-読書感想- 僕は君たちに武器を配りたい / 瀧本 哲史

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僕は君たちに武器を配りたい / 瀧本 哲史

2011/9/22発売。2011年10月頃の読書。2年以上前か・・・w

当時この本が多くの書店のフェイスを占領していたし、非常にAZZLOが必要としていそうな武器の提供がありそうだったので手にとった。


1:パナソニックへと社名を変え、グローバル企業として躍進を図る松下電機産業は、2010年度の採用の8割が外国人になったと発表した。日本を代表する会社のひとつであるパナソニックがグローバル採用に踏み切ったこともあり、多くの企業がそれに追随した。(中略)日本の学生はすでに海外の学生とも職を奪い合う状況となっているのである。

⇒ま、パナソニックの戦略やタイミングの問題で、全日本企業に適応出来る話ではないが、日本の大卒がいかに使えないか?を大卒者自らが語る機会も多いだけにw “日本人は使えない” 側面があるのも事実だろう。

2:世の中は目まぐるしく変化、どころか激変を続けている。かつてもてはやされたビジネスモデルも知識もすぐに陳腐化し、個々人が努力すべき方向も不明瞭な時代となっている。しかし少なくともほぼ確実に言えるのは、我々が生きる21世紀の日本は、ますますグローバル化する資本主義の潮流に呑み込まれていくだろうということだ。

⇒50年前の問屋ビジネスに留まりたい広告代理店は、ホントまだ今世紀に来てないと改めて思うな。

3:アメリカ独立戦争、明治維新、中華人民共和国の建国・・・・・。歴史が大きく変わる戦いにおいて、ゲリラが正規軍に敗北したことはない。

⇒故に、”事なかれ主義” を育てる教育が発達するんだな。しかし気付く者は早い段階で気付くきっかけともなってしまうw

4:国内外の有望な企業に個人の資産を投資し、時にはその経営にもアドバイスしたり、私の持つネットワークを紹介するなどしている。こうした積極的に経営にも参加する個人の投資家を欧米では 「エンジェル投資家」 と呼ぶが、日本国内ではまだまだ一般的な存在ではない

⇒投資家って、上記のような事をしていると思っていた・・・w 放置して普通に伸びる企業なんてそうそう無いと思うのでw

5:医者に代表される高学歴の人々が職に迷う状況は日本だけではない。世界中の先進国で、高学歴・高スキルの人材が、ニートやワーキングプアになってしまう潮流が押しよせている。

これまで大学が伝統的に提供してきた、「知識をたくさん頭脳につめこんで専門家になれば、良い会社に入れて良い生活を送ることが可能となり、それで一生が安泰に過ごせる」 というストーリーが、世界規模で急激に崩れ去っているのである。

⇒何をもってして良い生活なのかがポイントだろうな。いずれにしても、教育とは名ばかりの記憶力比べでは、変化が激しいこの時代は価値が薄いだろうし、価値があると信じこむ者を怠慢にするだろう。

6:インドでのシステム開発を請け負う会社の営業担当者は、日本人の作業単価が下がりすぎて、インドの優位性が次第になくなりつつあると嘆いていた。

物価の高い日本でインド並の労働対価でも働く人がいるということは、それだけ 「ITスキル」 の価値が下落しているということだ。(中略)

つまり、現在のビジネスパーソンを取りまく状況を正確に分析すれば、「語学や会計知識、ITスキルの習得と、収入の増加には、実際には因果関係がない」 という結論になりそうだ。

つまり、勉強(努力)と収入は比例しない。残念ながら、それが今の日本の現実なのだ

⇒似たような事は何度か書いているが 『”テストしやすいスペック(学歴)” に盲目的になり、そもそもの学ぶ力を失わせ、何が悪いのか分からない人間育成』 がベースなんで、当然の結果と思う。

7:日本の歴史を振り返れば、江戸時代まで存在した身分制度が明治維新でなくなった後、現在まで人々に 「格差」 をつけてきたのは学歴だった。いわば身分制度の代わりを学歴が果たしてきたといえる。

