-読書感想- データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則 / 矢野和男

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則 / 矢野和男

2014/7/17発売。2015年6月の読書。
ビッグデータ関係の記事で紹介されていたので手に取った。


1:人は因果という枠組みに頼って世界を認識しようとする強い傾向があるが、因果という考え方は、多数回の繰り返しの結果を見通すには適さないということなのだろう。

“マス目に7万2千個の玉をランダムに分布させると特定の箇所に偏りがみられる” という実験結果における見解だが、社会事象においては因果が認められる方が多いんじゃないかな。後付けで “因果” と信じているのかもしれない が。

2:ミクロの詳細を知らなくともマクロは予測できる

コンデンサーやトランジスタの事を知らなくても電器店の販売員は出来るからな。“ミクロの詳細を知らなくとも “熱” を知っていれば、マクロは予測できる” と言えそうだな。

3:現状の我々の生活は、残りのガソリン量をまったく知らずに、車を運転しているようなものだ。

“ウェアラブルデバイスから得られる情報から人の行動には 「帯域」 と言える区分があり、仕事の気力がなくても (仕事カテゴリーは使い果たしても) 遊ぶ気力はあったりする”

という事らしい。

組織で言うと

“帯域はある程度自己把握しているが、そもそも目的地が無いので上手く活用は出来ないし、取り急ぎ進み続けてはいるが結局ループして何周もしている”

と言えるな。

4:システムを制御し、最適な状態にするときには、「システムの望ましい状態」 とはどんな状態かをまず決める必要がある。人間というシステムに関する答えを人類はまだ明確に持っていない。古今の宗教や哲学はその答えを求めてきた。これらの知恵のなかには答えはすでにあるかもしれない。まだわかっていない何かがあるかもしれない。

それでも、この人間の望ましい状態を表す言葉だけはすでに広く使われている。それが 「幸せ」 あるいは 「ハピネス」 だ。

人間の幸せを制御できれば、そのインパクトは大きい。

しかし、人間はこれまでテクノロジーが制御してきたどんなものよりも、はるかに複雑なシステムであるし、幸せとは、人によって、さらに国や文化によって違うものだという見方もあるだろう。統一的な議論などできないのではないか。

不動のハピネスは “自尊心の充足” だろうと思う。その条件は人それぞれだが、少なくても金ではないという事はあらゆる人が証明している。

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5:地道な研究の結果、幸せは、およそ半分は遺伝的に決まっていることが明らかになった。うまれつき幸せになりやすい人と、なりにくい人がいるということである。
すべては努力で変えられる、と信じたいところであるが、やはり遺伝は影響している。
遺伝的に影響を受けない残り半分は、後天的な影響である。半分は、努力や環境変化で変えられる。これは、変えられる部分が意外に大きいとも捉えられるのではないだろうか。

幼少の頃の影響 (後天的影響) もあるが、祖父、母の批判精神はAZZLOも受け継いでるしなぁ。イライラしてないと落ち着かないという病気だしw
しかし使命は遺伝ではなく後天的に形成されたりもするし、失う場合もあるよな。

6:我々は普通、結婚してよき伴侶を得たり、新しい家を購入したり、たくさんボーナスをもらったりすると、自分の幸せが向上すると思う。リュボミルスキ教授の定量的研究によれば、これらには、案外小さな効果しかない。~中略~

私を含め、多くの人は、ここでいう 「環境要因」 を向上するために日々努力している。その結果が、後ほど幸せに結びつくと信じているからだ。しかし、データによれば、これは無駄ではないが、幸福感にはあまり効かない。我々の思い込みの部分が大きいのだ。

それでは、残りの40%は何だろう。それは、日々の行動のちょっとした習慣や行動の選択の仕方によるというのだ。特に、自分から積極的に行動を起こしたかどうかが重要なのだ。自ら意図を持って何かを行うことで、人は幸福感を得る。~中略~

行動を起こした結果、成功したかが重要なのではない。行動を起こすこと自体が、人の幸せなのである。

ギャラが良くても言われた事だけやってたら病むからなぁw より “カネ” を追いかける病気が加速するものだw 問題は中途半端な年収1000万で習慣病になる事だと思う。病気なら徹底的にカネを追いかけた方が良いw

逆にギャラがしょぼくても、自己決定出来ていれば楽しい。

7:自ら行動するように、人に指示したり命令したりするということはできないということだ。「自ら行動する」 ということと、「指示する」 というのは、互いに矛盾する。この矛盾をいかにして解決できるだろうか。

