-読書感想- ルールを変える思考法 / 川上量生

-読書感想- ルールを変える思考法 / 川上量生

2013年12月頃の読書。当時ニコニコ超会議3への企業ブース出展を某企業に提案しつつ、ドワンゴにもちょこちょこ相談に行っていた最中に見つけた本。


1:現実社会で行われている競争の勝者は、「ルールを決めた人間」 である確立が高いからです。人間の社会での競争とは、もともとそういうものです。

⇒AZZLOも 現状が崩れると不利益がある人=現在の権力者 ってな見解持ってるしなぁ。

そのルール決めた人が自らのルールで苦しんでたりもするっていう現代が面白いな♪

2:いまは、難関といわれるような高校や大学の入試問題にしても、「知っているか知らないか」 「覚えているか覚えていないか」 が合否を分けるベースになっています。そこを目指した日本の教育システムも、「知っているかどうかの勝負」 を前提とした知識を詰め込んでいきます。

そのため、ひとつのことを10時間かけて考え抜くといった能力には、なかなかフォーカスが当たらなくなっている。そして、そこにフォーカスし、鍛えるのに有効なものが、世の中にはそれほど多くは存在しないのです。

大卒者の不のループ の事だよな。

知ってるか否か?の情報は必要な情報がすぐ変わっちゃうので、過去の蓄積ってあまり意味無いと思う。気付くセンスがあれば情報の蓄積はそれほど必要ないし、むしろ過去依存 (懐古主義) の肥やしになる情報もあったりすると思う。

日本の勉強のシーンを絵に起こすと、大概 “書き写す” だよな。書くと記憶が多層的になるのは事実だとは思うが、紐付ける事が、”勉強した履歴の為の書き写し” であれば、ほぼ意味ないよなw

AZZLOのこのブログの様に、”その上でてめぇはどう思うか?” が必要な気する。大学では “レポート” ってのがあるらしく、そぉいう事をやってるもんだと思っていたのだが

早稲田大学というハイレベルな大学ですら、わざわざ盗用について説明せざるをえない状況らしいんだよな。

そして大学以降学びがない訳でもないハズ。”新入社員教育” とか、その組織の規律でもなく規則を記憶するだけの教育とかはあったりするが・・・。

新入社員教育みたいな事は、組織としての志の共有を徹底的にやるべきだと思うな。

3:ビジネスをする場合にしても、ゲームと同じように、勝つためにはまず 「ルールの検証」 から始めるのがいいのです。それを適当に済ませるのではなく、綿密に見直していけば、「変えたほうがいいルール」 は意外に多いことがわかります。

業界の慣習のようになっているルールはとくにそうでしょう。「とりあえずこうしておけばいい」 というように不文律になっていることなどは、前の世代が出した最適解をそのまま受け継いでいる場合が多いものです。

しかし、時代が移り変わって環境が変化すれば、既存のルールや決まりごとが最適解ではなくなっていることはよくあります。そうであれば、そのルールに従っているのは合理的ではありません。だからこそ、原理原則を見直した上で、ルールを再検証する姿勢が大切なのです。

ルールを疑われるとルールを作った偉いおっさんが疑われる事に繋がるので、そぉいう人を誘発しない為の教育があるハズ。

そもそも日本人は切腹やら特攻隊とか、命を犠牲にするのが美徳な感覚あったりするから、一歩間違えばテロ国家になっていた可能性があったと思う。故に 「GIME ME CHOCOLATE」 言ってれば下手な事にはならない餌付けが必要だったのだ。

そういった事をGHQが徹底的に根っこから焼却する必要があったんだと思う。

代替として高度成長期時代で日本人を平和ボケにさせたのだw

しかし、変化が激しい今、企業の寿命も短くなってきている訳で、平和ボケ日本人が競争力を失っているのは明らかだもんな。

そして組織においては、グループ会社でもないのに電通が今世紀のルールを作ってるのを待ってる ぐらい、権力に従順だもんなw 電通は組織を守る義務は全くないのだが・・・w

4:昔の子どもたちは、鬼ごっこや缶蹴りといった遊びをするにしても、「どうすればもっと面白くなるか」 「どうすれば、遊びをしている場所 (地理的・環境的条件) を活かすことができるか」 といった事を考え、ルールを変えたものです。そんなことをしてきた経験から、”ルールを変えるという発想” ” を自然に持つことができています。

それに比べて、近ごろの子どもたちは、あまりそうした経験をしてきていません。与えられた条件下でしか遊ぶことのできないコンピューターゲームに慣れ、「覚えているか覚えていないか」 が合否を分ける受験制度を強いられています。人を 「世代」 で総括するのはあまり好きではありませんが、「経験の違い」 がその後に作用する部分が大きいのは確かです。

⇒AZZLOの世代は中間世代かな。缶蹴りもしたしファミコンもした。そしてファミコンでも

“前面の外部コントローラー接続口に10円玉を挟むと魔球が投げられる”

的なのとかやってたなぁw

“タンテの上にガムテープを置いて、ガムテープの上にレコードを置く。カートリッジを上下逆に装着し、錘を外すと、反転したレコードをトレースする。すなわち安定した逆回転が出来る”

とか宇川クンに教えてもらってやったなぁw

コンピューターゲームについては、”ステータス上げに時間を費やす” だけのゲームはよろしくないと思う。任天堂の様にプレイヤー自身の腕が変化するのが快感も大きいし、知育として良いものだと思う。

5:ジブリの人たちは、「どれだけ成功しても、ひとつの作品を失敗したら終わりだ」 という危機感を持っています。そうして常に思考をフル回転させながら現在と向い合っているべきなのが、ビジネスというものです。

