-読書感想- マネジメント 基本と原則 / ピーター・F・ドラッカー

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マネジメント[エッセンシャル版] – 基本と原則

2001/12/14発売。-読書感想- 図解で身につく!ドラッカーの理論 / 久恒啓一 に次ぐドラッカー本。

2011年は強烈に組織のAZZLOに対するマネジメントに疑問を感じていたので、超定番のこの本を手に取った。

とは言え 「AZZLOが本家ドラッカー読むとかってwww」 という恥ずかしい感じがありw 購入は2011年前半だったが、2012年2月頃に読んだ。


1:新しい現実のための新しい理論が生まれるには時間がかかる。だが、新しい理論の完成を待っている余裕はない。行動しなければならない。たとえ十分ではなくとも、すでに明らかなになったものを使っていかなければならない。

⇒ド頭から結論みたいだがw 代理店の提案もそうであるべきだと思うな。

2:成果の小さな分野、縮小しつつある分野から、成果の大きな分野、しかも増大する分野へと資源を向けなければならない。そのために昨日を捨て、すでに存在しているもの、知られているものを陳腐化しなければならない。明日を想像しなければならない。

⇒この本は “基本と原則” ってタイトルが付いてるんのだが、組織は基本も原則も無いって事だよな・・・w

と思いつつ、昼間の労働は別に良いとしても、最近のプライベートの時間は、エロ動画の編集ばかりしている ので学びがあるとは言え、AZZLOも耳が痛いな・・・w

3:利潤動機なるのもは、的はずれであるだけでなく害を与えている。この観念のゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。この誤解と敵意こそ、現代社会におけるもっとも危険な病原菌である。そのうえこの観念のゆえに、企業の本質、機能、目的に対する誤解に基づく公共政策の最悪の過ちがもたされている。

⇒先日見たカンブリア宮殿で紹介されていたハウス食品創業者の社訓?は、シンプルに実践出来る言葉になっているな。

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AZZLOは以前は結構金にうるさい方だったw ”原資×時間=対価” 的な計算式によると、支払い元が儲かってようがなかろうが、必要な対価を請求するのは当然だと思っていたからだ。

今は、貧乏な組織に金(AZZLOの報酬)の面で正論(金払え!)を言う気は無いな。オヤジ狩りは良くないと思うw ・・・というAZZLOの発想が金にうるさいが故な感じがするなw

4:企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。

⇒ここで言うマーケティングは多くの場合、商品開発の段階を指していると思うが、特に必要も無い商品が出来て、売り方だけマーケティング(調査)でなんとかしようとするというのは成り立たないなw

ただし “思いつき” も場合によっては、高度なマーケティング(気付く)を踏まえたケースもあると思う。

5:苦境に立つまで待っていたのでは、ロシア式ルーレットに身をまかせるも同然である。それは、マネジメントとしてあまりに無責任である。この問いは常に行わなければならない。「われわれの事業はなにか」 と真剣に問うべきは、むしろ成功しているときである。

⇒その点組織は、ある種 “電通のパクリ以外はやらない” と明言したのでw 「われわれの事業は電通の劣化・廉価版である」 という事なんだろうな。

組織はそれで良いかもだけど、道連れ劣化人生を強要されたくはないなぁ。

6:事業を定義することは難しい。苦痛は大きく、リスクも大きい。しかし事業の定義があって初めて、目標を設定し、戦略を発展させ、資源を集中し、活動を開始することができる。業績をあげるべくマネジメントできるようになる。

⇒「われわれの事業は電通の劣化・廉価版である」 は簡単でとても分かりやすいw 苦痛もリスクも少ない。・・・というか気付きにくいw 確実に縮小するけど。

7:いかに売上げが伸びたとしても、市場シェアが小さくなり、市場の拡大のほうが自らの売上げの伸びよりも急であることは芳しくない。市場シェアの小さな企業は、やがて限界的かつ脆弱な存在にならないための下限は、業種によって違う。しかし限界的な存在になるということは、長期的に見たとき企業の存続にとってきわめて危険である。

⇒広告は大告ではないので、その段階の認知率が高ければ広告となる。しかし今後は人口が減っていく訳で、過去と同じ認知率を得る施策では当然価格は下がるだろう。

対象人数が少なければ手間が省けるというものではない。手間はほとんど一緒だw よって社員を減らせば対応出来るという訳でもない。どうすんのかな?

8:特に良質の人材と資金を引き寄せることができなければ、企業は永続できない。

⇒現在採用活動をしているらしいが、「良い人が居ない」 らしく決めれないらしい。しかし当然で “年収400万” “即戦力” という条件らしい。

個人的には企業もチームのでかい版であり、いつか解散するものとして、永続する必要も特にないと思うw 組織が立派であるならば、それぞれが巣立って新たなチームを作った方が、それぞれが手にする金も増えそうな気がするw 雇用法からしてやり辛いんだろうけどなぁ・・・。

9:産業全体としても、その衰退の最初の兆候は、有能でやる気のある人間に訴えるものを失うことである。

⇒組織の社訓に近い台詞として 「ウチは出来る人から辞めていく」 というのがある。つまり 「長く居る君は無能だよ。あ、私もだけどw」 という暗黙知がある感じだなw

また、元気よくアイデアを出した人に対して、「そんなのあり得ないだろ!!!却下だよ!!!」 と偉いおじさんが投稿 等も実施し、やる気のある人のモチベーションを削いでもいる・・・。組織はある方向に向かって完璧だな♪

