人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない / 見城 徹・藤田 晋
2012/4/12発売。2012年8月頃の読書。
-読書感想- 憂鬱でなければ仕事じゃない / 見城徹・藤田晋
が、なかなか面白かったので、続編であるこの本も手にとった。
1:確実に勝利をつかむには、「これしかない」 というところまで自分を追い込み、考えぬ抜かなければならない。
大企業の欠点は、そのようなギリギリのところに、社員一人一人が立たないことだ。結局、他人任せ、上司任せ、違う部署任せなのである。それでは、「所詮サラリーマンだ」 と言われてもしようがない。プロジェクトの成否が、自分の人生の幸、不幸につながると、誰一人考えないのだ。(見城徹)
⇒下層から動くと止められるからな。よって 「言われた事しかやりません」 になりやすい。当然だと思う。その上で 「あいつはやる気が無い」 とか愚痴ったりするのは矛盾だ。
“やる気が無い” が事実とした場合、やる気を無くしたのは、そもそも誰だろうか?
やる気をゴルフ等、社外の活動に向けてしまうのは、結局、人は何かしらやる気そのものは常にあるハズ。そのモチベーションを組織内の結果へ繋げる必要があると思う。
2:僕らは自信の知恵やアイディアによって価値を生み出す、知識労働者です。しかし人間は、追い込まれないと本当にいいアイディアを出すことができません。僕自身、この本の原稿を締め切りギリギリに追い込まれて書いているし、夏休みの宿題も、八月後半になってようやく手をつけるタイプでした。
人は追い込まれたり崖っぷちに立たされたりして、初めて本当の力を発揮します。(藤田晋)
⇒デトロイトテクノなんかそうだよな。
3:結局のところどんな人事システムも、ある時期に会社が取り決めた形式にすぎないのです。
人間は、ある時たまたま決まったことに、ずっと支配されてしまう特性を持っています。それが惰性ということではないでしょうか。(藤田晋)
⇒コレだな。
4:「作家も拳闘選手もともに不安を克服し、自らの弱さを強さに変えなければならない」 この一文は、いつも僕の胸になる。ビジネスマンにも、同じことが言えると思うからだ。ボクシングは、実はとても精神的なスポーツである。恐怖を乗り越える知性がなければ、勝つことはできない。マイク・タイソンのように、野蛮なだけではダメなのだ。
人が不安や恐怖を乗り越えるのは、ねばり強い知性によってである。それらを克服した時、その人は蝶のように舞い、蜂のように刺すことができるのだ。(見城徹)
⇒とりあえず知識は関係なさそうだな。
5:モハメド・アリが大口をたたいたのは、単に目立ちたがり屋だったからではないと思います。何かを公言することは、自分を追い込むことです。それが何より大きな力を生み、自分の発した言葉が絵空事ではなくなることを、アリは感覚的にわかっていたのではないでしょうか。(藤田晋)
⇒AZZLOが2006年にお世話になった恵比寿のIT会社の偉いおっさんはボクシングが好きなのだが、壮大な事業計画を出した上で、決算前に予算未達が確実になると出社しなくなるという習慣があったなw
しかし、自宅で現実逃避しているのではなく、次の事業計画を書いているのだそうだ。故にもっと偉いおっさんも気に留めてなかったw
一応、その偉いおっさんの部署(AZZLOが居た部署)は、ダントツの黒字で、結果分社化して、更に独立した。
6:ネットビジネスは、ほかのビジネスに比べて、自由度が大きい。だからこそ、深く考えられたアイディアを絞り出すために、制約を設けることが、とても大事だと気づかされました。(藤田晋)
⇒ 特にネットは、仕様を自分で決められるから、CMの様に “15秒ベーカム” 的な事が無い。更新も可能なので、キリがなくなる事が多いな。
ネット関係の人たちも色々居るが、特にネット普及初期段階に接した人は、多くの場合 “既存の枠組み (制約)に疑問を感じる人” が多い気がする。最近始めた若い人でも他業種よりは多い傾向があると思う。