⇒多くの働いている人は “従業員” だから、ミッションがどうなるか考える必要が無いもんなぁ。

6:僕が常々思っているのは 「競争相手が出てきたら、そのビジネスからは撤退したい」 ということです。

なぜか?競争相手が出てきたとすれば、サービスの運営と、それを完成させていく過程のすべてをその相手に任せてしまえばいいからです。それでいて、自分はその便利なサービスを利用する側に回れば、これほどラクなことはありません。

⇒AZZLOの成功案件に対する

あまりこの案件に拘ると “昔のヒット曲だけで食いつなぐ演歌歌手” みたいで嫌だw 早く次のプラットフォームを作りたいと思う。(まず予算的にそうそうやれる案件なんてないけども・・・)

気持ちに似てる感覚だな。

7:現実に飽きたらゲームをやって、ゲームに飽きたら “現実のゲーム” で遊ぶ。そんな使い分けができるようになるのが理想ではないでしょうか。

⇒いわゆるゲームとかも全て “現実ゲームの中のゲーム経験” と言えたりすると思う。

8:アイデアを出すのが得意な人もいれば、それを実行につなげる方策を考えることに秀でた人もいて、現場でそれを実現する実行部隊がいる。現実的にはそういう構造になるものです。

⇒組織では組織内でそういった得意領域を踏まえたチーム作りは一切行われてないと思うな。

アイデアを出すのが得意な人は、CMのアイデアも出てくるし、WEBのアイデアも出てきやすい。逆に進行管理が得意な人は、CMでもWEBでもなんでも事故なく納品出来る。

組織でも過去に “考える人部署” “実行する人部署” の区切りを検討した事があるらしく、ある程度共感してたんだが、現実にはなってないよな。

※2014年の今共感するかどうかは分からないが。

9:宮﨑駿さんが考えた世界をみんなが協力してつくり上げていく。ある一人の考え方にみんなが信じてついていく。そこでは、個々のスタッフの自由度はおのずと低くなります。しかし、平均点のものではない 「突き抜けたもの」 は、そんな構造からこそ生まれていくのではないでしょうか。

みんながみんな、思うように作業を進めていたら、ノイズの多い作品ができてしまいます。そうしないためには、全員が全員 「舵取り役」 でいてはいけないのです。「みんなで考える」 という発想を持っていながらも、結果的に舵取り役は少数に絞られてくる。それが現実だということです。

⇒要は役割の明確化・住み分けがないのに、中途半端に “全員が主役” みたいな事をやろうとするとノイズだらけになるよな。

この点は、全員が自然に調和する規則じゃなくて規律が何か必要だと思う。

何で規律が生まれるか?は結局トップの空気感・オーラだったりはするんだよな。

10:余裕のある収益構造にできたときに、さらに健全な経営をしようと考えると、たいていはムダな経費を抑える方向にいきます。しかし、そこで “あそびの部分” がなくなれば、いいものは生まれにくくなる。ただのムダは、どこまでいってもムダですが、誰かが線引きをしながら “有意義なムダ遣い” をしていくことも重要です。

⇒この “どっちの方のムダか?” の判断は凄く難しいよな。

パッと見仕事してなさそうでも、誰かの相談役やってたりするってのは、よくある話だし。

とりあえず組織においては、”無駄かどうかを判断する人が無駄” という事にいずれなるだろう。そぉいう人増え過ぎで、判断するネタが自分たちの事にいずれなるw

AZZLOが判断するならば、AZZLOも含めてスタッフは要らないと思うな。

11:外部からエネルギーが得られるようになっていくサービスは、それだけ時代性を伴っているものであり、「正当な歴史の進化の産物」 ともいえるはずです。逆に、サービスとして完成しているにもかかわらず、放っておくと冷めていってしまうものは、歴史に逆行しているか、時代遅れの企画ということになるわけです。

⇒特にWEBは “新しくてナンボ” な要素強いしな。

WEBじゃない事でも、イノベーターは 「競合が出てくるのは歓迎!市場が大きくなるから!」 と言うしな。

12:「儲けることばかり考えていてはダメ」 というのは、道徳の話ではなく科学の話です。後先を考えずに儲けようとしているのでは、論理的に考えてサービスの継続が不安定になり、失敗につながりやすいということです。

⇒与沢翼みたいな成金とかそうだもんな。

ま、”狙った事を実現する” という軸では、ある意味与沢翼も立派だが。

13:「日本で使われる言語が日本語であり、日本の文化は特殊性が非常に強い」 ということ。そのため、海外企業の参入が難しく、日本独自のサービスがつくりやすいというメリットがあります。一方、それをグローバルな競争の場に持っていくのが難しくなるデメリットがあります。日本で受け入れられる文化も、海外では普遍性を持ちません。

言語と文化の両方が障壁になる。日本には、それだけ “腰の強い特殊性” があるのです。そうしたことまでよく考えながら、独自性のあるサービスを打ち出していく必要があります。その上で、日本のなかで勝負をするのか、世界に出ていくのかも決断しなければならないということです。

⇒故に非言語的な日本の表現は海外では称賛されやすいよな。

日本の特殊性・強みを考えると、「お・も・て・な・し」 ブームもあって

“日本はおもてなし精神があって海外からも称賛されている”

的な報道が少なくないが、ある側面の事実であるが、だからといって日本が素晴らしいかというと、そうでない側面もあると思うな。


海外では “ヨーデル調の議員” とか書かれてるのだwww 野々村竜太郎も非言語コンテンツだよなw

“どの側面を強みとして感じてもらうか?”