しかし、戦後も高度成長期から今日にいたるまで続いてきたこの学歴信仰は、バブル崩壊後の 「失われた20年」 、つまり平成の時代で完全に崩れ去った。良い大学を出ても一流企業には入れない。入ったところでいつ会社が潰れるか分からなかい。さらに大学進学率が50%を超えるようになり、学歴だけで人に差をつけることはもはや無意味となった。

⇒AZZLOの祖父、水谷暢宏、祖父の友人である大学教授、政治家は、幼いAZZLOに 「学校には行くな!あそこはバカ養成所だからだ」 と言っていた。 当時開成中学に行ける程度の成績があったAZZLOは、「行けるなら行っといても良くね?」 と思ったが、祖父と祖父の友人達は見通していたと言えるな。

中途半端にスペックを得る事も可能だっただけに、盲目にならずに済んだ、良い祖父だったと思うw

8:電車に乗れば英会話学校の広告を見ない日はなく、転職雑誌を見れば 「TOEIC何点以上」 といった条件が課せられ、いやがおうにも英語をはじめとする 「資格」 を取らねばならないのではないか、と多くのビジネスパーソンが思い込まされた (ちなみに、TOEICは日本と韓国においてのみメジャーな英語テストである)。

これは一種の 「不安解消マーケティング」 と呼ばれる手法である。福沢諭吉の時代も明治維新の動乱期だったが、社会が不安定化したときには、必ずこうした人々の不安を分かりやすく解消する方法が受け入れられやすくなる。何が正しいか分からないからこそ 「これさえあれば」 が受けるのである。

その負を解消(現実逃避)するサービス・コンテンツにはキャバクラや乙女ゲーの様に可能性があるハズ。
と同様だな。この考え方をコアに何か形にしてみたいなぁ。

ちなみに言語は、あまりなくても大丈夫だと思う。AZZLOは英語もフランス語もペラペラではない・・・どころか今となってはほぼ喋れないがw、フランスで不都合なく生きていた。

臭いが、目とイントネーションで大体通じ合える気がするw

9:数学が得意なインド人の青年が、ネットを通じてアメリカの小学生に数学を教えるという家庭教師のビジネスも、すでに存在している。(中略)

いずれはあらゆる分野の 「先生」 が、国際的な競争にさらされることになるだろう。

⇒ 孫正義の 「世界のすべてが先生になることを意味している」 に近い話だな。

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まぁ、こぉいう事になるんだろう。と同時に、逆に親や身近な人達・友人といった、モニターを通さない3次元のコミュニケーション・学びが見直されるだろうな。

10:経済学の定義によれば、コモディティとは 「スペックが明確に定義できるもの」 のことを指す。材質、重さ、大きさ、数量など、数値や言葉ではっきりと定義できるものは、すべてコモディティだ。

つまり 「個性のないものはすべてコモディティ」 なのである。どんなに優れた商品でも、スペックが明確に定義できて、同じ商品を売る複数の供給者がいれば、それはコモディティになる。

⇒ “KPI設定” がある時点でコモディティとも言えるなw いずれにしてもポジティブな感じはしないな。

11:つまり資格やTOEICの点数で自分を差別化しようとする限り、コモディティ化した人材になることは避けられず、最終的には 「安いことが売り」 の人材になるしかないのだ。

⇒ある種学歴は “鼻毛出てない” 程度の意味ぐらいしか無いのかもしれないなw

12:決められた時間に出社して、決められた仕事を決められた手順で行い、あらかじめ予定していた成果をあげてくれる人、そういう人であれば、その中でいちばんコスト (給料) が安いひとだけが求められるのが、現在のグローバル資本主義経済システムなのである。

⇒朝遅刻しないが、YAHOOニュースを見て、マンガ見て、「仕事にやりがいがない。そしてお前ら朝来ないから糞野郎だ。相対評価だから俺は給料が上がるハズなのだが上がらない・・・」 という人が居るが、こういう人程安さだけが売りになるなw

