「応援したくなる企業」の時代 マーケティングが通じなくなった生活者とどうつき合うか (アスキー新書)
基本的に広告って “言いたい事言って「どうよ?オレって素敵でしょ?素敵って言えよコラ!」” というものが現代においても大半。ホントに素敵ならまだしも、”有名タレントが出ているCMだと素敵だ” という意味不明なロジックがまかり通っている・・・。
素敵と言われるにしても多くの場合、”タレントが素敵” 止まりの話であって、”商品が素敵” になる事は殆ど無い事実は、YOTUBEのコメント欄を見れば明白。
逆に 「このCMは素敵だし、この思想には共感する」などの意見があるCMも稀にある。どんな美人でも思想や芯がないと、長期間は付き合えないのと同様、化粧美人ではなく、思想美人がなんだかんだ言ってリアルにおいてもモテる。(男もそうだろうな)
思想が無い “ヒット商品の後追い” が9割の世の中においては、凄く難しいのだが、”いかに思想がないか” 見極めてから取り取む等、要は不を明確にしておかないと、正がグラつくという思いがある。
要は 「あんた思想がないんだから、このセリフを棒読みすればまだマシだよ。そんでちゃんと化粧も必要だろ」と明確に提案する事は大事だと思う。(言い方は変える必要があるが)
とは言え、現実は棒読みでは魂が無い。頭が良くても共感を得られないインテリ君みたいなのではダメだ。やはり生活者からの能動的な行動・興味を促していかないと、”より多く買ってもらう” 企業活動(の一部)は達成出来ないだろう。
そんな最中、この本は、非常にタイムリーな雰囲気がする “応援したくなる” がタイトルになっていたので、手に取ってみた。2011年夏頃の読書。
1:ある意見(正)に対して反対の意見(反)がある場合、どちらか一方の意見を選ぶのではなく、2つの矛盾した意見をうまく解決して高めた第3の意見(合)に昇華していくという考え方だ。
⇒プランニングにおいてこれをやると、いわゆる “エッジがない” 事になりやすい気がする・・・。自分は反を明確にした上で肥しとして活用し正を強くするのが好きだな。
2:ほとんどのビジネスにおいて、「企業」と「生活者」は無意識のうちに「対立概念」として語られている。また、「売り上げは未来永劫ずっと伸びつづけるものである」という暗黙の前提も、いまだに強固に信奉されている。その根拠はというと定かではない。はっきり言えば、そもそも前提の存在すら意識していないのが現状だ。
⇒株式会社はすぐそうなると思う。人口も減っていくし、給与も上がらない状況で、今まで通りの事していて、なんで成長するというイメージになるのか、全く理解出来ないな。ただの理想論というか、子供がおもちゃ欲しがってダダをこねるのと同じレベルな気がする。
3:振り返ってみれば、私たちが頼りにしているビジネスの定石は、さほど長い年月をかけて検証されたものではない。企業という形式にしても、日本の株式会社の歴史はせいぜい150年に足らない程度のものだ。
さらに、いわゆるサラリーマンが出現し、現在に近い企業のかたちとなってからは、戦後以降の50~60年しか経っていない。
長い日本の歴史から考えれば、いまの企業という形態もビジネスの手法も、まだ発展段階にあり、人間でいえば幼少期にあるといってもいい。いたるところに不都合や不具合、不備があっても不思議ではないのだ。
⇒この指摘は痛快だな。今後どんな事だって起こりえるという事だと思う。
4:人間には一時的なよろこびや快楽を求めがちな性質がある。その状態を目的とし、そこを重視してモノやサービスを提供すれば、たしかに生活者からもポジティブな反応を得られる可能性は高まる。そのため、企業にも短期的快楽を訴求できるようなモノやサービスをつくろうとしがちな傾向があった。
だが、一時的な快楽を重ねても、本質的な部分を「幸福化」することはできない。~中略~いま社会で潜在的に求められているのは持続的な幸福なのである。幸福という意味の英語としてよく用いられるは、「happiness」と「well-being」の2種類の単語だが、日本語ではこのどちらも「幸福」と翻訳され、混同されている。