の精査は何するにしても必要だと思う。

14:「みんながやっていること」 に追随していたのでは、独自性が失われ、競争力が弱くなっていくと思っているからです。

独自性を持つ、独自性を保つ—-というのは非常に難しいことです。

たとえば、その独自性が 「お金で解決されてしまうこと」 、つまり 「他者が資本を投下することで簡単に追随できること」 であれば、意味はありません。そのことが真の差別化要因になった瞬間に、他者も追随するだけの話でしょうから。(中略)

そうしたことを考えると、独自性を保つ上では、明快で他者が追随しやすい差別化を行うよりも、何が差別なのか、ちょっと考えただけでは理解できないものであり続けることが大切だというのが僕の考えです。

⇒追従型であれば値段競争になるからな。

そして表面的な事だけパクらせておく、多層的な事が必要だと思う。

例えば

“なんでもいいから萌キャラ”

みたいな事は、周回遅れの表面パクリだと思う。

15:自分自身が理解できることであってもダメなんじゃないかと実は思っています。なぜなら、自分が理解できるものは、他人も理解できる可能性が高いからです。自分でもわからないものであれば、他人もわかりようがありません。

こう書くと 「それなら、めちゃくちゃなのがいいということか?」 と思われるかもしれませんが、それも違います。理解できそうで理解できないぎりぎりの境界線上に答えがあるというのが僕の結論です。「きちんと説明できないんだけど、正しいと自分が思うこと」—-これは人間は 「感性」 という言葉で表現してきたのではないでしょうか。

「感性」 のところまでいけば、競争が起こる可能性はかなり減る。感性の手前側、「難しい理屈ではあるけど、ちゃんと説明できること」 というのは、結局、説明ができることはできるわけですから、最終的には競争が起こって、しかもそれがだんだん激しくなるということから逃れられないのです。

⇒広告業界の競合プレゼンなんてまさにこぉいう事だよなw

パクるにもパクりようがないものが良いってな話だな。実際ニコ動のコメント機能は技術的にはいくらでもパクれるのに、導入してるのはFC2ぐらい じゃないかな?

なんか、須藤元気の言葉を思い出したな。




実際ワールドオーダーって、”だから何なんだよ!感” 強いがw その気持ち悪さ・突っ込みやすさ・疑問が人の関心を呼ぶのは間違いなくあるよな。

16:説明できないものを探してビジネスを成功させるというのは、簡単なことではありません。僕なりの考えでいえば、人間が理解できるかできないかのギリギリのところにあり、なおかつ微妙に説明がつかないようなところから、ヒット作は生まれると思います。僕は社内で 「ギリギリセーフではなくギリギリアウトを狙え」 とよく言います。むしろ 「理屈でやってはダメなこと」 をやったほうがいいのです。(中略)

逆に、みんなが 「これはいけるんじゃないか」 と口を揃えるようなプロジェクトでは、世の中的にはもう遅い。その時点で 「いまさら」 になっている可能性が高いからです。

⇒”説明できないものを説明できるように翻訳する” 的なのがAZZLOの仕事のモチベーションだなぁ。そして意識してるのは

「この範囲で遊ぼうね!」

というセーフかアウトかのライン作りをした上でプロダクションさんへのオリエンをする事だと思ってる。その範囲であれば、何をしても良いという “公園のエリアの規定” だ。その上で 「ブランコしてもシーソーでも何でも良い」 ってオリエンが出来ると良いと思う。もちろんAZZLO案として 「スカートめくり」 というのも入れたりはするがw

最近付き合いが長いプロダクションさんは

“スカートの中身が見えやすくなるブランコ”

とか開発してくるから、やりやすいんだよなぁw

17:突拍子もないプロジェクトに対して、「これはイケる」 と感じる人たちは 「先が見える」 タイプなのかといえば、そうとも限りません。それは結果論でしかなく、ここで 「イケる」 と考える人たちは、むしろ基本的には “勘違いしている人” といえます。

ただ、そのプロジェクトがたまたま成功した場合に限って、その勘違いが 「先見の明」 だといわれるのです。

⇒勘違いを実行出来る無知さ、もしくは線で繋がる点の認識は、いずれにしても実現しない限りは勘違いだからなw

代理店の場合、もう誰か線でつないだものを、”最新の線のつなぎ方だからパクりましょう” ってな話ばかりだよなぁ。ま、提案しやすいけども、

「こんなつなぎ方もありじゃん?」

ってのは皆無だよな。結局人気媒体の問屋やってれば食えてきたから、どうすれば人気なものが作れるかの精査は代理店は出来ないよな。
“プロモーション” 言うても、イベント・PR・WEB技術的飛び道具の活用であって、基本的に有り物流用であって、活用にも達してない感じする・・・。プロモーションも結局問屋な感じする。

18:ニコニコ動画を立ち上げる際にも、中核のスタッフのなかには 「これはイケる」 と勘違いしている人もいましたが、心の底から成功を信じていた人はいなかったはずです。当時、会社の中でも、ニコニコ動画のチームといえば、底辺に位置するように見える 「吹き溜まり」 みたいな集団だったのですから。

⇒ニコ動でもそぉいうもんだもんな。マニアックラブだってオープン直後は客が入らず3ヶ月で閉店間際だったしw

19:僕が見つけた答えがあります。それは、「コンテンツとは、わかりそうで、わからないものである」 という定義です。こう考えれば、すべての疑問が解決できます。

⇒テクノとかそうだもんなぁ。特にRelief Recordsとか。

これとか今でもよくわかんないよなw ま、当時 “よくわかんない系” 的定義としてよくわかってた気がするなw

AZZLOのコンテンツの定義は

“おしゃべりのきっかけ”