10:経営資源に関わる目標は、二つの方向において設定しなければならない。一方の出発点は、経営資源に対する自らの需要である。自らの需要を市場の状況との関連において検討しなければならない。他方の出発点は、市場である。それらの市場の状況を、自らの構造、方向、計画との関連において見ていかなければならない。

⇒よくあるパターンとして

・経営資源に対する自らの需要=金が無いし今後必要かわからないから安い派遣を雇いたい。
・自らの需要を市場の状況との関連において検討=必要なスキルは市場の状況では高い。

という事で、「予算100万だけどフェラーリ買いたい」 みたいな状態になるな。必要条件を下げるか金を積むしか無いハズ。譲歩出来ないなら、まぐれ狙いの採用活動が実ったとしても、すぐ退社されるw

少なくても “従業員” スキルは日本は結構高いから、誰でもイケる気がするんだけどなぁ。まぁいわゆるブラック企業のやり方になるが・・・w

11:戦略計画はリスクをなくすためのものではなく、最小にするためのものでもない。そのような試みは、最後には、不合理かつ際限のないリスクと確実な破綻を招くだけである。経済活動とは、現在の資源を未来に、すなわち不確実な期待に賭けることである。経済活動の本質とは、リスクを冒すことである。

⇒ “家から出ると事故に合うかもしれない” もリスクとも言えるので、どこにラインを引くかだがw ほとんどの企業は経済活動してないとも言える。特に “前例が無い事を理由にリスクと扱う” のは、思考停止だと思う。

12:たしかに、すでに行っていることをより多く行いさえすればよいという分野もある。しかし、すでに行っていることだけで、未来のニーズを満たし続けることはできない。

「何を行うか」 を問うだけでは、問題の一面をとりあげたにすぎない。

⇒日本国の多くの面で、”補助金を多く!” とか、内容じゃなくて量が議題になるケースが多いな。極論 「給料は減らすが、食料支給します。一括仕入れで安いから、お小遣い増えるよ♪」 とか、そぉいう豊かさの担保の方法もある気がするw

13:あらゆるサービス機関が守るべき原則は、「現在行っていることは永遠に続けるべきものである」 ではなく、「現在行っていることは、かなり近いうちに廃棄すべきものである」 でなければならない。

「このビジネスを残していこう!」 という発言はNGという事になるなw

代理店のマネタイズアイデンティティは “媒体問屋” な訳だが、何故媒体が必要なのか?を問いただすとビジネスモデルを更新出来ると思う。

経験値によるビジネス感覚は否定しないが、WEB普及以前の人達が多い組織は、伝統工芸みたいなものでない限り、存続の理由がほぼ無いな・・・w

14:アメとムチによるマネジメント、すなわちX理論によるマネジメントはもはや有効ではない。先進社会では、肉体労働者にさえ通用しない。知識労働者に対しては、いかなる国でも通用しない。マネジメントの手に、もはやムチはない。アメさえ人を動かす誘因とはなりえなくなった。

⇒ “儲かればみんなの給料も上がる。頑張ろう!” は明確にアメだな。そして揉め事とかが起きると減給の原因になる事もあるな。これはムチだな。アメはまだアメとして認知する人もいると思うが、ムチの結果 “何もしない人。自閉症” を誘発する可能性があるな。

15:イノベーションや生産性に対する抵抗は古くからの問題である。ルネッサンスの時代、フィレンツェの織物工は新しい技術が仕事を脅かすと騒いだ。だがイノベーションや変化への抵抗は、人間の本性ではない。仕事と収入の保証が与えられているところでは抵抗は見られない。

必要なのは、仕事と収入に関わる法律上あるいは契約上の保障ではない。責任を持たせるために必要な保証とは、約束ではなく実行である。給与を払い続けても、現実に仕事を与えなくては失業と同じ不安を与える。必要なのは収入の保証だけではない。積極的かつ体系的に仕事を与える仕組み、すなわち働く者を社会の生産的な一員にする仕組みである。

⇒確かにAZZLOの倍ギャラを手にしている人で、「絶対に定時で上がりたい」 と公言して実行している人は、「最近仕事つまんねぇ・・・」 と同時に言っているなw

やはり、金ではなく全てにおいて “自尊心ケア” が必要だって事だろう。

おじさんがビッグデータを否定するのも、”売上げが減る” という事が心配なんではなく、”オレが必要とされなくなる” という危機感があるんだろう。

例えば媒体問屋ビジネスにおいてビッグデータを取り入れると以下のように出来る。

1:自社商品に関するつぶやきから、既存顧客と潜在層が把握出来る。
2:潜在層が購入したきっかけがデータ化される。
3:きっかけがまだ得られていない層を把握出来る。
4:きっかけは理解しているので、得られていない個人が接触するメディアを選定する。
という事が可能で、既に徐々に実施されつつあるが、こっから先がポイント。
5:個人が接触するメディアは想定出来るが確実ではないので、接触したメディアでリアルタイムに露出を図る。(アクセスしたサイト、見ているテレビ番組のCM等)
6:予算と必要であれば地域、性年齢などを入力して微調整が可能な管理画面を用意。
7:全て企業マーケティング部署が管理画面で出稿を選定する。

