2011/4/22発売。2013年11月の読書。
沖野氏とは共通の友人が居て 「あんたらきっと話合うよ」 と言われていたし、タマリバ発想 にはめちゃくちゃ共感しているので、AZZLOのDJ経験とビジネスを紐付けるヒントを得られそうだったのでamazonでポチった。
1:低予算レコーディングや自宅録音で作品を制作し、インターネット上で自作を発売する機会を得ています。これはネット時代のメリットでもあるのですが、プロモーションの無策や質の低さによって実質的にはその存在が埋没あるいは無視されているような状況です。
しかもメジャーレコード会社は、売れているもの、もしくは売れているものに似ているものしかリリースしない傾向が強くなっています。その結果、売れているアーティストにプロモーションが集中し、従来通りのマスメディアによる宣伝によってさらに知名度を獲得することになります。潤沢な資金は、SNSやネット上での宣伝でも強い効力を発揮することでしょう。
何を聴いていいかわからない層はまさに大量宣伝の格好の餌食になっていると言わざるをえません。同時に、反多様化の進行が、ますますCD離れを加速させています。本来、音楽情報を発信しなければいけないはずのレコード会社が、タイトル数を減らしていく中で、多種多様なニーズに応えることができなくなっていったのです。
⇒自宅録音作品は、最近に始まった事ではない。もちろんAZZLOの尺度からしても質が低いものもあるが、レコード会社やプロモーションを介さない純粋に音だけで評価する機会、される機会がニコ動やsoundcloud等で加速している。
問題はネット普及で加速した部分はあるにせよ、音楽ビジネスに携わる人が “発信者の自覚” が薄まっている事だと思う。
- 「世間でどうだか知らないが、プロの耳と感覚を持つオレが良いと思ったんだから、きっと売れるだろう。・・・というか、とりあえずみんなに知ってもらいたいんだけど!!!超オススメなんだけど!!!」
が音楽レーベル側に無いんじゃないだろうか?
“何を聴いていいかわからない層” は元々能動的に音楽を必要とするタイプではなく、一昔前で言えば、”CMタイアップ楽曲、ドラマ主題歌を買ってカラオケで歌う” というのが、行動・マネタイズの上にある人達で、もちろん今も濃い導線がある。
要は聴覚刺激の音楽という接し方ではなく、コミュニケーションツールとしての嗜みとしてたまたま音楽があるだけの人達だ。もちろん彼らもある程度聴覚での好みを前提とした嗜みをするのだが、ガチな音楽との接し方とは違うと思う。
音楽って結局、生き様なのでw コミュニケーションがあろうがなかろうが、必要なものは摂取するもんだ。例えばAZZLOはクラブにも行かないしDJもしないが、beatportで月600曲は聴いてる。
CDタイトル数が多ければ良いってもんでもないだろう。多ければDJの様に曲探してるだけで1曲通して聴く事が出来なくなるw そぉいう音ジャンキーは少数派だ。量の多さが重要という事であれば、YOUTUBEなり、LAST FMなり、CD全盛時代と比較して、量は圧倒的に増えていて、むしろ新たな音楽との出会いの可能性は広くなっているハズ。(その音楽が新たな体験かどうかは別だが)
2:多くの人にとって価値があるのは、「目利き」 ができる人です。
例えば、ファッション雑誌 (またはWEB上) で、とある人気スタイリストが最新コレクションの中からおすすめの服や自分が買った服を紹介したとします。人はそれを見ることで、「ああ、この服はいいんだ」 と自分の中で安心にも似た気持ちを抱きながら商品を購入する参考にするわけです。
なぜならスタイリストは研ぎ澄まされた感性と経験と知識を元に、自信を持ってお気に入りを紹介してくれるからです。
DJも同様に、膨大な音楽知識の中から、時間と場所と空間、さらには対象とする相手を見極めることで最適の1曲を提案するスペシャリストなのです。
⇒そのスタイリストを雑誌に掲載しようとする、編集部のセンスがまず必要だよな。
DJについては、時間と場所と空間と相手を見極めた上で、自分の好きじゃない音が最適だと判断するケースも本来はあるハズ。
“DJは場を読んで次の曲を選ぶんだぜ!!!” 論
は、ある程度は同意だが、そんな事は現実は不可能だと思う。根本は “自分の表現” があった上で、その場に合わせて仕上げをしているのが現実のDJだと思う。
例えばAZZLOが、アニソントランスのイベントに行ってシラけてたら、アニソンDJさんは激渋ミニマルをかけてくれる訳ではないだろう。仮にAZZLOの趣向に気付いても持ってきている音源のバリエーション的に、ほぼ対応不可能だ。