だな。その場合、”わかりやすそうで、わからまいもの” である可能性は高いよな。

20:わからないものをそのままにしておくのは危険なため、どこかで気にかけておく。そうなると、次に同じものに遭遇したときは 「これはこの前と同じものだ」 と判断できます。つまり、わからないものをだんだん理解していくのです。

そうやって、いったん理解したものへの関心は、時間の経過とともに薄れていきます。そのあと、ほかの部分へと関心を移していくのは、生存競争のなかで人間が獲得した特性なのではないかと思われます。

⇒AZZLOがクラブに刺激を感じなくなった事は、このように言えるよな。

21:これまで、ニコニコ動画に関しては 「運営者たちはいったい何を考えているのだろう?」 ということが、わかりそうでわからなかったのかもしれません。しかし、その状態を解消しようとするのではなく、維持することが大切なのです。

これは何も、僕やニコニコ動画のいい加減さを正当化しようという話ではありません。「コンテンツとは、わかりそうでわからないものである」 と定義すれば、そうであろうとする行為自体が “コンテンツの目的” にもなり得るということです。

⇒生き方の話になってくるなw そぉいう意味では、ニコ動は “ヌルパンク” ってな哲学かもしれないなw

良くも悪くも “初期衝動の勢いと何か間に合ってない様” が現在進行形として認識しやすく、自分自身も参加しやすくなるからな。

完璧なものを称賛するだけでは、面白くないんだよな。

22:僕の仕事に関する最大の問題は、「仕事へのモチベーションの維持」 だからです。僕は常に 「どうすれば、その仕事が自分にとって面白いものになるか」 を考えながら仕事をしているのです。

そのためのひとつが 「自分にとっての “物語” をいかに大事にするか」 というスタンスで仕事をやることです。

⇒ 経営者も “従業員” もフィロソフィーがあるからな。どうポジティブに組み込むかのトライはしていかないと、何でもつまんないと思うw

例えばAZZLOは、保守的な営業のバイアスでよくある自画自賛的広告しか出来ない時

“超保守的で自画自賛的お上品至上主義施策”

とかに振りきって、

「こんだけ広告的で既存ファンが歓喜するだけで、既存ファン維持にはなれど、得意先の売上げは上がらない施策も無いでしょう?完璧でしょ?」

としたりするんだよなw

23:コピーというものは、”静的な状態” に対して行うのが基本になるので、どんどん変化を続けていくものには対応できません。だからこそ、「更新や変化を続けていくコンテンツ」 というものは、デジタル時代、クラウド時代におけるビジネスの鍵を握ることにもなるのです。

⇒AZZLOが DJ WADAさんに 「僕はWADAさんの白黒コピーです。すみません・・・」 と言った事は、このように説明出来るな!w

今、追記すると、常にWADAに接していると、自分の中のWADAがパラパラ漫画的に動画的に見えるから、ちゃんとコピー出来ているように感じてしまうからこそ、WADA絶ちしていると言えるな。

そして、”成熟してるのに停滞しない男” とWADAを定義したがw 更新し続けるWADAさんをコピーは出来ないんだよな。

要はWADAのプレイとか曲とか表現という表面的な事 (それだけでも凄いんだが) のコピーでは、WADAを知った人間としては、WADAさんに失礼だと思ってたんだよな~。

表現においては、コピーのつもりが間違えてたりする事で新たなものになったりするが、ビジネスではその間違いが単純に劣化されたものになる事が多いよな・・・w

昔在籍していた某会社の社長の社訓に近い言葉は

「よそがやったらパクればいい」

であり、急いでパクるから不具合多いし、”安かろう悪かろう” で典型的な “疲弊した上で儲からない” だったなぁ。

組織もほぼ同様だなw

ビッグデータを電通が上手く使えるようにモデルを作ってくれた時には、パクれないモデルかもしれないし、パクれても知見がないから問題多発するだろう。
近い将来の現実は “ビッグデータマーケティング屋” みたいのに調査・仮説を作ってもらうという発注が増えるという事象になるのだろうが、代理店からすれば要は支出が増えるという事であるw

しばらくの間は、ビッグデータ屋はデータ屋でしかなく、現実を踏まえた仮説は作れないだろうが、おいおいCPUで自動連想機能が強化され、人の考察なんてあてにならない事になるハズなんだよな。

24:一般の社会においても、流通を押さえた組織が最も力を持ち、そこで寡占化が起きれば、ほかの人たちは苦労します。いま、ネット社会においては、そうした図式が、一般の社会以上に鮮明に出始めています。

たとえばネット上で電子書籍が購入された場合、その顧客情報はプラットフォームだけが管理することになり、コンテンツホルダーには情報が行かないようになっています。(中略)

こうして、プラットフォーム側だけがマーケティングの主導権を握るようになると、コンテンツホルダーがブランド力をつけていくのは難しくなります。

KADOKAWAとの統合 を示唆している様な意見だなw

ま、コンテンツとかクリエイティブって知らないからこそ起こる偶発物である場合もあるので、コンテンツホルダーはマーケティングしなくて良いんじゃないかとも思う。

レコード会社がマーケテイングしはじめたから、音楽への期待は減少した訳だし。雑誌がどれも似たり寄ったりなのも、マーケティングの功罪だしな。

結局どう転んでも最強のマーケティング論は

“人は知らないものには能動的に関心を持つ”

だと思う。

流通に関しては、既にいわゆるコンビニやスーパーなんかの流通そのものが、商品開発してるしな。

PB商品はデータを基にしてたりするが、今後、流通以外のデータ活用でも必ず起きるハズだと思う。1社の業務で得られるデータだけでなく、各社のデータを統合した “ビッグデータネットワーク” を構築してデータを多面的に分析出来る企業しか、マーケティング活動は不可能になるだろう。

