2015年の広告会社―80%の広告マンが市場から消える / 植田 正也
2011/11発売。2012年2月頃の読書。
当時は
- 「さすがに3年後に80%無くなるは大袈裟だろう。しかし楽観的に捕らえても、2020年に70%程度にはなってそうだが・・・」
という気分だった。
- ・媒体問屋であるならば、既にコモディティー化されたビジネスモデルで、ネット系代理店なんかは媒体マージン1%で売ってたりする。
・いわゆるマス媒体も成長する要素は今のところはない。
・そもそも中の人も無駄なビジネスだと思ってる。
という点から、いずれにしてもそのままでの成長はないだろう。(ちょっと変われば凄く必要とされ儲かる要素はある)
AZZLOの見解だけでなく、他の人のネガティブ妄想も知っておこうと思いw この本を手にとった。
1:世の中には、成功する人と成功しない人と二種類の人間が明らかに存在する。その違いと差は、どこから生まれるか。それはつまる所、ただ一点、ただ一つの事象に尽きる。ものごとの裏にひそむ真実に気づくか、否かである。
⇒成功がなんなのか?が人それぞれだが、いずれにしても従業員 (国民) には気づかれると面倒臭いので “テストそのものを発見する気付き・必然性を失わせる” 教育があると言える。
2:真実に気づき、それを実行する人が成功する。会社も同じ原理だ。真実に気づいた広告会社は成功するのだ。気づかない人、気づかない広告会社は、成功を手に入れることができない。
⇒組織のトップが気づいている人で、トップ未満の人は気づかないトップへの従順な従業員であれば、ポジティブなワンマン経営として良いと思う。しかしトップも気づかない人である場合は問題。
3:「金に色はない」 などという考えは誤りだ。金には色があり、良い金と悪い金がある。広告は、良い金にかかわる正義でなくてはならない。
従って、消費者を裏切るような反社会的な商品やサービスを商売の道具にする企業は、世の中に存在する理由は、何一つない。
⇒裏切らないようにする事で “何も起きない記憶にも残らない広告” も多いので、バランスが難しいなw
そして、様々な正義は広告に限らないと思う。
4:広告は、ものをダイレクトに売りつけることが、いまや使命ではなくなっている。企業はこのことを間違ってはいけない。
⇒元々ダイレクトでもなかった気がするw 根本 “お知らせ” なだけで、買うかどうか以前に売ろうとしているかさえ微妙な広告も多いと思うw
5:志を持たない広告会社は、時代に翻弄されるだけだ。志を持たない精神的その日暮らしの広告会社に、明日を生き抜く力などは存在し得ない。
⇒広告会社に限らず、個人としてもそうだと思う。
会社に人格のようなものを感じたりするものだが、それは個人、特にトップの人格が反映されるものだと思う。
何をもってして “生きる” が人それぞれだと思うが、金を手にして良い病院でケアをして長生きしても、友達が居ない生き方もある。
6:(2008年クリエイターズ・オブ・ザイヤー賞について)
賞受賞者は4名。全員が電博ADKの3社からの選出である。兎に角、この3社は、ご存知の通り、いずれも工業社会型モデルにおいて頂点を極めた広告会社である。(中略)
この賞を選んだ審査員に問題がある。全員が、日本広告業協会から選ばれたベテラン審査員だ。これこそが問題である。(中略)
20世紀型広告モデル、工業社会型広告モデルの広告評価で選ばれているのである。(中略)
しかし、時代は変わり、消費者は変わり、広告の役割、機能も激しく変わっている。
いまや21世紀型広告モデル、知識社会型広告モデルの広告評価で選ぶ時代になっているのではないだろうか。もっとも、2011年になっても相変わらずこの賞は、20世紀型の賞評価基準で実行されているようだ。
⇒AZZLOは広告賞が嫌いだ。 受賞作品を見ても何も心が躍らない。嫉妬すら無いw
人だからしょうがない部分もあるが、審査員の偉い人たちが 「オレの過去を肯定してくれてる」 と感じる作品ばかりな印象。要は古臭い。
そもそもコンテストみたいな事って、無駄に業界を権威ある雰囲気にして、エントリー料を取って金儲けして、自分らの立場を守るものにしかなっていない 気がする。
偉いおっさんが 「ミーは偉いのでユーを受賞させてあげたのだ」 という自尊心のケアのためだけにある感じ なのだ。
本当にその業界が好きで健全に拡大したいのならば、審査員がまず自分らで探して、勝手に表彰するべき だと思う。