最近はアナログレコードはなく、CDやPC内音源でのDJが増えていて、”音源的にAZZLOにも対応” する可能性は高まっているが、全部やってたらDJの表現なんて無い。全て確実にやってたら超能力者みたいで、それはエンタメになるがw それはクラブではない。
3:確かに、人気のある音楽プロデューサーであれば 「この人のプロデュースだから」 という理由だけで作品が売れていくこともあるでしょう。しかし、それは、聴き手の判断の放棄ではなく、信用というブランド力に拠るところが大きいと思います。
その信用は音楽センスや楽曲の良さによって確立されるものです。常に情報を更新し、同意にオーディエンスの心を満たさなければならないということはDJの使命なのです。
⇒”何を聴いていいかわからない層” はその音楽センスが分からないだろう。
信用なんて情報操作でいくらでも作れる。特にクラブ的な非言語なものは、やりやすいだろう。ビートがあって心地よい上音が鳴ってれば、大体センス良いもんだw
DJは、名がある人の作品を “取り急ぎ聴いておく” 的な事はあれど、むしろ 「どうせみんな買うだろうから自分は買わない」 というケースもある。
4:僕は、情報とは、誰かの判断が入っているものだと考えています。
例えば、ニュースという情報がいい例でしょう。誰かの判断が入っていることでニュースになっている。これはつまり作られたものであるということです。
火山の噴火は自然現象です。これを 「火山が噴火しました」 と伝えるだけで、ニュースと呼ぶことができるでしょうか?
それを誰かが調査し、「3日間、噴火し続けるでしょう」 という要素を加えることで伝える価値のあるニュースとなるのです。そこではじめて誰かの判断を伴った情報となっているといえます。状況から情報へ変化しているわけです。
⇒そうかな?
ニュースキャスターや、記者が、「火山専門家が 『3日間、噴火し続けるでしょう』 と言っていましたので、そぉいう事らしいです」 というケースが多いと思う。
よって、噴火という状況と、火山専門家の意見が出たという状況を出しているだけで、発信者自信は見解を交えてないケースが多い。多くのニュースキャスターが目指しているのは、そういった事だ。稀にそうでない人もいるけど。
そして、”噴火しました” という状況だけのニュースだってある。 要は単純な事実だ。
“色々な状況がある中で、今日は噴火という状況をお知らせしよう” という選別段階には人が介入した上での影響はある。
5:日常的に接するニュースにしてもテレビ局の誰かの意向で選ばれたものしか放送されていません。ここでも 「人の判断」 が加わっているのです。しかも、取り上げられたものも、誰かの視点で語られていることを忘れてはいけません。(中略)
捏造が日常茶飯事で行われているとは思いませんが、誰が何のために作っているのかという疑念は持っておきたいものです。自分の価値基準を構築することにおいては、あくまで1つの参考材料としてTVや新聞には接するべきではないでしょうか。
当たり前のことなのに忘れがちですが、情報というものは 「誰かの判断」 がすでに加わっているものなのです。
⇒
- 沖野修也のDJにしても沖野修也の意向で選ばれたものしかプレイされていません。ここでも 「人の判断」 が加わっているのです。しかも、プレイされたものも、沖野修也の視点で語られていることを忘れてはいけません。(中略)
捏造が日常茶飯事で行われているとは思いませんが、誰が何のために作っているのかという疑念は持っておきたいものです。自分の価値基準を構築することにおいては、あくまで1つの参考材料として沖野修也には接するべきではないでしょうか。
当たり前のことなのに忘れがちですが、情報というものは 「誰かの判断」 がすでに加わっているものなのです。
と置き換える事が可能だよな・・・w
スタイリストにしてもDJにしても、利害関係はゼロではないのでは?スタイリストのオススメする服は、ブランドから金を貰った上で、オススメしている可能性もあるw
金のやりとりはなくても、デザイナーの友達の服をプッシュする事は、あり得るだろう。
スタイリストもDJもテレビのニュースも、人の判断が加わっていて良いのではないだろうか?避けられないし一定のキュレーション力が、その人、その媒体の価値とも言える。
沖野修也の提言を踏まえると “DJの判断は抜きにして、完成した日付順に流すDJが正しい” となりやしないだろうか?
