-読書感想- 「新しい働き方」ができる人の時代 / セス・ゴーディン

「新しい働き方」ができる人の時代 / セス・ゴーディン

2011/7/1発売。2011年7月頃の読書。

この本を手にとったのは

・AZZLOに対する賛も否も理解し、否が賛を育てている要素とその逆、すなわち表裏一体の繋がりを理解したい。
・AZZLOが新しいか古臭いかは知らないがw 新しい方だったら良いな~|´∀`●) という期待w

である。

古臭い方だったら、AZZLOに対する賛は、周回遅れの方々からのもので、新しい方だったら、AZZLOに対する非は、周回遅れの方々からのものだろう。

ま、まだ賛も聞こえてくるだけ幸せ者な訳でw 賛してくれる人達に対して貢献出来る箇所 (課題発見) を明確にしたいという思いでもあった様な気がする。


1:これからは、「ビジネスモデルがあるから、そこに事業が生まれる」 のではなく、「同じ未来を見ている者同士が、つながり合う」 ことで、そこに事業が発生するのだ。(神田昌典)

“複数人が目的を持って新たな刺激を創造し前進している様” という感じかな?創造し終わったらもう文化じゃなくて、”習慣” に言い換えるべき。よって単純に古い習慣を大事にするだけの行動は文化とは言いたくない。

とほぼ同様だな。凄く共感する。

2:近年、上場企業ではコンプライアンスが重視され、厳格な管理のもとに事業を行うことが最優先されているが、管理にたけた人間が上層部を占めると、クリエイティブな仕事はとたんにスローダウンしてしまう。(神田昌典)

⇒おぉっwww 実際 CRの人が 「面白いこと出来ないから辞める」 的な理由で辞めた しなぁ。

更にAZZLOの体験から思うのは、いわゆる管理がしたいならば軍隊並に管理するべきだと思う。中途半端なのは良くない。多くの場合、”監視してdisる” が管理とすり替わりがちだと思う。

3:アーティストへの道を進みはじめてしまうと、結論はわかっている。悪いがあなたは、もはや主流の人間にはなりえない。今の組織から面倒くさがられ、はじき飛ばされてしまう。枠に収まって、使い回しできる部分が必要な現在のシステムに、アーティストは住むことができないのだ。だから本書の毒が回れば回るほどに、今の会社がセピア色の写真に見えはじめるだろう。(神田昌典)

⇒・・・www

最近は周回遅れどころか、リタイアしてるのにコクピット内でジタバタして進もうとしてるドライバーに見えたりする。勢余って後ろに進んじゃったりとか・・・(汗)

既存の枠が儲かれば収まれなくもないのがAZZLOだ。業績の責任はAZZLOではないから責任者は尊重する。しかし枠に収まるのを強要するのであれば、従業してもらって儲からなければならないw いずれにしても儲からないのは従業員の問題ではない。

ボードゲームの人生ゲームのルーレットを 「手を使わずに鼻息だけで回しなさい」 言われてる感じするんだよなw プレイヤー全員酸欠状態になってると言えるw 粘膜やられて鼻血ダラダラでまた鼻息出すから、血まみれ状態とも言える・・・w

みんなで進むべき道を、鼻水、鼻クソ、鼻血まみれに自らしている感じする・・・。

4:そもそも歴史的に見て、現在ほど枠からはみ出したところに、青々とした緑地が広がっている時期はない。何といっても、誰もが巨大な富を生み出す脳とコンピュータという資本を持っている。(神田昌典)

⇒適度に制限があった方が 「会えない時間が愛育てるのさ」 的にモチベーションが上がる部分もあると思う。

自由だと

“(いわゆる)成功出来ない者は失格者”

と明確に定義出来る事になるので、それで苦しんでる人が多い気がする。立ち位置や割合によっては、従業員も必要だと思う。

5:今は固定費を抱えた組織に頼むよりも、柔軟に動ける個人とつながれるほうがよほどスピーディに仕事が動く。(神田昌典)

⇒組織とはスピードを遅くする為の手段になっているな~。

“みんなでゴールフラッグ受けたいから全員乗りのマシンにしたら・・・燃費悪いわタイヤすり減るわで、レースどころではなかった・・・”

