風営法がなんだって賑やかになっているが・・・。

Let’ Danceを見る

facebookでのDJ METALのリンクシェアから、Let’ Dance を見る。

現状、風営法によってクラブ等の “ダンシング” するスペースは25時以降は営業してはならないという法律に対して、署名運動が行われているという事らしい。先日a-lifeの偉い人が捕まった とかなんとかで、規制強化してるって事なんだろう。

正直第一印象は 「また季節イベントかw」 としか思わなかったwww 平日深夜にかなりMETALとディスカッションした のだが以下のような事を色々と考えた。・・・と三十路のボヤキ含みつつw 整理・追記を試みました。ボヤキなので多少過去の記事と同じボヤキも入ってるし、追記してるので、整理しきれてないですw

※自分は90年代の初期GOLD、MANIACLOVE+AUTOMATIX、2000年入ってからのBULLET’S しか (それも殆どがMANIAC LOVE・・・というかDJ WADAだけ)体験していない人間なので、ぶっちゃけ偏った古い経験の上での考えである自覚はある・・・w 他のスペースにも行った事は当然あるが、これら4店舗は他と比較して、その時代の “なんじゃこりゃ~~~!!!!” を強烈に実行していたスペースであったと思っている。

BULLET’Sは今も存在しているが、変わらず普遍的な “なんじゃこりゃ~~~!!!!” を特に気合無く実行していると感じているw

METALとのディスカッション内容を深掘り

Let’ Danceからの気付き

「ロック・ヒップホップダンス」も中学校の必修科目 (故にクラブ規制はおかしい)

が、どうも持ち出す材料が違うんじゃないか?と思った。

“クラブでのダンシングは同じ趣向をリアルタイムに他者と共有するが故に、ノンバーバルな会話を楽しむ” という点がカタルシスのコアだと思うのだが、学校でのダンス授業というのは、”柔軟な筋肉を作る・チームワークを経験させる” という名目としつつ、”楽しくなくても人と同調する事を頭だけでなく体でも洗脳させる。疑問を感じず同調してさえすれば怒られないという餌付け” だと思う。(ダンス授業に限った話ではないけどもw)

よって、クラブでのダンシングとは意味が違うどころか、むしろ逆であるw
Let’ Danceによる、この二つの同義設定を前提とするならば、自分が体験した90年代クラブはダンスカルチャーではない気がしている。(何カルチャーだったのか?を整理していくと面白いかもしれない。すげ~大変そうだが・・・。)

音楽家、アーティストを輩出し、新しい文化を生み出す場としてのクラブ、ライブハウスなどを守り発展させるために、次の事項を請願いたします。(規制対象から「ダンス」を削除してください)

そもそも “文化” の定義が何なのか?次第なのだが、自分は “複数人が目的を持って新たな刺激を創造し前進している様” だと思っている。

AZZLO的文化の解釈においては、クラブが文化であったのは、もう過去の話 だと思う。今は9割以上が “○△□の真似事” をするだけで満足しているように見えるからだ。

そもそも2000年代入ってすぐに「クラブ終わった」ってクラブ雑誌が書いてるんだし、老体に鞭打つようなクラブに対する思い入れは可哀想だw

言うならば、“その守りたいものは既に終わってるよ?” と言いたい。三十路バイアスが働いている点は自分でも自分を疑い続けて、常に検証を試みてはいるが、残念ながら “まだちょっとは現在進行形ですね?” と更新する事が出来ないで居る。

クラブが終わっている一つの証拠

これを裏付ける1つの事実としては、もう5年~7年程だが、「最近クラブにハマりました!!」 という若者に95年のMANIAC LOVEの生録を聴かせたら

「こんな事が東京で起きていたんですか!?・・・今クラブ行くのがアホらしくなります・・・」

という発言が出た事がある。

今のクラブだったら無くて大丈夫☆

気付く人はクラブが無くても、何かしらで気付くハズ。もちろん気付きやすい環境やマネジメントがあるに越した事はないが無くても大丈夫w 既存のクラブが続かなくても自然と人は未来を作るコミュニティーを作り始めるハズ だと思う。