“誰が何のために作っているのかという疑念は持っておきたい” が故、「誰か(企業組織)の判断」への疑いは加速しているので、テレビは当然だが、スタイリストもDJへも疑いを当然持つべきだろう。
その検証を繰り返しながら、”自分が思う真実” を探し当てるのが、夜遊びなんではないだろうか?
6:僕が強く感じていることは、音楽にしろ本にしろ、プロデューサーや編集者が絡んでいないものをいったい誰が聴いたり読んだりするのだろうかということです。確かに誰でも簡単にアップロードはできますが、「ではその質ってどうなの?」 と僕は思うのです。
ここには 「誰かの判断」 がないのです。
⇒超絶的に酷いものもあれば、レコード会社から出ているものよりも質が高かったり評価が高いものもある。
多くの場合、プロデューサーや編集者に発信者の自覚が無い分、要は昼間の蛍光灯下の影響が無い作り手だけの意思の方が、洗練されてないにせよ魂はあるハズ。
そして、再生回数やコメントから、”誰かの判断” は伴ってくる。再生回数が少なくコメントもなければ、”それほど評価はされていない”(少なくても現時点では) という判断ではないにせよ事実はある。
7:たとえ売上の一部が手数料として差し引かれたとしても、そのフィルターがかかることで内容が向上するし、そおそも内容が良くならないとビジネスにもならないと思うのです。それに、プロモーションや宣伝の問題も出てくるでしょう。ネット上のどこかに存在しても、そこに辿り着いてもらうしかけを考える必要がありますし、その作品の存在意義みたいなものを世の中にアピールするのもプロデューサーや編集者だったりするはずです。
⇒後半は共感だが、そのフィルターが有難迷惑な場合もある。素人作品が評価されるのは、その未達成の部分が魅力だったりするのだ。
ビジネス的視点がクリエイティブを制限する事もあるし。いつの時代も最初はビジネス関係ない個人の熱狂からビジネスが生まれるハズ。
2010年04月公開で、2014年4月時点の再生回数が、約59万回。コメント数約1.4万件。
2009年2月公開で、2014年4月時点の再生回数が、約2.8万回。コメント数9。
オマーン湖は、ほぼ間違いなくDTM完結で、”誰かの判断” が無いままアップロードされたものだろう。
動画の比較においては沖野修也の動画よりもオマーン湖の方が圧倒的に能動的に必要とされているな。(金が動いたかはまた別の話だが)
8:質が低い情報を発信することは、そもそも意味がないのです。そこを、多くの人が間違えているのではないかと感じるのです。
⇒何を持ってして “質” とするのかは、多くの場合好みも絡んでくると思う。そして “才能の無駄使い” というあえて、低品質?センス悪い?的な事を評価する趣向もある。
9:日本でもネット上で多くの人に読まれているのは、個人ではなく出版社が発信しているものです。仮に、個人でアップロードして売れる人は、本物の天才です。編集者が一切赤を入れなくてもよい天才。
⇒ネット上で多くの人に読まれているのは、”近隣の人の近況” じゃないだろうか?FACEBOOKやらTWITTERとか。やや離れて有名人ブログだろうか。いずれも出版社は噛んでないだろう。
10:僕は音楽だけでなく、ファッションからアート、写真、文学といった様々なカルチャーのエッセンスを吸収し、過去50年にリリースされた音源の中から現在にも通用する楽曲を30年間に渡って蒐集しているわけです。
その沖野修也が、フィルターとしてサウンド面のアレンジからビジュアル、さらにはプロモーション、果ては海外戦略まで、ありとあらゆることを考慮してアーティストを世に送り出しているからこそ、その作品に付加価値が加味されるのです。そのことなしに世に出しても、素人の音楽になんか誰も見向きもしないと思うのです。
⇒初音ミク楽曲は、プリ・マスタリングやパッケージ、販促資料等は製作者以外の人が噛んだ上で、リリースされたりしているが、ミックダウンまではほぼ自宅で個人だろう。そしてオリコンチャートインしたりしている。すなわちある程度は売れている。
“沖野修也ならではの旨み” があるのは当然だろうが、必ずしも必要ではないと思う。
11:僕のように直接著名なDJと交流がなくても、インターネット上で彼らが選んだものは簡単に入手できます。
⇒1番と相反する話な気がするな。
12:僕はいったいどうやってフィルターたちから情報を配給してもらっているのかというと、実は、逆に彼らに情報を伝えることで僕自身が相手にとってのフィルターになっているのです。つまり、情報をただ受け取るだけでなく、交換するという立場にいることが大事なのです。
⇒コミュニケーションってそぉいうもんだからな。