“M男がレイプする” みたいな矛盾 だよなw そぉいうAV見てみたいがw

8:せっかく教育して戦力化した社員がやめると、新たな人員の教育にコストと時間が必要になる。すなわち、社員の幸福を高めることは、一種の 「必要悪」 的な捉えられ方をしてきたのが実態だと思う。

これが変わりはじめている。社員が幸せに働くことは、社員本人にも会社にも両方を利するという見方がはじまっている。

これは日本だけでなく世界的な傾向らしいが、おそらく 産業革命時期 (工業化) が偏っていただけで、人として当たり前の状態に戻りつつあるだけ な気がする。”専業NG” な会社すら出てきるしな。

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9:心理学者が、質問紙に頼るやり方には限界を感じているのが実情だ。センサによって身体の運動から人の心を測ることができれば、これが変わる。継続的に変化を計測できるようになるからだ。そのため、センサで客観計測した人間・組織の大量データには、大きな期待が寄せられている。

アンケートは顕在意識であって、ビッグデータ的な事から分かるのは潜在ニーズも含めだからな。

10:実は、受注は、意外なことと相関していた。それは、休憩所での会話の 「活発度」 である。休憩時間における会話のとき身体運動が活発な日は受注率が高く、活発でない日は受注率が低いのである。

電話オペレーターの受注をウェアラブル端末でデータを取った結果がコレ。AZZLOも外出移動が多い日ってデスク作業がサクサク進んだりするしな。要因として焦っているのもあるがw

11:実験のオペレーター業務は、もっぱら 「個人プレー」 であり、「チームプレー」 の要素が少ない点である。このような個人プレー色の強い業務でさえ 「現場の活発度」 という 「集団的な要因」 が、生産性やコストに強く影響しているのだ。このことはこれまでまったく認識されていなかったことである。素直に考えれば、無関係のはずだ。

逆に ネガな他者関与があるぐらいならば、個人プレーの方がマシ と言えるな。

12:活気ある職場づくりに関する経営の優先順位はこれまで高くなかったのが実情である。そのために経営者は時間と資金を投入してこなかった。これは収益との関係がこれまでは明確ではなかったからだ。~中略~

しかし、今、我々の研究によってそこに突破口が開かれた。

飲み代を経費で落とせなくなってから、途端に組織内の一体感は無くなったし、社外とのネットワークも薄くなったしなぁ。気がするレベルではなく露骨に影響が出てる。

物理的なオフィスレイアウトや “チームという名の強制的活動” ではなく、自主性をサポートするしくみが必要 だと思う。

自主性と相反概念になっている “責任” において 「責任誰が取るんだ?」 みたいな事が出てくると思うが、何を持ってして “責任を取った” と言えるんだろう と思うw

結果的に倒産したら責任追求も何もできなくなるw

13:「さる者は日々にうとし」 といっても、以前は、単に誰かの主観的感想を述べていたのかもしれなかった。したがって 「私は、そう思わない」 「今は、時代が違う」 といえた。データがあるとこれが変わる。

AZZLOが ビッグデータにぞっこんなのはコレ なんだよな。

14:「温度」 を定義し、計測することには、大きな意味がある。温度に影響を受ける機器を設計したり制御したりするには、温度という共通のものさしがなければ、どうしようもない。たとえ、人間が体験する豊かな現実をすべて反映したものでなくとも、まったく 「ものさし」 がなかったところに、客観的で計測可能な 「ものさし」 では測れない違いも、ものさしがあることにより、むしろ、明らかになるのである。

組織にはあらゆる 「ものさし」 が無いなぁw

その場しのぎでバズワード連呼してるだけで、何時の時代も変わらない女子高生みたい に見えるw

15:温度という概念を受け入れるためには、見方が逆転する必要があった。感覚がわかりやすく、温度計が複雑でわかりにくいのではなく、温度計が客観的でわかりやすいものさしで、感覚の方があいまいで複雑な現象だということに気づく必要があったのだ。~中略~
計測量は感覚より客観的で、よりしっかりした根拠と基盤を持ちうる。感覚と異なり、大量に記録でき、参照でき、その変化や法則性を数学的に表現できる。

広告業界ではメディアプランニングから リアルタイムに根拠を持った表現 (出稿) をするようになる し、クリエイティブ領域等の “リアルタイム変化は無理” な領域の方向性選定にもデータから検討するものになる。

