各媒体の話とプロの仕事

メディア媒体には文化がある?

「テレビは文化が無くなった!雑誌はまだまだある!」 こんな会話が会社であった。

自分はテレビ無いし(ワンセグ端末も無く、自分所有の電波番組受信機としてのテレビは14年程持っていない)、雑誌もここ10年ぐらい買ってない気がする。よって今のテレビと雑誌がどんな事になってるかなんて全然知らないんだが、一応 “総合広告代理店” に身を置いているし、「今期WEBは200%だがテレビCMが10%落ちたから給料上がりません OR 下がります。」とかは困るのでw、ちょっと考えてみようと思う。

AZZLOのメディア接触遍歴

自分のテレビとの接触は昔は “朝のウゴウゴで寝て夕方のウゴウゴで起きる” という生活をしていてフジテレビ中心の生活だったが、今はテレビがあると何もしなくなってしまうのであえて持たない生活をしている。更に瞬間の隙間に人を食いつかせる罠を解読しようとしてしまう性があり何気に疲れたりもするのでw 休まらないので持たないというのもある。これは職業病故更に加速してはいるが、子供の頃から自分がテレビに見入る理由には興味があって色々考えながら見ていたと思う。

雑誌は一般紙であればSPA。職業柄?SMスナイパー。REMIX。あとDICTIONARYかな。何が面白くて見てたのか今となっては全然思い出せない・・・。正直SPA以外は子供の自分には難しくてよく分かってなかったと思うが、なんか欲しい情報があるっぽいと感じて頑張って見てたんだと思うw あ、小学生の頃は一応コロコロとか見てました。

近年のテレビに対する印象

そんな最近の自分はたま~に人の家でテレビを見るが、ここ5年ぐらいの記憶をまとめるとこんな感じ。

・以前より番組毎の個性が無くなり成功事例のコピーが増えた感じがする
・安っぽいアイドル番組が増えた。
・90年代テレビの花形はドラマだったと思うが、これも演技力の無い単純に旬な人ばかりという傾向はより強まっている感じは緩くする。
・役者の質はともかく製作側の熱意を感じ難い。
・「タレント同士のお遊びをただ録画したもの」という番組も増えたな・・・。(キンキキッズの左の人のデート番組は緩くて好き)
・「何故この時間にこの内容?」という印象をちらほら感じる。生活スタイルの変化に合わせたという理由もあると思うが、局と事務所事情的な理由もうっすら感じる。
・明確なネガはいわゆる芸能人が芸も能も無い。(今さらか?w) お笑いで言えばただ単に声がでかいだけの人が多い。その中でも会話の成り立たせ方、的確な挙動等は並外れている人も多いと思うが、それだけで芸能というのはちょっと違うと思う。
・的確な挙動(リアクション)のタイミング待ちをしている真剣な表情を見れてしまうと、むしろドキュメンタリー番組。”はたらくおじさん” だ。(例:笑福亭笑瓶)
・人をアイコンにする事に頼り過ぎていてテレビからの “提案” はほぼ無くなった感じはする。ちょっと平均からズレている程度の人をタレントとして見せかけるのは苦しくないか?
・ダウンタウンがつまらない。ごっつえぇのコント “老人になったダウンタウンが今田に仕事貰おうとする” を思い出させられる・・・。
・とんねるずはご飯食べてるだけ・・・か?石橋は無条件に旬な女子に覆いかぶさるのが、一番映える絵だと思うんだが・・・。(面白くはないが日本だなテレビだなって安堵感を感じれる)
・ウッチャンはまだ前進している部分もある印象。
・何故か島田伸介の好感度アップ!?
・勝俣は典型的な “声でかいだけ+α” の人だと思うが、どこに居てもハマる潤滑油的な良いポジションに居るな。
・こういった古い人達も健在ながら、新しい人も多いので主役が分かり難い。
・もっと新鮮な驚きがあるお笑い(コントとか)が見たい。
・超巨大セットでのアトラクション番組とか無いな。
・爆笑問題の右の人が小倉に「かつらってどうなんでしょうね?」みたいな事を生放送で問いかけていたのは衝撃だった。
・”なんとか侍” は「徳光の泣き顔は海亀の産卵」以外一瞬たりとも面白いと思った事はない。
・「そんなの関係ねぇ」と「おめでウィッシュ」の人はまだ見たことが無い・・・。
・自分が絡んだ案件のCMを電波放送で見た事がない・・・。

PTAのおばちゃんがテレビをつまらなくした

“テレビ君” みたいなキャラが「僕はいけない事を放送していませんか?みなさんのご意見をお聞かせ下さい」とCMで呼びかけていたけども、いわゆるPTAのおばちゃん達の苦情を意識し過ぎてトゲ(クリエイティブ)が抜かれた感じもするな。害だと思うなら自分のようにテレビ持たなきゃいいのにと思う。おばちゃん対策っぽく見えるのが “週間フジテレビ批評”。 昔はクラフトワークのBGMとフジテレビロゴだけでかっこ良かった のに、おばちゃん達と上手にやる為かお上品で清潔でいやらしいぐらいに誠実な感じで、未使用の生理用品を想起させられる・・・。

