テレビでフランス語

響きの良いフランス語

ある日とても響きの良いフランス語がテレビから聞こえてきた。”テレビでフランス語” という超教育テレビw な番組だ。

まず、日本人講師の川竹英克の声が良いw 話のテンポ・隙間も最高だ。

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そしてナビゲーター(生徒)の真飛聖という人が、なんとも品が良い。調べてみると宝塚の人らしい。確かに顔が宝塚だなw

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宝塚顔って正直好みじゃないのが本音だが、この人のフランクさ、下町感?みたいなユニークな面がとても素敵に思えた。

他のフランス人出演者の喋り方も凄く品が良くて、全体的に音のグルーブがとても良い。

講座を見ていると

「意外と自分まだ覚えてるな~」
「会話型しか知らないで、本来の動詞知らんかったなw」

とか、点を線で結ぶ感覚が面白かった。

文化紹介コーナーがヤバい☆

フランス語の講座だけでなく、文化的な紹介コーナーもあるのだが、更に面白かった!

偶発性を楽しむ☆

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⇒自分の目的の無い散歩はPARIS時代に染み付いた習慣かもしれないw 目的があってもあえて路地に入って、大通りの裏側から建物を見たり・・・。観光名所の裏の通りが尿臭い通りだったりする事は非常に多くあるんだよなw

恋愛観

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⇒これは超自分の恋愛・結婚観にマッチングし過ぎw そうかやはりフランスの影響があったのかw

「なんで?」→「何故ならば」(論理性)

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⇒確かにフランス人って、一晩中 「なんで?」→「何故ならば」 を繰り返してる気がするw 悪く言うと言い訳がましい “何故ならば” も多いのだがw 日本はこのトレーニングが全く無いなぁ。切腹・土下座すれば良いという導線だからかなぁ・・・。正当性・論理性が無くて頭使わずに済んじゃう日本と言えるな。

批判精神

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⇒権力を批判する習慣があるとの事だった。ココで書いてる組織への疑問もろもろは、フランスに居たAZZLOとしては当然の事なんだなw

今の大人もかつては子供だった

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⇒未成年含め全フランス人がコレを体現・実行していた気がする。全員が常に更新(学ぶ)をして共有(おしゃべり)するループが周ってた。ある種 “自慢” も多いが、益を周りに共有するが故に、自分も周りから得られるって感じだったなぁ。

「俺らはこの星に生まれた子供たちだ。だから星子だ」

のデニーさんの言葉を思い出すな。

“開かせる” のが先輩のやるべきこと

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⇒「儲けるには絶対に心を開かなくちゃね」 「それを開くのが僕らの仕事 あとは現場の人次第だ」 と組織に置き換える事が出来るなw

林修先生のコレと同じだ。

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⇒ある種、期待はするけれど、何を選択しても良いという点で、未成年でも人格が尊重されてると思う。

子供よりも犬の方が社会的地位が高い

逆にフランスでは、犬よりも子供(10歳以下ぐらい?)は、社会的地位が低くて、10歳~16歳ぐらいは犬と同等w 犬はOKで子供NGのレストランなんかは常識である。高校生以上の子供を極稀に見かけるぐらいで、基本未成年は外食の場には居ない。日本みたいに “都心に出たからデパートで食事” みたいなのは無い。

強要をせず与えた上で期待をする

これはネガではなく、“子供が泣き叫ぶ・悪さをするというのは、”無条件の愛” を確認するが故らしい ので、一定の年齢になり愛の充足感を確認すると、理性の制御も出来る様になる” とAZZLOは解釈した上で、“無理な者に強要をせず与えた上で期待をする” という事だろう。物凄く真っ当なマネジメントと言えると思う。

言い訳ではないが、AZZLOがあえて組織批判的な事をココで書いている(泣き叫ぶ)のは、上記を根本に持っているからだと思う。

食べこぼしが激しい人に指摘されてもな…

AZZLOはレストランで食べこぼす大人に、10歳以下を強要されて、事前に批判されている感じだな。10歳以下強要は構わないが、まず自ら食べこぼすのは辞めて欲しいw

“知っている” は、二種類あるフランス語

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⇒記憶と感覚を明確に分けているのがポイント。日本だといずれも “知識” で統一されているだろう。AZZLOが “記憶力に盲目的高評価” の学歴社会を小馬鹿にしている原点がココなんだろうなぁ。

否定コミュニケーションになり難いフランス語

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⇒そぉいえばフランス人はひたすらに褒めるし、確か怒られた事無い。