更に、リアルタイムにクリエイティブが変動する 形になると思う。TVCMも見る人によって、バナーのように趣向に近いものになるハズ。

16:仕事がうまくいく人には、共通の特徴があった。だが単純にコミュニケーションをとる知り合いの多い人が、仕事がうまくいくかというと、そういう相関があるわけではなかった。単に顔が広いだけでは、まわりにあるかもしれない情報や能力を活かせないわけであ。
実は、この仕事がうまくいく人は、共通して前記の 「到達度」 が高かったのである。「到達度」 とは、自分の知り合いの知り合いまで (2ステップ) 含めて何人の人にたどり着けるかであった。

サトナオや猪子寿之の名刺持ってるだけでは仕事が出来る訳ではないからなぁw

AZZLOは知人・友人は少なくないと思っているが、それぞれあまり深くはない。(特に近年外に出てないし)しかし、知人・友人はAZZLOよりもアクティブで広い人間関係があるように思う。故に、AZZLOは 必要に応じて、2ステップ段階を含めた人付き合いになっている気がするw

去年は観光ビジネスに興味があって、”浅草盛り上げプロジェクト” を想定して墨田区議会員さんとも繋がって飲んだりしたが、”浅草に知人が多い友人” に相談して繋がる事が出来たし。

17:「追従」 に関しては、上司に部下が 「追従」 するのは、組織を指揮命令 (いわゆる上意下達) で動くところと見ると何も問題なさそうである。たしかに、上司がスーパーマンで、すべてを把握し、すべての能力に関して部下よりも上であったらそうだろう。しかし、現実は違う。現場の実情は部下の方がよく知っており、現場での実勢能力についても部下が上回る面があるのが普通だ。その知識や能力と上司の知見や権限を掛け合わせることが必要だ。

よく 「・・・だったら『お刺身にたんぽぽ乗せてね♪』 って言って欲しい」 とAZZLOしかりあらゆる人が言うもんなw そして、その上司と部下の特性を踏まえて昇華出来るのがチームだと思う。どこでもよくあるが “上司が部下に嫉妬する” とかでは、まともな労働とは言えないw

18:理想的には 「建設的な議論が大事」 ではあっても、現実にはそうもいっていられないことだ。上司が強権的で、多少なりとも異説を述べれば、立場を失ったり、左遷されたりする状況にあれば、「追従」 せざるを得ないであろう。あるいは、自分の経験と知識に照らしてどう考えても、参画したプロジェクトの意義や目的がわからなければ、そのプロジェクトの会議に出席しても、その態度に 「懐疑」 的なところが現れるであろう。

強制的にたんぽぽ乗せやらせても、結果的に “美しくない刺し身” として出荷され、売れないんだよなw 一時的には良くてもT芝の様に転換点が来る。そして、強権的な人は、うまくいかないと大概逃げる よなw

19:双方向の会話は、メンバーが双方向率の高い会話の重要性の認識を共有することにより高まる。しかし、根本的には、双方向率の向上そのものは目的でなく、むしろ双方向率は我々の仕事への、そして人生への 「挑戦性」 を映す鏡、指標になっていると考えた方がいい。会話の双方向率を見て、関係者が挑戦的な仕事をしているかを確かめることができるということだ。そのような挑戦の度合いが、企業の収益に強く相関するのは、納得いくことである。

「ですよねぇ・・・」 で終わる若手とか、双方向率が低くて挑戦性無いと言えるな。

そして、そういった若手をdisるので終わるのではなく、何故 「ですよねぇ・・・」 になっちゃうのか? その根源を探る事が必要 だと思う。

20:これまで、社員の人材力を高める施策は、会社の人事部門が行ってきた。たとえば、「管理者教育」 や 「コミュニケーション研修」 や 「想起選抜」 などである。しかし、これらの施策が現実のミクロな社員行動にどの程度影響を与えているかはわからなかった。計測する手段もなかった。ましてや、これがマクロな会社業績と関係しているかは、誰にもわからなかった。

多くの場合、人事部門の “労働履歴” なだけで 現場社員には “タスク” だったりするもんな。ま、”根本意味ない” という学びも悪くないけどなw 多くの人事部門は “人事書類部” と名称を変えるべき だと思うw

