-読書感想- 初音ミクはなぜ世界を変えたのか? / 柴那典

初音ミクはなぜ世界を変えたのか? / 柴那典

2014年7月頃の読書。

米津玄師 2ndアルバム『YANKEE』発売記念特番

を聴いていた時に、著者である柴那典氏が出ていて、この本を紹介 (宣伝) していたので手に取った。

AZZLOの初音ミク感は、

2013年出会った素晴らしい音楽

ボーカロイド施策!!!・・・を断念。(クラブ文化のダメさ具合)

この辺の記事に書いた通りで、AZZLOが知っているクラブカルチャー的な事が、近年はミク周辺にある (あった) 印象を持っている。


1:しかし、現実は違った。インターネットは、音楽を殺さなかった。
確かに、レコード業界をはじめとして、既存の音楽産業には大きなダメージを受けたところもあったかもしれない。しかし、そこから数年で音楽文化が衰退したかといえば、そうではなかった。結果として訪れたのは全く逆の風景だった。

ネットがあったから kz livetune とかを知れたからな。

そして、音楽業界のマネタイズ部分は、おそらくネットがなくても、今ほどではないにせよ萎んだ気がする。毒がない嫌われない歌詞と日本人好みのコードばかりになった四半期決算尺度でのマーケティングを通過した音楽は撫でてくれてもシコる事は無いと思うんだよな。すなわちエクスタシーには到達しないと思う。

エクスタシーを知れば中毒性を伴ってくるから、より新しいものを求める導線が生まれると思う。AZZLOの “いまだに新譜を月600曲はチェックしている” は完全にエクスタシー中毒だからな。

2:ボーカロイドが生み出した新しい音楽カルチャーとは何だったのか?ボカロPたちを駆動した原動力、ニコニコ動画という場が持っていたエネルギーとは何か?kzや八王子Pが語っていたような 「無我夢中の楽しさ」 は、まっさらな新しい場所で何か面白いことが始まったいるというワクワク感は、何故生まれたのか。

それを考えている間に、ふと、一つの巡り合わせに気づいた。それは、ひょっとしたら 「サード・サマー・オブ・ラブ」 のようなものだったんじゃないだろうか。~中略~

一九六七年のアメリカ、一九八七年のイギリスと同じように、二〇〇七年の日本のインターネットには 「新しい遊び場」 があった。そこには誰でも参加できる、小さな、しかし自由なコミュニティがあった。その中心に音楽があった。

そう考えれば、初音ミクの登場が巻き起こした現象を 「サード・サマー・オブ・ラブ」 と見立てることができるのではないだろうか?

ネット、オタク、ニート・・・だけとは限らないが、その傾向が世の中平均よりも強い方々、ドラスティックに言うと資本主義尺度での弱者の傾向が強い方々が、テクノロジーを武器に吐き出したアウトプットだからな。

ファーストもセカンドも傾向は似てると思う。

3:「ヤマハという会社は、日本の音楽にとても大きな影響を与えたと思いますねヤマハが作ったのは、我々音楽家の “遊び場” だったんですよ。そこに音楽の仲間がいて、切磋琢磨していた。そういう場所だったんです。」

ハードウェアだけじゃなくて、教室とかもやってるしな。

ヤマハ銀座スタジオ

こぉいう場も持っているみたいだ。

もっと若い人が居る街で場持って欲しいと思うな。

4:ムーヴメントはいろんな要素から成り立っていた。社会運動ともリンクしていたが、ドラッグも重要なキーの一つだった。LSDは色鮮やかな幻覚を生じさせ、意識を拡大するツールとして広まっていった。その体験に影響を受けたアートが次々と生み出され、ドラッグが社会を変えると真っ直ぐに信じられた。そのムードは 「サイケデリック革命」 とも称された。