このネットワークを電通が大規模に構築してしまったら、もう他店の提案は “適当過ぎる提案” となり、値段競争でしか太刀打ち出来ないハズ。

というか、電通もどうやらちゃんとやれてないっぽくて、システム屋が個別に企業に導入してるんだよな。

よって組織がパクる為の電通元ネタが発生しないまんま、コミュニケーションビジネスが進化しつつあるって事なんだよな。

これも “次の電通のビジネスモデルはパクれない可能性” だな。

25:民主主義のやり方で、最初にみんなが意見を出し合い、誰かの意見が採用された場合、意見が通らなかった人は面白くないはず。だとすれば、最初から意見を出し合うのではなく、面白いことを言う人間が一人いて、その人の話に乗っかるようにするほうが、全員がゲームを楽しみやすいのです。

意見を出し合うことは、ゲームの場合は必ずしも面白さにつながりません。みんなが 「きっと面白いだろうな」 「それならうまくいくはずだ」 と思えるようなこを提案したときに、みんなが自分の意思でそれに相乗りできるほうが、みんなの高いモチベーションが保てるわけです。

⇒組織はそれぞれの業務専門性で人を選び、プロジェクト始動したりするが、そぉいう人の区切りって違うと思う。全員が “やらされてる感” を持って渋々最低限の事しかやってない事が多い。要は労働力獲得の為だけの時間だ。

故に、組織ヒエラルキー上位の人の意見に沿うだけになっている。もちろん本来のヒエラルキーを前提とした経営者と従業員という関係においては健全なのだが・・・。

そうではなく、誰かの妄想が広く伝わるきっかけがあり、便乗する人はすれば良いってのが、良いオフィス環境だと思うな。もちろん “サボる為の悪知恵の共有” ではなく、ビジネスなので “金が動く可能性が高まる妄想共有” であるべきだがw

現状のいわゆる縦割りでは、下々が自らのリソースをどう活用するかの判断が出来ず、全て上位者からの指令がなければ始まらないので、”上位者同士での意気投合” がまず必要だよな。

自分で言うのもなんだがw

チームじゃない事を明確化したらむしろチームになった (*^o^)乂(^-^*)

の内容をタバコ部屋で雑談すると、今のところ全員むちゃくちゃ食付き良いんだよな。

久々に競合プレゼンした (σゝ∀・)σ

で作ったユル楽曲を聴かせて、大爆笑になるしw

ヒエラルキーや組織論ではなく “赤い血が流れる人間同士” のプライオリティーを優先した場合、AZZLOはポジティブな反応があった人達に

「じゃぁ一緒にやろうよ♪」

と言うべきだし、言いたいのだが、ヒエラルキー・組織論ではNGなハズなので、言えないんだよなぁ。(この辺無駄に真面目w)

故に

“偉いおっさんから、若手が能動的に動きたくなりそうな妄想を共有してみる”

※成人してからの成熟度は人それぞれだが、多分20歳でも60歳でも所詮人なので、パッション・モチベーションの矛先は大して変わらない。故に偉いおっさんの個人的妄想でも問題ないと思う。

“偉いおっさんが、妄想を現実にして、「わーいヾ( ゚∀゚)ノ゙」 となって、憧れる下々に 「チミも参加する?」 と言う”

が必要だと思う。

26:PC業界の始まりもそうなんだけど、新しい業界の始まりには、いろんなところから人がやって来る。そこにはバイタリティーと才能を備えた人たちが多いんだけど、生まれながらにその業界にいる人たちが増えてくると、その業界の活力というか、レベルが下がっていくイメージもあるんだよね。

⇒なんでも慣れるし、ある段階から攻めではなく守りの必要性も出てきちゃうからな。特に日本だと解雇が難しいし・・・。

でも “元々は守るもんもなかった” 訳だし、その状態の攻めの瞬間が絶対面白かったハズだと思う。

守ってジリ貧でギリギリ維持は出来ても、面白くないんじゃあんま意味ないと思う。誰にも尊敬されず友達が居ない状態で死ぬのもつまらないだろうw

日本に住んでれば、守っても守らなくても電気ガス水道インターネットが使える環境で生活は出来る。(老後的年齢に達した際は資本主義的豊かさに結構差が出ると思うが)

27:若いヤツにはとりあえず最初は丁稚奉公みたいなことをさせるわけじゃん。単純なコピーとかお使いとかがそうだけど、そうやって才能を潰していく構造はあるんだろうなとは思いますよ。

「まだ何も出来ないのに出来た気になって!!!給料貰えてるんだから、もっと働くべき!!!」

的な見解は、何が出来るか精査してもいないのに、”若者=何も出来ない” というタグ付けを勝手にやってるから、そこから脱出出来ないループがあるような気がするな。

ま、日本の教育の

「お前は何者でもない。だから最低限学歴ぐらいは無いとダメだ」

も同様だな。

言いなりの奴隷は育成できれど、言い出しっぺは出てこない。従業員はそれで良いんだが、トップも奴隷ではな・・・w

28:なぜパフォーマーがそのサービスにコンテンツを提供するのかといえば、「みんなに見てもらえるから」 という一点に尽きます。

とくにそれで報酬が得られるわけではないCGMサービスでは、自分の作品を多くの人に見てもらい、それに対するリアクションが得られる嬉しさがモチベーションになっています。
だとすれば、「いいモチベーションを保てる環境づくり」 こそが大切になる。そのためにも、パフォーマー一人あたりの視聴者数を増やすことが最も重要なのです。