前世紀に完成されているクラブフォーマットを今世紀に維持して “最先端” みたいな雰囲気を気取っている事で、逆にホントの未来を見えなくしているようにも思うな。

“世界に誇る” 日本のクラブ / DJであった

今のクラブは90年代クラブの表面的なコピーでしかない様に感じる。“肌の色が違うDJがブースに入っただけで大盛上がりする習慣の植え付け” は、戦後直後のギブミーチョコレートの焼き直し だと思う。”日本人劣等感” を植え付ける事が文化なのかしら??w

三十路の懐古主義なんだろうが、自分が体験したのは、外人にもリスペクトだが同様に日本人DJにも同等・それ以上のリスペクトと期待があったように思う。”世界に誇る日本のDJ WADA!!!!(とかKEN ISHIIとかDJ KRUSHとか竹村延和とか・・・)” であった。

今の感じでは “習慣” である

クラブが今のまま存続しても困る人は居ても喜ぶ人は多くないような気がする。大半がクラブ運営側の飯を食う手段が無くなるという危機感なだけで、文化だなんだとかいうのは言い訳だと思う。何故ならこの15年クラブに文化は感じなかった。90年代までの文化であった時代の真似事をしているだけで、”既に習慣になっていた” と思う。

“過去のイノベーションの表面を真似る事を文化” というならばOKだと思う。しかしおそらくは彼らが言いたいのはそうではないだろう・・・。

フォローしようとは思うのだが、“過去に対する憧れやコンプレックスを今現実に起きている事として摩り替えている。自分自身をも洗脳してなんだかよく分からなくなっている” と見えるのでフォローしようがないな・・・w

近年のクラブよりもニコ動の方が文化

もちろん素晴らしいDJ・演奏者のギグはいくつもあったのだろうが、”文化創出の場” としては完全にニコ動の方が今世紀に入ってからは実績がある。

“音作ってみたw” → “かっこいいから映像乗せてみたw” → “面白いからダンスしてみたw” 等の生活者同士のコミュニケーションと作品が生まれる環境があり、実力者にはプロデビュー(範囲が抽象的だが)として、明確な発信者の自覚を与える機会も作っている。ニコ動関係者のインタビューを読むと、この導線をより太くしていきたいという意気込みを感じる。

まだミラーボールが回ってるって…

その点、クラブは今だにミラーボールが回っているし、マネタイズも昔のままだ・・・w もう数年東京のクラブには足を運んでいないが、(ボノボには年1回ぐらい一瞬だけ中に入る事はあるが、あれはまた別枠だろう。そもそもあんまダンシングしてる人少ないし、スペース的に厳しいw) 今もさして変わってなさそうな印象がある。

YOUTUBEでクラブ系動画を見る

クラブには行かなくてもYOUTUBE等で動画は見る事はある。

ミラーボールは見当たらないがw レーザーバリバリは2000年頃からのトレンド だし、花火はむしろ原始的だしw (制御装置に開発費かかってるハズだが)そもそも2011年のSURGEONなのだが、10年前と曲が一緒 だw

3D空間投影とかがもっと普及していて当たり前なハズだと思うし期待したいのだが、2000年当時からさして変化してないのはどぉいう事だ? と思う。要は新しい事は行われていないし、このAwakeningsというスペースは90年代的美意識の完成形と言えるのだろう。

今世紀のクラブならば…

正直自分でも困るものもあるがw

・メインフロアーがプールになってる・・・。

・目隠して入場。目隠し取ったら強制退場・・・。

・必ず誰か知らない客同士で手錠で繋がれてしまう・・・。(異性と繋がれたらラッキー♪)

・床がMIDIパッドになっていて、みんなで踏んでビートを刻まないと音が鳴らない・・・。

等の 新しい体験と規律の提案があっても良い と思うw

もちろんこの Awakeningsの映像は三十路の自分としてはアガる のだが残念でもある。三十路の自分は今世紀のクラブ音楽なんて全く理解不能であってもおかしくない と思う。その時代の若者しか反応出来ない表現が行われていなければならない と思うのに、三十路が過去振り返りの導線上で楽しめてはダメ だと思う・・・w もうミニマルテクノなんて90年代的感覚のソウル・トレインと同じような感覚じゃないだろうか?