ヒッピー登場以前から、”人の能力を拡張するもの” みたいな認識あったみたいだからな。

他にも要因はあるのだろうが、LSDが開発されてから、社会変化が圧倒的に速くなったんだと思うし、今あって普通のものはLSDの副産物である事が珍しくないみたいだしw

しかし近年LSDの影響を感じるものは減った様に感じる。なんか磁場が一定というか平面的というか、LSDがあれば奥行き揺らぎが出るかっつぅと、必ずしもそうではないのだろうが、サイケな感じないな。泥酔感も感じない。

人ってシラフでもサイケな状態ってあるはずで “高熱の時に見る意味不明な模様の夢” って多くの人がそれぞれある。場合によってはモノクロでいわゆるサイケの多色ではない場合もあるっぽい。

そぉいう自己認識出来ない領域を確認出来るツールという側面はあるのだろうな。

※そんな感じにLSDを捕らえていて超憧れがあるAZZLOはLSDしかりケミカルの経験がない。”童貞の書くエロ小説・漫画の方がエロい” 的な事にチャレンジしたいのだw

5:「当時の若者たちは、人との繋がりを強く求めていたんじゃないかと思います。古い慣習に縛られて、息苦しさを持っていた。『僕一人が幸せでも、それは幸せとは呼べない』 というような共通認識を持っていた」

“僕一人が幸せ” って、おそらく発生しない事だからな。

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・”今10億円あげるけど、今後一切人とコミュニケーションを取ってはならない”
・”今まで通りです”

だったら、ほぼ100% “今まで通り” を選択するだろうからな。

6:以下は一九七〇年、ニューヨークのティーンエージャーだったアンドリュー・サイドマンが、当時の若者向け雑誌 『セブンティーン』 に綴った文章だ。タイトルは 「アイ・ワズ・ゼアー (僕はそこにいた)」。

ウッドストックに行かなかった人に、そこがどんな風だったかをどうやって話せばいいだろう。一緒でさえいれば、泥だって、雨だって、空腹だって、喉が渇いてることだって、全てが愛に感じられたあの場所のことを、三〇万人が、ずぶ濡れになって、へとへとに疲れて、丘の上で音楽を聴いていた。三〇万人、それぞれ一人一人が、マッチを灯した。それが集まって一つの灯火になって、新しい世代を照らす光のシンボルになっていた。ラブ・アンド・ピースの光。たぶん、実際は何も象徴してなかったんだと思う。でもそれは灯火だった。光だった。三〇万人の、泥だらけでずぶ濡れになって腹を空かせた人たちが、そこには一緒にいたんだ。

“ある日のマニアックラブ、その日は強烈な台風だったので、到着した時点でズブ濡れだったのだが、ミカちゃんが靴も靴下も脱いで快適そうにしていたw AZZLOも脱いで、ミカちゃんが持ち込んだキリン氷結を回し飲みした♪ 足真っ黒になりながらWADAの音で踊った♪”

とか、やや近い話だなw

そしてAZZLOは行ってないが、1997年のフジロックは強烈な台風だったからこそ伝説になってるみたいだしな。

あと覚えてるのはフランスに居た時、「地方でレイブイベントがあるから遊びに行こう!お金は大丈夫♪」 とフランス人に誘われ、TGVに無銭乗車したら発車直後に即効で車掌に怒られw 「日本人で未成年は手続きが面倒臭いなぁ・・・w」 という理由でお咎め無しで現地到着。

みんな金持ってないので、当然会場に入る事も出来ず・・・w そんな自分らと同様の連中からパンを一口貰ったりしてる最中に、仲間がゲートを飛び越えて中を視察。中からゲートを開けてくれてみんな無事中に入ると、古いコロシアムの中でジェフミルズのプレイで3万人ぐらい踊ってた。

ってのあるな。この時に初めてジェフミルズのプレイ聴いたんだよなぁ。

“無銭乗車に不法侵入で出会ったジェフミルズ” を経験させてくれた、ダメなフランス人の友人にはホント感謝だなぁw

7:七〇年代初頭には、世界中の若者たちを魅了した熱気は、あっという間に下火になってしまっていた。流行を当て込んだマスメディアや一儲けしようと企む企業がムーヴメントに乗り込み、当初のDIYなムードが次第に失われたのも、その大きな理由の一つだ。若者たちのラフなスタイルも、あっという間にファッションとして消費されるようになっていった。