そういった人たちを単純にスキルだけで採用して、”時代遅れの儲からない枠組み” を強制するのは、制約の間違った使い方と言えるよな。
7:ダイヤの原石が本当に原石かどうか見極めることに手を抜いてはいけません。その時間と労力は、決して無駄ではないのです。(藤田晋)
⇒組織においては “ダイヤの原石が本当に原石かどうかを見極めるのは電通” なので、見極める以前に探す必要も無い感じだな。
8:僕は社会に出る前の、けがれない若者たちに向けて、本当はこう言ってやりたい。
「一番立派なことは、自分に恥ずかしくない人生を生きることなんだよ。まわりの人を裏切らず誠実に愛し、目立たず生き、そして死んでゆくことがいかに難しいか。僕は、人を踏み台にしたり押しのけたりしてきた。ここまで来るとは、そういうことなんだよ」(見城徹)
⇒ほぼコレと一緒だ。
踏み台の仕方や押しのけ方によるが、「踏み台にしても押しのけても良いよ♪」 と言ってもやる人は限られるので、見城氏の場合は良いのではないかな?w
9:相手が感想をしっかりと伝えてくれた時、僕は 「この人とは付き合えるな」 とか、「大事にしよう」 と思う。それがモチベーションになり、次の仕事へつながるのだ。感想は、それを言うこと自体に大きな意味がある。
感想がないところに、人間関係は成立しないと心得るべきだ。(見城徹)
⇒特に著名人に対しては “何も言わないでニコニコしてるだけが良い” 的な空気感があるが、著名人程、”普通の感想” が有難かったりするんだよな。
10:どんなにいい仕事をしているつもりでも、一緒に楽しく食事をした人には勝てない。会食というと、しがらみや馴れ合いのイメージに嫌悪感を持つ人もいると思いますが、少なくても同じレベルの競争相手だと、いい食事をしている人には敵いません。これはビジネスにとって、動かせない真実です。(藤田晋)
⇒やっぱどう転んでもFACE TO FACEの解像度を超えるコミュニケーションは無いという事だと思う。
11:「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」
首相だった竹下登の言葉である。去年三月に亡くなった日本テレビの氏家齊一郎さんはそれに 「そして忘れましょう」 を付け加えていた。僕は、氏家さんの 「忘れましょう」 に衝撃を受けた。「自分で汗をかき、それで得た結果を、自分のものにせず人に渡す」 ここまでは、何とかできる。しかし、そのことを恩に着せず、きれいに忘れるのは、なかなかできることではない。(見城徹)
⇒見返り求めると、見返り無かった時に、悲しかったり苛立ったりするからな。当人の感情で留まる事象であればまだ良いが、その結果、相手に対して攻撃的になる場合もある。これは仲間を攻撃する事になり、共に堕ちる事になる。
どう転んだって、こぉいう事なので、特に後輩に見返りを求めるのは違うよな。自分だって先輩に見返したか?というと恩を仇で返す的な事もあるだろう。AZZLOも当然やってしまった事がある。
12:いくらお金や権力があろうと、また素敵な恋人がいようと、いい友達のいない人生ほど、寂しいものはないと思う。(見城徹)
⇒金を手にして良い病院でケアをして長生きしても、友達が居ない生き方もある。 だな。
13:これほど国民全体にくまなく浸透しているのは、異様ではないか? 年賀状という習慣は、日本郵政を設けさせるための、一種の国家的陰謀ではないかとさえ、僕は思う。そんなものにわざわざ乗る必要はないだろう。(見城徹)
⇒バレンタインデーとかクリスマスも同様。
14:メッセージでも贈り物でも、ただ慣習に従うのは意味のないことです。相手の心に届いたとき、初めて意味が生まれるのだと思います。(藤田晋)
⇒AZZLOは誕生日も、自分のも人のも何もしたくない。誕生日なんて年に1回もあるし、そもそも “親に感謝する日” なら納得だが、生まれた当人を祝うという意味がよく分からない。