そして、単純な制作ディレクションという点で言えば、自主性・個性がほぼ必要無い、工場労働者に近いので、その点 “安くてただ制作進行してくれさえすれば良い” という最近の採用傾向はある種正しい。しかし、引き換えに自主性やアイデア等は求められる訳がない。そこは引き換えだろう。

13:人間の採用においても同じことだ。学歴が博士課程の人を募集するのであれば 「博士」 というスペックで、もしくは大卒以上の学歴でTOEICが900点以上というスペックで募集をかける。そうすると、そこに集まった人は 「みな同じ」 価値しかない。そこで付加価値が生まれることはないのだ。

業務マニュアルが存在し、「この通りに作業できる人であれば誰でも良い」 という仕事であれば、経営者側にとっての関心は 「給料をどれだけ安くできるか」 という問題になる。

こうして、いかに人を買い叩くか、という競争がグローバル市場の中で行われ、ホワイトカラーの労働力そのものがコモディティ化してしまった。そのため、今の社会は構造的に 「高学歴ワーキングプア」 を生み出す仕組みになっているのである。

全社総会での偉いおっさんの話 の話に通じるな。

ビジネスとしては共感するが、それは「この通りに作業できる人であれば誰でも良い」 という業種に限ると思う。決して “アイデア募集” 等を行ってはいけないw

ホワイトカラー階級とされる人達って、ソフトバンクのホワイトプラン(最安)みたいな感じがしてくるなw

深堀するとホワイトカラーを目指す人は、プラチナがある事知らないんだよな。

14:東京都心にある企業の場合なら、年収で300万から400万前後。これは、自宅から通わずにワンルームマンションを借りて住む人が、ぎりぎり生活できるぐらいの金額となる。だから、今の東京で働く普通の若い人で、貯金ができているのは、ほとんど自宅から通っている人しかない。

⇒AZZLOはこの “ぎりぎりの生活ができるぐらいの金額” の収入であるw しかも若くないw

15:余談だが、パソコンのオンラインゲームに多くの人がハマるのは、その世界では 「努力」 の有効性がまだ存続しているからではないだろうか。

最近展開されていた 『ラグナロクオンライン』 という人気ゲームのコマーシャルでは、現実の世界では友だちが一人もいない青年が、ゲームの世界ではみんなに頼りにされていて大活躍する姿を、ある意味前向きに描いていた。

「努力をして経験値を積み、お金を貯めて武器をそろえれば、立身出世ができる」 というのがオンラインゲームの世界観である。もともとそうした努力を尊ぶべきという価値観は、現実の世界を反映していたはずなのだが、その現実世界では成功ルールが通用しなくなってしまったというのが、いかにも皮肉なことに思えてならない。

⇒ルックスとか風貌とか、喋り方とか、もろもろのコミュニケーション力が見えない中の個人の本質をゲーム等では発見しやすい面があると思う。

“オフ会で会ってみたら意外と良い人だった” みたいな発見に近い。

しかし娯楽としては “時間をかければ何とかなる” 側面が強いので、その点は疑いながらも、適度なバランスで楽しむものであると、個人的には思っている。(だからAZZLOはゲームには一瞬超ハマるが、その後一切やらなくなる)

16:かつて日産は「100分の1の技術から1000分の1の技術へ」 というキャッチフレーズで、自分たちの技術の高さを宣伝した。しかし、これは日産の経営戦略の致命的な誤りだったといえるだろう。なぜならば、1000分の1の違いを感じ取れるユーザーは、存在しないからだ。「分からない差異は、差異ではない」 のである。それより 「色がたくさん選べる」 といった、はっきり目で見える差異のほうが、よっぽどユーザーにとっては大事なのである。

⇒”結果何が得られるのか” が誰にでも想像出来る現実感と妄想の隙間が大事なんだろうなぁ。日産のコピーの場合、「より壊れない車?でも今でも十分だけどね・・・」 という生活者の受け止めになるんだろう。典型的な 「お前ら俺様を褒めやがれ」 コピーという事だ。

