はじめに
世の中的には今更な事をAZZLOのブログでも書こうと思う。
-読書感想- 高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人 / 勝間和代
に続く、”学歴疑問記事” だ。
この記事を書けるようになるために、会社員をトライしていたとも言えるのだがw “いわゆる高学歴の人達がこれといって何も出来ない” 矛盾を大分整理して書ける段階に来た。
高学歴な人がイケてるケース
逆に高学歴な人達がイケてる事を先に書いておこう。
と言えると思う。ただし
- 1:目的があった上で一時的な不条理を受け入れた(狙ってやってる)
2:不条理かどうかはよく分からないけど、筋トレしてた(分かってない)
は同じ高学歴でも随分と違う点は明白だ。この記事で書く “使いものにならない” 者は主に2番を指している。
とは言え、両者ともに言えるのは、”論理的コミュニケーション” は比較的担保されていると思う。いわゆる “ビジネス共通言語・思考” は体得している者が多い。
大学の役割
まず、大学の役割とは何か?だが、各大学によって姿勢が違うかもしれないが
“現代で活躍する者を育成する場所”
と言える。
しかし、もうこの時点で現代の組織には必要ない者となる。何故ならば、現代はすぐ更新されるので、”数年前の定義の現代” では卒業した時点で周回遅れ なのだ。数年前ぐらいであればまだマシで、教育内容が数十年前から変わってない部分も多いだけに、完全にアウトなのだ・・・w
大学とは “金がかかるスタンプラリー” でしかなくなっている。 スタンプラリーなだけにやはり筋力だけは身に付くのだw
本来必要なのは
“現代を見据え更新出来る者を育成する場所”
であるべきだと思う。
このコアがあまりに致命的なので、ここでこの記事を終える事も出来るぐらいだ・・・w
親が子を低く評価する末路
そもそも現代において、20代前半で生涯追行出来る “やりたい事” を明確化させるのは酷だとも思うが
“実力やセンスが無いからこそ、記憶だけで対応出来る学歴を必要とし、高収入が得やすい組織から受けて、内定上位の組織に入社する”
という現実も多くある。
「お前は何者でもない。だから最低限学歴ぐらいは無いとダメだ」
と言って育てる。
すなわち “コンプレックスからの努力” である。もちろん若い段階でコンプレックスを自覚し努力するのは良い事ではあるが、彼らのコンプレックスは勝手に植え付けられたもので、自ら気付いたものではない。
その結果、致命的pt2が浮き彫りになるのだが
- “知識に盲目になり、知恵の存在を忘れる”
- “努力し難易度の高い実績(高学歴)を得、大企業に就職したのだから、オレはもう平均以上で合格だ”
となる。入社後は全く努力しない者となるケースが多い。人生の採点が “大企業入社” であり、達成したらもう採点済みとなるという事だ。入社後何をしようと既に合格なので、時間経過と共に堕落する者も多い。
貨幣経済を回す為のロジックに翻弄されている
何故こうなるのか? 全ては “現代を更新されると面倒臭いミラクルスーパーワンダフルハッピーグレートスペシャル偉いおじさんの思惑” がある。
- “年収1千万ぐらいで、家族を持って住宅ローンを払い、生涯を終える。これをエリートという上位者の生き様とする”
と定義し、達成出来る手段を用意 しておく。手段はある のだから、達成出来ない者は “失格者” となり、”合格者” の自尊心をケアし盲目化 させる。
自尊心がケアされるだけに、金以外のビジョンを持つ機会を得にくい状態となる。
- 現代を更新出来るかもしれない者を、必ず年収1千万程度で留まらせておき、家族を担保に資本主義の駒として生涯を終えて頂く
のだ。1千万で足りないのであれば、それ以上の獲得も可能にはなっており、同じレールをより深く進む事も可能だ。
トップがこの現実を踏まえた上で 「年収1千万だけ出せば作業だけしてくれる奴隷が手に入る」 と考えているのならばOK♪ お互いに利害が一致しやすい。本来この形が健全だ。
しかしそもそも トップ自身が “年収1千万で合格♪” の価値観であれば、もう成り立たない だろう。合格者はいくらでも居るw 狭い組織の中でトップであっても世間は誰も知らないし尊敬もしない。よってより自らの価値を高める為に金を追いかける奴隷となっていくのだ。トップ以下も追従をし、結果、”現代を更新する者” は絶対に育たない。
そして年収1千万を目指した者は、達成した否かに関わらず、自らの生き方に間違いがなかったと自覚したいが故に、DNA的子孫にも同様のレールを敷く。
“金がかかるスタンプラリー” である大学に、金で対応する事が可能な事を “エリート家系” と捉え自尊心を加速させていく。
人の上に立つ事、すなわちリーダーという事、仲間と追行すること、すなわちチームという事を、知らぬまま、”人の価値は金” という意識のまま死んでいく。
処理班が欲しいならばエリートの活用法はある
多くの大卒者の発生理由・行末はこんな感じだ。
このレールに既に乗っている者が、現代の組織に必要だろうか?