7:現在の広告会社のトップは、多くの人がAdvertisingで成功をしてきた人たちである。だから、成功体験を捨てることは難しい。もともと、人間はそれほど器用ではない。しかし、この課題をクリアしないと、広告と広告ビジネスの明日はない。トップの断行力だけは、ハッキリしている。そして、環境に適応したもののみが生き残る。広告会社はこの崖っぷちに立たされているのだ。
⇒そら過去を捨てるのは難しい所か無理な話。高学歴を身に付けたトップ自らが気づき、現代に適応するのは更に難しいだろう。
日本全体がそぉいう傾向だから、足並み揃えて停滞し、”てめぇが退職するまでは存続する会社” がフラグになるんだろうな。
そんな状態では、”足並み揃え” という概念が無いベンチャーや海外から全てを奪われるだろう。
8:はっきり言って、4マスメディアの媒体料金は、いまや高過ぎる。効かないとは言わないが、費用対効果を考えたら広告主は使わない。
⇒既に4マスは
- 「値段が高い事やったから大丈夫だろう」
という社内免罪符として機能してるしな。
- 「新聞出稿なら偉いおっさんが価値を判断出来る」
と明確に企業広報が言ってたりするし。
社内と流通対策として機能しているだけで、生活者不在な案件が大半だと思う。
ただしリーチだけで考えれば地上波CMはWEBと比較して割安と言えるケースも多い。
そして、マスメディアが価値を失ってきたというのは、環境変化による相対的な話で、絶対的には変わらないと思う。
すなわち、”知ってもらいさえすれば売れる” ロジックは、元々幻想だったと言えると思う。
9:広告業界に再び活況状況が来るのは、かつての活況状況とはまったく違った構造の上にしかやって来ないということだ。広告ビジネスの構造改革と経営モデルの転換をした広告会社の上のみにしか、広告の黄金時代は今後やって来ない。(もっとも、その時はもう、広告とは言わない世界であるのだが)
⇒これはあちこちで言われてる話だし、実際自分も中に居て強烈に思う事だ。そもそも “リタゲ” とか扱いはじめている時点で既に広告じゃないしw
10:グーグルのナンバー2であるニケッシュ・アローラも 「過去の周期的な落ち込みの経験から見て、回復基調に転じるには5~8年かかる」 と言っている。この言に従えば、2017年から2018年くらいまで、広告の活況は望めないと言っていることになる。しかも脱広告、卒広告が条件の上でだ。
⇒AZZLOの “2020年で色々と終わる妄想” は2017年辺りから明確になり、アタフタするも現状維持を大事にすると2020年には終わるという事が言えるな。
11:大手広告会社を始め多くの広告会社によく見られるような、引くに引かず、派閥闘争、いや、主導権抗争に時間を費やしているなど、以っての外の愚挙だ。いま日本の広告会社の社長は40代が最適だ。夏の時期を迎えている。40代が、力を発揮する時だと思う。理屈ではない。天の道理である。
⇒ま、何歳でも別に良いと思う。確かに60歳も過ぎると当然新しい事への対応や展望すら難しくなるのは誰しも同じ。しかし、その懸念要素を自覚していれば、60代~でも構わないとは思う。
12:広告を取り巻く環境が劇的に変わってしまったことによる構造的不況が原因だ、ということを頭にたたき込んで欲しい。この環境変化に広告界が対応したイノベーションを以ってしない限り、広告界の明日は100%あり得ないと断言する。
⇒そもそもBSやらCSやら、巨大マスであるテレビのチャンネルを増やした事で、マスが薄くなったのは間違いなくあるよなw マスメディアを薄まらせたのは自らだったと思う。
多分アメリカから 「チャンネル増やして課金しなよ!適度な価格で番組売ってあげるからそれでマネタイズ出来るでしょ?」 言われたんだろうなぁw
13:いま広告は、モノを即売り上げるのには、あまり機能しない手段になっている。広告主はこの前提条件を勘違いしているのだ。広告会社もそれは同罪である。
いま広告の直接の役割は、ブランドを育成、強化することにあるのだ。
⇒ブランド育成って非常に抽象的な事で、達成手段のパターンも無い。しいて言うなら “広告を出し続けて常に接点を持てばブランド育成” という、広告代理店と企業の免罪符に使われているケースぐらいかなw
それも一つの姿勢だが、例えるなら “毎日遅刻せず出社していているけど目が死んでいる先輩” に誰が憧れるだろうか?w