“志村けんの変なおじさん” 以降、”変なおじさんキャラ” が存在しない

深夜番組であるお笑い芸人が「志村けんさんの “変なおじさん” 以上のキャラクターは絶対に生まれない」と言っていた。これが事実であれば乱暴ではあるが、テレビの主役であるお笑い番組は文化としては明確に終わっているとも言える。キャラクターがお笑いの全てではないが、分かりやすい例で凄く終わってる感を突き付けられた。正直 チャップリンも植木等も言ってみれば “変なおじさん” だ。究極の形に昇華されたのが志村けんの “変なおじさん” である と思う。やはりあれを塗り替えるのは無理という事か・・・。

ミッキーマウスもたまたまネズミだったけどおじさんであった可能性もある故に、志村けんは偉大だな~と思う。

“変なおじさん” でなくても企画は出来る

逆にキャラクターは無理だから違う方向という意味で 「波動拳!波動拳!」←なんか違う気がする の二人でキビキビ動いている人は、自分が共感出来なくて若い人が共感しているので、時代にあった新しい刺激という事でイイ事なのかもしれない・・・?

文化とは?

“習慣” を “文化” とは言いたくない


ここで自分の言う文化は、かなりクリエイティブ寄りな意味で辞書に書いあるのとは違うかもしれない。自分的な文化は、“複数人が目的を持って新たな刺激を創造し前進している様” という感じかな?創造し終わったらもう文化じゃなくて、”習慣” に言い換えるべき。 よって単純に古い習慣を大事にするだけの行動は文化とは言いたくない。←この言い方は解りやすいけどもね。

“仕事収め” の日記で買いた事は訂正。 仕事でやりたい事は習慣を作る事です。

ヤクザなフランスという国

フランスという国は古い建造物の名所とか、とっくの昔に死んだ人の絵画とかによって観光が潤っている国だが、ただの懐古主義ではなく コンセプト・シリーズをやってた頃のリッチーホーティン に「君は君の美学を追及しなさい」と政府が金出してしまうような国だ。これを踏まえるとちょっと乱暴ではあるが “現在進行形の状態が文化” と捉えられる。フランス人は能天気な快楽主義で前進なんてものとは程遠い感じもするが、文化を創出する為に出資して終わったらビジネスに変える というのは、かなりイケてる発想だと思う。結構ヤクザだw

AZZLOの “文化” 定義も間違いではなさそう

念のためWikipedia を見てみる。

タイラーの指摘に従えば、茶道や華道が単独で文化を構成すると言うよりも、茶道が発達する社会的背景、慣習、宗教などの複合的全体が文化であると定義付けることができる。

また、文化は、[自然」や「未開」の対極と考えられることもある。ラテン語 colere(耕す)から派生した英語の culture やドイツ語の Kultur は、「文化」という意味以外に「耕す」、「培養する」、「洗練したものにする」、「教化する」といった意味合いを持つ。

自分はこの辺の事を言いたいんだろう。

テレビが文化であった背景

テレビが文化であった時期

で!テレビが文化として成り立ってたのは、”全員集合 o rひょうきん族” までで、拡大解釈しても、”東京ラブストーリー” “101回目のプロポーズ” ぐらいまでの時代だと思う。更に拡大すると “電波少年” は番組単発としてギリギリ維持していた印象。こういった番組に対して視聴者は 「次は何?来週が待ち遠しい!」という感覚があったと思うし、“製作者がどこまでイケるのか?自分達に期待し興奮している様” も見えていた感じがする。電波少年以降、こういった感覚を多くの複数人が持つ番組ってあっただろうか?そぉいえば “あいのり” があったがあれはドキュメンタリーの一案だけなのでちょっと違う。海外行ってた上にテレビ無い自分が言うのもなんだが、とうの昔に終わっていた感じがする。

テレビと競合する娯楽が比較的少なかった

当時はテレビと競合する娯楽が少なかった、要はWEBが無かったというのも視聴者を含む複数人というのが、まだ容易に作れた時代だったのは明確。またテレビがメインの娯楽であった故に、テレビの会話が出来ないと “人とコミュニケーション=目的” が取れなかった と思う。当人の好みは抜きにして、会社・学校でのコミュニケーションを円滑にする為という目的の人も少なからず居たと思うし、日本人は連れションが好きなのでそれに気付いていない人も多かったと思う。

“才能” を体験出来る媒体ではある

とは言えメディア接触者としてポジを上げると、WEBコンテンツとは比較にならない予算(海外ロケ等)、作りこまれたコンテンツの設計、一瞬のテロップの作りこみ、CM等、要は 成熟したクリエイティブに対しては見入ってしまう。 重要なのはやはり声がでかいだけじゃない、芸も能もある本当のタレントの表現を楽しめる場合 “も” ある というのは他媒体には無い魅力だと思う。

好みはともかく “プロの姿勢” が濃く存在する

あと上沼恵美子の厚化粧っぷりには目が離せなくなってしまうw 化粧だけが魅力という訳でなく、あそこまで恥ずかしい王道を迷いなく綺麗にやれるのはプロ だと思う。基本的にはキモくて嫌いなんだが、青汁飲んで「マズい!」って叫びたい心情のような中毒性を感じている。

受信に徹する事が出来る

更にヌルい内容であってもクリックせずに時間軸でどんどん新しいものが提供される楽な所がいいと思うし、CMが入る事によって音楽のライブで言うMCみたいな余興がテンポよく挟まれるのも調度いい。基本どんな番組・CMでもじっくり見がちなので、テンポを変えてもらえると長く見れる。要は自分で制御出来るのはチャンネルぐらいなので受信に徹する事が出来る。ODMにすら接する機会が少ない自分としては新鮮で楽しい。あと基本 “一人ぼっち” な自分なのでw 仕事以外の人の声を聴く事そのものが新鮮。

直近のテレビに対する考察

表現クオリティーは高いが “提案” が無い?