しかし、これからの時代により求められるのは「happiness」ではなく「well-being」であろう。「よりよく生きる」「満足がつづく」という意味合いだ。
⇒今に限った話ではないとは思うが、今まで通用した猫騙しは通用しないという事だろう。そして現実には熱心な宗教信者でさえ(だからこそか?)疑問を持ちながら不幸な人生を歩むので、well-beingも一時的なものであるとも思う。
5:これからは、どうしたら社会が「しあわせ」になるかを考え、独自のやり方で、それを提供しようとする高い “志” が、企業に求められる時代になる。そして、そういう姿勢をもった企業こそが生活者の共感を獲得し、長く生き残っていくことになるのではないか。
⇒”志がなくて広告のタレント力だけでなんとかしたい企業” と “そのお手伝いの代理店” にとっては耳が痛い話だなw 近年志を感じるのはsoftbank。しかしコミュニケーションは、SMAPや犬といった、本質と関係ないコミュニケーションを図っているギャップが面白いな。
6:コミュニティが発達するにつれて、企業と顧客の関係は、双方向だけでなく、顧客と顧客の関係をも含む三角関係になった。わかりやすくいえば、企業が発信した情報であっても、受け手である顧客はそのまま鵜呑みにせずにコミュニティ内の他のメンバーと確認し合ったり、まったく異なる情報を得たりすることが可能となったのである。
⇒真正面でこれを読むと “だから炎上とかになる訳でネットは怖いものだ” とかで受け止める人達もまだまだ多いんだろう。
これは近年よく言っているのだが、「ブランドは生活者同士の “おしゃべりのきっかけ”(tweetする) のネタとして出ていかないとダメ」という視点で捉えるべきだと思う。
何をしようが、ポジもネガも両方意見があるのは当たり前。1のネガが怖くて10のポジの可能性を捨てるような、臆病な企業は更に落ちていくだけだろうな。
7:(アンケートなどの調査データから作る製品について)
購買の対象となる本人たちからヒアリングし、ニーズを盛り込んだのだから、新商品は売れないわけがない。このプロセスに立ち会った多くのマーケティング担当者が、そう確信したはずだ。開発にゴーサインを出した経営陣もまた、適切なデータをもとに正しい経営判断をしたと信じて疑わない。
にもかかわらず、いざ市場に出してみると、商品に期待を裏切られることがめずらしくない。生活者から好ましい反応を得ることができず、「売れ行きがいまひとつ」「さっぱり売れない」といった事態に陥ってしまうことも少なくないのである。
原因のひとつは、企業が応えようとしたニーズそのものにある。アンケートに答えて出てくるような要望は、生活者の意識のごく表層的な部分から出来ている。そのレベルのものは、このご時世であれば、たいてい別の企業が先に見つけているし、ほとんどが商品化されてしまっていって、真新しいものではない可能性が高い。
⇒代理店の仕事の中身で言うと以下のように置き換えられると思う。
- ・企業の担当者の意見をしっかり拾い上げる。
「サイトの更新が手間的にもお金的にも大変だし今時ソーシャルメディアで何かやりたい」
↓
・FACEBOOKページの提案をする。「サイト製作は安くなるし、ソーシャルメディアで拡散が狙えます。」
↓
・作ったはいいが、存在を知ってもらう事もなく、いいねを押してもらえるようなネタもないので、何も起きなかった・・・。
企業担当者の悩みは、”悩みがなんなのか分からないのが悩み” が本当の所だろう。彼らの言語をそのまま受け止め、言葉通りに返すだけでは、結果は出ないと思う。
8:(みんなが憧れる女性が「バッグが欲しい」と言った場合について)
もう一度、自分でよく考えて、自分なりの判断で、あえて別のものを贈って驚かせる。どちらが心に残る贈り物になるだろうか。