このシステムの利用料を代理店に支払う。システム利用の場合、通常価格よりも3割引となる。

とすれば、メディアプランナーは必要ない。既存メディアプランナーの部署はもう何もしなくて良い。システム運営管理はあるが、”メディアのご提案業務” はしなくて良くなる。
3割引きで代理店のマネタイズバランスが崩れないかは分からないがw 仮にバランスが取れるのであれば、企業は安く確実な出稿が可能になり、代理店は利益が増える。

しかし、代理店は、もう人として必要とされないからw こういった未来を拒否するんだろうなぁ。

「楽したい」 言う癖に必要とされないと困る。”モテる事を嘆く糞ビッチ女” みたいだなw

風営法規制に対するアンチ風営法組の警察への対応策 しかり、”お互いの利害が一致しない事多いなぁ。

この “利害を一致させる”(ちょっと摩り替える) 的な事は、試していきたいな♪

16:働く者に主体的に成果をあげさせるという課題を直視しない第一の、そして主たる原因は、権限と権力の混同である。マネジメントは、肉体労働者からにせよ、知識労働者からにせよ、責任を持ちたいとの要求に対して、それを権限の放棄を要求するものと誤解して抵抗する。自らの権限を危うくすると誤解する。

権限と権力とは異なる。マネジメントはもともと権力を持たない。責任を持つだけである。その責任を果たすために権限を必要とし、現実に権限を持つ。それ以上の何ものも持たない。

AZZLOがいじめに合う理由 の根本はコレっぽいな。

「AZZLOは面倒臭いが、ボチボチ稼働出来る様に育てた自分は価値があった」 と思えば、むしろもっと偉くなれるのになw

相対評価が中途半端なのが原因な気がする。

AZZLO→良い結果を残した→良い評価
偉いおっさん→AZZLOを承認した・サポートした→もっと良い評価

が本質であり、AZZLOが偉いおっさんよりも偉くなる必要は特にないと思うw し、少なくてもAZZLOは偉くなる事を求めてないw

経営者・マネージャー:人を動かす人・承認する人
その他従業員:人に動かされる人・勝手に動く人

という住み分けは、差別的かもしれないが、明確にした方が良いと思う。それぞれに向き不向きがあるし、必ずしも人を動かす人が偉いとも限らないと思う。

“お互い尊重して住み分けてチームワーク♪”

が必要だと思う。

17:組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。

「人こそ最大の資産である」 という。「組織の違いは人の働きだけである」 ともいう。事実、人以外の資源はすべて同じように使われる。

マネジメントのほとんどが、あらゆる資源のうち人がもっとも活用されず、その潜在能力も開発されていないことを知っている。だが現実には、人のマネジメントに関する従来のアプローチのほとんどが、人を資源としてではなく、問題、雑事、費用として扱っている。

⇒確かに問題起こす人も居るだろうし、雇用法からして雑事な側面もあるだろうが、”うんこ臭いの嫌いなので飯食いません” という訳にはいかないだろう。そもそも雑事だからこそ “人事書類管理部” とかの雇用が生まれるのだw

外資ではそういった総務的な作業は別会社にするケースもあるらしい。ある種 “うんこはトイレで” だな。

18:目標ははっきりしている。社会、経済、地域、個人に与える影響のうち、組織の目的や使命の達成に不可欠でないものは、最小限にすることである。できればなくすことである。(中略)

体系的な取り組みが必要となる。ここにおいて理想とすべきアプローチは、影響の除去をそのまま収益事業にすることである。

“総務を別会社に” は典型的な影響の除去の収益化だな。

19:重要と思っていない分野で優れた活動のできるものはいない。企業にしても他の組織にしても、単に社会的な観点から、自らが重視していない問題に取り組んでも、そのために優れた人材を割いたり、十分な支援をすることはない。

⇒逆に読み取ると “十分な支援をしない領域は重要ではない分野である” だな。よって少なくても、WEBよりも総務が重要なのは明白w やはり 7年後には総務の会社になる んだな。

20:マネジメントを欠くとき、組織は管理不能となり、計画は実行に移されなくなる。最悪の場合、計画の各部分が、それぞれ勝手なときに、勝手な速度で、勝手な目的と目標のもとに遂行されるようになる。ボスに気に入られることのほうが、成果をあげることよりも重要になる。

⇒まず計画そのものが無いケースがあるなw 故にAZZLOは勝手なAZZLOの正義感で仕事してるw むしろ組織から推奨すらされているw(そぉいう偉いおっさんも居る) この点はAZZLOが組織に感謝している点だ。(ホントはちゃんと管理されたいのだがw)

ボスに気に入られたい人は、ボスが居なくなったり、自分がボスになっちゃった場合どうするんだろうな。

21:専門家は専門語を使いがちである。専門用語なしでは話せない。ところが、彼らは理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。(中略) このことを専門家に認識させることがマネージャーの仕事である。組織の目標を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネージャーの仕事である。

⇒この一節を読んだ影響なのか?最近AZZLOは “クリエーターと企業の間を翻訳するのが仕事です” みたいな事を言っている。”生活者と企業をポジティブな関係でマネジメントするのが仕事です” とも言うので、その裏には翻訳があると思う。

AZZLO自身が我侭なクリエーターと見られがちなので意外性がある発言みたいだが、もちろんAZZLOもクリエーター的な要素として機能するが、メインでやる事ではないと思っている。”クリエーターやれなくもないから翻訳出来る” ぐらいな感覚で居る。