この様に滅多にテレビを見ない自分は表面的なコンテンツクオリティー、変わらない接触スタイルに対してそれほどネガが強いという訳ではない。なんだかんだ言ってずっと見ていられる。しかし以前よりは躍らないし、クオリティーを “提案” 要素も含めるならば話は別だと思う。おそらくこの 提案に対しておばちゃん達が目を光らせているから中々やれない→予算も取れないから新しい企画は恐い→安易に人をアイコンにする という流れなんじゃないかと思う。

“提案” の質がユルくなってきた?

そんな中、ジャニーズと人目を惹く女子のカップリングではあるが、キンキキッズの左の人の緩いデート番組はスペックは満たしつつ刺激的に感じた。あそこまで明確に “遊んでるだけ” をちゃんと演出しているのは新鮮だったし、”バーチャルデート感” が男女共に響くんじゃないかな。一人ぼっちな僕はより響きますw あ!あと “デザインを再考する” 白い背景の番組は “提案” 要素強く感じれた。まぁ昔より大きくはないが、ちらほらあるんだな。

“共通の話題” ではなくなった

しかし現実の自分の環境ではテレビ番組の話題は起きず、新入社員はニコニコ動画で人気動画のURLを送ってくれて感想はチャットで行う。そこで同意が生まれなくてもWEB上に同意識の人が居るのを確認出来るので特に問題は無い。そんなコミュニケーションに変化している訳で、テレビ番組の視聴という行為が若い人程ハマらなくはなってきているという感じはする。そういった現代のコミュニケーションに対抗出来る “提案” がおばちゃん達によって出来ないのがテレビのジレンマ じゃないかな。仮にテレビ番組の話題があったとしても、”まさか同じ番組を見る人が近くにいるなんて・・・” というレア体験を確認する意味が強く、昔の “見ていて当然”という前提の上で成り立つテレビの会話とは意味が違うと思う。

嗜好の深追いが可能であり、共有が容易なWEBコンテンツ

WEBではそもそも上り回線があるし、検索等で自分の趣向にドンピシャなコンテンツの中である種予定調和的にぬくぬくとコミュニケーションがとれる ので、こっちの方が心地よい人も多いハズ。“国民が同調” と言えるような洗脳に近い流行が近年起こっていないのも、WEBの存在故だろう。

更にそれ程興味の無い番組に対してはネガティブチェックで見てしまう生理が働いてしまい、テレビ離れは進んでしまうという流れも考えられるな。

データを確認する

各種調査データでも、WEBに接触者を奪われ始めているのはよく分かる。テレビとWEBで分かりやすく比較出来るのはYOUTUBE、ニコニコ動画等の映像コンテンツだろう。テレビの代わりに単純にこっちに人が流れているんだろうか?

“ドキュメンタリー(生データ)” が面白いとは限らない

自分はYOUTUBEでハプニング映像見るよりは、選別された映像に みのもんた のナレが入ってるテレビ番組の方が面白いと思うし、STICKAM が番組流しているが、ここまでつまらない内容を垂れ流し受信すらする気にはならない。

テレビは基本的に学びが少なくお笑いを筆頭にした娯楽コンテンツの割合が高い。こういったコンテンツカラーはWEBの人気ある部分と被る。クオリティーが高いのにWEBに接触時間を奪われてしまうのは、
テレビやってる人は “提案” はやり難いとは言え “発信している” 感覚があるんだと思うが、このコンテンツカラーに 現代のユーザーが求めるのは “受信” ではなく “馴れ合い” だからなんじゃないかな。昔と比べると生活スタイルも様々で家族等の複数人での同時視聴というのは起こり難い。更にWEBによってニッチな自分の趣向を確認出来ているので、仮にテレビとWEBで同じ映像コンテンツがあった場合、一人でも馴れ合えるニコニコ動画の方が良いという感覚が加速してしまうは普通の流れだと思う。

あと自分自身思うけど、口で会話していてもどこかでタイピングしている脳が働いている瞬間がある。自分ですらそうなので、日に50通以上携帯でメール書いてる若い子は口で会話していても思わず親指がピクピク動いてるんじゃないかな?そんな所もニコニコ動画に人が集まる理由な感じもする。

配信インフラの違い

単純に配信方法でテレビ(電波)はダメという意味でならば、時間はかかるがおいおいネット回線に集約される可能性はあると思う。受信時のシステム的な意味で言えば、アンテナ→チューナー→テレビ なのか モデム→PC→モニター の違いだけだ。テレビ番組をSTICKAMの様にサイトで常時放送すればいい。そぉいう意味ではニコニコ動画のライブ配信なんかは、テレビ的コンテンツをWEBで見れて馴れ合いも可能という最先端事例だと思う。

