複数人に指摘される
ちょっと前に連続して複数の人に「個人の領域だけど会社の事ブログで書かない方がいいぞ」と言われる。
自分としては
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・起きた事(事実)と感じた事(解釈)をWEB上にテキストで公開するのは、2000年からやっている行為だ。この行為が始まりで、今の自分のWEBスキルがある。ある種ライフワークである。
・TAKA-AKI AZZLOは戸籍の名前とは違うので、会社での名前ではない。
・会社の人が見れば、現実の案件名・登場人物名は分かるだろうが、情報漏えいのリスクは無い内容にしている。(当たり前過ぎだが)
・FACEBOOKに記事のリンクをシェアしている。会社の人と繋がっているが全員相手からの申請だ。プライベート含め自分から友達申請はした事がない。
・FACEBOOKの在籍会社名は、デタラメな名前にしてある。友達関係等を追えば正確な会社名は判断出来る場合もあるが、あくまで推理の結果でしかない。事実は書いてない。
・会社の限られた人に対して、発想の説明が面倒な場合に、ココのURLを教えた事はある。
・書かなくてもおしゃべりはする。ネガバイラルを気にしているのならば、ブログに書かなくても影響は変化しない。むしろソース元が無いと伝言ゲーム的に、どんどん変化していくので、ブログに書いた方が、一時情報が明確で安定している。
・ブログで色々書いてない人が自分より問題扱いのケースもある。
・書いているからこそ、ポジな出来事が起きたりもする。
こんな理由から「とは言ってもねぇ・・・」という感情があった。
事実であっても誤解を生みやすい文章が課題
割りと 会社に対するネガティブな感情を書く事が多いが(ほぼ全部かw)、最近ポジティブというか、今までネガティブな方向で書いていた
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・部長
・先輩
・スーツ好きおっさん
に感謝するような感情も出てきている。そぉいうのも書くのはよろしくないのだろうか?多分会社の事を書くのがダメなんではなく、人をネガティブに書くのがよろしくないのだろう。
また、プライベートでもよく指摘されるのだが
「確かに君の書いている事は事実だが、誤解を生みやすい内容だ」
とよく言われてきている。
先日は4年目女子に緩く苦情を貰った。
“しくみ作り実行隊” 発足!
で書いた
“中指の立て方” を知っている人間である。
という部分。本人からすると「別に中指立てようと思ってやった訳じゃない」との事。 確かに本人が意図的に中指立てたとも捕らえられる文章だ。よって注釈を入れました。
解釈のフィルターは人それぞれ
ま、こんな感じで、書いている本人は、事実と解釈を分別して書いているつもりでも、解釈が事実に滲んでいく読み方もある ので、誤解を生む場合もあるのは理解出来た。
このノリで自分が誰かのブログに書かれるとしたら
- 事実:”AZZLOは既存の代理店が嫌いで、いつまでも居れるような雇用でも無いと言っていた”
解釈:”AZZLOは近いうちに辞めるらしい”
現実に口コミでも起きそうな解釈の滲みっぷりはこんな感じだろう。
また、自分が話した事 が、めぐりめぐって聞いた話が伝言ゲームのように変化したという経験をした。
- 事実:”君はスーツ好きおっさんが言っていた様に、スカートの丈の短さしか求められてないんだよ”
解釈:”「お前はルックスだけで採用された」と言われた”
採用の決め手がなんだったのかは自分は知らないw しいて解釈違いをするならば、「今クビ切られないのは、スカートの丈が短いからイイ感じの妄想が出来るからだ」であるべきなのに!と、当時はうだうだ考えたw
記憶が歪む経験をしてしまった…