六〇年代に 「ラブ・アンド・ピース」 を合言葉にした若者たちの理想主義は、その後、大きく世界を揺るがす形になることはなかった。

まぁ文化は終わらないとダメだと思うしな。そうじゃないとこぉいう本出ないしw

そして、セカンド、サード・サマー・オブ・ラブは、ファーストがあったかどうかは関係なく、自然発生している訳で (仕掛けたもんではない) いずれフォース・サマー・オブ・ラブは起きるハズなんだよな。

AZZLOは 「ラブ・アンド・ピース」 という言葉は、なんか安っぽくて表面的なスタイルに感じてたので好きじゃなかったがw 結局今振り返ればAZZLOが夢中になったマニアックラブは、少なくてもAZZLOが在籍する組織よりはラブ・アンド・ピースがあったな。

ま、若者が集うと常にそぉいうのが生まれるという “箸が転んでもおかしい年頃” 的なもんかもしれないがw

8:「サマー・オブ・ラブ」 とは、何だったのか?

冷静な視点で振り返ると、それは、熱病のような一体感の興奮の中で生まれた、単なる躁的な興奮だったのかもしれない。ヒッピーカルチャーの狂騒は、その後に何も残すことはできなかったと思えるかもしれない。

しかし、二〇世紀最大のカウンターカルチャーの勃興であった 「サマー・オブ・ラブ」 は、実はパーソナルコンピューターとインターネットの誕生に、深く結びついている。ヒッピーカルチャーもコンピュータ文化も、実は、六〇年代のアメリカ西海岸という、同じ場所、同じ時代をルーツに花開いたものだ。

二〇〇七年の日本。初音ミクがインターネットを舞台に起こしたムーヴメントを 「サード・サマー・オブ・ラブ」 に見立てるための、最も重要なポイントはそこにあると、僕自身は考えている。六〇年代と〇〇年代を太く繋ぐ、本質的な線がある。

セカンド・サマー・オブ・ラブの頃は日本ではやや遅れた上でポケベルと携帯電話の時期だもんな。

9:サマー・オブ・ラヴのど真ん中、六〇年代のドラッグカルチャーの伝道師となったティモシー・リアリーは、LSDを 「意識を拡張するための道具」 として喧伝していた。

4番で書いた “人の能力を拡張するもの” は、このティモシー・リアリーの言葉がAZZLO流になった言葉だったんだな。

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この事実と記憶の違いがヒトは起きるから面白いよな。(面倒臭くもあるがw)

10:「 『あ、こんなんでいいんだ』 と思ったって言いましたけど、それは 『これだったら自分も始められる』 っていう側面もあったと思うんです。楽器が弾けなくても、歌えなくてもラップならできる。そういうところに、みんな勇気づけられた。初期のヒップホップも、ボーカロイドの楽曲も、どちらも黎明期には、売れたいとか、メジャーデビューしたいとか、全然思ってなかったと思うんです。とにかく聴いてもらってそれを評価してもらえることの喜びが創作活動の原点になっていた。そういうプリミティブな原動力が共通していた。ニコニコ動画が始まった時って、みんなそこを新しい遊び場だと思ってたんですよね。サマー・オブ・ラヴ的なものとボーカロイドの繋がりって、やっぱりそこにあると思うんです。」(ユーマ株式会社 弘石雅和)

そうだと思う。逆に言うと既存クラブにはそぉいうの無くなった。故にAZZLOは離れた。

ミク楽曲は、いわゆる “イイ曲” もあるが、


こぉいうエロ楽曲が出てくるからなぁ。『あ、こんなんでいいんだ』 感強烈だよなw

11:「もう一つ大きいのは、ボーカロイドって、別に音楽のジャンルではないですよね。カルチャーだと思うんです。音楽でありながらも、別のアーティストがイラストを描いたり、動画を作ったり、踊ってみたり、二次創作的な動きは総合的なアートと通じる点がある。そこにヒップホップやテクノとの共通点もすごく感じるんです。ヒップホップにも、ラップやDJにとどまらず、グラフィティアートやブレイクダンスの文化があった。当時のストリートでみんなが同じ感覚を共有していた。そういう風にヒップホップが生まれた時代にストリートにあったものが、今はネットにある。そういうことだと思うんですね」