21:実は、仮説などつくりようがないのである。それでも無理を承知で人が仮説をつくろうとすると、関係者が簡単に想定できることやすでに知られていることになってしまう。本件で専門家が行ったように、関係者へのインタビューやこれまでの経験と勘から仮説をつくらざるを得ない。それをデータで検証するという手順にならざるを得ない。

仮説は作れるハズだが、確かに多くの業務においては “上を通す” 前提の、”なんでもない内容を担保する為の調べるまでもないデータが付いている資料” なだけだったりするw

今後は仮説設定から何から何までAIが出来るようになって、人は “承認ボタン” を押すだけになる が、それまでは、人の妄想・(本来の)仮説設定は機能すると思う。

22:通常、向上したい目的変数のデータは、1日の店舗の売上 (日販と呼ばれる) などのマクロな情報なのに対し、それを説明するビッグデータの方は、細かい時刻ごと、顧客ごと、店員ごと、場所ごとのミクロなもので業績との直接の関係性が一見薄いデータである。この間の大きなギャップを埋めることができるのが 「H」 の特徴である。このミクロとマクロとのギャップを埋める独自技術 (特許出願済) を 「跳躍学習」 (Leap Learning) と呼んでいる。

「H」 とは、著者が作っているプログラムらしいのだが、ビッグデータの旨味はこの “ミクロとマクロの因果関係解析” と言える だろうな。これが理解出来てないと 「ビッグデータってなんか意味あんの?」 って事になるんだろうな。

23:大量のデータの全貌を人間が理解することは不可能だ。全貌どころか、その概要すら把握できないのがビッグデータの特徴なのだ。その状態で、人がつくった仮説とは、必然的に、大量データの恩恵を受けていない (無視した) 経験と勘に頼ったものになってしまう。多種大量のデータがある問題については、仮説はコンピューターにつくらせる時代になっているのだ。

逆に 人だからこそ “無知こそ最大の武器” 的な事もある。 そしておいおい、その “無知” すらもAIが再現する だろうけどw

24:学習するマシンは、問題を設定することはできない。あくまでも、与えられた問題に関して、データを活用して的確な情報と判断を提供するだけである。人間は、解くべき問題を明らかにし、学習するマシンを活用して得られた判断を実行することが求められる。

“問題を設定する” という学習させたらどうだろう?w

25:今後、学習するマシンが得意な仕事は、人から機械への移行が急速に進むであろう。機会への移行が進むのは、与えられた問題 (ただし、ゴールが定量化可能で、これに関わるデータが大量にある問題)に対して、その解き方を考案したり、その上で判断したりする仕事である。代表は、ソフトウエアの処理手順 (アルゴリズム) を考える仕事である。これまで、これは高度に知的な仕事の一つと考えられてきたが、今後は、むしろ 「学習するマシン」 が過去の大量データからアルゴリズムを自動生成することが当たり前の時代が来よう。

広告代理店業で言えば、やはりメディアプランニング領域は、特に “学習するマシン” に置き換えられるな。リアルタイムに “あのサイトでは在庫過剰だから優先表示する” も出来るし、当然閲覧者、閲覧者の状況とのマッチングもより精度が高くする事が出来る。

26:学習するコンピュータの登場により、人間がやるべきこととやるべきでないことが大きく変わる。これは人間と機械との新しい協調関係が生まれる過程と考えるべきだ。学習するマシンに適切な問題を与えることで、人間の問題解決能力は飛躍的に向上する。これを活かすことのできる人あるいは組織と、そうでない人・組織との違いは大きくなっていくだろう。

作業ドメインではなく、効果ドメインで自分の労働を見直す必要があると思う。技術革新等で起きる事は “今の作業が要らなくなる” 事が多いのでビビる人が多い訳だが、”その作業の先にある事” を踏まえたらビビるのではなく、活用したくならないだろうか? 「そんな事したら俺ら要らなくなる」は作業ドメインで考えてるんだろうな。

27:経済性の追求と人間らしさというのは両者が協調しあってうまくいく体系であることがスミスの主張だった。しかし、スミス以降、このうち、経済性のみを限られたデータにもとづいて追求することが普及した結果、人間らしさの追求が置き去りにされた。そもそも、スミスがいいたかったのは、経済性と人間性とは、相反するものではなく、互いに関係しあうことだった。このスミスの考えが、いよいよ大量データと知的なコンピュータの出現により可能になったのである。