更に キーボードという入力装置より優れたものが生まれて参加しやすくなれば テレビとPCは1つになり “家庭にモニターは2台以上はいらない” という事にもなりかねないな(一人暮らしであれば)。よりセグメントされた自分の趣向を楽しむには携帯で・・・という住み分けが進み本当にライフスタイルが変わると思う。

“馴れ合い” のリアルタイム性が必要☆

まとめてみると、“テレビ番組はコンテンツクオリティーは悪くない。コミュニケーション方法がWEB登場以降の時代にはハマらない人も出てきている” という感じかな。

おそらく “提案” まで意識して見てる人なんて自分の様になんかしら製作の仕事している人以外は居ないと思うし、今の番組内容でもWEBが存在していなければ新ジャニーズがぽこぽこ生まれてくるという “提案” として成立して見えるのかもしれない・・・。

コミュニケーション方法をWEB的にすれば、人はテレビから離れないのか?・・・と考えると地デジは双方向が出来るってな話だが、そぉいう番組はあるんだろうか? まだアナログと同内容だから無いのかもしれないが、今でも「デジタルの人は○○して下さいね♪」という方法もあると思う。今までの「ご意見はFAXで」というのを、今はメールでもやってるんだと思うが、更に拡張して テレビだけどニコニコ動画的に同じ時間軸で馴れ合えて完結出来てもいいハズ。FAX・メール送らない人も視聴は成り立っていた訳で、アナログ共存の今でも出来ない事はない。今のままだと番組見ながら2CHで馴れ合う、ニコニコ動画で後日馴れ合うという事で済んでしまう・・・。”モバイルにアクセスするともっと楽しめます” 的なのはあったと思うが、番組視聴と同時である必然性が無かった気がする。CSとかは同時双方向的な事やってんのかな??

新たな入力装置が必要

とは言え現在のハード的にキーボードなりの入力端末が前提じゃないのが辛い所。キーボードより優れた入力端末が生まれる良い機会になったかもしれないと思うともったないな・・・。任天堂を絡めて開発したらテレビは凄い面白い事になったかもしれない。

環境の変化によるクリエイティブの変化に期待☆

MANIACが改装するとCO-FUSIONの楽曲スタイルが変化したように、デジタルテレビに変わったからこそ、その環境に映える新しい刺激的な体験に期待した い。今のところ感じられたポジっぽい変化は “女子アナウンサーのスカートの丈が短くなった” ぐらいしか感じられない・・・。これは高画質のメリットも特に活きてないし変化というにもおこがましい感じではある。

通常のテレビ番組もお色気も同時に楽しめて2度おいしい的なのは男子としては悪くない面もあるが安易過ぎる・・・。逆に発情させてしまい、「AV見よ♪」と番組を見るのを辞めてしまったら元も子も無いな。

地デジのウリ

ハードを含む地デジの訴求ポイントって、”ハイビジョンです” “ゴースト無く綺麗ですよ” が基本で、新たな体験を得られる訴求が皆無な気がする。 はっきり言ってカタログスペックだけだ。

ドキュメンタリー番組は画質が良い方が良いが、メインであると思われるお笑いやらドラマは画質で訴えられても別にどっちでも良い気がする。今の絵の作りこみ度では正直荒が見えるから魅力減な感じもする。ドラマで言えばその世界ではなく “スタジオのセット” が分かるし、”あの女優はこの収録日は生理だった” とかが分かってしまう。

人間は脳内補正を色々とやるので、”クラブでナンパしてコンバージョンしたが朝起きたら信じられない光景だった。” みたいな事が起きていた方が幸せだった気もする・・・。

地デジが見たいのではなく “薄いテレビ” がニーズの本質

あるデータによると既にデジタルテレビ普及率は結構高いみたいだが(85%ぐらいだったかな?)、そもそも “デジタル高画質” が欲しかったんではなくて “薄いテレビ” として買われてたんじゃないかな? よって難視聴地域拡大の可能性や新東京タワーの問題を除いてコンテンツに対する欲求だけで考えれば、アナログ停波時の段階でいきなり半減とかの大ダメージは起きないと思う。が!コンテンツがこのままでは投資に対する見返りが薄いと判断するまだ持ってない自分みたいな人や、持っててもWEBで十分(直近の言い方だが)になってしまう人はそれなりに居ると思う。難視聴地域で失われる視聴数を想定して、視聴時間を増やすコンテンツ開発は進んでいるんだろうか?

ニコニコ動画のノビシロに太刀打ち出来ないテレビ

テレビがコンテンツに迷っている間に、ニコニコ動画のライブ放送みたいな受信と馴れ合いが同時に出来てしまうコンテンツが成長してしまえば、”高画質だが受信だけ” のテレビは必要なくなる。 テレビは “お茶の間の主役” だと思ってるし、そこにアイデンティティーを強く持っていると思うが、WEBが高画質生放送が出来るようになるのも時間の問題だし、ちょこっとハードの表面的な事だけ変わればいつでもお茶の間の主役はWEBに取って変わられる。