15:「空気」 のようになってしまった人を、これまで何人も見てきました。学生時代には個性的で目立ち、後輩にも憧れられていた人が、大企業に就職し、会社の看板を背負って、出世ルートから外れないように保守的になっているうち、いつの間にか個性を失い、普通の目立たない人になってしまうのです。(藤田晋)
⇒出世というか “組織内で昇進する” って奴隷になる事な感じするな。
16:僕は “AKY(あえて空気を読まない)” も大事だと思っています。立場をわきまえることは大切ですが、空気は読めるけど、あえて読まずに取る行動こそが自身の存在感につながり、人の心を打つのです。(藤田晋)
⇒ケースバイケースだな。単純に “ひっくり返すだけの偉いおっさん” は、煙たがられるだけだし。
17:日本人は、会議が大好きだ。何かと言えば大勢で集まり、話し合いたがる。しかし、中身は大したことのない場合が多い。それは議論するというよりは、出席者の合意を得るために行われる。責任が一人に集中することを嫌がり、分散させたがる。そのため結論も、あたりさわりのない凡庸のものになりがちだ。(見城徹)
⇒議論ではなく “まわりくどい通知” になってるケースがあるなw 通知だったらそら一度に集まった方が良いだろう。
18:大勢で話し合うと、気が散りやすく、考えを深めにくい。見栄も働くし、意見を述べている時、他の人に割り込まれることもある。無駄が多く、やたらと時間を取られる。(見城徹)
⇒ “偉いおっさんが過去の成功体験を掘り起こして自尊心ケア” な時間なだけの事あるなぁ・・・。
19:朝令暮改が当たり前のネット業界においても、軸のない会社はただ迷走するだけです。目指すビジョンもないまま、激しく変化する状況にただ合わせているだけでは、人はついてこなくなり、組織は機能しなくなるのです。(藤田晋)
⇒ “ビジョンは 『電通をパクる』” と言うのは、明確に合わせているだけだよな。合わせられるならそれでも良いかもだが、AZZLOが危惧しているのは、次はパクれない可能性がある。
20:僕は 「○○のポータルサイトを作る」 という話を、過去に数えきれないほど耳にしました。これは、自分しか見えていない時に出てくる発想です。残念ながら、そのような企画がうまくいくはずはありません。ユーザーはクリック一つでどのサイトにでも行けるので、総合的なサイトなど必要なく、それぞれのカテゴリーで一番いいサイトに飛べばよいだけだからです。ユーザー側に立って冷静に考えてみれば、頭一つ抜けていないコンテンツに用はありません。(藤田晋)
⇒ “それぞれのカテゴリーで一番いいサイト” がポータルサイトという体かもしれないな。ま、ほとんどの場合、「ポータル言うてればアクセス数がありそう」 という発想なんだろうが。
21:自分の中から湧き出してくる情熱が、その人の仕事や人生を決定づける。小手先で研究したり、損得勘定だけで動いたりしている人は、底が浅い。
そういう人を僕は、信用しない。(見城徹)
⇒ “魂の無いただの窓口の営業マン” とは付き合う気が沸かないんだよな。
営業マンに何か葛藤があれば、「じゃぁその不条理を代理店に指摘されたって事にして、改善すれば?エビデンスとして発注するよ♪」 とかしなくもないんだがw
22:人が寝ているときに、眠らないで考えたことが、今の僕を支えている。僕にとって、不眠症は大事な仕事のパートナーなのである。眠れなくてもいいと思うようになってから、夜が怖くなくなった。(中略)
心配事の一つもなく、毎晩ぐっすり眠りこけているビジネスマンなど、どこにいるというのだろう。
仕事を大きく左右するアイディアという花は、夜にこそ開くのだ。(見城徹)
⇒葛藤はしてる様だが、飲んでると24時には寝てしまう営業が居るなw
AZZLOは、普段は寝落ちでないと寝れないw 完全な不眠症だ。心配事や何か考えたい事を見つけてしまう、気付いてしまうというのは、AZZLOも見城氏も性なんだろうな。
23:リーダーの集中力や執念が、組織全体に波及するのは言うまでもありません。社長がぼうっとしていたら、社員が必死になれるわけがない。幻冬舎が、なぜあんなに次々とベストセラーを生み出せるのか、少しわかった気がします。(藤田晋)