13:良質なフィルターである→フィルターに取り上げてもらいたい人から情報が集まる→レアな情報を持っていることでフィルターとしての評価がさらに上がる→世界中に呼ばれる→その影響力にあやかりたい人からさらに情報が集まる・・・・・・という成功のスパイラルは、その上昇を止める方法を見つけるのが難しいほどです。
⇒ジャイルス・ピーターソンなんかはそぉいう感じだよな。ラジオDJとか評論家としてはジャイルスみたいのも居て良いが、クラブの現場にはDJとしてのジャイルスは要らないと思うが・・・。
14:いまだにDJというと、「レコードをこすっているんでしょ?」 と言われたりすることがあります。もっとひどいケースだと、「しゃべってるんですよね?」 とラジオのディスクジョッキーと混同している人もいます。
クラブカルチャーが日本に根付いたとは言え、一般の方からするとまだまだそんなイメージで捉えられているのかもしれません。
⇒そぉいうのもDJではある。ピストン西沢の喋りは面白いし、無理くりアンパンマンDJ MIXも面白い。
15:僕は世界30カ国以上から仕事のオファーを受けています。DJとして仕事をするのであれば、世界を意識するというのは当たり前の事なのです。
そうではないDJもいるかもしれませんが、僕からするとその人たちは本物ではないのかなと疑わざるをえません。才能があっても知名度が低いため海外に呼ばれることが実現していない人は別です。僕が指摘しているのは、外国産の音楽をかけているのに、日本だけをターゲットにしていたり、日本語だけをかけているわけでもないのに海外での活動を意識していない人たちのことです。
⇒外国産の音楽をかけていない事もあるけどな。
16:DJの実力ではなく、日本では、「有名だから盛り上がる」 みたいなイベントが多かったりします (有名な外国人を過度に有り難がる傾向も強いのですが)。スターDJの中には、叩き上げではなく、売れてからDJを始めた人も少なくありません。芸能人がDJをしたりするのはその顕著な例でしょう。彼らはDJではないですよね?DJがやっていることと形だけ同じことをやっている人たちなのです。
⇒これは間違いなくそうで、肌の色が違えば無名でも盛り上がるw そしてクラブなんてもうそんな場所だろう。ちゃんと表現の精査が出来る人はクラブには少ない。
音がでかければ 「音が良い」 と言うし、ただアッパーだったら 「良いDJ」 というクラバーは多い。DJやっている人ですらそぉいう人は少なくない。
17:僕たちDJは、有名アーティストの大量宣伝に決して惑わされることはありません。好きなアーティストの楽曲さえ否定できるのですから。そういう、マインドコントロール的な音楽の流布とは全く違う、「感覚の提案」 ということを僕たちはやってきたわけです。
⇒感覚の提案が成功すればするほど、沖野修也というフィルターも必要なくなっていくよな。
18:DJは、自らが地方や海外に出向くことで感性の移出を試みるわけです。そして、その土地で影響を受けたDJが同様の感性をその街に根付かせ、新しいファンを獲得する。そうしたネットワークの拡大がシーンを形成してきたのです。今、インターネット上で行われていることのテストケースとでもいえる現象は、クラブシーンの隆盛そのものだったとも言えるのではないでしょうか。
⇒クラブでは、勝手にREMIXしてカセットテープに録音して友達に配った曲が、いつの間にか勝手にリリースされていて作った本人の意思とは別にヒットしてしまい、Sade本人が激怒した (確か当時の雑誌のREMIXかなんかで読んだ)、Sade / Pearls (Phillip Damien Remix) とか
カセットでデモをもらったJunior Vasquezが、サウンドファクトリーでカセットのままプレイしていたらいつしかヒット曲に。
みたいな、”昼間の蛍光灯の下でのMTGを踏まえない形でヒット” みたいなものがある。要は “ビジネス上のマーケティングもプロモーションも何もやってない” のだ。あくまで 「オレこんなん作っちゃったwww」 の延長でしかないw この2曲でダンシングして発狂した人は、少なくても数十万人は居るだろう。
その点で、ニコ動 (インターネット) とクラブは似ている感じがあり、18番の指摘はその通りとも思うが、
1番の
- “インターネット上で自作を発売する機会を得ています。これはネット時代のメリットでもあるのですが、プロモーションの無策や質の低さによって実質的にはその存在が埋没あるいは無視されているような状況です。”
の指摘はおかしい感じするな。
19:僕の個人的な話に限れば、22年前から海外のDJと情報交換を行っています。その当時、日本の音楽業界にはそんなことをやっている人はいませんでした。
⇒そうかな?