いわゆるストーリーという背景というか、最低限そぉいうのないと帰属意識は作れない。
14:21世紀の知識創造産業を担うとい心構え、理念が〇%
⇒知識労働という感覚すら無く、工業時代の肉体労働の感覚が根強く残っている場合が多いと思う。
- “右からお刺身が流れてくるのでタンポポを乗せて下さい”
というルール化出来る労働の名残りによる歪が多いんだよな。
“媒体問屋” はほぼ、タンポポ乗せに近い労働だ。それだけで食えるなら工業労働的で別に良いと思うが。
15:1990年代の初頭、ハーバード大学のビジネススクール卒業生で広告業界に就職を希望する人は一人もいなかったという話がある。すでにアメリカでは、20年ほど前に広告業界に対する不評の並が起きていたということが窺われる。
⇒・・・w
そぉいえば就活生が広告代理店のビルに居るのを見かけると
- 「ウチには・・・入らない方がいいよ・・・」
と囁く広告代理店の人が居るなw
中の人がオススメしない組織とは、なんとも寂しい話だ・・・。
16:よく、経済環境が悪くて広告主が広告費を絞り、使わなくなったと広告会社は言うけれど、これは大きな間違いで、単なる言い訳に過ぎない。実は広告会社には、広告主が求める商品、サービスが現在しないから、広告主は広告に金を使おうとしないのである。広告主は、とっくのむかしに、このからくりに気づいて、広告会社を信用しなくなっていると見ていい。
⇒
- 「電通を外したいからウチに声がかかった」
みたいな事ってあるな。しかし、広告主が欲しい商品が無い訳ではないと思う。結局新聞15段が一番価値のある媒体という認識の広告主は少なくない。
やはり広告代理店も広告主も、生活者不在で、自尊心のケアをしているだけなケースは多いと思う。
17:実は広告主が、意外に多くの間違いを犯している。この間違いが、さらに広告界を混沌と混乱に陥れている。金の流れは、力の流れで、広告主と泣く子には勝てない。気に入らないが、これは昔も今も変わらない仕組と構造だ。
だから広告主にものを言うことは、なかなか難しいものだ。広告会社は、面と向かって広告主にもの申すことは一種のタブーとされている。しかし、そんな時代は終わった。広告主と広告会社は、パートナーの時代に入った。
広告会社が広告主を神様視する結果、広告主は、自分達の間違いに気づかないものである。裸の王様になっていることが多い。
⇒www
AZZLOは得意先のオリエンに対して
- 「それでは金を無駄に使うだけで、代理店の営業が 『売上作った』 というエビデンスを得られるだけです。ウチはまぁそれでも良いんですが、貴方の出世する機会になりません。ですから○△□なこの企画で生活者と御社がお友達になって頂き、貴方を出世させて頂きます」
みたいな事を場合によっては言うw 得意先に直接言える関係ではない場合は、
- 「営業の貴方がコレでは出世しない」
とか言うな。
面白い事にAZZLOが言う事のほとんどは
- 「そうなんだよね・・・。それが真実なんだけどさ・・・。」
という返しだ。
18:CyberAgent Mission Statement
インターネットという成長産業から軸足はぶらさない。ただし連動する分野にはどんどん参入していく。スケールメリットは徹底排除。「チーム・サイバーエージェント」 の意識を忘れない。本音の対話なくして最高のチームなし。採用には全力をつくす。有能な社員が長期にわたって働き続けられる環境を実現。若手の台頭を喜ぶ組織で、年功序列は禁止。
法令遵守を徹底したモラル高い会社に。ライブドア事件を忘れるな。ネガティブに考え、ポジティブに生む。自分の頭で考え、オリジナルを創り出す。世界に共通するインターネットサービスを開発し、グローバル企業になる。
⇒サイバーってやたら人の入れ替わりが激しいイメージがあるが・・・w
少なくてもチームを目指す為の手段を列記しているのは良いと思う。
19:かつて電通の吉田秀雄は、電通鬼十則の中で 「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」 と言っている。仕事は、天から降って来ないのだ。
⇒従業員の従業する規律は、本来コレだけで良いかもしれない。
しかし多くの場合は “要らん作業を明確化して処理に追われる事を仕事とする” 事が多いな。
某若手は
- 「ホントは工場労働な仕事がしたかったんです・・・」
と言い、自ら
- “タバコの火が消えているかどうかをチェックする仕事”