17:戦後長らく日本が担っていた 「世界の製造業」 の地位は、とっくの昔に中国に移り変わっている。だから、これまでの日本の得意技であった 『ものづくり』 にこだわる意味はまったくない。『ものづくり』 にこだわる限り、ますます日本は世界の市場性を失っていくことが明白なのだ。

“しくみ作り実行隊” 発足! は、一回の飲み会で終わっているがw 考え方は良いんだと再認識だなぁ。

ちなみに、富士通が ものづくり革新隊 というサービスを行っている。”なんか新しい事やってそう” な感じがする良いネーミングだなぁ。

18:待っていても状況は悪くなる一方なのだ。今後は、個人レベルでビジネスモデルを変える、または新たなビジネスモデルを作り出す、ということに挑戦しなければ、多くのビジネスマンが生き残ることができなくなっていく。

⇒「電通が次のビジネスモデルを作ってくれるのを待つ」 という事を言った偉いおっさんが居る一方、「新しい事にチャレンジしよう!」 言う偉いおっさんが居る。

何度も書いてるが、どっちでも良いけど、統一して欲しいんだよな。

少なくても、某組織の経営層は、”銀行に落ちて商社に落ちて電通を落ちた人達” が多いらしい。おそらく銀行員を目指すのはギャラが良いのもあるだろうが、”資本主義というシステムに組み込まれたい” という事であり、新たな枠組みにトライする気がそもそも無い人種なんだろうなぁ。

19:どこの企業も入社後すぐに戦力として使える人材を求めており、「一から教育する余裕はない。ビジネス社会で十分使えるコミュニケーション能力を持ち、英会話にも堪能な学生しか採用しない」 と公言する会社も珍しくない。

この企業が学生に求める能力の変化について、教育社会学者の本田由紀東京大学教授は、『多元化する 「能力」 と日本社会』 (NTT出版)の中で、「ハイパー・メリトクラシー (超業績主義) 社会」 という考え方を発表した。(中略)

1990年代までの日本は、高い最終学歴を獲得すれば、良い就職先に入ることができ、その後の人生における収入と社会的地位を確固としたものにすることができた。学歴主義には弊害もあったが、少なくとも努力をして学校で成績を上げることが、社会的地位の上昇につながるという、分かりやすい価値観を社会と個人にもたらした。
そのため、「良い暮らしができないのは個人の努力が足りないからだ」 と、社会的にも見なされ、「なぜ私は不遇なのか→それは努力が足りなかったから」 という具合に、不公平感を抑えることができていたのである。

しかし、90年代後半ごろから、日本の企業では、目にみえる 「テストの結果」 や 「学歴」 に加え、「意欲」 や 「ネットワーク力」 「コミュニケーション力」 など定義があいまいで、個人の人格にまで関わるような能力が、評価の対象となりはじめたと本田教授は論じる。(中略)

「ハイパー・メリトクラシー社会」 の問題点は、そこで重視される能力の多くが、非常に定義があいまいであるところだ。コミュニケーション力などは数値化することが難しく、面接者との相性によっても評価が分かれる。その結果、評価される側が 「何をどう努力していいのか分からない」と混乱する結果となる。

本田教授は 「人間力」 といった客観的に数値化することのできない、性格的特性を重視する傾向が広まることで、若者の無気力や諦め、社会に出ることへの不安を助長することにつながってしまう可能性があると指摘する。そうした能力の多くは、多分に生得的なもので、教育や努力を通じていかに身につけるかも解明されていない。性格の明るさやコミュニケーション力というものは、人の個性そのものである。企業が人を評価するうえで、人格や感情の深部にまで介入するのは間違いだ、というのが本田教授の主張だ。そうした理由から本田教授は大学で各個人が学んだ専門知識を、もっと企業は評価するべきだという提案をしている。

本田教授の主張には頷けるところもあるが、現実的ではない。なぜならば、現在ではほとんどの企業は、学生が大学で学ぶレベル程度の専門知識を必要としていないからだ。そして、本来は大学教育で身につけられる論理的思考力すら、コミュニケーション力の一部くらいに思われている。