ってな事は往々にしてあると思う。

その点、やっぱりフランスのツール・ド・フランスなんかは、”勝つためのチームワーク” が整理されてる感じするな~。

6:今まではシステムの内に少しでも長くいる、という判断が正しかったともいえる。しかし、江戸幕府、明治政府と同様、崩れるときは早い。そろそろ大きな船が沈もうとしている。(神田昌典)

⇒日本だと逆に “だからどの船でも良いから乗りたい”(どこでも良いから就職したい) という意識が強くなる気がする。これは現代にハマらない教育が影響していると思う。

故に教育改革等が議論になっているが、既に高度成長期時代にはハマった過去の教育を受けた人間による意識では改革は無理な気がする。よって今後2、30年は、さほど変化は無く、悪い意味で孤立する日本になると思う。

そして、2、30年後から変化が明確になり初めてから、遅れを取り戻すには50年は必要だと思う。

いっその事、即刻義務教育なんて無くした方が早いなw

その空いた時間を、農業実習でも良いし、運送業でも良い。算数は全部売上げ日報でやれば良いし、道徳は接客シーンを見れば良い。住んでる場所によって違いが大きくなりがちだが、まぁそれも個性で良いんじゃないだろうか?

“国ごとリアルキッザニア” になれば、”社会人になって苦労する” 事は無くなっていく気がする。

結局全ての事象から学びはある訳だから、わざわざ学校という枠で教育とかしなくても良い気がしてきたw

国の教育費がどんぐらいなんか知らないが、浮いた金を実習業者に還元したりすれば、業者もモチベーションが上がる。更に “コレは子供には見せれない・・・” という良心が機能する事で、業者も洗練されていくだろう。

7:少なくとも、今の社会システムに何の疑問もなく働き続けるのはもうやめるべきでしょう。「自分はとり替えのきかない “特別な存在” なのだ」 と、自覚することがその一歩目です。

⇒結局、全員が求めてるのはこの “特別な存在” という自尊心ケアだと思う。これは気の持ちようでどうにでもなる部分ではあるw が!マネジメントで促進させる事は可能だし必要だと思う。

“上の者が下の者をdisる事で 『特別な存在♪』 と上が自尊心をケアする”

的な事ではダメだと思う。

仮にコレをやるならば、少なくても上も下と同等の事をやり続けた上で、下の倍の結果を常に残し続けていなければならないハズだ。

「一日24時間は一緒だよ?キミと同じ道具とルールでやってるよ?なんで僕はキミの倍結果出せるのぉ?キミしょぼいんじゃないの?」

であれば、まだ成り立つという事w

ヒエラルキーは業務追行の上での手段じゃないだろうか?人の価値ではない。※故にAZZLOはヒエラルキーそのものは肯定している。

8:将来、本当に成功できるのは、「既存の料理をふるまう人間」 ではなく、「新しい料理を生み出していける人たち」 です。

⇒分かりやすい例えではあるが、料理に関して言うと、伝統工芸的な側面があり、必要でもあるので、あまり良い例えではない気もする・・・。

9:一つ確かなことは、成功者が成功する理由は、学校教育のおかげだけではない、ということ。

いい学校に通うことがマイナスになることはないでしょうが、そこの全員がずば抜けた成果を出せるわけではありません。

⇒現代ではいい学校に通うことのマイナス面が多いと思う。この点は

大卒者 (エリート) が組織で使いものにならない理由
大卒者 (エリート) が組織で使いものにならない理由 2

に書いたな。

10:工場で行われる単純労働においては、自分の領分以外に手を出すのは確かに危険なことですが、今の会社で必要な存在なのは、「やるべき仕事を自分で見つけてできる人」 だけなのです。

⇒現代は多くの企業が知識労働者を求めるのに、入社したら工場労働を強いる現実によって、とても燃費悪い事になってると思う。

この工場労働 (マニュアル通りに作業する労働) の考え方と、知識労働で必要とされるマネジメント・個々人の意識の歪が現代の特徴だろうなぁ。

11:「暴力、性差別、不品行などはもともと生物に備わっているもので、生物の行動パターンの一領域が表われているにすぎない。一方で、穏やかさ、公平性、優しさなども生物にもともと備わっており、それらが広まるのを可能にする社会の枠組みをつくれば、そういう態度が増えていく可能性がある。」 (スティーブン・ジェイ・グールド)