そのカルチャーを総称すると “その音楽ジャンル名” って事なんだと思う。同時にスタイルが固定化してくるが、思想はたまに誰かがぶり返したりするなw
その点では、いわゆる音楽とその周辺にある創作活動は、結局どれも思想は非常に似てると思う。たまたま時代的にロックだったりヒップホップだったりテクノだったり初音ミクだったりであるし、それぞれの出会いのタイミングの違いなのだと思う。

音楽やらなんやら関係なく、ヒトのモチベーションと紐付く活動は

前向きな部分はコレが全部言っていると思うしな。

12:それまでに存在しなかった、新しい遊び場から、新しい文化が生まれる。そこから新たなアートプラットフォームと価値観が生まれ、結果、それが世界を変える。それがムーヴメントの本質にあるものだった。

歴史は繰り返される。様々な時代、様々な場所で、そうやってムーヴメントというものが生まれ、次世代に受け継がれていくのだ。

赤い血が流れているヒトであれば時代が変わっても絶対そうだと思うw

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ネット上は “表沙汰にするかどうかは本人次第” なんで、既に “そんな世界” は特にニコニコ動画で出来ていると言えるからな。

全員が全員を踏み台にして成長出来るプラットフォームとも言える。

過去とちょっと違うのは、『”場” が必ずしもリアルスペースではない事もある』 という事かな。でも結局 “ライブやって生で体験する” 等に辿り着く。

「WEBなんだからWEBで完結出来るじゃ~ん。結局オフ会かよ・・・」

と思うし

「モニター通しではないリアルコミュニケーションがやはりヒトだから必要」

とも思うな。

AZZLOは昭和生まれだしw 後者を信じているが、早く前者で生きたいとも思う。

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リアルだと無駄も多いんだが、無駄と有用の隙間から自覚していない何かを発見する対象がWEBとは違うので、リアルでもWEBでも、そぉいう場がいずれにしても必要だと信じたい。いわゆるserendipityって事なんだが。

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リアルは空間があるので、その無駄さ加減w はWEBでは、少なくてもまだ出来てないからな。

13:「僕らとしては、着メロや着うたを、音楽コンテンツを販売するサービスだと捉えていなかったんです。そもそも着メロや着うたって、自分で聴くために購入するものではないんですね。それが鳴った瞬間に友達との日常会話が始まる。そういう風に、あくまでコンテンツを、コミュニケーションを成立させるための媒介として捉えていた。それが、僕らがサービスを提供する時の考え方の、一番コアな部分なんです」 (ニワンゴ杉本誠司)

音楽って聴覚刺激の自己完結じゃない領域あるからな。

MINODA:「あのレーベルの6番買った?」
AZZLO:「あれレビューで評判だけども、自分は5番の方が好きだったな」

とか、コミュニケーションネタだったからな。その為には情報は徹底して頭に入れてないとならなかった。

そしてDJ終わった後に

お客さん:「あの曲の3曲後のが凄い好きです!なんていうヤツですか?」
AZZLO:「これだったかな?ウチ来て確認する?」

とかナンパみたいなコミュニケーションが生まれてたしなぁ。

そぉいえば昔は 「あの曲が聞きたい」 という人に電話で聞かせたりしてたなぁw

14:「本当に奇跡に近い話だったと思います。今から振り返ると、あまりにでかすぎだったという感じもしますね」

ボーカロイドの開発を担当したヤマハ株式会社・剣持秀紀氏は、初音ミクが発売された二〇〇七年夏というタイミングをこう語る。ボーカロイドに携わる人に話を聞いていくなかで、様々な人が口をそろえて語ったのが、二〇〇七年という年の持つ意味の大きさだった。

AZZLOは1991年だった な。故に2007年のミクの流れに気付けなったのが本当に悔しい!!!