⇒バッグよりもリュックがいいのではないか?なぜなら彼女は自転車通勤に興味があると言っていた。ノートPCを持っている訳ではないので、大きなリュックでなくて良いだろうが、バッグをそのまま入れれると重宝するだろう。なぜなら素敵なバッグを他の誰かから貰うだろうから。
・・・などと妄想して仮説を立てて、ある意味 “斜め上” からの提案が必要だと思う。
人の頭というフィルターを通さない、オリエン通りの提案なんて、自動販売機と一緒だ。もしくはパシリだろうw
9:なかでも注目したいのは、ランナー同士がランニングを通じて交流をはかることができる、サイトのコミュニティー機能である。ここでは、日々のランニングデータをもとに自分のランキングを確認できたり、ウェブ上でチームをつくり、そのなかで決めた目標に向かって各自がランニングに励めたりと、走る楽しみをほかのユーザーたちと共有することができるようになっている。
⇒いわゆるNike+の事だ。ナイキは売っているのはスポーツ用品だが、それを使うしくみも提供しているという事だ。
SONY cam with me の様に、SONY製品を買う必然性は特に無いのに、シェアがあがったのと同じで、”囲い込み” ではなく、生活者同士のムーブメントを生ませるしくみを提供した結果、ナイキのシェアが上がったりするもんなのが現実だと思う。
10:エドワード・モーラン氏らが2008年から2009年にかけて500以上の企業を対象に調査した「Tribalizationビジネス調査」によれば、ことオンラインコミュニティでは、最新のソーシャルメディアウェブのテクニックを駆使するより、人間本来の社会的特性により配慮したほうが成功につながりやすいとされている。
⇒これは当たり前な話。そもそもソーシャルメディアの活用自体が手段なんだし。
11:「川上」を起点にビジネスを考える「川上発想」は “to C” アプローチに近く、逆に「川下」から考える「川下発想」は “from C” アプローチに近い。”with C” の時代には、こうした一直線の川の流れにたとえる発想そのものが、そぐわなくなるにちがいない。どちらが上で、どちらが下という二項対立的な考え方自体が的を得ていないだけでなく、技術開発の段階からの生活者の深いコミットメントが求められるなかでは、「川上」と「川下」のそもそもの区別が曖昧になるからだ。一直線のリニア工程的なバリューチェーンは、この先、より円形に近いバリューサークルになるだろう。
⇒AZZLOの発想・企画方法メモ で書いたような事に近い感じがする。
12:ある世帯が、自家用車を日本車から外国車に買い換えたのをきっかけに、そのあたり一帯の家のクルマがまたたく間にすべて外国車になったという笑い話を、以前、知人がしてくれたが、日本人にはどうもそういうところがある。
学生時代を思い返してみても、受験勉強中に苦手科目の克服を揚げることはあっても、得意科目だけをがむしゃらに勉強しつづける同級生はまずいなかった。もちろん、受験制度を考えるとやむをえない部分もあるのだが、どうしてもまわりばかりを気にして相対的な比較のなかで競り勝つことを是とするきらいがある。
こうした横並びの特性は、古くはルース・ベディクトの『菊と刀』以来、さまざまな人たちが指摘している。たしかに高度成長期の「正」の時代に、競合を徹底的に分析して、それをしのぐ機能を提示し、「日本製」がハイクオリティの代名詞となりえたのは、こうした文化性によるところも大きいのかもしれないが、いまの時代にはあまり適しているとはいえない。
⇒戦争からかなり時間が経っているのに、教育が変わってない弊害なんだろうな。
13:非常に興味深い実験がおこなわれている。その実験は、学生たちを集めて、まず「とにかくいちばん嫌いな店はどんな店か」と質問を投げかけることからはじめられた。そこで回答としてあがったのは、愛想が悪い、品数が少ない、機嫌が悪くなると店を閉める、といった特徴だった。