“エリートを目指す・維持する奴隷”(処理班) が欲しいならば別に良いだろう。筋力だけはあるので使い道はあるw
しかし “現代の更新” (新しいビジネスモデル) 等を求めるのであれば、こういったエリートは良い働きはしない事が多い。いわゆる官僚主義になっているケースが多い。
エリートとは
“庶民が達成出来る上位レイヤー”
である。本質は “慰め” である。故に盲目的に追いかけてしまうのも仕方がない側面はあるが、庶民同士で足を引っ張ったり、威張ったりしても、所詮どんぐりの背くらべ である。どんぐり用の定規があちこちにあるというのも全て意図的に環境整備されている。
本来はエリート同士、庶民として涙を吹き合うのが、生産的な関係なのだ。
しかし自尊心をケアしたいが故に、DNA的子孫にも同じ道を歩む事を強制し、またそのDNA的子孫も同じ事を繰り返す・・・。というのがエリート家系である。親が子を思うロジックを利用した、奴隷システムが機能している事を “エリート家系” 等と言ったりするのだ。
更に、ヒエラルキー的に下の者に 「新しいビジネスモデルを作ったらギャラ上げる」 等と、組織内の自らの使命を放棄して “エリートとして自尊心をケアするしくみ” に依存する だけだ。
昭和の時代まではこれでも良かったが、もうそぉいう時代ではない。今でも政治が出来れば “自分だけは” 食いつなぐ事が出来るかもだが、成長はないし誰も尊敬はしないのだ。・・・結果、”葬式は儀式的に参加している部下達と、遺産相続手続きが面倒だと思っている家族だけが参加する” 形で生涯を終える事になる。
エリートが覚醒すれば最強
世の中の多くの人をdisってる記事になっているがw 冒頭に書いた通り、”筋力はある” のが大卒者だ。逆に言うと、“筋力があるだけに気付いた時は強い” と言える。気付く力は、もう学歴があろうがなかろうが、ある人にはあるし、無い人にはない。根本的な育ち、親・先輩・友人の影響である。
今は気付く力がなくても、気付くきっかけに触れると自然と力が付く事もある。大卒者でも若手はまだ改善出来る可能性がある。
- “知識は知恵で活用してこそ価値がある” という事を気付くきっかけがあれば、“大卒者の筋力で更新する技を持つ” = “最強”
となる。これが成り立つのであれば大卒者は価値がある。しかし知識獲得しただけの留まるだけの者はむしろお荷物となる。
学校はバカ養成所
ここまではAZZLOの偏見だがw 幼少の頃、ロータリアンであるAZZLOの祖父、祖父の友人である大学教授、政治家等は 「学校には行くな!あそこはバカ養成所だからだ」 と言われていた。AZZLOが中二病だから作り上げた偏見という訳ではない事は理解して頂きたいw
メディアでも報じられる学校の課題
さらに、この偏見に辿り着いた他の人の意見や事象を、この記事に残しておこう。順番は単純に撮影した日時順だ。
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