2010年6月頃の読書。
で書いたように、当時は結構購入意欲が高かったipad。しかし3G回線での使い心地を見ていると、自分が妄想した使い方は厳しいっぽいので、現在まだ持っていない・・・。
また、真っ当な代理店の給与であれば絶対買ってるし、社内では誰よりも使いこなしてると思うが、給与がしょぼい(子会社在籍故)というのも理由の1つ・・・w
しかしMTG時にサッと参考ビデオ等を流している人がいると、「スマートだなぁ。いいなぁ。」とは思う。自分はあえてこの負の環境を “動画見せなくても共感してもらえるMTGにする” という意識を高める為の材料として機能させてしまっている・・・w
この本を読んだきっかけでもあるのだが、2010年6月頃は某企業にipad営業ツールの提案をしていた。その時に思ったのが「イケてる営業はipad無くても売るし、ダメな営業はipadがあろうが売れないんだろう・・・」という事に気付いてしまった。
とは言え、急な営業チャンスの際に資料やカタログを持ってないと、何も出来ないというのは、今の時代有り得ないし、特にメディアプランニングの人と同行していると、媒体によるレギュレーションがどうなのか?即答出来ないケースも多い。
そんな時に、ノートPCでも良い訳だが、サッと資料を見せて「後ほどメールでお送りしますね!」という流れを作れるに越した事はない。しかしノートPCではなく、ipadの提案にあたっては、タブレット型である理由が必要だ。ノートPCでも良いのであれば、ipadである必然性が無い。
HTML5やアプリの “表現力云々” というのは理由にならないだろう。ノートPCでFLASHで見せたって同じ事だ。
おそらく心理的なものだが、
- ノートPC=所有者の世界
タブレット=共通の世界
そんな違いがあるような気がする。
これはノートPCのキーボードの “てかり” が所有者の痕跡を強く残してしまうからじゃないか?とか考えたりする。その点、タブレットは手垢は強烈だが何かしら表示していればほぼ分からない。瞬時に見る個人のパーソナルなものへと入り込む事が出来るインターフェースな気がする。
・・・あえて理屈こねてみると、上記の様な事は言える。
現時点の一般的なipad活用法は、個人所有という点では、まだまだおもちゃの印象が強まっているが、
- ・将来的には自分の仕事を効率良くしてくれる可能性はある。
・特に教科書としての活用には興味が高い。
・本の電子化による、インターフェースデザインの変化に、非常にチャンス(体験を変える)がいっぱいあると感じる。
・”ただの事例作り” という本質が欠けたipad提案をしない理由が欲しい。
という理由から勉強しておこうと思う。
1:「失敗ではない。うまくいかない方法を一万通り発見しただけだ」—トーマス・アルバ・エジソン(発明家)
2:「従来の資金・労働力・原材料に加えて、技術革新を行う人々や情報自体を経済資源として扱う必要が出てきました。これは工業の時代(インダストリアルエイジ)から情報の時代(インフォメーションエイジ)への移行に伴うもので、我々は時代の変わり目に立たされています。そして、歴史的に見てもめったにない機会を与えられているのです。
それは『発見と学習の新しいルネッサンス』を作り出す機会に他なりません。」
3:「新しい価値の創造のためには、ビジネスと教育のシステムをイノベーションオリエンテッドなものにする必要があります。イノベーションは、官僚的な機構や社会的な階層構造からは生まれません。優秀な個人から生み出されます。そこで21世紀の企業の能力は、そのサイズや組織の構造で評価されるのではなく、個人の創造力をどれだけサポートすることができるかにかかってくると言えるでしょう。
音楽に喩えるならば、マーチングバンドの行進ではなく、ジャズバンドのソロプレイのようなものが必要とされているのです」
4:「このような社会環境化では、個人も非常にフレキシブルであることが要求され、常に変化し続ける必要があります。言うなれば、『人々のキャリアの中で不変であるべきなのは、変わり続けることだけ』なのです。~中略~ 未来の学生は、受動的な学習というよりも能動的な探求者となるべきです」
5:「新しいルネッサンスのコアとなるテクノロジーは、知識を増加させる『ハイパーメディア』、経験を増加させる『シミュレーション』そして、膨大な情報を個人の知識とするために、ハイパーメディアとシミュレーションを統合化する『AI技術』だと言えます。アップルはこれらの融合体を「ナレッジナビゲーター(Knowledge Navigator)」と名付け、未来のマッキントッシュとして位置づけたのです」
6:既存の出版社が電子出版におけるライバルを同業他社に限定して紙媒体での再現にこだわるならば、そのビジネス基盤すら揺るがしかねないということなのである。
7:今後、様々な電子書籍がウルフラム・リサーチ社の知識型検索システムを内臓し、今までにない教育と学習の機会を生み出していくことだろう。
8:(NBAとMLBのアプリについて)
これらのアプリが示唆するのは、商業スポーツが最終的には自信のネットワークを通じて、直接的にファンの取り込みを図っていこうとしているということだ。もちろん莫大な放送権料を考えれば、既存のテレビ局とのビジネスがすぐに終焉を迎えることはないだろうが、今後は人々のネット利用時間がますます増加していくことは間違いなく、今から様々な手を打っていると見ることができる。
9:(ABCのストリーミング視聴アプリについて)