⇒有料アカウントでないと動画のアップが出来ないニコ動のシステムに対する説明がコレだ。

通常プラットフォームの反映を考えると

“誰でもアップ出来て色々見れる状態が好ましい”

となるが、利用する人のモチベーションを考慮してたとはなぁ。

“本来のゴルフクラブ” 的環境が、ユーザーの参加・正義感を強めてるんだろうなぁ。

29:歴史的な瞬間に立ち会っているときの熱量、吸引力にはそれほどすさまじいものがあります。ニコニコ動画からも、そういう熱量をなくさないようにするのが、僕たち運営側の努めだと考えています。

⇒ニコ動はもっと早く過疎化する雰囲気も感じていたが、全くそうではないよな。

AZZLOも動画をアップして感じたのは、YOUTUBEよりもアップ直後段階でよく見られる。瞬発力が高いんだよな。その分YOUTUBEはコンスタントにじわじわ増える感じだ。

維持する為には、停滞するのではなく更新していく事が必要ってな事だよな。

とは言え、最近のWEBサービスのUI変化は辛いのだが・・・。

「どんな気に入ったエロビデオでも、一生それでヌケないよね?そしたらブスのでも新作見たくなるよな?人は新しい刺激を追いかけるもんだから、時代にあった勃起するもの、要は心躍るものを提供しなきゃいけない。」 だよな。

30:かつてのヘビーユーザーで、いまは離れている人たちが、現在のサービスをどう思っているかという部分にも注意が必要です。「オワコン」 (終わったコンテンツ) という言葉を口にするのも、現在のユーザーではなく、昔のユーザーです。かつてのヘビーユーザーから見て、現在のニコニコ動画が昔のままだったとすれば、「やっぱりニコ動はオワコンだ」 と言われてしまいます。

しかし実際のところ、ニコニコ動画を離れていったユーザーたちからも、そんな声は出てきていません。なぜかといえば、ニコニコ動画が常に変化を続け、新しい世界を広げられているからです。それができている場合、その新しい世界が彼らの好みでなくても、あまり問題とはされないものです。

とにかく怖いのは、停滞です。

停滞すれば、みんなが飽きる。

一度はまったものほど飽きやすいものなので、「停滞しないこと」 こそが、運営側が最も気をつけるべき点なのです。

⇒クラブは、当時のヘビークラバーの多くからは明確に 「オワコン」 言われてるし、今よく行く人は 「昔は凄かったらしいですね!」 という感じだ。

たまにボノボの中で聴くDJの音は、AZZLOもよく知っている曲だったりする事が少なくない。今の最新の提案が欲しいのだが、そぉいうのやってくれるDJが居ない。というかどの時代もそぉいう事はWADAだけなんだろうな。

少なくても2014年にいまだにミラーボールが回っている事から疑っていく必要あると思う。このままでは初めてクラブに行った若者の最初の感想は

「わぁ!懐かしい感じ!」

になるだろうw

31:言い換えるなら、人間が社会システム、あるいはインターネット社会のなかで 「部品化」 してきているわけです。

たとえば、アメリカのオバマ大統領が私有財産制度の廃止を訴えたとしても、社会システムやシステムを司るロジックがそれを許しません。アメリカから世界に広がった金融危機もそうでした。すでに人間の意思を超えて、システムやロジックが世の中を動かすようになっているので、人間はそれを制御できなくなってしまっているのです。

実際になぜ、そうした現象が起こり得るのかといえば、いまの世の中の進化は、人間そのものの進化ではなく、あくまでも 「人間の外にあるロジックの進化」 になっているからです。

⇒ “経済を回す駒” だよなw

32:現代社会はすでに、宇宙人の目から見ても、人間が地球を支配しているようには映らなくなっているのかもしれません。人間という生命体が個々の 「パーツ」 として動いていても、実際に地球を支配しているのは、人間を素子とする巨大なネットワークであるように見えているのではないでしょうか。

こう書くと、SF的な幻想、あるいは荒唐無稽な与太話のようにも受け取れるかもしれませんが、実際にそういう現象は起きています。

「集合意識が地球を支配していく」 という状況は、かねてから、海外の古典SFのテーマになっていたものです。そしてそれは、ただのフィクションではなく、現実の話です。

これまで、現実社会のなかではそれが顕在化しなかったため、絵空事のように見られていましたが、すでに現実の社会は、そうしたかたちでディストピア的な世界へと向かい始めています。いままでは、ゆっくりと少しずつ変化が起きていたため、なかなか知覚できなかったというだけです。

⇒ま、「元々神の支配があったし」 という考え方もあるので、人間が地球を支配してないかもしれないがw

いずれにしても 「お前が作ったルールでお前自信が苦しんでるじゃん!」 ってのはあるよな。

「集合意識が地球を支配していく」 から、一次段階として、サッカーワールドカップが盛り上がったりする訳だが、おいおい ワレワレハ地球民ダ Ψ(Θ)_(Θ)Ψ になったりしないかな。

地球に隕石落ちて壊滅的なダメージとかない限り無さそうだが・・・w

33:そもそも、時計というものがなぜあるのか?僕なりの解釈でいえば、人と人とが 「同期」 するための目安を知ることが、その理由だと思っています。

なぜ同期するのかといえば、”集団の力” を発揮するためです。

⇒物理的に同じ場所で連携する場合などは特にそうだよな。

しかし組織においては、ほぼ社内で連携する事なんて無いので、定時厳守の意味がほぼ無いよな。ま、蛍光灯の電気代の共通使用という点ぐらいは意味あるか。

オフィス無くせば、オフィス家賃も浮いて、仕事の為の電気代として1人月2万で電気代補助して自宅勤務とすれば、通勤ストレスもないし、経営者も従業員もハッピーな感じするな。