⇒ “子を見れば親がわかる” 的は話だな。

よって 「AZZLOはダメだ。おかしい。理解不能」 といった類の事を言う偉いおじさんは、そのおじさんも同様に周りから思われているという事だw AZZLOを理解不能な状態にしたのは、親である偉いおじさん達なのであるw

12:ほとんどの人間が 「あなたは特に才能があるわけでもないし、目立つわけでもない、そこそこ普通の人です」 と教えられて育ちますが、私たちが自分のことをそう考えるようになるのは、学校に行くようになってからのことだったはずなのです。

⇒これが教育の根本であり “知りえる成功” を目指した奴隷システムへの組込みだろう。大学まで行ってしまったらどっぷり漬かり過ぎと言えるw (目的が明確な進学は除く)

13:誰もが無償で教育を受けられる普通教育の実施は、私たちの社会にとって大きな変革であり、文化そのものを変えていく試みでしたが、試みは首尾よく成功し、無数の労働者を生み出せるようになったのです。

⇒そして無数の “従業” するだけの労働者を生んでるな。

14:「あの人がそうしたから自分もそうしないといけない」 という生き方は決して本能的なものではなく、ごく最近になって私たちに植えつけられたものなのです。

⇒本能の部分もあると思うが、アメリカ人はチョコレートによって 「『ぎぶみ~ちょこれ~と』 言うてれば、悪い事にはならないよ♪」 と日本人を躾けた点からして、加速したと言えると思う。

日本人は切腹とか、特攻隊とか、”自ら絶つ命” が美徳だったりしたから、ココをまず壊すのは、世界的に必要な事だったんだと思うw

今は、日本人は尊敬される事も多いが、ちょっと歯車狂えば、テロ国家になってた可能性を秘めてる人種だと思う。”生産的なテロ(イノベーション)国家” に変換出来たのは良かったと思う。

テロ(イノベーション) を行う者は、どの時代でも場所でも、やはり批判精神が強いと思うんで、批判する対象の母数を作る意味でも、日本のバランスは良く出来て回ってたと思う。

でもそのバランスはもう過去のバランスだと思う。

更に、批判精神を持つ、すなわち気付く者をサポートする理解者 (パトロン) も、対象の母数側になっちゃった感じする。

故に、タイミングが合うと、物凄い濃い事象が起きる可能性もある感じはする。

15:学校での赤点の恐怖、新卒採用であぶれることへの恐怖、集団に溶け込めないことへの恐怖 ——— 本当に教えるべきなのは 「当たり前だと思われている物事に疑問を抱くこと」 なのに、それを抑えつけるようになったのです。

⇒そりゃそうだw 「偉いおっさんは本当に偉いのだろうか?」 と疑問を持たれたらやり難いからだw

そして、世の中で重要な事は 「問題解決能力だよ」 と詐欺をし、そもそもの “問題発見能力” に到達させない仕組みが教育である。

その点フランスはやっぱりイケてるなと思う。

強要するにしても、”自ら選んだ” と勘違いさせるのがテクニックだ。

16:学校が労働の現場に似ているのは、偶然ではなく意図的なものだというわけです。

⇒学校は “奴隷の練習場” と言えるな。

17:ずっと学校にいるつもりなら学業優秀なのはもちろん素晴らしいことですが、そうでなければ、手芸ができるとかフリスビーがうまいのと同じくらいの意味しかありません。

課題を出されたときに、答えを教科書から見つけ、指示に従って知識をそのままの形で使う仕事なら役に立つでしょうが、それ以外の仕事ならそううまくいきません。

⇒ “課題(問題)を出されてから頑張ってください” というレールを敷いているのも、そもそもの “課題(問題)発見能力” を身に付けられては困るからだろう。

18:「米英戦争が何月に起こったか」 といった問題の答えを出せても、ウィキペディアでいつでも調べられる現在では何の価値もありません。グーグルで検索できないような問題の答えを出せることのほうがずっと重要です。それはたとえば 「あなたは次に何をすべきか」 といった問いです。

