心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 (幻冬舎文庫)
2011年9月頃の読書。
当時、どこの本屋でもこの本がフェイス独占しており、丁度会社辞めようという意思が明確になった 時期だったのもあり、読んでみた。
1:愚痴だけでなく、負の言葉はすべて、現状をとらえる力を鈍らせてしまい、自分で自分の心を乱してしまう。心を正しく整えるためにも愚痴は必要ない。
⇒自分はちょっと違うかな。自分は負の認識を強くして肥しにして昇華するタイプだ。「FUCK YOU!!!!!!」と叫べる材料が適度に欲しいw (多過ぎると辛いけどw)
愚痴を言うのは、”取り急ぎの吐き出しと認識” という意味では全てが悪いものでもないと思う。もちろんそればっかではダメだけどw テキスト化するのと同様喋る事で整理されるものはあるし、課題が見つかる事もある。メンタルケアなんかも基本そんな感じだと思うし。
あと言う対象次第だな。上位者が下位者にオチの無い愚痴を言う のはダメだろう。
2:僕が気がつかないだけで、日々の生活は頑張っている人々の姿であふれているのだと思う。自分のことでいっぱいいっぱいにならず、そういう姿に気がつける自分でありたい。
⇒むちゃくちゃ綺麗な心って感じだなぁ。でも見えれば見える程 “結局てめぇの事しか考えてねぇじゃん!” とか負にも気付いてしまうのが現実だ・・・w
また、頑張り方が間違っている事に気付くというか、共感出来ない場合も明確になってくるだろう。
一番良いのは全て見えるけど、負に気付いた時に “自分とは関係ない” と取捨選択出来るセンスと割り切りかな。
3:すぐに評価を上げようと思ったら、目立つプレーをした方が手っ取り早い。だけれど、組織に成功がもたらされたときには、必ずチームプレーをしている選手の評価も上がるはずだ。
焦らず我慢して継続すれば、いつか「組織の成功」と「自分の成功」が一致する。それを目指しているのであれば、組織のために自分のプレーを変えることは自分を殺すことではなくなる。
⇒適度に共感はするが、これはサッカーだから割と言い切れる気がするな。
自分においては会社内のくくりと、案件ごとのくくりの2種類があるが、正直前者にポジティブな影響が及ぶ行動は、気付いてはいるが行動にしようとは思わない。そもそも本社社員はAZZLOの存在なんか関係なく、自立しつつも社内強化に作用するハズだ。自分は外から来たお手伝いさんに過ぎない。
自分の案件によって、”こんな事までしていいんだ!?・・・であればオレの妄想も実現したっておかしくない!” という気付きが若手に生まれたらいいなとは思うが、”AZZLOの案件を見習うべき!” というような社内共有会みたいな事で、ポジティブな未来を誘発するとは思えない。
そもそも出来る人はAZZLOが同じ組織に居ようが居まいが、チャレンジしてるw (当然ウチの中にも居る)
更に “共に成長しよう♪” と思っても “いやいや!オレはここに留まりたいのよ” という人も多い。こぉいう場合、物凄くがっかりなので少なくてもこちらから働きかけるという事はないだろう。
“AZZLOとなら成長出来るかも?” と気付く人は自然と自分のそばに居るだろう。誰もいなくても自分は勝手に進んでいくハズなので、面白そうだと思う人は、一緒に歩けば良いし、途中で別れたりまた合流したっていいと思う。一時的には一緒にやるが、また別々の事をやって合流して共に強くなる方がいいとも思う。
後者の “案件ごと” については、長谷部の言葉に対して同意が強くなるかな。そもそも結果とか評価がなんなのか、捉え方次第でどうにでもなるのだがw “会社の評価⇒給料アップ” という意味での評価は、自分はその可能性が無いので、プロダクションの人達の社内評価に繋がる事は意識するなぁ。
そんで給料が上がったら奢ってもらおうという目論見なのだがw ←結局自分のメリットを達成しようとしているw
4:チームのために進言することは、「人として正しい」ことだと僕は思う。だから進言するかで迷ったときは、「自己保身の為に言わないことの方こそ、正しくない行動のはずだ」と考える。
ワールドカップでも何か疑問があれば、岡田監督の部屋のドアを叩くようにしていた。監督にとっては耳が痛いこともあったかもしれないが、まったく怒らず、意見のひとつとして聞いてくれた。
将来、自分がチームを率いる立場になれるかは分からないが、そのときは選手からの進言に耳を傾けられる人間になりたい。組織が良くなる機会を頭ごなしに消してしまうのは、「正しくない」と思うから。
⇒これも同意もあれば隙があるとも思う。
まず “聞く耳を持つ” は誰でもどの関係性でも必要だ。「どうせ言ってもしょうがない。怒られるだけだ」と思われたらもうアウトだろう。(そぉ思われちゃう人いっぱいいるがw)
ただし上位者から見て、把握しきれていない人や自己中な人の意見は採用出来ない場合もあるだろう。そこはディスカッションで理解を深め合う必要があるのだが、双方に「結局理解が足りないな」等で、感情的になる場合もある。
そのプロセスそのものが面倒くさくて “無条件にニコニコなおじさん”(結局頷いてるだけ) とかになる場合もるな。これは「人としては良いけど上司としては・・・」と言われるタイプだ。
よりポジティブな状況を求めるからこそ不満や意見が出るのだと思うので、意見そのものは良い事だ。その出し方を上手くする必要があるのだが、内容やタイミングは上位者のマネジメントで調整出来るハズ。
テレビ番組の司会者と同様。”面白い事言おうと前のめりな芸人をジャストタイミングで出せるタイミング作り” によって、番組の面白さ・テンポは変化する。その点田村淳は明石家さんまを超える上手さだと思う。(種類が違うっちゃ違うけども)