その点、こぉいう 「なんじゃこりゃ~~~!!!」と叫びたくなる表現 (5:30~が特に面白い) にたま~~~~~にぶち当たるから、クラブとかテクノとかには意識向けざるを得ないのだが、まぁその頻度が1/10000ぐらいになった感じがするw 要は クラブはプラットフォームとして現在進行形ではなくなった という事だと思う。

ニコ動の方が文化

一方ニコ動プラットフォームは、初音ミクを習慣に近いレベルまで持っていった文化的功績は事実 だろう。マッシュアップ的手法もニコ動が火付け役だろうし(その元はクラブ文化のサンプリング手法という見方もあるが)、最近は “個人生放送” という “生活習慣を産みつつある文化的状態” がある。

そもそも “コミュニケーション手法で時間軸を完全に壊した” ニコ動はLSD以来の発明とも言えると思う(結構本気に思う)

クラブは “言語化出来る上での体験” に変化がない

反面クラブは “作られたのは最近だが、10年前の曲と比較してどっちが新しいか分からない” 音楽を流しているだろう。ターンテーブルはCDJに置き換わったが、DJが楽になっただけでSPから出る音や体験は変わってない。

そんな状態でクラブが文化創出しているとか言えるのか???

クラブが文化であったのは、SUBLIME RECORDSがまだ水玉みたいなロゴでスローガンに “a new electronic attitude” って言ってた頃までなんだろう。いつしか無くなってたけども・・・w

※ダンスが紐付いているか?がニコ動とクラブの対比の1つの注意点だとは思う。自分は文化軸で対比させている。

本質を失わず役人が拒否しないプレゼンが必要

・そぉいえば以前誰かのブログかなんか(一般的にも著名人だったと思う)で “政府もクール・ジャパンのコンテンツとしてクラブ的なものを検討していたので僕がクラブに連れて行った” という記事を見た。

何故現場を見て政府はピックアップしなかったのだろう?それを現場レベル(クラブマネージャー)で自らに問いただす必要がある気がする。

「役人に俺らのクラブを理解出来る訳がない」

的な排除はただの言い訳だ。(って思ってるかどうかは知らないけども言ってそうw)

彼らは最終的に却下したかもしれないが、歩みよって検討した事実はある のだ。

例えるなら、「メアド教えて!」と異性に言われた際に、無視したり携帯メアドではなくyahooとかのフリーメアドを教えたのではないか?これでは関係性を深める事は難しいだろう。

役人とは育った環境が違うのだから、彼らの言語に合わせた共感を得る材料が必要だ。同じものを見るのにも見る立ち位置が違う。三角錐を役人が△と言うならば、クラブ現場側は○と言う場合があるだろう。故に 「確かに△です。でも斜め上から見ると△でもある事が分かるし○でもある事が分かるよね?」 というコミュニケーションが必要だと思う。

1000万署名あれば一定勢力として機能する感じがするが、たかだが数万人の署名では「クラブ無くなっても困る人は少ないのですね?」と言われるだけ だろうw そもそも今まで署名で何か変わったっていう事例あるのかしら?

「三角錐は○って思う人がこんだけ居るんだよぉぉぉぉお!!!!」って叫んでも、「申し訳ないけど、僕らには△にしか見えないんだけど・・・法律があるんでね。ごめんね。」って言われて当然だと思う。

彼らは自分らの任期のうちに「オレは○○を実行した!」という材料を必要としている。別にダンスだとかクラブだとかのネタそのものは何でも良い のだ。その彼らのモチベーションをこっち側に都合がよく働く種を撒く必要があるんじゃないか?

「クラブとか規制するよりも、『世界に誇る日本のコンテンツを広めたのがオレだ!』って言えた方がモテますよ?ね?ご協力しますよ♪」

みたいな真っ向力勝負じゃなくて、相手の力を利用する柔道のようなやり方を検討してもらいたいと思う。

やっぱり中年ばかりのクラブ

観覧記録 メタモ振替イベント「Typhoon Party 1」@代官山UNIT

この記事を見るとクラブダンシングに夢中なのは、アラサーアラフォーばかりの模様だw (少なくても自分が育った場所の延長上においては)

Tim Deluxに対する一節が今世紀のクラブの現実の様だw 正直まったく予想を裏切ってくれていないらしい。加齢による変化は様々あって当然だが、アンチがあった人達が既に “シンパシーだけ” を得るのが目的になっている様に見える な・・・w これではただの同窓会だ。クラブじゃなくて良いだろう。むしろ夕方にやって終電で帰れた方が有難いぐらいじゃないだろうか?