この本は2011年発売なので22年前は1989年。芝浦GOLDがオープンしたのは1989年。その以前からNYで回していた高橋徹さんやNORIさんは、どう考えても22年以上前から海外のDJと情報交換どころか、既に回してたハズだがw
洋楽中心であったJ-WAVEは1987年から。当時日本では手に取る事が難しかった海外の音楽を買えるCDショップ、六本木WAVEは1983年からである。
小林克也のベストヒットUSAは1981年からだ。
20:仕事に必要な資料として本を読んだままにしておくのと、読後感や重要部分をまとめるのでは獲得した知識を後で活用する時に大きな違いが生まれます。時間が経ってもう一度その資料を読み直すのと、書きだされた項目を眺めるのでは効率に大きな差が出ます。
⇒これはそうだな。ココはその為に (も) やっている。
21:よりアートやデザインといった感性に訴える美意識をビジネスに導入し、創造性の新しさやユニークさで企業の価値を向上させたり、売上に結びつけてゆくのがクリエイティブディレクターの役割です。
⇒代理店には “クリエイティブ部” みたいのがあり、肩書が “クリエイティブディレクター” という人も居るのだが、彼らと仕事した時には、21番の様な働きは見られなかったなぁ。
“表現屋” という意味では、代理店のクリエイティブディレクターも、そぉいう働きをしていた様に思うが、代理店は
- 得意先が代理店営業にオリエン
↓
代理店営業がクリエイティブ (クリエイティブディレクター?) に相談。表現を考える。
↓
STPが後付で論理を付けようとする。
↓
なんか足りない気がするので、表現が分からないままWEBも考える。
↓
表現と “なんとなくWEB” はあれど、何するか (しくみ) が無い。
↓
STPの後付論理も書けない。書けても全体通しではガタガタな企画書になる。
という流れが多く、仮に表現屋のアウトプットが素晴らしくても施策になってないし、しくみは当然ないから競合プレでは負ける事が多い。プレで勝って実施してもコレといって何も起きてないw
そもそも “広告” という “タッチポイント作れば良い。その上での表現がイケてる方が尚良い” というロジックが、広告代理店においては、自滅導線になってる感じするな。
そら表現がイケてる方が良いんだが、その前段階のしくみが必要だと常々思う。そして、その “イケてる” は前世紀的イケてるとは、今世紀は違う場合も少なくない。
22:僕は、自分が作ったアルバムが絶対に10年後、20年後も聴けると断言ができます。もし、10年経って聴けなくなっていたら僕が返金するとまで言いきれます。それくらい自分の判断に自信があります。
⇒JAZZ的なのは、短期的トレンドが無いからな。ま、他フォーマットも今となっては、それほど無いけども。
AZZLO的には、”その時代の価値観を更新したもの” は時間経っても魂を感じるな。
沖野修也のアルバムは持ってるのだが、当時針を落としてから、その後一切聴いてないんだよなw 今聴いてみようと思ってAZZLOのレコードラックのJAZZ的コーナーを探したのだが、見当たらなかった・・・。売っちゃったかな・・・。
10年、20年後も聴けるJAZZ的なのは、AZZLO的にはダントツで竹村延和なんだよな。
ま、JAZZっつったら
こぉいう、The Future Sound Of Jazz系しか知らないだけどもw
もうちょっと生音なJAZZな雰囲気がするので持ってるのは、
こぉいうのとかかな。moog系ラウンジミュージックが好きなので、多少こぉいうのは持ってる。
23:洋服に限らず、まだまだ多くの人が、他人が 「いい」 といったものを無自覚に 「いい」 と言っているのではないでしょうか。疑問を放棄して何も考えないのは確かに楽かもしれません。
しかし、現在のような情報化社会でも、フィルターを利用することで効率よく良質な情報を手に入れることができるはずです。
⇒そのフィルターが 「いい」 といったものを無自覚に 「いい」 と言っているのではないでしょうか?