下位者も自ら気付き誘発していく必要があるが、下位者に不満を抱えるだけの上位者は、本来の自分の役割に気付いていないと言えるだろう。
5:「箱の中に腐ったリンゴがひとつでもあると、全部が腐ってしまう」ということわざがある。腐るとまでは言わないが、ひとりでも遅刻する人間がいると、組織としての集中力に雑音が生じると思う。
逆に時間より早く来て、すでに100%の状態で準備している人間がいたら、他の人たちも「怠けてはいられない」と気が引き締まるはずだ。時間前に余裕を持って行くのはあくまで自分のためだが、組織にポジティブな空気を生むことにもつながる。
⇒まぁ影響はあるが、“周りが腐ってたら自分も腐る” のは自分の弱さだろう。自分が会社の矛盾を利用しているのはこのロジックだw (そもそものビジョンが違うという点の正当化にも利用している)
“遅刻” については、自分は出社時間は緩い方だ。9:30定時だが、9:40ぐらいが週の半分でもう半分は立ち寄りだったり深勤だったりで、昼出社ぐらいが多い。9:30前に出社するのは年に2回ぐらいか、そもそも帰ってないかだろうw
サッカーとは違って 社内メンバーと同案件・同時進行ではないので、いくらズレようが影響が無いっちゃ無い。 もちろん社内MTGに遅れるのはNGで、その点は一番乗りでMTGに出ている事が多い。
出社時間については、“出社定時守っているが退社定時も守っていて何も出来ない奴” とどっちがいいのか? と思う部分はある。28時からMTGとかやってる時はやってる。
案件チーム(社外)としては、正直MTG遅れがち・・・。これは前の予定が押してたりとか移動がある故なのだが、念のため遅めの時間にしておいても遅れる事が多いな・・・。
6:ワールドカップの経験を通して、ひとつ気がついたことがある。
それは、「人の上に立つ人間は、孤独である」ということだ。
⇒上に立ってても孤独が怖くて温々とした関係をしようとしたり、下位者に愚痴ったりする人 はいる。”人の上に立つ” というよりは “改善しようとする人は孤独” の方がしっくりくるな。
7:「ラスト10メートルを『もうすぐゴール』と意識するのではなく、『マイゾーン』として、自分が最もカッコ良くゴールするための美学を追求しながら泳いで欲しい」※脳に悪い7つの習慣(林 成之)
これも多くの人は “時間軸の最後だけ良ければいいんだろ” と捉える危険性のある言葉だと思う。どこが重要かはケースバイケースであり、それぞれ違うからこそチームの意味があると思う。
8:脱皮しない蛇は破滅する。人間もまったく同じだ。古い考えの皮をいつまでもかぶっていれば、やがて内側から腐っていき、成長することなどできないどころか、死んでしまう。常に新しく生きていくために、わたしたちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ。(超訳 ニーチェの言葉)
⇒ニーチェの言葉の本を読めば “確かにその通りだ!” みたいな事を思うのかもしれないが、この長谷部の本の流れだと微妙だ。
そもそも人は死ぬのだ。
更に現状維持はダメだが、成長と足踏みしているだけを勘違いするぐらいだったら、あえてじっくり現状維持をして、的確に動き出した方が良いと思ったりするな。
9:どんなに相性が悪いと感じても、それはこちらの偏見や思い込みかもしれない。まずは自分から監督や先生の方に歩み寄って、相手のことを知ろうとすることが大事だ。~中略~ どんな指導者にもそれぞれの良さがある。それを引き出せるかどうかは、教えられる側の心構えにもかかっている。
⇒サッカーではこう言い切れる可能性が高いだろう。何故なら “1組織内のチームとして試合に勝つ” という存在であるからだ。
しかし一般会社組織だと、指導者(マネージャー)の多くがそもそも1組織のポジを求めていないケースが多い。”教える” なんて面倒でやらない人も多いだろう。
そういった指導者を肯定する訳ではないが、個人的には、教わる事とかはマニュアルだけでいいと思う。必要なのは教わるのではなく自ら気付いて学ぶ事だと思う。 その隙間(学びたくなるきっかけ)を作る上位者はイケてると思う。
仮に意図にズレがあっても、それぞれのオリジナリティーだし、”自分で身に付けた” と解釈出来た方が力になると思うな。
なんだか否定的な嫌なヤツな感じの感想だがw まぁこれも読書だろうw
サッカーはチームワークであるのはなんとなく理解しているが、まぁ実際に色々とメンタル面で葛藤している人が居るという事実を知ったという事は悪くない読書だったかな。
正直期待したのは、”故にあなたも、サッカーにおけるこの発想を活用する事も出来るね♪” という提言がもっと分かりやすい形で欲しかったな。
まぁそれぞれの解釈こそが大事だし、読書によって “ガイド” が出来て、自分の様に “とは言え自分はこう思うけどな” という解釈が明確になるのは良い事だと思う。
自分としての “心を整える” は “自分以外の対象には期待しない。” じゃないかな。肉体がある時間は限られてる。他者に期待している暇なんて無いと思う。 ダメだったら自分の問題でしかないと思えば、課題も明白だし、自分の努力で解決出来る。
他者についてはビジョンが違う場合も多いんだから、共鳴する事なんてそうそう無いと思ってれば、がっかりする事もないだろうw (現実はすっごい他者に助けてもらってるし、歪を楽しんでますがw)
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