昔は、大学の持っている知識が、企業が必要としているレベルより高いところにあった。しかし現在では、産業を牽引する最先端の知識は、企業の側に蓄積されているのである。企業が大学に求めるのは、現時点では何に役立つのかも分からない、スーパーハイエンドな知識だけであって、中途半端な研究は必要としていないのだ。

⇒AZZLOもココで書いてるが、「なんで俺はココに雇われてんの?」(WEBやっても赤字だし) という必然性の担保が必要って事だと思う。

ま、そもそも、“何を持ってして有能な学生かが分からない方が採用活動をしている” 訳で、その後の評価も軸が無いから行き当たりばったりだ。

まずまだ昭和的価値観が残っている点を自覚して、今世紀、今後に対応出来る、むしろ 自らが未来を作る覚悟を持って、AZZLOぐらいは本を読む なり、現在を疑うべきだろう。

そして、大卒者こそ現代の資本主義には必要無い可能性が高い側面があるという点も、いい加減知るべきであると思う。大卒者はスペックを身に付けただけに、卒業後の学ぶ意思が低いと思う。時代の変化が緩やかであればそれほど問題ないが、今の時代はむしろ怠慢な姿勢になる場合もある。

学歴はあくまで履歴であって今後学ぶ力を保証する “学力” ではない。

ここを否定すると自らの価値を無くすからやりにくいのだろうが、「俺は俺の時代の有能な人材として認められた。しかし今は時代違う!」 で良いんじゃないかな?

20:歴史のある会社でも、先行きがあまり明るくない企業を見分ける方法はある。まず40代、50代の役職者が大量にいる会社は危険だ。生産性が低いのに給料が高い高齢社員がたくさんいるということは、彼らの給料や退職金を稼ぐために、若い社員がたくさんの負担を課せられているということだ。

⇒ギャラに見合う経営をしているなら、何人居ても良いと思うが、未来を見据えずゴルフの話してるだけの高給取りは、どこの組織でも要らないだろう。

21:「業界全体で何万人の雇用が生み出されるか」 という大きな視点で考えるのではなくて、「今はニッチな市場だが、現時点で自分が飛び込めば、数年後に10倍か20倍の規模になっているかもしれない」 というミクロな視点で考えることだ。まだ世間の人が気づいていないその市場にいち早く気づくことなのだ。

⇒ 自分らが居る “業界” も、元々小さな “市場” だった と言えるな。

22:従業員を大切にする会社は、顧客を大切にする会社なのである。逆にいえば、顧客を大切にしない会社は、従業員も大切にしない会社なのだ。会社のビジネスモデル自体がお客さんを小馬鹿にしている。あるいは馬鹿なお客さんをターゲットにしている会社には、長期的には未来がないと考えていいだろう。

⇒何をもってして “大切” かにもよるな。給料の高さだけが大切さを担保しているとは思わない。

23:企業においても 「トレーダー」 的な業種、つまり商品を 「右から左」 と渡すことで稼いでいた企業はどんどん経営が苦しくなっている。商社をはじめ、広告代理店や旅行代理店など、いわゆる 「代理」 業務を行ってきた会社は、インターネットの普及によってビジネスモデル自体に構造の転換が迫られている。

⇒明確に “広告代理店” 言われてるなwww

24:エキスパートが食えなくなる理由は、ここ10年の産業のスピードの変化がこれまでとは比較にならないほど速まっていることだ。産業構造の変化があまりにも激しいために、せっかく積み重ねてきたスキルや知識自体が、あっという間に過去のものとなり、必要性がなくなってしまうのである。

⇒AZZLOがWEBデザイナーを辞めたのは、この理由が強い。決めたのは8年前ぐらいかな?既に年齢からして吸収のスピードが落ちてきているのを実感していたので、今後新しく出るAdobe製品の使い方等、覚えられる訳が無いと思っていたw