15:「多くのユーザーがやりたいことは、単純に音楽を聴くことではなかったんです。もちろん、ただ聴かせることでもない。やはり、日常的にみんなで一つの話題を共有する会話空間を作ること、またその話題を提供する役回りになることだったんです。そのことに直感的に気づいたユーザーたちは 『商用のコンテンツを用いたものを投稿すると削除されてしまうのであれば、代用できるものを探そう』 と考えた。もちろん、ニコニコ動画で楽しまれていたコンテンツは音楽だけではなかったから、それ以外の人たちもいろんな題材を提案していました。ただ、やはり音楽に関しては、誰かが作るしかない。その時に、代用音楽のためのツールとして重宝されたのが初音ミクやボーカロイドだったと思うんですね。言い方はよくないのかもしれませんが、あえてこの言葉を使うと、やはり初音ミクは最初は 『代用品』 として受け入れられていったのだと思います」 (ニワンゴ杉本誠司)

デトロイトテクノの “渋々二束三文で売られてたTR-909を買ってなんかやるしかなかった” というのと同じ感じだなw

その尺度では、NI製品は安価に充実し過ぎで、”納期に追われるプロの道具” としては機能するが、”魂の叫び” 的なのにはNI製品を買うと削がれる感じするんだよな。あらゆるプラグインを立ち上げないと損した気分するしw

※故にAZZLOは2003年~2005年ぐらいの時期にはNI製品持ってたが今は持ってない。ちょいちょい欲しくなるが我慢してるw

16:初音ミクを使っていい曲を書いたって、可愛い初音ミクのイラストを描いたからといって、それが金銭的な報酬に結びつくとはつゆほども思っていない。表現したいから表現する。その理由は、自分のつくったものを見てもらいたいからだし、それが誰かに届いたということを感じたいからだ。

目的はまず自分の満足。そして自分の属するコミュニティの中でそれが認められたら何よりの報酬になる。

金が動こうが動かなかろうが、結局 “自尊心の担保” だよな。こう言っちゃうと凄くつまらないのだがw

17:ボカロ曲のリスナーは 「作詞作曲は誰で、サムネ絵師は誰で、ギターは誰々で、PV制作は誰々」 といった細かい情報に気を配り、作風やサウンドのクオリティに差異を見いだし、積極的に楽しみます。

“マスタリングエンジニアは誰で、アナログプレス工場 (カッティングエンジニア) はどこで・・・” とかまで情報としてあった90’テクノみたいだなw
「あの人、トラック良いんだけどいつものレーベルのプレスがダメだから音悪い・・・。でも今度違うレーベルから新譜出る!!!すなわち発注しているプレス工場の音が良いからヤッター!!!」 みたいのあったなw

18:自分が環境にあまり恵まれなかったというのが大きいんだと思います。自分がいた中学とか高校とか、一般社会とか、ろくでもない環境にいると、音楽って本当に救いになるんですよ。中学のときに初めてディープ・パープルやメタリカ、アイアン・メイデンのようなハードロックやメタルを聴いたときに、日々を忘れさせてくれる音楽の強度というのは、すごく大事だと思った。それは、自分が聴いてきた音楽の全てにありますね。格好いいと思うものは自然と繰り返し聴くじゃないですか?そういう感覚が自分の根底にあるから、自分が作る音楽にもそれがあってほしい。それだけのことだと思います。(ryo)

スノッブな方々は、この思いを “弱者連鎖” と鼻で笑うのだろうなw

弱者は、ある物差しの上では大いに認める事が出来ると思うがw そんな弱者がファンを持ち必要とされ継承されていくというのは、なんとも皮肉だw

そんな弱者がスノッブな方々よりも金も手にする導線があったから、より面白かった側面があるかな。今はそのマネタイズの部分が難しいよな。

19:『EXIT TUNES PRESENTS Vocalogenesis feat.初音ミク』 で、二〇一〇年五月、ボーカロイドを用いた楽曲を収録したCDとしては初のオリコンチャート一位を記録。

