偉いおっさんにクレームする
相変わらずAZZLOが紹介した友人への連絡が行われていない 最中、偉いおっさんが採用活動をしている。
事情が分かる他の偉いおっさんに
- 「っつ~か、今だに何の報告も友人にしてないで、採用活動してるって意味わかんないんだけど!!!バトンは貴方達にあるんだよ?勘弁してよ!!!しかも友人は今回の声がけで気持ちが整理されちゃって、退社してフリーで活動し始めたっつぅの!!!そしたらその会社解散しちゃったんだから!!!友人がNGならNGってとっとと連絡してよ!!!」
的なクレームをした所、「軽く飲み行く?」 と誘いがあったw
僕より年下は全部兄弟の後輩ぬぁのです
ま、口頭で改めてクレームった上で、どこかのタイミングで
- 偉いおっさん:「AZZLOは子供とか作らないのか?」
という質問があった。「家庭築ける程金払ってないじゃんかよ!!!」 とは思うが、今更なのでスルーしてw
- AZZLO:「僕と貴方がこうやって飲むって奇跡的な出会いですよねぇ。ましてや同じ組織の仲間ですよ。言うならば、この時代に生きる兄弟 な訳じゃないですか。先輩と後輩でしかぬぁいんです。よって 僕より年下は全部兄弟の後輩ぬぁのです。だからDNA的子孫は必要ぬぁいです!!!」
みたいな、結構中二病な事を言ったwww
親に育てられてないんで…w
この考え方になったのは、親に普通には育てられてないAZZLOという点が大きい。そして親が居なかった分、
AZZLO流恩返し
恩とか感謝を表現するのって、その対象の人に ダイレクトに影響する恩返しじゃなくても良い と思うかな。自分は彼らに様々な気付きを貰ったが、コアビジョンは共有しつつ違う手法でアウトプットするのが、恩返しなんかも なと思う。
肉体はシェアしているもの
彼らがやった事、AZZLOに影響を与えた事が彼らの肉体が終わったと同時に消えて先も無いのであったら、ちょっとやるせないだろう。バトンは渡し続けたいと思う。ある種肉体はシェアしているようなものとも思う。
- DNA的親以外の先輩に育てられたと思っている。(その環境を整えたのはDNA的親だったりはするんだが)
この感覚は、AZZLOは彼らの思想的子孫の要素があるので、AZZLOと接した人に気付きがあれば、その人達は、もうAZZLO子孫 なんだと思うw
先人達だって、気付きを得た先輩が居たハズ。エジソンが自らの発明で最高なものとしたのは “研究所” であった様に、トライ出来るきっかけの提示と共感が成立すれば、もう親子 だろう。
多くの場合年齢上下関係が明確であるが、逆のパターンだってありえるよな。
先輩の一人は既に亡くなっているが故…
特にhideはもう死んじゃってるので、今、今後のAZZLOを見てもらう機会が無い・・・w 故に尚更緊張感持って生きなきゃいけない義務感を感じる。これがAZZLOの帰属意識であり自尊心なんだろうなぁ。
LEAVE A REPLY