AZZLOはFLASHを得意としていたが、実際FLASHのニーズは激落ちたな~。

25:インターネットが登場して以降の現代では、情報の流通コストがほぼゼロとなった。そのため 「差異」 は生まれた瞬間から、世界中に拡散し、模倣され、同質化していくこととなった。この十数年、企業の栄枯盛衰のサイクルが、かつてないほど速まっているのは、それが大きな理由である。この流れに巻き込まれているのは、大企業といえども例外ではない。

⇒故に意思決定のスピードの重要性は強烈に高まったと思う。2013年時点で “ソーシャルゲームを初めてトライしよう!” という決定は、あまりに遅過ぎる。

26:サラ金各社に対する過払い訴訟もそろそろ商機が去りつつあり、弁護士業界では、「次はサービス残業を従業員に強いていた会社を相手どり、未払いの残業手当を請求するのがあらたなマーケットになるだろう」 と言われている。今後もそうした新たな 「ビジネスチャンス」 をいかに早く発見するかの争いが繰り返されていくに違いない。

⇒AZZLOは、”裁量労働制” とかいうヤツで、残業とかいう概念が無い雇用形態なんだと思う。ま、個人的にも工場労働員ではないので、合っていると思う。

※裁量を任せたくせにケチつけたり、”何が良いか?” が分からないのに、辻褄が合わない言いがかりをする原因になりがちな点は良くないと思う。

しかし、雇用内容をガン見してみたら、”みなし残業含む月の労働時間は180時間” とあった。別に残業代的なものが欲しい訳ではないが、「月180時間超えると残業代的なものが出るんですか?」 と聞いたら返答無しだ・・・w 答えにくいグレーゾーンが色々ある事が明らかだなw

明らかにおかしいのは、”残業時間のエビデンスを減らせ!” という号令がある。2年目から5年目?ぐらいの人には残業代が出るらしいのだが、高くなるから 「勤怠記録を偽造しろ」 というものである。

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対象の若手から愚痴で聞いたのだが、「だったら残業代出さなきゃいいのに!言われたルールに従ってるだけなのに、なんで嘘つかなあかんのよ!!!」 であるwww

実際、誰かが公的な機関に勤怠表とかを提出して 「ウチはおかしい!」 と訴えたらしいしなwww

組織は、今後弁護士のターゲットにされるんだろうなぁw

27:イノベーター的な考え方をすると、潰れそうな会社に入ることにも大きな意味がある。たとえば、今はなんとかもっていても、将来の先行きはないだろうと思われる会社に入り、その会社を徹底的に研究する。そして、その会社が潰れる前に退職し、その会社を叩き潰す会社を作るのである。

⇒AZZLOは少なくても現在は、独立起業願望は無いのだが、元々代理店を目指したのは、「あいつらただの問屋なのに、仕事キツいって、どんだけ燃費悪いんだ?」 という覗き見心である。

既に、子会社の偉いおっさん しかり、様々な失敗例を勉強させて頂いたな♪

28:日本ではよく 「技術革新」 と訳されるが、実は 「新結合」 という言葉がいちばんこの言葉の本質を捉えた訳語だと私は考えている。既存のものを、今までとは違う組み合わせ方で提示すること。それがイノベーションの本質だ。

⇒ “技術があるから新結合が可能になった” という場合もあるな。DJは常にイノベーションの連続とも言えるなw

29:ほかの業界、ほかの国、ほかの時代に行われていることで 「これは良い」 というアイデアは 「TTP(徹底的にパクる) 」 すれば良いのである。

⇒ “コロッケのものまね” がこの発想に近いかな。”そっくり” なものまねではなく、パクリを超越した領域がコロッケだろう。

30:イノベーションをある業界で起こすための発想術は、実はそれほど難しいことではない。その業界で 「常識」 とされていることを書き出し、ことごとくその反対のことを検討してみれば良い。

このように発想手段として、「何かを聞いたら反射的にその逆を考えてみる」 というのはイノベーションを生み出すうえで、非常に有効な手法である。今までのやり方でうまくいってない、とするならば、そのまったく逆をやってみたほうが成功する確立が高まることは、往々にしてあるのだ。

⇒以前は明確にこぉいう思考を意識していたな。なんで意識しなくなったのかな?