今となってはAZZLOはオフィスの中に居るときほど仕事できない 訳だし。

34:科学技術が発達して生産力が増大すると、社会のほんの一部だけが動いていれば住民の多くは働かなくても生活していけるという状況が生まれます。そうすると、「有能ではあるのに仕事がないからヒマだ」 という人間が増えていきます。

そうだとすれば、近い将来に向けて、「ヒマな人間が多い」 という前提から社会の設計を考え直さなければならなくなります。

僕自身は、そうした世の中の設計そのものには興味がありません。しかし、社会がそうした “巨大な意思” のようなものに飲み込まれていく前に、どこかでひと泡吹かせたいという望みは持っています。

⇒ “巨大な意思” とは アダム・スミスの “見えざる手” みたいなもんだよなw

“ビッグデータ導入による最新媒体問屋・マーケティングシステム” にすると、「そんな事したら俺ら要らなくなる」 という事実の様に、ヒマになるんだよな。

今後、既存の職種は効率化によって暇・無くなっていくものが少なくない。 多くの場合コンピューターによる代替なので、そのサーバー保守が仕事として生まれるハズなんだよな。

代理店は左団扇で暮らすことが可能なのに、「わざわざ汗かきたい」 のであれば 「仕事したくない」 は言っちゃダメだよなwww

35:知らないことをやるにもかかわらず、予算の枠で縛ってしまうのはむしろ非効率ではないでしょうか。全然足りないのにそのなかでやり繰りしようとしても仕方がないし、実際は余るのに無理に使おうとするのもムダなことです。

⇒予算提示が無くて夢を広げて提案したら、「そんな金無いし・・・」 ってのは困るし、「年度末予算消化で適当な媒体の提案を・・・」 ってのもなんだかなって感じだよな。
当初よりも倍の予算だったという新国立競技場みたいのも困るよなw

オリエンと予算があった上ではなく、

「こんな事したいな♪そしたら1000億動かなくもなくない?その上での投資は意外にも10億で済むっぽい!?これはやりたいじゃん!!!」

ってな仕事がしたいよな。

36:「新しいことをやるときには人に説明しない」 というのは、僕のポリシーのひとつです。

なぜかといえば、新しいチャレンジをやるときは、必要最低限の人が知っていれば十分で、それ以外の人の存在はジャマになるだけだからです。

⇒なんか新しいことやる際に、すぐ大人数にして “チーム” という安堵感を得るだけで終わるマネージャーとか営業が少なくないが、大概全員が他人事になるし、誰がどんなタスクなのか誰もわからないで、なぁなぁに進むんだよなぁ。

そして、良くも悪くも勘違いを維持する為に、適切な人に話したいよな。

37:新事業を行う際、社内スタッフだけで進めることにこだわっていると、消極的な社員はすぐに逃げ出すかサボタージュをすることになるので、その事業は失敗します。

⇒www コレまさに組織の現実だな。

38:企画を立てた人、言い出した人がやり遂げるということが重要です。普通はほかの人を説得することなどはできないし、そこで説得されるような人間は逆に能力が疑われます。

つまり、企画を信じるのではなく、その企画をやりたいと言っている人間を信じて、一緒にやるかどうかを決めるしかないようなことなのです。

⇒部下を信用しないでdisるのに、何故か一緒に仕事をしよう (作業をやらせよう) としても、当然上手くいかないもんな。

“部下も赤い血が流れてる人間”

ってのが欠けてるケースが少なくないと思う。

“お刺身の上にタンポポ乗せて下さい労働”

であれば、機械的・機能的な捉え方でもほぼ変わらないかもしれないし、広告 (メディアプランニング) ならほぼ機能的な捉え方でもまだ歪は少ないが、プロモーションは本来オートクチュール なんで、バケツリレーの機能的な捉え方だけでは、うまくいかないと思う。

実際ある時に大事故になったりするしな。

39:僕がニコニコ動画という名前をつけたのは、とにかく 「ふざけた名前にしたかった」 からでした。どうせあとから変えることになると思い、いい加減な名前をつけたというのが本当のところなのに、それがかえってよかったようです。

圧倒的に違和感のあるこの名前が、逆に、感情移入しやすいブランドとなっていき、ユーザーたちにも 「ここが自分の居場所だ」 と共感してもらいやすくなった。それによって、僕が意図していた町の広場・集会場のようなものができていったのです。

⇒WEBは生活者が主役だからな。企業が賞賛してもらおうとしても、ジャイアンリサイタルになるんだよな。むしろ 「こんなんでもOK!空き地で歌合戦!」 としてまずジャイアンが笑いものサンプルとして出ると盛り上がるだろう。

同じ “ジャイアンが土管の上で歌う” を実行するにしても、場の盛り上がり方は変えられると思う。

オノ・ヨーコがフェスの最初に出てくると、激盛り上がりするだろうな。

40:ニコニコ動画に2ちゃんねるの文化が多く流入しているのは確かですが、実際にはいろんな流れがあります。だからこそ、初期からのニコ動のユーザーは、それぞれ違った多様な立場で 「自分たちが大きくしたサービスだ」 「自分たちが主役だ」 と思ってくれているのです。