そして!!!なんと今度は 自分も解釈によって記憶が歪んだという経験をしてしまったw このリスクを避ける為に自分は極力ボイスレコーダーで会話を録音している。ある日部長と二人の仕事内容報告の際に
- 記憶:”お前にはおいおい辞めてもらいたい”
と言われたという記憶が出来ていた。ある日この事を部長に話すと「そんな事言う訳ないだろ!!」と言うので、念のため録音したデータを聞きなおしてみると・・・
- ・お前は1人でやってった方がいいぞ(独立しろ)
・お前とは長くはやれなさそうだな
みたいな発言は複数あったが(今聞き返した訳じゃないので、これも記憶だが)”辞めてもらいたい” は無かったのだ。
確かにこの会話を要約すると “辞めてもらいたい” というオチにはなりやすいのだが、(現在の “自分の判断” なのでフェアではないが)言った言わないで言えば言ってなかった のだ。
この記憶が歪んでしまったのは、自分が本社に出向してまだ半年ぐらいの時に、「お前とは外部の人間として付き合った方が楽しそうだな」と言われた記憶がある。
残念ながら当時の日記にはその記録はなかったが、この記憶によって、”部長は自分と付き合いたくない訳ではないが、社内には居て欲しくはないと思っている” という 解釈のベースが出来上がっていた。
更にあらゆる人に「なんでウチなんかに居るの?」や「いつ辞めるんだよ。お前の為に言ってるんだぞ」みたいな会話があったのも響いている。
その上で、「お前とは長くはやれなさそうだな」を言われたので、”お前には辞めて欲しい” という記憶が出来上がっていた のだ。
自分は10代の頃から 「斜め視点で物事見過ぎ!」と怒られる事もあったので、事実と解釈は分離するように注意していたのに、こぉいう事が起きたのだ。ボイスレコーダーのデータを聴きながら正直かなり耳から鱗状態であった・・・。
この件については、素直に部長には謝った。バイアス(解釈)がかかりやすい素材が多くあったとは言え、歪んだ記憶を作り誤解を深化させたのは自分であった。
これはボイスレコーダーの記録があったから検証が出来た。もしこのログが無かったら「部長は記憶力が悪い。都合が良いおっさんだ」となっていただろう。
検証する為に精度の高いログは必要
このように、検証する為に精度の高いログは必要で、その為に日記を書いている部分はある。 よく過去の記事を読み返すのだが
- ・うわ~恥ずかしい事言ってるな・・・w
・視点が低いな~
と正直赤面する事が大半だ。逆に
- ・鋭い視点で勢いあるな
と感じる場合もある。
読み返した時点での自分の解釈を試みて、新しい視点に気付いたりする事が多い。要は自分自身の把握である。よって、なるべく精度の高いログを残していく必要がある。日記の時点で既に解釈を通過した記憶であって、正確な事実は見えないが無いよりはマシだ。逆に当時の解釈が残っているからこそ価値がある部分もある。
何故人は過去の事実・記憶を振り返りたいのか?
3月の震災の時に少し話題になったが、”家等の資産を失った人が写真アルバムを見つけ出して、少し安堵の表情を浮かべた” という話がある。火事の時に何を持って逃げるか?という問いに “アルバム” というのは必ず上位だったような記憶もある。
何故人は過去の事実・記憶を振り返りたいのか?
- 1:当時のポジな出来事から、ポジな感情に染まる
2:当時のネガな出来事から、「あの頃は弱虫だったな」などと自分の成長を確認する
基本的行動はこんな感じじゃないだろうか?ポジもネガも自分の中で認めて、今後のポジを誘発しネガを回避させる材料として機能させようとしている気がする。
1はある種現実逃避に近いが、過去には現実であった。非常に精度の高い現実逃避なんだろう。
2は今の成長した自分から、未来への希望を感じれる行為な感じがする。
記憶のコントロールサービス?