22:もっとも一般的なまちがいは、職務を狭く設計し、優れた者であっても成長できなくすることである。数年ですべてを身につけられるほど狭く設計した職務では、欲求不満に陥る。結局、さしたる働きもしなくなる。マネジャーの仕事は、その職にあるかぎり、学び、育つことのできるものにしなければならない。狭く設計した職務は、人と組織を知らぬ間に麻痺させる。

「あたしお茶くみとして雇われててるんだから5時で帰ります」 的な事もあるので、鶏卵な面もあるなw

とは言え、大概 “多くのギャラを払えないからこの範囲しかやらなくて良いです” という企業側の都合も多いと思う。

“専門職社員” なんていうのが典型的かな。しかし、高額なプロパー社員が出来ない事を専門職社員に頼っているんだから、むしろ専門職の方が高額であるべきな感じがする。
AZZLOにおいては、そもそもWEBに飽きてるから代理店を目指したのでw 勝手にリアルプロモーションとか戦略PRみたいなプランニングをやってる。(もちろんWEBは得意領域なのでハブとして活用するが) この考えは偉いおっさんからも推奨されている。

その分 “朝来るのは難しい” という狭め方を勝手に設定しているw

業務範囲を狭くしてチャレンジしたくない人達は、AZZLOが朝居ない事を材料に問題定義しているみたいだが、自分の仕事に自信があれば、ゴミ社員であるAZZLOを気にする事はないハズだと思うなw これが麻痺に相当する事だろう。

23:組織がなしうる最悪のことは、エリートを育成すべく他の者を放っておくことである。一〇年後、仕事の八割はその放っておかれた人たちが行わなければならない。しかも、彼らは軽んじられたことを覚えている。成果はあがらず、生産性は低く、新しいことへの意欲は失われている。他方選ばれたエリートの半分は、四〇代にもなれば、口がうまいだけだったことが明らかになる。

バリュープロフィットチェーン を真っ向から否定する話だなw “なんか恐いだけ(威圧感)” “つじつま合わせは上手い(口がうまい)” 人が偉いおっさんのケースは何処もあるだろうな。

そぉいう人が居ても良いが、偉くする必要は無いように思う。いずれにしても、何を持ってして優秀か?目的に合致するか?という評価・見る目の問題だなw

24:雇用主たる組織には、人の性格をとやかくいう資格はない。雇用関係は特定の成果を要求する契約にすぎない。他のことは何も要求しない。それ以外のいかなる試みも、人権の侵害である。プライバシーに対する不当かつ不法な侵害である。権力の濫用である。被用者は、忠誠、愛情、行動様式について何も要求されない。要求されるのは成果だけである。

⇒AZZLOは入社間もない頃、仕事に集中したいが故、深いフードのパーカーを被って視界を狭めデスクワークしていた。これを見たどこかの偉いおっさんが 「あいつは事件を起こす!どうにかしろ!」 と騒いだ一件があるらしい。”深いフード=ガラの悪いラッパー=なんか悪い事してそう” という偏見だろう。

まぁ確かに、”新入社員研修で何度も説明される成功案件を作った” という事件起こしたが、その予言は人権侵害だったのかw また、「AZZLOの育ちが悪い」 というのもきっと人権侵害なんだろうな。

25:報酬は、金銭的な意味合いがあるだけでなく、トップマネジメントの価値観を教える。自分にいかなる価値があるかを教える。いかなる位置づけにあるか、いかに認められているかを教える。

⇒”偉いおっさんの価値を教える” “ゴミ社員の価値を教える” 両方の意味が含まれるな。故に、新しいビジネスモデルは偉いおっさんが作り出すべき と思う。価値ある仕事は価値の高い人が行うべきである。少なくても高い人が低い人の足を引っ張ってはならない。

26:節約キャンペーンにしても、その成果は、週給のタイピストの首を切り、高給の役員が下手なタイプを打つだけに終わる。効果はない。まちがった方向へ導く。一つの側面だけを強調し、他の側面を犠牲にする。

⇒AZZLOが入社する前後に経費処理が厳しくなったらしく、”優秀な人から辞めてった” という話をよく聞くな。

個人的には “カラー出力は控えましょう” という案内紙が、カラーという点が、一周回って面白いと思うw

27:成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。

⇒そぉいえば秋葉原の代理店をクビになった理由は 「AZZLOの様にチャレンジする人は要らない。言った事だけ淡々とやってくれる人を求めている」 であった。チャレンジしてたし結果も残してたから評価も高かったのだが・・・w その後の秋葉原の代理店は、退社ラッシュ、殺伐とした社内となり、オフィス縮小したと聞いている・・・。

従業員を全うする人にとっても、その逆のタイプの人が組織には居た方が良いって事なんだと思う。そうでないと従業員の価値が薄れるw 「朝来ないヤツがうんたら・・・」 といった問題定義も出来なくなるw

28:組織においてもっとも重要かつもっとも困難な問題は、長年真摯に働いてきたがもはや貢献できなくなった者の処遇である。帳簿係として働いていた者が、組織の成長に伴い五〇歳で経理担当役員になったものの、仕事をこなせなくなる。人は変わらないのに、仕事が変わってしまった。だが、ずっと真摯に働いてきた。
そのような真摯さに対しては、真摯さをもって報いなければならない。だからといって、その者を担当役員にしておくべきではない。彼の無能は組織を危うくするだけではない。士気を低下させ、マネジメントへの不信を生む。