つづいて投げかけられたのは、「そういう店は存在しないほうがいいのか」という問いだ。すると不思議なことに議論は簡単には収束しない。嫌われる要素を支持する学生が出てくるのだ。「愛想が悪いのも、品数が少ないのも魅力のひとつだ」「表面的には嫌な店に見えても、品質に対するこだわりや、客に媚びない姿勢といった信条には共感する」などと肩をもつというのである。
⇒ ネガを認識させた方が、本質的なポジが見えやすくなるという話だと思う。
14:ブランドの理念や信条に共感すると、その人とブランドとのあいだには絆が生まれる。一度生まれた絆は強い求心力を発揮し、自分にメリットを提供する存在か否かといった実利を超えた部分でそのブランドに惹かれ、距離が近づくことによろこびを感じるようになる。つまり、ブランドの “ファン” になるのである。
⇒分かりやすいのは、ファッションブランドの値段設定だろう。高いのにあえて購入する “ハードルを超えた” という体験が、そのブランドに対して所属する帰属意識が生まれるのと同じ話だと思う。
15:「ビジョン」とは、企業が一丸となって取り組む理念や哲学のことである。簡単にいうと「こうなりたい」という理想像だ。ちなみに、競合企業の参照を失うと右往左往するしかなくなる企業は、たいていこの「ビジョン」が明確になっていない。
⇒読んでるだけで腹が立ってくる一文だw
16:古くか世界的に広まっている普遍性のある宗教がいくつか取り上げられ、その信者65人を被験者とし、数日間にわたって脳活動が計測された。その結果、自分が信仰している宗教の偶像やシンボルを見た被験者の脳内では、あるブランドの熱狂的なファンがそのブランドに関連するビジュアルを見たときと、同じ部位が反応していることが明らかになったという。~中略~
世界中に普及している宗教が共通してもち合わせている要素として「明確なビジョン」「物語性」「明確なシンボル」「神秘性」「特徴的な儀式」などを挙げている。強力なブランドも構造は同じで、すべてではなくとも、これらの要素のうちのいくつかを、かならずもち合わせているというのだ。
⇒子供の頃から “広告はブランドを宗教化する為の手段じゃなかろうか?” と考えていた(今だから一言で言えるが)だけに、都合の良い実験結果だ。ただし現実の広告は “広く知ってもらえればお役ごめん” であるな。
17:ハーレーダビッドソンのバイクはすでに「モノ」ではない。そこにあるのはモノの完成度の追求ではなく、精神的な愛着だ。そう考えれば、腕にブランドロゴのタトゥーまで入れるファンがいるのにも納得がいく。製品を自分の意のままに操ることよりも、スピリッツが体現されたブランドに仲間としてかかわることに、よろこびを見出しているのである。
⇒こぉいうカタルシス状態を作るのは楽しいと思う。でも多くの場合、誰もこのような事が出来るとは考えないのが、広告業界の常識だと思う。やはり媒体マージンを得るのが目的になっているからなんだろうな。
18:ひとことで社会貢献に取り組むといっても、「他社がやっているからウチも・・・・・・・」という姿勢の企業と、確固たる信念をもって取り組んでいる企業を同じに考えてはいけない。前者はあくまで「相対アプローチ」であり、「スピリッツ共感型」的な発想ではない。
⇒これは “前例ないと何も出来ない病” も含まれつつ、そもそも魂の無い人達がつるむと、こうなる気がする。金を目的にしてたりするのも同様に魂が無いとも言えるかな。金は目的達成の条件であり、途中経過に過ぎない。一度金を手にしてしまったら、後は減り続ける残高に怯えるしかなくないだろう。彼らの恐怖を材料にして巻き上げるのが、”大人なAZZLO” としてのやり方になるかな。
19:自分にとってのメリット、デメリットではなく、揺るぎない姿勢に共感できるかどうかを選択基準とする人たちが、若い世代を中心に増加しつつあることがうかがえる。それを受けてか、企業の側でもコーポレートスローガンをわかりやすく刷新したり、社員のビジョンの浸透にあらためて注力する動きも目立っている。
