ワレワレハ地球民ダ Ψ(Θ)_(Θ)Ψ

実はアートってよくわからない…

4億のプレやった では、WEBでアートなみなさんと企画を作りプレゼンをしたのだが、提案しといて何だけどもアートって実はよく分からないw アーティストっていう定義は更に分からないw

AZZLOの母方の祖父は芸大出の作曲家で、父方の祖父は彫刻・建築家。父はアートギャラリーに若い頃努めていて、母は金子國義の弟子を経てヘアメイクスタイリスト、 “店舗のAZZLO” をやっていた。そして母の関係から、今井俊満、金子國義らに接して幼少を育った。更にアートな街PARISに住んでた。今もアート的な事が多い表参道・青山周辺に住んでるし。

割とアート的な事には接しているハズなんだが、それがなんだかよ~分からんw

「よ~分からんなんかしらのアウトプットがアートです」

とは言えるのだろうが、ちゃんとした定義ではないw ま、「それぞれ考えるきっかけがアート」という側面もある感じがするので、それで良いんだろうけども。

アートと教育

そんな最中、最近仲良くしているおにゃのこは、流行通信や装苑なアートな感じのファッションブランドで育ち、今もそういうブランドに居る人なのだが、彼女が、「これわかりやすく整理している」 と送ってくれたURLがコレ。

ほぼ日刊イトイ新聞 – Lesson667 アートのチカラ

直島の事は、4億案件の提案時に色々調べて資料にしているので知っている。が行った事はないw

「教育」は自力で小部屋の外に出られるように、
あるいは1ミリ2ミリと部屋の枠組みを
広げていけるようにするもので、自分の持ち場ながら、
かなり地道な取り組みだと思う。
アートは、外から、
圏外のとてつもない先から、
小部屋に向けて光を射す、
風穴がぶちあけられる。
外は広いぞ、途方もないぞ、と。

この箇所が非常に気になった。AZZLOからすると

「教育」 は自ら小部屋に閉じこもる為に、
1ミリ2ミリと部屋の壁を
厚くしているようなもので、
かなり地道な取り組みだと思う。

と読み取ったw

故に部屋の外のアート的なものが新鮮だったりするのではないか?

アートに気付かない背景

AZZLOは政府認定の高等教育を受けてない。すなわち元々部屋が無いホームレスみたいなもんなのでw 常に接している世の中的なアートに気付かないと言えるかも。

お笑いに “アート” を感じやすい

いわゆるアートって言われるのって、綺麗な感じのするものだったり、オドロオドロしい感じが多いが、AZZLOが 「アートっぽい?」 と感じるのって、お笑いだったりする事が多い。

志村けん、松本人志は、なんかそう思ったりするな。内村光良のコントも少しそぉいう感じするな。

・・・なんか “重力を忘れさせる感じ” が共通する要素かな?

ぺぺ・アンドレを思い出す

ボケ方が、中級ユーラシア料理元祖日の丸軒のぺぺ・アンドレと同様に、“宇宙人が地球人とコミュニケーションをしようとしているが、追いついてない様” って感じするしw




ま、地球人も宇宙の中の地球なんで、宇宙人 なんだがw

宇宙人な上の地球民

・・・であれば、東京都民とか神奈川県民とか言う訳だから、“地球民” って言っても良いような?

そして、多くの地球民、特に黒人は宇宙に生命の起源を求めたりする訳だが、AZZLOなんかは “重力を忘れる感じがアート?” という見解をしたりするので、

“宇宙に居る自分を自覚する事 がアート”

なんて言えたりする気がする。デニーさんの星子もそうだしな。

そう考えると、今アートと言われるものが、色々と 「確かにそれはアートだ」 と思える対象が明確になる な。

「あ、俺ら宇宙人だったw」 と気付く事は “圏外のとてつもない先から、小部屋に向けて光を射す” という事象で表せるしな。

星新一の年賀状

「今年もまたご一緒に九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速29.7キロメートルのマッハ93。安全です。他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。」

という星新一の年賀状が話題になってたりするが、そもそも何もしなくても宇宙旅行なんだよな・・・w

宇川君によるAZZLOの定義

そして、AZZLOは宇川君に

「今から地球の重力を反転させてみせる!」と言い張った!!!!!。そう、TAKA-AKIこそがマスター・オブ・無重力!!!!!!!!!!!!!!!!。

と、言われていた。

捉え方次第だがAZZLOの取り組み、最近の 学歴批評記事なんかは、重力の反転を試みている感じ だな。なんでそぉいう事に時間をかけて記事書いてる自分なのか、理解出来た感じがする。

地球上の構造定義はしょせんバイアスがかかった人の手によるもの

宇宙人の地球民であれば地球の無駄な重力 (偏見・世間体・セオリーではないパターン) は要らなかったりする ハズだな。

xyz軸思考は “一度無重力になって、現代の最適な重力負荷を再設定しよう!” というのが本質。

今の時代宇宙空間な感じなので、「さっき北だったのが、単純に今の場所の地下になってた!」 という事が起きる。多少未来を想定した上での方角選定が必要だと思う。

って自分で書いてたしなw

宇川君には感謝

この記事を書き始めた時は、最近連発している学歴・教育批評で終わりそうだったがw 意外なアイデンティティ確認となった。

そして、宇川嫌いなのだが、(マイクロオフィス・ドミューンが新しくないし面白くない) 当時にこの言葉を残してくれた宇川君には感謝だなぁ。m(_ _)m

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