⇒使命が無い社長の下に居る社員は当然、使命どころか指標も何も無いからな。”やってるふり” だけ上手くなってるし、明確に 「やってるふりだけはオレに任せろwww」 という先輩がいるもんなぁ。
24:あることを 「理解」 したからといって、「実行」 できるわけではない。
人がこの二つを混同しやすいのは、自分の浅さのせいである。(見城徹)
⇒実行の前に、理解の前に、そもそも知らなければ実行は無いよな。稀に天然的実行もあるが。
25:講演会、養成講座、人材交流会は、人をダメにする三悪である。僕はその名前を聞いただけで、吐き気を催す。
そんなものは、金と時間の無駄である。そこで何かを得られたと思うなら、それは自分が浅いと思ったほうがいい。出席して良かったと思うのは、単なる誤解と自己満足である。講演会や養成講座、人材交流会は、そうした誤解や自己満足で成り立っているのだから、世の中にこれほど罪深いものはない。(見城徹)
⇒AZZLOもそう思っていて、「意味の無い名詞交換会?まぁ社会勉強の為に行ってみるか・・・」 程度の関心で参加したスペシャリストの集いだが、地味に良い経験だったんだよな。それぞれ発注が生まれる関係に発展した人たちも居るし。
ただ、出来れば “交流会” という名目ではなくて、”音が好きな人が集うクラブで交流が誘発され新たな発想が生まれた” 的な “初期衝動からの副産物” であった方が良いと思う。
- “○月○日に○△□で”
という場ではなく、目的が欲望ではない溜まり場からしか未来は作れないと思う。
26:僕の人生は、僕だけのものだ。僕の話を聞いたからといって、同じように生きられるわけがない。
講演を聞いて、自分の人生を変えようと思うなど、他力本願もはなはだしい。人生とは、打ちのめされたり、圧倒的に努力をして戦ったりして、障壁を乗り越えていくものだ。人の話から何かを得よう、ビジネスに役立てようという考え自体が、安易なのである。(見城徹)
⇒確かにそうだがw 人を介さない仕事って基本無い訳で、接触があれば必ず何かしら影響はある。なるべくポジな影響を求めるのは悪い事ではないと思う。
とは言え、「人の名言をあたかも自分が言い始めた」 的に影響ではなく明確にパクってて、突っ込むと経験そのものはないから、応用が効かない的な事象はあるな。
AZZLOも、思い付いたタイミング、読書のタイミング、感想文のタイミング、が現状非常に時間差があるので、パクってしまってる部分がありそうw
27:人と人は、必然性によって出会うのだ。交流会の名のもとに集まり、名刺を交換したところで、そこから何が生まれるというのだろう。全くの無駄である。(見城徹)
⇒これは25番で書いた事からして同意なのだが、「無駄だと思うけど付き合いで来ちゃいました・・・」 的な人と繋がって意気投合する場合もあるw
28:無数の○○養成講座というものがある。出版関係で言うと、ライター養成講座や編集者養成講座などだ。そんなところに行って、ライターや編集者など、なれるはずがない。主催者側の金儲けだと考えたほうがいい。(見城徹)
⇒ライター・編集は生き様の提示の仕事とも言える。DJも同様。稀に広告代理店のプランナーに求められる場合もある。いずれにしても蛍光灯の下で行う講座では養成出来ないハズだw
生き様の提示をしている先輩の背中を見る事でしか、学びはない。
“お刺身にタンポポ乗せ労働” 領域のライター・編集者も居るのだろうが、”残飯処理班になれる講座” になってしまう場合が多いと思う。
そして、資格や広告賞なんかを取っても、そもそも “資格・広告受賞が無いとプレゼンに参加出来ない” という案件が広告においては無いと思うので、ほんと主催者側の儲けが生まれるだけだと思う。
29:物を書いたり、編集したりする仕事は、生き方の集積なのだ。養成講座に通うより、自分の人生に真摯に向き合ったほうが、よほど優れたライターや編集者になれる。小手先のテクニックなど、意味がない。これは程度の差こそあれ、すべての仕事に言えることだ。(見城徹)