“朝までダンシング” の理由が見当たらない

朝までダンシングしなければならない理由がどこにもないなw 25時までだったら何を失うのだろうか?

“まずは朝までダンシングしてファミレス行ってCISCO行って友達の美容院行ってダラダラして帰ったらまた暗くなり始めてた”

的な遊び方も選択出来る環境が必要だとは思う。しかしこぉいう “極度の疲労の中、週末昼間の都心を歩く” 行為の必然性は自分でも論理的に説明しようがない・・・w 「だって・・・終電ないじゃん!」とかではないw しっかりした論理が必要だと思うな。

朝までクラブやってない方が文化が生まれやすかったりしないか?

ま、25時徹底厳守になったら、ファミレスでもなくマンガ喫茶でもない、新たな店舗形態が生まれるだろう。正直 そぉいう可能性を高めた方が文化と言える と思うw

クラブの現場の反応が無い

賛同人 がまだ誰も居ない・・・w(2012年6月5日現在)

ま、まだ情報更新出来ていないだけなのだろうけども、都内のクラブのサイトをサラっと見たところ、この風営法について言及していない。これでは “坂本さんとかが余計なお世話してる” という見方も出来なくない・・・。

オフィシャルで 「ウチも朝までやりたいです!」 と言うのは 「っていうか今現在朝までやってんだろ!はい。営業停止!」という導線が敷かれそうな感じがするので言い難いのはあるかもしれないw でもどっちみち営業停止が見えるのならば、意思表示はクリアな方が良いと思うな。

春だからDJするような市場に文化はあるのか?

“春の新生活DJ応援キャンペーン!” とか楽器屋がやったりする けども、文化なのだとしたら起こりようがないと思うw 習慣だからこそ起こる事だと思う。カラオケの様に既に習慣である事を前提としたマネタイズをクラブ側も追従しなければビジネスとしても報われないだろうw

「”習慣” なんだから “朝までやる”」という論理ならまだ分かりやすい

“普遍的な夜遊びの『習慣』として『朝までダンシング』はあって当たり前のもの”
というなら理解しやすい。しかし文化だ何だ言うのは突っ込みどころが有り過ぎる。

WADAは別軸

批判的な意見が多いがDJというよりはクラブ運営側に対するものであり、DJの中でもWADAは別だ。WADAはクラブが無くなろうが、”聴覚による新しい体験” を提案してくれるハズだ。逆に言うとそれしか出来ない人だw

自分がWADA断ちしているのは、”AZZLOの提案とは何か?” を整理・実行したいから。WADAから学んだ事はダンスミュージックをノンストップでかける事が快楽としての提案になるという事ではない。WADAも常にその点を自答しながら現代の “聴覚の提案” を試みていると解釈している。

自分はWADAに “アナルから手を突っ込まれ内蔵をぐちゃぐちゃに破壊された” 様な犯され方をした選ばらし人間だと思う。よっていつまでもWADAを追いかけているというのは、親離れ出来ない子である。そんな未来しか作れないWADAであったらWADAさんも辛いだろうw

WADAを追いかける事がWADAへの愛の実証ではないと思う。人の心が踊るという事はどぉいう事か?教えてもらったのだから、手法はなんであれ、自分らもトライし、その “感情の振れ幅” を体験・周知して、その振れ幅を知った人が新しい提案を試みる導線を敷かない限り、WADAの提案は、その瞬間のWADAのギャラにしからない。

※恥ずかしながら号泣しながら書いてる・・・w

宇川直宏

MICROOFFICEもDOMMUNEもダンスミュージックに触れる入り口としては、あって問題がないし間違っていないが、外タレが来日している際のおこぼれを流用して、”宇川コンテンツ” に見せかけている面がある。(違う側面があるのも理解している)

