-読書感想- 超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 / 岡田 斗司夫

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 / 岡田 斗司夫

2012/12/20発売。2013年1月頃の読書。

岡田斗司夫に共感! してから追いかけている岡田斗司夫。

-読書感想- なんでコンテンツにカネを払うのさ? / 岡田斗司夫 福井健策

に次ぐ読書感想。


1:貨幣と商品を交換し合う貨幣経済社会に対して、評価と影響を交換し合う経済形態を私は 「評価経済社会」 と名づけました。

評価経済社会とは、お金よりも評価が価値をもつ社会のことです。いいことをした人は評価が高まり、逆に悪いことをした人の評価はどんどん下がっていきます。

今後、貨幣経済社会は徐々に力を失っていき、数年後には評価経済社会と入れ替わるでしょう。その兆しも既にあります。(中略)

これまで評価する側だった私たちが、同時に評価される側になる日が、既にやってきているのです。

⇒いわゆる “評判” は以前からあるが、そういった可視化し辛い領域が、明確になっていくと思う。facebookのいいね!が近い機能だし、今後、いいね!が貨幣と同様の機能を果たす可能性もある。いずれにしても、いいね!の数で一喜一憂したりしているという現実が、経済ではないにしろ、評価社会ではある。

どう金と同等の機能に変換するか?(飯が食えるようなるか?) がポイントで、その変換が、ビッグデータ以降の大きな流れになると思う。(同時に調整して双方が成熟した手段になっていくと思う)

2:現在の貨幣経済社会は沈みつつあるタイタニック号のようなものです。「安全な打出ボート (ビジネスチャンス) はどこにあるのか?」 なんて考えても仕方ありません。運良くボートに乗れたとしても、いつまでも乗っていられるはずがないし、寿命が延びるわけでもないのです。結局、全て沈んでしまうわけですから。

⇒その点AZZLOは、常に体1つで泳いでるようなもんだから、今後が恐くないなw さして今と変わらないハズ。

3:今、ネット社会では、評価経済が1位で、貨幣経済は2位です。私たちはそういう社会に生きています。

ネットの最先端企業では、既にこの傾向が見られます。たとえば最近、検索エンジンで有名なGoogleに努めていた優秀な技術者たちの多くが、facebookに転職しているそうです。facebookの方が面白そうな仕事ができるからと考えたんでしょうね。だから 「うちはこんなに給料が高いですよ」 「お昼ごはんなんかタダですよ」 と、どんなに素晴らしい労働条件を提示しても、技術者たちは面白い方へ面白い方へ流れていってしまう。(中略)

今後、私たちは、お金を稼ぐために働くことに情熱を捧げられないでしょう。

お金は 「終わコン」 (「終わってしまったコンテンツ」 の略称) になってしまったのです。

⇒やはり “社員満足の向上” は金では担保出来ないという事だな。

金で釣った場合、情熱が無い人しか寄り付かないんだろう。今に始まった事ではなく銀行員なんかが良い例だしな。

4:これから先、広告出稿量が増えることはありません。日本の景気が良くなったとしても、二度と広告なんかに使うことはないでしょう。お金で評価を買うことの効率の悪さに、みんな気づいてしまったから。

⇒逆に広告ではなく、今後明確に人の記憶を金で作る (お金で評価を買う) メニューは出てくる ので、広告出稿量は増えないにせよ、お金で評価を買う事はより明確になってくる部分もあると思う。

5:お金を使うということは、労働することと同義です。買った物に対する管理責任が生じてしまいます。

私の知り合いに、毎月150万ほど買い物しているお金持ちの女性がいます。

彼女のぼやきが傑作です。

「買い物って労働よ!重たいファッション雑誌を見て、いろんな店に行って、頭下げられて、やっと持ち帰ってきたのに、ほとんど家の中に放りっぱなし。それを片付けるのも私。お手伝いさんを雇えば楽になるのかもしれないけど、気を遣うになるから、結局面倒くさいのよね。なんで贅沢をするのに、こんなにしんどい 『労働』 みたいな思いしなきゃいけないんだろう・・・」