番組制作者は番組配給を局ではなくニコニコ動画に対して行うようになり、ニワンゴは “鬼に金棒” 状態になるんだろう。

ニコニコモンズによって吉本の動画素材が使えるようになった りと徐々に事務所との関係も構築し始めている様に見える・・・。

テレビ番組等のアップは厳格に削除していくという方針を明確にしたのも “あんた達からのおこぼれがなくてもやっていけるよ~ん” という計画故だろう。将来のテレビ局崩壊の道は出来てるな。局は製作会社を押さえてCPになりニワンゴと上手くやるしかないだろう。いつまでも 「地デジに金かけたからもったいないし地方局が潰れちゃう」とか言ってたらCPにすら留まれないな。

テレビ/ ニコ動 共倒れの可能性も…

しかしWEBだとそこから金にするのが大変で、出演者のギャラが捻出出来ず芸と能があるタレントはテレビに留まりニコニコ動画は声がでかいだけの安い人という住み分けになったら共倒れにもなりそう・・・。

移行期はみんなここのバランスは慎重になるだろうな。最終的には “テレビ=ジャニーズ孤立軍 / ニコニコ動画=吉本連合軍” こぉいう事かな? それか “芸能人なんて居なくてもいいじゃんっ” てな事も考えられる。

赤子段階から習慣を変える

WEBはテレビに明確に勝つ時期を早めるには教育コンテンツを用意して、赤子をテレビに接触させないまま成長させるのも手だ。同時双方向が今のテレビなんかより遥かにやりやすいので、教育玩具的なコンテンツ・入力装置は作りやすいだろう。PCメーカーも今の “エコ” みたいな流行で、”電磁波軽減PC” を作れば大きなうねりになりそう。←これは赤子ターゲットにはならなくても、ある段階で流行にはなると思う。親にテレビや今の玩具よりWEBコンテンツに接させた方が良いと思わせ、言語を知らない時からWEBに接せさせれば、テレビは自分の世代で言う新聞程度・以下の存在感しか無くなると思う。自分ですら会社では “WEB頭” と言われるが、本当のWEB頭はこういった環境で育った人間だろう。

テレビなくても大丈夫?

世の中はどんなもんかな~と思い、ちょっと調べたら
テレビが壊れた場合、テレビ無しで何日間我慢できますか?

こんな投稿があった。

5対2で “テレビ無しで大丈夫” という感じの結果。あまりにサンプルが少なすぎるし、ネット上でやっている結果なのでテレビでアンケートを呼びかければまた違った結果になりそう。実態は地域にもよるだろうけど、まだ “テレビ無しじゃ困る” という結果になるんじゃないかな(そぉいう問いかけではないが・・・)。なんだかんだ言っても現在の接触メディア1位はテレビだ。東京以外はまだテレビ依存度は高い と思う。

ネットがなくても大丈夫?

ネットやケータイなしで、どれだけ我慢できますか?
こんな記事もあった。このリストじゃ見難いのでちょっとグラフを作って確認してみた。

インターネットや携帯電話から一切離れて我慢できそうな期間ランキング

これもWEB媒体でのアンケートなのでWEBに有利な結果だと思うけど、フェアな比較をしたとしても テレビよりもジャンキー度は高い結果になりそう。

現状のニーズまとめ

“接触メディア1位はテレビ” を前提に緩くまとめると “WEBは欠かせない。テレビはなんとなく付けていて接触時間も長いが、無くてもいいかも?” という感じかな。

セックスとコンテンツへのニーズ

ちょっと外れるが

女性の半数、男性の3割が「セックスよりインターネット」

記事タイトルが大雑把だけど、あくまで “2週間” との事。これは今の相手とのSEX次第な感じもするがw おそらく “ネット依存度が高い” と見せたいんだろうけど、むしろ 結構な割合でSEX依存度が高いなという感じがする。

また男子と女子の結果に開きがあり、女子の方がSEXよりネットが大事 であるらしい。でも半数は2週間SEX我慢出来ないとも言える訳で、みんなかなり発情屋さんに見える・・・w 日本でこの調査したらどんな結果になるんだろう?

テレビへの今後のニーズは “ドキュメンタリー”


薄型テレビ&地デジで「見たい番組が変化する」–ソニーマーケ調査

今後地上デジタル放送で見たいと思う番組は「旅、風景、建物」に関する番組を挙げた人が「映画」を抜いてトップという結果になった。

あらあら・・・。上に書いた、ドラマ・バラエティー等、製作側の創造を強く楽しむジャンルから離れていく方向性が分かる調査だ。完全にネガな訳でもないが、直近は吉本と共存を続ける為に “世界の名所でお笑いバトル” こんな事になりはしないかw ←これはこれで見てみたいが。

これからのテレビは基本的な情報を伝えるだけでなく、感動を与える、情緒に訴える映像の表現装置でなければならないと思います

深夜やってる “FNSドキュメンタリー大賞” には見入ってしまう自分が居るし、WEBもGTの仕事が目立っていてこぉいう方向性のニーズが強まっている感じがしている。テレビはいつまでも声でかいだけのお笑いの人、ルックスクオリティーが平均よりちょっとだけ高いアイドル、女子アナいじりだけだと取り残される事になりかねないなw

“映像コンテンツ” としてはテレビ圧勝

・・・ここまで書いたけど、この比較にはある意味落とし穴があった。WEBは実はコンテンツに接している時間ではなくてメール書いてる時間も含まれるw SNS・ブログの記事を書いている時間もある だろう。