⇒端的に言うと知識と思考力の話だと思うが、知識があるから思考の円滑に進むという側面があるので、知識はあっても良いと思う。

DJと同様で自分のプレイとハマるアーティストやレーベル等を知っていれば、全新譜を聞かないで、必要なレコードを買えるという事に近い。

19:本当は、一つのことが解決したら、次は新しい問題、もっと考えるべき問題を自分で探していかなければ何の意味もありません。

⇒故にAZZLOは、成功案件には依存しないで新たな事がやりたい と思っている。

AZZLOが成功案件に依存していると思う人は、その人自身が問題を探す能力が無く依存するから、AZZLOも同様だと定義するのだろう。

20:平凡な従業員に頼っている会社は、安価な労働力と引き換えに、非凡な成果を犠牲にしているのです。

⇒組織には平凡な従業員も必要だとは思う。しかし全員が従業員では、子供のヤクザごっこ・・・のつもりがチンピラごっこであったという事になる。ごっこすらも間違うという事だw

21:(メリッサ・メイヤーについて) 彼女の実績は、人が見ていない部分に目を向け、人が気づかない問題を解決し、結びつけるべき人を結びつけてきたところにあるからです。

⇒「みんなが気付く事に気付かないお前はバカである」 という様な教育や企業ニーズによって、”みんなが何に気付いているのか?” という意識を醸成し、全員が人の顔を伺うだけになってるな。仮に見ても見て見ぬふりをするスキルも、従業員ならではだと思う。

「代理店なんだから、今の流行は知らないとね(σ´∀`)σ」

と元気良く言う人がいるが、流行知ってても良いけど

「代理店なんだから、今の流行を作らないとね(σ´∀`)σ」

の方が良いと思うんだよな~。周りの顔色伺って真似るだけならば、”電通のパクリ” にしかならないハズ。

22:まわりを型にはめようとする人たちが、眉をひそめるような新しいことをやりましょう。大切なのは、既存のシステムを見直し、これまで誰も考えてこなかったことをやっていくこと。

⇒AZZLOを型にハメるくせに 「新しいビジネスモデルを作れたら給料があがる」 等と言う子会社の偉いおっさん は破綻もいいところだなw

23:以前、「ドミノ・ピザ」 の二人の店員が、ピザにいたずらをしているところをYouTubeで流して大騒ぎになったことがありました。この事件は事業部長が犯すミスよりも大きなダメージを会社に与えたのです。

もっと規則を徹底すれば問題はなくなる、と思っている経営者もいますが、そのような会社は、今後伸びていくことはできません。従業員同士のコミュニケーションがしっかりととられ、人間的な働き方のできる会社だけが、成功をつかんでいけるのです。

⇒たまに偉いおっさんから 「あいつは○△□で・・・まったく困ったもんだよ」(『それに比べればAZZLOはマシだよw』 的フォロー?) という愚痴を聞く事がある。AZZLOは 「○△□がやれちゃう偉いおっさん達の前例があるからでしょう?まず偉いおっさんから身を正すべきです」 と言っている。

この “仲間として恥ずかしくない言動” を常に問いたださざるをえない、規則ではなく規律が必要 だと思う。

24:フランスが手づくり高級品に力を入れていたころ、大英帝国は工場労働を推し進めていました。最低限の労働力で綿布を製造できる織機を開発し、安価に皿をつくれる陶器工場をつくっていたのです。

やがて、「フランス製」 という言葉は特別な響きをもつようになります。フランス製品は人を活かしたことで簡単にコピーできなくなり、希少価値が生まれたのです。

⇒ビジネス的には、どちらが良いという事ではなく、パイが大きい対象はイギリス式もありだと思う。

人格としては、全員がフランス式でも面倒臭いのでw 選択が出来てフランス式も尊重する必要があると思う。当然全員がイギリス式では、織機の入れ替え等も行われず、壊れた分だけ生産量は落ちていくだけだ。