ここをもっと “宇川発コンテンツ” を強烈に出していってほしい なと思う。

METALの反応

・・・ってな感じで、METALと二晩facebook上で語った。

宇川君がTAKA-AKI的見解も飲み込むのであれば…

METALの意見で気になったのは

「運営側の意識も変わってきてるよ。音も良くなってるし。法律が言い訳にならない事もみんなわかってる。今回出てきた署名はポジティブなものだと思うよ」
「宇川さんはタカアキ君の意見をフィードバックしてるよ。だからこそ出てきて欲しいんだよね。つうか君にこそソコをやってもらいたいけど」

であるが、

「確かに近年宇川君に思う事はポジに変化してきたな。・・・って事は宇川君が居ればTAKA-AKIは必要ない って事だよねw」

という形で返したw

しかし宇川君とは2007年5月24日 以来会っていないしWEB上のコミュニケーションも何も無いのだが、どこでどうやってAZZLOの意見をフィードバックしているんだろうか・・・w

宇川君への期待

近年ずっと “アンチ宇川” を明確に自称していた。何故ならば上記の様に、”宇川発コンテンツ” が自分には見えず、MICROOFFICEもDOMMUNEも “ただ宇川君がクラブ界の巨匠として留まる為のツール” としてしか機能しておらず、特に未来の提案をしているようには全く見えていなかった。

宇川君の活動は “クラブは終わったので、次はこれで~~っっっす!!” ってな活動を期待していた のだが、“週末はクラブに行きましょう!なのでDOMMUNEは金・土はお休みです” ってのが凄くがっかり だった。

95.6年に新宿ATOMAGE(AUTOMATIX下のラウンジ・ギャラリー)で毎週一緒にDJして朝ファミレス行って、宇川君がサンフランシスコ、自分はパリに移住する際には、お互いの陰毛を交換した仲であるw 自分としてはお兄ちゃん的な感覚があるが、近年の宇川君のクラブ的活動は全く未来を提案しているようには感じていなかった。正直残念だった。

しかし最近ポジに変化したのは、DOMMUNEとか別にどうでもいい んだけど、“こぉいう生き方してもいんだ!?” という生き様に価値がある事が理解出来てきた。

教育は生き様でしか行えないと思うので、そぉいう意味で宇川君に対する感情は変化してきている。

“フェティッシュ・ボンデージファッションのAZZLO” は母である

METAL:「次がみたいよ。純粋に。」

とこの動画を貼ってきたw

確かに自分はこの現場に小学校4年生の時点で居たw MANIAC以前の自分のルーツであるのは事実。しかも母親がやっていた事だw そら当然今の自分を構成する教育として良くも悪くもw 重要な経験であった。

しかしこれは、自分がやったのものではない。母でもあるYUMI YAMAZAKIとSHINJI YAMAZAKIが提案したものである。 そして現在は小規模ながらも習慣となっている。少なくてもこの手の服は “あぁ!バブルのクラブでしょ?” ぐらいの認識はあるのだろう。

まぁMETALがどぉいう意図でこの動画を出したのか分からないが、少なくても自分はフェティッシュやらボンデージなんちゃらはやる気はない。儲かるなら知見やロンドンとの関係性があるのでやるべきだが、儲かるとも思えないw

※儲かる為の習慣作りがビジネス的に重要なのだが、ぶっちゃけ現代においては、バブルから20年経ったとは言え、まだ20年なのだ。ロンドンのフェティッシュシーンが超絶進化していれば、日本ディストリビューターとして機能するAZZLOをビジネスとしてやる意味はあるが、その価値があるようには思えない。

当時のAZZLOのAZZLO体はあの時代だったから

AZZLOがボンデージで “なんじゃこりゃ!!” だったのは、あの時代だから だ。今やったって “バブルっぽいね~懐かしいね~~” ってなノリでおっさんおばさんが反応するだけだろう。それは既に習慣になっていて、他の誰かがたまにやるのだから、AZZLOがやる必要は全く無いと思う!!!!