⇒”スムースに処理出来るスキル” 的な事は講座で得られても、”何をスムースにするのか?” に気付くスキルはいわゆる講座では得られない。そして “何” は個人それぞれなハズ。
30:いい企画を思いつくにはコツがあります。何かネタはないかと探していてもダメ。好奇心が間違った形で発揮されてしまいます。何でも仕事目線で見てしまうのです。そういう時は物事を都合のいいように、歪曲してとらえてしまいがちです。
意識しすぎず、普通に楽しんで、好奇心を抱いたものをいかに鋭くとらえられるかが肝心です。いい企画のヒントは、現実の中にさりげない姿で潜んでいるものだと思います。(藤田晋)
⇒ “ネタを探す” 的行為は結局 “パクる” になりやすいな。さっそく “映画のトレーラーの様な映像を作る” というPEPSI NEX ZEROの手法パクリを言う人が出てきてるし。
- “好奇心を抱いたものをいかに鋭くとらえられるか”
好奇心がある対象の表層的な部分をパクる事になりやすいので、”鋭くとらえられるか” は重要だと思う。
31:欲望は一度膨らみ始めると、止どまるところを知らない。
一方、人は誰でも体を一つしか持たず、寿命もある。
無限のものが有限の器に入るはずがない。(見城徹)
⇒「故に年収1千万ぐらいはオレだっていいじゃないか・・・」 となる人が多いかもなw
年収1千万で欲望が止まれば、それはそれで良いかもしれないが、ほとんどの場合、「1千100万が欲しい・・・」となりキリがないハズ。
32:「すべての新しいもの、美しいもの、素晴らしいものは、たった一人の孤独な熱狂から始まる」
これは日本初の独立系テレビ制作会社、テレビマンユニオンを創立した、萩元晴彦さんの言葉である。僕はこの言葉に強い共感をおぼえる。大きな仕事やいい仕事には始めに熱狂が、それも人知れない孤独な熱狂が必ずあるものだ。(見城徹)
⇒AZZLOの “孤独な個人の現実逃避的な妄想がアイデア” と同様だな。
33:大企業だからとか、安定しているからという理由で勤め先を決めるなど、馬鹿げている。見栄や安定で、熱狂できない仕事を選ぶことは、ひどく退屈で辛いことだ。
熱狂は退屈も苦痛も、はねのけてくれる。
そして必ず、他の追随を許さない大きな実りをもたらしてくれる。(見城徹)
⇒組織では年収1千万ではないにせよ、ボチボチ世の中平均よりも高い金額を得ていても病む人が続出している。 “社員満足の向上” は金では解決出来ないという事が分かるな。
34:リーダーが間違ったアイディアを採用したり、ガセネタをつかんだりしたら、時間と金の無駄になるだけでなく、数多くのチームメンバーを莫大な労力をふいにしてしまいます。
逆に素晴らしいアイディアを採用すれば、皆のがんばり次第でのちのち大きな金脈になる可能性があります。それを見極める力を磨くことは、リーダーとしての成長に欠かせないと思います。(藤田晋)
⇒見極める以前に “チャレンジしたくもないのにアイデア募集”(素晴らしいアイデアがあっても実行しない) みたいなのが、下からすると一番困るんだよな。
仮にヘボいアイデアでも、無理くり成功させちゃうのがリーダーというか、偉い人の手腕だとは思う。リーダーや偉い人がするべき事は “成功した雰囲気がするエビデンス作り” ではない。
35:僕は十数年経営者を務めてきて、「少数派」 の意見がいかに大事かを痛感しています。
誰もが賛同するアイディアは、意外なほど使いものにならないことが多い。皆がいいと感じるものは二番煎じやほかの成功例の真似になりやすく、そういったものは実現しても、結局ネット上に無数にある競合と差別化できません。(藤田晋)
⇒大半の人たちがイケてないのか?それとも、大人数になる事でイケてなくなるのか?の違いがありそうだな。多くの場合は
- “イケてない人たちだからこそ、大人数で群れるから明確にイケてない事になる”
という感じがするが・・・w