これはメジャーレーベル涙目だよなぁw

某メジャーレーベルと仕事した際に、”プロデュースして売り出し中”(AZZLOが提案のみ関与) の人よりも “既にネット上で話題”(その上でそのメジャーレーベルと契約) の人の方がファンが多くてセールスも良い(ハズ)な事実を、どう議題に挙げるか慎重になったんだよな~w

今、Youtubeで動画再生数確認したが、”既存メディア(金で買える媒体)のパワープッシュ曲” とかに指定されたりもする前者の人よりも後者の人の方が圧倒的に再生数多かったw

音楽に限らずなんでもそうだが “四半期決算尺度のマーケティング” が薄い方が売れるかは別だが、評価は高くなるというのは、一つ言えるかもしれないなw

そもそも

“放っておいたら売れないしょぼいもんだから四半期決算尺度でマーケティングしなければならない・・・”

という事とも言えるしなぁ。

20:二〇一三年のいま、ミクノポリスは伝説になっています。バーチャルアイドルの金字塔であり、日本の芸能史に刻まれるべき 「事件」 でしょう。ウッドストックや、ビートルズ武道館公演のように 「ワシはあのライブを現地で生で見たのじゃ、わっはっは」 と僕は将来、孫に自慢したくてたまりません。

割とまだ近い過去だがマニアックラブは、当時居た人にとっては既にそうだなw

当時の人の歓声入り生録を人に聴かせるとみんなビビルからなぁ。AZZLOは

「ワシはあのマニアックラブを生で体験して『記録しなきゃ!』 と気付いたのじゃ、わっはっは」

を既にやってる・・・w

21:勃興期の熱気である二度の 「サマー・オブ・ラヴ」 は終わっても、ロックという音楽が死に絶えることはなかったし、クラブカルチャー自体が廃れることもなかった。むしろその後の一〇年にそれぞれの 「黄金期」 とも言うべき時代を迎えている。ロックにとっての七〇年代、クラブミュージックにとっての九〇年代は、それぞれ名作と呼ばれる作品が次々と登場する充実した時代になっている。

ブームは去っても、カルチャーは死なない。

うん。当たり前体操過ぎて特に書く事がない・・・w

22:貰わないとわかんないんだよ。俺もやっぱり好きなバンドがいて、そういうバンドに何か貰った気がしたし。そう感じた人が次の人に渡そうって思うんだ。(菅波栄純)

AZZLOの

「WADAのプレイを聴きに行くのがWADAへの愛の表現ではない!」

がこれだな。

「うぉっ!!!オレってこんな感動するんだ!?夢中になるんだ!?」

を自覚させられたんだから、自覚した人は、その事象を自分のアウトプットで達成は出来ないにせよ試み続けなければならないと思う。それはもう使命だ。

それをしないのは利己的で 「オレだけ良かったヤッター♪」 だと思う。 その選択をしなかった先輩たちが居たから後輩である自分らの自覚に繋がったのだ。やらないのは感動をくれた先輩たちに失礼だ。

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コムデギャルソンの川久保玲に対する思いだが、そぉいう先輩に自分らもならなければならない。

ただし必ずしも同じスタイル (音楽・服・絵画・文字,etc.) のアウトプットに拘る必要はないと思う。同じスタイルでも良いと思うが、”心の触れ幅” 尺度では違うスタイルでも良いのだ。同じだと “維持する” 的なバイアスが強まる保守的なアウトプットになってしまう危険性もあるし。

これも当たり前体操だな。

23:振り返ってみれば、はっぴいえんどが 「日本語ロック論争」 を巻き起こした七〇年代初頭から九〇年代まで、ロックやポップミュージックの時代性というのは 「海の向こうで何が流行っているか」 という視点とは切っても切れないものだった。アメリカやイギリスで生まれた新しい音楽のスタイルが少し遅れて日本でも花開く。そういうムーヴメントのあり方が当たり前だった。しかし、〇〇年代以降、そこが切り離された。日本の音楽がユニークな進化を遂げる土壌が生まれた。