AZZLOだったら、クラブのメインフロアがプールだったり、そぉいう提案をしなければならないと思う!!!!!そして当時のAZZLOがGOLDと紐付いてクラブカルチャーの中として(も)活動したのは、”たまたま” だと解釈している。

カルチャーとダンシングは根本的には別

言い換えるならば、クラブカルチャーはたまたまダンシングが紐付いていただけであり、本当のクラブカルチャーの芯はダンシングとは根本的に紐付いていないと思う。

まだ力強く論理的に言えないが、やはりPUNK(アンチキリスト)じゃなければ提案でないし、死人(一時の経済を回す駒)と同然だと感覚的に思う。

もろもろ “習慣” になってる。それは文化ではない。

ビートが強い音楽が爆音で流れてるというのは、テレビ付けたらお笑い芸人がなんかやってるのと同じだ。習慣でしかない。 新しい提案ではないと思う。

※お笑い芸人のネタには、相当な企画力とプレゼン力があるとは思ってはいるが、視聴環境としては残念ながら、それは習慣だと思う。ダンシュミュージックも同様だと思う。

もちろんageha等は施設として素晴らしく、ダンスミュージックを楽しむ上でAwakeningsに近い快楽をもたらしてくれる空間だ。でもそれは現代においては “セオリーの上級” なんだと思う。

結局 “好き” の裏返しではあるのだが…w

まぁ、色々と考えるというのは、やはり自分はそこで育ったし好きなのだ。自分が魅了されない上にビジネス的にも上手くいっていない彼らにはもどかしさを感じる。(某大箱のボスは去年ガチ失踪行方不明になったらしいし・・・)故にボヤキも言いたくなるのだろう・・・。

自分はあらゆる人に、「規制でクラブはどんどん無くなって欲しい。どこを見ても何もない地平線しかない状態に一度なってから、やり直さない限り、CLUB AZZLOを作っったとしても “物理的に新しいクラブが出来た” としか生活者には見てもらえない可能性が高い。故に一度クラブは全部無くした方が上手く行くと思う」

という様な話を2005年ぐらいからしている。その準備としてMONSTRO STEREOの活動にモチベーションを持っていた・・・がそれもメンバーの意思と自分の意思にズレが明確化したので終わっているし、自分が関与を終えた後のMONSTROは休止状態らしい。

“音楽” だけで言えば自宅完結している

個人的には面白くないが、既に 自宅が過去に体験したクラブよりも音が良くなってしまった ので、音響設備という意味では別にクラブは全く必要としていない。空気振動を浴びるという意味では、全く比較にならないぐらい自宅は小音量だが、大きな空気振動を得る為に、音歪みまくりで不味い酒を飲むのに並ぶ様な場所は選択したいものにはならない。

そして、クラブに居る人間とそのモチベーションも、自分が行かずしても大体間違っていなさそうな妄想が出来ている様だし、人とのコミュニケーションという点からしても、新しい設備がある訳でもなく特にしずるプラットフォームではない。ハウルで客同士で話をしてみる等のコミュニケーションの方がずっと自分が体験したクラブと近いコミュニケーションがあると思う。

クラブを延命する様なコトはやらない

“MONSTROレベルの音響設備に人が集う” というコミュニケーション設計は、常設スペースで行いたいというモチベーションは強く持っているが、”クラブを延命する為” では絶対にやらないと思うw

今一度考えて欲しい

・・・みんなクラブが何故あんな中毒的なコンテンツ・スペースであったのかほんと問いただして欲しい。署名が上手くいったってただの延命にしかならないだろう。規制強化は季節イベントみたいなもんで、続くものではないと思うけど、”安楽死” させて無駄な入院代が無くなると思った方が未来は明るいと思う。

90年代の方が法的にマズい要素は強かっただろう。その時期に規制強化されてたら、様々なものが犠牲になったと思う。(逆にまだ今世紀も文化だったのかもしれないが)今だったら枯葉を吹くようなものではないかな?(ちょっと言い過ぎだけども)

“何かが無くなれば奥にあった何かが見える” と思えば、この機会を有効活用した方が良い と思うな。

※クソ長いエントリーをお読み頂きありがとうございます。

ダンシング、文化、提案・・・とか複数の要素が交差するエントリーなので、整理を試みつつも、とりあえず “感情ログ” として一度吐き出してみました。

「MANIACだけがクラブじゃないだろ!!」
「今は今で未来が生まれてるんだよ!!」

「お前視野狭いんだよ!!」

そんな思いを持つ人もいるだろうけどw そう思うのも事実。自分がこう思うのも1つの事実。立方体をどの面から見るか?で見えるものが違うのと同じで全てその面の正解だと思う。

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