25:履歴書にこだわることは、組織の求めるままに流され、自ら歯車になり、巨大企業の使い捨て駒として働くことを意味します。

⇒いわゆる “高学歴” の必然性って、”人事の判断能力の無さをカバーする為のタグ付け” と言えると思う。

学歴はあってもなくてもどうでも良くて、今後の学力 (ポテンシャル) が重要なハズ。その判断は非常に難しいが、人事は取り組まないといけないと思う。

26:仕事で価値を生み出し続ければ、その価値を人々が競って求めるようになり、与える対象をこちらが選べるようになっていきます。

⇒AZZLOは成功案件以降、”成功案件の焼き直し” の依頼は一時増えたが、今となっては案件総数は減ったw そして 人権侵害等の虐めにすら合う ようになった。

競って求めるのではなく、出る杭打つ的な対応しか取れない人も多いな。

AZZLOは成功案件によって周りの人達が “こんな事をAZZLOが出来るなら俺もこんな事してみよう♪” という免罪符になれば良いと思ったが、そのようには活用せず、他人事ならまだしも虐めに走る人は、組織の癌だと思う。即刻生涯出社 停止 免除が良いと思う。

AZZLOだけ苦しむならまだマシだw その手の人たちは結局常に誰かを虐めている。

27:「情熱や熱意は、対象がないと存在しない」 のではありません。「情熱をもっている人が対象を見出す」 のです。

⇒AZZLOはどんな環境でも課題は作れるし楽しめると思う。

AZZLOが組織のネガをココで書くのは、純粋なストレスもあるがw ストレスを可能な限り楽しみに変えている行為でもある。正直 “次はどんなブログネタがあるだろう?” ってな本来要らんモチベーションで組織に通ってたりするw

よって “AZZLOは情熱や熱意がある!” ではなく “AZZLOはネチっこく性格が悪い” という事だな・・・w

28:進化はあちこちで起こっていますが、注意しないと簡単にオタクとサブカルチャーの発想に陥っていまいます。もちろんそういうところにも価値あるビジネスチャンスはあふれているでしょうけれど、多くの人がそういう場所で空回りしている気がする。

・オタクとかサブカルチャーが、何故マスから隔離されてきたのか?
・何故オタクになるのか?
・常にメインがあるからサブがある。光と影みたいな事だ。

この点を考察もせず、表現手法だけオタク風・サブカル風では空回りするだろうと思う。

更に、オタク・イズ・デッド という考え方もある。


29:私たちの社会に何より欠けているのは、「生み出そうとする本能」 です。と同時に答えを見つけて世間に伝えていくことであり、一人ひとりが自分の中の人間性を引き出して世の人々とつながっていくことです。

⇒生み出すという事は、更新する事とも言え、既存を否定するケースもある為、そのような行動は取らないようにする為に教育があるハズ。

30:初対面の三人は、何度握手をするでしょうか。

AさんがBさんと握手し、BさんがCさんと握手し、AあさんがCさんと握手して、計三回です。

これが四人だと、握手は倍の六回となります。五人なら十回です。

チームが大きくなるにつれて、全員が協調して動くのは幾何級数的に難しくなっていくわけです。

ところが、リスクのある大きなプロジェクトほど関わる人数が多くなる上に、とりわけ大事なプロジェクトだったりすると、利害関係のある人がどんどん口を挟んできます。

こうして、プロジェクトは検討段階で停滞してしまい、そもそも協調すること自体が不可能になることさえあるのです。

⇒ “偉いおっさんが監視するプレゼンプロジェクト” というのがあり、AZZLOも第一回目に参加していたのだが、あらゆる偉いおっさんの意思が混入し、結果負けるという経験がある・・・w

