何故、堤清二への関心が高いのか?

目次

  1. はじめに
  2. セゾンとの接点
    1. 幼少期
    2. 1991年~1993年
    3. 1994年~1999年
    4. 2000年~2003年
    5. 2007年
    6. 2013年
  3. まとめ

はじめに

【読書感想】セゾン 堤清二が見た未来 / 鈴木 哲也

にて書き始めたのだが、読書感想とは軸がズレるので別記事とした。

軽井沢・草津行ってきた (´ー`) 1 (堤清二 / 辻井喬 オマージュ展)

の冒頭にコチラと堤清二との接点を書いてあるので内容が被るが、

記憶は思い出すときにかなり歪み、本人さえもそれに騙される。

今の自分を説明するのに都合のよい記憶が選ばれて自己物語を構成しているのである。

であるので、記憶がマシ(事実との相違が少ない)なウチにw より詳細を残しておこうと思う☆

セゾンとの接点

細かいコト含むが、コチラとセゾンとは以下の様な接点があった。

  1. 幼少期

    1. 東京プリンスホテルのプールで溺れたのだが、隣に居たカップルのお兄さんに引き上げてもらった記憶がある。(プリンスホテルは弟の堤義明の事業だが、父の康次郎が死去するまでは、堤清二も関与していたらしい)
    2. 比較的ホテル宿泊する機会が多かった家庭だったかと思うのだが、何故か “プリンスホテルは成金が泊まるホテル” の様な、険悪したムードがあった気がする。もしくは、なにか肌に合わない感じを幼少ながら感じていたのかもしれない?
    3. ミニコンポを手に入れ、J-WAVEを聴く
    4. コチラは母の両親、すなわち祖父母に育てられていたのだが、ロータリークラブの集会でしょっちゅう京王プラザホテルに行っていた祖父の家は、京王百貨店の袋が溢れる家であった。が、稀に西武百貨店の袋が家にあるコトがあり、何故か緊張感を覚えるコチラであった。当然ながら西武やセゾンなんて分かってないし、”ブランド力” みたいなコトも分かっていない。
    5. ファミレスはカーサしか行った記憶がない。メニューがちょっと大人びていて味も “分かりやすい味” ではなかった気がする。…そして提供時間が少し遅かった気がするw
  2. 1991年~1993年

    1. 六本木WAVEの隣にあったコンビニで夜勤バイトしていた。バイト後の朝10時開店直後に立ち寄っていた六本木WAVEの内装、品揃えは驚愕であった思い出がある。池袋WAVEも六本木とは違う気の抜けたカッコ良さがあったな。
    2. 「PARCOオルガン坂大賞」にて2位を受賞し、高校卒業後、PARCOの音楽出版預かりCM音楽作曲家として活動 を開始した 松井寛のCALL YOU BACK にハマりまくり、近年の新作にもハマっている。

    3. ファミマのビックリチキンカツ弁当を毎日食べていた。おにぎりも美味かった気がする。(今のファミマの食品は “肥料” でしかない印象だが…)ダイエーがやっていたローソンは当時から弁当マズイので嫌いだったw セブンは当時都心に店舗がなかったので行ったコトすら無かった。
  3. 1994年~1999年

    1. まだ西武もセゾンも堤清二も分かっていない少年期、確か1996年の初めだったかと思うが、家業であったA.Z.Z.L.Oは、西武渋谷店1F路面に出店をしたコトがある。 コチラは丁度PARISに住み始めた段階で日本に居らず、その光景は見ていない。普通にテナント料を家業が払えるとは思えないし、3ヶ月間だけのイベント出店だったとのコトなんだが、なぜそんなコトが起きたのか???
    2. セゾン系列のトレヴィル出版から
      1. 『天使たちの孤独』 ジル・ベルケ写真集
      2. ベン・ウエストウッド写真集
      3. ピエール・モリニエ
      4. 丸尾画報 / 丸尾末広(初版)
      5. 佐伯俊男 / 痴虫
      6. 佐伯俊男 / 痴虫2号
      7. トレヴァー・ブラウン (A TREVILLE BOOK)

      これらの本の出版/個展開催に携わる。少なくてもジルベルケとベンウエストウッド、モリニエに関しては、A.Z.Z.L.Oがエージェントだったので間違いなく出版に絡んでいる。丸尾末広、佐伯俊男、トレヴァー・ブラウンは、出版時にA.Z.Z.L.Oにて個展実施や継続して原画の販売を行っていたので協働していたのは間違いない。

  4. 2000年~2003年

    1. ピストン西沢が面白いので、改めてJ-WAVEを聴く。
    2. J-WAVEのジングルでコチラがSOURCEレーベル(フランス)からリリースした楽曲が使われていた。
  5. 2007年

    1. 資本社会への関心が高まる中、やっと “西武=セゾン=堤清二”(鉄道とプリンスホテルとかは弟の堤義明である) を理解し、”広告” に多大な影響を及ぼした組織であるコトを知る
  6. 2013年

    1. 2013年、堤清二を前例として4億円のアート施策を企業にプレゼンした。

まとめ

ま、当時ファミマのビックリチキンカツ弁当を食いまくっていたヤツはコチラ以外にも多数居る訳だがw 外的要因(家庭環境)も内的要因も存在する感じはする。

2013年に実施した4億円のアート施策は、コンペ敗退して実施には至らず…。敗因した理由がユルくw 大変悔しい想いをしたのだったw

今思うと、あの時コンペ勝利してなくて良かった気がしている。コンペ勝利し実施していたら “よりやるコトがない” 今であっただろう。

捉え方次第であるが、なんだか “(間接的ではあるが)堤清二に振り回され、生かされてきた人生” とも言えそうだ。故に関心が高いし、調べれば調べる程、共感が高まってしまうのだ。

そして、遂に関心の根っこらしき点を見つけ出したのだが

“メタタグ無しの自分自身” を追い求める生き様 が一致するが故に興味が湧く

メタタグを保有すると “演じる義務” が生じる。その義務にモチベーションを感じたりもするが、”義務も依存もない素の状態” も欲するのがヒトなのだ。本人が求めなくてもメタタグは周囲が勝手に付与するものでもある。このジレンマにおいて葛藤した大先輩がコチラにとっての堤清二なのだろう。

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