⇒これは特に実感がない。時代は違えど住んでるエリア・レイヤーが違えば、どの層も一定数は居ると思う。昔の会社員・今のクラバーを知らないので、どちらのエリアでも比較がし難いのだが、”○○がやりたい” ではなく “○○をやっておいた方が今の時代良いと思うので・・・” という若手は多いと思う。凄く減点評価を前提とした発想だと思う。
コーポレートスローガンやビジョンについては、社員を信用していないのであれば非常に必要だと思う。特に強制されるしか動く理由を作れない労働者にとっては必要だと思う。
役員面談のシート に
- “自分は○○(今の在籍会社)に居る目的があるので大丈夫だが、無い人間にとっては明確に大きな目的を共有する必要があると感じている。”
と書いているぐらいだ。
目的が “お金残そう!” ぐらいしかないので、今だにメディアマージンでどうにか食い繋ごうという発想での行動しか出来ない状態にあるように思う。
これを他の偉いおっさんに話した時の反応は「広告代理店にそんなもんは要らねぇんだよ。」との事だった。しかし電博はそぉいうスローガンとかある。そもそも電通のパクりなのに、パクる箇所とパクらない箇所の違いがよく分からないな。
20:すべての事業活動をひとつの企業の傘の下に集積させたときに、矛盾がないかどうかということは、つねに意識しておかなくてはならない。つまり、表面的な広告や広報によって “化粧” するような理念では、もはや太刀打ちできなくなっているのだ。これからの時代に求められるのは、企業活動の根底から一環した、ブレのない極太のスピリッツなのである。~中略~
まず従業員にビジョンやスピリッツの共感をはかるべきだ。そうでなければ、生活者にまで伝わるはずがない。~中略~
企業のスピリッツを感じ取り、本質を見極めようとしている生活者の数は、以前より確実に増えている。その傾向は、高い志をもってビジネスを展開している企業にとっては追い風ともいえるものだ。
⇒”認知があればモノが売れる” だったし、その残り香がまだあるから、こぉいう指摘が起きるんだと思う。
21:ハーバードビジネススクールのジェラルド・ザルトマン名誉教授によると、人間は頭の中にあることのうちの5%程度しか言語化できず、残りの95%は無意識下に置かれたままになっているという。自分の意識をすべて自覚しているわけでなく、日常的な行動のほとんどが、深層意識のなかで無自覚のままおこなわれているのである。
「ニーズ」も例外ではないのだ。95%は無意識、つまり自覚されていない。表面的な要望を聞き取るような調査を何度重ねても、新しい手がかりがほとんど得られないのも当然だ。既存の定量調査などから導かれた数字データでは、本当に必要な本質的なニーズに切り込むことは難しいのである。
⇒これは極端に言うと、”オリエンを聞いてなくても95%を満たす事が出来る” という事でもあると思う。まぁさすがに自分でも “5%を無視して95%を取りに行こう!” と毎回喧嘩する気はないのだがw 多くの案件は5%を満たす事で必死という事であるとは思う。
また、「部下が使えない」と嘆く上司は、95%の範囲を知らせていないという事も有り得る。しかし現実的には「5%すら満たせない部下なんだよ・・・」という事も多いとは思うなw
22:あるベテランのインタビュアーは、「欲しい結果が出るように回答をいかにようでも誘導できる」と断言していた。インタビューのテクニックひとつで、イエスでもノーでも意図的に回答を誘導できるというのだ。つまり客観性の代名詞のようにいわれる数字も、じつはきわめて主観的で、流動的なものなのである。
⇒7番に紐付く話だ。自分は実現したいイメージを裏付ける為にWEB上でタダで拾える調査データや書き込み等によって前段のストーリーを書いているが、調査会社を使って、精度高い都合の良い前段を書いてみたいなと思う。
23:あるとき、2人の営業マンが、未開の地に靴を売り込みに行った。現地には靴を履く文化がなく、実際にだれひとりとして靴を履いていない。その様子を見て一方の営業マンは、「ここでは絶対に靴は売れない」と本国に報告した。だが、もう一方の営業マンは、「こんなに靴を売り込めるチャンスはない。大至急、大量の靴を送ってくれ」と指示を出したという。