よくよく考えてみると 視聴率20%取れていて “テレビは厳しい” って言われるが、WEBの人間からすればすげぇ数字 だと思う。瞬間の絶対数が違い過ぎる。WEBのヒットしたバイラルコンテンツっつっても、それが話題になるのは制作やってる人間の間だけな感じがする。YOUTUBEの人気動画の視聴回数を見ても、テレビに比べれば大した数字じゃない 様に感じるし、人気コンテンツで世帯視聴・観覧率を出したら明らかな差が出るんじゃないかな。

まずはプロが発信したコンテンツのWEB(受信)なのか、CGMのWEB(発信・参加《馴れ合い》)なのかを区分しなきゃちゃんと比較出来ないなぁ。

よってテレビとWEBを映像コンテンツと限定して捕らえて比較するならば、テレビ優位というのは明確(あくまで接触力としては)。意外となんて事ない結論だw

とは言え “視聴率” は疑わしい

ただテレビの視聴率算出方法は疑わしい。精神論になっちゃうが、ビデオリサーチの機械を置いている家庭は、どこかで “視聴率計測に参加しなきゃ” という意識が生まれてしまいがちだし、自分の行動がメディアで使われる視聴率を形成しているという参加ナルシズムも刺激されているハズ。そういった状況ではサンプル数があまりに少なすぎる。デジタルで双方向が可能ならば、ビデオリサーチの機械置かなくても全デジタルテレビの視聴状況調査なんかも可能なんじゃないかな。まぁそれをどこがやるかで揉めるので政治的に通らなさそうな案だが・・・w まぁここは電通が我が子であるテレビを延命させる為になんか考えていそうではある・・・。

また、”ネットしながらやる事はテレビ” というような調査もどっかにあった。テレビは付けていても見てない事もある という事だな。よってビデオリサーチも誤差は認めているが、誤差が+に転じる事はなかなか無いと思うなぁ。

裏付けが軽薄なテレビは商品力を相対的に失う

まぁ映像コンテンツとしてはテレビ優位という事で良いと思うんだが、メディアや広告として考えると今後は明確にWEB有利的な事になるだろう。広告媒体としてはCPAも考えないといけないと思うし、まぁいわゆるクロスメディアっつぅ合わせ技の冥利もあるので、現段階でどっちが良いと明確にするにはデータが足りないが、テレビはWEBに対抗するにはWEBでいうPV・UUに値するようなデータが取れないと、メディア力以前に代理店の商品として厳しくなりそうだ。今はまだ “テレビ=なんとなく付けてるから接触頻度が高い” “視聴率=ちゃんと見ているだろうからある程度信用出来る” “視聴率から紐付けたレスポンスのデータがある” という前提がある けども、これからの企業の担当者は自分の様にテレビ持ってないヤツかもしれないw

雑誌はテーマセグメントが明瞭

で!本題のw テレビに対する雑誌だが、雑誌毎にテーマがセグメントされているし、時間配分を自分でコントロール出来るのでテレビと比較すれば突き刺さりやすいと思う。文化としては、そもそもが “提案” している割合が高いと思うし、芸能事務所との政治的な関係もテレビより遥かに薄いだろうから、発信者の意思が濃く出やすい。当時のポパイや宝島なんかは共感共有する読者も多く、大きくムーブメント的な成熟になり習慣になり枯れたんだろう。

雑誌は保存版になる

自分の言う文化かどうかは読んでないので分からないけど、CREAが好調という記事があった が、これがやりやすいのは雑誌故だろう。

それぞれの号が保存版になればということです。

とあるが、強烈に “我々プロが提案しております” と言っている様に感じる。雑誌はWEBには無い編集されたプロが発信する情報である から、まだ金出して買う人が居るんだろうし、生き残るにはこの方法しかないと思う。おそらくCREAの好調というのは “提案” というよりは、しっかりとしたマーケティングから生まれている感じはするが・・・。まぁ仕事としては凄く綺麗で正しいんだろうな。

発信者と受信者(ファン)の関係が明確に存在する

まだあるのか解らないが雑誌の一番後ろに “読者からのご意見” みたいなのがあると思う。そもそも “金払って買ってる=立ち読みした上で明確に自分が欲しいものとして判断している” と思うのでネガは生まれ難く、プロが提案したものに対する共感の意見みたいなのが多い気がする(あえてネガを多く掲載はしないだろうが)。馴れ合いではなく発信者と受信者の関係がまだ健全でありやすいのは雑誌なんだろう。

インターフェースが超重要課題

雑誌的コンテンツをWEBでやろうとしてる所もあるが、紙のインターフェースをWEBデータにしただけの縦書きレイアウトは使い難い印象がある。横書き(WEB)に対して無駄に抵抗したいだけにしか感じない。縦書きのレイアウトもプロの仕事の一つだが、そんな所で意地張ってないで雑誌はそのプロによる情報をプライド持って出すべきだと思う。 多分多くの雑誌の人は既に分かっていて徹しようとしていると思う。技術的進歩は起きないので徹さざるをえないし・・・w ただやはり金出さなきゃいけないので、どうしても接触頻度は無料のものよりは落ちてしまうな・・・。WEBでの接触に最適化された雑誌コンテンツというのが必要でみんな悩んでるんだと思う。