本来は、”それぞれの得意領域を組み合わせられれば無敵!!!” になるハズなんだけども・・・。
36:僕はプレゼンの際、何とか相手を説得しようとしている人には疑ってかかります。プレゼンで勝ちたいとか、自分を認めさせたいという目先の評価を求めている可能性があるからです。一方、本気で熱狂している人は、自分のアイディアに夢中なので、人がどう思おうと気にしていないことさえあります。(藤田晋)
⇒AZZLOは “WEBに強い人” という立ち位置なので、WEBのプロとして、そして生活者の心理を知っている (知りやすい) マーケッターとして、ポジティブな上から目線で企業に 「ジャイアンリサイタルしても、みんな逃げ出しますよ。故に・・・○△□しましょうよ♪」 というプレゼンが多い。これは他店のジャイアンリサイタル案を牽制する意味でもあるのだが、やや 「プロのAZZLO様の提案どうよ?」 的ニュアンスがあるかもな・・・。
ま、数千人が反応するだけに数百万使う提案とかしたくないし、そんな事にプロダクション巻き込みたくないし、企業も金捨ててるだけだと思うので、言わなきゃいけない事はあるんだが・・・。
その点、成功案件は、「こいつらウチをネタに学芸会したいんだな・・・w」 という企画に夢中な印象だったんだろうなとは思う。
37:一見、妙なアイディアでも、その人の言葉に魂がこもり、その分野を深く理解し、心の底から素晴らしいと思っていることが伝われば、僕はゴーサインを出します。最後はその人に賭けられるかどうかということなのです。実際、一点の曇りもなく、自分のアイディアを素晴らしいと言い続け、やがてまわりを巻き込んで、それが世のブームになった例は、ネット業界には数多くあります。(藤田晋)
⇒ “プレゼンターが良いと思っていない企画のプレゼン” では良いプレゼンではないよな。ま、そんなんでも競合プレで勝つ事もあるんだけどもw
38:僕は秩序の敵であるとおなじに 君たちの敵だ(見城徹)
⇒秩序は大概 “偉いおっさんの都合” なだけで、創造性以前に生産性すら無視されてたりするしな。
そして、明確に 「オレは○△□の敵だ」 と言える見城氏は強いな。
39:「その人」のために戦っているのに、
「その人」 に冷笑されている時がある。
「その人」 の人の良さ、「その人」 の我慢強さ—-。
割に合わない人生を受け止め続けている 「その人」 からも理解されないのは辛いことだ。
しかし、それこそが戦いの本質なのだ。(見城徹)
⇒ 広告代理店を少なくても延命、もちろん成長を目指した企画を出して 「それじゃ (今の) 俺ら必要なくなる・・・」 と言われる今のAZZLO を表わしているな・・・w
AZZLOが戦ってるかどうかは良くわからないが、ま、色々と気付きはある。
40:本当の勝利は、秩序に従っているだけでは獲得できない。秩序とは、現在支配している者の都合によって成り立っているからだ。新しい秩序を作るため、今の秩序を破壊するのは、並大抵ではできない。百人が百人、「ノー」 と言っていても、意を決して立ち向かわなければならない時がある。秩序が壊れたほうが利益をこうむる人たちにも理解されないし、危惧される。それこそが戦いが持つ苛酷な姿であり、それに耐えられるかで、結果が決まる。(見城徹)
⇒
- “秩序が壊れたほうが利益をこうむる人たちにも理解されないし、危惧される。”
これもまさしく今のAZZLOを表わしているな。そしてAZZLOは現状耐えてるのか?今後耐えようとしているのか?は自分でも分からないな。
41:大きな会社にいる限り、どんなに失敗しても、僕個人が破滅することはない。自分の作った本や雑誌が売れなくても、せいぜい出世に響く程度で、すべてが終わるわけではない。
覚悟を決めるとは、命を賭けることだ。経験したことのない人は、とても辛いことに思うかもしれない。しかし、覚悟を決めて、一つのプロジェクトを圧倒的努力でやり終えると、実際はとても清々しく、気持ちがいい。
覚悟が定まった時、自分の限界を超え、道は開ける。(見城徹)