電通がウチを恐れるのは “少人数で企んでいる時” だけだそうだ。

そもそも広告代理店の範囲であれば、案件にもよるが、営業・企画・メディアプラン という3人で大体プレゼンまでは可能だと思う。

31:社会で成功している人たちが成功を手にした理由は、たった一つです。彼らは失敗をマイナスにはとらえていないのです。

彼らは後悔したり、失敗の原因から目を背けたり、落ち込みすぎたりはしません。

やり方がまずかった、あるいはそのやり方を理解してもらえる相手ではなかったと考えるのです。

⇒某IT企業に在籍していた際は、”失敗でも取り組んだ事は評価する” と明確に言われたなぁ。

そして現在の組織ではプレに負けても報告だけで反省会 (課題発見) すら行わないなぁ。

32:悪いアイデアでも気にせずどんどん思い浮かべられるようになると、いいアイデアを思いつくのは驚くほど簡単になります。逆にいえば、まずいアイデアやリスクのあるアイデアを避け続ける人には、どんな発想術の本も役には立たないのです。

⇒ 『”キリン夢のドリーム” みたいのをやりたい!成功しているしWEB施策だから!』 とAZZLOに言ってくるタイプはリスク避けであるだけでなく、勘違いも含まれて最低という事だなw

33:誰かがつくったマニュアルで失敗したのであれば、それは自分のせいではなく、営業マニュアルどおりにやって売れなければ、責任を問われるのはマニュアルの作成者です。

⇒ “従業員” とは従うマニュアルがあるハズだ。マニュアル無しだったり、マニュアル通りにしたのに、文句を言う偉いおっさんは、まず自らの言動を問いただすべだと言える。
「お尻が痒いのは貴方が拭かなかったから」 である。

34:ツイッターもまた逃避の典型です。もちろん、うまく活用している人たちもいますし、仕事に生かしている人たちもいますが、ほとんどのケースは、抵抗に負けて逃避しているだけで、何も成し遂げていません。

⇒AZZLOのココもほぼ同様だなw しかし、ほぼここで書いている通りに現実に口にしているし行動しているので、まだマシかなw ・・・ま、いずれにしても重症って事だけは言えそうだw

35:チベット語に 「シェンパ」 という言葉があります。

「かゆいところをかく」 といった意味の言葉で、私は 「不安の悪循環」 を意味しているのだと理解しています。

ちょっとしたかゆみを感じたときにかいてしまうと、かゆみはかえって強くなり、そのうち痛みに変わります。同じように小さなことが引き金となって、苦しみがどんどんエスカレートしていくことがあります。

⇒これは2013年のAZZLOを表わしているな・・・w ま、最初のかゆみが発生する事そのものが問題なんだがw

36:アメリカ北西部太平洋岸地域のネイティブアメリカンにおいては 「ポトラッチ」 という、与えることを競い合う文化さえあったのです。
彼らの社会では、すべてを与えることが族長の力の象徴になっており、出し惜しみをした指導者は、急速に力を失っていきました。

しかしこの伝統は、ある日突然失われることになります。貨幣と階級社会の誕生により、「手に入れても与えないという文化」 に変わってしまったのです。

作家のルイス・ハイドは著書の中で、「私たちの社会においてはここ数世紀、たくさん受けとった人間が勝者だとされてきた」 と指摘しています。

そのような人間が王となり、他の人はひれ伏すようになるわけです。権力者がおいしい思いをするのは、実はごく最近広まった傾向です。

そして、再び、与える人間が勝者となる次代になりました。アーティストの時代です。与える人は、社会や組織になくてはならない存在になることができます。

今、市場が求めているのは、見返りを期待せずに作品や価値をつくり出して与えていく行為です。その行為を実践する人が尊敬され、注目される次代なのです。

⇒アーティストの定義は今だによく分からないが、特にネット上のコミュニケーションは、上記の通りになってるな。ジェットダイスケ 氏なんか象徴的かな。

与えない権力者は、どうなんのかな。ま、よくてギリギリ食い繋いで終わるんだろうな。

37:「組織のかなめになれる人」 は既存の価値観を壊し、驚くようなものをつくってみせ、新しい価値を生み出していきますが、無条件に指示に従うことはなく、予想外のことをやってしまうことがよくありますから、経営者にとってはしばしばやっかいな存在にもなり得ます。

しかし、そんな存在であるにもかかわらず、一般の人々も投資家も、「かなめの人」 が創造したものが、単に安いだけの商品やサービスにない、プラスの価値をもたらしてくれる可能性があるとわかってますから、彼らのことが大好きです。