⇒真摯に働いてきていない人が 「オレ早く管理行きたい。合法的に定時で帰れるから」 と言うケースが少なくないw AZZLOは偉いおっさんに 「あぁいうの害だからとっとと管理行かせてやってよ!」 と言うのだが、「管理も迷惑だろw」 と上手くいかないらしいw この手の人達は “生涯出社 停止 免除” が良いと思うなぁ。

29:組織というものは、問題ではなく機会に目を向けることによって、その精神を高く維持することができる。組織は機会にエネルギーを集中するとき、興奮、挑戦、満足感に満ちる。

⇒たまに代理店は自らの事を “問題解決サポート隊!” と、問題を機会として捉えたりもするが、必要の無い業務を正当化する言い訳に全て繋がっていく感じがする・・・w

30:成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇給、昇進、降級、解雇など人事に関わる意思決定こそ、最大の管理手段であることを認識する必要がある。それらの決定は、人間行動に対して数字や報告よりもはるかに影響を与える。組織のなかの人間に対して、マネジメントが本当に欲し、重視し、報いようとしているものが何であるかを知らせる。

⇒”病んだら人事に移動(して休憩)” という前歴作りしかり、新卒採用の理由を知らない しかりの現状では、組織の意思が見えないw

“電通が新しいビジネスモデルを作るのを待つ”

“何か起きてから対応する。「こうだったら良いな♪」 という理想とかはありません”

“意思が無いのが意思です”

という感じがするなw

31:真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定において象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは、二、三週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。彼らはそのような者をマネジャーに選ぶことを許さない。

⇒AZZLOが疑問に感じる根源はほぼコレに通じるな。端的に言うと “育ち・教養” だ。

後輩、部下を人権侵害を含む内容で罵る
下を虐め上にはゴマすってたりする
人に頼んでおいて否定する。

これらは、完全に真摯さ皆無だ。

32:

①強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。
②何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の凋落であり、やがて組織全体を凋落させる。
③真摯さよりも、頭のよさを重視する者をマネジャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。
④部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。
⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。

⇒これが複数当てはまる人がマネジャーであるという現実があるなw そして間違いなく部下からは全く尊敬されていない。部下から “裸の王様” 扱いされている偉いおっさんが居る・・・w

33:知識もさしてなく、仕事ぶりもお粗末であって判断力や行動力が欠如していても、マネジャーとして無害なことがある。しかし、いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとってもっとも重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損ない、業績を低下させる。

⇒得意先からNGをくらい誰からもフォローされない人がいる。そして接点を持った人ほぼ全員に 「あの人とは付き合えない」 と言われている。そんな人がまだ在籍しているという事実に、あらゆる人が 「アイツがクビにならないんなら、もう何でもありだね!」 という事で、様々な面で免罪符が成立しているw 当然AZZLOも材料として活用しているw

“反骨心を醸成する” といったポジに作用させる材料(肥料)としてなら高度な人事配置と思うなw ま、企業で反骨心は大概ネガに扱うが・・・w

34:ある案だけが正しく、その他の案はすべてまちがっていると考えてはならない。自分は正しく、他の人はまちがっていると考えてもならない。

なぜ他の者は意見が違うのかを明らかにすることからスタートしなければならない。明らかにまちがった結論に達している者がいても、それは、何か自分と違う現実を見、自分と違う問題に関心を持っているからに違いないと考えなければならない。

⇒この “歩み寄り” が無いのも、真摯さの欠如だな。そら人だからそれぞれなんだが、”とは言え一理あるんだろう。今分からないけど、どんな理だろう?” という興味を持つ事は、マネジャー云々以前にコミュニケーションとして必須だと思う。

施策案出しについても同様だ。パッと見 “オリエンと違うし面白くもなさそう” なアイデアってあるのだが、説明を聴くと、非常にポテンシャルがあるアイデアに気付く事もある。
第一印象で疑問・否定を感じた対象は、全体を成長させてくれるきっかけである可能性は高い。否定が深まるにしても、他の案を隙なくする材料の洗い出しになる可能性もある。なのに速攻で却下するのは非常にもったいないと思う。

お・も・て・な・し

以前に

あ・ゆ・み・よ・り

だな。

35:コミュニケーションを成立させるものは、受け手である。コミュニケーションの内容を発する者、すなわちコミュニケーターではない。彼は発するだけである。聞く者がいなければ、コミュニケーションは成立しない。意味のない音波しかない。

⇒ジャイアンリサイタルがコレだな。

36:コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならない。言葉で説明しても通じない。経験にない言葉で話しかけても理解されない。知覚能力の範囲外にある。

⇒「AZZLOさんの喩え話、余計分からなくなるんだけどwww」 ってのがコレだなw 実は “相手が的確な喩え話を考える事で歩み寄りが深くなる” として、あえて分かり辛く喩えている!(後付だけどw)

37:必要とする労力が少ないほど優れた管理である。管理手段が少ないほど管理は効果的である。管理手段を多くしても、よりよく管理できるわけではない。かえって混乱する。管理システムの設計と利用にあたってまず検討すべきは、管理のために最小限必要な情報は何かである。

⇒全員が同意するハズの無駄として、全体の勤怠表と案件別勤怠表 (どの案件でどの程度時間を使ったか) がある。それぞれ別の管理システムなので、ID・PASSは別だし、部門長もそれぞれ承認をしなければならない。