⇒AZZLO自身の解釈とプロダクションさんの解釈・力を合わせて小さな事でも更新していく。それが “バトンを渡していく” って事。すなわち “肉体を全うする” 事だと思う。
という事で、AZZLOの生涯にAZZLOは命を賭けているw
自分に嘘を付き、組織内の昇進をしても病む人は病むw 昇進しなくても正義を貫いた方が充実した人生なハズ。それは明確に先輩たちが証拠を残してくれているw
42:欲とは、罠のようなものだと僕は思います。「ほかの誰かより金を増やしたい」 「大きなものを意のままに動かしたい」 「もっと名誉ある立場に就きたい」 ・・・・・こうした考えに取りつかれると、人はどんどん軌道を逸れていきます。それらは本来の仕事の目的とは何ら関係のないものです。(藤田晋)
⇒岡林信康の くそくらえ節 を思い出すな。
43:伝説は、悪名からしか始まらない。なぜなら、常識から外れることを、人は 「悪」 と呼ぶからだ。だが大きな成功は、常識の外にしかない。そこで結果を出すことにより伝説が生まれ、語り継がれてゆくのである。
織田信長、大塩平八郎、吉田松濤、高杉晋作といった僕の好きな歴史上の人物たちも、最初世に轟いたのは、常人には理解できない悪い噂だった。共同体の中に安住できず、世の中を変えようとする者は、規範から逸れざるを得ない。(見城徹)
⇒一時段階の悪名も煙たがるならば、ちゃんと 「お刺身にタンポポを乗せて下さい。それ以外はしないで下さい。した場合は○△□な処罰をします」 と言うべきだよな。
そして、”悪名の上で悪人” も居るよな。
44:常識とは、その時代の支配者にとって、都合よく作られたものでしかない。自分の信じたことをやり切ろうとすれば、どうしても人の道から外れてしまうのだ。
芸能界でも、大スターと言われる人ほど、悪い噂は絶えないものだ。美空ひばりや、勝新太郎もそうだった。何も成さない人には、悪名すらつかないのだ。
仕事もせずに、悪事に手を染めている奴は、ただの悪人である。悪名と悪人は、全く違う。悪名は、あくまで話のネタである。人の口に名が上がり、語られることによって、いつの間にか、その人は伝説になるのだ。(見城徹)
⇒そぉいえば、AZZLOが衝撃を受けたスタープレイヤーさんに対して 「いやぁ・・・言うても彼は○△□で、実際は大した事ないんだよ」 みたいな事言う人は居るな。
スタープレイヤーさんのイケてる所は、事前に 「僕は○△□な部分が弱い」(故にAZZLOさんの力を借りたい) と自ら言っていた。
45:人生の価値は、死の瞬間にしか決まらない。それを決めるのは他人ではなく、自分なのだ。そう思っていれば、少々のことでは気持ちは揺るがないはずだ。(見城徹)
⇒
は、この見城氏の言葉からの影響っぽいな。
46:自分の考えが少数派だった場合、孤独な決断を強いられます。僕の好きなラッパーRUMIの 『迷子』 という曲に、「比較で生まれる価値観なんて、己と向きあえば無価値も同然」 という歌詞があります。自分の選んだ道が正しいと思うのであれば、周囲が何と言おうが関係ないのです。(藤田晋)
⇒相対評価の上で、上位になった所で、相対する対象がショボかったら、大きな意味はないしな。相対する為のタグ付けとして学歴や年収というものがあるだけで、絶対的な価値は自分自身でしか付けれないハズ。
47:辛く憂鬱な仕事と逃げることなく向き合い、悲痛な日々を送らなければならない。そうすれば、死の瞬間、絶望しきった意識の中で 「まぁよくやったよな」 とかすかに微笑むことができるだろう。
絶望しきった果てには、きっと微笑がある。それを信じて今日も僕は、仕事に熱狂する。(見城徹)
⇒ あと7年・・・ (2020年の節目) 等、組織への批判・絶望感を残すのは、この死の瞬間の為の肥やし作りと言えるなぁ。
ま、いわゆる寿命的年齢に達するには、まだ少し時間があるがw AZZLOは10代の頃に悲痛と絶望的な快感に目覚めたw PARIS在住の初期は、そういった事の連発であった。
- “10代日本人がPARISでホームレス!?”