⇒金を持てば持つ程、資本主義の駒という労働が重くなっていくからなw 比較的多くの金を手にした場合、資産購入ではなく旅行しまくってた方がずっと優雅な感じだな。

6:これからの時代の豊かさとは、「何をどれだけ持っているか」 ではなくて 「どれくらい選択肢があるのか」 になります。そして何か欲しい時には、「どれだけ簡単に、どれだけ素早くアクセスできるか」 がポイントになってくるでしょう。

⇒選択肢の為に何か持ってないとダメだったりはするよな。多くの場合の学歴とかそぉいうもんだろう。


しかし、むしろ選択肢が無い方が、目指すべきフラグが明確なので、シンプルで楽だったりはする。生涯選択肢を増やし続けようとして、そのまま終わる人たちが多過ぎる。

7:どんな時に幸せを実感するかというと、何かと本気で向かい合った、その後なんじゃないでしょうか。突然 「ひゅんッ!」 と通り過ぎた幸せを、その後ろ姿を見つめながら、噛みしめるように実感するものだと思います。

成功案件 がそうだな。企画段階もそら楽しかったのだが、実施した後の反応を見つつ、その反応を産んだ中の人が、どんだけ苦労してるか知っているから、しみじみ実感する事になった。

マニアックラブの生録、MONSTROSTEREOのパーティー撮影 &生録、も “いつか終わるもの” 前提だからこそ、記録に前向きだったと思う。

8:性格は 「戦略」 であって、癖のようなものだと考えられています。が、それは誤解です。毎日毎日、楽観的あるいは悲観的に考えたり、行動したりするように努力した結果、自分で作りあげた思考パターンを、私たちは 「性格」 と呼んでいるのです。

⇒ “何もしてないうちからdisられる” 組織内のAZZLOだがw “disられる事してあげた方がむしろサービス” (コミュニケーション成立) とかなりやすいんだよなw

根本的な傾向はあれど、思考パターンは日々変化すると思う。

9:インターネットが現在のように発達する前までは、「学歴」 が評価の格付け指標として利用されていました。東大や京大の就職率が高いのは、学生時代に就職希望者がどれだけ努力していたか、一発で分かるからです。社会人経験のない学生を採用するには、それくらいしかなかったといえます。

しかし、企業側の本音は、どのような仕事をしてきていて、どのような働き方をしていて、どのような人物か、そんな情報を知りたかったはずです。学力は、あくまで 「賢さ」 や 「努力」 を示す指標の一つです。お金を稼ぐために必要な力——ビジネスセンスと比例するとは限りません。一流大学を卒業していても、ビジネスマンとしては使えない人もいます。だから企業の人事課は、喉から手が出るほどそのような情報を欲しがっていました。でも、そんなものはなかった。だから、とりあえず 「学歴」 という 「格付け」 で我慢するしかありませんでした。

⇒この本の読書後に書いているが、学歴は金のかかるスタンプラリーでしかない し、いわゆる “高学歴” の必然性って、”人事の判断能力の無さをカバーする為のタグ付け” と言えると思う。 だな。

10:仲間だけで満足できていると、原理的に新人は必要なくなります。新人が入らない組織というのは、必ず時代に取り残されます。
現代の多くの企業のように、経営的に新人を入れることができない、という場合もあるかもしれません。

理由はどうあれ、新人が入ってこない組織は新陳代謝が起こらず、悪くすると壊死してしまいます。

逆に、新人が定期的に入ってくる組織では、揺さぶりが起こります。旧世代と新世代の文化的な衝突が起こるから。私たちは、そうした衝突をきっかけにモノを考えます。逆にいうと、気心の知れた者同士では、これが起こりずらいのです。

⇒この点は7番同様、AZZLOは危惧していて、1年半がっつりだった仲間が退社した 事は、むしろ望んでいた事であったりしたw

ウマが合うプロダクションさんとも、お互いにとって危惧するしな。

新人の効果だけでなく、むしろ中途の方が揺さぶりが起きると思う。組織内での常識を他社の常識と比較出来るのは中途の強みだし、参考にしつつ、共に強くなれると思う。

11:ハイパー情報化社会を生きる私たちが欲望や 「欲望の尻尾」 を隠し通すことは困難ですし、割にあいません。ホリエモンのように、自分の好きなAV女優やオナニーの回数といった 「欲望」 そのものまで公開する必要はありませんが、「他者と関わりたい」 「仲良くなりたい」 といった 「欲望の尻尾」 くらいは公開したほうが良い。