組織内でも、その “逆” を期待されるようになったから、元の姿に戻っただけなのか?w

いずれにしても、背筋正す (世の中的に見れば猫背) タイミングは意識していこう。

ちなみに先日 「機密書類を電車の網棚に置き忘れて、まだ見つかっていない。」 という話があったのだが、「プロモーション展開前の機密書類(と見せかけたカタログ)を、あちこちに置き忘れれば、話題獲得出来る!」 という口頭レベルのアイデアを出したりしたw

どこかの案件でやってみたいなぁw

31:リーダーには、優秀だがわがままな人をマネージするスキルも大切だが、優秀ではない人をマネージするスキルのほうが重要なのである。ダメなところが多々ある人材に、あまり高い給料を払わずとも、モチベーション高く仕事をしてもらうように持っていくのが本当のマネジメント力なのだ。

⇒AZZLOが日々書いていることと同じだな。ダメでギャラが安いヤツをdisった所で、そもそもダメなんだから、ポジに変化する訳がないw

若い段階から、どうにも対処出来ないダメな人間が居るのも事実だが、それをdisったり愚痴ったりしても、上司の結果も評価も変わらないどころか、むしろ下がる。

故に 「AZZLOを要らないと思うならば、クビすれば良いでしょう?あなたはそのカードを持ってます。」 でしかないんだよなw

32:組織はリーダーだけでは成り立たない。ロールプレイングゲームのパーティには、戦士や魔法使いや盗賊といった特徴の異なる職業が必ず必要なように、企業にもリーダーが持っていない能力の持ち主が必要だからだ。

⇒ “自分のコピー(複製)を部下に求める” 人達って多いよな。みんなの長所を組み合わせる事が出来るから組織として人がつるむ理由がある と思う。

33:アメリカのベンチャーキャピタリストは3人ぐらいのパートナーが集まり、それぞれが持つ資産から数億円出し合い、そのうえで外部からの出資を集める。「失敗したら自分たちも損をする」 という覚悟でなければ投資をしない。(中略) だから出資者も安心して金を出せるのである。

⇒「権利を持っている、まだ売れていないキャラクターでビジネスにしたい」 という話とかあったりする。権利持っている自らが投資出来ないのに、投資者を募るアイデアを検討した結果、「可能性微妙なコレに金出さないよね・・・」 とポシャる。キャラを変えて何度も何度も繰り返す。・・・某組織が失敗例として最高だな。

34:エラーの数で守備率を判断すると、誰でも捕れるような簡単なフライを捕球した場合でも、ライナー性の難しいヒットをエラーする危険を冒してダイビングキャッチし、間一髪アウトにした場合でも、カウントは同じ捕球1とされる。

そのため、実際には難しい打球を捕りにいかない、消極的な選手ほど守備率が高くなる。反対に、積極的な守備をする選手はエラーの数も増えるため、守備率が低くなるということが起こる。

野球というゲームは、言うまでもなく3×9=27のアウトをとることがチームの勝利につながる。選手が守備率を上げるために、「難しい球を捕りにいってエラーするより、初めからヒットにしてしまったほうが、自分の成績のために良い」 と考えて、消極的なプレイをすることは、本末転倒なわけである。

⇒企業の相対評価もコレになりやすいな。明確に 「僕は事なかれ主義」 と自信満々にアピールする事が大義にすらなってるからなw

35:日本では結婚して子供ができたあたりから、ローンを組んで家を買うのが当たり前のような風潮がある。それは銀行や不動産会社などから 「そう思い込まされている」 だけの話だ。経営者でもない普通の人が、数千万の借金を背負うのは家を買うときがほとんど唯一の機会である。

そうすると、それだけの借金がどれぐらいの意味を持つのか、また35年というローン期間には、どんな予測不可能な事態が待ち構えているのか、正確なリスクを計算することができなくなってしまう。