“バンドスタイル” ではそうだったかもしれないが、歌謡とか演歌とか、”進化” は微妙だがユニークなスタイルはあったと思うけどな。

ユニークさで言えばインド音楽がちょっと面白いんだよな。音楽好きの人は一度は通る道だと思うがw

インド系って欧米価値観を踏まえると “田舎っぽい” 的雰囲気がする偏見があるが、この動画はむしろ武器にしちゃった開き直り昇華クリエイティブだと思うなw 音もYoutubeで分かるレベルで良いし。

24:ニコ動全体に占める再生数で、『ボーカロイド』 や 『歌ってみた』、要するにボーカロイドから派生した動画に対する再生数が、ウチの調べでは二〇一三年のゴールデンウィークくらいからだいぶ落ち込んでいるという印象があります。『サードサマー・オブ・ラヴ』 が、過去のファーストとセカンドが五、六年くらいで終焉を迎えていったっていうことをなぞるとするならば、今のボーカロイドのムーヴメントはそろそろ終焉を迎えていくかもしれないし、その可能性はあります」

「理由は幾つかあるんだと思いますが、流行る曲調がみんなだいたい同じになってしまったからということもあるでしょう。新しい曲を聴いても 『これ、あの曲に似てる』 っていう感覚を抱くようになった。商業化という一つの呪縛がボーカロイドのムーヴメントにも起きたのかもしれません。(クリプトン・フューチャー・メディア 伊藤博之)

既にスタイルが出来てきたんだな。その試行錯誤している最中に生で体感したかったなぁ(涙)

25:中学生、高校生の中に、これまでの教育のカリキュラムをこなして、とりあえず卒業するという人ではなくて、自ら学ぶとか、自ら自己表現するとか、自ら率先して工夫をする人が沢山増えることがこの国には必要だと思うんです。そういう人が増えれば増えるほど、問題解決に対する新しい発想が生まれやすい」(クリプトン・フューチャー・メディア 伊藤博之)

それ中二の1学期までしか行かなかったので生涯中二なAZZLOですぅぅ!!!w

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AZZLOの言うところの “記憶力(知識)じゃなくて知識を活用する知恵の力が必要” という方向で入試が変化するかもしれないので、少し良くなるかもしれないが、その 「キミ知恵あるね!」 的判断が難しいのが課題だよな。

しかし “知識活用” ってまだ “知識” 言うてる時点で甘々な気ぃするけどなw

就活での “言いなり奴隷即戦力” 的な判断であれば、その業界の知識は生きるだろうが、知識なんて後からどうにでもなる。むちゃくちゃ本売ってるしw

今後

“言いなり奴隷枠”
“ビジネスパーソン枠”

というドラスティックな採用基準が出来そうな気がするなw

経営側・採用される側、どちらにも誤解が生じ難くて良いと思うな♪

階級社会のネガな側面に対する危惧が強まる見解かもしれないが、”不必要な社内ゴマすり” とかも起きないので全体的に生産的になる気がするw

王は生まれた時から、将来の自覚を育む訳で、”何者でもない者” として育った者が、ヒトの上に立たせるのは酷な事だと思う。

26:なんか面白いから、楽しいからやってみようよ、それによって自分のやりたいことが見つかるだろうし、いろんな人とコミュニケーションできたら楽しいし、いろんな人に感謝されたら嬉しいよね、ということなんです。お金が儲かるっていうことだけがクリエイティブの唯一のゴールではなくて、人に喜ばれるとか、感動させるだとか、それによって自分にできることが増えていくこともゴールとして捉える。この先に音楽の原盤でお金を儲けることはたぶん難しくなっていくと思いますが、お金以外にも自分の生きがいを見つけることはできる。それだけでもやる意義があるのかなと思うんです。そして、ここから先は単なる直感ですけれど、お金という概念がいつまで世の中の主流であり続けるかもわからないですからね。情報革命の行くつく先は、価値のパラダイムシフトだと思っていますから」(クリプトン・フューチャー・メディア 伊藤博之)