を作り、タバコ部屋に来て指差し確認をしている。
真面目だとは思うが、組織が金を払う必要はないと思うw
20:哲学を持ってM&Aは実行すべきだ。そして、経営のプロが介在しないと成功しない。M&Aを仕掛けた方も、された方も共倒れになる危険性が高い。
ミクプランニング、創芸、国連社、セブンシーズ、明通、スタ通、協同広告、創広、有楽通信、読売広告社、アイベックス&リムズ、大広などの例を見るまでもない。特に、どちらかの破綻を救うためのM&Aは奨めない。また、単なる規模拡大のためのM&Aも避けるべきだ。
⇒Ohh・・・w 名指しで言われとるw
21:ブランドは、マーケティングの一環として、人々の心の中に作り上げられる 「消費者、生活者の思い出の物語、宝物の入った小箱」 みたいなもので、この思い出を消費者や生活者の心の中に作るのがブランディングである。
⇒ま、帰属意識のケアだろうな。
22:21世紀の広告会社の大仕事は、この企業、つまりクライアントの抱えたブランディングに関する問題を解決することになる。これは、これまでのタイムやスペースを媒体社から仕入れて、広告主に売り、その口銭を取るという生業とは、大きく違うミッションである。
従って、広告主のブランディング戦略支援を展開できない広告会社は、21世紀に存在理由がないことにもなる。しかし、この自覚に欠け、右往左往しているだけの広告会社が実に多いのが、いまの日本の現状である。
⇒媒体メニュー資料を “企画書” としてご紹介する事を “提案” と言ったりするしなw この掛け違いは非常に多発していると思う。
いわゆるメディア提案だけでなく、”キャラクター版権利用提案”(キャラクタータイアップ) みたいなのも “どう利用するか?” が無く、単純なメニュー提案なケースも多いと思う。
“有りモノ横流し” は企画ではないと思う。
23:想い返せば20世紀の広告活動は、広告主の問題を解決するという観点に一度も立っていなかったのではないか。結局、Client Insightには想いが行かず、Agency Insight一点張りであった気がする。もちろん、それはMedia Insightでもあった。ましてや、Consumer Insightなどなかったのだ。
⇒AZZLOの言う “生活者不在” はコレだな。
24:営業がフィーに対して無知なために、作業の初動の段階で広告主ときちっと課金の方法について話がなされないまま、仕事が開始されてしまう傾向が、諸悪の根源であるようだ。
⇒媒体問屋のままで、”WEB上で話題になる施策” を提案し、媒体を買う必然性が薄いのでマネタイズが出来ないという矛盾が発生したりするなw
制作案件においては “100万の案件を90万で仕入れて10万の利益。それに3ヶ月費やしてもOK。何故なら売上が上がったから” という感覚の営業が多い。個人のサイフではそういった事は無いのに、何故か仕事だと疑問も感じない事に対してAZZLOは全く理解出来ない。
金を必要とするのは、スタッフであるAZZLOよりも、営業であるハズなんだが・・・。
WEB中心のスタッフで良く言うのは
- 「こんなんじゃ客先に行く電車賃にすらならないwww」
である。
広告主も、”製作案件も媒体と同様の10%管理費で請求されるのは、媒体が少なくても数千万あるからだ” という事は知っておいて欲しい。
媒体がなく、製作のみで製作費10%は完全に代理店は赤字なのだ。
25:ストラテジックアカウントプランナー(現在の営業、AEの進化系)
コミュニケーションディレクター(現在のCD、ADを進化させた人)
この二人を21世紀型の広告会社は今後、不可欠とする。逆に言えば、この二人を持たない広告会社は相変わらず広告主の信頼を得られないまま、奴隷のような20世紀型広告会社で留まるか、消えてなくなるかの、どちらかである。
⇒奴隷言われとる・・・w
AZZLOは3人によるチームが好きで、この2人に代理店のメディアプランナー、もしくはプロダクションの技術にも精通しているプランナーが居るのが良いと思っている。
営業が、「客はこう言っている」 という得意先の言葉そのままのフィードバック (伝書鳩) で留まらず、「故に客が必要(決定出来る)なのは○△□の雰囲気のものは可能性ある?」 と昇華して欲しいと思うな。
ただし、よくあるパターンは
- 「客は和食が好きだ。だから刺し身定食を出そう!」
となり提案をすると