靴を履いている人がいないという事実は同じだ。しかし、それをどう読み解くかによって、判断の仕方がちがってくる。これまで客観的事実だと思っていたものは、多くの場合、解釈の結果であり、じつは主観的なものなのである。
⇒こおいう「どの面を見るのか?」という立体的な思考は好きだな。
24:いま先進的な企業で着々と進められている研究のレポートを見るかぎりでは、この先10年~20年のうちに、広告やマーケティング、ブランド調査に脳波測定が加わることがスタンダードとなっても不思議ではない。
⇒確かに21番を前提とすると、調査資料にほとんど意味が無いので、よりごまかしが効き難い方法での実証は進むんだと思う。今で言えば、調査会社の資料ではなく、twitterなどのいわゆる “クチコミ” の履歴なんかが近いと思う。
25:頭で考える前にまず手を動かし、なにかをかたちにしてみることで、あとからそこに意味を見出そうとするもので、それゆえ、意図的になにかをつくろうとして、レゴづくりに取り組んではいけない。
⇒どの段階を指すかにもよるし、考え方の傾向にもよるが、代理店がやるクライアントに対する企画を作る際には時間制限がある。全てはバランスなのだが、100%この指摘の通りにやるのはリスキーかな。
とは言え「CRのアウトプットが無いから前段が書けない」というSTPの意見は全く理解は出来ない。CRはビジョンを作ったり課題を整理する能力はほとんど無いと思う。軸としてはアートディレクターの意味が強いと思う。ロジックではなく視覚なんだと思う。
実際CR主導で進む案件は “コンセプトが無い” といった事になり、何を修正すれば良いのか分からないまま、プレ当日を迎えるという案件が多い気がするな。
26:企業に対して、生活者と一緒になって「しあわせ」を考え、創造することが求められているいま、効率を重ねるだけでは、求められる価値をつくり出すことはできない。だからこそ、無駄とも思えるようなプロセスを踏んでも、あえて予定調和的ではない状態をつくり、さまざまな要素を取り込めるように仕向けていくのである。
⇒ “予定調和ではない事を予定とする” としてみないと、綺麗な予定調和崩しにはならないと思う。オチ・結論が無いのは、嘆きでしかない訳なので・・・。
27:ITツールはたしかに便利だが、情報のベースはザルトマン氏のいう5%の部分に過ぎず、ことコミュニケーションという点では、会って話した際に、健在意識、潜在意識の両方で読み取る情報量には到底及ばないのだ。おかげで、言語化できない知識や情報の共有がおろそかになっている可能性がある。
⇒これはSNSで見受けられたり、たまにやるCAHT PADでの、”満たされない感” が露骨に表していると思う。ITでのコミュニケーションに足りない明確な要素は、
- ・キータイプでの意思表示が中心。指の筋肉しか使っていない。
・言語(文字)が中心。視覚・聴覚が薄過ぎる。(顔や声の表情が分からない)
いかにWEB上のコミュニケーションが薄いものであるか、もっと具現化したいと思う。
28:議案やアイデアについて、自分なりになにかを感じたとき、あるいは新たな発想を得たとき、多くの人が「個人的に思うのですが」「個人的な意見として」などと前置きをして発言する。
裏を返せば、これは会議という場が、個人の部分での意見を認めていないことを意味している。発言者は、それでもなにかのきっかけになればと勇気を振り絞って意見を口にするのだろうが、発言内容にその人ならではの個人性が少しでもにおうと、悪くすれば「個人的な意見をいうな」と一蹴されることもある。
だが、創造性が問われる局面で、公的なだけの意見に、はたして価値があるのだろうか。そんなものを積み上げた先に、イノベーティブなアイデアが生まれるのだろうか。
答えはノーだ。なぜなら、公的な意見のほとんどが、一般論の域を出ていない、すでにある発想だからだ。いま生活者が本当に必要としているのは、まだ世の中にはない、持続的な「しあわせ」の提案である。すでにある発想の焼きなおしではない。