ライフログの進化として、記憶のコントロールサービス?的なものが作れないか?と考えて、部長への誤解確認以前に買っていた非常に面白い本がある。読書感想文はおいおい書くが
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1:作家や著名人でなくても、人は日々自叙伝を綴りながら暮らしている。生きるというのは自叙伝を綴ることだ。
2:過去というのは客観的事実ではない。客観的に自分の外にあるものではない。自分の記憶の中にあるものである。そこにあるのは、主観的な意味づけだ。
3:私たちが過去のできごとを思い出すとき、ビデオの再生のように過去に起こったことをそのままに再生しているわけではない。「あのとき」を現在に呼び戻しつつ、今の自分が生き直しているのである。「あのとき」のできごとを、今の視点で意味づけしながら、新たに体験しているのだ。懐かしく思うのも、悔しく思うのも、楽しかったなあと思うのも、紛れもなく今の自分である。
4:今の自分を説明するのに都合のよい記憶が選ばれて自己物語を構成しているのである。
5:記憶には自分を知るヒントがいっぱい隠されている。自分がどんなことをとくに記憶しているかを探ってみることで、自分がどんな人間で、どんな生き方をしているかがわかる。個人心理学を提唱したアドラーは、自分自身、そして自分が人生に与える意味を理解するための最大の助けになるのは記憶だと言う。
6:過去への評価は、中年世代の方が肯定的なものになっていた。青年の方が、思い出す過去は暗い内容が多く、過去を思い出すと気持ちが沈むことが多かった。
7:どんなに正直に書いたつもりの日記であっても、そこには他人向けのポーズが無意識のうちに入り込んでいるものである。~中略~ ある意味ポーズも含めて当時の自分をあらわしているものであり、日記は過去の自分と出会うことを可能にしてくれる記憶の貯金箱といってよいだろう。
8:私たちは、ともすると記憶は過去に属するものと考えがちだが、じつは記憶は想起している自分の視点から再構成されたものであり、現在に属するのだ。このことを忘れないようにしたい。
9:あなたの抱える過去の記憶は、ひとつのバージョンにすぎない。~中略~ それは、私たちの記憶は書き換えることができ、私たちは自分の過去を変えることができるということである。
10:振り返り方によって、同じあなたの過去から、何通りもの物語を生み出すことができる。
11:私たちは、目の前の現実を非常に主観的に記憶する。自分の感情状態に合わせて、現実を歪めて記憶するのだ。
12:全生活領域のできごとをすべて把握できるのは本人だけだ。その意味では、自分がどんな人間かは、ほんとうは本人が一番よく知っているはずなのだ。
13:なぜ過去を振り返って、あれこれ考えるのだろうか。それは、過去を整理しない限り、前に進むことができないからだ。果たしてこれまでの自分の人生とは関係なく、これから先の人生をどうにでもつくっていけるものだろうか。
14:未来に力強く向かっていけるような新たな自己物語の中に、悲惨な体験をうまく位置づけることができれば、気持ちは落ち着き、前向きになれる。
15:できるのは、素材を消したり取り替えたりすることではなく、素材のもつ意味を変えることだ。
16:視点が変われば、見え方が変わる。真上からしか見ることができないときには円に見えたものが、横からも見ることができるようになると円錐だったと気付く。
17:どんなに嫌なできごとにも、時間をおいてからじっくり検討してみると、意外にポジティブな面が見つかるものだ。自己物語面接を通してわかったのは、前向きに生きている人はネガティブな記憶をポジティブに読み替えるのが得意だということである。
18:過去を整理せずに前向きになろうとするのは、土台を固めずに砂上の楼閣を築くようなものだ。そんな前向きな姿勢には安定感がない。いつまでも過去の亡霊に脅かされつつ、過去の記憶にフタをして生きることになる。
19:記憶がぼやけることは、自分の人生がぼやけることを意味する。
付箋が付いた箇所の一部であるが、“記憶とは財産である” とも言える。(どっかに書いてあったかも?)