と言えてしまうよな。
今までのマスメディアも中には人が居て、知識を蓄え正義感を持って情報を発信していた人も居る。編集者であれば、夜遊びしてあらゆる “今後育つであろう種” を探していた。
今は、”編集者の正義ある情報” として金出せば買える。いわゆる記事広とかだ。編集者の信用・正義すら買えるという事。故にいわゆるマスメディアへの信頼が薄まっていると思う。
単純に、媒体 (買える情報) から、”メディア” (人と人の間にあるもの) という本来ある形が復活してきているだけの話に思うな。
そして、既に個人発信情報も “アルファブロガープロモーション” みたいなのはメニューになってるので、金出せば発信してもらえる。
24:これからは人的信用というものが重要になるでしょう。それも単なる 「お客様の声」 といった匿名的な存在の感想ではなく、普段から信用している人の見解や推薦が重要になるのです。
⇒これはそうだろうな。要は企業への信頼ではなく、個人への信頼に変化してきているのだろう。
ま、これはいわゆるSNSで個人が発信しやすくなった故というインフラの問題だな。個人のSNSは発信者がほぼ特定出来ている。要はその発信者の事を理解している可能性が、企業発信の情報よりも高いので信用度は高くなる。
25:今は、高度成長期時代のように、情報をひたすら暗記し、有名な大学に入って大企業に入る。そして、上司の言うことを聞いているだけでは生き残っていけないのです。
むしろそんな人間が、公害や人的災害で人の命にかかわる過ちを犯すこともあるのです。
⇒ま、大企業に居る人でもそうでない人でも過ちは犯すしな。某DJはレイプ騒動?とか起こしてるし、企業は売上げ詐称とかするし。
傾向としては
- “依存したい社会的立場が現時点である人は、不正をしたり、周りに攻撃的になる可能性が比較的高い”
というのは、それぞれの過去に関係なく言えそうだな。
26:レコード会社が元気だった時は、その販売実績にかかわらず潤沢な宣伝費を後ろ盾にして多くのアーティストがプロモーションに力を入れてもらえたわけです。しかし、繰り返すことになりますが、レコード会社はリスクを軽減するために売上が見込めないアーティストとの契約を回避し、投資が回収可能なアーティストだけを世に送り出す方向に向いつつあります。
そうなると、メディアに露出できるアーティストは限られてきます。もちろん、インディペンデントレーベルやDIY的な手法で制作を続けるアーティストたちにチャンスが全くなくなったわけではありません。インターネットを最大限に活用することで、口コミ的に自分たちの認知を向上させることができるようになってきてはいます。しかし、ネット上では競合するのが過去の偉人であるということが起こりうるのです。
⇒音楽がリスク取っちゃだめだよなぁ。まぁマネタイズモデルがカラオケも含まれてからは、”素人でも歌える曲” という着地ありきで、発信者の想いとか薄まってる気がする。コブクロなんかそのカタマリな感じするな。
“過去の偉人との競合” は確かにそうだな。ネットがない時代は
- 「今ハマってるAさんがBさんに影響受けたって雑誌で言ってた。Bさんにも興味あるな♪」
↓
レコードショップに行く
↓
「えっとAさんが影響受けた人は誰だったっけかな・・・?」
だったもんな。
今だったら、即効でコピペで検索出来るから、知識の拡大は非常に早く確実。しかし、
- 「間違って買ってしまったCさんが思いの外ツボだった」
的な事が起きないんだよな。
27:僕に限ったことかもしれませんが、並行して複数の本を読んでいると途中で集中力が切れたとしても、別の本に移ることで、気分を切り替えることができます。各章、あるいは、各項目を読み終えると次の本に移る。これを繰り返すことで読書という行為の集中力を持続させるのです。
これは、DJが音楽を曲単位で楽しむ感覚に近いかもしれません。
⇒これはAZZLOも意図的ではないがよくやる。電車での移動等がある時に、現在読んでいる本を持ってくるのを忘れてしまって、駅の本屋で買って・・・という事を繰り返すと、同時期に複数の本を読むタイミングがある。
1つの本を読み続けていると、共感が強まり過ぎていたり、反感が強まり過ぎていたりするが、時間を明けつつ、他の本の見解等も交えながら読むと、文章の上手さには騙されずw 自身の見解に辿り着けるような気がする。
28:ハウスミュージックは男性のマニアが支持するアンダーグラウンドな音楽だから女の子にわかるはずがないと思い込んでいたら、この潜在的なマーケットを発見することはなかったでしょう。※DJ KAWASAKIのジャケットデザインについて
⇒潜在的かな?