「私は貴方のした言動よりも、○△□の方が良かったと思う。あくまで私はね。」

だったと思う。こう言われると間違いを犯した場合

「確かにそっちの方が良かったです。僕が間違いでした。今後気を付けます」

と素直に能動的に言えるだろう。そして提言をする側も隙が無い言い方を気をつけるだろう。

更に愚痴を聞いた記憶がないw

“明日は明日の風が吹く” 的な感じだったなぁ。もしくは “嫌な事があったからパーティーで忘れる!” ってな感じだったと思うw

Putain de merde!は連呼するw

逆にしょっちゅう 「Putain de merde!」 ってみんな連呼してたのでw それ言ったら忘れちゃうんだろうなぁw 魔法の合言葉だなw

ポジティブ会話は舌・唇が気持ち良いってのも、巧妙な設計な気もするし、「voila!」しかり、ポジティブな単語が多い気がする。

日本人的感覚だとある種 “幸せな人(馬鹿)” という解釈も出来るのだがw 歪はいつか起こると認めた(諦めた)上で、今を楽しみ、未来に夢を持つ生き方な感じだなぁ。

この点のAZZLOは日本人とフランス人のハーフ的な感じかな。

※ “愚痴=未来への提言を含む” が前提。中傷ではなく批判であるべき。

音楽(生演奏)との接点が多い

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⇒生演奏に接する機会は日本とは桁違いだったな。レストランでは誰かが歌い出して、全員でノリノリになる様な事がしょっちゅう起きてた 気がする。

評論好きでもあるが、音楽に関しては、みんなえらい肯定的だったw し、情報的には日本程メディア(媒体)が豊富ではないし影響力も薄いのだが、何故か音楽はグローバルだった気がする。

RADIOの影響力がテレビよりも圧倒的に強いので、情報じゃなくて “聞いた感覚” だけで判断してた なぁ。

日本だと “生演奏 vs 打ち込み” みたいな対立構造があるが、そういった壁は無かった な。

JAZZバンドの練習に参加してMC303で打ち込みリズムを刻んでいたら、JAZZバーの黒人オーナーが来て 「面白い事やってるじゃないか!もっと色々やってみてよ♪」 って日本ではあり得なさそうな事が起きたしなぁ。

まず「やってみな?」

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⇒フランス人はAZZLOに “不可能” を強要した記憶が無い。全て 「いいと思う!こんな事やあんな事にも広がる(ヒント)かもしれないし!やってみよう!手伝える事があったら言ってね!」 だった気がするな。

後日 「自分の言った事・・・そんな良くもなかった・・・w」 という 気付き・恥を得る事で、反省と学習のモチベーションが高められてた 気がする。

母以前に女であり個である

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⇒母も自分らしく生きたいからこそだろう。林修先生の言う所の

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これが成り立ってる感じするな~。

国民性を読み解く

最終回では

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こんな〆だった。

「親を形成したそもそもの教育がある。その上で子供が育つ。教育は政府に責任があるからこそ、育った人間は全て認めている。悪質な教育があるのならば、その教育自体をそもそも認めていないからだ。故に不安を感じず、貴方の正義を続けなさい。」

そんな国民性な感じがする。リッチー・ホウティンに金を出して 「君は君の美学を追求しなさい。金は出します」 言うてる国だし。ノブリスオブリージュだなぁ。

日本における負のループ

日本では、盲目的に高学歴を親に強要された上で、社会で他の親達(先輩)からボロクソ言われる・・・w そら若い子が鬱になるのも当然だ・・・。この時代そもそも親が半鬱で、原因も解決法にも辿り着けない教育を受けているので、しわ寄せ(八つ当たり)を権力で浴びせられてしまうんだろう。

この負のループ、なんとかしないとマズイと思うな~。AZZLOは片足突っ込んでるだけだから良いけど全身浸かってる人が大半なんだから・・・。

始まりはお祭りである

そして、今まで番組の冒頭で “始めるよ!” の掛け声は大概 「ALLONS Y!」 であったが、最終回は、初めてみる 「C’EST PARTI!」 であった。

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カタカナ表記がそもそも無理なんであるが、PARTIは “パガティ” に近い。そしてPARTYは “パガティー” に近い。

“始まりはお祭りである”

そんな意味が含まれてそうな気がしてしまうフランス語講座であったw

キャスティング・内容共に素晴らしい番組だった!!!

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