彼らのまわりにはコミュニティが形成され、そのコミュニティ全体で価値が共有されていきます。

⇒AZZLOはとりあえず、

・無条件に指示に従うことはない
・予想外のことをやってしまう(主に企画内容)
・仕事、人格の評判が良い人の一部の人からは慕われている。

という点があり、コミュニティ形成的な雰囲気はあるが、歳食った見習いでゴミ なんで、中でのコミュニティ形成は避けている。

外でコミュニティ作らざるをえない感じだな。ま、別に良いんだけども。

38:「チームワーク」 を重視する経営者や上司は多く、そういった管理職たちは替えの利かないような優秀な従業員を恐れています。上に立つ人間がチームワークという言葉を口にするときは、要するに 「いわれたとおりにやれ!」 といってるのと同じ。

やはりAZZLOはチームメイトではなかった!!! で書いた、グレート偉いおっさんによる “○△□人のチーム” ってのはそっちの意味だったのかw ま、いずれにしても納得感は高いな。北朝鮮みたいだな。

上記を前提とすると、AZZLOはチームメイトではない訳だから 「いわれたとおりにやらないで!!!」 になるなw

「いわれたとおりにやりませんよ。故に今回は1周回って指示通りに従業員やります。従業する規律ください。明日は分かりませんが」

っつってもOKになるな・・・。超面倒臭いヤツだな・・・w AZZLO自身こんな事言うヤツが目の前に居たら嫌だ・・・w

39:コロンブスが登場する大航海時代までの数千年間は、利息をとることはよしとされていませんでした。

それはなぜか。

部族の中で自由にお金が回ることになれば、繁栄のスピードも速くなります。あなたが種を買うためのお金を私が提供すれば、あなたの畑は大きくなります。するとあなたもお金に余裕ができて、そのお金を他の人のために役立てていくことができます。私もまた別の人に投資できるようになります。お金が回るほど、部族は繁栄していく というしくみです。

一方、ケチな人たちばかりの部族は資金ぐりに苦労し、なかなか生産性が高まりません。前者の部族で動いているのは、お金だけではありません。相手を信頼し、無償で与えることで、二人の絆は深まり、コミュニティの結束も高まっていきます。

⇒組織は冬のボーナスが無くなった分、夏のボーナスの前借りが可能らしいのだが、利子がかかるらしいw 多くの人が “賞与も含めた年収” で契約していると思うのだが、カットされた上に利子まで取られる・・・w

“チームという名の奴隷を求めはするが、共に達成し成長する仲間ではない”

なんだろうな。

40:優れた表現行為ほど、万人に受け入れられることはありません。

万人向けのものは結局平凡な結果に終わる ということも覚えておきましょう。

⇒”万人” ってのが抽象的過ぎるが “優れた表現で多くの人にウケる” 的な事はあるハズだと思う。

陥りやすいのが

“受け入れられないから、優れた表現だ!”

っていう自己納得だなw

41:他人にいちいち腹を立てるのではなく、そういうものだと認めて受け入れていくことができれば、この世はもっと生きやすく、楽しいものになるはず なのに、多くの人はまず他者の態度を改めさせようとします (会社などの組織では特に—-)

⇒そぉいえばAZZLOは先輩営業に

「貴方は貴族なんだから、エリートの上流にすら辿り着けない庶民にキレなくて良いでしょう?」

なんて言ってたなw

AZZLOも基本上記スタンスなハズなんだが、2013年は色々組織に疑問を感じてしまったなぁw 根本としてノブリス・オブリージュを求めてるからなんだと思うが。

いずれにしても 「奴隷は奴隷として扱え」 なんだよな。奴隷に嫉妬する王様など普通は存在しないと思う。ましてや望んで王様になったのならば尚更だ。

42:かなめとなる人に権限は無用 です。「権限」 が問題になるのは古い工場の中であり、あなたが活躍していく場所では必要のないものです。

⇒そぉいえば、偉いおっさんが 「もう営業とか入れなくて良いから好きにやってよ!」 って言ってたなぁw この偉いおじさんは AZZLOにスーツ購入・着用を強要していたおっさん なんだがw