深夜勤務が続いたら、有給を追加で貰える訳でもないw むしろ労働違反のエビデンスをあえて作っているようなもので、経営者からしても有りがたくないw

あと、プロダクションさんに対する支払い方法が、えらい面倒臭いので、たまに間違える。無駄なやりとりが発生している。

暇な人は暇で構わないので、こちらを巻き込まないで欲しい。巡り巡って君達のギャラ捻出が出来なくなる。ま、総務の会社になる なら、ごくごく真っ当な流れだがw

38:大根の種を蒔いた子供は、芽が出ると抜いて根の育ち具合を見たがる。まちがったリアルタイムのよい例である。多くの場合、研究開発活動に間断なく評価を加えることも成果に悪い影響を与える。

⇒”上手くいきそうな案件を見つけると、要らない人を付けてくる” というのがあるな。”みんなでやったもんね!” という事で、エビデンス的に関与した人の評価を上げたいのだろうが、”上手くいきそうだったら、もうヘルプ要らない” じゃないだろうか?w むしろ苦労している案件に人を付けるべきじゃないだろうか? ケースバイケースだが、前者は間違いなく無駄な人の使い方だと思うな。

39:人はいかに賞され罰せられるかによって左右される。彼らにとって、賞罰こそ、組織の目的、価値観、そして自らの位置づけと役割を教えるものである。

AZZLOは本社で社長賞を貰った。 その上で、子会社では “正しくない社員” と言われるw という事なので、位置づけと役割がほんとよくわからんな。ま、勝手に解釈して都合よくやるけども。

40:戦略の変更なしに行う組織改革はまちがいである。あるいは、組織構造が始めからまちがっていたということである。

⇒毎年3月末の組織変更の際に 「どうせまた来年も変えるんだよ。席替えするだけ無駄だよ」 という嘆きがあちこちから聞こえるw ある種間違いを毎年認めるような経営という事だな。もちろん真摯な意味で認めるというのも大事だが、”間違い前提で定例変更” は本質が無さそうに見えるし、当然巻き込まれる側からすると、”席替えが面倒” という目の前の事を見る事になるなw

41:特に大企業では、階層の増加は、明日を担うべきマネジャーの養成のうえで重大な障害となる。第一に、最下層から最上層に達するために要する年月を増大し、第二に、その間においてマネジャーよりも専門家を養成してしまう。今日の大企業の中には、現場監督から社長の間に十二から十五の階層を持つところがある。これでは二十五歳で現場の監督となり、運よく各階層を五年で卒業したとしても、次期社長と目されるようになるだけで、八十歳から九十歳になってしまう。

たまに 「あいつにもそろそろ役職つけなきゃ!」 という会話がある。部長代理は代理するんだろうけど、担当部長?ってのは何やる人か全く分からない役職だなw

“名詞で舐められないように” というのは分かるが、であれば、全員 “社長代理” にすると、なんか重みが増すし良いんではないだろうか?w ある種全員社長代理な訳だし。
いずれにしても、名詞の肩書きで舐める人とは仕事しなくて良いと思うな♪

42:組織構造は、重要な問題、基本活動、成果、業績に関心を向けさせるものでなければならない。就業態度、礼儀作法、手続きに関心を向けさせてはならない。縄張りに関心を向けさせてはならない。それは人をまちがった方向へ持っていく。そのとき組織構造は、成果に対する障害以外の何ものでもなくなる。

⇒「遅刻しないで挨拶さえしてれば仕事しなくて良い」 という発想の人が居るな。この姿勢を自慢げに語る人もいるw

43:優れた組織構造とは、自らをマネジメントし、自らを動機づけられる組織である。すなわち、マネジメント、組織、管理、コミュニケーション、人事など、組織を動かすことに時間を使うことが少ないほどよい。特に高い業績をあげる能力を持つ者が、それらのことに煩わされることが少ないほど良い。

⇒組織でのマネジメントって “自走できる環境ときっかけ作り” なんて言えると思う。常にサポートし続けるのは面倒だと思うし、偉くない人達においては “俺らが作り上げている” 実感が次に繋がるハズだ。故に権限委譲もバランスで必要。

組織の場合、「電通さまが新しいビジネスモデル作ってくれたで~!よ~しみんなでパクろう!」 と偉いおっさんが言い出すまでは、前向きに働く必要が無いって事だよなw

44:チームとは、異なる技能、知識、背景を持つ人、しかも本来異なる分野に属しながら、特定の仕事を果たすためにともに働く人の集まりである。それも通常かなり少人数である。

チーム型組織にはリーダーがいる。多くの場合、リーダーは交替しない。しかし実際にチームを指揮する者は、仕事の段階や要求によって変わっていく。チームには上司も部下もない。シニアとジュニアがいるだけである。

⇒”何故一人ではダメなのだ?” を問いただすと当たり前のように上記のチームになると思う。そして孤独を知らない者はチームには参加出来ないと言えるな。

チームリーダーが不在だったり、単純に年長者 (多くの場合一人で完結出来ないから、若手を巻き込むしか労働履歴を作る手段が無い人) の場合があるな。頭数は用意出来ても、それはチームじゃないw

AZZLOは以下の言葉をチームとしての考えをとして強烈に持っている。

我々の職場にはTEAMという頭字語がある。これは “Together Everyone Achieves More” (ともに全員がさらなるものを達成する)の意味だ。