これはつまり、テレビ局にとって番組を放映するうえで、その経路が電波か通信(インターネット)かの違いはもはや問題ではないことを意味している。それどころか、電波による放送では視聴率は統計的な推測の数字であって曖昧さが避けれないが、ネットワーク配信では本当の視聴者数を掛け値なしに把握することができる。したがって、その数字を根拠にスポンサーとの料金交渉を行ったり、放映シーズンを延長するかどうかの決定を的確に行うことが可能となるわけだ。
10:(ヴァージングループの『Project Magazine』について)
記事ごとに読者がコメントを投稿でき、それらが表示される機能を設けたり、編集部のブログがリアルタイムに反映されるページがあるなど、月刊誌でありながら、購入後も内容が変化していくことによって、新たな雑誌メディアの在り方を目指す姿勢が明確だ。
11:大胆に予測すれば、アップル社はipad用の純正オーサリングソフトを準備中であり、それは過去にブランドとして確立していたハイパーカードの名を受け継ぐアプリになるのではないかと思えるのだ。
12:人はバーチャルな世界で電子化された情報だけに満足するのではなく、リアルだからこそ面白いモノ・コト・ヒトにも惹かれ、双方のバランスの上で生活や人生を楽しむようになるという点だ。
13:ダイナブックを提唱したアラン・ケイ氏にも「未来を予測する最良の方法は、それを創り出てしまうことにある」という名言があるが、これも本質的にはミード氏が説いていることと変わらない。
ちゃんとタイトル通りの内容で、ipadが生まれた経緯や過去の情報もしっかりしつつも、未来への兆候や予測もしっかりしていて、隙の無い内容であった。
- 3:これは自分には都合が良い話だ。音楽の例えは分かりやすい。2で指摘される現代においては、最大公約数ではなく最小公倍数的な達成が必要な訳で、ジャズバンド、しかもフリージャズ的なチームワークが必要だと思う。
これは奇跡的な組み合わせでなければ、現代のチームワークは生まれないと思う。能力がある一定の水準を越えているから、寄せ集めればOKという足し算ではなく、正の裏には負がある事を認めて、自分の負は他者の正として補完出来るという条件が必要だと思う。
よって、あえて相手の正に合わせて、自分に負があるように見せかけるというテクニックも必要だと思った。
- 5:ぶっちゃけなんだかよく分からないがw AIによる “自動連想” が次のテーマだと思っている。自分はこの現代に生きていて、自動連想の時代という、既に起きている未来を感じているだけだが、アップルはもっと昔に気付いていた・・・というのはやはり凄いな。
- 8、9:これは面白い事例で、既存のビジネスモデルを無視した取組みだ。いずれ手を出さなきゃならないのならば、とっととやっちまえ!という感覚だろう。
- 10:これはちょっと見てみたい。電子書籍の基本からカラクリまでわかる本 で書いた
という発想が、既に具現化されてるのかな?
- 12:超同意。と共にネットでの “疑似体験” が可能というメリットに更に疑問が沸く。
・-読書感想- AR三兄弟の企画書
>疑似体験に走りすぎたからこそ?WEBに飽きてきてるので、リアルを拡充してくれるであろうARには興味深々になった。・Re or Post?
>どんなに似せて作った母乳であっても、疑似体験にしかならないです。これはなかなか生活者を馬鹿にしたコミュニケーションと言える・・・。(「疑似体験です」と明確に言うなら話は別だが)・なんで車は必要であり必要でないのか?
>WEBは疑似体験がしやすいけども、結局の所 “廉価版体験” であるという事。WEBならではの旨みはあるので、リアルではあり得ない導線を生ませたり機能を付ける事で、”デフォルメ体験” と言える疑似体験にしなければなぁと感じた。ただ薄めただけだったらリアルでいいのだ。既に上記のように、WEBで疑似体験するという事は、廉価版体験であり、劣化体験のハズ。そもそも擬似というのは、元ネタがあるから言われる訳で、リアルがあるならばリアルでやればいいと思う。
リッジレーサー vs グランツーリスモ 的な議論に近くなっていきそうで、この流れだとグランツーリスモは必要無いという事になってしまうが、”車の世界をリアルにやると金がかかり過ぎる” という理由から存在する必然性はあるな。
自分が否定的なのは、”精度の高いバーチャルコンテンツの場合、「よく分かった。リアルに見学する必要は無いね」”となってしまう事だ。
要は、グランツーリスモはリアルレースに参加する人を増やす事が目的ではない。よって精度が高い事によるデメリットは無い。しかし広告で言う疑似体験は、
- “リアルは敷居が高いだろうから、それっぽいのをWEBでやってもらって興味が出れば、リアルにも動いてもらえるであろう”
という、”そんな論理成り立つのか!?” という事が多い。
要は風俗嬢のプロモーションでオナグッズを無料配布するようなものだろう。ヌイてしまっては、風俗行く理由がなくなってしまう・・・。
最近プロモーションのスタッフとの連携を強めていて、このWEBとリアルの必然性とブリッジは、直近のテーマだな。
・・・という事で、著者の切り口が自分好みだったので、ipadがどうという感想は薄く、”ipadは体験を実現する1つの手段である” という整理になった。
この点踏まえて、隙があったらipadの仕事もしてみようと思う。
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