前半の指摘はBONOBOでありセイさんだな。

後半は岡田斗司夫の “評価経済社会” だな。

既にニコニコ動画やFACEBOOKは、サイバー共産主義的になってるしなw

更に今後はちょっと怪しい空気を感じるが、ニコニコ動画は資本主義とのブリッジを取り組む気合を感じる (感じてた) んだよな。

ニコニコ動画がダメだったとしても、ま、違うコミュニティが生まれるハズだが。クラウドファンディングが既に具現化してるのかもしれないし。

27:僕らの立ち位置としては、音楽テクノロジーを通して未来をポジティブに設計していきたい。それに尽きると思っています。音楽を通して、多くの人に機会を提供して、クリエイティブな創作活動のきっかけを提供していきたい。僕らにできるのは、それだけですからね」

うん。ただし設計が組みあがるのは必要な時にどぅわっ!と起こるんで、点を残せば良いし、点を結んだ “オレの線の結び方” を俯瞰した一つの点として残していくことだと思う。

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常に全員がそうな訳であって、次の世代が、また他の線で結んでいく。

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それを繰り返す事で、こぉいう螺旋階段的な事を続けるのが赤い血が流れたヒトなんだと思う。

“ピタゴラスイッチやりたくなるガラクタを放置しておく”

とも言える。

28:疎外された場所だからこそ生まれる熱が、そこに集まった人たちだけで真新しい 「面白さ」 の種を育てていく熱が、そこにはあった。それこそがカウンターカルチャーの正体なのではないかと、僕は思っています。

“疎外ナルシズム” みたいのは先天的な人も後天的な人もいるし、いずれにしても熱はあるからな。

疎外度が高いという事は

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政治家も利用するテクニックだからな。

2000年頃 “テクノ喫茶ピエール” というWEB上の掲示板が盛り上がっていたがw 当時はまだネットが今ほどの生活インフラではなかったので、「こんな極地によ~来たなぁ」 的な同士認識が早かった側面あったな。パソコン通信時代はより濃かったのだろう。

今は表面的なお題を挙げているWEBコミュニティに辿り着きやすいから、繋がりは出来ても熱は薄いように感じるかな。投稿率低いだろうし。

AZZLOにおいて少なくても現在は、リアルなBONOBOに行った方が速いし深いんだよな。既にAZZLO認知が完了しているBONOBOという場に甘えているAZZLO (おっさん化している) という側面も間違いなくあるがw そうでなくても物理的移動を伴うリアルの方が最初のハードルは高くても結果的に深くなる可能性も捨てきれないんだよなぁ。

ヒトはまだ肉体を持っている前提だから、WEBコミュニティーでは完結しないハズだが、”アカウント” としてWEB上で生きる事が可能になれば、そら肉体がないからWEBコミュニティしかないので、それはそれで流行る・・・というか、”アカウント” でもリアルコミュニティに関与出来るよなぁ?

ライフログ妄想20110214

これがベースになるんだろうが

“リアルヒト” “アンドロイド” “アカウント (死者含む)”

の3種類の意思において、”アカウント” がリアルのロボットを操作すれば、”ほぼアンドロイド” と言えるよなぁ。

そんな事が現実の頃には、AZZLOが心配している深さとか意識せずに、今で言う所の “電話で会話” に違和感を感じないレベルになるんだろうな。


初音ミクって “アニメオタク的ネガレッテル” 方面の偏見があって “ダメなヤツの娯楽” 的に捕らえがちだが、若者、そもそもヒトのモチベーションから紐付くカルチャーと経済を考える事になる “良い意味で裏切られる” 本だった。

※偏見は一定の事実を拡大して一面的に捉えるものだと思うので、ある程度強めなのは事実だとは思うがw そして “クラブ=ドラッグやってる人たち” 的偏見も、ある程度は事実だw

どうやらミク文化の瞬間は2007年で、もう終わっちゃったみたいだがw 今後の初音ミク的な事象に気付けるように、おっさん化が進まない様に気を付けて生きていきたいと思う。
・・・とか考えるのが完全におっさんだよなw

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