⇒今後は、”何を公開するか?” ではなく、デフォルトでは全て公開で、”何を公開しないか?” という選択になると思う。

12:私たちは 「得られるもの」 より 「失うもの」 に目を向けてしまいがちです。これは思考の癖のようなものなのですが、だから情報を公開することのリスクばかり考えてしまう。でも、「得られるもの」 にも目を向ければ、そんなに怖いものではないことが分かります。

⇒googleに全て預ければ、完璧な無料出会い系サイト になって、みんな幸せになれるハズだしなw

13:不思議なもので、しばらくすると、人はいつの間にか兄らしく、先輩らしく、上司らしくなります。今までやったこともないのに、誰でも必ず、その立場の役割を全うすることができるようになる。

多分、「立場」 にくっついてくる、教える権利や、生徒に対する義務感や責任感が、そうさせるんだと思います。

「先生になったからには、こいつの面倒はオレがみてやらきゃいけない」 と。

⇒ “自覚を生むにはまず立場から” 的な人事もあるしな。立場とか肩書があると周りが “上の人” というコミュニケーションになってくるからな。

しかし、単純に “仰け反って人権侵害をしたいから偉くなりたい” という人も少なくなく、そぉいう人が偉くなってたりするんだよなw

ま、実際偉くなってから、気付いて改善する人も居るので、”まず立場から” の人事を実践する場合もあるのだが、残念ながら多くの人は更新出来ず “人権侵害” が横行する結果となる・・・。

14:確かにコンテンツは動機の大きな一つでしょう。コンテンツがショボかったら、誰も入社してくれないはずです。でも、コンテンツはあくまでもキャラクターとコミュニティによって作り出されたものであり、3Cという仕組みによる収穫物です。

自分で言うのもアレですが、岡田斗司夫がやっている組織なら大丈夫だろう、という安心感ありきだと思います。いくらコンテンツがスゴくても、組織の代表者がイヤな人だったら、怖くて誰も近寄らないはずです。人は安心しないと入ってきてくれません。

⇒いわゆるIT系社長は顔出すし話題になる事が多い。明確に企業PRを狙っているハズだが、トラディショナルな組織は、そもそもメディアに顔出ししてないし、するネタもないのだろうが、従業員の顔出しもNGだったりする。

従業員を信頼していれば、「もっと顔出しして、ウチが良い組織だって事をPRして頂戴!」 となるハズだと思う。

15:いったいなぜ経済成長が必要なのでしょうか? 増え続ける財政赤字や社会保障費を賄えなくなるから? 中国やブラジルといった新興国に対して競争力を維持できなくなるから? いいえ、違います。人間は成長する動物だからです。

人間には学習能力があります。同じ仕事も何回も経験すると、その仕事に習熟し、より短い時間でできるようになります。1年間同じ仕事を続けると、仕事の種類による数%短い時間で仕事をこなせるようになります。同じ仕事を今までよりも短い時間でできるなら、その分だけ多くお金を支払う必要があります。

なぜなら、我々は仕事をお金という価値に換算しているからです。

このことが年間最低でも数%の経済成長が必要といわれる理由です。財政赤字や社会保障費を賄えなくなる問題も、新興国に対して競争力が低下する問題も、本質的な原因は同じ理由で説明がつきます。

でも、肝心のお金が手に入らなくなってきてしまった。お金という手段を中継するから、途中で抜かれたり、使われたりして非効率になってしまう。経済成長は過去のものになり、給料は上がらず、就職することすらままならない。それでも物々交換の時代に戻れるわけではない。「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」 です。

“同じ仕事を今までよりも短い時間でできるなら、その分だけ少なくお金を支払う事で済ませる事が可能です。”