- 「いつも和食なんで洋食の提案があったので洋食にしました♪」
ってな事が発生するw
この推測も含めてストラテジックして欲しいと思う。
- 「もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。」
というヘンリー・フォードの名言はあまりに有名なんだから。
26:『憂鬱でなければ、仕事じゃない』 を読むと分かる。広告界が学ぶべきモデルは、案外、広告業界外に存在するのかも知れない。
「現場でぶつかり合い、自分達が好きなものをつくって、みる人に提示したい。お客さんに合わせてマーケティングでつくったものには、限界がある」
広告界がいま突き当たっている大問題の核心を突いている一言だ。真意は、広告主に合わせるのではなく、消費者に合わせることだと言っているのだ。
生活者に見て頂く、特にWEBのインタラクティブな装置だと “参加して頂く” 必要があり、彼らの手間を借りて達成する必要がある。
よって、
- “自分らが興奮するようなモノでない限り、人にお誘いは出来ない”
と思う。
“広告はラブレター” 論理で言うならば、「デートの食事がファミチキ・・・」 という誘いが多過ぎる。
- 「お前ら、今が旬のタレントが出てくるCM見りゃ買うんだろ?」
「お前ら、取り急ぎAKBが出てくれば買うんだろ?」
「お前ら、ダンス動画撮影して投稿したいんだろ?」
「お前ら、リアル謎解きゲームしたいんだろ?」
という感じの企画は、生活者を馬鹿にし過ぎ。
生活者を馬鹿にするという事は自信の事も馬鹿にしているという事。「自分を愛せない者は人を愛せない」 みたいな名言ってあらゆる人のであると思うがそれと一緒w
- 「楽しみをお教え差し上げたい (一緒に楽しみませんか?)」
というポジティブな上から目線が必要だと思う。
広告業界は “古き良き広告を真似することで満足する” 状態にあるように思う。ジェフ・ミルズのようにバックスピンして、やってるDJだけが満足する的な感じがする。
“企業の御用聞き” で儲かるならばそれでも良いと思う。しかし “儲からないで疲弊して面白くもない” のでは、転職出来ない人しか残らない。
いずれにしても、”企画・ご提案” という事を広告代理店は摩り替えている気がする。
27:広告マンは全員がシンボリックアナリストになることが最終的なゴール、目標である。
①営業マンは、Acount Planner(AP)へ
②クリエーターは、Creative Director、またはCommunication Directorへ
③マーケッターは、Futuristへ
④媒体マンは、Cross Media Plannerへその他、人事、総務、法律・法務などは少数精鋭となり、処理はアウトソーシング組織となる。とにかく、広告会社のいかなる部門、職能も何らかの形で変わらなくてはならなくなる。いまのままでは、通用しなくなる。
⇒既に外資系の会社だと総務は外注してたりするしな。
AZZLOは、”AZZLOはAZZLO” なので、肩書は業界的にわかりやすければなんでも良いのだが (とは言え組織内ヒエラルキーと定義は利用するがw)、とりあえずクリエーターとかクリエイティブとかという言葉を、広告業界は、あまりに安っぽい使い方をするので、自分は使いたくないな。
Cross Media Plannerってのも好きな定義じゃない。クロスするという事は、一時的に接点は持つが、離れていく意味でもあるからw
この中だと “Futurist” が一番好みだな。実際やってる事は、
- 1:アホな妄想をする。(Futurist)
2:プロダクションさん(Creative Director)が乗ってきてくれたら嬉しいw ※大概みんな乗ってくるのだが、最近はみんなエロ表現ばかりする様になってきてしまっている・・・w
3:無理くりビジネスに摩り替えて (企業が決定出来るように翻訳して) プレゼンするw (Strategic Planner)
ってな感じで、1と3をAZZLOがやっている。2に進む前に3を想定して2がどうなろうが、辻褄があう検証はする。営業には3のアドバイスとネガ取りをお願いしたいと思う。