組織で言うチームの現実は

T:Tumaranee(つまらねぇ)
E:E-minee(意味ねぇ)
A:Akileruwa(呆れるわ)
M:Moumuri(もう無理)

こんな場合が多いと思う・・・w

45:チーム型組織には、いくつかの大きな欠陥がある。明快さや安定性に欠ける。経済性も悪い。人間関係、仕事の割り当て、説明会、会議、コミュニケーションなど、チームの内部管理に絶えず気を配らなければならない。エネルギーの相当部分が、単に仕事を進めることに費やされる。全員が共通の課題を理解しているとはいっても、必ずしも全員が自分の責任を理解しているとはかぎらない。他のメンバーの仕事に関心を持ちすぎ、自分の仕事にあまり注意を払わないことさえ起こる。

⇒相対評価の場合、部内での順位付けの上、局内順位付けがあるらしい。よって近くの人が成功すると、必然的に自分の順位が下がる。当然身近な人をサポートする思いなんて起こる訳がなく、誰が自分の立場を危うくするか?ビクビクして監視する心理になってしまう人が居るという現実がコレだな。必然的に虐め等も誘発する事になるだろう。

いずれにしても自分の仕事にプライドがあれば、少なくてもビクビクする事は絶対に無いと思う。

46:チーム型組織の最大の限界は規模にある。メンバーの数が少ないときは有効に働く。原始時代の狩猟隊も七人から八人だった。あまり大きくなると、チームの利点たる柔軟性やメンバーの責任感が急速に減少し、成果をあげられなくなる。同時に、チームの欠陥たる組織構造の明快さの欠如、コミュニケーションの不足、内部管理や人間関係への過度の関心が致命的になる。

⇒大人数の案件は誰も自分の課題を理解せず、最後 “むりやり企画書上ではまとまっている体にする” という事が多い。そしてそういった案件がプレで勝ったという事を少なくてもAZZLOは知らないな。

個人的には仕事も飲みも3人が好みだ。4人だと、2対2で人数が対等なので対決構造になりやすいが、3人だと、メイン2人の会話に1人がモデレーターとなり、役回りを変更しながらスムースに進行する感じがする。

47:単純でありながら現実に合った組織構造を手にするには、重要な成果を生むために必要な基本活動に焦点をあわせなければならない。しかる後に、その後に、その基本活動を可能なかぎり単純に組み立てなければならない。

⇒組織は、案件の傾向や担当の好みでバラバラだな。ま、組織は得意分野が違う人間が集まるから価値があると思うので、必ずしもネガではないが。
代理店の場合

・重要な成果:プレで勝利して利益を残す。
・基本活動:プロダクションを叱咤して、濃い案を出させ値引きさせる。企業担当者に賄賂を渡す。

こんな感じだと思うがw

・重要な成果:企業に対してポジティブな状態へ生活者を動かす(多くの場合何かしら購入する)。
・基本活動:プロダクションのやる気が起きる形で進行する。企業を共感させる。

AZZLOはこうかな。インナービジョンか?本質か?の違いを明確に整理するべきって感じだな。

48:そもそもトップマネジメントは、意味ある取締役会を望まない。意味ある取締役会はトップマネジメントに成果と業績を要求する。成果と業績をあげないトップマネジメントを排除する。これこそ取締役会の役割である。

⇒これによってジョブズがアップルをクビになったと言える訳だが、ポジネガ両方あるな。問題は、”トップが退任した後に、従業員がトップになる” だと思う。

49:トップマネジメント自らが、無能なトップマネジメントを除去できるだけの取締役会をつくらないときには、政府がそれをつくることになる。あるいは乗っ取りが起こる。乗っ取りが狙うのは、苦境にある企業ではない。潜在能力を生かしきっていない企業、トップマネジメントが成果をあげていない企業である。

⇒乗っ取られるだけマシって事だなw

50:大企業といえども、確信を行うには冒険的な事業には手をつけなければならない。新しいものは、常に小さなものから始まる。

⇒どんな企業も最初は “嫁と二人で始めた” とかなんだよなw そして今の企業体裁が今後も続くかなんて、歴史から見たらむしろ可能性は低いハズだ。100年後には今の企業は9割方無い事だってありえる。

51:成長そのものを目標にすることはまちがいである。大きくなること自体に価値はない。よい企業になることが正しい目標である。成長そのものは虚栄でしかない。

⇒株式会社だと難しい指摘な気がするが、IT系は露骨に成長を目的にしてる金の奴隷感が強いな。でもちゃんと金を得ているんだから、金欲しいのに得られないよりはマシだと思うw

いずれにしても、共有したくなるトップメッセージは必須だな。

52:成長が必要であるとの結論に達しながら、自らの行動を変えることを欲していないことを自覚するにいたったトップには、一つの道しかない。身を引くことである。法的には企業を所有していても、他の人間の生活まで所有しているわけではない。組織は子供ではない。子供さえ、独立させなければならなくなったことを認めざるをえないときが来る。

「オレは昔は凄かった。そしてWEBとか分からないから君たち頑張ってくれ」 といった類のトップは辞めるべきって事だなw

ちなみにAZZLOの友人知人には経営者が多いが、「社員の生活を預かっちゃってる。『飽きたから辞める』 とは言えない。」 という意識がある人が多い。こういった感覚は雇われ社長には多分無いんだろうと思う。