DJ KAWASAKIのオリジナルアルバムの総セールスは10万枚を突破しているとの事で、確かにコレ系で1人のリリースとしては大きい感じはするが・・・。DJ KAWASAKIのファーストアルバムは2006年発売みたいなので、それ以前のハウスを振り返ってみると・・・
1998
1996
1994
1994
1994
1994
こぉいう 「この曲何???でも教えてもらっても覚えられないwww」 女子ハウスって昔っからあったと思う。ま、Basia / Drunk On Loveは女子っつぅかゲイだけどもw 今、コレ聴くとホント恥ずかしい気分になるよなwww
29:DJは反偏見主義者でもあります。先入観に捕らわれていると貴重盤を見落とすことになるからです。カバーアートが格好悪いから必ずしも内容が良くないということはありません。2足3文で売られているレコードの中にも名曲が隠されています。もし、ジャケ買いと高額盤に固着するなら資金がいくらあっても足りません。
それに、まさか、こんなアルバムにいい曲が入っているわけがない、という偏見から解放されることで、人が見つけていない情報を入手できるのです。常に、目の前にあるものを疑ってみるからこそ成長できることをDJは知っているのです。
⇒現時点のフィルターも優先はすれど、常に疑って更新していかなければならない。
30:これから “くる” 人を一言で表せば、「思い込みの激しい人」 になると思います。少し刺激的な書き方なので説明を加えておきます。これは間違ったことを正しいと思い込むという意味ではなく、信念を貫くという意味での 「思い込み」 です。
はっきり言って、思い込みが激しい人が世に出ます。
よく例えで使うのですが、「才能があるのに、自信がない人」 と 「才能はないけど、自信がある人」 どちらが世に出るでしょうか?
答えは後者です。極端な話、自分に才能があるはずと信じられることそのものが才能だったりするのです。悪い言い方をすると、その勘違い、つまりは自分のことを凄いと思える人、その凄さを証明するために向上心を持ち続ける人が、圧倒的に世に出て行きます。
⇒これはそうだな。痛いぐらいが良いw
DJ WADAに惚れたDJが誰も売れないのはw
- “自分がいかにちっぽけか理解が深まるから”
であると思っているw 要はWADAを知れば知るほど自信が無くなるのだw
いわゆるマスメディア (誰かの判断) を否定しているのに、スタイリストやDJという誰かの判断を肯定しているその差に矛盾を感じるな。
- “DJのスキル・癖・正義がビジネスにも活用出来る”
というのは、よく分かるが、沖野修也が否定している分野にも、DJの要素は含まれているケースはあるんだよな。
“いかにオレがイケてるか?他がダメか?” が多過ぎて客観性に欠ける感じがする。ほぼ自伝。
DJを知らない人向けなんだろうけど、DJやってたAZZLOからすると、”おされなクラブジャズだけがDJじゃない” と思うし、DJの歴史についても、19番に記載したように誤情報がある。
DJに対して世の中的には、ネガな偏見もいまだにある職業というか、生き様である為、くどいぐらいDJの優秀さを説明したいのは分かる。しかし “DJ” ではなく “オレ(沖野修也)” なんだよな。
ハードでノイジーなキッズ向けのダンス・ミュージック を馬鹿にしている風だったり?するし、”お上品至上主義” な感じするなぁ。
ノイジーかどうかはともかく、キッズが反応するのは良い事だと思う。
おっさんおばさんしか反応しないのは、クラブでやる必要はないと思う。
・・・とりあえず明確に言えるのは、WEB上のニーズによると、沖野修也よりも初音ミクのオマーン湖の方が能動的に必要とされる音楽であるという事だ。パっと見た感じ沖野修也楽曲の再生回数を全て足してもオマーン湖を超える事は無さそうだw
LEAVE A REPLY