28:広告マンは、本来最もクリエイティブな人間であるべき職能である。ところが、いまは思考が停止したのではないかと思えるほど集団痴呆化している。考えない、稼がない、動かないの 「3ない」 人種になっているのだ。一方4マスメディアは、広告の大幅減少に苦しめられながら衰退の一途を辿っている。日本でも2015年には、この現象が起こる可能性がある。そんな中、大変だ、大変だと声を上げて、業界内を走り回っているだけの広告マンが激増している。広告業界の闇は広がるばかりだ。
⇒最近は以前ほど “この先ヤバい感” は出てないな。つまり集団痴呆化しているという事だろうか。
AZZLOは2009年から、ビッグデータ・ライフログの話を組織でした上で、ほぼ全員 「俺ら要らなくなっちゃうから嫌だ」 的な反応なので
こんな感じの気分だ。
“かなり偉いおっさん” にも話したのだが
- 「AZZLOはSF作家になれば良いんじゃないか?」
という感想だった。
業界を自分らが仕切れてるなら、拒否しても良いだろう。しかし社会もそうだし業界全体がそっち方面に明確に向かっている。AZZLOの妄想段階ではなく、もう現実なんだよな。
29:一番生産性の悪いのが経営陣だ。ほとんどの広告会社の経営者が、リストラの問題に手をつけない。自分をリストラしなければならないからだ。いま広告会社の経営陣は、社員の生産性を高める前に、自らの生産性を高めることに手をつけるべきだ。とにかく広告会社の役員は、数が多過ぎる上に、高給の取り過ぎだ。
⇒未来を描き、追従したくなるリーダーであれば、数が多くて高給で別に良いとは思う。そうでないなら要らないw
ポジティブな影響力によっては、役員が月収1億でも全く問題ないと思う。
経営者に対して労働組合が 「お前の高い車を売れ~~!!!」 とか抗議したりするらしいが、その程度の事に目くじら立てる必要は無いと思うw 嫌がらせをするならば 「お前の子どもは友達が居なくなるぞ~!」 じゃないだろううか?w
AZZLO的には日本の経営者、雇われ社長も含めだが、報酬が少ないと感じているぐらいだ。もっと報酬を手にした分、ポジティブな影響力を期待したい。
会社規模にもよると思うが、社員1人につき、社長報酬が年100万とした場合、10人の会社で年収1000万。100人なら年収1億。そんぐらい別に良いと思う。社員1人につき月8.3万だ。月の営業日を20日とした場合、1日4150円。通常それ以上の価値があるのが、経営者だと思う。
30:究極、生産部門の月あたり一人200万円の粗利額の設定が目標値である。一人当たり年間2400万円の粗利額を稼ぐことだ。この結果によって、給与の配分を考えていけばいい。もちろん配分方法は、相応の工夫とアイデアがいる。恐らく一人当たり月額200万円の粗利額目標設定方式の採用ができている広告会社は、現状ではほとんどないだろう。今後、この考えができていない会社は、倒産予備軍の可能性が高い会社と言える。
⇒AZZLOの家系の近い人はほとんどが自営業なので、子どもの頃から常に損益分岐点の計算をするクセがついている。会社員やってるのはAZZLOぐらいだw よってAZZLOは月100万程の利益があれば、悪くないというざっくり計算をしている。という事は10%マージンで考えた場合、年1.2億の売上は必要だ。それも全て一人で完了した場合の計算となるw
上記基準を達成出来ているWEB中心のスタッフは居ないだろう。よってなんで代理店にWEB部署 (企画・製作)があるのかが分からないw
代理店のWEB部署 (企画・製作) はどこの代理店も持つだけ赤字だろうと思う。(今の業務内容・マネタイズシステムであれば)
31:シンボリックアナリストとは
(1)自ら問題を発見できる人(Problem Solver)
(2)自ら問題を解決できる人(Problem identifier)
(3)発見、解決できる人を知っている人(Strategic Broker)の事だ。
⇒2番3番が出来る人は多いが、1番はある種パイプカットされる世の中だから、そうそう居ないだろう。2番の手段が1番と相性が良いだけで、1番を達成したとすり替えてるケースもあるな。これはAZZLOも陥る場合もある。
32:いま広告界は、80%の意気消沈組と20%の意気軒昂組に二分されている。
各社各様で事情は違うのだが、恐らくこの20%組が、21世紀を生き抜くグループであろうと思われる。もうそこは、これまでの広告の世界ではない。
20%組の経営者と社員を見ていると、まだまだ広告会社には未来がある。
その結論は、「これまでの経営モデルでは、どんな広告会社も生き残れない」 という一点の共通の時代認識があることだ。