銀行と不動産会社が作った35年ローンという仕組みは、そうした 「リスクを正確に計算できない人々」 を狙った商品であると覚えておいたほうがいい。

家のローン、子育て(学費)、不倫(ホテル代)、老後(入院代)等を心配して、金の為の出世を目指して・・・少なくても今より落ちる事を恐れて勤続する奴隷中毒システムだな。 であるな。

36:サラリーマンとは、ジャンボジェットの乗客のように、リスクをとっていないのではなく、実はほかの人にリスクを預けっぱなしで管理されている存在なのである。つまり、自分でリスクを管理することができない状態にあるということなのだ。

⇒乗客がパイロットになるも、”リスクを預かっている” 意識がなく、「乗客が飛び跳ねるから落ちそうだ」 といった言い訳をしている感じが世の中多いな。

37:もっとも大切なのは、人々と違う 「インプット」 を得ることだ。人間の行動 (アウトプット) は、インプットの結果である。だから行動を変えようと思うならば、インプットを変えなければならない。

⇒AZZLOは テレビを買う まで 「広告代理店なのにテレビないのかよ!」 と馬鹿にされていた。テレビ見る時間を夜遊びによって、生のドキュメントを見つつも、傍観者ではなく、自身も参加していた。

どっちが良いとも思わないが、テレビ無い事を否定するのは違う話だな。

38:「投資」 とは、お金を投資することだと一般的に思われているが、本質的な 「投資」とは、自分の労働力や時間、人間関係を投資することでもあるのだ。

⇒ “新卒を採用する事” “給料を払う事” という金の支払いだけが投資ではないって事だなw “役員室引き籠り役員” では投資は出来ないんだろう。

39:これから生き残っていくのは、個人も会社も、そうした 「投資」 をきちんと行っていけるかどうかにかかっている。先行きが見えにくい時代だからこそ、ある時点でのひとつの投資活動が、その後の自分の未来を大きく変えるのである。

⇒AZZLO個人としては、この読書感想文が投資に近いかな。これ、文字起こしがむちゃくちゃ面倒なのだが、視覚での読書だけでなく、この文字起こしによって、かなり深みがある理解になっている。更に、デジタルデータなので検索が可能になり、おいおい思考の繋がりや、その隙間を発見するデータになっている。

40:大学で学ぶ本物の教養には深い意義がある、という価値観は世界で共通している。

それは良い大学、良い会社に進めば安泰、という日本でこれまで流布されてきた考え方とは何の関係もない。リベラル・アーツが人間を自由にするための学問であるならば、その逆に、本書で述べた 「英語・IT・会計知識」 の勉強というのは、あくまで 「人に使われるための知識」 であり、きつい言葉でいえば、「奴隷の学問」 なのである。

昨今の大学では、企業への就職率を上げるために、上記の 「奴隷の学問」 の勉強を学校自体が推奨しているところがあるが、私からすればまったくの間違いだ。

⇒紐解くと、大学とか教育機関は未来を作る事ではなく、てめぇら (教員) の食い口を維持したいだけと言えるなw

41:自分が勤める会社に、働かないうえに新しい発想もなく、社内政治だけには長けた、既得権益を握って離さないオジサンたちが居座って甘い汁を吸っている。そう感じるのならば、本書で述べたように自分の会社をぶっ潰すためのライバル企業を作ってしまえばいいのである。自分の会社が本当に不合理なシステムで動いているのであれば、正しい攻撃をすれば必ず倒せるはずだからだ。

⇒組織ついてはAZZLOが攻撃せずとも、勝手に自滅し7年後ぐらいに消滅する と思うw 疑問を感じてるだけで憎んでる訳ではないのでw

そして、甘い汁も苦い汁も吸えないから、特に味が無いのがAZZLOだなw 甘い汁だけ、苦い汁だけというのは、この世の中存在しないと思う。


元々AZZLOも似たような事を言っているが、”京大の人気教授” という奴隷スペックが高い側からw 同じ様な見解を得られて大分楽になった読書だった気がする。

“学校は奴隷育成場” と言えたりする訳だが、そこに居る奴隷候補生が、こういった教授を評価しているという事実が、なんとも皮肉だな・・・w

とても面白い読書だった♪

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