その感覚がいざこざを生む場合もあるのは事実ですが、このような 「自分たちのものだ」 という思いがあるからこそ、帰属意識にもつながっているのだと考えられます。

⇒適度な対立構造はあった方が生産的だもんな。

しかし、企業における派閥による対立構造は瞬間だけ見れば良い側面もありそうだが、長期的にはよろしくないと思う。

41:あの危機をくぐり抜けたとき、そこに居合わせたユーザーみんなが “戦友” になれた。それこそが、ニコニコ動画が伝説を持ち、みんなが連帯感を持つことになった原点だったと思います。だからこそ、帰属意識のようなものも生まれていったのです。

実際、この時期に加入したユーザーの定着率は、突出して高い。そのころのユーザーは、ニコニコ動画への帰属意識がそれだけ強くなっているわけです。

⇒”ドリフの停電” みたいな事だよなw

2000年までにクラブに出入りしてた人は、「オワコン」 言ってても、いまだに頻度は減っても出入りしてる率は2000年以降と比較して突出して高いと思うもんな。ボノボに行くと大概懐かしい人と会うしw

42:「コンテンツの価値は、誰かの人生を変えられるかどうかで決められる」 とも思います。

たとえば、音楽のアーティストであれば、あまりメジャーとはいえず、ファンがせいぜい1000人か2000人くらいしかいなかったとしても、そのファンたちの人生を確実に変えているのでしょう。

⇒それがロックだもんな。自分自身目指したことではなく、後天的に気付いたことであるが。









AZZLOの成功案件に対する生活者のツイートの一部だが、これ見てコンテンツとかコミュニケーションの本質みたいのを整理が進んだ感じするんだよな~。

AZZLO自身は勝手にWADAからバトンを渡された気になり (ま、AZZLOはWADAより歳下なので間違いないのだが) WADAを更新出来ないAZZLO自身をWADAに申し訳なく思っているという、糞面倒臭いヤツだがw この上記反応ツイートはAZZLOのWADAに対する思いと同じ。

要は意図してなかった真面目な悪ふざけでしかなかったのだがw

“彼らにとってのWADAは、成功案件チーム”

という事を知ってしまったんだよな。アウトプットのスタイルはWADAと全く違う表現なのだが、WADAに魅了された当時のキッズAZZLOと同様の感覚のツイートを発見した事で

「やっぱバトン (免罪符) 渡していかな!」

的な正義感が明確になったもんなぁ。

AZZLOは成功案件チームによる成功案件を体験した人達のアウトプットで失笑するのを期待しているのだw

43:不景気のためでもあるのでしょうが、いまの世の中は “ムダなものを切り捨てる価値観” に支配されています。しかし僕は、ムダなことも必要であり、ムダなことに対するニーズも少なからず存在しているはずだと考えています。

そもそも人間は、知らず知らずのうちにムダなことをやりがちで、ムダなことをするのが好きな面があるものです。しかし、いまの風潮に流されて、誰も好き好んでムダなことをやろうとはしません。

そのため、いまはムダなことが不足している状態になっています。

そうだとすれば、「ムダなこと」 が逆に稀少となり、だからこそ価値を持つことにもなる。そうした状況だからこそ僕は、ムダなことをやるのが 「おいしい」 と思い、それをやっている部分もあるのです。

ニーズがあるのに誰もやらない。

そんな部分を見つけられるのはラッキーなことです。

⇒普通のビジネス的感覚だと、”ビジネスする人が恋愛する” とかマジ無駄だもんなぁw でもほぼ誰も否定しないってのがおかしいよなw

44:感動は押しつけられるものではありません。そしてまた、人を感動させたり、共感を得られたりするものは、基本的には 「その時代において稀少なもの」 であるはずです。

一方で、世の中に出回っているコンテンツの多くは、ありふれたものですが、それでは価値がありません。そのほとんどは、送り手側の目論見に反して、消費されることもなく終わってしまいます。

⇒近年AZZLOは “萌えアニメはありふれたコンテンツ” “初音ミクはありふれている” と思ってたが、マクロで考えるとそう言えたりもするが、ミクロ視点だとそうではなかったりしたんだよな。

ある程度歳取ると “またあんな感じのやつか” というカテゴライズが可能になっちゃうから、熱を見る事が出来なくなってきた感じするなw

故に、”おじさん化するAZZLO” というカテゴライズを踏まえて、”その時代において” のタイミングを見計らう必要があるよなぁ。

EDMとか強烈にそうなのだが “おじさんAZZLO” を前提としてもEDM的なのは、90年代前半から同じ音はあったと思っちゃうんだが・・・。

今のEDMは2UNLIMITEDに満たない音源にしか聴こえないんだよな・・・。むしろ2UNLIMITEDの方が全然かっこいい!w

45:ニコニコ動画にしても、近い将来、滅びるはずです。それが運命だからです。

そのときに対している相手が、GoogleなのかFacebookなのかはわかりませんが、機会的文明に立ち向かう 「人間文明の最後の砦」 として、華々しく散っていきたい。

そのときにこそ、ニコニコ動画の物語は完成するのだと、僕は思っています。

⇒ムーブメントは終わらせないとダメだからな。”老舗クラブ” とか意味わかんないしw

しかしまぁ、トップ自らが終わりを想定しているというのは、珍しい経営者だろうな。どこまでシナリオ描けるか?という妄想力にもよるんだろうが。


ニコ動って、着うた屋のドワンゴで、

“間違って入社しちゃった人が勝手に取り組んでるけど、全体で儲ってるから特にクビ切られもしなかった”

的な事だと思ってたがw ま、大なり小なりあるとは思うが、トップである川上氏の意図的な配慮もあったんだなぁ。

川上氏もきっと時間が経って整理出来た事ってのがあると思うが、いずれにしても点を持ってないと、線で繋ぎようもないってな感じだな。

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