⇒AZZLOは明確に今の組織構造の上で媒体問屋のビジネスモデルでは食えないと思っている。その上で “ビッグデータ (ライフログ) 仲介屋” になると、途端に食えるようになると思っている。今までの蓄積は活かせるハズ。よってAZZLOは20%組だろう。
そして、「そんな事したら俺ら要らなくなる」 と短期的な保身のプライオリティーが高い人は、長期的に保身出来ないと思うので、仮に今 “媒体問屋に意気軒昂” であっても80%だと思う。
33:広告ビジネスは、もともとベンチャービジネスである。常に危険と向き合って成り立つビジネスなのだ。これからも、ベンチャー性は変わらない。
だから広告ビジネスが、保守化したり、権益を守ったり、冒険をしなくなったり、チャレンジしなくなったりしたら、その時は終わりだ。広告は、今日から明日に向かうビジネスである。しかも、若さのビジネス精神が売り物のジャンルだ。過去を振り向かない、過去にしがみつかない、これを身上とするビジネスである。
⇒自分らが居る “業界” も、元々小さな “市場” だった と言えるな。 だな。
34:ひたすら上司の顔を窺い、内部の売り上げや人事にうつつを抜かし、むかしの愚にもつかない成功体験や自慢話に明け暮れていてはならない。こんな精神状態から、明るい未来など生まれる訳がない。革新にはいつもそうだが、「明るく、朗らかに、生き生きと、勇ましく」 の心構えが必要なのだ。
⇒まぁ、そういった人たちは “自分だけ逃げ切る” なんでそうなるんだろうが、AZZLOがココで書いてるのは、「逃げ切れないから!!!」 なんだよな。
余計なお世話なのだが、AZZLOのネガティブ妄想はほとんど当たってきている。とあるおっさんの嫁が自殺するのも当てた事ある・・・w
逃げ切る事に必死よりも、”逃げ切れない事を前提とした上でどうするか?” が必要だと思う。仮に個人として逃げ切れたとしても、葬式には誰も出席しない。
中堅の忠犬さんが 「あのハゲおやじの無駄な展望に付き合ってやりゃいいんだろ!」 とか愚痴ってたりするが、そぉいう似非忠犬よりはAZZLOは面倒臭い奴だが、アラート出すだけ偉いおっさんに優しいと思うw
35:売り上げ800億以下の都市型中堅広告会社とハウスエージェンシー(電博ADK以外は、全て中小広告会社と言った方がいまは正しい) が、二者択一を迫られている対象広告会社だ。
東急エージェンシー、朝日広告社、JR東日本企画、NTTアド、クオラス、大広、協同広告、毎日広告社、読売広告社、オリコム、日本経済社などだ。しかし考えてみると、いまこれら中小広告会社の中でインディペンデントは、売り上げ高ベスト50社で、新東通信、新通、ビデオプロモーション、オリコムの4社くらいしかないことに気づく。つまり、天下りの社長が親会社から来ないのは、この4社ぐらいである。ということは、いまのほとんどの中堅広告会社の社長は、独自の経営判断ができないということになる。
⇒Ohh・・・w また名指しで言われとるw
36:若さとは、生物学的年齢だけではない。Young at heartだ。マーケティングコミュニケーションビジネスは、心の若さを失った人間は、引退したほうが賢明である。また、年は若くても、50歳を超えて萎えたハートの持ち主がいる。新卒者に告ぐ。これからのコミュニケーションビジネス業界は、そんな若年寄の来る所ではない。
⇒面白そうな若手が稀に居るが、やはりそういった人たちから辞めていくな。 そして辞めなかったとしても面白そうだった若手が普通のおっさんになっていったりしているな・・・w
“出来る人から辞めていく” という言葉が既に社訓のようになってるしな・・・w
“広告黄金期の真似をするのが今の広告代理店” だったりするから、歴史を学ぶには良いとは思う。
37:多くの広告会社のトップが、いまや広告主の所にわざわざ出かけて行って広告主の問題に深く関わることもなくなっている。この逆のケースもまずない。どこかが狂っている。と言うか、ビジネスの原点を忘れている。広告会社のトップは、広告主の所に出掛けていくのは義務だ。広告会社の社長は、いつからそんなに偉くなったのか。これでは、広告会社がいま倒産するのは当然である。広告会社の社長が陣頭指揮を取らずに何をすると言うのか。広告会社の社長になるということは、陣頭指揮を取るということとイコールである。
⇒客先に行くが 「御社は私が育てたのだ」 という自慢話を得意先の若手にして、煙たがられるぐらいなら、行かないほうがいいな。