本への接点 / 体験を増やすジャストアイデア

印刷物として売るには凄~く適当なジャストアイデアだけど、雑誌は全部無料!本屋に入るの有料!持っていかれた数によって売上げ分配ってのも下手したらいいのかもしれないな。一人で持ち歩ける数には限りがあるので、収支があう入場料も算出出来そう。・・・かなりリスキーだなw

他媒体

ついでに残りの媒体についても現状の私感をメモ。

ラジオ

“馴れ合い” は存在するがWEBほどではない

ラジオは大半は “ドライバーのお供” であり、能動的に聴いてるケースはオールナイトニッポン的なテレビと同様タレントに頼った番組以外は少ないと思う。視覚に訴えられないので逆にクリエイティブ・・・というか王道で面白い番組も多いと思うし “リスナーからのお便り” が必須で、発信受信と馴れ合いが良いバランスだと思う。ただ読まれないと馴れ合いに達成出来ないので、WEBの “より確実な馴れ合い” には勝てないんだろう・・・。

WEBと共存する音声コンテンツ

今はラジオ受信機がある家庭もちょっと微妙な感じはするが、家で能動的に接触させるには、”WEBのお供” なコンテンツもいいんじゃないかな?ラジオ深夜便なテンションで心に響く綺麗な写真と連動する番組とか・・・。これなら写真共有サイトと連携して導線も増えるし、写真共有サイトも利用者が増えてWIN-WINじゃないかな!?

新聞

NEWSならば即時性からWEBに敵わない

新聞は、もう何で存在しているのか自分は分からない。新聞の主な役割はNEWSだろう。役割というかそぉいうコンテンツをやっているのが新聞だ。NEWS以外を前面に打ち出した新聞があったっていいと思う。NEWSは基本は私感を入れないで事実のみを伝える事だと思うが、速報性では適わないWEBにNEWSの役割を奪われても当然だし、テレビはそういったNEWSの伝え方とワイドショー的な “やんやかんや” やる番組もある。現状のNEWSとしての立ち位置での新聞はどっちにも勝てる訳がない。

売る側が魅力を語れていない

昔から新聞勧誘の人に「お宅のWEBでNEWS記事が無料で見れるのに、なんで金払って紙で見なきゃいけない訳?」と問い詰めている。みんな洗剤程度のインセンティブしか提供出来ない上に 「そ~なんですよね・・・」としか返してこない。これじゃダメだろう。「NEWS以外のコラムとかは他媒体には無い魅力があり読み応えあるんです!」ぐらいは言わないと・・・。

わざわざ “紙にしなきゃならない” 負の側面をプレミアムな体験と定義する

WEBの人間にとっては “紙になる” という事がかなり新鮮だったりする。既にあるのかもしれないが、一面を読者の馴れ合いコーナーにしてみるとか、そんぐらいしないと維持すらも出来ないと思う。新聞においては、同じ内容が無料のWEBにあるんだから既にプロの情報を得るという価値は無い。”WEBのお供” になるにも新聞は物流だから厳しいだろう。

少なくてもインターフェースを一考する必要がある

昔ドラマかなんかで「僕の記事が全国の人に読まれるのは感動なんです!」みたいな熱血記者を描いたものがあったが、今はその楽しみをアメブロで誰でもやれる。色も付けれて絵文字も使えるし写真も動画もOKだ。その上読んだ人の反応もダイレクトだ。新聞よりも遥かに優れた活字デザインをしているブロガーはごまんと居る。これを踏まえると今後活字好きの人間が新聞社に入る事は考え難い。正直どの角度から見ても衰退の道しかないように思える。

ノスタルジーがウリになってるのが現実

“iphoneアプリで新聞が無料でそのまま見れる” ってのが人気 らしいが、悲しい現実としては “忘れかけていた新聞を無料で見れるなら懐かしさを味わう為に落としてみるか” という事じゃないかな。新聞を欲しがっているんではなくて、最新デバイスで旧メディアを疑似体験するちょっとした遊びが目的であって、すぐ “横書きで読んでリストから気になる記事選んだ方がいいわ” というオチだろう。記事検索出来るならちょっとだけ事情は変わると思うが・・・。どちらにしても将来的には今の感覚の “江戸時代の手書きチラシ” みたいな存在になると思う。広告としてはODMに次ぐでかい面積を持つ事ができる媒体という特徴しか感じない・・・。(こんなマルチディスプレイ環境を持っている人は除く)

WEBは “デジタル化出来るもの” におけるインフラである

“WEB=馴れ合い” なだけなのはちょっと困る

“今後はWEB”(手法として) というのは間違いなく、全てを包括していく存在だと思う。現時点でも目立った所では、テレビ、新聞、雑誌、音楽販売はWEBでやれる事で、既にその役割は奪われつつある。ただ、2.0的な “馴れ合い = WEB” というWEBコンテンツのカラーが自分的には反発したい所。

WEBの仕事についていなくても、要はプロというポジションに居なくてもPCがあれば同等・それ以上のコンテンツを作る事が出来る可能性を秘めてるのはWEBのポジな所なんだが、現時点では馴れ合いばかりで、ちゃんとしたプロの仕事には全然勝てて無いのが殆どじゃないかな。YOUTUBEが人気とは言え、基本は “テレビがWEBで見れる。レンタルしなくて良い” がきっかけだったと思う。現状もそれ程変わってないんじゃないかな。日本は視聴数は多いのにアップ数は少ないらしいし。

誰でも出来るが故のクオリティー低下を危惧する

コンテンツ制作・発信を “自分にも出来る” というモチベーションが生まれ易く、試みが多く行われるのはとても良い事 だと思うんだが、WEBの緩い発信者が発信者として前提になりやすいのは、全体的なクオリティー低下に繋がる感じがして、ちょっと危惧している。(やや懐古主義なのかもしれないが)

話題であってもクオリティーは…?