53:イノベーションは管理できない。桁はずれに重要ではあるが、まれにしか起こらない。例外として扱わなければならない。
したがって、まず初めに、確率分布に載る種類のイノベーションに焦点を合わせ、それを利用するための戦略を持たなければならない。その過程において、例外的に真に偉大な歴史的イノベーションに対する感覚を育て、その種のイノベーションを早く認識し活用する体制をつくっておかなければならない。

⇒リスクを伴い成長したいのか??リスクは無いが縮小するのか?の住み分けが必要だと思う。

多くの場合、底まで来て 「イノベーションが必要だ!」 等と言い出す場合が多いと感じる。

54:イノベーションの成功率はせいぜい十0%である。しかるがゆえに、イノベーションの目標は高く設定しなければならない。一つの成功が九つの失敗の埋め合わせをしなければならない。

⇒AZZLOは上長に 「9回裏2アウトで代打で出てくるのがAZZLO。ほぼ負けなのだが全球振るから 『もしかしたら?』 が有り得る。」 と言われている。営業からの依頼も 「提案出来ないぐらい面白いのお願いしますw」 という感じだし。

この点はある種 “AZZLOはイノベーション担当” という感じで正直やりやすいな。しかしこの点を 子会社の偉いおっさん が理解してないのが面倒臭いんだよなぁ。

55:イノベーションを行うには、組織全体に継続学習の風土が不可欠である。イノベーションを行う組織では、継続学習の空気を生み出し、それを維持している。ゴールに達したと考えることは誰にも許されない。学習が継続すべきプロセスとなっている。

⇒大卒者が企業で使えない理由のコアがコレだな。既に大学に受かった時点で全て終わっている人もいる。

56:変化ではなく沈滞に対して抵抗する組織をつくることこそ、マネジメントにとって最大の課題である。それは可能である。実例も多い。だが、いかにしてこの種の組織を当然の存在とするか、いかにしてこの種の組織を、社会、経済、個人にとって生産的な存在とするかは、これからの課題である。あらゆる兆しから見て、来るべき時代はイノベーションの時代だからである。

⇒変化なのか行き当たりばったりなのか?w が理解されないと抵抗的な事は起きるな。いずれにしても、変化の必然性が明確である必要があるな。

57:社会においてリーダー的な階層にあるということは、本来の機能を果たすだけではすまないということである。本来の成果をあげるだけでは不十分である。正当性が要求される。社会から正しいものとしてその存在を是認されなければならない。

⇒「オレは税金払ってるから社会から見て正しい」 と言いそうなリーダーがいるなw

58:誰にとっても上司は一人でなければならない。三人の主人を持つ奴隷は自由人であるとのローマの格言こそ真理である。忠誠の重複を避けるべきは、昔からの原則である。板挟みになる。

⇒あらゆる偉いおっさんが主人をやりたがるから、AZZLOは3人以上の主人を持っている。よって自由人になっちゃうんだろうw

偉いおじさんの見解は統一して欲しいと思う・・・w 言い換えると “追従したら気持ちが良くなれるリーダー(指針)” が欲しいわ。AZZLO的に言うと、”discipline” だなw だな。

59:上司と彼ら知識動労者の関係は、かつての上司と部下の関係ではなく、指揮者と楽器演奏者の関係に似ている。知識労働者を部下に持つ上司は、オーケストラの指揮者がチューバを演奏できないのと同じように、自らの部下の仕事を肩代わりすることができない。

つまるところ、フルタイムの従業員さえ、これからはボランティアのようにマネジメントしなければならない。有給ではあっても、彼らには組織を移る力がある。実際に辞めることができる。知識という生産手段を持っている。

⇒AKBを 全員がプレイヤーでありマネージャー と捉えたが、いわゆる会社組織でもAKBの様な状態が望ましいと言える。

60:動機づけ、特に知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。ボランティアは、まさに報酬を手にしないがゆえに、仕事そのものから満足を得なければならない。挑戦の機会が与えられなければならない。

⇒AZZLOが常々 “子会社ゴミ社員” を名乗るのはw 「ギャラしょぼいんだから、せめて満足は得させろ!」 である。AZZLOを従業員にしたいのならば、金を積むしかないハズだw 個人的にはどちらでも構わない。ただし金だけなら短期的な関係で終わると思う。

すなわちAZZLOを辞めさせたいのならば、高額なギャラを支払い従業員を強要する事であるw

61:マネジメントにおける内部重視の傾向は、近年の情報技術の発展によってかえって増大している。いまのところ、いわゆる情報技術は、マネジメントに役立つどころか邪魔になっている。

マネジメントの領域は組織の内部にあるなどということが前提とされてきたために、組織の内部における努力に焦点を合わせるようになってしまった。

⇒社内事例共有とか、労働履歴にすらならない情報共有 等を “なんちゃらマネジメント部” とかいう名称の人達がやってたりするが、ドラッカーによると “邪魔” って事だなw


改めて付箋付けた箇所を読み返して書き起こしているが、ほとんど共感するな。そして例外はあれど、つくづく組織はドラッカーと真逆過ぎるw

この読書が、組織へのネガイメージを確実なものにしたなw AZZLOが疑問に思って当然な状態である事が良くわかった。鬱社員や退社検討組が増えているのも当然だ。

組織が今後どこまで落ちていくのか?やはり見逃せないドキュメンタリーコンテンツだ♪

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