将来の視点切り替えの為に、一次段階の感情ログを残したい
自分がネガな事を多く書くのは、自分の感情への疑いをかけれる履歴を残しておく事であり、過去を整理する材料として蓄積しておく必要がある為だろう。
そして視点を変えてネガな事実にもポジな要素があるという確認を行う事で、足踏み状態で実は進んでいないというような、勘違いを避ける為なんだろう。
これらをデジタルデータにせず、記憶のままにしておくのもありえるが、何時変化した、どう変化したという事は、自分では分からなくなる。 得に、ネガな記憶は人は思い出せなくなるらしい。なので、脳意外にログ化しておく必要があると思う。
視点の切替に近いもので、同じものに光を当てても、確度によって、醜い影が出る場合もあれば、美しい影が出る場合もある と思う。あらゆる角度からライトを当ててみないと、どれが一番美しいか分からない のだ。故に当然 一番醜い影も一度は出してみる という事だと思う。
自分の変えれない通常であればネガな事実として
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・中学中退である。
・子会社が本籍である。
・生涯給与は、本社社員の半額程度であろう。※現時点で3割違う。
という事実に拘るのは、視点を変えれば、軽自動車でF1レースするようなもので、ドライバー(自分)の腕がよほど良くない限り、そもそもレース参加すら出来ないのだ。
故に特にネガ履歴は、ちゃんと自分と向き合う為に残しておく必要があると思う。おっさん達にネガ要素を感じたというのも、全て自分の履歴である。“しくみ作り実行隊” 発足! で書いたように、負の蓄積をして全て肥やしとして活用し、正を大きくする為に必要な行為 だ。
自分は、「ポジ・ネガどっちの思考なのかわからない」とよく言われる。これは上記の発想が元であるし、更に 初期段階でネガ方向に解釈する事で、最終的な肥やしの質の担保になる からだと思う。
最高へは常に最深から
丁度この記事を書いている最中、お世話になっているプロダクションさんから 永劫回帰 について教わった。”最高へは常に最深から” とあったが、自分はこれを意識しているんだろう。
という事なので、今後も会社での体験は日記で書くでしょう。ただし気をつけなければならないのは、解釈が含まれる記憶なので、誤解はあるかもしれないが
“誰がネガ(っぽい)だか特定出来る書き方は避けよう”
という事だと思う。
具体的には、部長、先輩、スーツ好きおっさん、ではなく、まとめて “偉いおっさん” として書こう。 どのおっさんだったかは、自分が特定出来れば、この日記の機能としては十分。自分は 誰がダサいとかを広めたい訳では全くなく、自己確認・検証の為のログ化の為に書いているので、これで十分だ。
偉いおっさんへのポジな感情
最後に、今までネガ方向で書く事が多かった、おっさんお三方へのポジな感情をログ化しておこう。
- 部長
自分にも記憶のすり替えが起きる事を体験させてくれた。誤解を深化させてしまったのは残念だが、自分が能動的に動く(期待されている領域と違うかもしれないがw)環境作りはして頂いていたと思う。補足すると、会社のマネージメントがダサいという様な記事については、確か部長の事を指していた感情はなかったと思う。会社全体の座組みについての感情だったと思う。その上で色々フォローして頂いていたように思う。
- 先輩
何度か「もう辞めろよ!」と言われた事があるがw 先日問題が降りかかった際に、色々とフォローしてくれた。理解者が居る事を知って精神的に凄く助かった。
- スーツ好きおっさん
「もう辞めます」とか言ってはいないのだが、その可能性を感じて動いてくれた。「お前には居て欲しいと思っている」と言ってくれて(あくまで自分の記憶だが)喉の魚の骨が取れたような思いだった。自分はまだこの場所で筋トレしたいので、自分が動きやすい環境を整える動きをして頂いているのは本当にありがたい。ビジネスとして考えたら1人でも辞めてもらう必要がある状況であるにも関わらずだ。(自分の年収だからこそ、まだキープする駒であるという判断はありそうだがw)
人間同士のコミュニケーションなので、ポジネガ両方あるが、今まで書いてきたレベルのネガについては、すぐにそのまま履歴化するのではなく、ポジはどこに含まれるのか?一度考えてみる癖をつけてみても良い気がする。ネガのベースは人には真似出来ない程、なかなか強固であるw ので同じレベルで積み重ねる必要は無さそうだ。
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