“スーツ着さえすれば、後は好きにして良い”

なんかなw

出来ない理由を探す営業が居るくらいだったら、ゲリラ的に動いた方が楽しいし組織の売上げ・利益になる可能性もあるので、モチベーションが高くなりそうな対象を整理してみようかなぁ。

43:人は誰もが過去を懐かしむ気持ち—-ノスタルジーを抱いています。もう戻ることのできない過去の、甘くてほろ苦い体験を懐かしむのです。学生時代の特別な一日、素晴らしいチームの思い出、家族で過ごした時間などを思い出して、そこに浸ります。

誰もがもう一度同じ体験をしたいと願いますが、それは不可能でしょう。

現状が変わって過去と似た状態になってくれるのではないかと淡い期待を抱いていても、実際に変化が起こったときに目の前に現れるのは別の未来です。

人は未来を思い描き、それが見果てぬ夢だとわかっても、その夢にノスタルジックな気持ちを抱きます。

これは前向きなビジョンとはいえず、むしろ悪い部類の執着です。人間は特定の結果に執着する傾向がありますが、それは自分の力でどうにもならないものであることが少なくありません。

⇒体験の積み重ねで今がある訳なので、そら誰しも大事にしたい思い出はある。AZZLOは平均よりも強く持っている気がする。

故に非常に後ろ向きになりやすいので、なるべく写真や録音などで記録を残し、無意識に依存するのではなく、”依存するならば一時的 (今は依存タイム♪)” にしようとしてるかも。忘れても必ず振り返る事が可能なので、前を向ける状態にしておきたい。

自分自身の過去についても、こうあるべきだと思う。

44:モノをつくっている工場では、株の所有者が経営者を支配し、経営者が管理者を支配し、管理者が労働者を支配していますから、指示系統は明確です。

これに比べると、現代社会の組織の多くはずっとあいまいです。責任の所在が不明確で、成果が測りにくく、目標も厳密に定められていませんから、停滞しやすくなります。

⇒退職率が高かったり、病む人が続出している組織は、いわゆる工場式の組織が多い気がする。逆に常に人が集まりギャラが安くても能動的に動く組織は、フラットな組織な傾向は感じるな。

今でも工場式が適している業種もあるハズ (実際の工場とか) だが、工場式の “支配しやすいという上の者のメリットを重視するならば、ちゃんと支配し切るべき” だと思う。パートのおばちゃん的にルールに従って頂いて時間給で払うのだ。

45:人を指導するときに大切なのは 「知識を与える」 ことではなく、自分の 「心構え」 をその人に伝え、自分と同じ 「自信」 をもてるようにすることだ

リアルの生き様を見なければ、学びにはならないと思う。 って事だなぁ。





コレにも通じる話だと思う。

権力に盲目な人は、このTEDの聴衆の様な表情をどれだけ作れるだろうか?


-読書感想- マネジメント 基本と原則 / ピーター・F・ドラッカー

と同様、組織への疑問がより強くなった読書だったな。

そして

大卒者 (エリート) が組織で使いものにならない理由

を書く材料がいっぱいあった本であった。

AZZLOが “新しい働き方” をしているか?今後する気があるのか?は、正直どうでも良いと思うがw

“新しい働き方的な事を求める偉いおっさんが居る”
“新しい働き方的な事で結果が出ると虐めてくる偉いおっさんがいる”

というのが現実だな。もしもAZZLOが野球選手だったら? に書いたような感じだ。

やはりどう転んでも

どっちでも良いんだけど、偉いおじさんの見解は統一して欲しいと思う・・・w 言い換えると “追従したら気持ちが良くなれるリーダー(指針)” が欲しいわ。AZZLO的に言うと、”discipline” だなw

つくづくコレだなぁ。

狭い範囲の視点においては経営陣以外の従業員は全て奴隷なのだ。奴隷上がりの経営陣ではなかなか難しいだろうが、奴隷は上手く使わなければならない。その為の俯瞰した視点や “『強要』ではなく『追従』に勘違いさせる” 事が必要だと思う。

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