⇒この指摘は今の在籍会社においては、少ないかなと思う。自分は “有り得ない視点でアイデアを持ってくる” という評判を大分得てきた故、「AZZLOのアイデアは面白いが現実的ではない」という前提があるから、大分話し易い環境になってきているw
自分のアイデアは、仮に採用されなくても、「AZZLOのアイデアは使わなかったけども、○○は生かした」という取捨選択をして、疑問を減らして同じ道を行く材料になれば良いと思っている。もちろん去年の成功案件のように採用されればラッキーではある。
・・・ふと思うと、若手のアイデアは、誰からも「お前こんなのやれると思ってんのかよ!」と罵倒されないで済むアイデアばかりな気がする。
「自分のアイデアで人を喜ばせたい」とかいうのが、代理店を目指す最初のモチベーションの様だが、その割には予定調和過ぎる印象が強いな・・・。
故に “若手はしょぼい” とするのではなく、彼らの頭の中のOKラインを広げる環境作りが、年上の自分らに必要な事だと思うな。
29:「しあわせ」は人びとの “志” を合わせた「志合わせ」と書くこともできる。”志合わせ” 企業には、人びとが自然と集まり、応援が生まれ、その結果、社会には「しあわせ」が生み出されていく。
高い “志” と、生活者と同じ目線で一緒になって「幸せ」を考えていこうという姿勢。それこそが、本書に掲げた「応援したくなる企業」の姿である。
⇒いわゆる “自分事化” のポジティブな領域での要素の話だと思う。
先日、明治の果汁グミの実施レポートセミナーを WOMJ にて聴いたのだが、メグミとタイヨウというキャラクターの恋愛模様をtwitter上で展開し、生活者が応援をしたりするというキャンペーンであった。
タイヨウはメグミが好きなのだが、草食系男子の為w 明確に告白出来ないでいる。更に他の女に移り気したりもするw そんなキャラクターに対して、「がんばれ!」「おいおい!それまずいだろ!」的なtweetを大量発生させたとの事だった。
企業の商品そのものに対してではないが、ひとつキャラクターというものを挟む事で、”志合わせ” が出来た事例なんだと思う。日常的な “恋愛が成就しにくいジレンマ” というネタも良かったのだろう。
他には、外人のカレー店店主が「キョウモオキャクサンガコナイ・・・」と片言の日本でtweetを続けた結果、大人気カレー店になったという実例もあるらしい。
この様に、”同情を誘えるネタ” は “人が介入する隙” が多くある事で、”志合わせ” に達せられたのだと思う。
全てが “最初に同情を誘えないとダメ” という訳ではなく、GALAXY S IIの宇宙に行くキャンペーン なんかも “志合わせ” としては同質だ。サッカーワールドカップの盛り上がりなんかも同じだろう。
AKBの各施策なんかも、同じ感じだなと今気付いたな。
しかし企業の多くは例えるなら、「オレはワールドカップに出るぐらい優秀なのだ!君たちはオレを応援すると、達成感が味わえるのだ!さぁ!twitter上で賞賛をしてオレをワールドカップ出場選手にするのだ!!」と、J2リーグの選手が叫ぶという事しか出来ないのが大半だ・・・w
広告代理店は、その叫ぶ際の拡声器と車を用意して選挙活動のお手伝いをするようなもんでしかない案件が多いな。
・・・ってな感じで、非常にテキスト写しが大変であったがw とても読みやすかった。
特に7番と22番は自分には都合の良い指摘であった。あとは27番から思うのは、”95%をいかに妄想しつつ、5%の延長に見せかけるか?” という事が必要に感じた。
しばらくはついつい猫背になってしまう代理店の環境においての、矯正グッズとして読み返したいと思う。この文章を言語だけでなく企画書のデザインに昇華させて、自分の言語で自分の意思と擦り合わせした資料を作りたいと思う。非常に良い読書であった。
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