守るために他社を攻撃するのである。
ナショナリズムに固執する人は、貧しい人が少なくなく、ほとんど社会のなかでは底辺に存する。これは世界各国に見られる傾向だ。なぜ貧しいとナショナリズムに走るのかといえば、自分に自信を与えてくれるものが、「国家」 以外にないからだ。
⇒中国や韓国等の、反日事象についてはAZZLOも、「ん~・・・」 とは思うが、結局、ダサい人はどの国にも居るんだよな。それは日本にも居る。逆に、素敵な人は中国にも韓国にも居る。
ジミヘンの
- 「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな」
だし、AZZLOの
が良いと思うんだよなぁ。
61:世界中から 「日本に住んでみたい」 と考える人がやってきて、肌や目の色が違う 「新しい日本人」 がこれからの日本を作っていく社会。インドからやってきた 「新日本人」 が武士道について語ったり、フランスから日本のオタク文化に憧れてやってきた留学生が、世界に向けて大ヒットアニメを製作するようなことが、当たり前になっていかねばならないと私は考える。
世界中から日本にやってきた人が、逆に 「純日本人」 に対して 「君たちは日本人のスピリットを失っていないか」 叱るぐらいになるべきなのである。
⇒純日本人は切腹とか特攻隊とか “自ら絶つ命に美徳を見出す” ので、そぉいうスピリットは消されちゃったんだよなw
とは言え、名残なのか?
に書いた中の
- “世界競技を間違えている (良い意味で馬鹿)”
は、今後も排除させないようにした方が良いと思うな。
62:日本人は単一民族だという説はまったくのウソだ。日本列島に元からいた住民たちに加えて世界から亡命してきた人が集まってきた、多民族国家だったのだ。
稲作 (水田耕作。陸稲などは縄文時代から日本で栽培されていたという説が現在は有力) や鉄器作りのような当時の 「ハイテク」 もすべて渡来人がもたらした。日本はアジア全体との関係から見れば、アメリカにおける西海岸的フロンティアだったと見ることができる。
⇒生活様式は多民族と言えるのかもしれないが、(”結婚は教会で葬式は寺” だったりとか) 生物としてのDNAは、かなり単一民族なんじゃないかなぁ?
62:東大や京大を出ようと、人はひとりでは何もできない。
そもそもグローバル化する世界のなかで、小さな島国のなかだけで通用する大学や会社の名前で 「勝った、負けた」 と言い合っていることには、何の意味もない。
⇒その点AZZLOは “中学中退” なので、その勝負に参加したくても出来ないのは良かったなぁw
言うならば、有名大卒者は “頑張って戦車を手に入れた” 状態と言えるが、AZZLOは “取り急ぎ槍らしきもの?を作ってみた♪” 状態www よって戦争に行かなくて良い状態だよなw
戦車手に入れても燃料と弾がないと何も出来ないからな。”ちゃんと作った槍” の方がまだ身を守れるw
63:夢を語りあうだけの 「友だち」 は、あなたにはいらない。
あなたに今必要なのは、ともに試練を乗り越え、ひとつの目的に向かって突き進んでいく 「仲間」 だ。
SNSで絡んだり、「いいね!」 するだけの 「友だち」 はいらない。
必要なのは、同じ目線の下で、苦楽をともにする 「戦友」 だ。
そぉいえば後付みたいになっちゃうが、昔っから “友だち” という定義がよく分からないんだよな。
- “実質友だちという雰囲気がするが、元々は会社の仲間で今は別々の会社にいる人”
とか、”元同僚” という言い方が多いし・・・。
AZZLOは、いわゆるカノジョの事を “今仲良くしている女友だち”(正確には “たまにセックスとかもする女友だち”) とか言ったりはするのだが (かなり女子から不評w) その女友だちとは仕事した事ないから “戦友” ではないし “仲間” っつぅには大袈裟なので、そんな定義になってくるのだが・・・w
現代だと “女” というのは 「女々しい」 等、ネガな解釈もあるので、カノジョ等の近い女性とは、まず “友だち” が成立していないと、いわゆる恋人にはなれど、パートナーにはならない気がする。故にAZZLOはあまり “彼女” とか “カノジョ” という言葉を使わないようにしている。
※この定義については、LOVE DUBの五十嵐さんに 「正しいけど、お前馬鹿!」 言われた・・・w
そして、フェイスブックで繋がっている人は “友だち” という名称になっているが、これも
- 「顔は知ってるけど、仕事一緒にやった事ないし、飲んだ事もないしなぁ・・・(戦友ではないし、そもそもよく知らない)」
みたいな人が多い。ま、特に申請断る理由にもならない感じなので、拒否してないけども。
-読書感想- 僕は君たちに武器を配りたい / 瀧本 哲史
と同様、かなり面白かった♪
大概続編は 「それ前に言うてたし・・・」 とかあるんだが、そんな感じしなかったし、タイトルが抽象的だが、それぞれタイトル通りな内容だと思う。
そして・・・
SNSで絡んだり、「いいね!」 するだけの 「友だち」 はいらない。
はごもっとも過ぎる・・・。フェイスブックは、”日常ネタの皮肉とんち” ( “リア充アピール・ぼやき” とは違う、いわゆるコンテンツ) みたいな投稿をする人のは、見たい気分もあるが、「おい・・・飲み行く前に、やる事あるだろうがよぉ・・・┓(;´_`)┏」 と呆れる事も少なくないのでw 取り急ぎ全員フォローを外した!!!
- 「この人は・・・ん~、友だちぃ?かなぁ?」
「この人は・・・今後戦友になる機会もある・・・かなぁ?」
とか、考えるのが馬鹿馬鹿しい事が分かったなw お互いに必要であればリアル (3次元) で戦友になるし、仲間だし、セックスする時はするのだ。
今は企業等の情報だけ表示されるRSSリーダー的になっていて、大分ノイズが少なくて良い感じ♪
AZZLOのフェイスブックでの投稿は、ココ、YOUTUBE見て良かったもの、TUMBRでやっているテキストクリップ的な情報、などをまとめる “精度低いライフログツール” として元々活用しているので今まで通りだが、是非みんな一度 “全員のフォロー外す” はやってみると良いと思うw
- 「AZZLOクンにはオレの・アタシの日常を監視・・・すなわちストーカーして欲しいの・・・(@’ω’@) ・・・その上でなんかコメント欲しいのぉ!!!゜(`Д´)゜」
という人は飲みの連絡下さい。その方がコミュニケーションとして濃いし肉体を持つ僕らとしては真っ当だ。
おいおい “肉体を持たない僕ら” (アルコールの酔の概念がないアカウント) も含めた時代が来る。今の原始的な時代は、そろそろ更新されるのだ。故にアルコールで酔える僕らだけでの時間は大事にしなければならないと思う。
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