得意先の若手からすると 「あの代理店には自慢話に散々付き合わされた。だからオレが偉くなったら、もうあの代理店とは仕事しない」 という感覚になるだろう。
38:20世紀の広告ビジネスの繁栄は、自助努力ではなく、他力本願のビジネスモデルの上でこれまで成り立ってきたのだ。そう、私の師匠の梶祐輔がよく言っていた。ただ単に広告は日本経済成長の並にただ乗りしていただけ、と言っても過言ではない。
⇒ま、とは言え上手く乗ったというのは1つ価値があるとは思う。ただしそれは電通だけの話で、他は電通のパクリだ。
39:経営モデルは、代理業から問題解決業へ、そして、広告マンはシンボリックアナリストへの変身が求められている。広告会社という呼び方も、もう、ふさわしくなくなっている。はっきり言って、もうすでに広告会社ではないからである。いま仮に呼ぶとしたら、これまで使用してきたがインタラクティブ・フル・ソリューション・サービス会社、Interactive Full Solution Service Company が、新たな名称にふさわしい呼び名だという気がする。確かに座りはあまりよくない。しかも長い。しかし、当面、妥当なネーミングだろう。
⇒「金持ってるオレは偉い。だから大声で自慢出来る!」 ジャイアンロジックが、まかり通っているから、媒体問屋にインタラクティブはやはり無理な感じする。
得意先企業もそろそろ 「今回はジャイアンごっこやりたい!」 という時だけに相談するのが広告代理店だろう。
40:C・オットー・シャーマーは、組織学習と変化を阻む四つの障壁があると言っている。この症状は一種の病気だ。この病気の兆しがあったら即、治療する判断をしてもらいたい。そして、この病を心身から追い出し、難題を突破することである。
① 見たことを認めない(認知と思考の分離)
② 思ったことを言わない(思考と発言の分離)
③ 言ったことを実行しない(発言と行動の分離)
④ したことを見ない(行動と認知の分離)恐らく現在の広告マンの前には、実行を阻む山のような事態があるだろうが、これをブレークスルーして初めて大事が成就できる。行動を何も起こさないと、物事は変わらない。
⇒なんか小学校の授業みたいだなw
そぉいや最近 “自分で 『やる』 と言ったのにやらない人” が続出してるな。そら人だから忘れたり忙しかったらプライオリティーは下がったりするのは当然なんだが・・・。
幼少期ではある程度マトモな仕込みをし、その後不条理な仕込みをして、燃費悪い人生を歩ませ、居酒屋等の飲食店で愚痴を吐いて頂き、経済を回すコマとして生涯を終えて頂く為の全部仕込みな気がしてくるw
読書感想文を書き終えた今、2015年はもう来年だ・・・w
本のタイトルから “2015年に80%の広告代理店の人達はリストラにあっている” と捉えていたのだが、 “80%の仕事内容が変わっている” というのが本質で、変わらないならば、そら食えませんね!という話だと思う。
伝統工芸なら守りぬく事も大事だが、新しい技術等の手法オリエンテッドを必要としたりするし、そもそも社会の変化が早くなっているのに “媒体問屋” という6.70年前からのビジネスモデルを “今のまま” 残す必要はないと思う。・・・というか無理。
媒体問屋部分は、全てGoogle Adsenceの進化版みたいな管理・発注ツールが絶対に作れるハズ。理屈上可能なものは全部作ってきちゃったのが人間である。遅かれ早かれだ。
この下部部分にあるオレンジの部分が媒体問屋の領域をほとんど自動でやってくれるようになる。もう分厚い媒体資料を持って 「タイムが・・・スポットが・・・レクタングルバナーが・・・うんちゃらかんちゃら・・・」 というような事はしなくてよくなる。
今でいうところのDSP配信が、上記の初歩段階だろう。DSPが今のままで留まる事があるはずがなく、より効率よく変化していく。
DSPが進化するもの、そうでない所から発生するもの、あらゆる側面から上記のようなシステムが構築されるハズだ。
ま、そうなったら “媒体メニューのお知らせ” も必要ないという事で、完全に従業員のみで回るようになるな(一時的には)。それも良いかもしれないなw
いずれにしても、アイデア募集 等は絶対に不可能な組織が確立されるだろう。
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