例としては初音ミクが話題にはなっても、音楽としてはプロの仕事には程遠い。(好みとしては趣味次第だが・・・)まぁ受信時の目的が全然違うのでこの件はまだ健全だけども、どんどんボーダーレスになって行きそうなのが危険かなと・・・。ちゃんとプロデュースされたアイドルと、自称アイドルでは雲泥の差がある。

どこかでプロの技が必要

Perfumeの初期と現在が良い例。CD化もちらほらあるみたいだが、まだ初音ミクの名前に寄っ掛かってるだけっぽい。ここから良い作曲者をレコード会社が発掘して、ちゃんと世界観等も綺麗にプロデュースして販売する導線に繋がるならばむしろいいんだが・・・。しかしこのabsorbというバンド、ウルフルズが応援歌しか出せないのと同じで、卒業ソングしか出せない人になりそうだな・・・。

追記:201902 この指摘が現実化したのが、米津玄師だろう。

“馴れ合いの上流” に対する危惧

まぁネガだけではなく、最初は馴れ合いが目的でも、プロになれる人の自覚を生む場になる可能性があるという点は、馴れ合いの場もポジな要素もある。 しかし “馴れ合いの上流” というカテゴリーもあるので、全員がそこを目指してしまいがちなのが、やはり気になる・・・。 その上流に行った本人に金が入ればまだいいんだけど、ミクシィとサイバーエージェントにしか金が回らないのは危険だと思う。クラブの世界での不味い酒作ってトイレ掃除しか出来ない人には確実に時給800yen入るのに、DJには大して入らないというのと近い。上質な発信者(プロ)に金が回らなくなりやすい導線が危険 という事です。

発信にあたってのハードル

WEBはサーバーレンタルしてHTMLがちょっと書ければ、個人でメディアを持つ事が出来るという可能性に惚れた。当時はそれでもある程度努力は必要だった訳で、個人でテレビ局を持つ程ではないが、多少は敷居はあった。それをクリアしてでもやった人というのは、何かしら発信したかった んだろう。まぁ自分はそうだった。←これがプロによるコンテンツかどうかはまた別の話で、あくまでモチベーションの話です。

今の敷居は “アカウントを取る” ぐらいだろうか。テレビの時間が減って、表面上 “WEB優勢” の様に見えるが、実態はWEB媒体というよりは、メールや “Mixiにやらされる馴れ合い” に時間を取られ、プロの仕事に接する時間が増えているとは言い切れない し、発信ではなく馴れ合いが主の目的になり過ぎている。

想像と貨幣のブリッジが出来なければ風俗となる

極論だがプロが作ったコンテンツは必要無くなり馴れ合いだけになってしまう。“ブロガーバズプロモーション” が売り物になるという事実が典型的。ブロガーが今の時代のプロを否定していれば先に繋がるのでまだ良いんだが、そぉいう訳でもなさそう。”無意識だが実は否定していた” であればまだ健全だが、気付いたらクリエイティブには金が回らなくなり全てが風俗になってしまいそう だ・・・。既に部分部分侵食はしている。

・・・自分が今考えているのは時代に乗れないおっさんの懐古主義故の被害妄想であって欲しい。

このサイト/記事の存在も矛盾している

自分もこうやって無料でテキストを書いて誰かに読まれ時間を割いてもらっている訳だし、無料でDJ MIXが聴けるのも「音聴きたい」という人の欲求は満たしてしまって、CDが売れる機会を殺いでいる可能性もあるという、自己突っ込みが出来てしまうのが辛い所だ・・・。自信を持てるロジックを作りたかったんだが、墓穴を掘ってしまった・・・w

ヒエラルキー構造は構築されるが、貨幣が紐付くかどうかは…?

あえて “全てがドキュメンタリーコンテンツ” と言い換えると途端に楽しくなってくる感じもするw まぁ人間は向上心(欲)があるので、風俗になってもそこから枝分かれのパイオニアは生まれる んだろうな。そうやって変化してきたんだと思うし。(今後は金が回るかは微妙だが・・・) しかし今は変化の前の崩壊が多い段階なのでネガに感じがち・・・。クラブに対しては崩壊してくれた後の方が楽しそうというのが見えるが、”総合広告代理店” の立ち位置からメディアやクリエイティブを見るとポジが見え難いな・・・。

コンテンツの作用イメージを明確に持つ必要がある

まぁ、取り急ぎ目の前の事として全媒体のコンテンツに言えると思うが、プロのコンテンツ発信をして受信を求めるのか、率先して馴れ合いの場を作るのか、どちらかだろうな。何か始める時にはコンセプトとして日常的に考える事になると思う。ニコニコ動画を筆頭に各所で切磋琢磨行われるんだろう。

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