ぐらいスレスレだったのだがw そのスレスレ感は当時でも楽しかったんだよな。そして今も楽しいしな。
逆に安定した平和時期もそれはそれで楽しいしな。・・・でも飽きるんだよなw
48:もしかしたら僕などは、若くして会社を成功させ、結果的に欲望をかなり満たした部類に入るのかもしれない。でも、欲望など満たしたところで、さしたる満足はないこともよく知っています。
人生で何より辛いのは、欲望を満たせなかったことではなく、夢を叶えられなかったことですらなく、悔いを残したまま一生を終えることではないでしょうか。(藤田晋)
⇒本当に高額を手にした人は大概こう言う。そして高額収入を維持しなければならない義務が生じてむしろ辛くなるのだ。
49:僕が死んでからも、永遠に時は続く。千年後も一万年後も、いつかやってくる。「死」 とは自分の存在しない時間のことである。そこに還ってゆくだけなのだ。(見城徹)
⇒中二や高齢になると、「なんの為に自分は生まれてきたのか?」 という自答的な事が強まり、特に高齢は時間が限られているだけに、「何の意味もなかった~!!!」 と嘆くケースが多い。
ある種 “何の意味もない” 前提な上で、今すぐ自殺したって良いし、生きても良い。しかし、自殺しなくてもどうせ死ぬのでw ある肉体は活用した方が良いと思う。
何に活用するか?が使命なんだろうな。
50:僕は二十六歳でわが社を上場し、若くして財産を築きました。その頃ある人から、「そんな若いうちから、すごい家に住んだり、高級車に乗ったりしていると、人生で楽しいことがなくなるよ」 と言われたことがあります。その時は何とも思いませんでしたが、実際に物質的なものを手に入れる喜びはほとんどなくなってしまいました。すごく寂しい話ですが、本当のことです。
でも、そんな特殊で恵まれた環境に置かれたからこそ、お金で手に入るかどうかは関係なく、自分にとって本当に大切なものを見つめ直すことができました。(藤田晋)
藤田氏は少なくても育ちは悪くない。親が真っ当なんだろうな。
金や権力で解決出来る領域をある程度満たすと、金で解決できない部分の重要性に気付くんだよな。金や権力を欲しがる人は、少なくてもまだ手に入れた事がないという事だろう。
故に、まず一度手にしてみれば良いと思う。しかし、いわゆる会社員の導線では、仮に組織内のトップになり、年収5千万得たところで、法律変えれないし上には上が居るのでキリがないハズだ。
前作の -読書感想- 憂鬱でなければ仕事じゃない / 見城徹・藤田晋 と比較すると、当時は、”見城と藤田じゃ数レイヤー違うわ” という雰囲気だったが、やや藤田への共感が上がったかな?
しかし、サイバーエージェントは離職率が高いイメージが強いのは、なんでだろう?もちろん 「社外で活躍出来るぐらいの人の育成も視野に入れて、組織内だけでなく社会の成長に寄与したい」 的な事なんだろうかな?リクルートとかマッキンゼーみたいな?
“多少ポーズは含まれる” 眉唾で見たとしても、経営者2人の姿勢は感じられる本だったな。
組織の姿勢は相変わらず分からないな・・・。(分からないという事が分かりやすいとは言えるが)
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