になりがちだよなw

その分、”終わったら早く帰っても良い” とするなら、一応辻褄は合うが・・・。そもそも知的労働で時間縛りというのが意味不明だが。

知的労働において、いわゆる “定時” や “残業” 的な概念は微妙で適応し難いと思う。

16:日本の行政には、必要のない道路工事を許可する書類を書いたり、その書類発行を許可するための書類を書いたりと、無駄な仕事が大量にあります。それらを実行する公務員はクビの心配がなく、熱意があっても手抜きをしても、給料はほとんど変わらない状態です。無駄な仕事をやることで国から給料を貰っているわけですから、いわばベーシックインカムを貰っている人たちといっていいでしょう。

⇒行政に紐付いた業種は非常に多い・・・というか、接点が無い業種は無い訳なので、行政に紐付いた無駄な作業が公務員以外も付き合わなければならない事は多いな。

数年前から始まったおくすり手帳とかマジで無駄だしな。そもそも目的を果たす為の手段としては微妙過ぎるし。


2010年頃、現在デトロイト在住の高橋さんと

「いいね!が食料に交換出来る時代が来る!facebookがそういった人の活動と貨幣的な価値を変換出来る機能を持ったら、もう確実に国家だ!!!」

みたいな議論をしたな。

“facebookマネー” みたいなのもあった気がするが、今は無いみたいだな・・・。

ログという資産とマネタイズ(その時にはマネーではないかもしれないが)というしくみがあれば、既存のアイデンティティを超越した国家みたいなもんが生まれるんだよなぁ。
そのしくみは非常に難しいが、AZZLOの寿命があるうちに、意外とすんなり達成されたりする気もする。

デトロイト在住の高橋さんによると

「仮にそうなっても、いいね!を多く獲得した者が強くなる訳だから、今とあんま変わらないですよ」

的な意見だったと思う。

ポイントはいいね!を得る為には、大概、明確に良い行いをするか、同情を惹ける可哀想な事象のどちらかだろう。

いわゆるジャイアンではいいね!は獲得出来ないので、平和な世の中になりそうな気がするw

悪い人たちが集まって、その中でいいね!を循環する事もあるだろうが、おそらく貨幣よりは不正がし難いだろうから、悪い人が生きにくい環境になるだろうなぁ。

SNSで 「オレは偉いから奴隷どもの給料を下げてやったぜ!!!経費削減出来たオレはその分給料が上がるぜ!!!」 という書き込みって無いからなw

こう書いてみて分かったが、金の問題は、”不正がしやすい” という事なんだな。人の当たり前の感覚と金の大小って紐付いてない事が多いが、ごくごく当たり前で、今後 “努力して結果出したのに給料が上がらない” 若手中心に、金ではない評価を求める生き方が加速するだろうと思う。

いわゆる中国人とかが、ブランド品買いまくっている様を見た日本人て 「成金・・・品がないわね!」 的感覚があると思うが、90年代までは、それを日本人がやっていたのだ。
97年頃、たまたまPARISのヴィトン本店に付き合いで行ったAZZLOが目撃したのは

「ねぇちゃん!コレなんぼや?」

と日本語で買い物する日本人の集団であった。

日本人はそういった “成金” を一度体験してもう飽きている人種とも言えるw

“『物質的豊かさを求める価値観から、精神的豊かさを求める価値観への変更方法』 を検証している国” という課題があった場合、おそらく日本が最先端国という考え方も出来るが。日本人に合った実験課題だと思うし。

とも思うので、日本は岡田斗司夫の言う、評価経済社会に進んでいく感じするな。




“成金になりたいのになれない・・・”

というのが一番カッコ悪いのでw そういう人たちで溢れる日本は嫌いだが、金を諦めた上で楽しもうとする人たちが増えたら、面白い国になれるかもしれないな。今の政府の方向とは違う感じするが・・・。

少なくても個人それぞれが、今の金の得方そのものを検討するべきだと思う。個人において資本主義の資本は、大半が金だが、金ではない資本も指標化しやすくなってきているという事で、”手取りは少ないが良い家に住めてるし服も買えてる” という事はありえるハズ。

“ルックスクオリティーが高い女子は、男になにか買ってもらえる”

的事象が、ルックスクオリティー高い女子ではない人にも似たような事が起こりえるんだと思う。

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