経済って “貨幣” だけではない からなw そこを忘れる人たちが多いから歪がいっぱいだと思う。

28:20世紀初頭には、多くの活動が個人や家族で行われていた。100年後、ほとんどの社会活動が組織で行われるようになった。組織は社会の基本単位となった。しかし、現在の企業が基盤としている階層型の組織は、硬直的になりやすく環境変化に弱いことがしばしば指摘される。環境変化のなかで、複雑だが重要な問題にフォーカスを保ち続けることはむずかしい。多様な構成員の力を発揮させつつ、全体の目的へ調和をとる21世紀の組織システムを実現したい。
このためには、我々が組織運営の上で当たり前だと思っていたことの見なおしも必要だ。たとえば、我々は組織の上下での連携を行う常識として 「ホウレンソウ (報告、連絡、相談) が重要だと教わった。しかし、今後はこれに加え、「マツタケ (巻き込み、つながり、助け合い)」 が必要になるという指摘があった。目指すのは、個と全体とを結合して共通の視点が持てる組織であろうか。大量のデータが、組織の科学と工学への道を拓く可能性がある。

「確かに」 とは思うが、組織に入る前の道徳の問題とも思うw

29:収集された大量のセンサデータを日々見ているうちに、今日の自分の状況にあったアドバイスを自動で生成できないかと考えた。数年の時間を要したが、このアドバイスシステムの開発にすでに成功しており、これを 「ライフシグナルズ」 と呼んでいる。私は、これを毎日活用している。いつでも相談できる自分専用のアドバイザーがついているようなもので、もうこれなしの生活は考えられないほどだ。

あぁ・・・。これがビッグデータの行き着く先で、生殖対象すらもアドバイスされる 事になるw


いわゆるビッグデータの可能性である “これを買った人はこっちも買う可能性が高い” に留まらない、マネジメント・人が動く根源にも言及しているのが、ありがちなこの手の本とは少し違う内容かな。

そして先日、ソフトバンクがpepper for bizを発表して

「残業大歓迎 24時間でも働きます 自分で見て聞いて触れて学習していく」WBS 20150730

「残業大歓迎 24時間でも働きます 自分で見て聞いて触れて学習していく」WBS 20150730

Posted by Taka-aki Motoi on 2015年7月30日

接客分野でデモも行われているが ビッグデータで進化する売り場 「未来の店」を体験 デモでもこんな事が出来るようになっている最中、”手売りメディア営業” に拘る組織は、何を根拠に継続・成長を予定出来るんだろうなぁ。ただの願望にしか見えないのだがw
pepper for bizに類する事は、まだ数年後だと思っていたのだが

既にリリースしちゃった訳で、確実にAZZLOが想定していた未来が現実になってきているし、むしろ想定よりも早まってる(汗)

現状の労働内容と評価制度においては人と同等のパフォーマンスを出すには当然数年後にはなるが、いわゆるデスクワーク労働の大半はペッパーの方が人より優秀なのは明らか。

http://azzlo.tumblr.com/post/125437362264/人類の知能をコンピュータの人工知能がクロスオーバーして超えてしまう時はもうすぐ側に来ているソフトバ

と孫は言っている訳だし、わざわざ人であるメリットを改めて問いただす必要が出てくると思う。

http://azzlo.tumblr.com/post/125487983264/その根底には仕組みの変化を受け入れたくないという風潮さえある日本はこのままだとインターネットがもた

な、AZZLOが在籍するような現代適応出来ない組織は今後多発するだろうな。

どうもAZZLOが在籍する組織は今だに工場労働的発想で “人を増やせば処理量が増やせる。よって売上が増える”という感覚が強い っぽい。しかし特に現代は “デジタルによる効率化で人を増やす必要がない。むしろカット出来る” で、1人当たり経常利益の向上に目を向けるべき だと思うなぁ。そもそも人口減少前提な訳だし。

「機械のする事と人間のする事の境目が変わっちゃう」WBS 2015 06 26

「機械のする事と人間のする事の境目が変わっちゃう」WBS 2015 06 26

Posted by Taka-aki Motoi on 2015年7月5日

今後は 売上は伸ばせたにしろ、多くの既存産業はコモディティ化によって1人当たり経常利益は下がるだろう (人が今まで通りの労働をする上では)。しょぼいPCによるデスクワークの為にオフィスなんてものに家賃払ってる余力は無くなる。

どぉいう崩壊っぷりになるか楽しみにしたいなぁ。・・・正確にはもう組織がどうなろうが、無関心のレベルになってきたが・・・良くないので頑張って楽しみにしようと思うw

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